トップに戻る

<< 前 次 >>

六月稿かーみら!「初稿:吸血鬼解体新書」/六月十七日

単ページ   最大化   

──あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。

ヴィクトール・エミール・フランクル【オーストラリア/精神科医・心理学者】





 そんな言葉もあった気がしないでもないのだが、さして重要ではないような気がしてきた。現代社会において、博学の披露の場は著しく制限されており、それは当然この場ではないのだ。ただの自己満足にしかなり得ない。
 ここで重要なのは、今、図書室にて、とあることに関する調べ物をしている彼の名前が、加込夏人(かごめなつひと)である、ということだ。
「困りましたね」
 加込夏人は、その手で広げた本から目を離し、うんと伸びをしながらため息をついた。
「『吸血鬼を捕まえましょう!』……でしたっけ? ツチノコとかレアなクワガタとかならともかく……ボスも、無茶なこと言うんだから」
 中肉中背に、長くも短くもない頭髪。「夏の太陽のような明るく元気な子に」という、名付け親の無垢な願いも空しく、際立って元気が有り余っているような少年ではなかった。春人という名前の方が似合っているのかもしれない、彼はぼんやりとした少年である。部活動には、所属していない。
 なんと面白くない男だろう。紹介をしていて空しくなるほど、特徴に恵まれない少年だ。魅力がない。つまらない。十余年もの歳月を、何に費やしてきたのだろうか。
 よって彼周辺に、やや間違った方向に特徴を持った人物を配置することにする。それがいい。そうしよう。
「かすがの言葉に無茶じゃないものなど存在しない」
 加込夏人に話しかけられていた──そうだ。加込夏人は、誰かに話しかけていたのだ──上級生は、人一人くらいなら殴打して殺害出来そうな分厚い本から目を離さないまま、口だけを動かして、加込夏人にそう返答した。
 おおよそ、制服よりもブランド物のスーツが似合いそうな風体だ。きっと、洋服屋でジーンズを購入する際も、「裾上げはいいです」などと言ってしまうのだろう。妬ましい。
「何故かすがが、『吸血鬼』などという非現実的な存在に着目したか? おそらくそこには、確固とした志や熱意など存在しない。大方、マンガ本やテレビの特集で『吸血鬼』という単語を目の当たりにした、程度のものだろう。面白ければ何でもいいのだ、アイツはな」
「無茶苦茶ですね」
「無茶苦茶じゃないかすがが無茶苦茶だと俺は考える」
 薄い空色の入った眼鏡を中指で持ち上げ、司令室で両手を組み合わせていた方が似合いそうな端麗な顔をやはり微塵も動かさず、上級生は淡々と言葉を紡いだ。
 女ならいざ知らず、男ならば、話し相手にこういった態度を取られると決していい気分にはならない。しかし、加込夏人は、この上級生が──志摩正臣郎(しままさおみろう)がそういう人間であることを知っていた。知っていたから、それに対して難癖をつけることはしなかった。


 加込夏人や志摩正臣郎のこれらの雑談や行動は、決して戯れで行われているわけではない。
 それは一重に、加込夏人は「ボス」と、志摩正臣郎は「かすが」と、それぞれ呼称している──芹園かすが(せりぞのかすが)という女生徒の指示により行われているものだった。
 芹園かすが。
 その名を持つ女生徒についての紹介の代わりと言ってはなんではあるものの、過去に芹園かすがが、加込夏人と志摩正臣郎に対して放った言葉を、端的に挙げよう。

──人は本当にバナナの皮ですっ転ぶのかどうか検証するわよ!
──五段階着地を完全マスターするわ!
──劇場版ド○えもん限定の出○杉君ブロマイドを作りましょう!
──コンビニでエロ本をレジに持っていって『温めてください』って言ってきなさい!
──加込君の鼻を下からのショットでアップで撮って、スパムで回します!
 
