姫様の嘘の答
「五條……さん……!?」
「あれほど、単独行動はよして欲しいといったのに……。ま、今言ってもしょうがないか」
五條は、階段を数段残して突っ立っている高原を仰いで、厳しく笑った。
「君は、あの時の《女王蜂》だね? まったく、まだ生きながらえていたとは、感心だよ。素晴らしいと認めざるを得ない」
「それで? あなたはまたわたしをころしにきたの?」
高原はゆっくりと階段を下りながら、うっすら呟く。
五條は口に手を添えて、軽く笑った。
「まさか。君が殺せるとは僕は到底思っていない。だって君は、"死なない蟲"として今ここに存在しているんだからね」
「……ふうん。あなたにはさすがにわたしのちからはばれていたってことね」
「ま、そういうことになる」
静馬は視線を逸らさずに、雪村に問いかける。
「雪村さん。死なない蟲って、どうやって殺すんですか?」
その質問に、雪村は少し頭を抱えながら、
「そうね。通常のケースなら、死なない蟲って言うのはそこまで強力な蟲じゃないから、<インセクター>の体内に存続させておくとか、もしくは発生した建物の中に厳重に閉じ込めておくとか、そういうことしか出来ないわね」
「そう、なんですか……」
雪村は、口添えするように続ける。
「だけど、今回ばかりはそれも通用しないみたい。"あれ"を体内に存続させるとなると、よっぽど強い精神力がないと無理だわ。それに、ここに閉じ込めておくってのも、この家の古さからすると無理そうね」
「だとすると……、対策は何一つとしてないってことですか?」
その問いかけに、雪村は少し困惑しながら、
「そういうことね。今のところは」
「そんな……」
静馬は絶望したように、高原を見上げる。その左手には、頭を掴まれたエリカが見せる、弱った表情。
それは静馬の心中を強く穿ち、奮い立たせた。
「……場所を移そうか。ここじゃまともに話し合いも、戦い合いも出来ないだろう」
「それはおことわりね」
五條の提案に対して、高原は首を横に振った。
「わたしはこれから、このまちでさつりくしょーをはじめるの。わたしのおともだちを、ふやすためにね。おともだちがいれば、あなたたちなんかもこわくない」
「おともだち……? そうか、君は《女王蜂》だからね。友達と呼べるものが何一つとしていなくて、寂しいのか。でもそれは女王の宿命だろう。仕えてくれるものは多けれど、同格の友人として見てくれるものは誰一人としていない。女王が孤独であることなんて、当たり前のことじゃないかと思うけどね、僕は」
「えらそうなこというんじゃない」
五條の語らいに、高原はその表情を強張らせる。
「わたしはじょおうばちなんかじゃないわ。じょおうばちじゃなくて、そのしたにいるかわいいかわいいひめばちよ。あなたなんかに、わたしのいるじょうきょうがわかるわけないわ」
「それはどうだろう? そこのところじっくりと話したいから、場所を変えようと言うんだ」
五條は高原の発言を遮り、変わらぬ笑顔で再び、
「外じゃなくても、この家の一階、広いスペースがあるだろう? リビングでも何でも。そこでいいんだ。お互いゆっくりと、ゆっくりと話し合おう」
そう言って、五條は首にかけたロケットを、高原に向けた。
高原は一瞬、それがなんだと言う風に訝しんだが、すぐにそれがなにであるか察知した。
「……わかったわ。おたがい、"へいわてき"にはなしあいましょう」
†
「ッ…………!!」
身を焼かれるような痛みで、和也は起き上がる。そのせいで、塞がりかけていた傷が再びぱっくりと開き、血が滲み出た。
「く……!!」
「あっ、いけないです! まだ完全に治ってないんですから!」
聞きなれない声に和也が首を向けると、そこにはクローバー柄の髪留めをした、中学生程度の身長の少女が立っていた。少女は必死に和也を制止し、立ち上がらせまいとしている。
「き、君は……?」
「やっと気が付いたか、辻本君」
今度は聞いたことのある声を聞き、和也はゆっくりと立ち上がった。
目の前に立っていた、いや座っていたのは、"あの時"高原だったものを退治した、瀬川と名乗った男。同時に、ついさっきまで自分が疑りをかけていた人物。
