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一章

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一節  プロローグ

 祖国サンドリアでは『騎士道精神』とやらを小さな頃から叩き込まれた。
 親父は神殿騎士団の一員だが、ペーペーの二等兵だった。騎士団といっても、神殿騎士団の主な役回りは、犯罪者や異端者の検挙、王城や聖堂の警護、暴徒鎮圧。と、主に王都内の仕事だ。
 親父の仕事は、王城の前で突っ立ってるだけの仕事だった。生まれてきた時代が良かったのか悪かったのか、親父の言う人々を守る騎士道が発揮される機会は無かった。毎日家に帰ってきては『有事の際には、国を背負って立てる男になれ』そう言い、剣の稽古をつけられた。体を動かす事は嫌いじゃなかったし、親父の事も好きだった。
 お袋が死んでから俺の事を余計に構ってくれる親父だったから、不器用な愛情も憎めなかった。だからと言って騎士道精神は理解できなかったけど、剣を振るうのは得意に思ってる。
 サンドリアじゃいっぱしの大人の男になっていた。騎士団にだって入れる。もちろん過酷な入団試験はあるが。
 十六になって俺は決意した。こんな時代で剣を満足に振るえるのは、冒険者か傭兵しかない。寂れた田舎王国に住んでいたんじゃ、剣の腕だって宝の持ち腐れになる。サンドリアを出てジュノ大公国に行くと親父に伝えたら、猛反対を食らった。そりゃそうだ、親父は俺が騎士になることを望んでいたんだから。その為に毎日飽きもせず、俺に剣を教えてくれていたはずだ。
 でも、俺は王城の前で警備なんてまっぴらごめんだった。一度限りの人生をもっと刺激の溢れる生活で満たしたかったんだ。流石に、王城の警備なんて……とは、親父には言わなかった。親父の一番の誇りだったから。あの時は喧嘩のせいで、体中青アザだらけになった。親父にも同じくらいのアザを作ってやったけど。
 こうして、故郷であるサンドリアを飛び出した俺だったが、『わたしもソレと一緒にいく!』なんてのたまう余計なオマケが付いてきてしまった。
 俺には幼馴染が一人いる。アイって名前だ。こいつは本当に馬鹿だ。あろうことか、この幼馴染がサンドリアを出立する俺についてくると言って聞かなかった。当時のアイは十四でただのガキ、そして女。しかも、サンドリアでも有数の名門貴族の娘だ。そんなアイが、幼馴染の男についていって、ジュノに上京するって言い出したもんだから、アイの家族一同はてんやわんやの大騒ぎ。それでも自分の意志を曲げないアイを両親は泣きながら、蝋で補強した縄を使ってベッドにぐるぐる巻きにしたらしい。けどアイは家庭教師から習った物体を蝕む魔法を使って、縄をフニャフニャにして抜け出してしまったという。アイの両親は、自分達の教育をさぞ呪ったに違いない。
 そんな事が毎日のように続いて、両親は結局根負けした。ジュノの住まいに使用人を二人置き、三日に一度手紙を寄越すことを条件に。
 俺はアイの事を兄妹のように思っていた。でも本当の事を言えば、最近では異性としても気になり始めていた。自分で自分の人生を決めて、一人で出て行くことを誇らしく思ったし、過去と決別して故郷から離れる事を寂しくも思った。だからアイがついてくる事は嬉しかった反面、男としての誇りを一つ格下げされたような、複雑な気持ちだった。
 ともあれ、俺はアイと共に、『ジュノ大公国』に移り住むこととなった。
『ジュノ大公国』は思った以上の都会だった。『サンドリア王国』と『バストゥーク共和国』のある、西の『クォン大陸』。『ウィンダス連邦』のある、東の『ミンダルシア大陸』。両大陸を繋げるように橋をかけ、その橋『ヘヴンズブリッジ』の上に築いた、世界で唯一の海上都市国家だ。
 他の三国に比べたら歴史と言えるものは全然ないけど、十数年前に勃発した『クリスタル戦争』では、当時まだ争いあっていた三国をまとめ上げ、『アルタナ連合軍』の盟主となったんだ。そして見事『獣人連合軍』を撃退した。歴史の長さよりも、歴史に名を残す偉業を成し遂げた方が立派に思える。サンドリアへの皮肉国家みたいだ。
 三国をまとめたのは新興国家としての勢いだけじゃなかった。重商主義・中立主義を国の方針として、関税を始めとする様々な国家規制が他の国に比べて緩かった。薄暗い路地を歩けば、世を捨てた人を見かけることもある。犯罪者もきっと多いんだろう、警備隊の連中が、大勢で妙な奴らを取り囲んでる光景はざらだ。欲の皮の突っ張った商人も大勢いる。なんせここじゃ手に入らない物なんてないんだから。
 そういう事から、ここには様々な目的をもった人たちが流入してきている。そして色んな種族の人間がいた。
 背が高くて、耳が尖った『エルヴァーン』。
 エルヴァーンよりも背が小さくて、世界で最も人口の多い『ヒューム』。
 兎みたいに小さくて、魔法が得意な賢い『タルタル』。
 猫の耳と尻尾を持って、ヒゲまで生やした『ミスラ』。
 エルヴァーンよりも大きくて、岩のようにゴツゴツした『ガルカ』。
 差別なく色んな人間がいた。
 下層区には、『獣人』の『ゴブリン』も住んでいた。背が小さく、タルタルと同じ程度だ。
 俺はあまり話さないが、カタコトで人間の言葉を喋る。マスクが好きなのか、ないと生きていけないのか、必ず鉄製や皮製のマスクを着けている。こいつらは邪神『プロマシア』の子、その一種族だった。俺達人間は、女神『アルタナ』の子で、そもそもの生まれが違っていた。そのせいか、昔からいがみあって生きてきた。
 個人的な感情を言えば、俺はゴブリンが嫌いだった。がめついし、人を襲う。以前、俺がこいつらの店から好物のかぼちゃのパイを買おうとした時だ。『クロウラー』の卵の入った、ゴブリン族伝統のパイの方がうまいなんて言いながら、焼きたてのかぼちゃのパイに平気でそれをねじこみやがった。蟲の卵なんて食いたかねぇが、せめて調理しやがれってんだ。しかもこれで金を請求するんだ、どんだけ面の皮が厚いんだか。一度マスクを剥いで顔を拝んでやりたいね。
 こんな事もあって、五年経っても慣れやしない。アイは、ゴブリン達の容姿を見てかわいいと言う。どこがだ。どいつもこいつもマスクをしていて、そもそも顔の区別なんてつきやしない。やっぱり馬鹿だ。
 人間でも獣人でもないが、チョコボという大きな飛べない鳥もいる。経済の中心であるジュノでは欠かせない動物だ。馬車を引かせるためだ。とても力が強い。もちろんサンドリアにもたくさんいる。王立騎士団の連中が飼育しているのは、戦場で騎乗するための戦鳥だ。品種改良をされていて、持久力に優れて少し大きい。免許がないと乗れないが、俺達は傭兵団の経費で試験を受けさせてもらった。当然俺は一度で合格した。
 けど、アイは規定のコースを覚えられずに、四回も落第してたな。顔馴染みになった教官だけじゃなく、チョコボにまで馬鹿にされていた。気位が高い、よく羽根の手入れされていた赤いチョコボがいた。そいつが騎乗拒否の合図を出したのを見たときは、大爆笑させてもらった。あいつは絶対に一人で仕事できないな。

