演劇の役者は現れて
刹那、
ぶわ、
と、一挙にして宗太の前に"赤い蟲"が押し寄せた。
それは眼前の惨状を一気に飲み込んで、焔のように蠢きあった。
「ひっ……!」
宗太は眉根を寄せて呻くと、一歩後ずさり、腰を落とした。
歯が、がちがちと音を立てる。足が目に見えるほど震え、立ち上がることも儘ならなくなる。
先程まで目の前にいた"半ば人間の形をしたもの"には紅蓮のような蟲が群がり、原型が殆ど見えなくなるほど、表面にびっしりと張り付いて蠢いていた。
眼球が涙で溢れて視界が霞み、殆どその光景は見えなくなったが、横にもう一人、今度は"人"の気配を感じた。
そして、
『消え去れ!!』
誰か男性の声がしたかと思うと、赤い蟲がその動きを一瞬止めて――
"ぶち"、
と、人間の皮膚組織を丸ごと剥がしたような、嫌な音がした。
同時に群がる赤の所々から、蟲とは違う色の鮮血と脂とが混じった、どろっとした液体が垂れ落ちて――
――――ぐゃあッ!!
蠢く蟲の中から、濁った悲鳴が漏れ出した。その脳幹を貫く叫喚で、宗太は無意識のうちに耳に手をやった。
それのおかげで意識が冴え、視界がはっきりし、横に立っている人間の像が次第に浮かび上がってくる。
風変わりなジャケットを着た、顎に薄くひげが生えた面立ちの、成人男性。彼は宗太の方をちらりと見やると、再び蟲のほうへ目を向けた。
そんな男の容貌を確認していくうちに、宗太は卒倒しそうなほどの眺めを確認した。
至って恒常的な男の姿。
多少風変わりでも、特別変だとは思わない人間。
……その右腕から湧き出している、おぞましい数の"蟲"。
思い思いの赤に色づいた、膨大な量の蟲。
「…………!!」
吃驚して言葉も出ない宗太を横目に、男は呟くように漏らした。
「説明は後だ」
そういうと男は、その右腕を更に高く掲げた。
比例して、蟲の勢いもいっそうと膨れ上がる。目の前の"異物"が上げている声も、一段とトーンが増した。男の顔が若干、歪む。辺りの空気は肉の腐った臭いと血なま臭いもので包まれた。
あまりの悪臭に宗太が鼻をつまんでいる間にも、悲鳴が幾度と入り混じりながら、"異物"は次第に形を崩してゆき、小さくなった。
その悲鳴も聞こえなくなった頃、"異物"は姿を消して、辺りには暗赤色の蟲だけが残留した。
再び、沈黙。
周りの世界がが元に戻って、断たれていた鳥の声も聞こえだした。一つの絵画と化していたような風景が、再び動きを取り戻して揺らぎ始めた。
宗太は、どうすることも出来なかった。何がどうなっているのか、理解しかねた。ただ一つ言えることは、"自分がわけの分からないモノに遭遇した"と言う事実だけ。
心臓がはちきれんばかりに脈打ち、動悸に襲われたように胸が苦しむ。
辺りを見回してみても、在ったのは次第に姿を消す蟲の群れと、肉の焦げた臭いがする黒い地面だけだった。
そうやって宗太が口篭っているうちに、傍に立っていた男は、ふう、と溜め息をついて、宗太の方を見た。
宗太が視線に気付くと、男は少し微笑んで口を開いた。
「中山……宗太君かな? 君に、いくつか聞きたいことがある」
「お、俺に? 何の用で?」
宗太は少し間抜けた声を上げた。最も身近な個人情報である「名前」を見知らぬ人物に知られているとなると、宗太の少し残念な頭ではこれ以上思索が回らなかった。
今しがた眼前で起こっていたことが全て嘘だったかのように、男は口元を緩めた。
「君が求めていた、霊能者とやらさ」
「……!」
その言葉を聞いて、宗太の心は若干踊る。それもそのはず、まさに現在最も望んでいるものが目の前にいるのだ。宗太としては、これを拒むことは考えられなかった。
しかし、潔く甘んずるという事もない。その心には期待は勿論だが、むしろ今となっては不安が立ち込めている。まさか本当に霊能現象のようなものが現実に存在するとは、宗太は考えてもみなかった。そう思うとその"霊能者"と名乗る男のことが次第に怪しくなり、欺瞞の念が脳裏に浮かぶ。
されど、宗太に選択肢はないようだ。
男の右手に連ねられたままになっている、赫い群集を見て宗太は決心した。
「俺に出来ることなら、聞いてください」
†
