三.
「突然ですが、えぇっと、皆さんに、今日からこのクラスの仲間になる転校生を紹介したいと思います」
多少舌っ足らずとも聞こえるいつものしゃべり方で、二年F組の担任、佐伯祐子(さえきゆうこ)がそう言うと、待っていましたとばかりに教室中が色めき立った。
四方八方、否、後ろに座る人物はいないので、六方向ほどから向けられる興味関心羨望嫉妬といった視線をどれ一つ受け止めようとせず、克己は机に視線を落とす。
「すっげかわいいらしいじゃん?」
「外国の子なんでしょ?」
精一杯我関せずの態度を露わにし、そんなクラスメイトの言葉も風と受け流す克己だったが、一点、いささか受け流し難い状況を左方向に抱えており、その胸中には「誰か早く突っ込めよ…」との思いがあった。
まさかそれを読み取ったわけではあるまいが、けれど克己にとっては絶妙のタイミングで、担任、佐伯祐子はちょこん、と首を傾げると、戸惑いを含んだ声音で彼に(・・)問いかけた。
「ところで、春日くんはどうしてここにいるの…?」
周囲同様、さも自分のクラスのことかのようにはしゃいでいた春日秋一だったが、彼女の問いかけで視線をそちらに向ける。
「え、いや、転校生が来るって聞いたもんだから」
悪びれた様子も無くそう答える秋一のほうは慣れたものである。むしろ理由も無く乱入してくる普段のことに比べれば、「転校生にいち早くお目にかかる」という理由がある分、健全であると言えなくも無い。
克己の肩に腕をまわし、「なぁ?」と言って笑う秋一に、祐子は一度小さくため息をついてから「ホームルームが終わったらすぐに戻るんですよ」と頬を膨らませた。
直後である。
「まてえ!おかしいだろうが!!」
とうとう我慢が限界に達し、首に巻かれた秋一の腕を乱暴にほどくと、克己は立ち上がった。
「そうじゃねーだろゆっちゃん!つか誰か突っ込めよ!!」
自身に割り当てられた椅子を半分占有して座り込む秋一を指差しながらの叫び。それに返ってきたのは、クラスメイト全員からの視線と、数秒間の沈黙。のち―
「「いまさら?」」
―息ぴったりのこれである。
「おー、みんなすっごい!息ぴったりね!!これで来月のクラスマッチもいただくわよーっ!」
「「いぇーい!」」
盛り上がる担任とクラスメイトにため息をつき、面積が半分になった座席に腰を下ろした克己を迎えたのは、秋一の「どんまい」という一言であった。
「お前に言われんのが一番納得いかねぇ…」
机に突っ伏し、一人ローテンションの克己をよそに、教室は賑やかムードを取り戻す。
「それじゃあ、入ってちょうだぁい」
祐子の一言に続いた前方のドアがスライドする音で、盛り上がりは最高潮を迎えた。
「か、可愛い…」
「白~い!」
「細~い!」
そんな声を受けながら教室を進む彼女の容姿は、まさしく彼らに形容された通り。克己を除く男子生徒は、誰一人例外なく彼女の顔に視線を向けていた。やや幼さの残る顔立ちは、美人というよりは可愛らしいという表現がしっくりとくるか。それも彼らの眼差しから、生半のものではないことが分かる。スカートから伸びる足はすらりと長く、その肌は黒の制服との対比も相まって、人間離れした白さをたたえている。付け加えるならば、歩くたびに左右に揺れ動く長い銀髪が、彼女のどこか神秘的な外見をさらに助長していた。
教室前方、中央で立ち止まった少女は、くるり、と左に方向を変えると、一段高い位置からクラスメイトを見下ろした状態で直立した。
「えっとぉ、それでは自己紹介をしてもらえますか?」
決して高いほうとは言えない少女の身長だが、それよりも若干低い位置から彼女を見上げ、祐子が自己紹介を促す。これに小さく頷いて、彼女は口を開いた。
「ええと、内村、クリスです。これからどうぞ、よろしくお願いします」
そう言ってクリスがぺこん、と頭を下げると、有名歌手のコンサートもあわやといった熱気で、教室中から拍手と指笛が巻き起こる。唯一この雰囲気に乗りかからなかった克己はと言えば、ひとまず打ち合わせた通りの内容を彼女が問題なく終えたことで、一度静かに安堵の息を吐き出した。
「えと、クリスさんは克己くんのおうちの遠い親戚で、急遽、この町に越してくることになったそうです。外国暮らしが長かったそうなので、分からないことはみんなで教えてあげてくださいねぇ」