 俺たちはジュノについてすぐに、ミスラの『ティルダ』に出会った。
 下層区の競売所の喧騒に耳をやられ、行きかう人々の熱気に当てられてアイは参ってしまった。少し休ませてやろうと思って、やせっぽっちの体を背中に抱えると、海の見えるテーブルとセットになった椅子に座らせてやった。
 海が運んでくる潮風は、少し磯のかおりがしていた。時折カモメが、少し低くなった太陽の日差しをその体でさえぎった。
 参っていたのはアイだけじゃなかった。俺も正直、どうしたらいいのか分からなかった。こんな都会に知人や友人はいなかったし、ましてや親戚もいなかった。アイに仕えるはずの使用人達も今はまだいない。勢いだけで飛び出して、やっとの事でついたジュノで既に精根尽き果たしていた。街を行きかう人たちはみんな忙しそうに歩いていた。田舎から出てくる人間なんていくらでもいた。だから俺達に声をかけてくれる人なんていなかった。
 アイと一緒に、椅子に座ってうな垂れていると、不意に背中を小突かれた。振り返ると、座った俺と同じくらいの背のミスラが首を少し傾げてテーブルを指さしていた。
「あんた、そこは休む場所じゃないんだ。勝負する気がないんなら、とっととどいておくれ」ミスラは、右手にサイコロを二つ持って器用にもてあそんでいた。
 サイコロで勝負? どうやらこのテーブルでは、普段ろくでもないことが日々繰り広げられているようだった。
「勝負ってなんだよ。今、連れが調子悪いんだ、ほっといてくれ」
「いいよ。邪魔になるから別の場所で休もう?」アイは、杖を手に取るとふらつきながら席を立とうとする。
「ここは『コルセア』って海賊の、ダイス遊びをするところなんだ。女の子は、そのままでいい」けど――とミスラが続け「あんたはどきな」と、俺を睨みつけて言い放った。
 高圧的な台詞を受け、俺は黙って目の前の小さなミスラを睨み返した。
「ふんっ。いかにも田舎の騎士の国から出てきたって顔してるね。威勢ばっかよくて、怠け者の顔してるよ。この程度でへばってちゃ、この世界じゃ生きていけないよ。だいたい調子が悪いのはその女の子じゃなくてあんただろう?」猫のような左耳をぴくりと動かして、挑発を仕掛けてくる。
「ごちゃごちゃとうるさいな! そんなに勝負したけりゃやってやるよ! ただし、俺が勝ったら黙ってここから失せろよな」ミスラに図星をつかれた俺は、ついカッとなった。
 俺は人差し指でコツコツとテーブルを叩くと、椅子に座るようにミスラに促した。
 アイが困った顔で俺を見つめている。やめろ、と言われても無理だ。こいつを追っ払わないと気が済まない。ミスラがチョコボにまたがるように、向かいの席につく。
「条件が――そろってないね。あんたが勝ったらあたしはここから消える。けど、あたしが勝ったらどうするんだい?」
「おまえの好きなようにしろよ! いいからさっさと始めるぞ。ルールの説明はいい、田舎の騎士の国の人間だってテーブルゲームくらいするんだ」
「言ったねぇ、覚えておきなよ」クスクスと小さく笑って、サイコロを差し出してきた。
 ルールは簡単だった。この『ベンチャーロール』という遊びは、出目が一から六までのサイコロを振って、数字を十一に近づけた者が勝つ。出目の合計が十二以上になると、『バスト』。つまり、どぼんだ。サイコロをこれ以上振らない場合は『ホールド』を宣言して、出目を確定する。十一を超えない範囲で高得点を出さなきゃいけない。
 サンドリアの『獅子の泉』って酒場で、ゴロツキ連中が一夜で人生を破滅させるほどのギルを賭けていたのを見ていたことがあった。品のいい遊びじゃなかったから、親父は嫌ってたな。
 アイもルールを知っていたので、しぶしぶディーラーを務める。ディーラーと言っても、プレイヤーの出した結果を確認をするだけの簡単な役回りだ。
 俺はミスラからサイコロを一つ受け取り、指先で弾く。出目は――五。ミスラが既に二回目を振っていた。出目に納得したのか、不敵な笑みを浮かべ、ちらりと俺を見る。
 十か? 十一か? 自信満々な顔してやがる。十一を引き当てないと負ける。せめて同点を狙わないとな。じわりと汗が滲む。
 二回目のサイコロを弾く。出目は――四。だめだ! 出目の合計は九。次の出目が、一か二じゃなきゃバストだ。期待値は低め……、でもやるしかない。
 三回目のサイコロを弾く。出目は――四。
 ――やっちまった。出目の合計は十三。バストだ!
「ホールド!」ミスラが、出目を確定した。「どうやら勝負あったようだね」
「十三だ。バストだよ」もう投げやりな気分だった。
 アイが、ミスラのサイコロの合計値を言う。「ミスラさんは、えっと、七です」
「は? 七……。なな?」聞き返す。
「なな、だよぉ」アイが言う。
「くっそぉ! 自信満々な顔してその出目かよ! 卑怯だぞ!」
 はぁ、とため息を一つもらすとミスラが口を開いた。
「勝負ってのはねぇ、時にはハッタリをかますことも大事なんだよ。あたしは一見賭博師に見えるかもしれないけど、案外堅実なんだ。あんたがあたしの表情から勝手に何かを汲み取って、変な汗をだらりと流してるから付け入れられるんだよ」ミスラは続ける。「あたしがホールドしたのは、あんたがおわっちまった後さ。やっぱりこの世界じゃ生きていけないかもねぇ?」ミスラが嫌味に視線を送る。
「うるせぇ! どけばいいんだろ。でもアイは関係ないからな。そのまま休ませろ!」
 俺は席を立ち、静かな波音を立てる海に体を向けた。変なミスラとサイコロで遊んでいたら、少し元気も出てきていた。
「誰が立てって言ったんだい?」
「はぁ?」俺は後ろから聞こえたミスラの言葉に耳を疑った。
 俺はすっかり自分がこの場から消えればいいと思っていた。何を言い出すんだこいつは、と涼しい風に少しのお別れを告げて振り返った。
 ミスラはサイコロをテーブルの上から拾い上げると、俺の目を見て『条件』とやらを語りだした。
「あんたは言ったろう? 好きにすればいいって」一息もせず続け、そして声を荒げた。「誰が立てと言った! あたしの命令を聞く前に立ち上がるバカがいるかい!」
 街を行く人々が足を止め、俺達のテーブルを見て何事かと目を見張る。でも一番驚いているのは俺だ。
「いいかい? あんたには今日からあたしの子分になってもらうよ。大体こんな年端もいかない女の子を、無理やり都会に引っ張ってくる男にはまかせてられないんだ。いいね?」
「ちょっ……」
「ちょっとも何もない! もう決まった事だよ! さぁ、分かったら座るんだ」
 俺は自分よりも、遥かに小さなミスラの剣幕におされて仕方なく座る。
「よし! いい子だ。契約成立だね」
「いや……」
 言いかけると、ミスラはさえぎるように喋る。
「あたしの名前はティルダだよ。ティルって呼びな」
 この人にはきっと勝てない、俺はそう確信しつつ、軽はずみな自分の発言を恨めしく思った。男を上げるためにも俺はここに来たんだ。男に二言はない、……はずだ。
「俺の……、俺の名前はソレ」
「そう、ソレかい。いい名前じゃないか。あたしは好きだよ、お日様」ティルは口の端を上げて、空に輝く太陽を眩しそうに見上げた。顔を下ろして、「その子はアイだね。今日からよろしくね」と、アイを見て優しく微笑んだ。
「はっ、はい」アイも、雰囲気に流されるまま承諾した。
 こうして俺達はティルの子分になった。都会に出てきて一日目にして職にありつけたのは、幸運だったのかもしれない。でも、あの時のティルは本当に怖かったな。サンドリアの周りをうろついているオークなんて比べ物にならない。
 ティルは傭兵団を組織していた。『セイント』って名前だ。傭兵はギルドで仕事を請けて、主に街の人たちや行商人を魔物から守って生計を立てている。冒険者と違って、魔物や動物を狩って毛皮を剥いだりはしない。傭兵団を組織するにはジュノ政府のライセンスが必要だった。政府公認になるには、『とてもとても』厳しい審査があるらしいが、どんな条件なんだろうな。
 しかし、ティルの顔とあの性格を思い出すと妙に納得のいくところはある。とにかく俺はそんなティルに拾われた。ついで、という訳でもないが、その場にいたアイもその団員になった。ティル、すまんな迷惑かけて。
 本当のところ、どうして俺達を世話してくれる気になったんだろう。結局、それを聞く機会を逃して今に至る。

 俺は『陽気な吟遊歌人のハチミツ酒亭』を出た。闇に染められて、灰色になった海を見ながら酔いを醒ます。ここで過ごしてきた五年間を思い返して、理想の生活を送っているかどうかを自問するんだ。最近はほぼ毎日だ。思ったほど都会ってやつも楽しいわけじゃない。
 ジュノで傭兵稼業を始めてもう五年になったが、求めていた刺激なんて手に入っちまえば退屈な日常でしかない。一人で飲んでいるとこんな事ばかりを考えるようになった。
 でも、今日は一人にはなれなかった。居住区の方から来たティルが酒場を一度覗き、外に出ていた俺を見つけて歩み寄ってきた。
「こーら、ソレ。あんた、また一人で飲んでたのかい? たまにはアイも誘ってあげなよ。きっと喜ぶよ」
「ほっといてくれよ」右手をひらひらと振り軽くあしらう。
「そんなこと言ってるから、あんたとアイは一向に進まないんだよ」ティルは小さな肩をすくませて続ける。「もう出てきて四年かい?」
「五年だよ」
「そうかい、五年も一緒にいるのに、なんて意気地のない男だよ。うちの旦那みたいに迫る時は勢いでいいんだよ」笑いながら俺の肩をぽんぽんっと叩く。
「別に俺とアイはそんなんじゃないよ。ただの幼馴染だって言ってるだろ? ティルがそんなことばっかり言ってるから、『キョウ』や『しっぽ』にからかわれるんだ。ほどほどにしてくれ」俺はティルのでたらめな態度に少し腹が立っていた。「アイの面倒はティルが見てくれればいいだろう? だいたい、呼び出しておいて二時間も遅れてそれかよ」
 ティルは困ったような顔をして、細い顎に手をやり後ろを向いた。そしてすぐに振り返り、本来の用件を話し出した。
「そうだった! 今日はソレに説教を言いに来たんじゃないんだよ。ギルドから仕事ぶんどってきたから、退屈そうなあんたに回してあげようと思ってね」
 いつもの事だが、この人は仕事を取ってくるのがうまい。ぶんどってくるなんて言ってるが、『セイント』に直々に仕事を回してくれるギルド員が大勢いる。賄賂でも贈ってるんだろうか?
「なんだい、その顔は。団長に向ける顔じゃないね、それは」
 勘がするどいな。
「いいから話せよ。どんな仕事なんだ? 退屈な仕事はごめんだよ。俺は剣で稼ぎたいんだ」俺は強引に切り返す。
「まぁいいわ」ティルは、ふんっ、と鼻を鳴らすと真面目な顔をして続ける。「今回の仕事は結構ハードだよ。最近、『ジャグナー森林』に出没するようになった『ゴブリン盗賊団を退治しろ』というお達しだ」
二節 行商人

