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三百年後の結婚式(原作:怖い話)/しう

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序:太市と、お虎


 昭和四十年、栃木県前橋市にて変わった催し物が行われた。
 多くの人々が駆け付け、ささやかな祝辞を歌い上げた。
 地元の神主が、二人へ永劫の幸せを祈り、祭壇にはお神酒が飾られた。

 それは一見、御祓いの様子の様にも見れるが、結婚式の風景なのである。
 だがそこに新郎新婦は存在しない。出席者も彼らの遠い血縁関係者もしくは地元の人間でしかない。
 なにせ”この世にいない人間の結婚式”なのだから。
 この話は江戸時代初期の決して結ばれる事が無かった男と女の話である。


 赤城山の麓(ふもと)に”太市”という名の気のいい百姓がいた。当年二十三歳の太市は実に働き者で顔も良く人柄も明るかった。
 太市には許嫁の娘がいて、これまた村一番の気立ての良さで、名を”お虎”と呼んだ。
 二人は幼い頃から知った者同士、非常に仲が良く、他の男や女がいくら寄って来ても心は変わる事が無かった。
 こう言うエピソードもある。
 お虎が山の川辺で水浴み行った時の話だ。
 日に焼け、小麦色の肌をしていたが、美しく小ぶりな胸の張り、少し赤みを帯びた形のよい尻、水に濡れ艶かしい色香を漂わす長い髪。
 それらが、川辺のキラキラと輝く日の光の中で見事な調和を生み、一見した所まるで天女のような神秘性を持っていた。
 山師の中年の男が藪からそれを見ていたが、どうにも堪らなくなり己のいきり立つ一物を晒し、お虎の元へ走り込んだ。
 お虎は悲鳴を上げ山師に助けを請うが、山師はそんなのに構わず、夢中で彼女の股を開き、まだ毛の薄い女の秘部を覗き込む。
 
 それを見て、山師が下品な笑い声を上げた瞬間、男の脳天に激しい痛みが襲った。
 目の中にまで血が流れ込み痛みで転げまわる。
 お虎が見上げると、息荒く山師を何度も石で殴りつける太市の姿があった。
 石にはすでに血で赤く染まり、許しを請い転げまわる山師を執拗に殴りつけていた。
 お虎は恐ろしくなり、太市に懇願する。
「もうええでしょう太市さん。私は何もされてませんから」
「だめじゃ、こういう奴はまたお前にちょっかいを出すかもしれん。もう二度と悪さが出来ないようにしてやらにゃならん」
 お虎は涙を流し無言で太市の服を強く握りしめる。
 その姿に太市も、殴りつける手を下ろし、山師の尻を思い切り蹴り飛ばし
「二度と来るな」そう叫ぶと山師を許してやった。
 山師はワンワン泣きながら荷物を持って山を登って行った。
 
 太市はお虎の前ではひたすらに優しかった。
 こんな時、男であればそのまま抱いてしまう所なのだが、彼はお虎に服を着せてやり手をつないで共に村へ戻る。
 二人は体を重ね合う処か、口を吸う事すら行った事は無いのだ。
 そんな優しく頼もしい男を、お虎は好いており。また太市もこの美しく優しい娘を好いていた。



継:鷹狩り


 ある日、領主の殿様が鷹狩りで赤城山へ来る事があった。
 名主から代官まで、この日は殿様を持て成す為に朝から忙しく動き回った。
 そんな日の夕方、名主がお虎の家に訪問する。名主は代官より、この度の鷹狩りの御供に、お虎を使いたいとの事を伝える。
 当然断る訳にはいかない。土地を追い出されれば生きて行ける訳がない。
 だが、すんなり承諾する訳にもいかぬ、何せ好色な殿様の事だ、祝言の近い娘を手籠めにされるのは一目瞭然。
 太市に合わせる顔も無くなる。
 承諾を渋るお虎の父に名主はこう言った。
「お虎さんには気の毒だが、一夜、二夜、夜を付き合ってもらうやもしれん。だがそれだけの事、その後で村に戻って太市との祝言を上げればよい。少しの間我慢すれば、お前さんも土地を追い出される事は無いのだぞ」
 娘には気の毒だが、そうするしか無い。お虎の父親は渋々承諾する。
 名主はもう一言伝えた。
「お殿様は生娘を好む。そう言った事でな、当日まで二人を合わせないで欲しい。当然この事は黙っているのだぞ、良いな」
 そう言って名主は帰って行った。

