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右手だけつないで(作:犬野郎)

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 屋上の扉が、けたたましい音と共に開かれる。ずかずかと俺の憩いの場に踏み込んできた不法侵入者は、辺りをキョロキョロと見回すとやおら納得したようにうんうんと頷いた。
「へー、屋上って入れたんだなー。人も全然いないし、気持ちいー!」
 大きく伸びをして、もう一度頷く。
「よし、ここを私の秘密基地にしようそうしよう」
「するなバカ」
 突然横からかけられた――もちろん俺の――声に、彼女は飛び上がらんばかりに驚いていた。
 こっちはむしろ、さっきから扉の横でずっと本を読んでいたというのに、全く今まで気付いていなかったことにびっくりだ。
「あ、あ……あなた誰? どうしてここにいるの?」
 失礼にも初対面の人間に指を突きつけて叫ぶ彼女に、俺はため息を一つ吐き出して告げる。
「そりゃこっちのセリフだ。屋上は立入禁止だって校則で決まってるのを知らないのか? そこの扉にだって南京錠が付いてただろ」
「付いてたけど……外れてた」
 もちろん外したのは俺だ。仲の良かったチョイ悪な先輩に譲り受けた、虎の子のカギを使ったのだ。だがそんなことを言う気もなければ、彼女の存在をこの安息の地に許す気もない。
「そうか、それは運が良かったな。だが残念なことに、今言ったとおりここに来るのは校則違反だ。俺がちょいとチクればアンタ停学、毎日家でお勉強。そんなのイヤだろ? ホラ、だったら帰った帰った。空見て伸びして満足したろ? 大体なんだ秘密基地って。小学生か」
 勢いでまくし立てて追い返すつもりだったが、どうやら最後の一言が余計だったらしい。ピクリと彼女のこめかみが動いたことに気付いた時には、すでに彼女は完全に反撃の態勢だった。
「小学生? 小学生って言ったあなた!? 大体ね、校則違反ならあなたもそうじゃない。っていうか考えてみたら、ここの鍵開けたのもどう見てもあなたじゃない! どうして私だけ出てかなきゃいけないのよ、屋上はみんなのものでしょ!」
 立入禁止の屋上は誰のものでもないと思うが、あまりの勢いに俺の方が気圧されてしまう。
「まぁ、百歩譲ってここがみんなの物だとして、だ」
「百歩譲らなくても、少なくともあなたの物じゃないわ」
 落ち着かせるような調子で言った俺のセリフは、絶妙な間で遮られた。イラっとして声を荒らげそうになるのを抑えていると、彼女の方が先に言葉を続ける。
「そういえば、アレね。あなたがここのカギを持ってるってことを私がチクっちゃったら、あなたどうなるのかなー? 家でお勉強の毎日になるのは、『たまたま屋上のカギが開いてるのを見つけてやってきた女子』と、『誰もいない屋上に一人でいた男子』のどっちだと思う?」
 『たまたま』をわざとらしく強調したあたりから、彼女の顔は完全に勝利者のそれだった。悔しいが、そのニヤニヤ顔からこぼれる言葉は全部正論で俺には全く言い返せない。
「ねっ、お願い! 別にあなたが何かしてるのを邪魔したりしないから、私もここにいていいでしょ? ねっ!」
 自分の方が圧倒的に優位に立ったところで下から頼み込まれ、それでなくても負け戦な俺が撥ね退けられるわけもなく……。
「……わかったよ」
「ホント? ありがとっ!」
 彼女は心底うれしそうにそう言うと、座っている俺の目の前に手を差し出す。
「私、水橋有里。これからよろしく」
 俺は、その手を握れなかった。

