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光来の刃の的

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「嘘、だろ……、くら……の……」


 和也は震える声で、精一杯の問いを投げかけた。
 眼前に佇立している倉野は、和也の腹部から果物ナイフを抜くと、それを握った右腕をだらんと下げ、しゃがみこむ和也を見下ろした。
「う……ぐ……!!」
 和也は苦悶の表情を浮かべて、咄嗟に傍にあったスポーツタオルで、患部を包み込むように下腹部全体を縛ると、一瞬まるで生き地獄に遭っているかのような痛みに襲われた。
 痛覚神経をスリバチですり潰されるような痛み。
 死よりも恐ろしく辛いだろう痛みに、和也は声なき絶叫を上げた。
「…………」
 倉野は何も言わずに、黙って和也を漫遊するように見る。人を刺すことに快感を覚えたような、そんな表情を浮かべながら。
 鮮血で紅く染まりつつあるタオルを押さえて、和也は強く深呼吸する。
 大丈夫だ。傷はそこまで深くない。幸い、動脈とかそういう所も切られてないみたいで、出血はそこまで酷くない。落ち着け、落ち着くんだ……。
 和也はひどく冷静に思索し、倉野が直立不動のままでいる隙に事を整理した。

 どうして俺は、倉野に刺されることになった?
 階段を上るときに感じた風は、一体なんだったのか?
 確かあれは、倉野の家に行ったときにも遭遇した風だ。
 だとすると、あの風は一体何を示している? 風の向こうには……何があった?
 同じ風? 同じイキモノ? 同じ…………


「…………!!」


 刹那。和也の中である一つの予想が、全ての点において合致した。
 頭の中で組み立てていたパズルの中の、欠けていたピースが次々とはまっていって、遂にこの事件の真相のパズルが完成した。
 考えもしなかった、事件の結末。最悪といってもいい、まさかの真相。
 和也は痛みの治まらない傷を支えながら、ゆっくりと立ち上がる。
 それを眺めるように、倉野は視線の先をゆっくりと上へと向ける。

「倉野……。もうこんなことは……、やめた方が……いい」

 和也は痛みを堪え、宥めるような目で倉野を凝視する。

「これではっきりしたよ……。犯人は、あの男なんかじゃない。学校の生徒を――――仲間達を誘拐して、もしかしたらその後……殺していたのかもしれない、いや殺していたのは、お前だ、倉野」

 和也の言葉に動揺する素振りもなく、倉野はその冷たい表情を険しくする。
 そして、ナイフを握る右手に、強く力が加わる。倉野は胸の前にナイフをかざし、今にも和也に突き刺そうといわんばかりに、その切っ先を和也に向ける。
 先端から垂れ落ちる鮮血が、床に敷かれた畳を穿ち、ぽた、と音を立てる。
 悪寒を覚えながらも、和也は言葉を続けた。

「……だと思ったさ」
「…………!?」

 倉野は表情を変えずに目を丸くし、すぐに顔を元の強硬なものに戻す。
 それを見た和也は不謹慎とは分かっていながらも、犯人の思惑の裏をかいた探偵のように、小さく、笑った。

「おかしいだろ? 確かに俺達が連れてきた倉野は、いつもの倉野だった。ついさっき部屋に入ったときも、その表情は倉野のものに他ならない。……だけどなあ、俺は普段病弱で怪我の絶えない倉野が、ここまで早く回復できるとは思ってない」
「………………」
「……拙え論弁さ。こんなことが正しい根拠なんて、どこにもありはしねえ。それでもだ。俺は、自分の直感ってものを信じる。どっちにしろ、倉野、お前はこうして宗太を痛めつけてるってだけで、重罪だ。だからよ。俺はお前をゆるさねえ、倉野」


 そう言い切ったあとに、ひとつ。











「…………いや、高原」
「…………………………!!」

 目の前に立っていた倉野の顔が、一瞬にして引き攣る。その言葉にトラウマを持つような、ひどい恐怖に似た形相。なんにせよそれが倉野の本来持つ表情だとは、和也は思わなかった。
 眉根を寄せて、和也は倉野の眼前にいきり立つ。

「やっぱりそうなんだな、高原」
「…………」

 押し黙る倉野――――もとい高原に、和也は訴える。

「考えたくなかった。まさかお前がこうして、倉野の精神、っていうのか? それを支配しているなんてな。お前が倉野の口の中に変な黒い奴を入れた時点で、その可能性は脳裏を過ってた。でも、現実的にそれがありえることなんてないはずだった。人が他人の精神を乗っ取ることなんて、絶対出来ないと思ってた」

