第五話「バッベボン・B・バベ男は現実を直視したくない」
ジョニーの拳銃を弾き飛ばした千点棒は天井近くまで跳ね上がった後、麻雀卓中央に真っ直ぐに落ちて突き刺さった。月面に立てられた星条旗のように、「ここは俺の場所だ」と千点棒は主張していた。
「テンパイ即リーのバッベボン・B・バベ男です。以後お見知りおきを」
「ふん」
タモツは鼻を鳴らす。
「麻雀スタイルの平凡さを奇抜な名前で誤魔化しているようなあんたのことなんて覚える気はねえよ。ペンシルバニア・バーホーベンさん」
就職活動中の学生が着るようなスーツで身を飾るバベ男は、土と血にまみれた破れ目だらけのジャケットとジーンズという姿のタモツ、カウボーイルックのジョニーとは対照的であった。ちなみに「人数合わせの伊藤」は、「私ここに居ていいの? 場違いじゃない?」とでも言いたげに、長いスカートをつまんで泣きそうになりながら震えている。ジョニーが拳銃自殺を図ろうとした時に驚いて小便を漏らしてしまったのだ。それも少量ではなく。
バッベボン・B・バベ男――本名はここで記す必要もない。彼は既にその名前を捨てており、何の未練も持ってはいない。仮に旧知の者に本名で呼びかけられたところで、彼自身がその名前を忘れてしまっているので、振り返ることも出来ないであろう。それは、昔の知り合いと会うとどうしても「今何の仕事してる?」「結婚した?」「おまえまだ実家なの?」「何やってんだよいい歳して」といった話になることを避けるために逃げているというわけではない。断じて違う。
テンパイした途端に役の発展も場の流れも気にせず即座にリーチをかける――一見無策に思えるが、案外一発でツモったり、考えすぎの打ち手からあっさりアガれたりすることもある、悪くない打ち回しである。
だが他の化け物じみた雀力を持つ面々と比べると、いささか地味過ぎるというイメージは拭えない。
だから彼は名前を変えた。愛車も変えた。
中古のブルーバードを子供の頃からこつこつ貯めていた貯金で購入し、解体した。父の持つボルボと無理やり組み合わせ、「ブルボバルボ」と名付けた。素人仕事だったためにまともに走ることは出来なくなった。
実家のガレージの中でブルボバルボの中に閉じ籠もり、ひたすら麻雀のイメージトレーニングに打ち込んでいる間だけは、バベ男は自分が生きていると実感することが出来た。
麻雀によって生かされている。
濁点によって生き延びている。
そんな気持ちがあったからバベ男は、「流しのガンマンジョー・ジョニー・ジョー」には、メンバー表を見た時から親近感を覚えていた。だから彼が自殺を図ろうとした刹那、全身全霊を込めてリーチ棒をジョニーの拳銃に投げつけてしまった。
一人の男の自殺を止めるために、バベ男は自殺行為をしてしまった。
バベ男は、まだノーテンなのだ。
ちなみにブルボバルボの件で父親にぶん殴られたバベ男だが、彼の着ているリクルートスーツは、父親がプレゼントしてくれたものだった。
「これが最後の甘やかしだ。負けたら就職するんだぞ」そう言ってバベ男を送り出した父の姿を思い出しながらバベ男は牌を捨てた。
打四万。
「ロン」
放心状態のジョニー、小便で下半身を濡らす伊藤、追憶に駆け込むバベ男に取り合わず、タモツは無情に牌を倒した。
「食いタンのみ。千五百点」
ここからは特に書き記すべきこともない。一回戦第一試合はタモツの圧勝(伊藤と千点差)で幕を閉じた。
一回戦第一試合結果
一位 食いタンのみのタモツ
二位 人数合わせの伊藤
三位 バッベボン・B・バベ男
四位 流しのガンマンジョー・ジョニー・ジョー