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「このさき、いきどまり。」藤子・G・不二子

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 ただ、それらは過ぎ去っていくものなのです。
 日常という概念は恒常的であり、極めて普遍性の薄いもの。
 百合の花に似た理想もそうです。発狂しそうな真夜中二時二十二分には私の赤っ恥となり、手榴弾で爆破してやりたい衝動に駆られます。
 昔、私のおじいさんは戦争に行ったと言っていました。「この国は負けた」と泣いていました。そして、死にました。まるで、野良犬が道端で野垂れ死ぬようにして。知性を失い、目は開かなくなり、そして、私の名さえも呼ばなくなりました。
 私にすれば、同じなのです。小さな飼い猫がいた日々も、緑道の木漏れ日も。
 水平線から現れる朝焼けは、まるでアスパルテームのように甘く蝕むのです。感情を溶かしてしまう、毒なのだと、その時初めて知りました。
 私は学校で科学を勉強していました。人を殺すためです。科学は人を作りますが、明日を壊します。森羅万象あらゆるものが物質から成ると言われています。言われているのです。すなわち、日常とは、物質相互間の反応であると言えるのです。
 海は虚無を呈する青です。夕焼けは身を切り裂く赤で、雲は肥大した自意識――そうですね、雲も同じく、赤なのかもしれません。
 ポリプロピレンのように硬くなってしまった私ですから、もう人としての日常は不可能でしょう。いえ、そんなものは、初めから存在していなかったのかもしれません。
 喪失も再生も欠落も破滅も否定も肯定も不在も存在も消失も分裂も統合も希望も失望も不安も安息も倒錯も残響も欲望も解放も平和も戦争も記憶も永遠も昨日も今日も明日もあなたも私も。
 そこには、もう、何も、残ってはいないのだと、ようやく気付いたのです。
 割れた鏡に映った夏の空は澄んで、とても広く、高く見えました。
「今日は、あっちに行ってみようか。何もないと思うけど」
 私はまだ、遠い夢を見ているようです。
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