 ジュノとサンドリアを結ぶ陸路の、その中程に存在するうっそうとしげった森。大きな甲虫が羽を広げて木々の間を飛び、夜には黒く大きな虎が跳ねるように我が物顔でうろつき、肉を求めてさまよう。『樹人』と呼ばれる巨木の姿をした化け物もうようよとし、一度街道を離れれば命の保障ができない魔の森。
 中でも恐ろしいのは人間を狙う『オーク』族だった。ガルカのような大きな体、鋭く濁った目、大きな口、尖った歯。ずる賢く、強い力を持った、邪神の子の一種族だった。サンドリアの――エルヴァーンの宿敵と言える種族だった。
 南にはかつて、サンドリア領地の村『ラヴォール』があり、今はオークの軍勢に支配され忘れ去られた村となっていた。
 ジャグナー森林はそういった恐ろしい者達や敗北の影を、巨大な緑の手で覆い隠していた。
 ジュノとサンドリアは空路でも結ばれており、『飛空艇』と呼ばれる空を飛ぶ船で貿易をしていた。飛空艇は、ジュノ大公国だけが持つ最新技術の粋を集めた乗り物だった。
 商品の輸入と輸出は陸路が二十五%、空路が七十五%と、ほとんどを空路が占めていた。それでも陸路を少し外れた所にある、冒険者が集う砂丘の町『セルビナ』には飛空艇が運行しておらず、行商人の独占市場であった。
 もう冬も間近な時節だった。どんよりした空が獣人達を喜ばせた。
 ここ最近、この森林を根城にして金品や武具を奪うゴブリンの盗賊団が出没している。行商を守るために傭兵は存在しているが、あまりにも頻発するのでギルドだけでは手が回らなくなっていた。

 まだ昼を少し過ぎた頃だった。うすら暗い森の中を、四人の行商人が辺りを警戒しながら馬車を引いていた。行商人は皆、ローブを目深に羽織り、早足でならされた街道を歩いていた。警護をする傭兵は連れていなかった。
 季節のせいか、しんとした森には車輪が発する軋んだ音だけが響く。
 短い銀髪をツンツンと尖らせた利発そうなエルヴァーンの男が一番前を歩き、チョコボの手綱を引いていた。意志の強そうな瞳を輝かせ、魔の森を楽しんでいる様子さえ窺えた。
 そのすぐ左には、ツンツン頭の袖を掴んで歩くヒュームの女の子。小柄だ。セミロングの黒髪が歩みに合わせて揺れ、表情の一部を隠しているがどうやら怯えているようだ。
 馬車の左後方にはポニーテールを短く結ったエルヴァーンの男が歩く。背中には大きな荷物を背負っていて、ローブに無様な膨らみを持たせていた。研ぎ澄まされた目つきで真っ直ぐ前を見ている。
 馬車の右後方には、スキンヘッドのヒュームの男がゆらゆらと足を進めている。こわもてのその男は堅気の人間には見えなかった。
「ううっ、寒いし暗いし怖いし、もう帰りたいよぉ」ヒュームの女の子が行商という仕事を後悔し、ぼやいている。
「おい、これは仕事だぞ。もっと緊張感を持てよ」先頭に立つ背の高いツンツン頭が女の子をたしなめる。
 女の子は、その言葉を意に介さず手を重ねてブツブツと祈っている。
「ゴブリンさん、ゴブリンさん、どうか出ないでください」
「あのなぁ、それじゃ仕事にならないだろ」ツンツン頭は女の子に困った顔を向ける。
「……しっ、気配がする」ポニーテールの商人がつぶやくように言った。
「ひぇ!」女の子が動転して、足元の小さな石につまづきそうになる。
「ジェイの勘はいつもどおり鋭いな。それにしても、呼んでもないのにご苦労なこッたねェ」
 スキンヘッドはポニーテールの商人に感心しながら、腰に下げた東方の剣の柄に手をやり、シャリシャリと小気味よい音を立てて引き抜く。見るからに切れ味のよさそうな白刃が全身を晒した。
「遠慮してねぇでかかッてきなッ! こいつのサビにしてやるぜッ!」
 スキンヘッドが刀を抜いて叫ぶ。それと同時に、既に馬車を囲んでいた二十数匹のゴブリン達が樹木や岩の後ろから一斉に現れた。
「ちょッ! こんなにいるのかよ、ちきしょうッ! こりゃ割りに合わねェなぁ、ソレ隊長」
 スキンヘッドが苦笑いを浮かべ、頭に手を滑らせながら軽口を叩く。じゃまくせェ! とローブをはぎとり、その場に投げ捨てた。
 ゴブリン達は、マスクの隙間から覗かせる目をぎらぎらさせながら、ゆっくりと円陣を縮めてくる。
 チョコボがグェッと鳴いた。
「ああ。確かに割りに合わないなっ!」
 名前を呼ばれたツンツン頭はそう言い放ち、目の前のゴブリンにローブを投げつけると、即座にロングソードと小型の盾を構えた。
 突然暗闇に襲われたゴブリンは、ブェッブェッ、と奇声を発しながら必死にもがいていた。ゴブリンの仲間たちがそれに反応し、攻撃態勢に入る。
 木々の間を身を切るような風が吹いた。
「ジェイ! キョウ! 馬車の前面に活路を開け! アイ! ジェイに続け! 俺は後方を守る!」
「あいよッ!」
「……おう」
「はいぃ!」
 ジェイと呼ばれたポニーテールの商人は、ローブを素早く脱ぎ馬車の前方を目指す。そして走りながら背負っていた大きな戦斧を構え、横に一閃薙ぐ。飛び掛ってきていたゴブリン二匹に、鋼鉄の塊が命中する。斧に弾き飛ばされ、弧を描いて地面に落下し、二匹は勢いでゴロゴロと転がっていった。
 キョウと呼ばれたスキンヘッドが、ジェイに続き走り出す。それに怯む事無くゴブリン達が続けて地面を離れ、ジェイと女の子の喉元を狙い、一直線に剣を向けてくる。女の子が反射的に座り込んだ。
「おらよッ!」
 スキンヘッドが、一つッ! と刀を振るう。ジェイに剣を向けたゴブリンが体を横に真っ二つにして、暗い森に真っ赤な花をはじけさせる。その勢いを活かし、全身をくるりと一回転させ、二つッ! と女の子の頭上を飛ぶ、目標を失って唖然としているゴブリンに叩き込む。刃先のみで喉を切り裂き、宙にささやかな紅葉を咲かせた。
 女の子は目の前の光景に腰を砕いて座り込んだままだ。
 スキンヘッドは、へへッ、と満足そうに笑うと、血走った刀が次の獲物に目掛けて鋭い白刃を突き立てる。刃先が次へ次へと、革鎧や金属の鎧を裂き、皮膚を貫通してゆく。
 団子のように串刺しになった三匹のゴブリンをそのまま持ち上げると、右後方で弓を構えていたゴブリンに向け、振り子の原理でぶん投げる。ギャッと一鳴きすると、弓矢のゴブリンは三匹の死体に押しつぶされた。
 ゴブリン達はなおも前進してくる。どうやら数の多さで圧倒できると考えているようだった。
 もう、と女の子が不満を口にする。「キョウシロウ! わたしに当たったらどうするのよぉ!」と、キョウシロウの手を借りて立ち上がり、お尻を払いながら怒っている。
「おいおいアイさん、つれないねェ。俺の生まれた国じゃあ、かわいい女の子に花を贈るのが礼儀なんだぜ」
「うれしくないぃ!」
「あら? 団子の方がよかったか?」
「いじわるっ!」
「花も団子もあれば、お花見になるぜェ?」
