純白のカーテンの隙間から。二人は互いを視界に捉えた。
一瞬、魅入ってしまいそうになった自分に春子は気が付く。
「ごめんなさい」
中を覗いてしまったという立場だからか、春子は軽く頭を下げる。カーテンを引っ張り隙間を閉じ、そそくさとその場を離れようとした。
「滴草さん?」
「えっ?」
病室を出ようとした寸での所で、春子はもう一度後ろを振り返る事になった。何故自分の名前を知っているのだろうかと不思議に思ったのは一瞬で、すぐにそれが「滴草さんのお見舞い?」というニュアンスなのだと気が付いた。
春子はスムーズには動かない口元でその問いを肯定すると、まるで怯えているかのようにゆっくりと、カーテンで区切られた空間へと歩み寄った。
生唾がごくりと喉を通っていくほどの緊張感は、病室特有の雰囲気からだろうか。春子はカーテンに右手をかけると、静かに引いた。
「滴草さんならロビーかな? 出歩いてる事が多いから」
カーテンの中の少年は、そう言って春子に微笑んだ。
――着慣れた患者服。恐らくは手入れなどしていないのであろう、ガサガサの髪。しかしそれを差し引いても尚霞む事の無い、整った顔立ち。春子がカーテンを引いた事によって差し込んだ日差しが少年を照らすと、少年は信じられない程に映えてみせた。
もう一度、春子はその光景に見入ってしまっていた。病室のベッドに横たわる美少年、それを照らす夏の日差し。絵画として発表するならタイトルは『余命』かな、とか春子は直感的にそんな事を考えていた。
「滴草さんの……、娘さん?」
少年は春子の顔つきや身なりを見てそう訊ねた。春子は小さく頷いた。
「あの人は基本元気だからなあ。ベッドでおとなしくしてる方が少ないかも」
少年は可笑しそうに笑った。笑う時に右手で口元を隠す仕草とか、そんなのがいちいち春子の心を鷲掴みにした。
「羨ましいけどね。僕なんか、勝手に出歩こうものなら看護婦さんに怒られちゃうもの」
――春子が。少年に対して『女性のよう』といった印象を抱いていたのは、単にその容姿が端整であるからだけではなく、線の細い華奢な体つきに起因していた。少年が再び右手で口元を隠した際、目に付いた手首は異常に細かった。それだけで、少年の病状の重さが容易に想像できてしまうのだった。
「退屈?」
聞くまでもない事だろうなとは春子も思いつつ、ふと聞いてみたくなった。『入院は』と文頭に付けなかったのは、せめてもの配慮から。
「うーん。それが、分からないんだなあ」
少年は右手の指先で自分の顎に触れた。そんな風にして悩んでいる様子を表現しているのが、妙にコミカルだ。
「僕、物心ついた時にはもう病院に入れられていたから。学校にも通ってないし友人もいないし、この生活が退屈なのか面白いのか良く分からない。学校に通っていたらもっとつまらないのかもしれないしね」
春子は、聞きながら少年の事を羨ましく思っていた。幼い頃からの闘病生活、それは悲劇のヒロインと呼ぶに相応しかったから。
(いや、でも一度は学校に通っておかないと悲しんでくれる人も少ないのか。肉親だけに泣かれてもなあ)
やっぱり発病するなら高校生ぐらいがベストなんだと春子は改めてそう理解した。
「まあ、恐らくはこっちの方がつまらないんだろうけどね。今のはちょっと負け惜しみ」
そう言って諦めたように笑った今度は、右手で口元を隠さなかった。窓から入ってくる風が少しだけ強くなる。
「閉めようか」
返事を聞くまでもなく春子は立ち上がり、窓を閉めるとそのまま外の景色を眺めた。
彼ともっと話したい。出来るなら、ずっと話していたい。もしも私も一緒に入院出来たなら、それは一体どれ程楽しいのだろう。そんな事を考えながら、何を見る訳でもなく外に目をやっていると、明雄が病室に向かって歩いてきているのが見えた。
「またくるね」
なんとなく、父がこの空間に入ってくるのは避けたかったのだろう。春子は一度だけ紙袋に目をやって、病室の扉に手を掛けた。
「もしも退屈だったら読んでいいからね、それ。お父さんに持ってきた本が入ってるからさ」
それを聞いて少年は嬉しそうに表情を明るくした。
「ほんと? 嬉しいなあ。それじゃ、後でお言葉に甘えさせてもらおうかな」
その笑顔を見るだけで、春子は心の底から嬉しくなれる。本人が気付いているかは分からないが、両の頬は赤らんでいた。
「それじゃあ、また」
「うん。待ってます」
最後にそう言葉を交わして、春子は病室を後にした。
「………………」
振り返ると、『502』と書かれた表札の下に患者の名が並んでいた。
――浅川健人。良い名前だなと春子は思った。