 この時代は、まだ貞操の概念が広まっておらず唯一貞淑を成さねばならぬのは武家階級のみに留まっており。
 それ故、農民、町民の娘で色付き始める十五、六歳までには何らかの形で処女を失っている事が多かった。
 長屋の影隅で行ったり、浪人が暴行を加えたり、夜這いをかけたり、そういった形で嫁に行く前に一度は男の一物を体内に迎える事があるのは普通であった。
 そんな中でも好いた男がいればその男に処女を捧げる女もいる。
 今年で十七歳になるお虎がそれに当たる。
 親もそれを認め、近い内に祝言を挙げる予定であった。その矢先に舞い込んだこの話、家族にとって不幸としか云いえなかったが、下層階級が上層階級に楯突くのは御法度、この話は承諾する他なかった。

 お虎も太市も”祝言の準備”という名目の上で二日程会う事無く日を過ごす。
 そして鷹狩り当日、名主と代官はお虎を連れて鷹狩りへと向かう。
 お虎は鷹狩りの手伝いと言う事で付き添う事を聞かされており、それ以上の事は何も知らない。
(今日が終われば、いよいよ太市様と祝言…)
 頭の中は、太市で一杯であった。

 赤城山中腹の広い平野にて、殿様は上機嫌で鷹狩りを行う。
 付き添いの山師は前にお虎を襲った男であった、しかし流石に懲りたのか、はたまた殿様の前だからか、お虎にちょっかいを出すこと無く黙々と仕事を続ける。
 昼の休みに殿様は身を清めたいと、お虎を連れて川辺に向かった。
 家臣の者達はそれに付き添う事は無かった、当然わかっているのだ、殿様の悪い癖が出ている事を。


 一刻程過ぎ、目が真っ赤になり髪がやや乱れた姿でお虎と殿様は帰って来た。
 お虎は少し足が縺れているような動きで、いつもの機敏さが無い。
「今日はもうよい、引き返すぞ」
 駕籠が用意され、殿様は駕籠に乗り込む
「お虎とやら、疲れたであろう。そちも乗れや」
 駕籠から顔を出す長い髭と禿げた頭の男は、にやけた顔をして手招きをした。
 顔の恐怖の色を隠せず、少し足を後ろに引くがそこに名主と代官が逃げれぬように彼女の道を塞いだ。
「お虎よ、これは非常に名誉な事である。ささっ駕籠の方へ…」
 お虎は観念し駕籠へ乗り込む。
 町駕籠と違い、殿様用の駕籠は贅沢の極みで、中に二人の人が入ろうとも問題無い広さで、多少暴れてもビクともせぬ頑丈さであった。
 中で何が行われるか…周りにいるもの全てがわかっていた。
 
 中で時折聞こえる、悲鳴に似た喘ぎは村の中を通り抜けるまで止む事無く辺りに響いた。




流:呪言の歌


 太市はひどく興奮した。
 手に鎌を持ち、代官屋敷まで来た所で村人達によって引き留められた。
「もう、どうしようもないのだ…」
 泣いて謝るお虎の父親の前に太市は泣きながら走りだす。
 殿様が飽きて返してくれるまで待つしかない。
 当初は数日の間のみ、お虎で”遊ぶ”という話であったが、殿様が彼女をえらく気に入り”自分の城の侍女とする”と言ってきたのだ。
 この事は太市の心に大穴を開けるに充分であった。
 次の日から太市は寝込み、野良仕事も出来ない程に心が弱ってしまった。