 和也は顔を歪めながらも、心の内を陳述する。
 高原の硬かった表情は、小動物ライクな恐怖の表情に、変わりつつあった。

「……だけど、今のお前はもはや、"人外"だ。俺は平気で人間を突き刺して悦んでいる奴なんかを、友人、ましてや同じ人間なんかとしては認めない。……でも、まだ変われるかも知れねえんだ、高原。お前の罪の償いようでは、俺だってお前を赦すかもしれない。何十人、何百人と人を殺したお前だって、もしかしたら赦される日が来るかもしれない。だから、高原……」


 和也は、もうこんなことはやめろ、と、言おうとした。
 

「……嘘よ」
「え?」

 高原がぼそりと漏らした言葉に、和也は一瞬怯んだ。
 怯んだというよりは、放置された操り人形がひとりでに踊りだすのを目撃したときに近い、極めて小さな驚き。

「そんなの全部偽善に過ぎない。どうせ世界中の誰もが今私を恨んでる。人類史上最悪の人物として私を見下してる。そう。私はただの悪者として認識されつつある。少なくとも今まで接してきた人間にはね。私は裏切り者なんだ。人類の裏切り者なんだ。破滅者なんだ。だから私は今こうやって和也に凶器を向けたりすることが出来るんだ」
「お、おい高原……」
「なんで? どうして? 私はいい子なのに。私はただ自分のささやかな願いをかなえたかっただけなのに。みんな意地悪だ。みんな私の邪魔ばっかりする。そんなやつみんなきえちゃえばいいんだ。そうだ。それがいい。みんないなくなればいいんだ。なんだ。こんなにかんたんなことだったんだ」

 とうとうと罵るように言葉を並べ立てる高原に、和也は本能的に激昂する。

「何だってんだ! 訳分からないことばっか言ってんじゃねえ!!」
「わけがわからない? それはこっちのせりふよ。わたしのきもちなんかわからないくせによくもしゃあしゃあとひていできるわね。かずやなんかかずやなんかかずやなんか。なにもわからないくせに。かってにひとのきもちをきめつけるんじゃない。かずやなんてわたしにころされてしまえばいい」

 機械調子に喋る高原に、和也が冷徹な言葉を浴びせようとした、その時。


「そうね、あんたの言いたい事はよく分かった。あと、痴話喧嘩はそこら辺にしといてくれない? めんどくさくて、二人とも殺してしまいそうになるから」

 声に気付き、和也が襖の方を見やった時にはもう。声の主は、和也の前方に聳つ高原の背後に回り、その首に大振りの鉈をあてがっていた。
 その、左足に膝辺りまでのブーツを履いた少女は、高原に対して脅すように話しかける。

「あまり苦しみたくないのなら、自分から死んだほうがいいわ。私達<インセクター>が殺したのでは、あんたはそれこそこの上ない痛みを味わうことになる」 
 それに対して、平然とした表情を浮かべる高原は、
「……あなたはあのひとたちのなかまね? よくおぼえてる。あなたはあのときはまだちからをもってはいなかったものね」
「へえ。覚えて貰えてて光栄ね。あの時は五條さんがあんたを倒したけど、今回は私があんたを殺すことにしたの。あの時確かにあんたは死んだはずなのに、それでもしぶとく生き延びていた。まったく、それには感服するわ」
「それはどういたしまして」
 高原は少女に気付かれないようにして、ナイフを握る手の力を強くする。
「言っとくけど私はあの頃の私とは違う。あの時みたいにもう無力なんかじゃない。あんたを殺す相応の力は持ってる。だから私があんたを……」


「危ねえ!」
「…………!!」

 和也の言葉に、少女は素早く身を屈ませる。
 その直後。さっきまで少女の頭ががあった場所を、高原の持つ果物ナイフが切り裂いた。
 身を翻して間合いを取ると、少女は不適に笑った。
「迂闊だったわね。私としたことが、ついペラペラと話し過ぎてたわ」
「……あなた、するがえりかだっけ? たしかにいいちからをもっているようだけど、わたしにはとうていかなわないとおもうわ」
 高原の吐いた言葉に、少女――――駿河エリカはストレートヘアーを揺らしながら、いまいましげに舌打つ。
「聞き捨てならないわね。私があんたより弱いだって?」
「そうよ」
「冗談は程々にしてもらえるかしら? こっちこそ言わせてもらうけど、あんたなんかに負ける気なんてこれっぽっちもないわ」
 エリカは不釣合いな大鉈をぎらつかせながら、再び笑う。

「そういうことは、私の力を思い知ってから言うことね」

 次の瞬間。
 音を立てて鉈が空を切ったかと思うと、その矛先は高原の首めがけて、突き刺さった。
 "ぼぐ、"と人体に刺さったとしてはそぐわない音を立てて、みるみるうちに鉈は高原の首下に埋まる。
 すぐさま千切れた血管から血潮が溢れ、うう、と高原は若干よろめいた。
 効果があると見て、エリカはすぐに鉈を引き抜くと、全く同じ場所めがけて再び鉈を振りかざす。