「ゆーこせんせー、質問タイムはぁ?」
しかし、クラスの女子生徒から上がったこの声に、一度は落ち着いたはずの克己の心臓が再び高鳴った。余計なこというんじゃねぇよ…!と、彼女の背中を睨みつけるものの、そんなことで伝わるはずも無い。ほぼ真正面に立つクリスに視線を向けると、今度は彼女の多少困ったような視線が克己のそれと交差した。
「授業始まっちゃうから、じゃあ三分だけですよぉ」
次はなんとかこれを乗り切らなくてはならない。早速最初の質問が飛び出した。
「クリスちゃんは今までどこにいたんですか?」
まさか土の中(・・・)と答えさせるわけにもいくまい。困ったという表情を浮かべたクリスに向かって、周囲に気づかれないように、克己は素早く口の形を「アメリカ」と動かした。
満面の笑みで頷いた彼女の様子に、一度は安心しきって机に肘をつこうとした克己だったが、自信満々に飛び出した「溜め池です!」にはさすがに意表を突かれ、がん、と盛大な肘打ちを机に見舞うこととなった。
けれどその音は、彼女の発言をジョークと捉えた級友たちの笑いに遮られ、誰の耳にも届くことなく、鈍い痛みだけが残る。
「家はどこなんですか?」
男子生徒からの好奇の問い。克己が肘の痛みに気を取られていた隙にかけられた質問に、これならば答えられるとばかりに、クリスは胸を張って言ってのけた。
「カツミさんのおうちです」
そこは是非ともごまかしてもらいたかったポイントである。ゆっくりと顔を上げた克己の目に飛び込んできたのは、すでに本日何度目かになるクラスメイト達からの視線。今度のそれは、数十本の疑念の矢となって克己の全身に突き刺さった。
「え、克己って確か…」
「一人暮らしだよな?」
「え、じゃあ何、いわゆる…」
「同棲!?」
そんな一様に隠そうともしないこそこそ話に堪えかねて、状況を打開するべく克己はようやく口を開いた。
「いや、その、姉さんも一緒なんだよ。な!」
察しろ!という想いを視線に乗せて、クリスの瞳を直視する。
「……ああ!はい、そうです!」
クラス中―主に男子生徒の間―に安堵の気配が広がった。意味合いとすれば、そんなエロゲみたいな展開ないよな、ははは。といったものである。
「んだよー、びっくりさせやがって!」
笑いながら背中を叩いてくる秋一を体で押し返し、所有地の三分の二を取り戻す。その後ははいかいいえで答えられる定番の質問が続き、なんとか切り抜けられそうだと思ったところで春日秋一が俺参上。
「はいはいはーい!」
「はい、じゃあ春日くんの質問で最後ねー」
「よっしゃあ!」
気合いの叫びとともに立ち上がった秋一である。
「今日のパンツは何色ですか!」
「オッサンかっ!」
女子生徒らの「サイテー」だの「しね」だのといった罵詈雑言には耳を貸さず、いたってマジメな顔でクリスに視線を注ぐ秋一と、表だって賛同こそしないものの興味津々といった様子がありありと見て取れるエロ男子一同。
「春日くん、エッチな質問はダメです」
一応年長者らしく、唇をヘの字に折り曲げて精一杯厳格な顔を作って見せた担任に、克己は胸中でゆっちゃんナイス!と讃辞を送った。
これが許容されるようだったらどうしようかと考えていた克己だったが、さすがに担任は社会人である。が、肝心の問いを向けられた方の人物の、常識だとか良識だとか、その他諸々の社会通念だとかを勘定の外に置いていたことが、彼にとってこの日最大の失態となった。
クラスのおよそ半数ずつが、同時に「おおお!」と「きゃあ!」の声を上げ、例外なく一度は目を見開いた。気づいたときにはすでに遅く、向けた視線の先には、下を向いてスカートを捲りあげたクリスの姿。
「ええっと、赤、です」
そう言って向けられたクリスの視線を追うように、担任含めその他クラスメイト達からも、種々の感情がこめられた視線が先ほどよりも鋭く突き刺さる。
大半のそれが軽蔑であったが。
「えと、克己くん…」
担任の一言に続いたのは、クラスメイトプラス一の、息の合ったチームプレイ。
「「そういう趣味なんだ…」」
背中を流れる、かつて味わったことがないほどの、冷たい汗。
