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少女の狂の業

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「静馬君、ちょっといいかな?」

 静馬が一通り話し終えた後、五條は訊ねる。

「確かに君の話、筋が通っていて、恐らくその説に間違いはないだろう。しかし、君がどうやってそこまでの考えにたどり着いたかは、僕には全く分からない。僕は長年《インセクター》をしているけど、そんな能力は未だかつて見たことがないし、聞いたこともない。もしかしたら静馬君は、僕が思っている以上の逸材なのかもしれない」
「……僕が、ですか?」

 静馬がそう問うと、五條はゆっくり肯く。

「今まで見てきた《インセクター》の中でも、予知能力、予言能力を持っている人間は、一人もいない。そして、まだ事件から一ヶ月経っていないにも拘らず、ここまで精神状態が安定していて、何より"力"が目覚めかけているというのは、《インセクター》史上稀に見ることだ。僕は、君に凄く期待を持っている」
「……はい、ありがとうございます」

 柚樹は買出し、雪村は瀬川との合流のため、今、この場には静馬と五條とエリカの三人しかいなかった。
 裏を返せば、静馬が五條に自分の考えを打ち明けるにはうってつけの状況。
 静馬は雪村や柚樹に本心を話したくないわけではない。別に打ち明けることに関しては特に躊躇いもなかったし、むしろすぐにでも話したいところだった。
 しかし、現在は状況が違う。

「今は瀬川さんのこともありますし、それに僕はまだ何も出来ていないので、出来るだけ。出来るだけ、雪村さんや柚樹ちゃんには負担を掛けたくないんです」
「………………」

 話せなかった本音を、震える声で静馬は述懐する。

「本当は……怖かった。死ぬほど怖かった。今でもあのときのことはしっかり覚えてますし、もう克服したかって言うと、それは全然まだです。恐らく、もう一度同じ状況に陥れば、今度こそ僕は何も出来ないまま、死んでしまいます。だからこそ今、行動したかった」

 下唇を噛み締め、静馬は呟くように話し続ける。
 エリカはつい何時間か前とは打って変わって、実に真面目な顔で耳を傾ける。

「もう僕は、保護を受けるばかりの被害者ではありません。僕は――今、《インセクター》として、一歩を踏み出さないといけないんです。じゃないと永遠に僕は被害者のままで、頼りどころもなく"蟲"に殺されるだけになってしまう。それじゃあ、絶対にいけない。だから……」


 意を決したように、一言。




「お二人の力を、貸してください」




 静馬は深く俯いて、強く瞼を閉じた。
 "蟲"を退治しに行くとしても、五條さんやエリカさんに頼るばかりではいけない。自分の意志で……、僕は、"蟲"と対峙する必要がある。
 だからこそ静馬は、一緒に戦ってください、ではなく、お二人の力を貸してください、という言葉を選んだ。
 暫時沈黙が響いたが、直後。

「そんな願いなら、聞き入れないわけがないじゃないか。もちろん、加勢しよう。僕ができる限りの、力をもって。異議はないね? エリカ君」
 その五條の問いかけに、エリカは口元を緩ませて、
「……ふうん。ただの腰抜けじゃないかって思ってたけど、なかなか男らしいとこ見せてくれるじゃない。ま、それが虚勢かどうかは、"あっち"に行ってから分かることだけどね」
「はは……ありがとうございます」

 頭をあげると、静馬は困った顔で軽く会釈した。
 五條は温かな笑みを浮かべ、身を起こす。


「それじゃあ、向かおうとしようか。この事件の真実へ――――まだ死んでない、真犯人の潜む場所へ」





         †





 変わらず話を続けていた和也と宗太は、ようやくある異変に気付く。
 それは宗太の家に避難して、もうすぐ二時間が経とうとしている頃だった。

「……なあ、ちょっと変に思うんだが」
「? 何だ? 和也」
 あっけらかんに宗太は答える。
 大して和也はいたって真面目な顔で、続ける。
「倉野のやつ、さっきから物音一つ立てないな」
「え? あぁ、疲れてんじゃないのか?」
「そうじゃない。お前の家はそこまで新しくないから、ベッドの上で少し寝返りを打っただけでも、結構な音がするだろ?」
 宗太は少し悔しそうな表情の後、器用に顔を落胆の表情に切り替えて、
「……まあ、そうだけどよ。確かに、異様なくらい静かだよな」
「もしかしたら、なんかあったんじゃねえか? ちょっと俺見に行ってくる。体調が回復したかどうかも確認したいしな」
「それなら、俺も行くぞ。いや、別に一人が寂しいってわけじゃないからな」
「……わかったから、行くぞ」
 そう促しと和也は、すっかり回復した足取りで、二階への階段がある玄関へと進み始める。
 一歩歩くたびに床がぎし、と軋み、よほど古い家であるということが、それだけでも十二分に感じ取れる。
 それだけではない。引き戸式の玄関戸、年中窓にかかっている簾、廊下以外の床は全て畳で設えられている中山家は、まさしく古き良き日本の家だと、和也は勝手に思っていた。
 そこまで現代風建築というものが好きではない和也にとって、和風というものはかなり好きな部類に入るもので、正直こういう家に住んでいる宗太を羨むことも何度かあった。もちろん口には出さなかったが。
 そういうことを考えながらいつの間にか階段の前までたどり着いた和也は、何の躊躇もなく階段に足を踏み入れ、そして上の階めざし一段ずつゆっくりと――――


















