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四戒

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 上空に昇る黒紫色の煙は、そこからも見えていた。

「ん…………?」
 呻きをあげて視線を移したのは、ソーマ。
 暫しエリカの鉈を剣戟を交えた後に舞い上がった煙を見て、顔を怪訝にしかめる。
「あれは……何だ?」
「余所見出来る余裕があるのかしら?」
 ソーマが考える暇もなく、地中から過量の鉈が噴出してくる。程なく軌道軸を逸れると、またしてもそこに待ち構えていたと言わんばかりに飛び掛るエリカ。
「あのですねえ」
 ソーマは小さく溜め息をつく。
「あなたには状況判断というものは出来ないんですか?」
「そんなものは最後に立つ者だけが知るのよ」
 エリカは傲慢に言い放ち、ソーマと距離をとると、一瞬のうちに肉薄する。
 砂塵を大きく巻き起こし、砂燕のように距離を詰めるエリカ。
「やれやれ…………これ以上あなたに"説得"を試みるのは無理そうですね」
 直後、空気を切り裂く音が激しく鳴る。
 そして、"ぐちゃ"、と不明瞭な音が響く。
 音を上げたのは。
「……!! この…………!!」
 ソーマの右腕が深々と突き刺さる、エリカの左足。
 瞬間、右腕に握られていた鉈があと少しでソーマの心臓を抉る、というところで止まり、だらりと垂れ落ちる右腕とともに地面へと自然落下する。
 片軸――力源の左足を失って、その場に崩れ落ちるエリカ。ブーツごと抉られた左足は即座に多量の"蟲"へと姿を変え、幻影のように薄くなって消える。
「うぐ…………」
 その口から漏れ出したのは、あまりにも弱々しい呻き声。
 震える左腕で何とか肘をつき、呼吸を激しくさせながら頭上のソーマを睨む。
「おや、予想外の痛手でしたか?」
 ふふん、と鼻を鳴らして笑うソーマ。
「何であんたがこのことを……」
「僕があなた方の力を知らないと思っていたのですか? もちろん事前に調べさせていただきましたよ。過去の戦歴から<インセクター>になる馴れ初めまで…………もちろん、能力の弱点も全て」
「……小賢しいにも程があるわね」
「その言い方は頂けませんねえ。用意周到、と言って頂けませんでしょうか」
 と、面妖に微笑むソーマ。
 その正体を知らなければ、好青年の純真な笑顔と取れないこともないだろう。
 ただその素性を知れば、その奥に潜むのは冷酷非情な本性。
「とりあえず、もうあなたには用はありません。どうぞ《神蟲》の血肉となって生きなさい」
 そう言うとソーマは右腕を後ろに構え、次の瞬間にはアッパーカットを繰り出すように地面越しにエリカを空中へと跳ね上げる。
 瓦礫と共に、面白いように宙を舞う。
「ぐっ…………!!」
 神経を引き裂くような痛みに襲われながらも、エリカは重い瞼を開ける。
 開かない方が良かった、と感じそうになりながらも。



 視界の中に、《神蟲》が映る。
 憶測の距離は五十メートル。《神蟲》ならば、一瞬で詰められそうな距離だった。

「……………………!!」

 苦痛と恐怖に歪む表情。
 もはや自制心が働かず、エリカは一瞬で背筋が凍るのを感じた。

 目と鼻の先には、こちらに目線をくれる《神蟲》。
 痺れて動かない身体。
 脳裏を過る恐怖。
 引き攣る顔。
 震え上がる肢体。
 滲む視界。










 そして…………残酷なまでの"死"の恐怖。


「あ…………ああ……………………」

 エリカは自分が"最も畏怖するもの"を目の当たりにし、弱く漏らす。
 悲痛な叫びが恐怖に押し潰されて、言葉を失くしたように。エリカは、明確な死を覚えた。
 眼前の《神蟲》が、徐々に姿を大きくしていく。
 火傷で引き攣ったように動こうとしない身体。