視線の先には、それはそれは無垢な疑問を表情に浮かべ、未だスカートの裾をつまんだまま、赤のトランクスを露わにするクリスの姿があった。
「………ご、誤解だぁぁぁぁああああああああああああっっっ!!」
誰ひとりとして耳を貸そうとしなかったのは、言うまでもない。
全裸の少女とコートの女性を客間に上げて、克己は一度自室へと戻った。パンツ一丁の自分の格好をどうにかするためと、クリスと名乗った少女に着せる服を探すためである。タンスを開けて最初に出てきたトレーナーに袖を通し、次に出てきたジャージを掴み取る。部屋を出ようとしたところで、下着を持っていないことに気がついた。もちろん、クリスに着てもらうためのものだ。明かりをつけ直し、もう一度タンスをあさる。当然ながら女性物の下着などあるはずがない。家中を探せばあるいは、母親が置き忘れていったものが残っているのかもしれないが、それはさすがにはばかられる。何か、いろいろと。
仕方がなく、未開封の赤のトランクスと、奇跡的に残っていた中学時代のTシャツを持って、克己は客間に戻った。
「えっと、悪いけどこれ着ててくれ」
わずかに襖を開け、中を覗きこまないようにしながら持ってきた衣服を投げ入れる。返事を待たずに、克己はそのまま台所へと向かった。
使い込んで亀裂の生じた百円ショップのアクリルグラスを三つ、背の低い冷蔵庫の上に乗せ、ペットボトルのスポーツドリンクを注ぎ入れる。そこでようやく、克己は自身の手が小刻みに震えていることに気がついた。自覚はさらに大きな震えを誘発し、液体は危うくグラスの口を逸れそうになる。左手を添えてそれを防いだところで、足の震えも手伝い、克己はぺたん、と台所の床に腰を落とした。
意志とは無関係に震え続ける右手首を、左手に力を込めて握りしめる。
目を閉じると、先ほどの光景が鮮明にまぶたの裏に浮かんできた。
向けられた拳銃。
暗い銃口。
ミサイル。
火炎。
小さく息を吐き出して、ゆっくりと、握りしめた右手に焦点を合わせる。
確かな脈動。
生きている。
次第に震えが収まるのを自覚して、克己は床に手を落とした。
「なんだってんだ…」
天井を見上げ、ぽつり、と一言、そう漏らす。
突如身の回りに起きた異常な事態。
拳銃を持ったサラリーマン風の男と、庭に現れた光り輝く少女。
どこかで聞いたことのある組み合わせだ。もっともあちらの場合は、少女は空から降ってくるのだったか。
鼻から笑いを漏らし、立ちあがろうとしたちょうどそのとき、床についた右手にこつ、と触れるものがあって、克己はそちらに目をやった。
「ああ…」
驚きは無かった。
少女同様にその光を失い、本来の灰色を露わにした球体は、吊られた照明の明かりを受けて鈍く輝いている。克己の手にぶつかり、衝撃で一度はじかれた球体は、次はゆっくりと床を転がって、飼い主に寄り添うネコのように、そっと克己の手に触れた。
数秒それを見つめて、指先でゆっくりと持ち上げる。
青い石と、青い少女。
さっきのヘリがまたやってきて、黒いコートの女に四〇秒で支度するように促されるのか。
いや。
また小さく笑いが漏れた。
守られたのは、俺の方だった。
球体をジャージのポケットに閉まって立ち上がると、克己は三つのグラスを器用に抱えながら台所を後にした。
まずは、この状況を説明してもらう必要がある。
客間から漏れる明かり。
ジャージを放り込んだときのまま、わずかに開いた襖ごしに克己は声をかけた。
「入っていいか?」
返事がない。
三秒ほど待って、顔だけを襖に近づける。
物音もしない。
左足で勢いよく襖を開け放ち、二人の姿がそこに無いのを確認した直後だった。
今日だけで何度目か。ずん!と低い音が腹を震わせる。何か重いものが崩れ落ちるような断続的な音と微弱な振動が、それに続いた。
予感。
無論いい方ではなく悪い方の。
グラスをテーブルに叩きつけ、サンダルを履いて庭に出る。音のした方向を見ると、明らかに背丈の縮んだ影があった。
「ちょ、何やって―」
叫んで駆けだした克己だったが、五歩目が地面を踏むことはなく。
「―おわぁあっっ!」
一メートルも沈んだ自分の身体を、反射的に突っ張った両の腕でなんとか支える。上半身だけが何とか出た状態からの視線の先には、風になびくコートを身にまとった人影と、崩落した建物の上に立つ、こちらも幾分小さなシルエット。