「それにしてもキョウ、刀ってのはつくづく恐ろしい武器だな!」ソレがキョウシロウを冷やかす。
「ちげェよ。俺自身が恐ろしい武器なのよッ!」
「……油断するな」キョウシロウの背後を狙った弓矢のゴブリンは、ジェイにクロスボウで射抜かれた。
「ヒュー! 相変わらず器用だねェ!」キョウシロウが軽く口笛を吹く。つるりとした頭と、尖らせた唇が相まってタコのようだ。
 ソレは、チョコボと荷車を結ぶ縄を剣で切り離した。チョコボはクェッ! と鳴き、羽根をバタバタとさせると、空に舞った落ち葉に紛れるようにして一目散に逃げ出した。ゴブリン達はそれに一瞬たじろいだ。
 ソレは狙いすましたようにその機会を捕まえて、
「アイ、敵の目を潰せ! あの岩場まで走るぞ!」と、前方のゴツゴツした岩場を指す。
「はい!」
 アイという名前の女の子が、得意の白魔法を詠唱し始めた。もうその顔に怯えはない。彼女を中心にしてまばゆい閃光が走り――木の上で休んでいた鳥たちがそれに驚き、こぞって枝を離れていく。枯れかけた葉が降ってくる。
 合図をしなければ仲間も巻き添えになるほどのまばゆい光だった。目をくらませたゴブリン達を尻目に、四人は大きな一枚岩の後ろに潜んだ。
 ふう、と一息ついてキョウシロウが口を開いた。
「行商人に化けるたぁ、ソレもなかなかおもしれぇ事を考えついたじゃねェか。敵さんはまんまと引ッかかッてくれたな」
「アイが、『武器を構えて歩いたら、ゴブリンさんも襲ってこないよ』なんて言うからな。なるほど、と感心させられたよ」ソレはアイに視線を向ける。
「うぅ、変な事言わなきゃよかったよぉ」アイは、ソレのイタズラな目を見て恥ずかしそうにうつむく。
「……どうする?」クロスボウに矢を装填しながらジェイが言う。
 ソレは、自分達を隠している大きな岩の姿を一度確認すると、うん、と一つうなずいた。
「ジェイ、上からの援護を頼む。アイ、おまえは魔法で動きを止めろ」
 返答の代わりに、アイが呪文を唱え始める。
 さきの閃光の魔法は効き目が長く持たなかった。ゴブリン達はすぐさま四人を追いかけ、身振り手振りで合図を送りあって、一枚岩の横両面から挟み撃ちを仕掛けた。
 だが、一番最初にそこを覗き込んだゴブリンは不幸だった。バコッ、とソレのなまくらなロングソードが、鍋を被ったゴブリンの頭を叩き割る。鍋頭は火花を散らせてその場で倒れ伏した。その反対側では、キョウシロウがまたも鋭い一撃でゴブリンを貫いていた。
 アイが岩の上に顔を出す。彼女をほとんど投げるような形で、ジェイが上に押し上げていた。
「ビリビリ痺れていてくださいぃ!」アイが片目を閉じて両手を前に差し出すと、手の平の前方に魔力が集中する。
 辺りの空気が一瞬ヒヤリとした。アイの手から強烈な冷気が吹き出し、勢いをつけて放射状に広がり、岩のゴツゴツしたラインに沿って降りていく。冷気は岩の表面に小さな霜をプツプツと造っていくと、そのまま数匹の敵に降りかかっていった。
 猛突進してきていた三匹のゴブリンの内二匹が、冷気に絡め取られ足をもつれさせた。一匹は突然持っていた武器を落とし、繰り返し何度も拾おうとしているがうまく手を動かす事ができないようだった。
 麻痺の魔法は成功した。
「アイ! ちゃんと敵を見て狙え! 麻痺の魔法が味方に当たったら大惨事だぞ!」ソレが叫ぶ。
「三匹に当たったよぉ!」泣きそうな声を出しながら、ジェイの肩を借りて滑るように下に戻る。
 すぐさま、ジェイは超人的な跳躍で岩に飛び乗ると、クロスボウの矢を降らせてゆく。丁寧に素早く正確にゴブリン達の胴や、マスクを着けた頭に木製の棒を生やしていった。
 うぉおおおおっ! とジェイが大きな声で叫ぶと、ゴブリン達は岩の上の大男に視線を集中させる。
 キョウシロウが、その一瞬、まばたきする間の隙をついて岩の前面に躍り出る。
「背後からブスリなんて、武士の風上にも置けねェがな!」
 ゴブリンの後ろを取り、真っ直ぐに上から刀を振り下ろし一刀両断する。ついでのように、足を止められた二匹のゴブリンに迅速に近づいて、柄を逆手に持ち替え、つまようじを扱うように急所を狙ってプスリ、プスリ、と差し込んでいく。ニヤつきながら、やわいねェ、とこぼした。
「俺は生き残るためならなんでもするぜェ?」
「キョウの辞書には『正正堂堂』という言葉は無いようだな……」
 ソレがそう毒づくと、ゴブリン達もやっとこの事態を察したようだった。彼ら傭兵団には、騎士道も武士道もあらゆる信念も、一度戦闘が始まれば関係がなかった。
 生き残る事のみが唯一のルールだった。
「さぁ! どうするゴブリンども! これで終わりか!」ソレは、これを機としてゴブリンを揺さぶる。
 あっという間に数を減らされたゴブリン達は、相手にしている人間達が自分達よりも恐ろしく狡猾で強大な力を持っている敵だと判断した。そして誰の命令もなく一人、一人と顔を見合わせ、背を向けて南の方向へ逃げ出した。
 最後尾の大きなバッグを持ったゴブリンが、走りながら黒い玉をソレ達の隠れる岩の前――キョウシロウの背後へ投げつけた。石の地面に落ちた玉はゴトリと鈍い音を立て、灰色の煙を上げている。
「まずい! あれは爆弾だ! キョウ、戻れっ!」ソレが大声で知らせる。
「なんだなんだッ?」
「えぇーっ!」
「……問題ない」
 うろたえるキョウシロウとアイをよそに、ジェイは岩の上から爆弾の前に飛び降りた。そして胸のホルダーからナイフを抜き、息もつかせぬ早業で導火線を断ち切った。刃の先には、行き先を失った火花が短い線を辿り、ふっと消えた。
 既に、玉から伸びている導火線は二ミリもなかった。
「……これで大丈夫だ」
「おいおいおいおいッ!」とキョウが目の前の出来事に声を高くする。「人間技じゃねェぜそれ! ッつうかすげェ度胸だな! 俺でもできるかな? 今度挑戦してみねば!」興奮し、唾を飛ばしながら喋る。
「……やってみたらいい」
「うーん……、ジェイって人間なのか? どうも同じエルヴァーンとは思えないんだが」ソレが思ったことを口に出した。
「……慣れればどうという事はない」
「ジェイってやっぱりすごいね!」
 アイが素直に褒める。ジェイは少し照れながら口元を緩めた。
「にしても、予想外の敵の数だった。追っ払って正解だったな」ソレは安堵の表情を浮かべながらロングソードを鞘に納めると、肩を回しながら緊張をほぐした。
「うんうんっ! 怖かったしぃ! でも、私達ってとんでもない行商人だね!」アイが茶化して、クスクスと笑う。
「追うか? 分かりやすくあっちだけに逃げてくれてるが」キョウシロウが親指で南を指しながら、ソレの判断を仰ぐ。
 誰一人として怪我を負っていない事を確認すると、ソレは片側の口角をくいと上げて言った。
「もちろんだ」
5, 4