だが、それが間違いであることを、和也は既に把握していた。
「……すみません、あの時は、勝手に飛び出して……」
「まあ、仕方がないよ。それが普通の人間の反応だ。むしろあそこで逃げていなかったら、僕は君を蟲と間違えて殺してしまったかもしれない」
「…………!!」
和也は、その言葉に寒気立つ。ぼそりと呟く瀬川に、和也の看病をする柚樹は、
「せ、瀬川さん!」
「ははは、冗談だよ。悪い冗談」
瀬川は小さく笑って立ち上がると、呆然と立つ和也の肩を押さえ、まるで座りなさいとでも言うように微笑んだ。
和也は、今度は素直に言うことを聞いた。
「まさか、まだ蟲が生きていたとはね。五條さんと静馬君の連絡がなかったら、一時はどうなるかと思ったわ」
雪村は壁に頭を預けながら、溜め息をつく。
「でも、まだ終わったわけじゃないですからね。五條さんが時間を稼いでくれている間に、何とか対策を立てないと……」
「時間稼ぎ、ですか?」
静馬は、瀬川に問う。瀬川は語を継いで、
「五條さんの力を以てしてでも、あの蟲が倒すことは不可能といっていいだろう。しかも僕たちの中には今、《封鎖能力》を持つ仲間はいない。だから、蟲を殺す、閉じ込める以外の方法を考えなければならない」
「それ以外、ですか……。あるんですか?」
その問いかけには、瀬川は水平に首を振る。
「残念ながら、今のところはない。ただ、一つ希望を持つとすれば……、静馬君の能力が開花するくらいかな」
「……え? ぼ、僕の!?」
驚く静馬に、雪村と瀬川は言葉を並べる。
「そうよ。今一番期待を持つとなれば、静馬君の能力が判明するって事なの。どうやら静馬君は、五條さんでも見たことのない能力を秘めているというからね」
「それに、静馬君はなによりも鋭い観察眼を持っている。前の事件だって、静馬君がいなければ迷宮入りしていたところだったからね」
「は、はぁ……」
静馬は、本当に自分がそんな力を持っているのか、と言う風に、肩を降ろす。
「言っておくけど、私は認めないからね、そんなの」
静馬の背後からそう突き返したのは、左足にブーツ越しで包帯を巻いているエリカだった。
「こんな情けない顔してるひょろっひょろの男に何が出来るって言うの。私は絶対認めないわよ、そんなの。私ごときに突き飛ばされるような奴が、あの蟲を殺せるわけがないじゃない」
「エリカさん……」
「人の名前を軽々しく呼ばないでくれる? 蟲と満足に闘うことも出来ないまだまだひよっこの<インセクター>が」
罵詈雑言を吐露するエリカに、静馬は少し苦笑する。
「ははは、全くその通りです」
「………………」
エリカは不機嫌そうに、ぷい、とそっぽを向いた。
「……!! そうだ、宗太はどこだ!?」
思い出したように沈黙を破ったのは、和也。
「安心してくれ、そこに寝てるよ。傷は思ったよりも深くないみたいだ。本当に、後で殺すつもりだったんだろう」
和也が瀬川の指差す方向を向くと、そこには同じく腹部を包帯でぐるぐる巻きにされた、宗太の姿が確認できた。厳しい表情を浮かべながらも、ゆっくり寝息を立てている。
ほっと安堵の溜め息をつくと、和也は瀬川のほうへ向き直った。
「すまねえな……。とんと迷惑をかけてしまって……」
「いや、そこまで悲観的になることはない。むしろ、君が飛び出したおかげで、得られる物だってあるかも知れないんだ」
「?」
当惑する和也に、瀬川は話し出す。
「君がこの家に来てから、僕たちがここに到着するまでの間。それまでにあった不審な現象や言動、何か思いあたらフシがあったら、僕たちに教えて欲しい」
「言動って、高原の?」
「そうだ。何か不可解な行動や、倒すための糸口になる言葉があったらいいんだけどね」
和也は少し唸ると、再び立ち上がる。
「……ちょっと、一人にしてもらえないか? 今度は、逃げないからよ」
「ああ、構わないよ」
そう言うと、和也は厳しい表情で、部屋から出て行った。
†
月影のさしこむ、部屋の一角。
和也はそれを眺めながら畳に座り、、物思いに耽っていた。
