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ボーイ・ミーツ・ガール(作:蝉丸)

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 どうやら僕には人間として、いろいろなものが足りないらしい。

 倍率20倍の試験を通過し、大学までエスカレーター式に進学できるこの学校に入学して2年が過ぎていたが、友人と呼べる人間関係は築けていない。それと言うのも、僕は皆の話す言葉が理解できないし、皆も僕の言葉が理解できないからだ。
 日本語が使えない訳ではない。事務的な話であれば意思の疎通はできる。しかし、話の内容が感覚的なものになると、まったく理解できないのだ。
 例えば夏のある日、汗をかいた級友たちは、教科書や下敷きでしきりに自らを扇いでいたが、僕にはその理由が分からなかった。別の日には、窓ガラスに突っ込んでしまった僕に、周りが『痛くない?』と訊ねてきたが、痛いという感覚を僕は知らなかった。
 しばらくして、人間には暑さや痛みを感じる皮膚感覚というものがあると書物で知った。思い返してみると、幼い頃の僕がほとんど泣かないのを両親が心配していた記憶がある。
 自分が普通ではない事を、僕は両親を含め誰にも話さなかった。心配をかけてはいけないと思ったからだ。だが、僕に欠けているのは皮膚感覚だけではなかった。

 授業の一環で、成績の悪い女子と勉強をしていた時に

「この部分が記憶できないのなら、以降、どれだけ学習しても無意味だと思う」

 と言ったところ、対象の女子には泣かれ、担任には叱責を受けた。
 担任曰く、

「お前には人の心が分からないのか!」

 それを受け、

「人の心は分かるものなのですか?」

 と、僕。

 それから長い時間、担任は人の心について語ってくれたが、大抵のロジックが『こんな事をされたらお前はどう思う?』という問い掛けから始まっていたため『特にこれと言った変化は感じられません』と繰り返すしかなかった。担任は最後に『お前には何を言っても無駄みたいだな』と言った。
 それからも僕の言葉で何度も人を怒らせた。けれど、僕にはその理由が分からない。僕は人と関わらない方がいいだろうと思うのに時間はかからなかった。
 話しかけられた時に『すみません、僕はあなたと話したくありません』と答えれば、怒らせるのは1度で済む。この方法を1週間続けると、誰も僕に話しかけてこなくなった。
 そうなってようやく、僕は他人に迷惑をかけずに学校生活を送れるようになった。

 今日は朝は快晴だったが、昼過ぎから雨が降リ出し、授業が終わる頃には激しい豪雨になっていた。天気予報を見ていた僕は、傘を開いて校舎を後にする。いつもの道を歩き、いつもの曲がり角に差し掛かった時、僕は強い衝撃を受けて後ろに引っくり返った。

「やだ! ごめんなさい! 大丈夫?」

 僕の目の前には背の高い女性が困惑した表情で立っていた。背が高いといっても身体は折れそうなほどに細く、お尻をずぶ濡れにしているであろう僕は、身体を鍛える必要があると感じた。
 彼女は光沢のある、膝までの黒いワンピースを着て、頭頂に薄い小さな布を乗せている。実生活で見たのは初めてだったが、雑誌では時折見かけるメイド服と呼ばれるものだ。びしょ濡れのメイド服からは水滴が滑り落ちていた。

「ちょっと! 鼻血出てるじゃない!」

 僕は鼻に手をやり、血が出ていることを確認する。

「大丈夫です。大したことないですから」
「駄目だって! どんどん出てるよ!」

 彼女は僕のそばでしゃがみ込むと、真っ白なレースのハンカチを取り出して、有無を言わさずに僕の鼻を拭った。左右の側頭部で纏めた細い髪の束が、水を吸って真っ直ぐに胸まで垂れている。血に染まっていくハンカチを見て、申し訳ない気持ちになった。