   ●

 彼女――有里は、それから毎日のように屋上へ顔を出すようになった。
 もちろん俺みたいな不良と違って、有里が顔を出すのは決まって昼休みか放課後だ。この日も確か、放課後になってすぐのことだった。
「あ、はやーい。私チャイム鳴ってすぐ出てきたのに。なーに、またサボり?」
 自前の座布団を枕にして、寝転がりながら本を読んでいた俺が視線を上げると、逆さ向きに有里の顔が見えた。
 頭の上の方から覗き込んでいる彼女は、逆光のせいでまるで表情が読み取れない。だが、いつもの咎めるような顔が容易に想像付くくらいには俺たちは親しくなっていた。
「違いますーこれはちゃんとした自主学習ですー」
「授業出ないで何が自主学習だが……ちょっとそれ見せなさいよ!」
 そう言って俺の手から本をひったくると、そのまま頭の上で読み始める。
「あ、おい。返せよ!」
 取り戻そうと上体を起こすと、逆光でかげっていた有里の顔がようやくはっきりと見える。その顔に、俺は思わず息を呑んだ。
「ッ……! おい」
 急に真剣みを帯びた俺の声に、有里が少しだけ肩を震わせる。
「ど、どうしたのよ。急に怖い声出して」
「その頬、どうしたんだ?」
「え、あー……これ?」
 有里の右頬には小さな絆創膏が貼られていた。指を切ってしまった時に軽く巻くような、
「ちょっと大きめのニキビができちゃってさ、隠してるだけ。怪我したとかじゃないんだよ?」
 と笑い混じりに手を振って返されれば、納得するしかない程度のものではあった。
 だが、俺の眉間から皺は簡単にはなくなってくれない。
 この屋上で有里と出会ってから数ヶ月。俺だって暇だからここに来ているわけで、していることといえば本を読むか昼寝くらいだ。有里も似たようなものだったから、俺たちは都合のいい話し相手としてすぐに打ち解けていった。
 そんな中で、気付くことがあった。彼女は普通の女子高生にしては、いやに生傷か多いのだ。
 腕に擦り傷、脚に青あざ、顔に何かあったのもこれが初めてではない。放課後にこうして屋上へ来ている以上運動部な訳でもなく、そこまでドジなやつだとも思えない。
 そのたびに有里は「ちょっと転んだだけだよ」とか、「タンスの角で擦っちゃって」などと言うが、そんなものでないことは分かりきっていた。
(でも、そんなことを俺が気にするのは、おせっかいなんだろうな……)
 そう思って、俺は再びごろりと寝そべった。有里は俺から取り上げた本をそのまま読みふけっている。
 所詮、俺たちは暇つぶしの相手同士で、それ以上でも以下でもない。だから有里も俺がここにいる理由についてとやかく聞いてこないし、俺も突っ込んだことを聞くなんて野暮なことはしないのだ。
 しばらくして、どうやら寝こけてしまったらしい俺が目を覚ますと、もう空はオレンジ色だった。
 有里の姿を探して視線をぐるりと回せば、本を読んでいたはずの彼女はフェンス際で空をじっと眺めている。
 その姿があまりにも儚げだったから、俺は飛び起きると呼び止めるように声をかけた。
「有里!」
 振り向いた彼女の表情は、どこかいつもと違っていた。
「なに?」
「帰るぞ、そろそろ暗くなる。もう部活の連中もいないみたいだしな」
「私は……もう少しここにいるよ」
 有里が家にあまり帰りたがっていないのも、この数ヶ月で気付いたことの一つだ。俺も彼女に付き合って、下校時刻ギリギリまで残っていることがたまにある。だが、今日はそれを聞き入れてはいけないような気がした。
「バカ言うな、俺が帰るって言ってるんだ」
 この屋上のカギは、依然として俺が持っている。戸締まりをして出ないと、翌朝の見回りで当直の先生にカギが開いているのを見つかる可能性があるため、俺が帰ると言ったら帰り支度を始めるのが暗黙のルールだった。
 なのに――
「じゃあそのカギ、今日一日だけ貸してよ。お願い」
 えらく平坦な声だった。普段とあまりにも違う形だけの笑みに、背筋に悪寒が走る。
「だーめーだ。ほら、とっとと帰り支度しろよ。俺寝すぎて腹減ってんだって」
 背中に流れる嫌な汗を無視して、冗談めかすのがやっとだった。それでも、有里はまだごねるようにもう一度フェンスの方へ向き直ろうとする。
 その手を、力任せに掴んだ。
「……帰るぞ」
「……分かった」
 そのまま引きずるように扉の前まで連れていくと、後ろで有里がぼそっと呟く。
「手。触るのとか、嫌なんじゃなかったの?」
「は?」
 振り返ってみた有里の顔は、なぜか少し赤くなっていた。
「ほら、一番最初に会った時。私が握手しようって言ったのに、断ったでしょ。だから、他人に触るのとか嫌な人なんだと思ってた」
「……」
 そんなこともあったか。というか今のはそんなこと言ってられない状態だったからなんだが、有里はなぜか拗ねたように顔を背けている。
 俺はため息を一つ吐き出して、「バカなこと言ってるな」と言いかけて……全然別のことを口にした。
「嫌いだよ」
 そう言って有里に向き直る。
「じゃあ、なんで……」
「手を繋ぐとさ……その人に、縛られてる気がしないか?」
「え?」
 突拍子もない俺の言葉に、有里は目をぱちくりとさせる。そりゃそうだろう、俺だってこんなこと人に言ったことはなかった。
 こんな幼稚な……ガキみたいなこと。
「手を繋いでいると、自分の好きに歩くことなんてできない。速度も、方向も、目的地さえ、隣の誰かと足並みを揃えなければいけない」
「え、でも……そんなの、ずっとってわけじゃ」
 言いかけた言葉を遮るように、俺は言葉を続ける。
「実際に歩く時だけの話じゃないんだ。誰かと知り合う。友達になる。そうしたら、なにかしらのしがらみに囚われる。教室で辺りを見渡せば、そんな奴らばっかりだろ?」
 有里は呆れているのか、じっとこちらの話に耳を傾けて動かない。
 こんな会話をしたところで、お互いの事情を理解できるはずもないのに。俺や有里の問題が解決するわけでもない。それこそ、ただのお節介なのかもしれない。
 それなのに、言葉が止まらなかった。
「握手や手を繋ぐってのは、そういうしがらみの始まりだ。人と人との繋がりを具体的な形にしてしまう。そんなのが嫌なんだ。面倒で、不自由になるから」
 もしかしたら、これが最後かもしれないから。でも、最後にはしたくなかったから。
「ねぇ……握手、してくれない?」
 しばらく黙っていた有里は、顔を上げるなりそんなことを言う。
「……お前、今の俺の話、聞いてなかったのか?」
「聞いてたよ。だから、しようって……したいって思った」
「……」
 言葉ではとやかく言いながらも、俺は結局その手を握った。
 こいつとなら、そんなしがらみを持ってもいいと。そう思ったからこそあんな話をしたのだから。
 互いが互いに繋がれた俺たちのいる屋上は、二人だけしかいない世界のように閉ざされていた。有里の顔しか、目に映らない。
「俺が、お前を縛るよ」
 ポツリと呟くと、握った手に力がこもるのを感じた。
「じゃあ……あなたも、私から離れないでね?」
 泣きそうな笑顔で有里が言う。顔が熱くて、俺も泣き出してしまいそうになるのをなんとか堪えた。
「明日、合鍵を持ってくる」
「え?」
「ここの――屋上のカギ」
 俺だけの憩いの場だったここは、二人の場所になったのだから。
 有里はくすっと笑うと、
「それって、校則違反でしょ?」と、しかしうれしそうに言ったのだ。
 二人で共に歩いていくなら、別の側の手を繋ぐのだろう。でも、俺たちは違うから。
 ここに留まり続けるために、目の前の相手を逃がさないように、俺はずっとこの手を握り続ける。
 暖かくてやわらかい、優しい右手を。
37, 36

