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束縛の雪は遮られて

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「クソ……!!」

 憤慨収まらず、和也は自分の部屋にあるゴミ箱を力の限り蹴飛ばした。
 サッカー部だった脚はまだ衰えてないようで、ダストボックスは勢いよく木製の壁に衝突し、その中身を散乱させて和也の目の前に転がった。
 それだけで済む事はない。自分の机の上から教科書だの、辞書だの引っ張り出して、ところ構わず放り投げた。本は鈍い音を立てて重なり、妙な形に折れ曲がったまま放置された。

「ちょっと和也!? あんた何してるの!?」
「うるせえ! 俺の勝手だ!」

 親の叱責には耳も傾けず、和也はそのままどすんと布団の上に突っ伏した。
 こめかみの辺りから汗が伝い、眼に入って沁みたが、そんな事などどうでも良かった。

「あの女……一体何考えてんだ!?」

 遣りようのない怒りが次から次へとこみ上げてくる。
 ここまで和也が激昂する理由には、ある一人の人物との接触が関係する。
 そしてこれもまた、数時間前のこと。




         †




 無機質に響くコールセンターの声。
 それは電話相手の不在を知らせるものに他ならなかった。

「宗太まで出ない……か」

 和也の嫌な予想は次々と的中した。やはり、ここまでなると"何かしらの事件性"が関わってくると、和也は考察する。実際のところ、和也のこういう第六感的な考えは概ね当たることが多かった。それも肯定的でなく、否定的、嫌な予感だけが集中して。
 で、案の定今回もそれのケース。もう和也の口からは溜め息しか漏れなかったが、その心中では大きな決心を始めた。

「こうなったら、俺自身が真相を突き止めてやる」

 そう。和也は自らこの事件の探索を始めようと思い立ったのだ。
 もしも自分の知る限りの友人が普段とは異なる行動を営むとしたら、和也は大体いつもこんな探偵じみたこと、もとい単独捜査と言うものを遂行していた。
 その例は、たとえどんなにくだらない事件までにも及ぶ。記憶に新しい事件といえば、それは和也が中学生の頃に溯る。
 ある日和也が学校へ行くと、普通に接していたクラスメートが急に態度を豹変させた。普段あまり関わりを持たない同級生までもが和也を避けるようにして居るのを、和也はその目線で感じた。こちらから目をあわそうとしても、すぐに目を逸らされてしまう。それも、殆ど全てのクラスメートに。
 これは何かあったのではないかと思い込み、和也はすぐに単独捜査を開始した。とは言っても他の生徒に聞き込みをするだけなのだが、思いのほか情報は集まらない。
 ここまで誰も口外しないとはよほど重大な事件なのではないか!
 そうやって勝手にそう思い込み、夕刻まで聞き込みに聞き込みを重ねたが、結局最終的な結論は担任の教師から言われた「ズボンのチャック全開だぞお前」で終結した。
 今はそんなことはどうでもいい。というか今じゃなくても充分すぎる黒歴史だ。頼むから忘れてほしい。

 和也は脳内でそんな事を考えながらも、ちゃんと筋道を立てて計画を練っていた。ただ闇雲に尋ねて回ったあの時とは比べ物にならないほど、綿密に。

「まずは……こういうことに詳しいことに聞くのがいいよな。だとしたら、郷土史とかそういう方面に面識のある人が……」

 和也は徐にベンチから立ち上がり、ブツブツ呟きながら元来た道を歩く。どうも良い考えが思いつかないまま、足取りだけは進んでいく。
 基本的に和也は結構顔が広い方なのだが、日本文学だとか人間心理とかそういう系統は専攻しておらず、どこに何に詳しいどんな人が居るということについては全くといっていいほど無知だった。
 だが普通知っているほうがおかしいと思っていたので、和也は近くにあった本屋に寄り、適当な地図を弄ってそういう感じの博物館や展示館を探した。……もちろん、こんな辺鄙な村にそんな大層なものがあるとは思ってはいなかった。
 そして当然の如く、その予想は的中した。

「ははは……。本当に田舎なんだな、ここは」

 半分呆れ笑いで、和也は地図を元の場所に放った。期待はしていなかったが、まさかこれほどとは思いもしなかった。

「うーん、じゃあ、知ってる人でこういう事に関わってそうなのは……そうだ!」

 和也は不意に大声を上げた。そのせいで店員が吃驚していたが、それには目もくれず急いで和也は店内を抜け出す。
 あの人だ、あの人がいる。
 和也は、その人物に対して殆ど面識がなかったが、その人は宗太の親戚に当たるということで、そこまで顔を合わせづらいということはなかった。
 名前ははっきりと思い出せないが、家の場所なら事細かに分かる。確かその人の家は、見掛けは酒店に見えて実はその奥に立派な家がある。そういうことを和也は宗太から聞いていた。そして、その人が心理学や人間学……よく分野は分からないがそういう推理的なものに詳しいと言うことを宗太から小耳に挟んだことがある。

