二章
一節 新たな任務を告げる鐘の音
上層区の、時計塔の鐘の音が聞こえている。乾燥して澄み渡った空気を伝って、安々と下層区へ音を響かせている。
東の窓から光が差し込んでいた。光を完全に遮るためのカーテンはなく、朝日がまぶたを貫通し、眼球に直接朝の到来を告げた。天井のファンが放つ一定のリズムと、外で、縄張りを主張し合って鳴いている鳥達の声が、心地よいまどろみを一層演出していた。
疲れが溜まっている。手入れのされていない森の中や、ゴツゴツとした岩場を歩いたせいで、足に、特にヒザを重点として動きが悪くなっているようだ。起き上がりたくない。
アイの布団が俺の体温をしっかりと抱きとめ、まだ休めと言ってくれている。いい香りがするなぁ。……ふふっ。……何かを忘れている気がする。なんだったかな。……うーん。尿意が溜まっている。鐘の音が止んだ。
――やばい! もう朝じゃねぇか! 俺は飛び上がった。体を起こすと腹筋がぎゅっと収縮した。ランプは消えている。広間には誰も居ない。それどころか、本部のどこにも気配が感じられない。
昨日の事をおぼろげながらに思い出す。――あぁそうだ、一度ティルは戻ってきていたんだ。キョウと話していたから、そのまま報告をまかせようと考えて二度寝していたんだった。
安心と、自分の責任感のなさとを量りに掛けていると、入り口の扉がきぃと鳴った。扉から現れたティルは、きょとんとした顔で俺を見た。
「あんた、まだ寝てたのかい?」クスクスと笑って、真っ直ぐに左奥の机のある方へ歩いていく。
一人掛け用の椅子とセットになっている、ティル専用の机だ。俺が団長なら、ベヒーモス革の椅子を買うだろうが、鼻の利くミスラにとっては臭いだけらしい。だから、ローズウッド製の見た目が地味な机と椅子だ。
「まぁかなり大変だったみたいだしね。よくやってくれたよ」
「ティル……、おはよう」目をこすりながら、掠れた声を出した。
「はいはい、おはようさん」ティルは二度手を叩くと、さぁ、と言って続ける。「早く顔を洗ってらっしゃい。折角あんたがいるんだ。次の仕事の話をするよ」
「仕事って、俺達にか? ゾッド達は?」
「三人には既に別の仕事に当たってもらってるよ。今頃はもうバストゥークさ」
「他国へ出張か。いい仕事だったのか?」俺は洗面台にヨタヨタと向かいながら、ティルへ投げかけた。
「まぁね。あんたにも面白い仕事を用意してあるから安心しなよ」
ジュノを活動の拠点にしているセイントは、主にジュノから旅立つ行商人達の護衛をしている。他国の仕事をする場合は、よほど報酬がいいか、大手の商会や、政府からの依頼くらいだ。上からの信頼を得られれば今後も仕事を取りやすいからな。多少割りに合わなくても、先行投資と割り切って依頼を飲む事がある。
実際はそれだけじゃない。特に政府に目を掛けてもらえれば、三国を空で繋ぐ船、飛空艇用のパスポートを無償で貸与してもらえる。パスがあれば、仕事だけじゃなく旅行の際にも飛空艇が使えるんだ。このパスを手に入れるために、傭兵団は必死こいて過酷な任務に赴いている。
……しかし、なぜかセイントは顔パスで乗れる。ティルいわく『あたしの魅力でイチコロ』らしいんだが、いまいち嘘くさい。
用をたし、冷水を浴びて、さっぱりした顔と頭を取り戻した。
「それで、仕事って何なんだ?」俺はソファーに腰掛けると切り出した。
「あんた、ジュノで流行っている麻薬の話は知ってるわね?」
「ああ、嫌でもな」
近年ジュノでは、薬物乱用での暴力事件が多発している。原因は、一年前頃に突如現れた、依存性の高い麻薬のせいだ。特に若者を中心に流行している薬らしいのだが、流通ルートが巧妙に隠されていて、バイヤーを捕まえても、すぐに次のバイヤーが現れ、不毛なイタチごっことなっている。
上層区にはアイの家庭教師が勤めている病院がある。そこに、日に二人は麻薬関連の事件に巻き込まれた人が運び込まれている。アイも非番の日には病院の手伝いに行っているが、息子に刃物でお腹を刺されたなんて患者も来るそうだ。精神が錯乱すると身近な、大事な人をも傷つけてしまうことはよくある事らしい。
そんな胸くその悪くなるような事を、毎日のように目の当たりにしている悲しそうな顔を見ていると、俺まで辛い。
根本的な解決を図るために政府も色々と手を尽くしているらしいが、なにせ件の麻薬の原材料が未だに分からないらしい。だから、知らず知らずのうちにそれをジュノに運び込んでいる可能性もある。皮肉なもんだ。
「今回の依頼は、なんと。ジュノ政府からの直々の依頼だよ」
「俺達に麻薬の捜査をしろって?」
「そうだよ」
俺は、はぁ、とため息を一つついた。
「できるわけないだろ。俺達は一介の傭兵だぞ。俺達に麻薬に関しての知識がないどころか、政府ですら原材料やルートを把握仕切れてないんだろ? まだ引き受けた訳じゃないよな?」
ティルの表情を確認する。俺の不安そうな顔を見つめ、いたずらに微笑む。その笑みの意味を理解した。
「おいおい、まじかよ。なんでそんな無茶な依頼を請けるんだよ。……というか政府は何故セイントにこの仕事を回したんだ?」
「うちが少数精鋭だからよ」そう言って笑みを崩さない。
「確かに人数は少ないが、精鋭って事はないだろ。普段から、軍の代わりとして機能してる大所帯の傭兵団があるんだ。なぜそっちに……」俺は、はっ、として、「やはり賄賂か? 金に物を言わせて無理やり仕事を取って来たんだろ」と、日頃から感じていた疑惑をぶつけた。
「やはりとは何よ、やはりとは。失礼な事言うんじゃないよ。あたしはそんなみみっちい事しないよ。いいかい? 受けちまったもんは、もうしょうがないんだ。キッチリこなすんだよ」それとね、とティルが左手の手の平を突き出してきた。「報酬は五千万ギルだよ」
「ごせんまんぎる……。は? 五千万ギルだって!」俺は耳にしたあまりの金額に驚き、立ち上がった。
「いい反応するじゃない? それでこそ傭兵ってもんだよ」ティルは書類に目を通しながらクスクスと笑っている。
「なぁ、でも何をすればいいんだ? 何をどうしたらいいかさっぱりだぞ」
俺は異例な依頼に戸惑った。今までも珍しい仕事はあったが、捜査依頼なんて受けた事がない。切った張ったの単純仕事ばかりだったからだ。
「はぁ、朝はやっぱり鈍いのかい? それともあんたは元々そうだったかねぇ」ティルが呆れている。
どういう意味だろう? 朝のせいだと思いたい。
「いや、だって初めての事だからさ……」
きな、とティルが手招きをする。俺が机の側に寄ると、二枚の書類を手渡してきた。
ふむふむ、なになに? 『麻薬取締局 人事異動通達』。……ジュノ政府直轄の、麻薬取締局内部の通達書のようだ。二人の捜査官へ宛てられた、人事異動を伝える書類だった。
二人は、他国にある支局の捜査官らしいが、どうやらジュノ本部に転勤してくるようだ。
「こんな依頼、うちらだけじゃできないのは承知だよ。あくまでもこれは、麻薬取締局との合同捜査なのさ」ティルが尻尾を手入れしながら言った。
ああ、そうか。よくよく考えれば当たり前の事だ。今まで蓄積された麻薬関連の情報にアクセスするには、相応の権限を持った人間が必要だ。
「いいかい? まずはその二人を迎えに行くんだよ。一人はバストゥーク大使館に、もう一人はウィンダス大使館で所定の手続きを行っているようだからね。大使館の連中はきっとお役所仕事してるだろうから、手続きを終えるまであんたが接待しておきな」
「ってことは、もうジュノに着いてるのか?」
「もう昨日の朝には着いてるそうだよ。ただし、手続きが遅れているせいで大使館に缶詰だとさ」
分かった、じゃあ、と言った時、入り口の扉がきぃといって開いた。アイが顔を覗かせた。こいつは朝に強い。
「あ! ティルさんおはようございます!」
