無言で着いてくる江国をどうやって帰らせるか。僕の頭はそのことでいっぱいだった。適当にあしらってもこいつは諦めないだろうし、正直に言えばふみ子さんのプライバシーを侵害することになる。
こんな時に楠山がいたらなあと思う。あいつならば即興で完璧な理由を作り出し、江国を前世にまで帰らせることができるだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、楠山から聞いた場所に着いた。
「ほへー、でっかいねえ。北原にお金持ちの知り合いがいるとは思わなかったよ」
目の前にそびえ立つ高級マンションを呆けた顔で見上げながら、江国が呟いた。
「僕の顔はアマゾン川の流域より広いからな」
「えー、世界最大級じゃん……」
軽口を叩きながらも、僕は驚いていた。まさかふみ子さんの家が県内でも有数の高級マンションにあるとは。
「で、ここに何の用があるの?」
さっきまでのアホ面から一転、江国は真面目な顔で質問をしてきた。
「絶対に誰にも言わないと誓えるか?」
「うん」
こいつはむやみに個人情報を漏えいさせるような人間ではないし、事情を説明するくらいならふみ子さんにも許してもらえるかもしれない。返事をした江国の誠実な表情を見て、僕はそう思った。
「この家には風呂に入ることを辞め、現在人間を辞める寸前の人が居る。僕はその人を社会復帰させなければならない」
「続けて」
「つーことでお前は邪魔だから帰れ」
「ひっどーい。あたしも手伝うよ!」
「え?」
予想外の答えに、僕は戸惑った。まさかこんな面倒なことに自ら首を突っ込みたがる奴がいたとは。
「いや、そう言われてもだな……」
正直、こいつを連れていければかなり頼もしい。一人で殆ど知らない女性の家に立ち入るのはかなり勇気がいる。
しばらく考えた結果、僕は楠山に電話をした。何故か即諾でOKが出た。
「本当にいいのか?」
「いいっていいって。江国さんなら大丈夫っしょ。じゃあねー」
電話が切れた。江国は静かに僕の顔をみつめている。
「……良いそうだ」
「やった!」
体調不良は何処へやら、江国は元気に跳びはねた。
「あのなあ、遊びに行く訳じゃないんだぞ」
「分かってるって。あたしに任せてよ!」
こうして僕に仲間が増えた。
4話
玄関先でまごつく僕を押しのけ、江国はインターフォンを鳴らした。
「ここまで来て何をもごもごしてんのよ」
こういう時の正論ほど腹が立つものはない。なぜなら言い返せないからだ。
僕が黙っていると、インターフォンの向こうから声が聞こえた。
「どちらさまでしょうか?」
その声は以前聞いたふみ子さんのものではなかった。妙齢の女性を思わせる、落ち着いた声だった。
「私、ふみ子さんの友人の友人、北原史郎と申します」
「ああ。お待ちしておりました。楠山さんから事情は伺っております。どうぞおあがり下さい」
「ありがとうございます。それではお邪魔します」
「あの!あたしもいるんですけど!」
玄関の扉が開き、一人の女性が僕たちを迎えてくれた。
「北原さんと江国さんですね。私はこの家で家政婦をしている恩田(おんだ)と申します。以後、お見知りおきを」
そう言うと恩田さんは深々と頭を下げた。釣られて僕らもお辞儀をする。
「北原です」
「江国です」
簡単に自己紹介を済ませた我々は微笑みを交わした。
「ふみ子さんはいらっしゃるでしょうか?」
僕はさっそく本題に入った。また江国に先を越されたらたまらないからだ。
「ええ。手前までご案内いたします」
恩田さんは後ろを向き「こちらです」と言いながら歩き出した。
高級マンションである屋内はとても広く綺麗だった。きっと恩田さんの管理が行き届いているのだろう。僕らは多くの部屋の前を横切り、不穏な空気を漂わせるドアの前で静止した。
「ふみ子さーん、お友達が見えましたよー」
それだけ言うと恩田さんは僕たちに向かって頭を下げ、「それでは。ごゆっくり」
という言葉を残しそそくさとどこかへ行ってしまった。
「……え?」
「行っちゃったね」
唖然とする僕をよそに、江国は冷静だ。
「中に入ろうよ」
「おいおい、ふみ子さんの返事がないじゃないか。今入るのは失礼じゃ……」
言うが早いか、ドア越しに四足獣の唸り声の様なものが聞こえた。
目を丸くして僕と江国は向き直った。
「オッケーってこと?」
「まさか」
「きっとそうだよ」
僕の制止を振り切り、江国はドアを開けた。
不穏な空気の先にあったのは、天高く積み上げられた本の頂に君臨するふみ子さんの姿だった。
「ここまで来て何をもごもごしてんのよ」
こういう時の正論ほど腹が立つものはない。なぜなら言い返せないからだ。
僕が黙っていると、インターフォンの向こうから声が聞こえた。
「どちらさまでしょうか?」
その声は以前聞いたふみ子さんのものではなかった。妙齢の女性を思わせる、落ち着いた声だった。
「私、ふみ子さんの友人の友人、北原史郎と申します」
「ああ。お待ちしておりました。楠山さんから事情は伺っております。どうぞおあがり下さい」
「ありがとうございます。それではお邪魔します」
「あの!あたしもいるんですけど!」
玄関の扉が開き、一人の女性が僕たちを迎えてくれた。
「北原さんと江国さんですね。私はこの家で家政婦をしている恩田(おんだ)と申します。以後、お見知りおきを」
そう言うと恩田さんは深々と頭を下げた。釣られて僕らもお辞儀をする。
「北原です」
「江国です」
簡単に自己紹介を済ませた我々は微笑みを交わした。
「ふみ子さんはいらっしゃるでしょうか?」
僕はさっそく本題に入った。また江国に先を越されたらたまらないからだ。
「ええ。手前までご案内いたします」
恩田さんは後ろを向き「こちらです」と言いながら歩き出した。
高級マンションである屋内はとても広く綺麗だった。きっと恩田さんの管理が行き届いているのだろう。僕らは多くの部屋の前を横切り、不穏な空気を漂わせるドアの前で静止した。
「ふみ子さーん、お友達が見えましたよー」
それだけ言うと恩田さんは僕たちに向かって頭を下げ、「それでは。ごゆっくり」
という言葉を残しそそくさとどこかへ行ってしまった。
「……え?」
「行っちゃったね」
唖然とする僕をよそに、江国は冷静だ。
「中に入ろうよ」
「おいおい、ふみ子さんの返事がないじゃないか。今入るのは失礼じゃ……」
言うが早いか、ドア越しに四足獣の唸り声の様なものが聞こえた。
目を丸くして僕と江国は向き直った。
「オッケーってこと?」
「まさか」
「きっとそうだよ」
僕の制止を振り切り、江国はドアを開けた。
不穏な空気の先にあったのは、天高く積み上げられた本の頂に君臨するふみ子さんの姿だった。