「あの人なら、分かるかもしれない。知ってるかもしれない」

 和也は道を正確に確かめながら、記憶だけを頼りにその建物があるほうへと脚を走らせた。
 と、その瞬間。



「どこへ行くのかしら?」


 どこからともなく、若い女性の声が聞こえる気がした。和也は不審に思って辺りを見回したが、どうもそれの気配は見当たらない。
 気のせいか、と和也は小さく笑って再び前へと進もうとした。が……

「……あ!? な、何だ!?」

 どれだけ脚に力を入れても、踵が地面から浮き上がらない。自分の意志とは違う何かで、脚を地に固定されたような、そんな錯覚がした。
 しかし見たところ、和也の脚にはそういう類のものは見つからず、傍から見れば和也が一人足の裏を地面にぴったりくっつけてもがいているようにしか見えなかった。

「んだよ、コレッ……! 全く動かねえ……!」

 まるで重い鎖で脚を雁字搦めにされたように、和也の脚は意識を持っていなかった。ちょうど麻酔薬を打たれたように痺れのような感覚はあるものの、それ以外の「足を動かす」といった意識のところのものは全く通じなかった。
 そればかりか段々と脚の上、上半身に及ぶ部分までもが段々と動きを失くしていった。

「……!?」

「じっとしていてね」

 耳に響いた、先刻の女性の声。
 ふと目をやると、先ほどまで何もいなかった空間に、一人の女性が屹立していた。
 後ろを纏めた茶髪に、銀縁の眼鏡が光る女性。その奥に光る瞳はまるで感情が感じられず、ただ冷淡に和也のほうを見咎めているようだった。
 声も出せない、和也。

「君に色々手出しされると、困っちゃうから」

 そう言うと女性は、降ろしていた手を和也のほうへと掲げた。
 ほぼ同時に、和也は何かに突き飛ばされた衝撃を受け、後方へと吹き飛ばされた。
「うわっ……!?」
 その辺りに積み上げられていた段ボールに和也はぶつかり、音を立てて崩れ落ちた中で、和也は未だに戻らない身体の感覚を覚えた。女性に突き飛ばされたとも、それとは違う何かに突き飛ばされたとも分からず、和也は呆然とその女性を振り仰いだ。
「あ、あんた……一体……」
 その呻きを聞いたかは分からないが、その眼前に聳つ女性は表情を変えずに打ち明けるように呟いた。
「君はこの事件に深く関係することが私には分かるから、尚更ね。だから、君は何もしなくていい。君がどう足掻こうと、この事件の行く末は決して変わらないから。私は何も言わないけど、君のこれからしようとすることは分かる」
 女性は眉を一瞬ひそめ、すぐに笑顔になった。
 喜びの欠片もない、冷酷な笑顔。
「五條さんの所へは行かない方がいいわ」
「……!?」
 その一言ではっきりと思い出した。
 五條正博。宗太の言っていた人物の名前。和也がたった今向かおうとしていた目的地。そして、その行く路を誰かも知らない女性に止められている。
 和也はうっすらと戻りつつある神経感覚を呼び起こし、ふらつきながら起き上がった。
「行くなって……どういうことだよ」
 和也の怒気が満ちた眼に、女性は火を注ぐように言い放つ。
「"君に出来ることなんて、何もない"」
「……!!」
 瞬時に振り掲げた右腕は、情けないほど弱く崩れ落ちた。というより、力が入らなかった。まるで、この目の前にいる人物に対して粛然としているように。自分を一瞬で吹き飛ばした生き物を恐れ、敬虔とするように。
 和也が唇を噛み締めていると、女性は今度はにっこりと微笑み、和也の前から消えるようにして姿を消した。和也が見ていなかっただけかもしれないが、まるで"雪が解けるように"その女性は忽然といなくなった。
 残された和也は、だらしなく垂れ下がる右腕を覗き込んだ。




 震えて、いる。



「………………!!」

 自分が、あの女を恐れている。
 まさか、そんなはずはない。俺は喧嘩の経験はほとんどないが、いざそうとなったら誰にも負けない自信がある。特に、格下の女子ども相手には。
 だが、負けた。あの女に。
 どんな力を使ったは知らないが、名前も知らない女に負けてしまった。そのことがたまらないくらい赦せずに、和也は顔を真っ赤にして震え上がった。
 今度の震えは、恐怖でも、何でもなかった。