 これはイジメじゃない、立派な活動なんだ。そう自分に言い聞かせながら、加込夏人はこれまで、この芹園かすがの戯れにもほどがある戯れに、宛らヒモの如く付き従ってきたのだった。
 とはいえ、あまりにも常軌を逸するような活動を宣言された際には、流石に限度があると考えるのか、志摩正臣郎は哀れな加込夏人に、
「すまん」
 と一言謝るのである。謝るだけだ。
(悪いと思ってる人がいるだけでも、まだ救いはあるよな。うん) 
 気がつけばそんな風に考えている辺り、加込夏人であるのだった。


「先日、警官が一人行方不明になったという」
 突然、志摩正臣郎がぼそりと呟く。
「知らなかったです。今朝のニュースで?」
「公営機関から発された情報ではない。されることもないだろう。飛躍した要素が多いものだった。しかし、確かな情報筋からの提供だ、信用に値する、な」
 まさか自分の人生途上において、確かな情報筋、などという単語を耳にすることは思わなかった。加込夏人はそんな風に考えたが、興味そのものは、それとは別の単語に向けられる。
「飛躍した、要素?」
「俺ははじめに、またかすがが何かをしでかしたのではないかと眉をひそめたよ」
 机の上で両手を前に組むという、あまりにも似合いすぎる体制を整えながら、荘厳に志摩正臣郎は言い放った。
「加害者の特徴が、『吸血鬼』そのものだったのだからな」
「……それは、また」
 どう受け取ればいいのかを考えあぐね、加込夏人は鼻をかきながら苦笑した。その後、ふと思い当たるものに気づく。
「オカ部の人たちの仕業じゃないですか? 同じクラスにオカ部の人がいるんですけど、あの人たちも吸血鬼に関する何ちゃらかんちゃらをしてるみたいですし」
「オカ部の人間に、死体を動かせる者がいるのか?」
……。
「何ですって?」
「繰り返すが、信用出来る情報筋だ。それを踏まえた上で、飛躍した要素だと言った」
 加込夏人は、最初にそれを聞き間違いか何かかと思った。志摩正臣郎は時折、理解の範疇を大いに逸脱した言葉を吐くこともあったのだ。しかしそれ以上に、今回彼が吐いた言葉は、理解や納得という言葉が軒並み御免蒙ってしまうような、ありていに言えば「馬鹿げた」ものだった。
「死人が生人を襲う。その生き血を啜る。灰になって消える。……さて、もしやこのような瑣末な古書漁りなど止めてしまっても、これだけでかすがは喜びそうなものだ」
 なるほど、公営機関では発されないわけだ。
 誰が、信じる?
「本物(マジモン)の吸血鬼みたいですね、ははっ」
「……」
 冗談は笑うものだ。だから加込夏人は笑った。そして志摩正臣郎は笑わない。つまりそれは……。
「加込。少し俺と話をしよう」
 すっかり本を閉じ、眼鏡を外して胸ポケットに引っ掛けながら、志摩正臣郎は椅子を鳴らした。
「『吸血鬼』という言葉が俺たちの行動機軸になったその日から、俺の中には一つの疑問があった。思えば、いの一番にそれを考えるべきだったのだ」
「志摩さんが考えて解らないものが、僕に解るとも思えませんけど」
 嘯きながらも、加込夏人は手元の本を閉じた。そして、志摩正臣郎の言葉に耳を傾ける。
 志摩正臣郎が次の言葉を発するまでに、しばらくの間があった。何度か息を吸って、吐いて、時折それは唸り声やため息に変わり、しかし志摩正臣郎は、そうはしながらも、やはり身動き一つすることなく、顎を指でつまんだまま。
 そして。
 志摩正臣郎は、ぽつりと、それを言った。
「『吸血鬼』とは、なんだ?」