「あん、もう、止まんないよぉ・・・・・・。そうだ! ウチ来なよ! すぐそこだから!」
「いえ、結構です。どうぞ、お構いなく」
「いいから! 服だってびしょびしょじゃない! ほら!」

 彼女は僕の手を取って無理矢理に引っ張っていく。僕と彼女の足元でパシャパシャと跳ねる水の音を聞きながら、僕は身体を鍛える必要性を、いっそう強く感じていた。


「はい、これで鼻押さえて」

 差し出されたハンドタオルで、言われるままに鼻を押さえた。
 小さなアパートの部屋には、壁一面にメイド服がかかり、その隙間からは彼女と同じ服を着た人たちのポスターが見え隠れしている。彼女の全身を容易く写せる大きさのミラースタンドが窓際に置かれ、折りたたみ式のテーブルの上には宝箱のような小物入れと、銀色のアクセサリーが無造作に並べられていた。
 濡れたままの彼女はハンドタオルと一緒に持ってきたバスタオルで、立ちっ放しの僕の身体を手際よく拭いていく。

「ねえ、タオルじゃ追いつかないからさ、シャワー浴びてきなよ。そのあいだに服、乾かしといてあげるから」
「あの・・・・・・これ以上ご迷惑をお掛けしたくないので、帰らせて下さい」
「何? 遠慮してるの? あ、それともホントに迷惑だった? 私、余計なことした?」
「いえ、あなたのハンカチとタオルを血で汚してしまいましたし、僕がいる事でバスタオルと部屋の床も不必要に濡れます。服を乾かして頂けるありがたさより、ご迷惑をかける心苦しさの方が強いので帰らせて下さい」
「・・・・・・君、私のことからかってる?」
「もし、僕の言葉で不快になるのなら、すみません、僕はあなたと話したくありません」

 彼女は僕の言葉にとても驚いた表情をして、それから僕を怪訝そうに見つめ、最後に真剣な顔つきになって、僕に聞いた。

「真面目に言ってるの?」
「ふざけているつもりはありません」
「・・・・・・じゃあさ、私は君に怪我をさせちゃった。だからお詫びをしたい。鼻血を止めて、服を乾かして、君が気持ちよく帰れたら私が嬉しいって言ったらどうする?」
「それであれば、ご厚意に甘えます」
「だったら、シャワー浴びてきてよ。いまのは私の偽らざる気持ちだから」
「分かりました。お借りします」
「あ、ここで服、脱いできなよ・・・・・・って、恥ずかしいかな?」
「いえ、特には。お手数をお掛けしますが、お願いします」

 僕は制服の上下を脱ぎ、軽くたたんで彼女に渡した。

「パンツはどうしますか? 染みになってしまうので、こちらも乾かして頂けると僕はさらに気持ちよく帰れますが」
「うう~、そんなに堂々とされると、私の方が恥ずかしくなってきちゃうよう・・・・・・」
「やめた方がいいですか?」
「ううん! いいよ! いいよ! パンツふわふわにしといてあげるから脱ぎな!」

 彼女は笑っていたので、勧められるままにパンツも脱ぎ、彼女に渡してからバスルームへと向かった。部屋の狭さに比べるとバスルームは立派だった。洗面台と脱衣所のスペースがあり、お風呂も僕の家より広い。
 冷えたタイルに足を乗せた時、僕は重要な事実に気付いた。このままではシャワーを浴びるわけにいかない。しばらくその場で考えてみたが、仕方がないので裸のまま、彼女の元へ戻る事にした。無駄な迷惑はかけたくないが、どうしようもない。
 部屋では彼女が長い髪を下ろし、さっきまで着ていたびしょびしょのメイド服を壁に掛け、バスタオルを2枚使い、ぽんぽんと叩くようにして丁寧に拭いていた。腰まで伸びた髪の下にはお尻がのぞき、床には僕のではない、小さなパンツが脱ぎ捨ててある。