微かな月の明かりに照らされて、立ち上る煙が見えた。
「マスター!」
がらり、とまた何かが崩れた音がしたと思った次の瞬間、克己の眼前に舞い降りた人影が手を差し出す。
まずは必死でその細い手首を握りしめ、見た目に反した強い力で引き上げられると、克己はそのまま穴の隣に横になり、小さな影を振り仰いだ。
「大丈夫ですか?」
身を屈めて克己を覗き込む彼女の、客間からの明かりに照らされた銀髪と、整った顔立ち。顔の近さに驚いて視線を下に動かすと、今度は白い膝と、そこから下にすらり、と伸びる脚が目に入った。身に付けたジャージは上半身だけ。きれいに閉じられた両足の間にあるものを想像して、克己は慌ててあさっての方向に目をやった。
「あ、ああ、サンキュー…」
足の先から、まるで彼を吸い込まんとして響いたひゅう、という音。耳に残るその音を首を振って追い払うと、上半身を起こして背中に付いた土を払う。
駆け寄る気配があって、クリスの後方を見やると、ポケットに手を突っ込んだ黒髪の女性の姿があった。
「ごめんごめん。消火しようと思ったんだけど、近くに水道無かったもんですから―」
そう言って右手を頭の後ろに運び、小さく上下に動かす。
「―やむなしってことで!」
マンガ的表現をするならば、「やっちった!」とでも言いたげな満面の笑みで克己を見下ろすその様子に、たまらず克己は立ち上がった。
「いやよくはないだろっ!」
「あら、だって、火つきっぱなしなのに放って行っちゃったのは君の方じゃない。あのままにしていたら、ご近所に迷惑がかかっていたかもしれないんですよ?」
揚げ物から目を離して電話に出たでしょう、みたいなレベルの気軽さでそう言うと、彼女は口を尖らせた。
確かに、動転してそのまま奥に下がったのは自分の落ち度ではあるが。
崩落した倉庫を眺め、なんとも言えない歯がゆさを感じたところで、二人の間に挟まれていたクリスがすっ、と立ち上がり克己を見上げた。
「あの、マスター。確かに判断を行ったのは彼女ですが、それを最適と考え実行に移したのは私です。ですから、今回のことは、私に責任があります。叱責は私に」
そう言った彼女の目は、どこか力無い様子だった。親に叱られる子供のような、あるいは飼い主に叱られる動物のような。
いずれにせよクリスから向けられた視線は、克己の瞳を経由して、彼の脳に強く働きかけた。
これはそう、古来から全国の男子諸君の遺伝子情報に刷り込まれた、不可避の魔眼。
所謂、「かわいい女の子からの上目づかい攻撃」である。
むぐ、と息をのみこんで、赤らんだと分かる顔を背けると、克己は縁側に上がり込んだ。
「とりあえず、話を聞かせてくれよ」
背中で二人にそう告げると、三つまとまったアクリルのグラスを離して並べる。
「ナイスよクリス!」と聞こえた声は、空耳だったと思うことにした。
「ぷはぁっ!」
対面に腰を下ろした彼女が、大げさな仕草でテーブルへとグラスを戻す。
「やっぱ仕事のあとはこれに限るわぁ」
「アルコール、入ってないっすけど」
「ん、いいんですいいんです。気分ですから、こういうのって」
「はぁ…」
曖昧に頷いてから一度隣に視線をやると、そこには小さな身体をちょこん、と座布団に乗せて、眼下のグラスを見下ろす少女。「飲まないのか?」と思考したところで、それを口にするより早く、正面にとん、とアクリルの軽い音が響き、克己はそちらに視線を戻す。
「さてと。そんで、聞きたいことは?」
空になったグラスを置いて、今度は幾分真剣な表情を作る彼女。
「ああ、そっすね…」
開け放したままの障子戸から、初夏の香りを帯びた風が吹きこむ。揺れた前髪を彼女が直すのを待って、克己はもう一度口を開いた。
「あんたと、それからさっきのやつらは何者で―」
右に向けた視線がクリスの横顔を捉える。
「―どうして彼女を狙うのか」
そこで一度言葉を区切った克己だったが、返答はない。無言の視線を続きを促すものと受け取って、ジャージのポケットに手を突っ込んだ。
「それと、こいつは一体なんなのか」
木製のテーブルを叩いた球体が、こつ、と硬質な音をたてる。ゆっくりと手を放すと、すぐ近くに克己がいることを理解してか、今度はおとなしく、球体はその場に静止した。