ちょうどよく見つかったタクシーの中。
「つまり、今向かっている……ええと、何て言うんですか」
「呼び名は特にないけどね。<ブランチ>って呼ぶ人もいるけど、それぞれ適当なの」
「は、はぁ……そうですか」
二時間ちょっとの休息も間もなく、目的地の駅に着くやいなや雪村は流れるように行動を始めた。
事前連絡を電車内で前もって済ませた後、しばらくこの辺りには来ていなかったのか、雪村は駅周辺のタクシー昇降場の場所を地図とも観光マップともいえない微妙な紙面で確認していた。そして今から行うことの旨を静馬と柚樹に事細かに伝えて……
静馬はめずらしくあくせくしている雪村を見た気がした。めずらしい、と言えるまでずっと共に行動しているわけではないのだが。
静馬は横で寝ている柚樹を起こさないように、少し声を潜めて助手席にいる雪村に話しかける。
「それで、その今向かってる<ブランチ>は、雪村さんの知り合いなんですか?」
そういうと、雪村は少し困ったような顔をして、答えた。
「うーん、正確に言えば瀬川君の知り合いなのかしらね? 私も知り合いといえば知り合いなんだけど、瀬川君のほうが密接かも」
「ははぁ……」
雪村のよく分からない回答に、静馬は少し唸った。
「結局、どういうことなんですか?」
静馬のその問いに雪村は少し躊躇ったが、やがて決心したように話し始めた。
「瀬川君はね。昔、この地方で<蟲>の被害に遭ったの」
「……!」
一呼吸置いて、雪村は続ける。
「もう何年も前――私が"まだ"、現役の<インセクター>だった頃の話になるんだけどね」
「現役? 雪村さんにも最前線で戦っていた時期があったんですか?」
「ふふ、今でこそこんなに落ち着いているけど、昔結構評判だったのよ?」
そういえば静馬も瀬川に聞かされたことがある。雪村は現在サポート役の<インセクター>だが、昔はかなり強力な戦闘能力を持った<インセクター>として有名だったらしい。性格も今とはまるで逆で、冷酷非情極まりないものだったという。
しかし今の雪村の姿を見ると、静馬はどうも雪村が昔そのようだったとは思えない。
「今じゃ考えられない、そう思ってるでしょう?」
「え。あ、いや、その……」
まさに核心を突かれた静馬は、思わず動揺する。雪村は白く透き通ったような顔に微笑みを浮かべると、再び話を戻した。
「それで、私は<蟲>の発生を聞きつけてここに召集されたの。でも集まった<インセクター>はたったの三人で、戦闘に参加できたのはその中の僅か二人だけだったのよ」
まるで冗談でも言っているように、雪村は朗らかに話す。
「当時は気付いていなかったけど、当時大学生だった瀬川君が私達を不審者と思ったのか、私達の後をこっそりストーキングしてたらしいのね。それで、彼は<蟲>の存在を知った。私達がちょうど<蟲化>した"モノ"と対峙しているときに、彼は運悪く現れた。……あ、その角をを右です」
雪村はちょくちょく運転手の詰問に答えながら、続ける。
「私達は何とか瀬川君を庇ったけど、とうとう彼は<蟲>に喰われてしまったの。その後しばらくして<蟲>は絶えたけど、瀬川君は決して無事と言える状況ではなかったわ」
「……無事じゃない、というのは?」
雪村は少し顔をしかめて、言いにくそうに口を開いた。
「右腕は、もう"なかった"。体中の傷と言う傷から血が流れて、生きているのが不思議だったわ」
タクシーの運転手の怪訝そうな表情も気に留めずに、雪村は言葉を紡ぐ。
「幸いメンバーの一人に治癒能力を持っている<インセクター>がいたから、瀬川君は奇跡的に一命を取り留めた。だけど、彼には大きな後遺症が残ったの。<蟲>という、大きな後遺症が」
「それで、瀬川さんは……」
「<インセクター>、になったってこと」
しばしの沈黙が車内を包む。車の外では次第に雨粒がぴちぴちと窓ガラスを叩き始め、やがてガラス一杯に水滴が付く大雨が降り出した。
静馬は視線を窓の外に移し、舞い落ちる雫を眺めた。その向こうでは、だだっ広い田畑の中にぽつぽつと住宅が点在し、さながら田舎町という言葉の似合う風景が段々と広がりつつあった。