「あの」
「えっ? きゃっ!」

 声をかけると彼女は振り返り、僕の姿を認めた途端に股間を両手で押さえて、ぺたんと座り込んだ。彼女はもじもじしながら、真っ赤な顔を僕に向けた。

「・・・・・・見た?」
「男性器の事でしたら、見ました」
「デリカシーのない言い方すんなぁ! ばかぁ!」

 彼女はそう叫ぶと、両手で顔を覆って泣き出してしまった。どうやら僕はまた酷いことを言ってしまったらしい。帰ろうとしたが、僕の服は彼女のお尻の下敷きになっている。

「すみませんでした。やっぱり帰ります。お尻の下の服を返して下さい」
「・・・・・・ふぇ? 何よお! 服の心配! そうよね! 男の裸なんてキモチ悪いよね!」

 彼女は顔を上げて僕を睨むと、服を投げつけてきた。僕は床に落ちたパンツを拾って履こうとした。

「そんなびしょびしょの服を着てでも帰りたいの! そんなに私がキモチ悪い?」
「僕の言葉であなたが泣きました。だから帰りたいです。ですが、あなたを気持ち悪いとは感じていません」
「・・・・・・意味わかんないんだけど」
「すみません、僕はあなたと話したくありません」
「ねえ、それって君の決め台詞なの? だったらやめてよ。けっこう傷つく」
「すみません」

 服を着ようとすると彼女は怒る。僕はどうしていいのか分からずに立ち尽くしていた。

「・・・・・・なに突っ立ってるのよ?」
「服を着ようとするとあなたが怒ります。服を着ないで帰るわけにはいかないので、どうすればいいかを考えています」
「・・・・・・君って変だね」
「自覚はあります。ですから、あまり人と関わりたくありません」
「ずいぶん淋しいこと言うんだ」
「すみません。僕には淋しいという感情がわかりません」
「え? どういう意味?」
「言葉通りの意味です。淋しいとか嬉しいとか、そういった感情が僕には分かりませんし、他人がどういう感情を抱いているのかの想像もできません。特定の表情が表す感情をパターン化して、対応をしているだけです。
 それでも僕と関わった人は怒りや悲しみを表す表情をします。他人に迷惑をかけたくないので、僕は人と関わりたくないんです」

 彼女は口を開けて僕を見ていた。しばらくすると、彼女の顔は大きく歪み、今までよりも大量の涙が両目から溢れ出した。

「すみません。話せば話すほど、ご迷惑を掛けるようです。帰り・・・・・・」
「違う! 違うよ! 迷惑なんかじゃない!」

 彼女は駆け寄ってきて、僕の身体を強く抱きしめた。これは親愛の情を示す行為だと書物で読んだ。彼女の肌に触れている身体の前面と、背中に回された手から圧力を感じた。

「・・・・・・ごめん、やっと分かった。君は本当のことしか言ってなかったんだね」

 弾け飛んでしまいそうな感覚が僕の中を駆け巡り、身体が大きくビクンと震えた。驚いた彼女は僕の両肩に手を置いて、顔を覗き込んできた。

「どうしたの? 大丈夫?」
「・・・・・・はい、大丈夫・・・・・・だと思います」
「ホントに? 目がボンヤリしてるよ?」
「それは・・・・・・どうしてでしょう・・・・・・?
 初めて、僕の言葉が通じる人に会えたと思ったら、なんだか・・・・・・」

 僕は、彼女を見つめた。彼女も僕を真っ直ぐに見つめている。
 僕の胸に、これまで味わったことのない感覚が生まれた。

「たぶん・・・・・・嬉しくなってしまったんだと、思います」

 彼女はぽかんと僕を見つめていた。もともと赤かった顔が、さらに赤みを増していく。
 しばらくして、彼女は、にっこりと笑った。

「くしゅんっ!!」

 彼女が大きなくしゃみをした。僕の胸に芽生えた感覚がすっと去っていく。僕はいつも通りの僕に戻ったけれど、にこにこと笑い続ける彼女は、僕にとって特別な人に変わっていた。