  

↑(FA作者:飯倉さわら)



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「右手だけつないで」採点・寸評
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1.文章力
 90点

2.発想力
 80点

3. 推薦度
 90点

4.寸評
 良く出来てます。
 屋上という空間を舞台にした男と女の物語ですが、題材を十分に生かした、読後感の良い作品に仕上がっているのではないでしょうか。
 水橋の傷の理由を示唆する程度にとどめたのは好判断でしょう。詳細に書きすぎると物語の邪魔になりますから。
 この企画で以外に少ない気がする青春話。文章にも破綻はありませんし、オススメ出来ます。

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1.文章力
 70点

2.発想力
 40点

3. 推薦度
 60点

4.寸評
 文章は情景やキャラが浮かびやすいもので、個人的にはキャラの顔まで浮かんできて良いものだったと思います。
 ただ発想が平凡でただの「イイハナシダナー」な作品であり、また途中ダークなものを匂わせながら最後爽やかに終わってしまい拍子抜けしてしまいました。
 正直ショートショートとしては物足りないですね。

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1.文章力 90点
2.発想力 60点
3.推薦度 70点
4.寸評
 ショートショートで出会いから終わりまで綺麗に終わらせているというだけで、よく練れた文章であると評価できます。主人公の心情変化も分かりやすく、その切欠や動機、更にはヒロインとの手を繋ぐ場面での掛け合いは非常に読んでいて爽快でした。ただ、やはりというか、短い中では書ききれなかった部分が少し垣間見れてしまうのが残念です。ヒロインが屋上へ来る理由など、とって付けたような描写が前後の文から浮いているように感じました。

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1.文章力 40
2.発想力 30
3. 推薦度 30
4.寸評
 物語としてはいいと思いますが、何故これをショートショートに決めてしまったのか気になります。
 長編のワンシーンでよいのでは?

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1.文章力 90点
2.発想力 30点
3.推薦度 60点
4.寸評
完成度の高い文章力だが、趣味でない箇所があり10点引かさせてもらった。
ショートショートには奇想が必要だと考えているので、あまりにも普通な物語に拍子抜けしてしまった。掌編小説としては良作とは思うが、ショートショートとしてはどうだろうか?
また長編のワンシーンを切り抜いた感があり、物語としての完結性にかけているように思える。

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1.文章力 (60)

2.発想力 (50)

3. 推薦度 (60)

4.寸評 
ボーイミーツガール! これを言ったのは何度目でしょうか、背筋がむず痒くなるような甘くて突拍子もない話です。文章自体は悪くないのですが、展開が急なので繋がりが不自然に思えます。そのせいか主人公の心情変化や、ヒロインの行動に共感がもてなくなってしまっているようです。

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各平均点
1.文章力 76点

2.発想力 48点

3. 推薦度 62点

合計平均点 186点
39, 38

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