汗が止まらない。別に暑いという訳でもないのに。
耐え難い焦燥感が私の心を支配している。忌まわしい時間が近づいていた。
意味も無く部屋を見回していると窓から明るい日差しが差し込んでいるの気がついた。
雨が多いこの地域では珍しく晴れのようだ。
私は窓に顔を近づけ空を眺めた。
雲ひとつ無い青空がどこまでも広がっている。
ときどき顔を撫でるそよ風が心地良い。天気は限りなく穏やかだった。
これから英雄と呼ばれた男が死ぬというのに、皮肉なものだ。
まったく運命とは残酷な物だと私は思う。
革命の為に立ち上がり独裁者を打ち倒した英雄。
輝かしい栄光と素晴らしい未来が約束されたと思えた。
しかし、信じていた仲間と救った国民に裏切られて
今や死刑執行を待つ事しかできない哀れな死刑囚だ。
私は憂鬱でやりきれない気持ちになって壁に額をあてた。
そして目を瞑って祈りの言葉をあげた。
すると少しだけ心が落ち着いた。できればずっとそうしていたかった。
だが、私のささやかな祈りの時間はいとも簡単に破られた。
役人が迎えにきたのだ。私を地獄に向かわせる案内人が。
「ほら行くぞ。みんなお待ちかねだ」
そう言って彼は顔を醜く歪めた。サディスティックな瞳がギラギラと輝いている。
私は無言で立ち上がりのろのろと役人の後ろを付いて行った。
少しでも死刑執行を延ばそうと遅く歩いていたが役人に突き飛ばされ無理やり歩調を正されてしまった。
「お前がそんな事をして何になると言うんだ。馬鹿め。」
役人は呆れた顔で私を侮蔑した。確かに彼の言う通りかもしれなかった。
だがしかし、私はほんの僅かでも抵抗したかったのだ。残酷な運命に。
しばらくすると広場が見えてきた。処刑台の前には人だかりができている。
私が姿を現したのを見て人々は獣の様に吼えた。
「遅いぞ!何やってたんだクソが!」
「とっとと血を見せろ!血!」
暴徒の如く騒ぎ立てる彼らを見ると心の底から嫌悪感が湧き上がった。
助けられた恩を忘れ、その恩人を血祭りに上げる愚かな民衆。
こんな奴らの為に、私は今から永遠の苦痛に苛まされなければならないのだ。
重い足取りで処刑台の階段を上り終えると一人の青年が私を待っていた。
精悍な顔つきをしたその青年は私を見ると少し哀しそうに微笑んだ。
「よろしくお願いします」
私達は互いに礼儀をした。
顔を上げると彼と目が合った。すべてを悟ったような灰色の目。それは何もかもに絶望した賢者の瞳だった。
私は自分の心情をすべて彼に打ち明けたい衝動に駆られた。
彼だったら哀れな私の立場を理解してくれると思ったのだ。
しかしそんな都合の良い事があるだろうか?それは私の勝手な思い込みではないだろうか?
結局、私は彼に伝えたかった言葉を押さえ込んだ。そして代わりに祈りの言葉をつぶやいた。
彼も祈りの言葉をささやき始めた。これは合図だった。
この短い祈りの言葉が終わった時、悲劇の英雄は死を迎えるのだ。
私が震えた声で祈りの言葉を終えたのとほぼ同時に彼も祈りを終えた。
その瞬間、私は彼の首を刎ねた。
彼の首は虚空を見つめながら処刑台から転がり落ちていった。
吹きあがる血しぶきと狂気じみた歓声。
吐き気に堪えながらも返り血を浴びた自分の手を見た。赤黒い血が爪の間にこびり付いている。
私が殺したのだ。英雄と呼ばれた男を。何の罪も無い一人の青年をこの手で殺したのだ。
私は言いようの無い罪悪感と虚無感に襲われた。
生きている限りこの気持ちからは逃げる事などできないと容易に想像できた。
己の無力さをひたすら悔やみ続ける地獄のような日々がこれから始まるのだ。
私は処刑人である自分の生業を呪った。この仕事を続ける自信はもう完全に失われていた。