 もう…………駄目か。
 私は、死ぬんだ。




 そう、エリカが弱気になった考えた時。




「エリカさんっ!!」
「……………………!!」

 目で確認できない下界から聞こえてきたのは、静馬の張り裂けるような声。
 瞬間、エリカの意識がはっきりと戻った。
 エリカはゆっくりと、目を瞑る。
 この目で確認することは出来ないけど、声の主の表情は大体予測できる。
 私が…………駿河エリカが。



 ――――いっちばん、嫌いな声だ。




 エリカは空中で体勢を整えると、目を見開いて目前まで迫った《神蟲》と対峙する。
 辺りに、鉈を発生させられるものはない。
 もう能力は、使えない。
 だけど。

「エリカさん、大丈夫ですか……!?」
「あんたの心配には及ばないわ」




 こんな奴の前で、誰が醜態を晒せるのか。



「そうよ。私は――――誇り高き"《破壊者》"。弱音を吐くなんて、許されない」
 エリカは誰にも聞こえない小さな声で、独白する。
「例えどんなに不利な状況でも、死ぬ直前だとしても――――」

 その身体を、《神蟲》の口が覆う。








「――――"関係ないわ"」


 
 エリカの姿は、《神蟲》の口の中に消えた。

「エリカさぁぁぁぁんっ!!」
 静馬の叫びも空しく、エリカの姿は消える。
 それは静馬にとって、大きな希望の光を失ったに等しいことだった。

 しかし、それを悲しむ暇もなく。






 "ぼぎ"、







 と、重く湿った音が鳴る。
 静馬は自らの脚部に激しい痛みが迅るのを覚え、ゆっくりと目を下に向ける。
 血が飛び散った瓦礫。
 砂埃を被った地面。
 そして、特に何も変わった様子のない自分の足――――






「……………………………………」


 血の気が失せる顔面。
 膝から爪先にかけて、激しい痛みが訪れる。
 消える感覚。
 かすかな違和感。
 筋が切れたように、足が痙攣する。
 縺れそうになる足。
 持ちこたえようとする足。
 鈍痛とともに隠し切れない違和感が露になる足。
 小刻みに震える腕。
 渇く口腔。
 無意識に見開かれる眼球。
 血が垂れる体中の傷。
 真っ赤に染まる足。
 血が溢れて血の色に塗り潰される爪先――――







 ではなく。







 "踵"が、前を向いていた。

「うぐァァあああああああああああああああああああああッ!!」

 何が起こったのか考える余裕もない。
 脳幹を支配する、痛み、痛み、痛み、痛み、痛み、痛み。
 ありえない方向へ"ぐにゃり"とひん曲がる足。平衡感覚を失い、顔面から地面へと倒れこむ静馬。うつ伏せになりながらも空中を向く爪先は、夥しい量の鮮血を流しながら引き攣って微動する。
 口の中が血で満たされて鉄の苦い味を感じる。それを塗り潰す勢いで、静馬の脳内を痛覚神経が駆け巡る。叫び声さえも覆い尽くすほどの疼痛が全身を一刹那にして支配し、その連鎖的に繰り返されるきりきりとした激痛は、喩えようがないくらい鋭く静馬に襲い掛かった。
「ああああ………………ああああああああッ!!」
 寒さに震えるよりも速く歯ががちがちと悲鳴をあげ、眼窩からはとめどなく必要量以上の涙が溢れ出して地面を滲ませる。まったく傷のついていない両手の平までもが傷だらけになった幻覚に襲われ、静馬の視界では真っ赤に染め上げられた両手が僅かに震える。悲痛な叫び声を繰り返しながらも静馬は意識を何とか保たせ、自らに起こった異変をようやく察知する。

 足が――――膝から先が"逆"になっている。
 膝関節の所で足が骨を軸にして一八〇度違う方向を向いており、膝から先をもぎ取られたように静馬は足の指を動かすことさえ出来なくなった。
 その代わりに大腿部に連なる、火箸を突き刺したような痛み。

「…………………………………………!!」
 血が滲むほど下唇を噛み締めて、これ以上叫ぶまいとする静馬。
 そんな凄惨な状況に陥った静馬の元に、一つの影が降り立つ。

