グライダーの如く滑空できれば、と思った。
いや、グライダーまでとは言わぬ。せめてハングライダー、否、パラグライダー並に飛べたら上出来だ。徐々にハードル上がってるような気がしないでもないが、気のせいに決まっている。崖下に広がるは一面の海。月明かりに照らされて黒々とうねっている。
ゴーグルを装着し、傍らの無線機へ声を吹き込む。
「えー、現在時刻九時ジャスト。フライトします。オーバー」
「了解、こちら回収準備完了。手をふってるから確認すること、オーバー」
海に目をやれば、オレンジ色のゴムボートの上に乗って手を振る男がおぼろにみえた。
「マヌケ面確認。これより飛翔する。オーバー」
無線を隣に置き、崖先からすこし後ろに下がる。アキレス腱を伸ばして一気に駆ける。ああ、なんと気持ちの良いことか。学生時代、五十メートル足六秒台の俊足が走る走る。風を切り、音速を超えようと精一杯の努力を試みる。飛ぶぞ! 全身いっぱいの力を満身に蓄えて飛ぶぞ! ほら、崖から足が離れる、体が浮く!
ヒュウヒュウと風を切る音が聞こえ、進行形で飛翔しているのを、眼下の景色の変化が教えてくれる。
「見よ! 人は飛べる!」高らかに宣言し、はっはっはと笑った。
鳥人間コンテストが開催されていたら優勝確実。そして優勝の秘訣を聞かれて、飛ぼうとする意思が重要なんですとか格好良いセリフを答えて、流行語大賞にノミネートされて、今年の漢字が「飛」になる。そうなるに違いない。そのうち首相と一緒にこの手作り羽根で空を飛翔し、国民栄誉賞を受賞する。そして人間国宝に選ばれ、残りの人生うはうはだ。
膨らむ妄想はとどまる処を知らぬ。
ローマ法王とプーチンと、オバマと共に空を飛び、空を飛んで平和を教えたとしてノーベル賞も受賞した。
背中から急にバンッという音がして、全身に衝撃が走った。
ついに音速の壁を超えたらしい。ニヤける顔で背中を見たら、あっという間に笑は消えた。
羽が折れていた。真っ二つである。
絶句したのもつかの間、瞬時のうちに錐揉みになり、失速して落下する。鳥人間コンテストが、流行語大賞が、ノーベル平和賞が遠のいていく。ああ、麗しの我が未来。いずこへ行こうというのか。
パシャンと海に落下した。衝撃で外れた羽の処まで泳いでしがみついた。そのまま空を見上げる。遥か空に月が残酷にも浮遊していた。波をかく音が聞こえて、オレンジ色のゴムボートが視界に乱入する。脇を掴まれて、ズルズルとボートの上に引き上げられた。
男がのぞき込んで、言う。
「記録、五一〇m。前回より二〇〇mの記録更新だ。おめでとう」
結構飛んだのだな、と思い、折れた羽を見ながら「ノーベル賞は無理だったな……」と呟いた。
「ノーベル賞は無理だろ」と男が言った。
そうだな、流石に高望みしすぎた。