「はいはい、おはようさん」ティルが、指先四本を数度折り曲げながら挨拶を返した。
「俺もいるぞ」
「ソレ! 早いね! ……もしかして朝までここで寝てたの?」
「あ、ああ。あの後朝までぐっすりと」俺は頭を掻いた。
「風邪ひいちゃうよ! もう!」
「どうしてここで寝ていたんだろうねぇ? ソレにしては珍しい」ティルがクスクスと笑って俺に視線を向ける。
「そ、そんな事はどうでもいいだろ。それよりアイ、早速だが仕事が入った。今回麻薬取締局と合同捜査を行う事になったぞ」
「え? 本当に?」
「ああ、本当だ。捜査官が二人赴任してきているから、大使館まで迎えに行くぞ」
「へぇ……新人さんだね! 分かった! なんか楽しくなりそうだね!」
「うまくやるんだよ」ティルが満足そうな顔をして言った。
俺とアイは顔を見合わせ、ティルに一言告げると詰め所を出た。
五千万という大金と、政府直轄組織との合同捜査という二つの異例が、すっかり目を覚まさせてくれた。五千万あれば、ジュノ上層に一軒家を建てられる。まさに一攫千金だ。
俺達は、ジュノの塔の階段を上がっていった。とても長い、石造りの螺旋階段だ。
ジュノは、橋の上にある唯一の海上都市国家だ。それだけでなく、都市そのものが特殊な造りをしている。四つの区画から成っていて、それぞれの区画を巨大な塔を中心にした階層状で結んでいる。ジュノの区画間を移動する際は、ジュノ中央の塔に入って上がったり下ったりするわけだ。
一番上の階層にあって、ジュノを治める大公の私邸や執政室がある『ル・ルデの庭』。サンドリア王国、バストゥーク共和国、ウィンダス連邦の大使館も存在している。つまり、政治の中心となる区画だ。ここに、今回の件で協力をしてくれる捜査官が二人滞在している。
上から二番目の区画は、上層区。ここには病院がある。アイの家庭教師だったウンディも、今はここで看護婦をやっている。
この区画ならどこにいても見える、巨大な時計塔がある。毎朝けたたましい音で俺達をたたき起こしてくれる。うるさい親父みたいなもんだ。実際、この時計塔の整備をしているのはガルカのガンコ親父らしい。ガルカってだけでも、やたら図体がでかくて怖いのに、その上ガンコなら、……友達はいるんだろうか?
女神アルタナを祭った聖堂もある。サンドリアの大聖堂ほどの規模じゃないが、参拝客が多いおかげか手入れが行き渡っていて、とても気持ちのいい空気で満たされている。
俺も、たまに死んだお袋の事を想ってこの聖堂にお祈りを捧げている。お袋は楽園へ辿り付けただろうか。わずか二年足らずの戦争の間に亡くなっちまったんだ。……運が悪かった。親父は毎日熱心に大聖堂でお祈りしていたな。とどのつまり、不甲斐ない自分達の懺悔の場所みたいなものだ。
三番目の区画は、下層区。一般市民の住宅都市になっている。
しかし、塔からここへ立ち入るとすぐにガラの悪い連中が目に入る。『海神楼』という高級宿屋があって、なぜかその周りにたむろしている。宿屋の向かいの噴水にもそういった連中が大勢いて、市民の憩いの場所が遺憾にも失われている。
本来は一般市民の区画のはずなのだが、もう一つイメージを悪くしている物がある。『ジャンク屋』だ。ゴブリンが経営している店だ。毒薬、爆弾、怪しげな料理。とにかくヤバイ物を色々扱っている。
下層に住んでいるゴブリンはカタコトながらも人語を話せる。市民権を得ているし、攻撃的でもない。とても友好的なのだが、大きな文化の違いのせいで、ほとんどの人間は快く思っていないようだ。
下層にはなんといっても酒場がある。俺のお気に入りの場所だ。ゆっくりと一人で飲む酒はうまい。毎日、吟遊詩人の連中が舞台で歌と演奏を披露してくれるんだ。
『戦士達のピーアン』って曲には本当に癒されている。日々戦いに明け暮れて疲れ切っている傭兵の安息の場所だ。
『アイとはどうなッてんだよー』と、いやらしい顔つきをして、二人の関係をせっついてくるハゲ頭がいると台無しになってしまうが。加減を知らない先輩には困ったもんだよ。
居住区には我等が『セイント』の詰め所がある。団員はみな居住区に自分の部屋を持ってるが、非番の連中は大概ここに入り浸りだ。常に誰かしらいて暇をつぶせる。
ただ、そのせいで私物が置きっ放しになっていたり、ゴミをそこらに散らかす『お馬鹿』が二人ほどいて、俺とアイが自主的に掃除をするハメになっている。もっと気持ちよく使いたいもんだよ。なるほど、そういう事が休む事無く続いたから、逃げ出すように酒場に通っているのかもしれない。心のオアシスって大事だな。
一番下の区画は港区。ここは連合国三国と、遥か南にある『エルシモ島』の、『カザム』との定期便を発着させる、四つの飛空艇の空路玄関口だ。
あの大きな船が空を飛ぶなんて今でも信じられないな。原理は一切公表されてなくて、ジュノ大公国の一番の強みとなっている。空からの攻撃を仕掛けられるのはジュノだけだ。もし、戦争になったら、いや、考えたくないけど。もしそうなったとしたらサンドリアはあっという間に滅ぼされるだろうな。
ジュノが歴史に姿を現すまでは、バストゥークが機械技術の代名詞と言われる国だったんだが、もはや逆立ちをしても追いつけないだろう。
そういった背景から他国の過激派が不穏な動きを見せている、という話も最近はよく聞くようになった。獣人との戦争が終わった途端に、次は人間同士で争うんだろうか。みんなで力を合わせて勝ち得た平和なのに、みんなで壊していく。なんて馬鹿らしい話なんだろうな。
上層区の、時計塔の鐘の音が聞こえている。乾燥して澄み渡った空気を伝って、安々と下層区へ音を響かせている。
東の窓から光が差し込んでいた。光を完全に遮るためのカーテンはなく、朝日がまぶたを貫通し、眼球に直接朝の到来を告げた。天井のファンが放つ一定のリズムと、外で、縄張りを主張し合って鳴いている鳥達の声が、心地よいまどろみを一層演出していた。
疲れが溜まっている。手入れのされていない森の中や、ゴツゴツとした岩場を歩いたせいで、足に、特にヒザを重点として動きが悪くなっているようだ。起き上がりたくない。
アイの布団が俺の体温をしっかりと抱きとめ、まだ休めと言ってくれている。いい香りがするなぁ。……ふふっ。……何かを忘れている気がする。なんだったかな。……うーん。尿意が溜まっている。鐘の音が止んだ。
――やばい! もう朝じゃねぇか! 俺は飛び上がった。体を起こすと腹筋がぎゅっと収縮した。ランプは消えている。広間には誰も居ない。それどころか、本部のどこにも気配が感じられない。
昨日の事をおぼろげながらに思い出す。――あぁそうだ、一度ティルは戻ってきていたんだ。キョウと話していたから、そのまま報告をまかせようと考えて二度寝していたんだった。
安心と、自分の責任感のなさとを量りに掛けていると、入り口の扉がきぃと鳴った。扉から現れたティルは、きょとんとした顔で俺を見た。
「あんた、まだ寝てたのかい?」クスクスと笑って、真っ直ぐに左奥の机のある方へ歩いていく。
一人掛け用の椅子とセットになっている、ティル専用の机だ。俺が団長なら、ベヒーモス革の椅子を買うだろうが、鼻の利くミスラにとっては臭いだけらしい。だから、ローズウッド製の見た目が地味な机と椅子だ。
「まぁかなり大変だったみたいだしね。よくやってくれたよ」
「ティル……、おはよう」目をこすりながら、掠れた声を出した。
「はいはい、おはようさん」ティルは二度手を叩くと、さぁ、と言って続ける。「早く顔を洗ってらっしゃい。折角あんたがいるんだ。次の仕事の話をするよ」
「仕事って、俺達にか? ゾッド達は?」
「三人には既に別の仕事に当たってもらってるよ。今頃はもうバストゥークさ」