少し開いた窓からは湿ったアスファルトの臭いと擦れたタイヤゴムの臭いがして、静馬は軽く咳き込んだ。
運転手と雑談をしていた雪村は、ふと何かを思い出しように話の相手を静馬に移す。
「そういえば、静馬君は最近変わったことはない?」
「変わったこと、ですか? いえ、特には」
「ま、それが普通だけどね。<インセクター>になる確率はそれほど高いものでもないから」
「はぁ……」
静馬は、既に瀬川から「蟲に直接関わったものは必ず何らかの形で<インセクター>となる」と聞かされていたので、その言葉を真正面から受け止めることは出来なかった。だからと言って真っ向から否定することは出来ないので、ぐっとその言葉もろとも喉元から奥に飲み込んだ。
雪村は膝の上に置いてあった地図を確認すると、鞄の中から黒い革の財布を取り出した。
「それじゃあ、この辺りで大丈夫です」
見ると、既にタクシーは下町でよく見るような商店街の傍に止まっていた。
静馬は隣にいる柚樹を軽く起こすと、ドアを開けてもらうまでもなく自分からレバーを引き、ドアを開けた。雪村は表示料金ちょうどを財布から出して、運転手に手渡す。そして、静馬に少し遅れて雪村、柚樹とがタクシーから身を出した。
時間は大分経過したのか既に雨は小降りになっていて、静馬の髪の毛をつうと、雨粒が伝った。
「ここに目的の<ブランチ>があるんですか?」
「そうよ。歩いて五分ぐらいだからすぐ着くわ。だけど、それよりも……」
急に、雪村は声を潜めた。不安げに思った静馬は、即座に訊ねた。
「な、何か不安なことでも?」
「瀬川君のことよ」
「あ……」
ここにくるまで静馬は特に不思議に思わなかったが、一向に瀬川からの連絡がないのだ。瀬川は見た目に則さず意外と几帳面で、何かしら事件があった場合にはすぐに連絡を入れてくる。例えそれが<蟲>の発生であろうと、茶葉を切らしていようともだ。そういう点は、少し大げさすぎると静馬は思っている。
しかし、今回ばかりは話が変わってくる。既に雪村から瀬川へ<蟲>の連絡は行き届いているはずだ。それなのに、瀬川は返信の一つもよこさない。こうなると、
「何か身動ぎの出来ない事件にでも巻き込まれたのでしょうか?」
と、柚樹。雪村は眉をひそめて肯いた。
「……そう考えるのが適切ね」
「だとしたら、一刻も早く向かわないといけませんね」
「そうね、行きましょう」
雪村が商店街の方へ踏み出した、その時。
「あの、お前さんたち……」
「? 何でしょうか? 運転手さん」
声の主は幾度となく雪村に詰問をぶつけたタクシーの運転手だった。
「一体、何者なんで? 話聞いてっと、どうも普通の人には見えねえな」
「ははは、運転手さんも勘がいいですね。そうですね、霊能者と言ったところでしょうか」
「ふーん、霊能者ねぇ……。本当にいたんだな。ま、頑張んなさいよ」
「はい、ありがとうございます。では」
そう答えると、雪村は再び目的地の方へ足を進め始めた。それに続いて、静馬と柚樹も小走りで後に追いついた。
一分足らずで三人の姿は様々な店の立ち並ぶ商店街を消え、辺りはぽつぽつと小雨が車体を穿つ音だけが響く。
「虫とか言ってたなあ。確か、前に乗せた兄ちゃんもそんな事言ってたっけか。あの人たちとは違って変な格好だったけどよ」
そう呟くと運転手はタクシーの窓を閉め、タクシーはもと来た道を走り去っていった。
誰も気が付くものはいなかったが、その時――
タクシーの轍には、"見えないほど白く小さい卵"が無数に点在していた。
†
簡素な住宅街の一角。少しばかり都会じみた風景が広がる、田畑に囲まれた住宅地。
新居が肩を並べて建てられている中、一人の少年がある一つの家の前にいる。インターフォンに手を伸ばしかけて、手が止まる。というより自らの意志で停止する。昔からよく行きなれた家とは言っても、最近殆どご無沙汰なので嫌でも緊張してしまう。だけど、それは異性に対する緊張でも、身分上の緊張でもなかった。
暫時躊躇して、ようやく指先が音符模様のついたボタンに触れた。無機質な電子音が、ドア越しにこちらまで聞こえてくる。中からパタパタとスリッパの擦れる音が聞こえ、少しして中の住人がドアを開けた。