「さすがに足の自由を奪えば、もう動けやしませんね」
 声の主――――ソーマは包帯をした右手から血滴をしたたらせながら、微笑む。
 静馬は目線足元にか見えない相手に対して、歯噛みする。
「僕の…………自由を奪った………………所で……………………何……の………………得があ…………る…………?」
「大いにあります。邪魔が一人減る、それだけのことです」
 ソーマは見下すように鼻で笑うと、静馬の視界の外へと消える。
「それに…………」
 しゅる、と包帯を解くような音がソーマの声に重なって響く。
「まだ、邪魔者はいますからね。そうでしょう?」
 そう言って、





「――――"五條"」
 少し離れて傍観する五條を、ソーマは強く睨んだ。
「………………すまない、静馬君。君をこんな目に遭わせてしまって」
「五條…………さん………………」
 息も絶え絶えに、姿の見えない五條に言葉を返す静馬。
「君は必ずこの僕が助ける。絶対に、必ずだ」
「おやおや、随分と自信ありげな言葉ですねえ」
 侮蔑するように言うソーマ。
「あなたの両腕には気絶した<インセクター>が一人。そして眼下には瀕死の<インセクター>が一人。どう考えても、あなた方に勝ち目は」
「君は、勉強熱心らしいね」
 それを遮って、五條は語り始める。
「は?」
「僕たち全員の能力を調べて、さらにはその弱点までをも正確に見抜き、為すべき対処を施した。実に素晴らしく計画性のある行動だ。参謀役である僕の立場からしても優秀すぎるくらいで、君の仕事っぷりには脱帽だよ」
 五條はにっこりと微笑んで、続ける。
「だけど、果たしてこれはどうだろう」
「………………?」
 五條の言葉の意図がつかめないのか、表情に疑問符を表すソーマ。
 そんな様子のソーマをせせら笑って、五條は言葉を紡ぐ。



「君はまだ知らない。《破壊者》に秘められた、もう一つの力を」
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「秘められた力?」
 怪訝に眉をひそめるソーマ。
「聞いたこともありませんね、妄言ですか?」
「さあね。信じるかどうかは君次第だ」
 五條は弄ぶように、微笑みを浮かべながら言う。
「まあ、いいでしょう。直にそんな事はもう、関係なくなりますから」
 同じく笑いながら吐き捨てると、ソーマはじりじりとゆっくり後退する。
 そして、空中を見上げたかと思うと、目線を《神蟲》へと合わせ、声高々に言い放つ。

「《神蟲》!! この邪魔なインセクターなど喰い尽くして――――」





 その時だった。





 耳を劈く、重い悲鳴のような《神蟲》の唸り声が、ソーマの言葉に重なって響き渡った。感覚で感じ取れるほど大気が震え、瓦礫の山が音を立てて崩れ落ちていく。
 《神蟲》は、眼球を黒に染め上げながら呻いていた。
「ッ………………!?」
 最も大きな驚きを浮かべたのは、ソーマ。
 自分が封印を解いた《神蟲》が言うことを聞かないはずはない。必死になって調べ上げた結果、封印を解いた者の意思に《神蟲》は従うと、確かに記されてあった。それは本当だ。
 ならばどうして……僕の意思に従わない!?
 ソーマは冷静に考えようとしたが、それ以上の混乱が思考を埋め尽くした。
「だから、言っただろう? あ、いや、言ってなかったか」
 そんなソーマに、五條はたしなめるようにして言う。
「――――君の考えていることなど、"予想できる"」
「何を知った口で…………!!」
 ソーマは歯をぎり、と鳴らし、表情に激昂を浮かべて五条を睨む。
「……気が変わりました。あなたは最後に取っておくつもりでしたが、特別に今ここで排除して差し上げましょう!!」
 饒舌にそう言い放ち、ソーマは包帯を解いて右腕を掲げる。