「他国へ出張か。いい仕事だったのか?」俺は洗面台にヨタヨタと向かいながら、ティルへ投げかけた。
「まぁね。あんたにも面白い仕事を用意してあるから安心しなよ」
ジュノを活動の拠点にしているセイントは、主にジュノから旅立つ行商人達の護衛をしている。他国の仕事をする場合は、よほど報酬がいいか、大手の商会や、政府からの依頼くらいだ。上からの信頼を得られれば今後も仕事を取りやすいからな。多少割りに合わなくても、先行投資と割り切って依頼を飲む事がある。
実際はそれだけじゃない。特に政府に目を掛けてもらえれば、三国を空で繋ぐ船、飛空艇用のパスポートを無償で貸与してもらえる。パスがあれば、仕事だけじゃなく旅行の際にも飛空艇が使えるんだ。このパスを手に入れるために、傭兵団は必死こいて過酷な任務に赴いている。
……しかし、なぜかセイントは顔パスで乗れる。ティルいわく『あたしの魅力でイチコロ』らしいんだが、いまいち嘘くさい。
用をたし、冷水を浴びて、さっぱりした顔と頭を取り戻した。
「それで、仕事って何なんだ?」俺はソファーに腰掛けると切り出した。
「あんた、ジュノで流行っている麻薬の話は知ってるわね?」
「ああ、嫌でもな」
近年ジュノでは、薬物乱用での暴力事件が多発している。原因は、一年前頃に突如現れた、依存性の高い麻薬のせいだ。特に若者を中心に流行している薬らしいのだが、流通ルートが巧妙に隠されていて、バイヤーを捕まえても、すぐに次のバイヤーが現れ、不毛なイタチごっことなっている。
上層区にはアイの家庭教師が勤めている病院がある。そこに、日に二人は麻薬関連の事件に巻き込まれた人が運び込まれている。アイも非番の日には病院の手伝いに行っているが、息子に刃物でお腹を刺されたなんて患者も来るそうだ。精神が錯乱すると身近な、大事な人をも傷つけてしまうことはよくある事らしい。
そんな胸くその悪くなるような事を、毎日のように目の当たりにしている悲しそうな顔を見ていると、俺まで辛い。
根本的な解決を図るために政府も色々と手を尽くしているらしいが、なにせ件の麻薬の原材料が未だに分からないらしい。だから、知らず知らずのうちにそれをジュノに運び込んでいる可能性もある。皮肉なもんだ。
「今回の依頼は、なんと。ジュノ政府からの直々の依頼だよ」
「俺達に麻薬の捜査をしろって?」
「そうだよ」
俺は、はぁ、とため息を一つついた。
「できるわけないだろ。俺達は一介の傭兵だぞ。俺達に麻薬に関しての知識がないどころか、政府ですら原材料やルートを把握仕切れてないんだろ? まだ引き受けた訳じゃないよな?」
ティルの表情を確認する。俺の不安そうな顔を見つめ、いたずらに微笑む。その笑みの意味を理解した。
「おいおい、まじかよ。なんでそんな無茶な依頼を請けるんだよ。……というか政府は何故セイントにこの仕事を回したんだ?」
「うちが少数精鋭だからよ」そう言って笑みを崩さない。
「確かに人数は少ないが、精鋭って事はないだろ。普段から、軍の代わりとして機能してる大所帯の傭兵団があるんだ。なぜそっちに……」俺は、はっ、として、「やはり賄賂か? 金に物を言わせて無理やり仕事を取って来たんだろ」と、日頃から感じていた疑惑をぶつけた。
「やはりとは何よ、やはりとは。失礼な事言うんじゃないよ。あたしはそんなみみっちい事しないよ。いいかい? 受けちまったもんは、もうしょうがないんだ。キッチリこなすんだよ」それとね、とティルが左手の手の平を突き出してきた。「報酬は五千万ギルだよ」
「ごせんまんぎる……。は? 五千万ギルだって!」俺は耳にしたあまりの金額に驚き、立ち上がった。
「いい反応するじゃない? それでこそ傭兵ってもんだよ」ティルは書類に目を通しながらクスクスと笑っている。
「なぁ、でも何をすればいいんだ? 何をどうしたらいいかさっぱりだぞ」
俺は異例な依頼に戸惑った。今までも珍しい仕事はあったが、捜査依頼なんて受けた事がない。切った張ったの単純仕事ばかりだったからだ。
「はぁ、朝はやっぱり鈍いのかい? それともあんたは元々そうだったかねぇ」ティルが呆れている。
どういう意味だろう? 朝のせいだと思いたい。
「いや、だって初めての事だからさ……」
きな、とティルが手招きをする。俺が机の側に寄ると、二枚の書類を手渡してきた。
ふむふむ、なになに? 『麻薬取締局 人事異動通達』。……ジュノ政府直轄の、麻薬取締局内部の通達書のようだ。二人の捜査官へ宛てられた、人事異動を伝える書類だった。
二人は、他国にある支局の捜査官らしいが、どうやらジュノ本部に転勤してくるようだ。
「こんな依頼、うちらだけじゃできないのは承知だよ。あくまでもこれは、麻薬取締局との合同捜査なのさ」ティルが尻尾を手入れしながら言った。
ああ、そうか。よくよく考えれば当たり前の事だ。今まで蓄積された麻薬関連の情報にアクセスするには、相応の権限を持った人間が必要だ。
「いいかい? まずはその二人を迎えに行くんだよ。一人はバストゥーク大使館に、もう一人はウィンダス大使館で所定の手続きを行っているようだからね。大使館の連中はきっとお役所仕事してるだろうから、手続きを終えるまであんたが接待しておきな」
「ってことは、もうジュノに着いてるのか?」
「もう昨日の朝には着いてるそうだよ。ただし、手続きが遅れているせいで大使館に缶詰だとさ」
分かった、じゃあ、と言った時、入り口の扉がきぃといって開いた。アイが顔を覗かせた。こいつは朝に強い。
「あ! ティルさんおはようございます!」
「はいはい、おはようさん」ティルが、指先四本を数度折り曲げながら挨拶を返した。
「俺もいるぞ」
「ソレ! 早いね! ……もしかして朝までここで寝てたの?」
「あ、ああ。あの後朝までぐっすりと」俺は頭を掻いた。
「風邪ひいちゃうよ! もう!」
「どうしてここで寝ていたんだろうねぇ? ソレにしては珍しい」ティルがクスクスと笑って俺に視線を向ける。
「そ、そんな事はどうでもいいだろ。それよりアイ、早速だが仕事が入った。今回麻薬取締局と合同捜査を行う事になったぞ」
「え? 本当に?」
「ああ、本当だ。捜査官が二人赴任してきているから、大使館まで迎えに行くぞ」
「へぇ……新人さんだね! 分かった! なんか楽しくなりそうだね!」
「うまくやるんだよ」ティルが満足そうな顔をして言った。
俺とアイは顔を見合わせ、ティルに一言告げると詰め所を出た。
五千万という大金と、政府直轄組織との合同捜査という二つの異例が、すっかり目を覚まさせてくれた。五千万あれば、ジュノ上層に一軒家を建てられる。まさに一攫千金だ。
俺達は、ジュノの塔の階段を上がっていった。とても長い、石造りの螺旋階段だ。
ジュノは、橋の上にある唯一の海上都市国家だ。それだけでなく、都市そのものが特殊な造りをしている。四つの区画から成っていて、それぞれの区画を巨大な塔を中心にした階層状で結んでいる。ジュノの区画間を移動する際は、ジュノ中央の塔に入って上がったり下ったりするわけだ。
一番上の階層にあって、ジュノを治める大公の私邸や執政室がある『ル・ルデの庭』。サンドリア王国、バストゥーク共和国、ウィンダス連邦の大使館も存在している。つまり、政治の中心となる区画だ。ここに、今回の件で協力をしてくれる捜査官が二人滞在している。
上から二番目の区画は、上層区。ここには病院がある。アイの家庭教師だったウンディも、今はここで看護婦をやっている。
この区画ならどこにいても見える、巨大な時計塔がある。毎朝けたたましい音で俺達をたたき起こしてくれる。うるさい親父みたいなもんだ。実際、この時計塔の整備をしているのはガルカのガンコ親父らしい。ガルカってだけでも、やたら図体がでかくて怖いのに、その上ガンコなら、……友達はいるんだろうか?