 加込夏人に出来ることといえば、首を傾げるより他はない。
「なんだ、と言うと……えっと……?」
「言葉の通りだ。『吸血鬼』とはなんだ? 『吸血鬼』とは何者で、何をするために存在する?」
「何をするためにって……血を、吸うため?」
「何故だ?」
 はっ? と、加込夏人は間の抜けた声を出した。何故、と問われると、それに対する明確な答えは、加込夏人の知識の中には存在しなかったのだ。
「一般論を聞きたい。加込、貴下の中に知識として備わっている、吸血鬼という存在に対する生態を、余さず俺に報告してくれ」
「はぁ、わかりました。……人の血を吸って……不老不死で……太陽の光と十字架とにんにくに弱くて……あぁ、あと銀にも弱いとか。それと……噛まれると、噛まれた人も吸血鬼になっちゃうみたいです」
 言われるままに、加込夏人は、自分の中に知識として存在する、吸血鬼の逸話を網羅した。そしてそれを一つひとつ、志摩正臣郎に報告する。
 志摩正臣郎は、加込夏人の言葉を、丁寧すぎるほどに相槌を打ちながら答えていた。そうして全ての吸血鬼の情報を加込夏人から聞き終えた後、しばし間をおいて、
「不老不死、という項目において、違和を覚える」
「それは、そうですよ。不老不死だなんて、いくらなんでもそれはありえないでしょう」
「そうではない」
 左手を肘掛にして、右手で顎をつまみながら、志摩正臣郎が、言葉を、分解するように紡ぐ。
「ベニクラゲという生物が存在する。彼らは、限られた条件化のみではあるが、確かに不死というその概念を持ち合わせている。死ぬ寸前に、自分の成長を逆転させるのだ。子供が大人になるように、大人が子供になる。そうして自分自身を巻き戻し、もう一度生命を謳歌するというわけだ。ある種、それは不老不死と呼んでもいいものだろう。である以上、不老不死という概念は実現する。俺が言っているのは、それとは違う部分での不老不死というものに関する違和だ」
「その違和、って?」
「吸血の必要性」
 虚空を見つめていた志摩正臣郎の目が、加込夏人に向けられる。
「不老不死であるのならば、何故吸血行為を行う必要がある? 老化から、死生観からの脱却は、行動そのものの正当性を否定することだ。食事、睡眠、房中行為、その全ては生命に通ずるものであり、生命そのものの価値を永遠に磨耗しないものに昇華させた時、それら一切合切の行動は無に帰す。生命を持続させるまでもなく、生命は続くのだからな。そもそも、生命に限りがあるからこそ、生命を延期させようと人は躍起になる。限りのない生命を持つ者が、何故生命に対して執着する?」
「……つまり?」
「『飯食わなくても死なないのに、何で飯食うの?』ということだ。いや……いや、待て」
 志摩正臣郎が、突然言葉を切って、顎をつまんでいた手で口を覆った。そのまま、再びその眼は虚空を見つめ始める。
「……食事ではない? 仲間……繁殖……誕生と消滅……戯れ……孤独……必要性の不必要性……逆転……いや違う、流転……?」
 こうなってしまった以上、加込夏人は、ただただ志摩正臣郎の思考終了を待つしかない。この状態になった志摩正臣郎には、例えかの芹園かすがが持ち前の80フォンボイスで語りかけたとしても耳になど入らないだろう。
 かと思えば、その思考時間は思ったよりも短く、志摩正臣郎は、はっきりと会話として加込夏人に、あらぬことを問いかけた。
「加込。吸血鬼は、セックスをするのだろうか?」
「は、はぁっ?」
 仰天すると同時に、加込夏人は、志摩正臣郎の発言の巻き起こすであろう被災の加減を伺うように辺りを見回した。幸い、彼らの付近に人はいなかったのだが。
「『は、はぁっ?』ではないだろう。セックスだ、セックス。貴下もその年なのだから、一度や二度したことはあるはずだ」
「あ、あんまり大きな声出さないで下さいよ」
 志摩正臣郎は、心底不思議そうに片眉を歪めていた。志摩正臣郎にとって、セックスという言葉は単語の一つに過ぎないのだろう。それの意味するところや言葉そのものの品性もまた、程度というものを分別していないのかもしれない。
「重要な問いなのだ。彼らはセックスをするのか、しないのか?」
「……少なくとも、そういう話は聞いたことがない、かもしれません」
──やはり。
 志摩正臣郎は、今、確かにそう呟いた。概ね「NO」に近い回答を得たことにより、志摩正臣郎はそう呟いたのだ。
「吸血鬼という存在に対し、ある種では核心に近い理解を得た可能性がある」
「聞きましょう」
 ウム、と志摩正臣郎は頷いた。自身の演説を、こうして素直に聞き入れる姿勢を見せるからこそ、志摩正臣郎は加込夏人が気に入っている。気に入っているからこそ、自身の知識を惜しげもなく譲与することが出来る。
 ともあれ。
 志摩正臣郎は、ある一つの回答を提示した。
「おそらく彼らにとっては、吸血行為こそがセックスそのものなのだ」
 そのまま、語り続ける。
「文献や資料などを見受けるに、吸血鬼と呼ばれるそのものの存在は、実に多種多様だ。異形の怪物であり、我々のような人間に近い姿形であり、或いは家畜のような姿形もまた然り。何故、このような現象が起こり得るのか?」
 まだ、語り続ける。