 "ぞわ"







 瞬間、"底冷えする恐怖に似た生温い風が、上の階から流れてきた。"


「………………!!!!!」

 即座に、二人は察知した。そして次の瞬間には、全身が毛羽立ったかと思うほど鳥肌が立って、悪寒を誘う空気が肌を覆う。
 和也は、今度は躊躇うことなく階段を駆け上がり、壁にぶつかりそうになりながらも宗太の部屋を目指してただ走る。
 まさか、そんなわけがない。
 あの霊能者――――瀬川によって、あの謎のイキモノは殺されたはずだ。あまり信じたくはないが、味方のように振舞っている男が確かにその手で消し飛ばした。
 なのに……どうして!? 何故今更、"あの時と同じ風"が、同じように吹いている!?
 和也の頭には嫌な予感だけが駆け巡り、そしてそれはもう確定的に存在した。いくら脳内で否定しても、身体の感覚がそれを肯定する。
 自ら目の当たりにした、あの惨状を。

 何時間か前と同じ、今度はいくらか状況を把握しながら、和也は同じ台詞を吐く。
 何も書かれていない、行きなれたそうたの部屋の襖に手をかけると、


「倉野ッ!!」

 最悪の事態を予測した。またあの残酷な光景が、何かしら変わってそこには存在しているだろうと、確信した。だからこそ、今度は誠心誠意で立ち向かおうと和也は考えた。
 が――











 そこに立っていたのは、何ら変わりない様子の倉野美紀。
 何かあって立っているのではなく、むしろ和也の声に驚いて立ち竦んでいる様子。
 倉野はいきなりのことで、顔をきょとんとさせて、二人のほうを見つめている。

「え…………?」

 宗太は思わず、疑念混じりの声を漏らした。
 宗太もほぼ百パーセント、和也と同じ事を考えていた。恐らく"蟲"か何かが倉野に乗り移って、再び血肉脂に塗れた、赤白い溜まりを造っていると。
 しかし、現実は予想に反するものだった。
 蓋、正確にいえば襖を開けてみれば、案ずるより産むが安し。倉野の状態はいたって良好であって、決して蟲某がとり憑いているとか、そういう雰囲気はなかった。
 念には念を入れ、和也は答えの分かりきった問いをぶつける。

「く、倉野……? 怪我はないか? 何か変なことはなかったか?」
「? う、うん……」

 予想内の答えに、それでも思わず和也は首を傾げる。

「じゃあ、どうして物音がしなかったんだ……?」
「やっぱ、気のせいだったんじゃないのか? 俺たち結構大声で話してたし」
「うーん、そうか。そうだろうな」



 じゃあ"あの風"は一体……?

 和也はそれだけが頭から離れなかった。
 自慢するほどでも、堂々と自負するまでもないが、和也は直感力に優れているということを他人からよく言われる傾向にあった。それゆえに次第に自分の中でも思ったように行動するということを最優先するようになり、その行動は先刻の単独捜査にも現れた。
 そして、今。それも初めてではなく、二度感じた"惨劇の前兆"。
 和也でなくとも、常人なら誰もが気付くだろうそれに、もちろんの如く二人は気付いた。
 しかし、現実はそれと正反対。欠伸が出るほど平和な光景に、和也は背筋をそがれたのと胸を撫で下ろすとで深く溜め息をつく。



 ふと、暫く来ていなかった友人の部屋を今一度見回し、和也は何か懐かしい気分になった。

「はぁー、さっきは気が動転してたから落ち着いて見れなかったけど、お前の部屋相変わらず変わんねーなー。こんなにものがゴチャゴチャしてて鬱陶しくないか?」
 そんなにか? と、今度は宗太が首を傾げる。
 宗太は見かけによらず趣味が多彩で、野球、テニス、将棋、囲碁、ハムスター、観葉植物など、見掛けでは決して分かりえない趣味を持っていたりもする。
 何年かぶりの親友の部屋をざっと見回し、その級友は、ある事に気付く。