女神アルタナを祭った聖堂もある。サンドリアの大聖堂ほどの規模じゃないが、参拝客が多いおかげか手入れが行き渡っていて、とても気持ちのいい空気で満たされている。
俺も、たまに死んだお袋の事を想ってこの聖堂にお祈りを捧げている。お袋は楽園へ辿り付けただろうか。わずか二年足らずの戦争の間に亡くなっちまったんだ。……運が悪かった。親父は毎日熱心に大聖堂でお祈りしていたな。とどのつまり、不甲斐ない自分達の懺悔の場所みたいなものだ。
三番目の区画は、下層区。一般市民の住宅都市になっている。
しかし、塔からここへ立ち入るとすぐにガラの悪い連中が目に入る。『海神楼』という高級宿屋があって、なぜかその周りにたむろしている。宿屋の向かいの噴水にもそういった連中が大勢いて、市民の憩いの場所が遺憾にも失われている。
本来は一般市民の区画のはずなのだが、もう一つイメージを悪くしている物がある。『ジャンク屋』だ。ゴブリンが経営している店だ。毒薬、爆弾、怪しげな料理。とにかくヤバイ物を色々扱っている。
下層に住んでいるゴブリンはカタコトながらも人語を話せる。市民権を得ているし、攻撃的でもない。とても友好的なのだが、大きな文化の違いのせいで、ほとんどの人間は快く思っていないようだ。
下層にはなんといっても酒場がある。俺のお気に入りの場所だ。ゆっくりと一人で飲む酒はうまい。毎日、吟遊詩人の連中が舞台で歌と演奏を披露してくれるんだ。
『戦士達のピーアン』って曲には本当に癒されている。日々戦いに明け暮れて疲れ切っている傭兵の安息の場所だ。
『アイとはどうなッてんだよー』と、いやらしい顔つきをして、二人の関係をせっついてくるハゲ頭がいると台無しになってしまうが。加減を知らない先輩には困ったもんだよ。
居住区には我等が『セイント』の詰め所がある。団員はみな居住区に自分の部屋を持ってるが、非番の連中は大概ここに入り浸りだ。常に誰かしらいて暇をつぶせる。
ただ、そのせいで私物が置きっ放しになっていたり、ゴミをそこらに散らかす『お馬鹿』が二人ほどいて、俺とアイが自主的に掃除をするハメになっている。もっと気持ちよく使いたいもんだよ。なるほど、そういう事が休む事無く続いたから、逃げ出すように酒場に通っているのかもしれない。心のオアシスって大事だな。
一番下の区画は港区。ここは連合国三国と、遥か南にある『エルシモ島』の、『カザム』との定期便を発着させる、四つの飛空艇の空路玄関口だ。
あの大きな船が空を飛ぶなんて今でも信じられないな。原理は一切公表されてなくて、ジュノ大公国の一番の強みとなっている。空からの攻撃を仕掛けられるのはジュノだけだ。もし、戦争になったら、いや、考えたくないけど。もしそうなったとしたらサンドリアはあっという間に滅ぼされるだろうな。
ジュノが歴史に姿を現すまでは、バストゥークが機械技術の代名詞と言われる国だったんだが、もはや逆立ちをしても追いつけないだろう。
そういった背景から他国の過激派が不穏な動きを見せている、という話も最近はよく聞くようになった。獣人との戦争が終わった途端に、次は人間同士で争うんだろうか。みんなで力を合わせて勝ち得た平和なのに、みんなで壊していく。なんて馬鹿らしい話なんだろうな。
二節 二人のエージェント
「この人はバストゥークから来た人だね?」アイが通達書に目を通しながら確認する。
「ああ、二人とも今回の捜査のために他国から配属替えされたみたいだ」
「少しの間かも知れないけど、仲良くやれるといいねぇ!」アイが嬉しそうだ。
しかし、新人ではないんだ。任務が終わればまた別々になる。深入りは禁物だ。
「そうだな。その辺りはアイにまかせるよ。さぁ入ろう」
「もぉ! ソレも努力するの!」
大使館の扉を開けると、すぐに大きなバストゥークの国旗が目に入った。小さなロビーの、カウンターの向こうにいる受付のガルカが睨みを利かせてくる。紺色のベレー帽を被った軍人上がりのような成りだ。
確かにここはもうバストゥークの領土だが、一緒の街に住んでるんだ、仲良くしてくれよ。
「昨日からここに滞在しているスタイルズ捜査官を呼び出してくれ」
ベレーのガルカは黙ってうなづき、奥の事務室へ消えていった。
「怖いね」
「ああ、何だろうな。ジュノの人間を信用していないのか、傭兵を見下してるのか。あんなんで大使館員が務まるのか?」
やはり元技術大国だけあって、新興超技術国家を敵対視してるんだろうか。俺は関係ないぞ。巻き込まないでくれ。
受付のガルカがカウンターに戻ってきた。
左手の金縁の扉がガチャリと開くと、赤い羽根付き帽子を被った、背の高いヒュームの男が現れた。赤いマントをまとい、マントの留め具には、何かの動物が描かれた金色のバッジを付けている。キザったらしい格好だが、端整で賢そうな顔立ちが嫌味を感じさせない。
彼は俺達を見ると、帽子を脱ぎ一礼した。
「初めまして。エア・スタイルズと申します。あなた方が今回、私達に協力してくれる傭兵団の方々ですね」
「は、はい! アイって言います! ふつつかものですがよろしくお願いします!」アイは緊張しているようだ。何故だか悔しいぞ。
「初めまして。俺はソレだ。よろしく頼むよスタイルズ捜査官」
彼は、クスッと笑って言った。「今日から一緒に仕事をする仲間です。エアと呼んで下さい」笑顔がとても上品だ。
「ああ、分かった。よろしくな。……ところでエア、もう手続きは済んだのか? 昨日から居るらしいが手間取っていると聞いたんだ」
エアは帽子を被ると、どうぞ、と言い俺達をロビーにあるソファーへ座るように促した。三人で腰を掛けた。
「ええ。いつも通りですが、まだここを動けそうにありません。夕方までにはなんとか手続きが完了するようです。一ヶ月に数度はジュノへ来てるんですが、顔なじみになっていても、手続きにはしっかり時間を取られてしまいます」言いながら苦笑している。
「一ヶ月に数度? 今回が初めてのジュノじゃないのか」
「ええ、私はジュノ本部とバストゥーク支部の橋渡し役のようなものです。今回は、本部へ異動となったのでしばらくはこちらで腰を落ちつけられそうです。……早く捜査を開始したいのですが、こういった面倒な手続きのせいで毎度この調子なんですよ。これだけ大きな都市ともなると、仕方のないこともかもしれませんが」
エアが憂いの表情を浮かべている。この真面目そうな捜査官は仕事一辺倒なんだろう。俺ならこんな渡り鳥のような仕事はごめんだ。
アイが落ち着かないようだ。隣でそわそわとしている。
「おい、アイ。そんなに緊張してどうしたんだよ」
アイは一瞬ビクッとして話しだした。「ソレ! 赤い羽根帽子の意味知らないの?」
赤い羽根帽子? エアの被ってる帽子か。