「はーい、どちら様で……あら! 和也くんじゃない!」
「どうも……」
和也の期待とは裏腹に、扉を開けたのは三十代後半に見える女性だった。そんなことは気にもせずに、和也はそのまま訊ねる。
「高原は……唯はいますか?」
「あー、ごめんねー。あの子、ついさっき出かけたばかりなのー」
その女性――高原唯の母親律子は少し嬉しそうにきゃぴきゃぴと話した。
「あの……どうしてそんなに元気なんですか?」
「えー? だって、和也君来てくれたの久しぶりじゃない! 随分と大人っぽくなったわねー♪」
どこのスナックだよ、と和也は心の中で突っ込んだ。だけどそんな気も失せて、和也は軽く溜め息をついた。目的の人物がいないんじゃ、どうにもならない。
「分かりました。それじゃ、また」
「あら? もうすぐ帰ってくると思うから上がって行けばいいのに!」
「いえ、特に急用ではないので。ご迷惑おかけいたしました」
そう告げると、和也は足早に玄関から立ち去った。使い古したローファーが、敷石を磨耗して、かつ、かつと小気味良い音を立てた。
「またいらっしゃいねー」
後ろから声がして、和也は振り向きもせずに軽く会釈した。
そのまま、どこへ行くでもなく和也は走り出した。何か宛てがあるわけでもなく、むしろ何かから逃げるようにして全力で駆け出す。
「……」
和也にはある思惑があった。
今この地方で起こっている、謎の生徒大量行方不明事件(仮)。警察も手を尽くしているようだが、それでもまだ何も明らかにはなっていない。恐らくこのまま捜査が進んでいっても、この事件は迷宮入りとなるに違いない。そう思った。
だが、警察も何も気付いていない大きな事実に、和也は気付いていた。それは、"行方不明になっているのが全員高校生であること"。たとえどこかで誘拐事件があろうとも、それは大抵騙されやすい幼児が大半だ。確かに高校生が誘拐されることもあるだろうが、ここまで来るとそれは不自然極まりない。何人かが行方不明になった時点で、学校ではそれ相応の措置はとられている。必ず集団下校をする、極力外出をしない、常に携帯を持ち歩く、など。だからこれ以上行方不明者が増えるということは、和也でさえも予想しなかったことだ。それゆえに、和也の脳裏にはある予想が思い浮かんだ。いろいろ仮説を立て、そのどれもが崩れていく中で唯一、一度も揺るがなかった卓説。
"学校内に、誘拐の首謀者がいる"。
信じたくはなかった。自分が親しく付き合い笑い合った生徒の中に、この事件の主犯者が紛れ込んでいるとは考えたくもなかった。……しかしそれは、数ある推測の中ではくしくも一番可能性が高い推理。和也にはもう、今まで一番信じてきた親友達を疑うしか、道がなかった。
息を荒げて、路肩のバス停までたどり着く。バスに乗ろうとは思わないが、全身が疲弊しきっていたので、思わずベンチに腰を落とした。その拍子に、木製のベンチがきし、と音を立てる。
「……」
はぁ、と一段と重く溜め息をつく。事件のことだけじゃなく、様々な思いが詰まって淀んだ空気の塊が、現実のものとなって吐き出される。
つい家を飛び出したものの、和也はこれからどうするべきかを第一に考えていなかった。自分の卑下た考えが正しければ手当たり次第に友人の家に行くのが正しいのだろうが、少なくとも和也にはそんな事をする勇気はなかった。罪もない有人を疑うことなど出来るはずがない。斜に構えながらも正義感のある和也は、自分が貪欲に嗅ぎ回ることを潔しとしなかった。今までも、今でも。
かといって何もしないと言うのは、件の正義感が許さない。和也のちっぽけで、臆病な善心が。
そんな何方つかずの自分に苛立ち、和也はがむしゃらに頭をかきむしる。目の上で茶色の髪がばさばさと揺れ、僅かな陽光を浴びてきらりと光る。
和也の上では、うっすらと雲が集まり始めていた。
その時――
服のポケットの中で何かが動いた、というより振動した。突然のことに、うお、と思わず声を上げたが、その正体を確認するやいなや驚きは失せていった。たまたまマナーモードにしていた携帯が鳴ったのだ。こんなことで驚くなんてどうかしてる、と、和也は呆れ笑いを浮かべた。そのおかげで、沈んでいた心が少しだけ楽になる。