「……あれ? ハムスターの籠はどこいったんだ? 確か、ギャランドゥとかいう名前の」
「あぁ、あいつなー。確かこっちの籠の中に…………あれ?」
 宗太が覗き込んだ籠の中には、乾いた木屑の荒れた痕と、食べかけの向日葵の種しか確認できなかった。
「っかしーな。また脱走したのかな。脱走したんだったらアイツは暗い場所が好きだからな。ベッドの下とか、どっかにいると思う」
 すると、和也は悪戯っぽく笑う。
「あ、ならついでに例の本も探してやろう」
「おいおい、やめろって……」
 和也が興味津々で、屈んでベッドの下を覗き込む。
 そこに確認できたのは、可愛らしいハムスターのギャランドゥが丸まって寝ている姿。
 














 ではなく。












 "身体を腹から裂かれて血塗れになっている、見るも無残なハムスターの死体"。


「な…………!!?」

 まさかの光景に、息が詰まる和也。
 後ろに居る宗太も唖然としているのか、一言も声を発しない。
 既に死体特有の腐卵臭が立ち込めていて、それはかなり前に死んだものだと確認できた。

「お、おい、宗太。ギャランドゥがベッドの下で……」

 和也が起き上がって振り返る。

 そして今度も、和也の期待は裏切られて。
















 宗太の腹部には、何者かの手によってサバイバルナイフが突き刺されていた。
 そのせいで宗太は目を見開き、口がガクガクと震えている。手は恐怖と恐怖と恐怖とで目に見えるほど微動し、顔面は徐々に蒼白していく。
 そして、その深々と突き刺さったナイフを握り締めているのは、何者かの白い手。小さな、おぼつかない少女の手。そう――






 "倉野美紀の、手"。



「………………!!! く、倉野!!? お前何やってんだ!!??」

 その問いかけを聞くと、倉野はナイフをゆっくりと、宗太の身体から抜き取る。
 ずりゅ、と嫌な音がして、刃と共に宗太の腹部からは、血が滝にも負けないほどの勢いで流れ出した。

「あ…………あ……」

 震える声でわずかに宗太が呻き、その場に崩れ落ちる。
 倉野はそれをわずかに一瞥したかと思うと、和也のほうへ振り返る。
 ――――その表情は、無邪気な少女の顔そのもの。例えるなら、幼い女の子がクリスマスプレゼントに人形を貰ったときのような、純真無垢なそれ。

「倉野……お前……!!」

 和也が激昂しかけた、その時。




「あなたもわたしのともだちに、なってくれるの? かずや」
「…………!!? おい、どうした倉野!?」

 うっすらと気味の悪い笑みを浮かべ始めた倉野に、一瞬和也は言葉をなくし動揺する。
 倉野は耳を貸さずに、壊れた機械のように喋り続ける。

「わたしのともだちに、なってくれるの?」
「何、言ってんだ……」
「わたしのともだちに、なってくれるの?」
「宗太に、なんてことしてんだよ……!」

「わたしのともだちに、なってくれるの?」




 途端――――






「いい加減にしろ!!!!!!」

 終に堪忍袋の緒が切れた和也は、相手が倉野だろうが構わず、右手に握りこぶしを以て殴りかかろうとした。
 それよりも先に。







 "ずっ"、





 と、何か硬いものが皮を突き破るような音に、和也は拳を止める。
 加えて、自らの下腹部に、何か冷たいものがめり込む感触と、そこから何か液状のものが服を伝う、妙に嫌な感覚がした。
 それと――――





 それと、鈍い痛み。
 和也が悲痛に顔を歪ませて、じりじりとその眼球を下へと、向けてゆくと…………










 そこには果物ナイフが突き刺さった、自分の身体。







         †






 静馬はこう話す。

「今回現れた蟲は、非常に繁殖力が強いと聞きます。だとすると、瀬川さんが発見するよりも前に、何かしらの方法で既に繁殖している可能性が高いです。そして恐らく、その蟲は一度、いや、"二度"倒されているということを察知して、今回繁殖した場合、その姿を潜伏させる可能性があるのではないかと、思います」
「ということは、この蟲は……」
「まだ、尽きていません。瀬川さんの言う、逃げ出していった三人の中に"蟲"が潜伏している可能性は、ほぼ百パーセントと言えます。話によれば、そのうちの一人はその時の"蟲"によって怪我を負わされたということです」
「ああ、なるほど……」
「その怪我を負ったという少女に、"蟲"が潜伏している可能性が高いです。そして今、邪魔者がいなくなった"蟲"は、その本性を現しているに違いありません。
 あと、もう一つだけ分かることがあります」
「……何なんだい?」


「それは……この"蟲"は繁殖する際、その元々潜伏していた人間の精神を、乗っ取った形でそのまま繁殖する可能性があります。これは、例の予感によるものなんですが……。





 ……そう考えると、今、蟲が乗り移っている人の精神はその人のものではなくて、その繁殖する直前。"瀬川さんが対峙した人のそれである"ことが、確信できます」




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