「意味ってなんだよ。おまえ仲良くやるんじゃないのか? 人見知りしてる場合じゃないぞ」
「もぉ! あのね、エアさんはね『赤魔道士』なんだよ」
「赤魔道士?」
エアの顔を見ると困った顔をしているようだ。
「エアさんの被ってる赤い帽子は、上級魔道士の証なんだよぉ。白魔法上級試験と、黒魔法上級試験の両方に合格して、なおかつ剣術も得意なエリート魔道士なの。わたしなんて白魔法中級試験すら合格できないのに……」
へぇ、なんだかすごい人のようだ。麻薬捜査は危険な任務が多いだろうからな。戦闘においてもかなりの能力がないと勤まらないのかもしれない。
「ふむ、困りましたね。そんなに緊張なさらなくてもいいですよ。私は教師じゃありませんし。それにまだまだ未熟です。……そして何より今日からは仲間ですから、遠慮せずに意見や情報を交換しあいましょう」そう言ってにっこり笑うと、帽子を脱いで脇に置いた。アイへの配慮だろうか。
「にしても、そんな真っ赤な服装だと潜入捜査なんて出来ないんじゃないか? 俺ならもっと地味なローブを羽織るよ」
「ええ、そうですね。ですが、現在は公式な場にいるので。……規則なんですよ。私としても、とても恥ずかしいのです。こんなに目立つ格好では、ここから出たくても、なかなか出られませんからね」エアはうつむき加減で口元を緩めている。
「早くそれを脱いでくつろげるといいな。そうだ、俺は捜査官二人を接待するようにうちの団長から命じられてるんだ。一緒にどこかでのんびり過ごさないか?」
エアがかぶりを振って答えた。「いえ、申し出は気持ちだけで充分です。この格好も気になりますが、規則で手続きが終わるまでは、原則としてここから出られないのですよ。しかし、昨日の昼前からずっとここに居ますが、ここの人たちはとても親切にしてくれています。快適に過ごせているので問題ありませんよ」そう言ってエアは、ベレーのガルカをチラリと見た。しかし、ベレーのガルカは表情を崩さなかった。
「そうか。分かった。……じゃあ、とりあえず俺達はもう一人の捜査官にも会いに行ってくるよ。夕方過ぎにセイントの詰め所に足を運んでくれ。色々と話したいことがあるんだ。なにせ俺達は捜査のど素人だからな。頼りにしてるよ」
「はい、私にできることがあるならどんどん頼ってください」
「ありがとう。それじゃあまた後で」
「エ、エアさん、それでは失礼します!」
「はい、後ほど」
俺達は、エアが部屋に戻るのを見届けて大使館を後にした。
目の前の、三国の大使館の中央にある噴水が、丁度大量の水を天に噴き出していた。止んだ水柱の向こうに、赤色のマントを着た人物を見つけた。エアと同じ赤い羽根付き帽子を被ったタルタルだった。ジュノの住民であろう、ミスラの女性に話しかけている。
「なぁ、アレって赤魔道士だよな?」
「う、うん。エアさんよりも派手な格好だね」
マントの背の部分に、銀色の獅子の刺繍がしてある。確か、ウィンダス大使館にいるのはタルタルの捜査官だったな。
「そんな事言わずにさぁ、ウィンダスから来たばかりなんだよ」
どうやらタルタルはナンパをしてるようだが、うまくいっていないようだ。ミスラが去っていった。捜査官は大使館にいるはずだが、やっぱりコイツがもう一人の……。
タルタルの男はこちらに気付き、ひょこひょこと小さな足を動かして向かってきた。
「ねぇねぇそこのオネエちゃん。僕、ウィンダスから来たばかりなんだよ。道案内してくれないかなぁ?」
なんだコイツは。俺の事が見えてないのか。普通、男を連れた女に話しかけるか?
「かわいいぃ! いいよ! 行きたいところあるの?」
「お、おい! なに軽く承諾してんだよ。俺達は今仕事中だぞ」アイの調子はずれの発言に驚いた。「それにチビ! おまえ、俺の事を無視して、隣の女に話しかけるとはいい度胸じゃねぇか。そんなんじゃこの都会じゃ生きていけないぞ」と、自分の半分もない背丈のタルタルに凄んでみせた。
チビがアイに近づき、手を差し出す。「抱っこして?」
アイがチビを両手で抱え、持ち上げた。「わぁ! 初めてだよぉ!」
「……おい、おまえら二人とも俺の話を聞いてるか? なぁ、そうであって欲しくないんだが、おまえがウィンダスから来た麻薬取締局の捜査官か?」
「うーん、どうかなぁ? 道案内してくれたら教えてあげてもいいケド。でも、基本的に男からの質問は受け付けてないケドね」そう言いつつ、タルタルはアイの胸に手を軽く置き、勝ち誇った目を向けてくる。
こいつ……、殺す。
「おい! 傭兵ナメんなよ! こっちは荒事でおまんま食ってんだ、ナメられたらお仕舞いなんだよ! とっととアイから離れろ! ぶちのめしてやる!」
「いじめないでよぉ」タルタルが泣きまねをしてアイの胸に食らいつく。
「ちょっと! ソレ、怒りすぎだよぉ。この子、迷子になっちゃったんだよ。大目に見てあげよう?」
「アイ! 騙されんなって! こいつ絶対もう一人の捜査官だぞ。赤魔道士だし、大使館の前にいるし。そうだとしたら迷子になるような年齢じゃなくて、おっさんだぞ! 泣きまねしてんなよ」
「誰がおっさんタル! こっちは、この姿でおまんま食ってるのタル!」顔をこちらに向けて言った。
正直過ぎるだろこいつ。
「な? ただの泣きまねだったろ。分かったら下ろせよな。話が進まないぞ」
チビはアイの表情を見た後、しぶしぶ下ろすように合図した。そして噴水の縁に、よっ、と言って掴まると足をジタバタさせながらよじ上った。
「で、何? 男に道案内されるつもりはないよ」
まだ言うか。
「道案内の話はいい。おまえがウィンダスから来た捜査官なら、どちらにしろ俺が接待するんだ。どうなんだ、おまえがそうなのか?」
チビが大きく息を吸い込み、
「そうだよ。僕がウィンダス石の区支部よりきた、赤魔道士のスーパーヒーロー、パンナ・コッタ様だ! 若干二十二歳にして、麻薬取締局の中級エージェントになり、今回、この光と影の大都市ジュノ本部に栄転してきたのだ! この世の悪と言う悪はこの僕が成敗する!」言い切った。親指を立てて腕を前に突き出している。太陽の光を受けて、マントの留め具の、銀色のバッジがキラリと光った。噴水が噴き上がる。
キメポーズだろうか。アイが、わぁ、と言って目を輝かせている。いや、かっこよくないだろう。
「やっぱりおまえがそうなのか」頭が痛い。
「おまえじゃない。パンナ・コッタ様だ」
「じゃあ、パンナ」
「パンナ・コッタ様」
「うるせぇ! パンナでいい! おまえは今からパンナだ! いいか、スーパーヒーローだかなんだか知らないが、ジュノの本部に着任して早々、やる事がナンパかよ。パンナがナンパとかギャグにも程がありすぎる!」
「寒い駄洒落タル」
「それはちょっと……」
パンナだけじゃなく、アイまでも!