 純粋な、屈辱。
 格下に負けたという、この上ない歯がゆさ。


「クソッ……!!」

 たったそれだけ。それだけのこと。
 ただ、そのことが何よりも和也の矮小なプライドを引っ掻いた。
 




         †





 夜半、和也は正直焦っていた。
 昼間の女性のことを思い出すと腸が煮えくり返りそうになるが、今はそのことは考える余裕などなかった。
 和也の焦燥の念を駆り立たせたのは、苛立ちより、友人たちの身の安全だった。それこそさきの正義感がこんなときに限って奮い立ち、どうするわけでもなく和也はそわそわした。夜は家の事情で外出を禁じられているため、和也は一人で色々と模索することしか出来なかった。
 しかし結果として、それが和也に考える時間を与えることになった。

「あの女俺が五條さんのところへ行くのを止めてたよな……。それに、俺に出来ることなんかないって……。どういうことだ?」
 段々と怒りの収まってきた和也は、冷静に解析した。
「もしかしてあの女は、五條さんの仲間、ってことなのか? だとしたら……あの女も、この事件に関与してる可能性があるな。っつーことは、何だ。あの女、何か隠してんじゃないのか? ますます怪しいな……」
 そう呟きつつも、何も出来ない自分が悔しくて、和也は目を細めた。

「……明日だ。真相を、絶対に突き止めてやる」

 そう告げ、和也は部屋の窓を開けた。
 篭った空気が抜け出し、代わりに夜の冷えた風が部屋に舞い込む。散乱した部屋を片付けながら、和也はただ窓の外の月影を眺めた。
 空の曇りは、構うことなく晴れていくようだった。




         †




 草木が眠り、街も起動停止に近付く、丑の刻。
 町の中心、商店街からいくらか離れた疎遠な道。そこにひっそりと立っているバス停の横のベンチに、一人の男が座っていた。
 男は乱雑な髪をかき上げ、ひとつ溜め息をつくと、深く眼を閉じた。

「………………」

 何も見ず、何も言わず。
 男は死期が迫ったような深刻な表情で、うつ伏せに黙り込んだ。それは、人間が自殺する直前にする行為そのものに限りなく近い。静かに、まるで世界に自分が一人だけ置いていかれたような。逆に世界で一人だけ死んでしまったような、感覚。
 悲しみの情しか汲み取れない顔で、男は言葉のない呻きを上げた。
 ゆっくりと、何度も、唇の動きだけで。 

「………………」

 少し前から、気付いていた。嫌な予感はしていたものの、まさかそれが現実のモノになるとは思いも寄らなかった。決して思い出したくはなかった、この世のものとは思えない事件。
 今まで生きた中でも最も恐ろしく、今でも自分を蝕み続ける恐怖の対象。


「どうして…………だ」


 ようやく言葉になったのは、途切れ途切れの譫言だった。
 それも、幼い子どもが泣きじゃくりながら発するような、涙は無いながらもえぐえぐと嗚咽が混じった泣き声にも似た、独り言。
 男は小刻みに震える両手で、紺の帽子の上から頭を押さえる。
 人が、恐怖に怯えたときにする行動のように。


「どうして……」

 男が次第に叫び声に近くなる声を上げた、その時。




「やっぱりそうなのね、瀬川君」

「は…………」
 

 男――瀬川がはっとして両手を離すと、そこには、見慣れたセミロングの茶髪を振り纏っている女性が、立っていた。
 銀のフレームをした眼鏡の奥に浮かぶ寂しげな眼――
 その女性の姿を捉えた瞬間、瀬川は熱に浮かされたように呟いた。

「雪村……さん。実は……」
「えぇ、分かってる」

 瀬川の怯える声を継ぐように、雪村は口を開く。


「今回の"蟲"は、あの時と同じ。瀬川君が……襲われた当時と同じ"蟲"」
「……はい」

 叱責を受けたように答える瀬川に、雪村はいっそう優しい声で語りかける。

「あなたは、まだ不十分な身体。いつもよりそうしてジャケットを深く着込んでいるのも、身体に負った傷を隠すためね」
「……はい」
 瀬川はその身に重ねたジャケットを強く握り締め、唸った。





 ………………
 …………………………




 しばしの沈黙の後。
 雪村は、思い立ったように切り出す。





「……教えてくれないかしら? あなたが"中山君と接触した後"、何があったのか」

「………………」

 瀬川は雪村の瞳を見つめたまま、動かない。
 やがて、その奥につけられた小さな灯火に気が付いて、瀬川は我に帰ったように述懐した。




「……分かりました。全て、話します。それと……」








 間をおいて、ひとつ。








「……この事件の、"蟲"の居所を」



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