 しかし。



 そこには、右腕が"ない"。
 正確に言えば、右肩から先がない。

 もっと、正確に情景を描写するならば。








 ソーマの右腕は、《神蟲》に喰われていた。


          †

「…………静馬くん」

 弱々しい声が静馬の背後から聞こえたのは、《神蟲》の咆哮の直後だった。

「…………せが……わ……さん…………?」
 その言葉に、静馬は少なからず安堵を覚えた。もういなくなってしまったと嘆いていた人が、本当は生きていた。どんな形であろうと、大切な人が生き続けているのは嬉しいことだ。
 しかしそれも、束の間。
「済まないけど……僕はどうやらもう"限界"みたいだ……」
「?」
 瀬川の言葉に、静馬は首を傾げる。
 いきなり言われても、何が限界なのかが理解できなかったのだ。
「地下室が壊された直後に……僕は<傀儡師>によって致命的、いや死同様のダメージを受けた。あの程度の衝撃で動揺したばかりに…………このざまだ。もう、何も見えない。何も聞こえない。痛みさえも感じない。ただ、そこに静馬君がいるような気がして、今こうやって話しかけている。……返事は、いらないよ。もとより、もう何も聞こえないからね」
「そ、そんな………………」
 そんなことがあるはずはない、と静馬は反論を述べたかったが、語りを続ける瀬川の声は致命傷にも拘らずひどく落ち着いているようで、悲しい声だった。
 静馬はそれ以上言葉を発さず、瀬川の声に耳を寄せる。

「…………惨めなものさ。結局僕は自分のトラウマを最期まで克服することが出来ないままだった。人を殺すことなんて、僕には出来なかったんだ。無理なんだ、もう。<インセクター>として戦っていくことも、一人の人間として生きて行くことも。
 僕は、弱い。そう断言できる。
 こんな力、見せ掛けの力だ。これがなければずっと前に、僕は死んでいただろう。
 僕は<インセクター>として、精神を強化することが出来なかった。


 いつまでも殺すことの恐怖におびえていた。

 いつまでも人が死ぬことの恐怖におびえていた。

 いつまでも付け焼刃の力に頼っていた。

 いつまでも心が弱いままだった。

 だから僕は今こうして――――死のうとしている」
「…………………………………………」
「死ぬことなんて怖くない。そうじゃなくて、僕は人を殺すのが怖かったんだ。自分の手で、この地球に生きている一人の人間が死んでしまう、ということが。
 …………とんでもない、エゴだね。普段からたくさんの命を喰らって僕は生きているというのに、同種族を殺すとなるとそこには躊躇いが生じる。弱いはずだよ、こんな人間。僕は<インセクター>としても、一匹の生き物としても失格だ」
 瀬川の声は、徐々に力をなくしていく。
「だから静馬君には、僕の分まで生きてほしい。《雑貨屋 アトランジェ》はもう…………恐らく焼き払われている可能性が高いだろう。だから五條さんの元で、<インセクター>としてこれからも生き続けてほしいんだ。勝手なお願いかもしれない、けど。


 ………………今までありがとう、静馬君。



 …………………………………………………………
 ……………………



 あと、もう一つ。
 静馬君には、僕の…………」

 静馬は何も言わずに、姿が見えない瀬川の最期の頼みを聞いた。

 その後すぐに、瀬川の声は聞こえなくなった。

          †

「ぐあっ――――!?」

 片腕の自由を奪われたソーマは、顔を恐怖に歪めて呻く。ソーマの右腕は肩口まで全て、《神蟲》の口の中に消えていた。
 顔のすぐ横で《神蟲》が雷鳴のような唸り声をあげ、唾液が飛沫となってソーマの顔に飛び散る。
「一体……どういうことです!?」
「ははっ、簡単なことさ」
 焦燥の声を漏らすソーマに、五条は諭すように優しく言う。
「"耐え難い恐怖"に襲われた《神蟲》が、エリカ君、それに"葉月"の力も加わった事で暴走して、主であるはずの君を喰らった――――ただそれだけのことだ」
「それだけのことの中に、理解しかねることがあるのですが」
 ソーマは身体の自由を《神蟲》に奪われたまま、視線を鋭くする。
 鮮血の代わりに垂れ落ちる、"蟲"。
 《神蟲》はソーマに接触したまま、機械の駆動音のような重い声を放ち続けている。
「なあに、君はそこまで心配することはないよ」
 五條は軽々しく言うと、ソーマの元へと歩み始める。
「君の運命も、僕の運命も……既に決まっているんだから」
 その台詞に、ソーマは忌々しげに舌打つ。
「……あなたも『運命論』ですか。苛立つ人ですね」
「何とでも言うといいよ、口が聞ける間はね」
 五條は三メートルほど距離を開けて向き合うと、ポケットに両手を入れてその場に屹立する。
「それは一体何のこ――――」
 ソーマが訊ねようとした、その瞬間。