「おそらくそれは、吸血という行為を以って、被吸血者の遺伝子を『学習』しているからだ。体内でどういう現象が起こっているのかは知らん。だが、それでしか姿形の説明がつかない。犬から吸血したものは、犬の遺伝子を『学習』し、さて……遺伝子変化を反映させた子供を生むのか、それとも自分自身に遺伝子変化を採用するのか? おそらくこれは、後者が有力であると俺は考えている」
 それでも、語り続ける。
「仮に吸血鬼が不老不死であるという案を採用した場合、それでは食物連鎖の説明がつかん。遺伝子学習をする度にボコボコ子供など生んでみろ。単純なネズミ講計算でも、地球は数年……いや、数ヶ月で吸血鬼の星になること請け合いだ。生産があって廃棄がないのだからな。同じ理由で、『噛まれた者も吸血鬼となる』説は軽薄であると俺は考える。最もスタンダードな予測として、その時代において、比較的『生きやすい』生命体を見極め、その生命体を吸血することにより遺伝子情報を『学習』した後、それに類似する生命体に変態。そうして今日まで生き続けてきたのだろう」
「それじゃあ、灰になって消える、というのは?」
 加込夏人が、志摩正臣郎の呼吸の合間を縫って問う。先の志摩正臣郎の信用出来る情報筋とやらの提示した情報のことだ。
「線は、それこそ山ほどある。その中から最も有力なものを選ぶとすれば……」
 延々語り続けたからか、志摩正臣郎は、唇を軽く舌で舐めて潤わせた。
「アレルギー反応だ」
「アレルギーって……蕁麻疹とか、そういうアレルギーですか? アレルギーで、生物が死ぬんですか?」
「一言にアレルギーといっても、その種は様々だ。中でも、最悪の場合死に至るものだけを並べても、アナキラフィシーショック、グッドパスチュアー症候群、ギラン・ヴァレー症候群、エリテマトーデス……そうだな、有に10の数を下回ることはないだろう。アレルギーで死に至る可能性は十二分にある」
「死に方の問題ですよ」と、加込夏人。「アレルギーでも死に至ることはわかりました。でも、アレルギーで灰になって消えるというのは……」
「固定概念は捨てるべきだな」
 志摩正臣郎は、それこそ模範であるくらいに「キッパリ」とそれを言い切る。
「地球そのものの年齢は四十六億歳であるということは、周知の事実である」
「そうなんですか?」
「貴下は、もう少し勉学に熱心になるべきだ。しかしながら、その適度な無知を、俺は好ましく思っている。出来れば今後もそのままでいて欲しいものだな。……話がわき道にそれたが、とにもかくにも、一般的に知られている年齢は四十六億。そして、ホモサピエンスが西暦というものを持ち出してから、現在までで二千××年。紀元前を持ち出しても、それほど大した数字にはならないだろう。さて……四十六億年という歳月をかけて地球が作り出した様々な心理を、そのような矮小な時間で、果たして全て解明出来るのか? 出来ると思うか、加込?」
「そ、そう言われましても……」
 極論である気はする。だがしかし、それに対して「否」を唱えることが出来るだけの叡智を、ことほどさようであることに加込夏人は持ち合わせていない。
「話を戻そう。俺は確かに、アレルギーという言葉を用いた。しかしそれは、『何に対する』のクエスチオンが空白のままだ。白灰化したタイミングを見るに、貴下が先に並び立てた要素の中の『銀に弱い』という項目が色を帯びることになるだろう」
「……弾丸、ですか」
「模範解答だ、加込」
 口の端を片方だけ吊り上げて、志摩正臣郎がキザったらしい笑みを浮かべた。キザったらしいといっても、その仕草はよく似合っている。志摩正臣郎のこういった表情変化を、加込夏人は憧れさえしている節があった。
「とはいえ、たかだかニューナンブの弾丸如きに銀など使用はしないだろうな。おそらくは硫黄だ。鉄や銀に同様に含まれている硫黄に対し、何かしらの脆弱性が存在するのだ。脆弱とは言ったが……体内に直接硫黄が混流するのだ、これはたまったものではないぞ? 吸血鬼でなくとも深刻な状態になるだろう。……うむ、今はまだ、こんなところか」
 一間、あった。
 図書室の窓から見える木が、風に揺られて葉を鳴らし、在校生の帰宅を促すチャイムが一頻り謳い終わるまでの、十分な一間があった。
 その後、加込夏人は、万感の思いを積んだようなため息を、そっと漏らす。
「やっぱり凄いです、先輩は。きっと僕なら、そこまで深くは考えたりしないでしょうから」
「知と論は、まず疑えよ、加込」
 志摩正臣郎は、胸ポケットに収めていた眼鏡を再び掛けなおし、目を瞑って呟いた。
 いつだってそうだよな。加込夏人はそう思う。
 志摩正臣郎という一人の男は、なにかと賞賛される機会が多い。その人柄故、まれに侮蔑されることもあるのだが。
 しかし不思議なことに、志摩正臣郎は、「褒められる」という一つの事柄においてまんざらでもない様子を示したことが、一度もない。いつだって、なにか、つまらなそうに目を伏せるのだ。極まった物の見方をすれば、侮蔑されている時の方が嬉しそうに見える気がしないでもないくらいに。
「論はある。しかし、知はない。仮説を立てることは容易だが……そう、再確認するが、これらは一切合切が『仮説』だ。それらを複合して一つのエクスキューズを絞りだすことは、今の俺には出来ない。謙遜でも自虐でもなく、そういう意味で俺は『無知』だ」
「はぁ……そんなもんですか」
「そんなもんだ」
 景色は、すっかり茜色に染まっていた。夕日が、二人の影を板張りの床に貼り付けている。


