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「飼育係」 作:PHM

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「飼育係」 作:PHM



「じゃあ一学期の飼育係は山村に決定だ」
 黒板に書かれた正の字を一瞥し、教壇に立った教師がそう言うと、教室のあちらこちらから「頑張れー」などと無責任な励ましの声が上がる。
 一方で激励の的となり、飼育係に任命された山村はがっくりとうなだれている。
 程なく授業の終了を告げる鐘が鳴り、「よろしく頼むぞ」と生徒多数と同様に無責任な一言を残して教師は教室から出て行った。

「はあぁぁー……新学期早々……最悪」
 彼女は深くため息をつき、だらりと机に倒れ込む。しばらく胸中で世の無常を儚んでいると友人が二人そばに寄ってきた。
「大変だねー、飼育係」
「私たちもちゃんと食べ物持っていくし。がんばって」
 こいつらもか、と他人事な応援をする友人を尻目に彼女はさらに深いため息をついた。

 *

 山村が鉄錆のついた扉をゆっくりと引く。開くときのギイイという不快な金属音が彼女の沈鬱をさらに深くする。
 広さ二畳ほどの粗末な空間に生き物の気配はない。校舎裏にあるせいか、日の当らないその場所は暗澹(あんたん)として死を想起させる。
 コンクリート造りの壁は冷淡に生者の来訪を拒んでいるようだ。
 一応掃除はされていたのか、ゴミなどはほとんど見当たらないが、そのことがより一層この空間の残酷さを引き立てている。
 今日から彼女はここで「飼育」されるのだ。

 *

 人間の新環境への順応というものは讃嘆(さんたん)すべきもので、山村は半月もしないうちに飼育係として溶け込み、一か月も経つとすっかり飼育生活のリズムを確立していた。
 水や食べる物は登校時、昼休み、放課後と毎日三回クラスメイトが家から野菜などを持ってきてくれ、休みの日は係の子が午前の間に一度に三食分の食事とバケツ一杯の水を置いていってくれる。
 日中は差し入れられた本を読んだり、飼育係の間に進んでいる範囲の勉強をしたりして過ごす。
 友達と遊びに行ったりできないのは辛いが、気楽と言えば気楽である。

 そんな飼育生活も残すところ一か月弱となった。
 学校は夏休みに入るので、それを乗り越えれば新たに係の編成が行われる。
「あと少しの辛抱かー」
 山村は大きく伸びをして今朝クラスメイトが置いていったキャベツの芯をかじった。

 *

 八月の半ば、異変は訪れた。
 この三日間、誰も食事を持ってこないのだ。
 以前も食事を持ってき忘れてしまうという事態はあったが、三日連続というのは初めてである。
 今までに持ってきてもらった食べ物の残りは置いてあるものの、季節は夏、ほとんどが変色し異臭を放っている。
 水もぬるく腐っていて飲めたものではない。
 じわりと嫌な汗が滲む。
 死という一文字が山村の脳裏にうっすらと浮かぶ。
 突然、ガシャガシャと扉を叩く音とともに発狂した金切り声が響いた。
 ビクッと体が硬直する。
 おそらく他のクラスの飼育係が、彼女と同じかそれより悲惨な状況に陥っているのであろう。
 彼女は小屋の隅に移動し、体を震わせながら耳を塞いだ。ゆるりと近づいてくる現実から目をそらすように。

 日が沈んだ頃には辺りは静けさを取り戻していた。
 先ほどの彼女は抵抗をやめたのか、疲れ果てて眠ってしまったのか、それとも……
「そんなわけない」
 自らを励ますようにそう呟き、ブンブンと頭を振って絶望を払おうとする。
 しかし、脳髄にこびりついた死の文字は時々刻々とその濃さを増していった。
 
 コツコツ……コツコツ……

 ぼんやりと乖離(かいり)していた意識を我に戻す。
 扉の元に駆け寄り耳をすますと今度はハッキリとコツコツという人の足音が聞こえた。
「誰か! 誰か助けてください!」
 彼女は扉をガンガンと叩くと一気に喚き立てた。
 すると、足音とともにゆっくりと人影が近づいてくるのが見えた。
 五十代くらいの背の低い男性。彼女が学校で見たことのない顔だったのでおそらく警備員か何かだろう。
「助けて! 食べ物がっ! 水っ……水もなくてっ……!」
 扉越しに立っている男に必死で懇願する。しかし返事はない。
 彼女が恐る恐る男の顔に視線を移す。格子越しに見える男の表情は恐ろしいほど冷淡だった。
「……『畜生係』か」
 男はそう吐き捨てると、殺意すら感じるほどの勢いで扉を蹴り飛ばし去って行った。
「ああ……待って……待っ……」
 彼女はがっくりとその場に崩れ落ちた。

 *

「やー、久しぶりー」
 黒く長い髪を三つ編みにした少女が右手に持った大根をぶんぶんと振りながら、前方からやって来た友人に声をかける。
 そのアンバランスな光景はシュールである。
「久しぶりー。っていうか、アンタ大根って……」
 茶髪にショートの少女が挨拶を返す。両手にゴボウを携えたその様相はやはり奇妙だ。
「そう言う優ちゃんだってゴボウじゃーん」
 キャッキャと会話に華を咲かせながら彼女らは学校へと向かって歩いていく。


「嘘……」
 彼女ら額から滴る汗は夏の暑させいだけではない。
 彼女らの視線の先、飼育小屋の中にあるのは変わり果てた友人の姿だった。
 辺りに立ちこめる腐敗を極めた臭気は嘔吐を促す。
 周りには腐敗しゲル状になった赤黒い何かや、真っ黒に染まって干からびたキャベツらしきもの、ずるりと皮の剥げたトマト。
 それらに尿や人糞と思われるものが混じり合い、どす黒い水たまりを作っていた。
 死体自体も腐敗が進み、眼窩(がんか)や皮膚のあちこちにはハエや蛆がたかっている。
 コンクリートの壁には血の跡があちこちに染み込んでおり、喉には爪で掻きむしったような痕。
 それは、餓死ではなく発狂の末に死んだのではないかと思わせる惨状だった。
「二学期の飼育係……誰になるんだろ……」
 三つ編みがぼそりとつぶやく。
 この学校の飼育係が、エサのあげ忘れで死なされることは珍しくない。


 了

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