 その空間が崩れてしまいそうな轟音が鳴り響いたかと思うと。


 《神蟲》の、その半ば人間の腕の形をした脚が、ソーマへと伸びる。
 そして、乱雑に身体を鷲掴みにする。
「ッ………………!?」
 ばきぼき、と骨が滅茶苦茶に折れる悲惨な音がして、ソーマは苦痛に顔を歪める。喰われていた右腕を引き千切られて、ソーマの身体は《神蟲》の脚と共に空を裂く。一度、瓦礫の山にソーマもろとも脚を突っ込むと、《神蟲》は自らの大口の前へと、ソーマの姿を露にした。
 それはまるで、獲物を手にした猛獣のように。
 《神蟲》はソーマの身体をがっちりと固定して、今にも喰わんと口を僅かに開閉させる。
「くっ…………」
 傷だらけになりながらも、剣呑な眼差しを向けるソーマ。
 その目にはもう、策士を思わせる不敵な感情は汲み取れなかった。
「全ては、運命の名の下に」
 五條はゆっくりと、聖書を読み上げるように呟く。
「全ての生と死は、神によってあらかじめ決定されている。人間はそれを延ばすことは出来ないが、縮めてしまうことはとても容易い。その方法はいたって簡単」

 滑らかに、冷淡に。


「――――"神"の下で、命を捧げる」


 その言葉に誘発するようにして。
 《神蟲》の口腔が、大きく開かれて。




 ――――グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!




 と、鼓膜を破る勢いの咆哮が鳴り響き。


「うわあああああああああああああああっ!!」

 悲鳴に似た叫びと共に、ソーマの姿もまた、《神蟲》の中に消えた。

 すぐに声は途絶えて、《神蟲》は五條に向き合う形になる。
「……………………」
 五條は表情を厳格なものにして、《神蟲》から目を逸らさない。
 約二メートルほどの間隔をあけて、睨み合う両者。
 それでも、五條の目には、若干の余裕が。《神蟲》の眼には、"恐怖"が浮かび上がっているように感じられる。
 戦慄が走る、一空間。


 そこへ、もう一つの生き物が"足"を踏み入れる。


「…………………………」

 言葉を発さずに、ゆっくりと地面を踏みしめて歩く影。
 その両足は、凄まじい量の"赤い蟲"で覆われている。
「静馬君」
 五條が少し声を震わせて迫る影の名を呼ぶと、そのシルエットは静かに首をもたげる。
「あとは《神蟲》だけですか」
「………………うん」
 静馬のひどく明瞭な声は、戦慄を微かに増幅させる。
 五條は静馬の足に見られた"赤い蟲"を確かめると、少し悲しい顔で俯いた。
「やはり、祐一は…………」
「はい、残念ですが、もう……」
 静馬は声色を変えずに言うと、だん、と地面を強く踏み、五條と《神蟲》とで三角形の頂点を作るように立つと、蒼白な顔を強くひそめ、口許を吊り上げる。
「ですが、これ以上悲しんでいては先へ進めません。倒しましょう、《神蟲》を」
 五條は頷くと、静馬の右手に視線を向けた。

 そこに着けられていたのは、古めいた"黒い手袋"。







『静馬君には、僕の力を受け継いでもらいたい。もし静馬君の身体に損傷があるならば、"彼ら"はそれを補ってくれるだろう。…………僕の分まで、戦って、生き延びてくれ』



「…………はい」

 静馬は赤く覆われた足を強く踏みしめて、《神蟲》を射るように睨んだ。

 そして――――







「……………………いよいよ、かな」

 その光景を見届けていた"もう一つの影"は、一歩ずつ、彼らの元へと歩き始める。
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