自分が犯した、大きなミステイク。瀬川は別に大丈夫だといっていたが、間違っていたとなるとそこは和也の小さなプライドが許さなかった。
それに、自分のみならず宗太までもがその被害にあったという、友人に対しての罪悪感。それもまた、和也の性分である陳腐な正義感に起因するものだった。
「…………」
今階下では、五條が自分達のために時間稼ぎをしてくれている。それを考えただけでも、和也の心中は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だが、今はそれを危惧して言う場合ではないと、瀬川は言う。
和也はできるだけ、情報を思い出さなければならない。高原を倒すために、その高原の放った言葉の端々を一つ残らず。それはかなりの苦であって、決して楽なものではなかった。
「何を言ってたって言うんだよ、クソ……」
その文句のぶつけどころは、瀬川たち<インセクター>と名乗るものたちではなく、自らの記憶さえも掘り返せない和也自信だった。
情景を思い出せるには、思い出せる。しかし、高原が何を言ったかまでは、頭が回らない。動揺していて、高原が何をしていたかも忘れそうになる。
いざと言うときに頭が回らない自分に、和也は憤慨した。
「こんちくしょうが!!」
和也は怒りを込めて、畳を思い切り殴り飛ばした。床は若干軋んで、それだけ。
それと、その音に驚いた、一人の人物がいた。
「うわあ!? な、何してるんですか!?」
「……え? あ、あんたは……」
「あ、えっと、海部津静馬です。ちょっと、聞きたいことがあって」
驚きの表情を浮かべながら、静馬は和也の隣に座り込む。
「聞きたい……ことって?」
「ああ、本当にちょっとしたことです。和也君と高原さんの関係についてなんですが、何か特別な関係でもあったんですか? 例えば、昔からの面倒見役とか」
その質問を聞き、和也は気を持ち直して答える。
「あいつは俺の幼馴染だ。俺の記憶の中に、あいつのいなかった記憶なんてないね。暇さえあれば俺に突っかかって来た。ま、腐れ縁って奴かな」
「そう……ですか。それじゃ、和也君は高原さんのことを特に気に留めていなかったんですね?」
「ん、まあそんなところだ」
「もう一つ。それに対して、高原さんは和也君に好意を寄せていた、なんてことは?」
「……さあ、聞いたことねえな。俺も特に興味がなかったし、元々あいつからはそろそろ離れてえとは思ってた」
「と、言うと?」
和也は少し悲しそうな表情を浮かべると、一瞬間を置いて続ける。
「具体的に言えば、あいつに離れて欲しかったんだ。多分、昔からあいつには勉強教えてたりしてたから、それで引っ付いてくると思ったからよ。だから、色んな理由をつけてあいつとは一緒に帰らないようにしてたりとかあった。……親心ってでも言うのか? なんか、あいつには離れて欲しいが、見放したくはねー、みたいな、そんな感じだ」
「………………」
「なんつーかな。あいつは俺が面倒見なきゃ生きていけない、までは行って欲しくない。ただな、本当に言葉が見つからないんだが…………。……悪い、本当に分からねーよ」
「いや、十分だよ。ありがとう」
「…………へっ?」
静馬の思いもよらぬ返答に、和也は目を丸くする。
「それだけでも、情報は十分だ」
「十分って、ただ高原のこと話しただけだぞ? それで何が分かったって言うんだ?」
少しの沈黙の後、ひとつ。
「彼女の、倒し方だよ」
「…………!?」
さらに驚く和也に、静馬は告げる。
「大体思惑通りだったけど、やっぱりそうだ。彼女――――高原さんを倒す方法が、ようやく現実上で理解できた。それには和也君、君の力がどうしても必要になる」
「俺が?」
「そう、君がだ。こうなると、ぐずぐずはしていられない。一刻も早く瀬川さんたちのところへ戻って説明して、早く一階に降りて五條さんの……」
瞬間。
ずしん、
と、頭の奥にまで響く重い音が、足元から震えて伝わってきた。
それはまるで、人間の身体を鉄塊か何かで打ちのめしたような、鈍い音。
そして、静馬はすぐにそれを察知した。
次の瞬間、嫌な予感が静馬の脳裏を過った。
「五條さん…………!?」