  

三節 キノコの谷のモスフングス

 ゴブリンは案外バカにできない頭脳を持っている。さっきの奇襲じゃ、俺達に気付かれないようぐるりと周囲を囲んでいた。もっとも戦術に関しては褒められたもんじゃないが……。
 奴らは薬剤を混ぜて爆弾を作ることだってできる。手先も器用だし、作った爆弾を人間社会に売りにくるぐらいの商売上手だ。
 まぁ囲んでいたのも、苦し紛れの爆弾にしても、傭兵団一の超人、ジェイによってことごとく失敗に終わってるんだけど。
 しかし、惜しい気がする。もし、その頭脳を一層活かす事ができたなら、人間とこんな風に争う事もないはずなのに。俺だってもっとゴブリンの事を身近に感じられたかもしれない。
 俺達は生い茂った針葉樹の木々を避けながら走った。最後尾の、大きなバッグを担いだゴブリンのケツを追いかける。まだ気付かれていない。暗くなる前に決着をつけないとオークの餌食になっちまうな。奴らは夜目が効く。この森林は奴らにとって最高の場所だ。ここで夜を迎えようものなら、たったの四人じゃ生きて帰れない。
 ここにはサンドリア王立騎士団の手も届かない。ラヴォール村を盗られちまった時点で、完全にここの管理を放棄してるんだ。
 俺がもし騎士団に所属していたら、絶対にこんな状況にしたまま放ってはおかない。オークを片っ端から殺して、仲間が味わった苦しみを倍にして味わわせてやる。俺からお袋を奪った連中を、我が物顔でのさばらせたりはしない。
 ……やめよう。俺は騎士団には入らなかった。きらびやかな都会に憧れ、騎士道を捨て、親父の気持ちを裏切って、お袋の敵討ちも忘れ、自分の人生の充実だけを追いかけて傭兵になった――自分で選んだんだ。
「なぁキョウ。奴らが逃げているのはやっぱり盗賊団のアジトだと思うか?」
 俺は少し大きな声で問いかけた。
「だと思うぜ。ただあの場から逃げるだけなら、方向なんてどこだッていいだろ。きッとあのチビどもの秘密基地がこの先にあんだろうよ」キョウは前だけを見ながらそう返す。
「……ソレ。少しペースを落として走ろう。気付かれる」
 時間を気にしすぎていた。少し焦っちまってる。ジェイの忠告に従い、俺達は速度を緩めた。
 アイが何故かホッとした顔を浮かべている。こいつは何をしにきているんだ。緊張感のなさが目立ちすぎるぞ。後でおしりぺんぺんしてやる。心の中で八つ当たりを誓う。
 しばらくすると視界の先に、ところどころに緑の苔を蓄えたそれほど高さのない崖を捉えた。どうやら森の南方は、この崖によって森の外と断絶されてるようだ。そう判断できるくらい東西の両方にずーっと伸びているのが見える。
 ゴブリン達はその崖に向かっているようだ。と、不意に大きなバッグのゴブリンが足を止めた。
 みんな、止まれ、と顎で合図をし、全員で木の裏に隠れてかがんで身を潜めた。
 ジャグナーにこんな場所があったなんてな。ジュノを目指して行商人と旅をした時は街道しか通らなかった。まぁ道から大きく外れたこの場所に来るような人間は、世界に何も期待をしていない自殺者か、邪悪をたくらむ暴力団くらいなもんだろ。前者は間違いなく自殺する前に、オークか虎に食われておしまいだろうが。
「どうやらそこが奴ら、ゴブリン盗賊団のアジトみたいだ」
 切り立った崖にぽっかりと口を開けた部分を指差す。最後尾のゴブリンは辺りをキョロキョロと見回すと、洞窟の中に入っていった。
 俺を含め、四人が肩で息をしていた。結構な距離を走った。この辺りは湿気が多く、革の鎧の中には汗の滝ができていた。立ち上がると、胸の辺りに生じた小さな気流が一瞬体を冷やした。歩を進める。
 こりゃ、すげェ――キョウが大げさに言う。
「何がすごいんだ?」
「おいおい、おまえには崖と洞窟しか見えてねェのか? 左を見てみろ」
 俺はキョウに言われた通り、左に視線をやる。樹木が一切ない開けた場所があって、そこには俺の倍くらいの背を持った巨大なキノコが、所狭しと群生していた。
「わぁぁ! でっかいキノコ! これってモスフングスだよね? ここまで大きいのは初めて見たよぉ!」アイが聞きなれない名前を出す。
「……キノコの谷」ジェイがぼそりとつぶやく。
「モスフングス? キノコの谷?」サンドリア出身の二人が知っているんだから、常識的な事なんだろうか? 
 たくさんのキノコはでかいだけじゃなくて、笠の部分が毒々しい紫と赤のまだら模様で埋め尽くされている。火を見るより明らかな警告色だ。自らを捕食させないために『自分は毒を持っているんだ、食べればただじゃすまないぞ』と、色や姿で警告を出している動植物がある。
 頭の形が三角に近い蛇ほど毒を持っている可能性が高い、とも聞いた事があるな。生物が持つ様々な姿はただの飾りじゃない。何かしらの意味があるものだ。不用意に近づいてはダメだし、匂いを嗅ぐなんて事はもってのほかだ。
「今日は曇ってるけど、雨は降ってないから大丈夫だよね」
 一体何が大丈夫なのか全く分からなかった。アイはそう言うと、大きなキノコの傍に寄り鼻先を近づけて、すぅ、と嗅いだ。
「お、おい、それは毒キノコじゃないのか? なんか危なそうな香りがするぞ」実際に強い匂いはしないが。
「ふふんっ。このキノコはね、薬の原料になってるんだよぉ。ジュノでしか買えないような強力な治療薬が作れるの! 毒薬だって作れちゃうんだよ? ウンディが作り方もばっちり教えてくれたの」
 アイが得意げに話す。このキノコには思い入れがあるんだろう。昔を思い出しているのか、嬉しそうな表情を浮かべている。ホームシックになんなきゃいいが。
 それにしても貴族の家庭教師は毒物の作り方も教えるのか。……アイなんかに教えるとろくな事にならないぞ。間違えて自分で飲んじまいそうだ。いや、むしろ調味料と間違えて人に食べさせてしまいそうだ。こいつに薬を作らせてはいけない。
「ねぇねぇ! 今度ソレにも作ってあげよっか?」
「いや、いいよ。アイが作ったものなんて怖くて飲めない」我ながらさらりとひどいことを言った。こんな気色の悪いキノコから作られた薬なんて飲みたくない。
「ははッ! 間違いねェや! アイの料理も一向に上達の気配がねェしな!」
 それは言えてる。
「ふんっ。誰も薬を作ってあげるなんて言ってないじゃない! いいもん、ソレには毒薬を作ってあげるから。キョウシロウには毛生え薬でも作ってあげるよ。ジェイにはちゃんと治療薬を作ってあげるからね」
「……ありがとう、アイ」
 最初の被害者、ジェイ。
「俺はハゲじゃねッつぅの! 剃ッてるのッ!」キョウが頭をさすりながら、にしても、と続けて「これ、気にならねェか?」と、地面の黒くなった部分を指差して言った。
 悠然とこの広場を支配しているキノコとキノコの合間に、焚き火の跡がいくつも点々としている。地面からは、雨を待っているのか小さな緑色のカエルが顔を出していた。
 こんなところでキャンプもないだろうに、なぜこんなに焚き火の跡があるんだ? 盗賊団と何か関係が? よく見るとキノコの刈り取られた株もある。切断面を無造作に晒したその株も一つや二つじゃなかった。
 広範囲に渡るたくさんの焚き火の跡、刈り取られたキノコ。うーん……、分からんな。キョウも神妙な顔をして考えているようだ。
 不真面目なこの男も、任務上でぶち当たる謎や不思議な事に関しては人が変わる。思えばティルと話してる時はいつもこんな顔だったかもしれない。……なんとかそんな場面を思い出そうとしたが、いつもの酒で酔っ払っただらしない顔しか浮かんでこない。考えすぎだな。無駄な労力を使った。
「なぁ、これはキャンプの跡だと思うか?」
「うーん……、それはありえないと思うよぉ」アイが短くうなって答える。
「どうしてだ?」
「モスフングスはね、雨が降ると笠から胞子をばらまくの。その胞子はすっごく強い毒性も持っていて、笠を使った雨宿りなんてできっこないよぉ?」アイが笠の部分を指先でつつきながら言った。
 なるほど、雨が降ってないから大丈夫ってのはそういう事だったのか。しかし毒を飛ばすとはなかなか積極的だな。いや、それにしても結局のところ、これは毒キノコなのかよ。見つけてすぐに匂いを嗅ぎにいっていたが、アイの無防備さにはいつもながらヒヤヒヤさせられるな。
「しかしゴブリンだったらマスクをしてるから、胞子の影響なんてないんじゃないか?」
「確かにそうだな。すぐそこにチビどもの秘密基地があるんだ。こりゃキャンプの跡にちげェねェ」キョウが真剣な眼差しで、焚き火の跡を見つめて言う。
「……どうだろう」ジェイは何か疑問に思っているらしい。炭のカスを足でいじりながら、物思いにふけっている。
「もう! マスクをしてるからって、ここでキャンプするわけないよぉ。焚き火の跡がたくさんあることもおかしいし、だいいち雨宿りならアジトの洞窟があるよぉ?」
 ――俺とキョウは顔を見合わせた。なるほど、こいつも見事にアホ面をさげているな。そして、キョウも今、俺と同じことを思っているに違いない。お互いにゴブリンより知能がある事を祈ろうか。
 俺は都合よく本来の目的を思い出した。
「ま、まぁこんな事はどうでもいいだろ。さぁ、アジトへ踏み込もうか」
「……おう」
「はいはい……」
 アイとジェイの視線は『計り知れない』ほど痛かった。
四節 人質