 それから数日が過ぎ、お虎は城の侍女として昼は古参の侍女に苛められ、夜は殿様の命によって体を預けなくてはならない日々が続く。
 殿様は、お虎を大変寵愛されたが、お虎はいまだに太市を引きずっている。
 元々、侍女達は武家や名家の生まれの者が多く、新参で殿様の寵愛を一人占めているお虎に対し良い心持ちはなかった。
 暦が替わっても、殿様のお虎への寵愛は変わらぬ。新参の侍女も、古参の侍女も目にくれる事無く、お虎を抱いた。

「おのれ、お虎め。今や御殿様の妾同然の振る舞い、許してはおけぬ」
 女の嫉妬は恐ろしいもので、怒りに全てが盲目する。
 お虎自体は何も代わる事無く、昼は誰よりも働き、汚れ仕事も行っていた。
 だが、そんな姿すら嫉妬に狂った女には”自分の評価を上げようとしている姿”にしか見えなくなっていた。

 ある日、古参の侍女の一人が殿様への膳の中に小さな折れた針を仕込んだ。
 膳を運ぶのはお虎の役目、その侍女は些細な悪戯を行ったのだ。
 
 お虎はそんな事も知らず、いつも通り殿様の前に膳を置き、部屋を下がった。
 廊下を歩いているうちに、先程の殿様の部屋から絶叫が聞こえた。
 待機していた多くの侍女と、お虎は駆け足で殿様の元へ行くと、涙目で口の中から血まみれとなった針を取りだし大声で怒鳴った。
「だれじゃ、ワシの膳に針を入れた者は」
 すかさず、古参の侍女は言った。
「お虎にございます」
 お虎は唖然とし、言いがかりであると弁明したが、他の侍女たちも共謀して
「お虎でございます」
「この度の膳の担当者はお虎でございます」
 と口々にお虎の名を叫ぶ。

「おのれ、これだけ可愛がった日頃の恩を仇で返すか」
 可愛さ余って憎さ百倍。
 殿様は彼女の髪を引っ張りまわし、背中を踏みつけ牢に投げ込んだ。

 その後激しい拷問を受けたが、お虎は自分ではないと無実を言い述べるばかり。
 それも当然、自分がやったわけではないのだから。
 どれだけやっても罪を認めないお虎に対し、殿様は
「強情な奴め、見せしめの為に厳罰をくれてやれ」
 と、家老に言いつけた。


 村々に数日後、お虎へ刑罰が下される事を知らしめる立て札が立て付けられた。
 お虎の父親は泣きながら太市の元へ走る。
 既に太市はカラカラにやせ細り、自分一人では歩けぬほどに虚弱となっていた。
「なんだと、お虎が処刑だと…」
 あの日以来、まともに食事も受け付けぬようになり、逞しかった体も風が吹けば折れてしまうのではないかと思うほどに痩せこけた太市。
 その太市が、自らの手と足で布団から抜け出し懐に鎌を二本入れると、それこそ風に乗って飛んでいるかのような速さで殿様の住む厩橋城(うまやばしじょう)へ飛んで行った。

 太市が城に着く頃は丁度刑が執行される前であった。
 着物を剥がされ、何人もの男たちに弄ばれた様な乱れた髪、猿轡(さるぐつわ)を咥えさせられ、手足は荒縄できつく縛ってあった。
「これより、殿様への不義暗殺を目論んだ女を処刑する」
 家老の一人は大きな声で集まった聴衆に向かって吠えた。
 彼女の眼の前には大釜が用意してあり、中にはたくさんの蛇とムカデが入れられている。その光景を想像するだけでも身の毛がよだつ。
 泣き叫びたいが、声を出すことすら許されぬ姿のまま、上から飛びこませるための階段を一歩一歩進めさせられた。