ふぅん、と息を吐き出して、彼女は唇をつり上げた。
「一つ目から順番に答えましょうか。といっても、実は全部を真正直に話すわけにもいかないのよねぇ」
克己よりは一回りほど年上かと思われるが、浮かべた悪戯っぽい笑みによって、同年代のようにさえ見える。一瞬の戸惑いの隙に彼女が伸ばした二本の指の間には、長方形のカードが挟まれていた。
「これは?」
「とりあえず、自己紹介がまだでしたので」
目で促され、抜きとったカードには、彼女の名前と所属、それに肩書きと思しき記載があった。
国立博物館 考古学研究科 葉乃零花(はのれいか)
「考古学、研究?」
特に疑問に感じた部分を声に出して読み上げる。彼女の方もそれは予想していたらしい。
「あー、そこに載ってるの、ほとんど嘘ですから」
ぴしゃり、とそう断った。
「嘘って…。何のための名刺だよ」
「んー、表向き必要っていうか?大人の世界は色々と面倒なんですよ。ってなわけで、葉乃零花(仮)と申します。以後よろしく」
「かっこ仮って…」
からり、と笑って適当なことをぬかすあたり、どういうつもりだと目線で問いかける。けれど零花(仮)の方に答えるつもりはないらしい。助けてもらったことに間違いはないが、まだ完全な信頼を寄せるのは危険だと、克己は考えた。
「二つ目」右手でピースのサインを作る。「あ、ここから先は本当のことですから」
ひとまず、すべて聞き終えてから判断することにして、克己は頷いた。
「彼、スーツの男の方ね。ガルシア大沢。表向きは歴史遺物保護団体のメンバー。聞いたことない?RCAって?」
「ん、いや…」
「Relic Conservation Association、通称RCA。そこが、裏でなにやら怪しい動きをしてるみたいなんですよね、これが」
「怪しい動き?」
克己の問いかけに、零花はテーブルに軽く肘をつき、わずかに身を乗り出した。
「オーパーツ」
「オーパーツ?」
「さすがに、聞いたことあるでしょう?」
「あーっと、その時代の技術で作れるはずがないような物、だっけ?」
「ん、正解。out of place artifacts」流暢な発音を交えながら、テーブルに指で綴りを示す。「ooparts」
「それが…」
「彼らの狙い」
とん、と軽く爪の先でテーブルを叩き、零花は身体を引いた。
「泥棒ってことか?」
「うーん、そうじゃないのよね。というか、君が想像しているオーパーツと、彼らの狙うオーパーツってのは本質的に全く別物です」
「どういうことだよ」
「君は、どういうものをイメージしてる?」
「オーパーツ?」
「そう」
小学校の頃、図書室で目にした活字の大きな本のことを思い返す。
「水晶で出来た、ものすごく精巧なガイコツがあったよな」
「クリスタルスカル。有名ね。だけど、あれはあくまでクリスタルスカルという物体が作られたこと、それ自体で完結しているの。言ってる意味、分かります?」
正直、分からなかった。難しいことを言っているにも関わらず、表情には笑みが浮かんでいる。多少の悔しさを覚えながらも、克己は左右に首を振った。
「じゃあもし君が、それを所有していたら、どうします?」
「どうするって…?」
「ここに、水晶のガイコツがあります」両手で頭を抱えるようなジェスチャー。「どうします?」
「………飾る?」
「他に使い道は?」
「売る、とか」
「そう。こう言っちゃ乱暴ですけど、要は鑑賞用としての価値しか、あれには無いのよ」
零花はそう言って、空気の髑髏が乗っていた両手を開いた。
「じゃあ、さっきのヤツが狙ってるオーパーツってのは?」
克己の質問に、一度小さく目で頷く。
「言葉の意味としては、確かに違いは無いの。だけど本質が全く違う。例えばそうだなぁ、古い地層から、ドライヤーが出てきました」
「は?」
「例えよ。とにかく、古い地層からドライヤーが発見されたの。もしそんなことがあったとしたら、それってオーパーツじゃない?」
数秒の思考。
その時代の技術では作れないはずの物。
「それは、ちゃんと使えるのか?」
「うん、いいところに気がついた。ちゃんと使えます」
ころころ、と変わる零花の表情に、小学校の授業を思い出して、克己もわずかに唇を上げる。