「えへへ、裸でいたら冷えてきちゃった。ね、よかったらさ、一緒にシャワー浴びよっか?」
「そうして頂けると助かります」
「へ? 助かる? 何で?」
「僕ではシャワーに手が届きません」
「あ! そっか! ごめんごめん。だからこっち来たのか。
 じゃ、ちょっと待っててね。君の服、タオルに包んどくから」

 彼女は立ち上がり、床に散らばった僕のパンツと制服のシャツ、そしてスカートを拾い上げ、丁寧に皺を伸ばすと、それぞれをバスタオルに挟んだ。

「そういえば、自己紹介もまだだったね。私、桂木マユカ。生まれた時の名前は違うけど、いまはこっちが本当の名前。16歳、フリーターやってる」

 彼女は僕の前に立つと、少し腰をかがめ、手を差し出した。僕にはついていない小さな男性器が、その向こうに見える。それはちょうど僕の目の高さにあった。

「吾妻あかね、8歳です。慶華院大学付属小学校の2年生です」

 僕は彼女の手を取り、そっと握った。
 彼女も僕の手を、そっと握り返した。



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「ボーイ・ミーツ・ガール」採点・寸評
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1.文章力
 90点

2.発想力
 90点

3. 推薦度
 95点

4.寸評
 とても良く出来てます。
 直球すぎるタイトルどおり"少年"と"少女"が出会う話。ただしかなり凝った見せ方をしています。作者が物語作りにおいて神経を使ったのも、恐らくその見せ方についてではないでしょうか?
 一度読んで驚き、二度目で深く納得する。短編の正しい形の一つだと筆者は思います。

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1.文章力
 90点

2.発想力
 100点

3. 推薦度
 100点

4.寸評
 単純に「うまい」と思いました。特にラストは意外すぎて、また読み直してしまったほどです。
 裏をかかれたラストですが、決して分かり辛いわけではなく清々しい展開とオチでした。
 文章はあとほんの半歩ほど読みやすいものにできると思います。発想力は言うまでもなく、推薦度は新都社の一般読者的に好みであるネタだと思いますので満点にしてあります。
 素敵な作品をありがとうございました。

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1.文章力 60点
2.発想力 70点
3.推薦度 40点
4.寸評
 なんだかすっきりしない終わり方でした。結局主人公の存在の核心について、何も触れないまま終わってしまったという感じです。小学2年生に対等に向き合う彼女も、いくら趣向が常人とは違うといっても、どこかシュールで、強引な展開に思えてしまいます。

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1.文章力 65点
2.発想力 75点
3.推薦度 80点
4.寸評

 この手のオチはショートショートではよく見るのだが、文章力のおかげでなかなか気づかずに楽しむことができた。
 オチではなくストーリーメインの話だと言われても納得のいく序盤の文章は読み応えがあり、周囲の状況を描写する文章も丁寧に書けていると思う。
しかし、だからこそ人物の描写が極端に少ないことが気にかかってしまい、そこから逆算するようにオチが読めてしまったのが残念。
 このオチでは仕方ないとも思うのだが、登場人物の年齢さえ分からないまま読ませられる読者からしてみると、この物語は非常に場面が想像しづらいのだ。他の部分、家の内装や服などの描写はきちんとしているので、人物だけがぽっかりと想像できない違和感がぽっかりと浮き彫りにされてしまう。
 描写の開示を調節したり、オチが一辺倒だったりと、改善できる部分はまだまだ見られたが、作品としては綺麗にまとまっていたように感じたし、話も好みだった。

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1.文章力 40
2.発想力 30
3. 推薦度 20
4.寸評
 主人公の子が可愛いですね。ただ女の子でなくともよかったかなと思います。
 それ含め、ガンガン前に出てくる萌え要素をもう少し抑えてほしかった。

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各平均点
1.文章力 69点

2.発想力 73点

3. 推薦度 67点

合計平均点 209点
85, 84

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