マナーの振動だけで分かったのが、これがメールではなく電話だと言うことだ。メールの場合はサイレントマナーにしているので振動はしない。
誰からだろう、一体こんな時に。
そんな事を思いながら開けた画面には、思いもよらない名前が映し出されていた。
『倉野 美紀』
「くらの……? どうして、あいつが?」
倉野とは和也の同級生の女子生徒の名だった。眼鏡をかけて読書が好きな、典型的なおとなしめの女子。高原と仲が良いため、こうして電話番号とメールアドレスは知っているのだが、連絡したことはほとんどない。あるとしたら、和也が見忘れた日課表を聞くぐらいだった。それももうどれくらい前のことか分からない。
ふと和也は思った。逆に考えれば、普段連絡していなくてこんなときに連絡してくるからこそ、"倉野に何かあった"と言うことを想定した方がいいのではないか。
和也もそうだ。特に自分から電話をかけることのない相手にも、事故にあったときや何か一大事の時には必ずといっていいほど連絡をしていた(和也がそういうところだけ妙に几帳面なせいかもしれないが)。だからこそこの想定が頭を過った。
少し動揺して、それでも躊躇いながら通話ボタンを押した。
「もしもし……」
『……和也君? だよね?』
「あぁ。そうだけどどうかしたのか?」
『う、うん。えっとね』
心なしか、倉野の声は焦っているように聞こえた。焦燥と言うよりは、少し希望が混じったようなそんな声。
『あ、明日……○○公園に来てもらってもいい? ちょっと用があるんだけど』
「公園? 明日? 別にいいけど、午前中は無理だぞ?」
「そ、そうなんだ。じゃあ……、午後四時。午後四時に○○公園の噴水の前で待っててくれる?」
「おう、分かった」
「良かった、ありがとう。じ、じゃあね」
「あいよ」
返事を返すとすぐに、和也は通話をやめた。会話終了のブザー音が、耳から離れたところで虚しく響く。
元の場所へ携帯を戻すと、和也は芒と空を見上げた。空は和也の心を汲み取ったように、少しずつ、涙を流し始めた。
それが静かに、顔を濡らす。
「何だってんだ? 一体……」
別に答えを求めたわけではなかったが、空は大粒の雫を流してそれに答えた。 少しずつ服は湿ってゆき、それが直接肌に触れて、ひんやりと冷たい感触がする。見上げていても眼球には入らないくらい、それくらい弱く、それでいて大粒の雨だったが、今の和也は嫌うどころか喜んで受け入れた。
雨は好きではないが、嫌いではなかった。
こうして、自分の中にある何かどろりとした心情を洗い流してくれる、雨が。
まるで、浄化されるようで。
「……」
分からない。全てが予測を超えた事態だ。
数人で収まると踏んでいた行方不明事件が、未だにこうして続いている。
気付かなかったが、珍しくメールを送ってこない宗太。
そのかわりに普段しないメールを送ってきた、倉野。
その全て。何かが、おかしい。
明らかにいつもとは、違いすぎる。いつもとは違う軌道で、何か物事が進んでいるような錯覚がする。噛み合わなくなった歯車が、別の歯車と噛み合って動き出してしまった。そんな気がする。
そう違和感を覚えながらも特に解決策がないため、和也は難しい顔で立ち上がった。
出来ることはないが、すべきことはきっとある。
そう直感して、和也は昔からかけ慣れたある電話番号を、携帯のアドレスから呼び出した。通話ボタンを押して、スピーカーをそっと耳に当てる。さっきと同じブザー音が、さっきとは違う道経由で声を上げた。しばらくして、ブザー音が電波の発信音のような、電話独特の音に変化する。
和也は、会話の相手をじっと待った。出ないことはない。むしろあちらからかけてくるぐらいだから、出ないと不自然だ。
――もしも。
もしも、その相手が電話に出なかったとき。
"ある"作戦を決行しようと、和也は決心した。
それを促すように、電波音は鳴ることを止めようとしなかった。
しばらくして――
『ただいま、電話に出ることが出来ません。ピー、と言う発信音がしましたら……』
期待虚しく、コールセンターの無機質な声だけが鼓膜を震わせた。