 ジェイがキノコの谷で枯れ落ちた木の枝を四、五本拾っていた。腰に着けたバッグから油ビンと少し汚れた布を取り出し、簡素な松明を作っている。いつもながら準備がいいな。
「……カラ松はよく燃える」
「へぇ! ジェイって松明作れちゃうんだ! わたしと一緒で器用なんだね!」
 アイ、おまえは自分を器用だと思っていたのか。本気で思っているなら恐ろしい奴だ。キョウが笑いをこらえている。気持ちは分からないでもない。
 そういえばジェイはラヴォール村の出身だったな。森林には街道が整備されていたとはいえ、村自体は僻地にあるから、食料のほとんどは自給自足だって聞いた事がある。ラヴォール村に住むエルヴァーンは『フォレストエルヴァーン』って言われてるくらい、サンドリアに住んでるエルヴァーンとは区別された存在だ。
 村の父親は一家に男の子が生まれ、三歳になるころには弓矢での狩猟を厳しく教えると言われてる。つまり幼い頃から森と親しんだジェイには、斧や弓を使う事も、火をつけることも生きるために不可欠ってわけだ。様々な武器を使い分ける器用さはそういう下地があってこそだろう。
 俺もそろそろ見習わないと。……いや、まぁ見習ってもこの人には一生追いつけないだろうが。
 本当にこの上なく頼れる先輩傭兵だ。最近は俺がチームを指揮するようになったが、それはこの人の野生的な勘の鋭さ、知識、戦闘能力という土台があってこそ務められる役割だ。俺はジェイよりずっと傭兵経験が浅い。それでもついてきてくれるのは俺の成長を望んでるからだろうか。もしそうなら、少しは期待に応えられているといいな。ティルに子守を押し付けられてるんじゃなきゃなおさらいい。
 故郷の村をオークに奪われた事を、どう感じているんだろう。親を殺される事と同じくらい辛いんだろうか。オークを憎んでいるんだろうか。不甲斐ない騎士団、国に憤りを覚えているんだろうか。この森に足を運ぶと、嫌な記憶が蘇ったりするんだろうか。
 いつも冷静で、怒った姿を見たことはない。それどころか不満をもらしたこともない。いつも無表情のこの人からは、なかなか感情を掴みづらい。でも、きっと心の内に憎悪の火を抱えているんだろう。俺と同じように。
「……つかない」ジェイがカチカチと火打石を打ちつけながら言う。
 キョウがニヤけ面を向けている。おい、やめろ。ジェイとアイを一緒にするな。
「ジェイ、貸してくれ」
 俺はジェイお手製の松明と火打石を受け取り、手早く火花を散らし火を灯す。森林の湿気のせいでつかなかったのか。もしや案外不器用なところがあるのか? と、ジェイに親近感を覚え、同類を哀れむまなざしを送った。その意味を飲みこめないジェイは一瞬不思議そうな顔をして、にっこりと微笑み返してくれた。この人からしたらなんと失礼な事だろうな。すまん、でも心は自由なんだ。
「俺が前に立つ」そのまま松明を持ち、歩き始める。
 洞窟の入り口に見張りはいなかった。エルヴァーンの背丈では頭がつっかえそうなほど天井が低い。現にジェイは少しヒザを曲げないとろくに歩けないようだ。
 洞窟の中は、目を凝らしても先が見えないほど暗闇がずっと続いている。ジメジメとした外気が、蒸れた鎧の中を不快さで満たしていく。
 立て続けに起きたオマヌケ騒動から、俺達は完全に緊張感を失っていた。だが、ジェイが戦斧を両手で構えると、辺りの空気がピンと張り詰めた。この寡黙な戦士が持つ集中力はいやでも俺達の戦意を奮い立たせる。キョウが刀の柄に手をやる。抜刀術の準備だ。この状態から、攻撃も防御も自由自在にできるもんだから、『ひんがしの国』の剣士は恐ろしい。……たしかサムライだったか。
 だが、この狭い空間で二人の武器は十二分に力を発揮できるんだろうか。もしかしたら俺達は敵の罠に誘い込まれているのかもしれないな。何にせよ準備を怠ると死に直結する。
「三人とも、よく聞いてくれ」松明を少し横に揺らし、三人の顔を見る。「洞窟の中じゃ、ゴブリンよりでかい俺達は不利だ。任務は殲滅だが、死んじまったら元も子もない。絶対に無理はするな。各自、逃走の準備をおろそかにするなよ」俺は口にした事で、自分の気持ちを引き締めた。
「そうだな。あの場から逃げたチビどもは、八匹だ。ここにはそれ以上いる可能性があるぜ。別の場所からここに戻ってくる事だッて考えられる。挟み撃ちにされちまッたら……、おじゃんだ」
 キョウが冴えてる。やっぱりただの戦闘狂ではないな。
「でもよぉ、刀ッてのは突く事もできるぜェ? だから後ろは俺にまかせな」そう言い、へへっ、と笑う。前言を撤回する。
「ああ、分かった。でも油断はするなよ。アイは閃光の魔法の準備を頼む。暗いところで使えば、相当な効果を期待できるはずだ」
「うん。その時が来たらまかせて!」
「……アイ、頼りにしてる」ジェイが相変わらずの無表情で、アイを見て小さくうなずいた。
「うんうん、ばっちこいだよぉ!」
 苔の生えた石の壁を伝って歩く。時折、小さな虫が手の上を這う。グローブをしてなきゃアイが飛び上がるな。毒キノコは扱えても、虫はどうもダメなようだ。
 ゴブリンが蟲の卵を使ったパイを食べると知ったら、あいつもゴブリンを嫌いになるかな。この任務が終わったら試してみよう。おしりぺんぺんの代わりだ。
 虫を払いながら歩いていると、奥の方から明かりが漏れているのを見つける。目測四十メートル先、と言ったところか。
「……ソレ」ジェイが囁くように声をかける。
「ああ、分かってる。アイ、これを持ってろ」持っていた松明をアイに渡す。「アイとキョウはここで待機しろ。ゴブリンどもが来たら知らせてくれ」
「うん、閃光の魔法を合図にするね」
 俺はアイの肩をポンッと叩く。「二人とも、頼んだぞ」
「おう、片付けておいてやるよ」暗くて表情がよく見えないが、松明の明かりで頭が光っている。
「ジェイ、クロスボウで援護してくれ。まずは様子を見る」
「……分かった」俺から指示を受けたジェイは、すぐさまクロスボウを構えた。
 ジェイと二人で薄く柿色に染まった壁を頼りに、慎重に歩を進めた。頬を伝う汗一つにも敏感になる。足元が真っ暗なせいで、時々小さな地面の隆起に足を引っ掛けた。
 小部屋が見えてくる。何者かが手を加えて作ったようだ。
 何やら騒がしく喋っている。しかし最低八匹はいると思っていたが、そんな気配はしない。洞窟に入ったのを正確に確認できたのは一匹だけだ。まだ奥に続いているのか? それとも別のルートで逃げたのか? 
 俺は明かりを発している部屋を覗く。敵は――二匹だ。俺達が追いかけてきた大きなバッグのゴブリンと、金属マスクのゴブリンだ。喧嘩をしているのか、やたら大きな声で怒鳴りあっている。
 他の六匹は洞窟内にはいなさそうだ。小部屋の右手にたくさんの武器や防具が積まれている。行商人達から奪った物だな。その側に六十センチ四方の、頑丈そうな金属の箱がある。左右に取っ手がついていて持ち運びがしやすそうだ。小さな壷もある。何を入れているんだろう? 左手には小さな安っぽいベッドが二つ。
 あれは――くそ! なんてことだ。人間だ! 盗賊団に捕まったのか。あいつら金や物を奪うだけじゃなく、人までさらってやがるのか。
 ヒュームの男がベッドに寝かされていて、髪の毛は手入れされていない。長く監禁されているのか? 歳は、三十前後と言ったところか。顔色は、暗くて確認できない。頼む、生きていてくれよ。 
「ジェイ。見てみろ」耳元で囁く。
「……人質か。身代金目的で捕まえている可能性が高い。……手足を縛られている様子はない。服装を見る限り、乱暴された気配はない」
 ジェイの言うとおり、男は髪の毛こそ洗っていなさそうだが、綿の服と、その上に革の上着を着ている。目立って汚れはない。
「ティルから、盗賊にさらわれた人の話を聞いたか?」
 ジェイが、かぶりを振って答える。「……いや。そんな話は一言も」
「そうか。とにかく助けるぞ」俺は一呼吸置いた。「気付かれないように仕留められるか?」これが確実だ。
「……まかせろ」ジェイがクロスボウに矢をつがえた。こちらに背を向けて喋る大きなバッグのゴブリンに狙いを定める。
 その時だった。
「おまえらうるさいぞ!」
 男は生きていた。体を半分起こし、ゴブリンに怒っている。元気はありそうだ。ゴブリン達が喧嘩をやめ、注意が男に向く。
 殺されるぞ――この機会は逃せない。
「ジェイ、やれ!」
「……おう」
 ビュッ、と風を切る音を放ち、矢は真っ直ぐに飛ぶとバッグのゴブリンに直撃した。後頭部から血が吹き出す。ひぃ、と男が声にならない叫びを上げる。
 バッグのゴブリンが倒れきる前に、奥にいる金属マスクのゴブリンが曲刀を構え、突進してくる。既に二本目を装填していたジェイが、二発目を発射する。必然のように、矢先がゴブリンの金属の額に吸い込まれていった。そしてそのまま、ガシャリと音を立てて前のめりにくずおれた。
 早業だ。本来、クロスボウは連射に向かないが、ジェイならその性能を限界まで引き出せる。
「よし!」俺は何もしてないが、飛び上がって喜んだ。
「おい! もう大丈夫だ。さぁ、こっちへ」ベッドの側に寄り、男に声をかける。
「助けてくれぇ!」
「大丈夫。大丈夫だから落ち着いて」
「どけ! どけぇ!」男は大声を上げて、俺達が通ってきた通路を目掛け走り出す。足がふらついている。ひどく顔色が悪い。恐怖で足がもつれたのか、俺の体に正面からもたれかかる。
「もう大丈夫だ! もう、ここにゴブリンはいない!」さぁ、と男の体を支える。
「離せ! 離せ! くそ!」
 男はかなり錯乱しているようだった。俺を突き飛ばすと、フラフラとしたまま再び走り出す。
 ジェイはそのあり様を静かに見ている。男が真っ暗な通路に消えていった。
 ふぅ、とため息を一つつく。「監禁生活のせいで参っちまったんだろうか?」
「……分からない。……ただ、妙な匂いがした」
「そりゃ、仕方ないだろう。こんな水もない湿気った穴倉に閉じ込められていたんだ」
「……違う。あれは……」
 ――通路の方から白い光が小部屋に溢れた。「アイだ! ゴブリンがきたのか!」俺が合図に気付いて驚いている間に、既にジェイが向きを変え、閃光の散った方へ駆け出していた。
 すぐさまジェイの後ろを追う。左手を壁になぞらせ、足を大きく広げて走る。もう音を気にしている場合じゃなかった。まずは二人を奥の小部屋まで呼ぶしかない。
「アイ! キョウ! 奥へこい、敵を誘い込むぞ!」俺は走りながら二人の名前を大きく叫ぶ。
 この部屋なら戦える。通路から入ってくるゴブリンを一網打尽にしてやる。
「違うの! 男の人が!」アイの声が少し先から聞こえた。そうか、人質の男が走ってきたから、か。
 敵が来たら、魔法で知らせると言ったのに。あいつという奴は。
 二人を照らす松明の明かりが見えてくる。
「おい! 閃光の魔法は敵が来たときの合図にしただろ」
「あう、ごめんなさい。でも……」
 アイが謝っていると、キョウが口を挟んだ。
「待てよソレ。すごい剣幕で走ッてきたんだぜェ? 俺も、ちッとビビッちまッたよ」
「まぁいい。さっきの男は、ゴブリン盗賊団に捕らえられていた人質なんだ」
「そうなんだ。あの人は、怪我してないの?」アイが眉をひそめて言う。
「ああ、顔色はよくなかったが、どうやら怪我らしい怪我はない。ただ、ひどく混乱していて、助けた俺達にも怯えて逃げていったよ」
 男の事を説明していると、突然入り口の方から、ギャー、と悲鳴が聞こえた。
「くそ! お次はなんだ!」
「……いこう」
7, 6