「う、うるせぇ! いいか? 今から俺達はおまえをセイントに引き入れなきゃいけない。おまえはむかつく野郎だが、こっちは仕事でやってんだ。くだらねぇキメポーズなんかより、まともな人間性を構築しやがれ!」
パンナはくるりと後ろへ振り返り、「……やっぱりヒーローは孤独タル」と、ボソリと言った。
噴水の広場に吹いた風が、赤いマントをはためかせた。……かっこよくないぞ。
「パンナさん! ソレの言う事は気にしなくていいからね! おいで!」アイがパンナに手を差し伸べた。パンナが笑顔で振り返ってアイに飛びついた。
「わたしはアイだよ! こっちの怒りんぼうはソレ! 一緒に仕事頑張ろうね!」
「うん! 頑張るタルゥ!」
ダメだ。こいつらダメ過ぎる。エアとの差がひどい。
「はぁ……、まぁいいよ。で、パンナも大使館で足止めされてんのか?」
「うーん、一応そうなるねぇ。昨日の夜は酒場で楽しんでたケド。ジュノの酒場はいいねぇ! 置いてないお酒はないし! なにより戦士達のピーアンが堪らないよぉ! 常連になっちゃうかも」
おいおい。移籍の手続きが取れていないのに、抜け出して酒飲んでんのかよ。――しかも戦士達のピーアンだと? ハチミツ酒亭じゃねぇか。俺のお気に入りの場所がっ!
「おい。道案内が必要だとか言ってたが、その酒場は下層区にあるんだぞ。しっかり分かってんじゃねぇか」
「お酒の匂いはどこにいても分かる物タル。ソレはまだまだ未熟タルねぇ」
どういう理屈だよ。ああ、もういい。こいつの顔はしばらく見たくないぞ。
「はぁ……、もう、そういう事でいいよ。俺達はセイントの詰め所にいるから、手続きが済んだら来てくれ。もう一人の捜査官エアも、夕方までには終わるって言ってたから、おまえもちゃんと来るんだぞ。あと、絶対に面倒は起こすな」
「えー! もう行っちゃうの? アイさんも?」
「うん、ごめんねパンナさん。わたしは、空いてる時間は病院のお手伝いに行ってるから。最近は麻薬の被害が本当にひどいの……」アイも大変だ。
「……うん、そうだね。でも、僕が来たからにはもう安心して! ジュノから麻薬を消し去ってやるタル!」アイに抱きかかえられながらガッツポーズをしている。本当に大丈夫かよ。
「まぁ頑張ってくれよ。じゃあ俺達は行くから。また後でな」
「アイさんまたねぇ!」ひょい、と縁に飛び乗って手を振る。チビだけあって軽快だな。
夕方には詰め所で集合するように伝え、上層区でアイと別れた。戻って事情を説明しないとな。あんなのといたら頭がおかしくなりそうだ。
詰め所の扉に手を掛けると中から話し声が聞こえた。昼前なのに珍しくジェイとキョウがいるんだろうか。
「ティル、戻ったぞ……え!」
パンナがティルと話していた。
「お、おい! なんでおまえがここにいるんだよ!」
「暇だったからタル」ソファーに寝転がりながら、お菓子を食べている。
「暇とかじゃねぇよ! おまえは政府の職員だろうが。規則を守れ規則を」
「ソレ」ティルが口を開いた。「あんた、あたしが何て言ったか覚えてるかい?」
「えっ?」
「はぁ……。二人の捜査官を接待しろと言ったんだよ。なんで一人で戻ってきてるんだい? あんたはそんな簡単な事もできない子なのかねぇ?」
「いや、その。そう! その説明をしに戻ったんだよ! エアは格好が派手だから出たくないっていうし、パンナはなんかおかしいし、それに手続きが終わらないと大使館から出られな……」
ティルがドンッ、と手を机に叩きつけた。
「おだまり! 規則だろうがなんだろうが、団長の言うことは絶対だよ! あんたも五年間この仕事をしてきたんだ、今更そんな初歩的な事を忘れるんじゃないよ! それにね、パンナはあたしの旧友なんだ。丁重におもてなししな!」一息もせずに声を上げた。
「ありがとーティルにゃん」
くそっ。なんだあの猫撫で声は。……ニヤけ面で俺を見やがって。むかつく野郎だ。
「パンナ、すまないねぇ。あの子はうちじゃまだ新人なんだ。よく面倒を見てやってちょうだいね」
「気にしないでティルにゃん。僕こういうのには慣れっこタル。ソレの事は僕にまかせて!」
「ありがとねぇ」ティルはそう言うと、俺を睨みつけた。「いいかい? あたしは別件で、すぐにここを発たなくちゃいけないんだ。パンナにはくれぐれも迷惑掛けるんじゃないよ。それとね、チームの振り分けを言い渡すよ。あんたは、アイとパンナ。残りの三人の、キョウシロウとジェイとスタイルズ捜査官の二チームだよ。うまくやりな」
「え! ちょっとまっ……」
「ちょっとも何もない! もう決まった事だよ!」そういうと、ティルは足元にあった布製のバッグを手に取った。
理不尽すぎる。よりによって、パンナと同じチームだなんて……。
「それじゃあね。後はよろしく頼んだよ」ティルは立ち上がり、バッグを背中に担ぐと扉へ歩いていった。
それを黙って見ていることしかできなかった。これ以上何も言えなかった。扉はバタンと大きな音を立てて閉まった。パンナが食べているスナック菓子の、パリパリという音だけが部屋に響いていた。
「この人はバストゥークから来た人だね?」アイが通達書に目を通しながら確認する。
「ああ、二人とも今回の捜査のために他国から配属替えされたみたいだ」
「少しの間かも知れないけど、仲良くやれるといいねぇ!」アイが嬉しそうだ。
しかし、新人ではないんだ。任務が終わればまた別々になる。深入りは禁物だ。
「そうだな。その辺りはアイにまかせるよ。さぁ入ろう」
「もぉ! ソレも努力するの!」
大使館の扉を開けると、すぐに大きなバストゥークの国旗が目に入った。小さなロビーの、カウンターの向こうにいる受付のガルカが睨みを利かせてくる。紺色のベレー帽を被った軍人上がりのような成りだ。
確かにここはもうバストゥークの領土だが、一緒の街に住んでるんだ、仲良くしてくれよ。
「昨日からここに滞在しているスタイルズ捜査官を呼び出してくれ」
ベレーのガルカは黙ってうなづき、奥の事務室へ消えていった。
「怖いね」
「ああ、何だろうな。ジュノの人間を信用していないのか、傭兵を見下してるのか。あんなんで大使館員が務まるのか?」
やはり元技術大国だけあって、新興超技術国家を敵対視してるんだろうか。俺は関係ないぞ。巻き込まないでくれ。
受付のガルカがカウンターに戻ってきた。
左手の金縁の扉がガチャリと開くと、赤い羽根付き帽子を被った、背の高いヒュームの男が現れた。赤いマントをまとい、マントの留め具には、何かの動物が描かれた金色のバッジを付けている。キザったらしい格好だが、端整で賢そうな顔立ちが嫌味を感じさせない。
彼は俺達を見ると、帽子を脱ぎ一礼した。
「初めまして。エア・スタイルズと申します。あなた方が今回、私達に協力してくれる傭兵団の方々ですね」
「は、はい! アイって言います! ふつつかものですがよろしくお願いします!」アイは緊張しているようだ。何故だか悔しいぞ。
「初めまして。俺はソレだ。よろしく頼むよスタイルズ捜査官」
彼は、クスッと笑って言った。「今日から一緒に仕事をする仲間です。エアと呼んで下さい」笑顔がとても上品だ。
「ああ、分かった。よろしくな。……ところでエア、もう手続きは済んだのか? 昨日から居るらしいが手間取っていると聞いたんだ」
エアは帽子を被ると、どうぞ、と言い俺達をロビーにあるソファーへ座るように促した。三人で腰を掛けた。
「ええ。いつも通りですが、まだここを動けそうにありません。夕方までにはなんとか手続きが完了するようです。一ヶ月に数度はジュノへ来てるんですが、顔なじみになっていても、手続きにはしっかり時間を取られてしまいます」言いながら苦笑している。