 ずちゃ、




 と、人間の肉を硬い金属が打ちひしぐ音がして、鉈の大部分が高原の鎖骨付近で同化した。 高原は倒れそうになりながらも細い足で持ちこたえ、右手にかける握力を更に強くした。
 気付かずにエリカは嘲笑し、血脂に塗れた鉈を勢いよく引き抜く。
「どうしたのかしら? あれだけえばっておいて、まさか何の抵抗も出来ないなんて言わないわよね? 私をここまで本気にさせたんだから、少しぐらい抗ってみなさいよ」
 高原は答えずに、えぐられた部位に手を当てる。
「それとも、早くも戦意喪失かしら? やっぱり五条さんがものの二秒程度で仕留めた蟲ね。私が相手でも、こんなにすぐにやられてしまうんだから」
 エリカはその右腕を振り掲げ、高原の頭上に先端をあてがった。
「これで終わりよ。あっけなかったわね、《女王蜂》」

 一刹那。
 エリカの振り下ろした鉈の一撃によって、今度こそ高原は打ち砕かれた。
 かくして、数年越しに生き延びてきた蟲《女王蜂》の命は、ここでようやく途絶えた。
















「とでも、おもったかしら?」
「な…………!?」

 エリカがその脳天を貫くよりも早く、高原はその右手に持っていたナイフを勢いよくエリカに向かって振りぬいた。
 人間だったとは思えない程の速さで、瞬間的に、そう。
 エリカの頭でも、首でも、腕でもなく。


 その左足に纏われた、ブーツめがけて。

「この……!!」
 反撃する間もなく、エリカはその場に崩れ落ちる。大振りの鉈が持ち主の意志とは裏腹に床を勢いよく穿って、突き刺さる。すぐさまブーツの中からは血飛沫が吹き出し、そしてそのあとに続いて、紅い格好のカマキリにも似た、大量の"蟲"が湧いて出てきた。

 高原はうっすらと笑い、紅く染まったナイフをぺろりと舐めた。

「あなたのちからはしっているわ。ひだりあしをむしにくわせて、だいしょうにそのむしのちからをしようすることができるって。だから、そのむしさえころせばあなたはこわくない。そしたらどうせあなたもただのにんげんだ。もろくてよわいにんげんだ」
「……だから、さっきは態と攻撃を受けてたって訳ね。私が油断して、左足に隙が出来るのを待つために。まったく、聞いたとおりずるがしこい蟲ね」

 エリカは捨て台詞を吐くと、大きく咳き込んでその場に突っ伏した。

「やっぱり、あなたはたたかうためのちからだけでなく、にちじょうせいかつにもかかわるだいぶぶんのちからをもむしにたよっていたのね。あなたはほんとうはつよくないでしょう。ただのきょうりょくなぶそうをみにつけていただけの、よわいへいしね。なさけないわね。わたしをあれだけののしっていたあなたがここまでよわいなんて、きたいはずれだわ」

 高原は頬についた返り血を軽く拭うと、エリカの前にしゃがみこみ、黒がかった赤髪の頭頂を強く持ち上げた。相乗して、呻き声を上げながらエリカの顔が高原の視界に映し出される。
 エリカは小刻みに震えながら、弱る両目で高原を睨んだ。
「何のつもりよ……」
「べつに? なんでもないわ。ただ、あなた……すこしおいしそうだとおもってね。ここじゃせますぎるから、そとにつれだして"たべて"あげる。ちょうどいいわ。あなたがこのまちのさつりくしょーの、さいしょのさんかしゃよ。よろこびなさい」
「…………!!」
 先刻とは打って変わって、高原の目は狂人の見せる悦びのものになっていた。殺人鬼が人を殺した瞬間のような。強姦魔が女性を使い終わった直後のような。
 エリカは瞬時に身の危険を察したが、それに伴う力は、もう残っていなかった。
「あんしんしなさい。ころすのは、あなただけ。かずやとそうたくんのふたりは、ころしはしないから。あとで、たっぷり、たーっぷりじかんをかけてころしてあげるから」
 高原は和也と宗太に一瞥をくれると、真っ赤に染まった襖を乱暴にこじ開けた。
「みんなしぬのよ。みんなしんで、わたしのおともだちになるの。そうすればわたしはさみしくなくて、ずっとよろこんでいられるんだから」

 高原は首もとの傷に大量の"蟲"を蠢かせながら、静かに歩みを始めた。
 やがて、階段を下りていく音がこだまし、そのあとに玄関の戸の音がした。
 ガラガラと、引き戸が静かに開けられる音。










 開けたのは、高原ではなく。











「時、既に遅し、って感じだね」


 困惑の表情を湛える、五條。
 それと、その後ろで厳然の意を顔に表した、静馬と雪村だった。



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