「お虎ぁ」
 彼女の耳に懐かしい声が聞こえた。
 聴衆を分け入り、二本の鎌を両手に持ってやせ細った男が暴れ出た。
 その男は鎌で二人の下級武士の首を薙ぎ払い、風のような速さで家老の元に走り込む。
「曲者だ、切り捨てい」
 老中格の男が素早く抜刀すると、呆気に取られていた警備の侍たちも一斉に抜刀し男へきりかかった。
 一人の侍が男の腹を切り裂く。男の体からは臓腑がぼろりと表に出る。
 …が止まらない。
 男は右手の鎌を家老格の男に投げつけた、しかしそれは老中の男が体を張って救う。老中の首に鎌が刺さりそのまま息絶えた。
 曲者の男は臓腑をばら撒きながらお虎の元へ寄って行くが集まってきた沢山の侍達に手足を両断され、最後に槍を全身に打ち付けられ息絶えた。
 この男が太市である。
 お虎の眼には、太市の姿を直ぐに認識出来た。どれだけ姿が変わっていても自分の愛した男だから、それがわかったのだ。
「ええい、もうよい。さっさと女を投げ込め」
 家老の男は怒鳴り声をあげた。
 数人の侍達が彼女の体を担ぎ大釜の口の所に持って行く。
(太市様、太市様…)
 彼女の目から大粒の涙がこぼれた。
 そしてすぐさま、世界から光が失われた。
 
 釜の中に落とされたお虎の体中に蛇が巻き付き、ムカデは彼女の柔らかい皮膚を食いちぎる。
 大釜の上からは一升程の酒が注ぎ込まれ、興奮した蛇とムカデは狂ったように彼女の肉を食いちぎった。
 辺りに集まった聴衆も、一同ゾッとするような悲鳴が釜の中から外へこぼれる。
 中から最後の断末魔の悲鳴と共に、この世の者とは思えぬ声で恨みの言葉が流れ出た。

 流石の侍達も腰が引け、怖くなったのか釜に蓋(ふた)をし、密閉すると
 城壁をえぐるように流れる利根川の淵に沈めた。




了:三百年後の結婚式


 江戸も終わり、明治、大正、昭和と時代は移る。
 何故いまさら結婚式を挙げる事になったのか、それはこの時まで彼女らの呪いが解けなかった事と、その悲恋物語に心が揺れた有志によって行われた清めの儀式なのかもしれない。
 
 江戸、明治、大正、昭和と利根川は洪水を良く起こしていた。
 そして洪水が起こる前には必ず厩橋城跡(現、前橋城)に二人の霊を見る人がいたからなのかもしれない。


 お虎と太市が死んで間もなく、利根川は大洪水を呼び起こす。
 その洪水の規模は大きく、厩橋城の根元の台地をそぎ落とし、打ち崩し、本丸、二の丸といった主郭部分を埋没させた。
 また、何とか生き延びる事が出来た殿様は夜な夜な大釜の中で二人の恐ろしい鬼に体を食われる夢を見、衰弱しきって死んでしまう。
 彼には六人の子供がいたが皆同じように悪夢に怯え寝る事を拒否し最後は発狂して喉を小刀で貫いて死んだ。
 それも同日、同時、別の場所での話。

 嫌がらせをした侍女達も同じく行方不明になる怪現象が頻繁に起こっていた。
 必ず、行方不明になって三日後に赤城山の川辺に裸の水死体が浮かんだ。
 これらの怪現象は、当時の殿様達が全滅し、跡から新しく来た殿様の代にまで続く。
 
 事件から約百年後、伊那よりやってきた山伏の一行が祈祷を行い、それ以降、怪現象は消えたが洪水だけは治まる事が無かった。
 
 そして現在。
 利根川が氾濫し、町を洪水が包む事は殆どなくなった。
 これは単純な建造技術の賜物だけではない。
 きっと太市とお虎の呪いは、三百年後結婚式を境に私達を許してくれたのだ。
 現在、利根川の畔には小さな庵がある。
 そこには、二人のささやかながら幸せな世界が広がっているのかもしれない。 



ー終わりー


備考:事実に少し脚色してます。
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