ふみ子さんは本の海に囲まれた本の山の頂で本を読んでいた。
「なんだこれは……」
僕は思わず声を漏らす。この部屋は何処を見ても本だらけである。
「ほへー、すっごいねえ」
江国は興味津々で部屋中を物色し始めた。つられて僕も辺りを見回す。
古典の名作、近年のベストセラー、洋書もある。ちんけな街の図書館を遥かに超える蔵書数に、読書好きを自認する僕は恥ずかしながらも興奮した。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
江国の冷やかな視線で我を取り戻した僕は、山に向かって叫び声をあげた。
「ふみ子さん、お久しぶりです。楠山の友人北原史郎、遊びに来ました!」
来ました、ました、した……。やまびこが空しくこだまするだけで、ふみ子さんからの返事はない。
「急に来たから、怒ってるのかな?」
「うーむ……」
もともと良く分からない人な上に、こういう状況なので何とも言えない。
「山、登ってみれば?」
「言いだしっぺがやれ」
「だってあたしは完全に初対面じゃん!いくら図々しいあたしでもそれは無理!」
ということで僕は本の山を登り始めた。
「頑張れー!」
江国の声援を背に、無心で登る。本の山は孫の手で積み上げたジェンガのように不安定で、掴み所を間違えたら一気に崩壊しかねない。僕は恐る恐る登頂を目指した。
後ろを振り返ると、今自分のいる位置が意外と高いことに気付いた。落ちたらかすり傷くらいは負うかもしれない。気をつけねば。
ゆっくりと最後の本に手を掛け、僕は頂上を踏んだ。えも言われぬ達成感が僕を包み込む……ということは一切なく、僕は大きく溜息をつきその場に座り込んだ。
「北原ー!良く頑張ったねえ!おめで……」
江国からの称賛の言葉が、かすれて聞こえた。そんなに高いのかよここ。
僕は改めて前を向き、ふみ子さんの姿を捉えた。ふみ子さんは長く汚い髪を垂らしながら、上下スウェットという外出には推奨されない格好で本を読んでいる。彼女は僕に気付くと、顔を上げた。
「あ」
必死の思いでここまで来た僕を、ふみ子さんは家屋に沸いたゴキブリを見つけた時のようなリアクションで迎えた。
「北原史郎、遊びに参りました」
紳士たるものこういう時こそ丁寧な対応を取らねばならない。僕はめげずにうやうやしく頭を下げた。
「切り取りに来てくれたの?」
僕の誠意が通じたのか、ふみ子さんはゆっくりと口を開いて言った。初めて聞いたときから僕を悩ませ続けたこの言葉だが、そろそろ決着をつけねばならない。
「それ、どういう意味なんですか?」
5話
「本当に分からないの?」
「僕は写真機じゃないんです」
呆れた様子でふみ子さんは足元から1冊の分厚い聖書を拾い、開いた。驚くべきことにその聖書はページがくり抜かれていて、中にはハサミが収まっていた。
僕は思わずリタ・ヘイワースのポスターを探したが、見当たらなかった。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」
ハサミを手に取り近寄ってくる不潔な女性に、僕は警戒心を抱いた。凶器になり得るものを、こちらに向けたまま歩み寄ってくるのはいかかがなものか。
「待たない。もう我慢できないの」
気がつけば彼女との距離は1メートルくらいになっていたが、それでも歩みは止まらない。
「やめてくれ!」
僕はふみ子さんの手を掴んだ。
「何をするか言ってください。怖いじゃないですか」
優しく微笑みながら言ったつもりだったが、こうかはいまひとつのようだ。
「離して!」
ハサミを震わせながら、ふみ子さんは抵抗した。
「何をするか言っててくれれば、この手は離します。ハサミは軽視されがちですが、人を死に至らしめることのできる道具なんですよ。危ないんだ」
「うるさい!」
説得は逆効果だったようで、ふみ子さんは暴れ出してしまった。髪を振り乱し、子どもの様に駄々をこねる。
「はやく!はやく!」
「落ち着いて下さい!こんなバランスの悪い所で暴れたりなんかしたら……」
ぐらぐら、と足元が揺らいだ。言わんこっちゃない。
「ちょっとー!お二人さん!何をしてるか知らないけど、山が崩れちゃうよー!」
遥か下方から江国の声が聞こえた。なんとかしてふみ子さんを落ち着かせなければ。
「手を離しますから、落ち着いて下さい!」
そう言って僕は手を離し、ふみ子さんを解放した。
「いやあ!崩れちゃう!私のお城があ!」
まるで勇者に敗れた魔王のようなセリフを喚き散らしながら、ふみ子さんはさらに激しく暴れた。駄目だこいつ、早くなんとかしないと……。
次第に揺れは大きくなり、立っているのが困難なほどになった。
「落ちる!」
けたたましい音を立てながら、ふみ子さんの城は崩壊した。
「僕は写真機じゃないんです」
呆れた様子でふみ子さんは足元から1冊の分厚い聖書を拾い、開いた。驚くべきことにその聖書はページがくり抜かれていて、中にはハサミが収まっていた。
僕は思わずリタ・ヘイワースのポスターを探したが、見当たらなかった。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」
ハサミを手に取り近寄ってくる不潔な女性に、僕は警戒心を抱いた。凶器になり得るものを、こちらに向けたまま歩み寄ってくるのはいかかがなものか。
「待たない。もう我慢できないの」
気がつけば彼女との距離は1メートルくらいになっていたが、それでも歩みは止まらない。
「やめてくれ!」
僕はふみ子さんの手を掴んだ。
「何をするか言ってください。怖いじゃないですか」
優しく微笑みながら言ったつもりだったが、こうかはいまひとつのようだ。
「離して!」
ハサミを震わせながら、ふみ子さんは抵抗した。
「何をするか言っててくれれば、この手は離します。ハサミは軽視されがちですが、人を死に至らしめることのできる道具なんですよ。危ないんだ」
「うるさい!」
説得は逆効果だったようで、ふみ子さんは暴れ出してしまった。髪を振り乱し、子どもの様に駄々をこねる。
「はやく!はやく!」
「落ち着いて下さい!こんなバランスの悪い所で暴れたりなんかしたら……」
ぐらぐら、と足元が揺らいだ。言わんこっちゃない。
「ちょっとー!お二人さん!何をしてるか知らないけど、山が崩れちゃうよー!」
遥か下方から江国の声が聞こえた。なんとかしてふみ子さんを落ち着かせなければ。
「手を離しますから、落ち着いて下さい!」
そう言って僕は手を離し、ふみ子さんを解放した。
「いやあ!崩れちゃう!私のお城があ!」
まるで勇者に敗れた魔王のようなセリフを喚き散らしながら、ふみ子さんはさらに激しく暴れた。駄目だこいつ、早くなんとかしないと……。
次第に揺れは大きくなり、立っているのが困難なほどになった。
「落ちる!」
けたたましい音を立てながら、ふみ子さんの城は崩壊した。