「ではその場合、水晶のガイコツとの一番大きな違いは何?」
「………、実用性?」
「正解」
なんとなくだが、克己にも零花の言いたいことが分かりかけてきた。
「つまり、そういうものがあるんだな?」
再び身を乗り出し、人差し指を立てて見せる。
「その通り。しかもそれらの性能が、今この時代にある物をすら上回っているとしたら?」
そうして彼女が向けた視線を追う。その先には、先ほどからぴくり、とも動かないクリスの姿があった。
「なぜ彼女を狙うのか。そう聞いたわね」
無言を返答に。
「彼らは裏で多数の兵器を扱っている。その中には、現代の技術では到底造り得ないレベルの物まで混じっているの」
「造り得ない…?」
零花は頷き、再び流暢な英語を口にした。
「Out(アウト) of(オブ) place(プレイス) humanoid(ヒューマノイド) arms(アームズ)―人型兵器、Oophums(オーヒュームズ)。彼女はそのうちの、一体(・・)よ」
「兵器…?」
その呟きにも応じることなく、クリスは依然変わらぬ姿勢のまま、わずかに波立つスポーツドリンクの水面を見つめ続けていた。
四時間目、体育。
陽はほぼ真上、その上無風。恐らく今年初の暑さがじりじりと肌を焼く。
金属バットの奏でる音を聞きながら、これが風鈴だったら幾分か涼しいだろうに、なんてことを想像し、克己は木陰に座り込んでいた。
「よう」
「どうした敵チーム」
「かたいこと言うなよ」
人懐っこい笑みを浮かべながら隣に腰を下ろしたのは秋一である。体育の授業はA組F組合同。ただでさえつるむ機会の多い秋一とは、ここでも顔を合わせることになっていた。
「な、どういうことなんだよ、あれ」
「何が」
無論、言っている意味は理解している。秋一が視線を向ける先、一〇〇メートル程離れた第二グラウンドでは、女子がソフトボールの授業を行っていた。ちなみに体育の教師はそちらに付きっきりであり、この通りさぼっていてもお咎めなしである。
「なんで女子の体操着はブルマーじゃないんだよ?」
それはロマンの欠片もない、えんじ色のハーフパンツ
「今どきアニメの世界だけだそんなもん。つか、それが言いたかったのか?」
「いや、全然。あのさ―」
「断る」
「―まだ何も言ってないんですけど…?」
「……俺にも、よく分かんね」
左手をひらひら、と振って見せて、克己はその場に仰向けになった。揺れる緑の合間からかすかに覗く陽光に目を細める。
まだあれから丸一日と経ってはいない。
昨夜自分が下した判断は正しかったのか、否か。
「ふぅん…」
そう漏らした秋一の表情は見えない。
「ま、ワケありなら無理に聞こうとは思わないけど。……おいそこー、捕れる捕れるー!」
「お前がやってみろーっ!」
外野からの野次返しに笑って答える秋一の背中を見て、克己も声を漏らさずに笑った。
「トランクスーっ!打順!」
「うるせーっ!」
クラスメイトからの呼びかけに、体を起こして答える。
「ま、おいおいな」
背中越しにかけた声に、「おう」と返答があったのを聞いて、克己は立ち上がって伸びをした。
きん、と高い音が遠くから響く。どうやら女子の誰かが相当な長打を放ったらしい。遠くに見える小さな影は、一様に顔を高く上げていた。
「静奈か?」
反対のグラウンドに目を細める。だが、克己の予想した人物はピッチャーマウンドに立って振り返り、ボールの動きを追っているようだった。
「いや…。っていうか、飛び過ぎだよな…?」
そう言って立ち上がった秋一が、左に一歩身体をずらす。
「え、どこ?」
返答を待つよりも先に、正面に影が差すのが見えた。
小さな影は地面を走り直進する。その先にいるのは、
「へ……、おふっ……!」
どっ、と鈍い音を伴って、長大なアーチを描いた掌大の球体が、克己の鳩尾の辺りに突き刺さった。
邪気無く足元に転がったソフトボールを見つめながら、克己はその場に倒れ込む。
「お、おい、克己…。だいじょぶかー?」
徐々に暗くなる視線の先に、陽光に輝く銀の髪を従えて、ものすごいスピードで近づいてくる影があった。
「秋一…」
「な、なんだ?」
「クリスに、ゆっくり歩いて戻れって、言っといてくれ…」
もう遅いか、と思考したところで、意識は暗く途絶えた。