  

五節 任務

 ゴツゴツとした石の壁に手を滑らせながら入り口へ走る。敵が待ち構えていることを想定し、俺達は武器を構える。外に出ると、森は先程と変わらない静けさを保っていた。
 ただ一つだけ違っていた。松明の明かりが、洞窟に入るときにはなかった地面の膨らみを煌々と照らしていた。人質の男が地面に突っ伏していた。
「おい! 大丈夫か!」
 声を掛けても反応がない。既に事切れている。胸の辺りから出血しているようだ。仰向けに倒れている男は、大量の真っ赤な血液を、惜しみなく苔の生えた地面に吸わせている。
「なんで……」アイが言葉を失っている。
 周りには人影が一つもない。どうやら何者かがこの男を殺害し、すぐさま立ち去ってしまったようだ。
 ジェイが男の側に座り込み、胸の辺りをまさぐっている。
「やめなよぉ、その人はもう死んじゃってるんだよ」アイは涙声で制止をかける。
 革の上着をめくったジェイが、動きを止めてこちらを見る。
「どうしたんだ、ジェイ」
「……ナイフを持っている」ジェイの指し示した先には、ナイフの柄が見えた。
「おいおい、これはどういう事だぁ?」キョウが眉をしかめる。「この男は、ゴブリンによッて人質として捕らえられていたんだろ? 得物を取られていないのはおかしいぜェ?」
 どういうことだろう。あの洞窟に監禁されていたと思われるこの男は、武器を持っていたのに抵抗しなかった。そして、身体検査も受けなかった? いや、あり得ないな。
 しかし、髪の毛も手入れはされていなかったし、ひどく生白い顔をしていた。しばらくあの中で生活をしていたことは事実だろう。
 そうなると、思い当たる答えは、自ずと一つになる。
「この男は、ゴブリン盗賊団の一味だったってことか?」みんなの表情を確認する。
「……手足を縛られていなかった。怪我もしていなかった。服装に乱れも見られなかった。……それらの事から仲間であった可能性が大いにある」ジェイが俺の目を見て続けた。「……それに、この男からは特殊な匂いがする。……アイなら分かる」
 そう言い、ジェイは革の上着の一部をナイフで切り取ると、アイに向ける。
 アイはジェイを見据えて、コクリとうなずくと、その一部を鼻に近づけた。
「これは……、モスフングス……だと思う」
「分からないぞ。ジェイ、何が言いたいんだ?」俺はジェイの言おうとしていることが分からなかった。
 洞窟の前に広がるたくさんのモスフングス。衣服にその匂いがつくことは、ここに長くいればごく自然なことじゃないのか? 訝しげにジェイを見る。
 ジェイの代わりに、先にアイが答える。
「ごめん、正確にはモスフングスの胞子だね」
「……分からないが、気にかかる」
 ジェイも分かっていないのか。でもこの人が気に掛ける事なら、不自然なことの一つなんだろう。
 キョウが大真面目な顔をして、男の胸の辺りの傷口を見ている。顔色一つ変えないで、上着を丁寧に脱がしている。男の胸があらわになった。
「おい、これを見てみろ」キョウが脱がせた上着で血を拭いながら、傷口の部分を指す。
「うぅ、みんなお願いね」アイが口元を押さえながら後ろを向く。
 おまえは仮にも手当てを得意とする白魔法の使い手だろう。そんな事でいいのか。アイの反応に呆れる。いや、まぁいい。いつもの事だ。
「こいつぁ……、かなり特殊な傷だぜ。心臓の辺りを、細く先の尖ッた刃物で一突きされてるようだ」キョウが、数センチの穴をぽっかりと開けた部分の周囲を、人差し指と中指を使って、視線の案内をする。
「この辺りは焦げちまッてる。この痕を残せるのは、かなりの近距離で銃をぶッ放した時くらいだ」でも、とキョウが続ける。「火薬の匂いもしねェ。そしてこの傷は間違いなく刺し傷、……刃物の痕だ」
 俺達が男の悲鳴を聞いた時、銃声はしなかった。傷口は、刃物傷。しかし、その周囲の皮膚の火傷。さらにモスフングスの胞子の香り。
 ダメだ。ぜんっぜん分からん! 分かるのは、この男は正面から一刺しされたということだ。死体を発見した時にまだナイフを抜いていなかったという事は、顔見知りの犯行の可能性が高い。油断したところをやられたと見た方がいいな。
 外の光を浴びたところで、そのまま永遠の闇に閉ざされたこの男の瞳は、何かを訴えるようにして、うすら曇った空を見上げていた。俺達にできることは多くはない。そんな目で期待したって、あんたの無念を晴らす事なんてできやしない。他を当たってくれ。
 俺はパンッと、手を一つ叩き、
「この事はティルに報告するということで、おしまいにしよう。俺達の任務は盗賊団の退治だ」と、アイの慈悲の思いを湛えた視線を見ないふりをした。「暗くなる前に帰らないと、オークどもの晩御飯になっちまうぞ」
「この人は埋めてあげないの?」
 直球で来たか。まぁそうするのが人としての道理なんだろうが、こいつの墓を掘ってたら自分達が墓に入ることになるだろう。いや、その前に胃袋に入ることになるか。
「そんな時間はない。さぁ行こう」
「う、うん」
「……ソレ。待て」
 おい、ジェイおまえもか。
「時間を気にするのは分かるが、今からお楽しみ時間だぜェ? 折角だから宝の山を持ッて帰ろうぜ!」ニヤニヤと口元を緩めながら、キョウが言う。ジェイもうなずいている。
 いつもの事だが『正規の戦利品』、つまり依頼者からの報酬じゃ満足できないのか。キョウだけならまだしも、ジェイまで言い出すんだもんなぁ。
 俺もこの先輩方を見習って、うまい汁を吸った方がうまくやっていけるんだろうか。
「分かった分かった! でも、男は埋めないし、戦利品は手早く持ち帰ろう。ゴブリンも戻ってくる可能性があるんだ。本当に危ないんだからな」
 俺達は、ジェイが松明をもう一本作り終えると、また洞窟へ足を延ばした。
 今後のいきさつは大体分かる。アジトの場所を報告したら、ギルドがいくつかの傭兵団から成る部隊を組んで、本格的な討伐が始まる。もちろんその時に、奪われた金品は回収され、持ち主の行商人達に返される。それを見越して、ちょろまかすってわけだ。
 役得……いや、せこい。バレてもお目こぼしはしてもらえるが、あまり気持ちのいい事じゃないな。いわゆる『騎士道精神』に反するってわけだ。まぁ傭兵だけど。