「一ヶ月に数度? 今回が初めてのジュノじゃないのか」
「ええ、私はジュノ本部とバストゥーク支部の橋渡し役のようなものです。今回は、本部へ異動となったのでしばらくはこちらで腰を落ちつけられそうです。……早く捜査を開始したいのですが、こういった面倒な手続きのせいで毎度この調子なんですよ。これだけ大きな都市ともなると、仕方のないこともかもしれませんが」
エアが憂いの表情を浮かべている。この真面目そうな捜査官は仕事一辺倒なんだろう。俺ならこんな渡り鳥のような仕事はごめんだ。
アイが落ち着かないようだ。隣でそわそわとしている。
「おい、アイ。そんなに緊張してどうしたんだよ」
アイは一瞬ビクッとして話しだした。「ソレ! 赤い羽根帽子の意味知らないの?」
赤い羽根帽子? エアの被ってる帽子か。
「意味ってなんだよ。おまえ仲良くやるんじゃないのか? 人見知りしてる場合じゃないぞ」
「もぉ! あのね、エアさんはね『赤魔道士』なんだよ」
「赤魔道士?」
エアの顔を見ると困った顔をしているようだ。
「エアさんの被ってる赤い帽子は、上級魔道士の証なんだよぉ。白魔法上級試験と、黒魔法上級試験の両方に合格して、なおかつ剣術も得意なエリート魔道士なの。わたしなんて白魔法中級試験すら合格できないのに……」
へぇ、なんだかすごい人のようだ。麻薬捜査は危険な任務が多いだろうからな。戦闘においてもかなりの能力がないと勤まらないのかもしれない。
「ふむ、困りましたね。そんなに緊張なさらなくてもいいですよ。私は教師じゃありませんし。それにまだまだ未熟です。……そして何より今日からは仲間ですから、遠慮せずに意見や情報を交換しあいましょう」そう言ってにっこり笑うと、帽子を脱いで脇に置いた。アイへの配慮だろうか。
「にしても、そんな真っ赤な服装だと潜入捜査なんて出来ないんじゃないか? 俺ならもっと地味なローブを羽織るよ」
「ええ、そうですね。ですが、現在は公式な場にいるので。……規則なんですよ。私としても、とても恥ずかしいのです。こんなに目立つ格好では、ここから出たくても、なかなか出られませんからね」エアはうつむき加減で口元を緩めている。
「早くそれを脱いでくつろげるといいな。そうだ、俺は捜査官二人を接待するようにうちの団長から命じられてるんだ。一緒にどこかでのんびり過ごさないか?」
エアがかぶりを振って答えた。「いえ、申し出は気持ちだけで充分です。この格好も気になりますが、規則で手続きが終わるまでは、原則としてここから出られないのですよ。しかし、昨日の昼前からずっとここに居ますが、ここの人たちはとても親切にしてくれています。快適に過ごせているので問題ありませんよ」そう言ってエアは、ベレーのガルカをチラリと見た。しかし、ベレーのガルカは表情を崩さなかった。
「そうか。分かった。……じゃあ、とりあえず俺達はもう一人の捜査官にも会いに行ってくるよ。夕方過ぎにセイントの詰め所に足を運んでくれ。色々と話したいことがあるんだ。なにせ俺達は捜査のど素人だからな。頼りにしてるよ」
「はい、私にできることがあるならどんどん頼ってください」
「ありがとう。それじゃあまた後で」
「エ、エアさん、それでは失礼します!」
「はい、後ほど」
俺達は、エアが部屋に戻るのを見届けて大使館を後にした。
目の前の、三国の大使館の中央にある噴水が、丁度大量の水を天に噴き出していた。止んだ水柱の向こうに、赤色のマントを着た人物を見つけた。エアと同じ赤い羽根付き帽子を被ったタルタルだった。ジュノの住民であろう、ミスラの女性に話しかけている。
「なぁ、アレって赤魔道士だよな?」
「う、うん。エアさんよりも派手な格好だね」
マントの背の部分に、銀色の獅子の刺繍がしてある。確か、ウィンダス大使館にいるのはタルタルの捜査官だったな。
「そんな事言わずにさぁ、ウィンダスから来たばかりなんだよ」
どうやらタルタルはナンパをしてるようだが、うまくいっていないようだ。ミスラが去っていった。捜査官は大使館にいるはずだが、やっぱりコイツがもう一人の……。
タルタルの男はこちらに気付き、ひょこひょこと小さな足を動かして向かってきた。
「ねぇねぇそこのオネエちゃん。僕、ウィンダスから来たばかりなんだよ。道案内してくれないかなぁ?」
なんだコイツは。俺の事が見えてないのか。普通、男を連れた女に話しかけるか?
「かわいいぃ! いいよ! 行きたいところあるの?」
「お、おい! なに軽く承諾してんだよ。俺達は今仕事中だぞ」アイの調子はずれの発言に驚いた。「それにチビ! おまえ、俺の事を無視して、隣の女に話しかけるとはいい度胸じゃねぇか。そんなんじゃこの都会じゃ生きていけないぞ」と、自分の半分もない背丈のタルタルに凄んでみせた。
チビがアイに近づき、手を差し出す。「抱っこして?」
アイがチビを両手で抱え、持ち上げた。「わぁ! 初めてだよぉ!」
「……おい、おまえら二人とも俺の話を聞いてるか? なぁ、そうであって欲しくないんだが、おまえがウィンダスから来た麻薬取締局の捜査官か?」
「うーん、どうかなぁ? 道案内してくれたら教えてあげてもいいケド。でも、基本的に男からの質問は受け付けてないケドね」そう言いつつ、タルタルはアイの胸に手を軽く置き、勝ち誇った目を向けてくる。
こいつ……、殺す。
「おい! 傭兵ナメんなよ! こっちは荒事でおまんま食ってんだ、ナメられたらお仕舞いなんだよ! とっととアイから離れろ! ぶちのめしてやる!」
「いじめないでよぉ」タルタルが泣きまねをしてアイの胸に食らいつく。
「ちょっと! ソレ、怒りすぎだよぉ。この子、迷子になっちゃったんだよ。大目に見てあげよう?」
「アイ! 騙されんなって! こいつ絶対もう一人の捜査官だぞ。赤魔道士だし、大使館の前にいるし。そうだとしたら迷子になるような年齢じゃなくて、おっさんだぞ! 泣きまねしてんなよ」
「誰がおっさんタル! こっちは、この姿でおまんま食ってるのタル!」顔をこちらに向けて言った。
正直過ぎるだろこいつ。
「な? ただの泣きまねだったろ。分かったら下ろせよな。話が進まないぞ」
チビはアイの表情を見た後、しぶしぶ下ろすように合図した。そして噴水の縁に、よっ、と言って掴まると足をジタバタさせながらよじ上った。
「で、何? 男に道案内されるつもりはないよ」
まだ言うか。
「道案内の話はいい。おまえがウィンダスから来た捜査官なら、どちらにしろ俺が接待するんだ。どうなんだ、おまえがそうなのか?」
チビが大きく息を吸い込み、
「そうだよ。僕がウィンダス石の区支部よりきた、赤魔道士のスーパーヒーロー、パンナ・コッタ様だ! 若干二十二歳にして、麻薬取締局の中級エージェントになり、今回、この光と影の大都市ジュノ本部に栄転してきたのだ! この世の悪と言う悪はこの僕が成敗する!」言い切った。親指を立てて腕を前に突き出している。太陽の光を受けて、マントの留め具の、銀色のバッジがキラリと光った。噴水が噴き上がる。
キメポーズだろうか。アイが、わぁ、と言って目を輝かせている。いや、かっこよくないだろう。
「やっぱりおまえがそうなのか」頭が痛い。
「おまえじゃない。パンナ・コッタ様だ」
「じゃあ、パンナ」
「パンナ・コッタ様」
「うるせぇ! パンナでいい! おまえは今からパンナだ! いいか、スーパーヒーローだかなんだか知らないが、ジュノの本部に着任して早々、やる事がナンパかよ。パンナがナンパとかギャグにも程がありすぎる!」
「寒い駄洒落タル」
「それはちょっと……」
パンナだけじゃなく、アイまでも!