「個人的な疑問がある」
 いそいそと帰り支度に勤しむ加込夏人に、志摩正臣郎は不意打ちとも言える疑問を吹っかけた。
「疑問?」
「個人的な、な」
 そういってなにやら考え込んでいる志摩正臣郎の姿を見て、
──珍しい。
 加込夏人は、そんな印象を抱いた。
 志摩正臣郎がなにかを考え込む姿は、さして珍しいものではない。珍しいどころか、その姿を見受けることがなかった日は、あら雪が降るのではないかしらとまで考えてしまうほどに、その姿はテンプレート化しているものである。
 しかしながら、今の志摩正臣郎は、さて、考え込んでいるには違いない。
 考え込み方が、いつもと違うのだ。

 戸惑っている。

「吸血鬼は、なにかを愛するのだろうか」
「……」
 らしからぬ、センチメンタルチックな問いだった。
「俺たちのように、なにかを愛し、なにかと蜜月を共にし、なにかと共に育み、なにかと共に寄り添う。……そんな行為を、行うものなのだろうか」
「だとしたら、素敵ですよね」
「いや」と志摩正臣郎。「それは、あまりにも残酷なのかもしれない」
 志摩正臣郎の言わんとすること。
 珍しいことだ。
 加込夏人が、志摩正臣郎の言わんとすることを、さほど間を取らずに理解したのだ。
「俺は、かすがを愛している」
「はい、知っています」
「かすがも、俺を愛している」
「はい、知っています」
「俺には、耐えられない」
 断片的な、悲痛な呟きだと思った。こんな志摩正臣郎を、これからの未来、あと何度見れるだろう?
「かすがも俺も、この先、年を取る。年を取り、体力を失い、希望を失い、そうして老逐化していくだろう。確実に。例えばそんなかすがを、俺がこの先、年を取らず、体力を失わず、希望を失わず、それでも寄り添っていくことに、俺はきっと耐えられない。逆もまた然り。俺も耐えられないし、かすがもきっと耐えられないに違いないのだ。自分だけが止まってしまうことに。自分だけが残されてしまうことに。自分だけが時間を『奪われる』ことに」
「奪われる、という言葉を使いますか」
「奪われるのさ。時間を奪われることにより、人間として生きる上で何よりも大切なありとあらゆるものを、奪われる」
 なんとうかつな発言だったのだろう。加込夏人は悔やむ。
 避けることも逃げることも叶わない、そのような凄惨な結末を約束された物語に「素敵だ」という軽率な感想を漏らしたことを、加込夏人は大いに悔やんだ。
「そう、ですね。僕もきっと、耐えられないでしょう」
「耐えられないさ、誰にも。正気の沙汰ではない」
 ふと、「家を出る前に鍵をかけただろうか?」とでもいうかのように、志摩正臣郎には思い当たることがあった。
「なるほど……正気の沙汰ではない。だから、吸血『鬼』なのか」


 例えば。
 吸血鬼が、人間に、恋をした。
 人間が、吸血鬼に、恋をした。
 そんな物語が身近にあれば、自分は、何が出来るだろう?
 この二人に明るい未来を約束させることが出来る、何が出来るだろう?
 それに対し、ただただ傍観一筋に徹することは、それは非道だろうか?
 まるで絵本を読むように、映画を観るように、その一部始終を眺め続けることだけに徹することは、非道だろうか?
 当事者が、そのような運命に対して、果たして抗うのか、受け入れるのか、絶望するのか。
 彼ら(彼女ら)がどのような選択をするのかに対して、自分は興味しか抱くことが出来ずに仕方がないのです。


──あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。

ヴィクトール・エミール・フランクル【オーストラリア/精神科医・心理学者】
























16

みんな 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る