「おおッ! こりゃ宝の山だぜェ!」キョウがキョウたる反応を示す。
「キョウシロウ……」アイがあからさまな不快感を顔に出している。
 二人は、さっそくお目当ての戦利品、武器防具の置いてある方へ歩いていった。
 俺は二つあるベッドの内、男が寝転んでいた所に腰をかけた。アイも続いて隣のベッドに座る。キシキシと音を立てる。思った以上に安物だな、これは。
 枕の側に一枚のくしゃくしゃになった紙切れを見つけた。広げてみる。
『上層区工房橋二十三部隊』と、ハッキリ書いてあった。
 なんだ? 上層区工房橋。ジュノだな。……たしか、工房橋って、『バタリア丘陵』とジュノ上層区市街を繋いでいる橋か。
「アイ、これ何だか分かるか?」向かいで、退屈と哀れみの表情を浮かべているアイに見せてみた。
「じょうそうく、こうぼうばし、にじゅうさんぶたい」うーん、とうなって続ける。「分かんないっ! なんだろうねぇ」
 分かる訳ないよなぁ。まぁいいか。
 戦利品を値踏みしていると思っていた二人は、意外にも武具のすぐ横にあった金属の箱の、鍵の掛かった錠をガチャガチャといじっている。バキッ、と音が鳴った。強引に錠を壊したな。
「おい、変なものに気を取られてる場合じゃないだろ。さっきも言ったが、のんびりしている暇はないんだ」俺は二人に呼びかけた。
 二人はそれに構わず金属の箱を開けた。
「それが何だってんだよ」俺は呆れながら立ち上がり、二人が見ている箱を覗き込む。
 中には、――粒? 五ミリ程度の、黄みがかった小石のような粒が入っていた。それも箱いっぱいに。
「……胞子」
「胞子? モスフングスの胞子なのか。キノコがでかいから、飛ばす種もでかいんだな」毒性がある、そうアイが言っていたのを思い出し、口と鼻を手で抑える。「なんでこんな物が、金属の箱に入ってるんだ?」
「ふむ……、ジェイ」キョウは粒状の胞子を右手で一すくいし、ジェイに差し出す。
 おいおい、なぜそんな物を掴む。毒だぞ。やめろ。
 ジェイは黙ったまま、バッグの中から紙製の包みを取り出し、キョウの手から零れ落ちるその粒を、包みに受け止めている。
「お二人さん? 何してるんだ?」
「え? え?」
 俺とアイはこの展開に置いてけぼりになっていた。
 二人はそのまま、すぐ側にあった壷に手をやった。少し泥のついた茶色の木のフタを持ち上げ、中身を確認している。
 キョウがまたもジェイに話しかける。
「どうだ?」
「……間違いない」
「おい! だから二人は何してるんだよ! 時間がないって言ってるだろ! 早く盗るもん盗っていくぞ!」
 俺は時間が迫って焦っていることよりも、二人が十分な説明をしないまま、目的とは別のことを繰り返していることに苛立っていた。
「もういいだろ! 早くしろよ」
 キョウは、一瞬何かを思い出したかのような顔をした。
「わ、わりィわりィ! 何か気になッちまッてな! あぁ、残念だけど時間がねェ! このかぐわしい香りを発する鎧をかっぱらってとんずらしようぜ!」箱の横に置いてある、一番身近な物を手に取り、苦笑いを浮かべながら頭を掻いている。
 このハゲ。革の編み鎧一つかよ。どうせ危険を冒すんだからもっといっぱい持っていけよ。とんだ徒労だよ。
「……早く出よう」ジェイは何も持たないまま、既に通路の闇と半一体化していた。
 この二人はいまいち分からんな。結局、『特別手当』は革臭い鎧とモスフングスの胞子。
『お楽しみ時間』は、『俺のいらいら時間』に変わっていた。

 すっかり暗くなった夜のジュノ下層区。街灯がぽつりぽつりと歩く人たちの影を、冷たい灰色のレンガの地肌に作っていた。
 道中、チョコボで帰りたいだの、早く飯が食いたいだのと馬鹿とハゲがうるさかった。ずっと警戒を解かなかったジェイの顔にも、安堵が見られる。
 居住区の『セイント』詰め所の扉を開けた。大広間のどこにも団員が見当たらないが、ランプは点いたままになっている。天井のシーリングファンだけがブンブンと音を鳴らし、乾いた部屋の空気をかき混ぜていた。
 任務だろうか。いつもなら、この立て付けの悪い入り口の扉をきぃきぃと鳴らすたびに、『しっぽ』が歓喜の声を上げて出迎えてくれるはずなのに。
「珍しいな、あのしっぽが外勤だなんてよほどの緊急事態か」
「ソレ、そんな事言っちゃダメだよ!」
 しっぽこと『テール』は、万年補欠員だ。ほとんどの時間を詰め所で過ごしている。いつも詰め所入り口の扉の一番近くにある大きなソファーの上で、足を組んで寝転んでいる。
 要領のいい彼女は、自分の仕事をさっさと終えてそんな風にだらけてばかりいる。それがよっぽど退屈なのか、団員が帰ってくるのが楽しみで仕方がないらしい。だからか、足音だけで誰が帰ってきたのか分かってしまうほど、耳に労力を割いているようだ。犬かよ。
 正確には、補欠というよりも事務担当なんだろう。しかし、傭兵団であるセイントには、戦地に足を運ぶ屈強な戦士が多いせいで、一際目立つ存在になっていた。
 彼女は主にティルとの連絡役だ。忙しい団長と俺達戦闘員を繋いでくれるパイプ役。難点は、彼女は喋るのが苦手なのか、発言している内容がよく掴めない事が多い。バストゥークの荒涼した地にある小さな村の出らしいが、もっと語学を勉強してもらいたいもんだよ。本当に色んな所から色んな人たちが集まっているな。ジュノしかり、セイントしかり。
 三人とも顔に疲れが見えていた。「ティルも居ないみたいだし、今日は解散にしよう」あぁ、と言って続ける。「報告は、しっぽがいないから俺がしておくよ」
「そうか! わりぃなソレ。まぁ、でも俺はちッとここで、これの手入れしとくぜ」キョウが腰に下げた刀に手をやり、スリスリと鞘をさすっている。
「……ソレ、ありがとう」ジェイが目をつむって軽く頭を下げる。
「いいって。ジェイはいつものことだけど大活躍だったもんな。ゆっくり休んでくれよ」
「じゃぁ、ソレ。わたし、もうクタクタだから部屋に戻るね。しっぽさんすぐに戻ってくると思うけど、冷えるからあの掛け布団使って休んでね」アイはそう言って、広間の一番奥にあるソファーを指差す。後輩の遠慮からか、アイが休むのはいつも奥のソファーだ。
「ああ、ありがとう。明日はみんなで打ち上げでもやろう」
 ――時が一瞬止まったようだった。部屋がシンと静まり返った。アイが静寂を破る。
「えぇ! ソレが誘ってくれるなんて珍しい!」
「おいおい! マジかよ! おごりか? おごッてくれんのか!」
 キョウが大興奮している。俺は一言もおごりだとは言ってないんだが。まぁいいか。
「まぁそれでもいいよ。ただし、明日は絡み酒してくれるなよ」
「分かッてる! 分かッてますッてば!」キョウが手を合わせて、頭を上下している。
 このタコ坊主もいい加減調子がいいな。
 ジェイが腰のバッグから紙の包みを出し、キョウへ渡す。「……キョウ。これを」
「おう。分かッたぜ」と、キョウが包みを懐へしまった。
「……ソレ、また明日」
「おやすみぃ! また明日ね!」
「あぁ、また明日な」
 ジェイとアイが扉を開けて出て行った。
 アイがとても嬉しそうな顔をしていたな。こんな簡単な事で喜ばせてやれるのなら、もっと前からそうしておけば良かったかもしれない。つくづく気の利かない男なんだな、俺って。
 研ぎ石を取りに、右奥の調理場へキョウが消えていく。普段はキョウ専用のロッカーに入れてあるんだが、手癖の悪い団員が、調理用の和包丁を研ぐのに拝借している。
 キョウいわく包丁も元は刀だから、手入れをするのには研ぎ石が丁度いいらしい。だから勝手にロッカーを開けている事も大目にみているようだ。彼の国では物を大事にする精神があるらしい。それにしても、寛大なのか、無頓着なのか。
 アイから借りた布団を掛け、横になる。革張りのソファーが、体の重みを受けてゆっくり沈み込む。今日は久しぶりに楽しい一日だった。なんせ珍しい仕事だ。都市の周辺地域を管理するのは、国の仕事だ。
 ジュノには大規模な軍隊はないが、『ジュノ親衛隊』と『ジュノ警備隊』の二つの組織がある。親衛隊は、大公の直属部隊だが少人数構成。警備隊の主な仕事は街中の警備、つまり警察組織だ。なので周辺地域の害獣駆除や、獣人討伐といった仕事は金で雇われた傭兵がやる。
 国からの直接の依頼ってことで報酬も飛び抜けている。でも、おいしい仕事は大規模な傭兵団が持っていくから、なかなかうちのような小規模な所には降りてこない。今回は珍しくギルド、つまり民間からの依頼だったわけだ。しかし、わざわざ商人達が結託して依頼をしてくるとはな。それだけ被害が大きかったって事なんだろうか。
 ティルはこういった珍しい仕事を必ず掴んでくる。知り合いの小規模な傭兵団なんて、護衛しかやったことがないのにな。本当に賄賂を贈ってるんじゃないだろうか? 
 まぁ、そんな事を考えていてもしょうがないな。俺がやるべきは、目の前の仕事を淡々と片付ける事だけだ。
 ……あぁ、まぶたが重い。少しだけ目を瞑って体を休めよう。

 ――誰かが喋っている。
 いつの間にか寝てしまっていたようだ。うっすらと目を開けると、ティルが椅子に掛けていた。話しかけているのはキョウだ。そうか帰ってきたのか。
 キョウが真剣な顔をして紙の包みを見せている。ティルも真面目な顔つきでそれを受け取った。そんな物を何に使うんだ。
 キョウが右脇に抱えていた革の鎧も渡す。おいおい、団長権限で回収ですか。ティルも案外ケチな事するもんだな。
 ……あぁ、だめだ。眠い。――再び、俺の意識は夢の中へと消えていった。
8

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