「う、うるせぇ! いいか? 今から俺達はおまえをセイントに引き入れなきゃいけない。おまえはむかつく野郎だが、こっちは仕事でやってんだ。くだらねぇキメポーズなんかより、まともな人間性を構築しやがれ!」
パンナはくるりと後ろへ振り返り、「……やっぱりヒーローは孤独タル」と、ボソリと言った。
噴水の広場に吹いた風が、赤いマントをはためかせた。……かっこよくないぞ。
「パンナさん! ソレの言う事は気にしなくていいからね! おいで!」アイがパンナに手を差し伸べた。パンナが笑顔で振り返ってアイに飛びついた。
「わたしはアイだよ! こっちの怒りんぼうはソレ! 一緒に仕事頑張ろうね!」
「うん! 頑張るタルゥ!」
ダメだ。こいつらダメ過ぎる。エアとの差がひどい。
「はぁ……、まぁいいよ。で、パンナも大使館で足止めされてんのか?」
「うーん、一応そうなるねぇ。昨日の夜は酒場で楽しんでたケド。ジュノの酒場はいいねぇ! 置いてないお酒はないし! なにより戦士達のピーアンが堪らないよぉ! 常連になっちゃうかも」
おいおい。移籍の手続きが取れていないのに、抜け出して酒飲んでんのかよ。――しかも戦士達のピーアンだと? ハチミツ酒亭じゃねぇか。俺のお気に入りの場所がっ!
「おい。道案内が必要だとか言ってたが、その酒場は下層区にあるんだぞ。しっかり分かってんじゃねぇか」
「お酒の匂いはどこにいても分かる物タル。ソレはまだまだ未熟タルねぇ」
どういう理屈だよ。ああ、もういい。こいつの顔はしばらく見たくないぞ。
「はぁ……、もう、そういう事でいいよ。俺達はセイントの詰め所にいるから、手続きが済んだら来てくれ。もう一人の捜査官エアも、夕方までには終わるって言ってたから、おまえもちゃんと来るんだぞ。あと、絶対に面倒は起こすな」
「えー! もう行っちゃうの? アイさんも?」
「うん、ごめんねパンナさん。わたしは、空いてる時間は病院のお手伝いに行ってるから。最近は麻薬の被害が本当にひどいの……」アイも大変だ。
「……うん、そうだね。でも、僕が来たからにはもう安心して! ジュノから麻薬を消し去ってやるタル!」アイに抱きかかえられながらガッツポーズをしている。本当に大丈夫かよ。
「まぁ頑張ってくれよ。じゃあ俺達は行くから。また後でな」
「アイさんまたねぇ!」ひょい、と縁に飛び乗って手を振る。チビだけあって軽快だな。
夕方には詰め所で集合するように伝え、上層区でアイと別れた。戻って事情を説明しないとな。あんなのといたら頭がおかしくなりそうだ。
詰め所の扉に手を掛けると中から話し声が聞こえた。昼前なのに珍しくジェイとキョウがいるんだろうか。
「ティル、戻ったぞ……え!」
パンナがティルと話していた。
「お、おい! なんでおまえがここにいるんだよ!」
「暇だったからタル」ソファーに寝転がりながら、お菓子を食べている。
「暇とかじゃねぇよ! おまえは政府の職員だろうが。規則を守れ規則を」
「ソレ」ティルが口を開いた。「あんた、あたしが何て言ったか覚えてるかい?」
「えっ?」
「はぁ……。二人の捜査官を接待しろと言ったんだよ。なんで一人で戻ってきてるんだい? あんたはそんな簡単な事もできない子なのかねぇ?」
「いや、その。そう! その説明をしに戻ったんだよ! エアは格好が派手だから出たくないっていうし、パンナはなんかおかしいし、それに手続きが終わらないと大使館から出られな……」
ティルがドンッ、と手を机に叩きつけた。
「おだまり! 規則だろうがなんだろうが、団長の言うことは絶対だよ! あんたも五年間この仕事をしてきたんだ、今更そんな初歩的な事を忘れるんじゃないよ! それにね、パンナはあたしの旧友なんだ。丁重におもてなししな!」一息もせずに声を上げた。
「ありがとーティルにゃん」
くそっ。なんだあの猫撫で声は。……ニヤけ面で俺を見やがって。むかつく野郎だ。
「パンナ、すまないねぇ。あの子はうちじゃまだ新人なんだ。よく面倒を見てやってちょうだいね」
「気にしないでティルにゃん。僕こういうのには慣れっこタル。ソレの事は僕にまかせて!」
「ありがとねぇ」ティルはそう言うと、俺を睨みつけた。「いいかい? あたしは別件で、すぐにここを発たなくちゃいけないんだ。パンナにはくれぐれも迷惑掛けるんじゃないよ。それとね、チームの振り分けを言い渡すよ。あんたは、アイとパンナ。残りの三人の、キョウシロウとジェイとスタイルズ捜査官の二チームだよ。うまくやりな」
「え! ちょっとまっ……」
「ちょっとも何もない! もう決まった事だよ!」そういうと、ティルは足元にあった布製のバッグを手に取った。
理不尽すぎる。よりによって、パンナと同じチームだなんて……。
「それじゃあね。後はよろしく頼んだよ」ティルは立ち上がり、バッグを背中に担ぐと扉へ歩いていった。
それを黙って見ていることしかできなかった。これ以上何も言えなかった。扉はバタンと大きな音を立てて閉まった。パンナが食べているスナック菓子の、パリパリという音だけが部屋に響いていた。
三節 宿命は再び
「んじゃ、僕は寝るタル。アイさん来たら起こしてねぇ」
パンナはお菓子を食べ終わると、そのままソファーで横になって大きないびきをかいて寝始めた。
落ち着かない。ただでさえここが落ち着ける場所じゃないのに、むかつく野郎と同じ空間ならなおさらだ。
大体まだ昼前だってのに、なんて自堕落な奴だ。しかもそこは『古参専用ソファー』だぞ。名前が書いてあるわけじゃないがそういうもんなんだ。腹立たしい。
ティルの言いつけじゃ接待は絶対だが、寝てしまったものはしょうがない。
入り口近くの帽子掛けからマフラーを取った。下に掛かっている、銀刺繍の赤マントが目障りだ。俺は扉をきぃきぃさせないようにゆっくりと開けて外に出た。
今日は見事に晴れだ。薄く青色に澄み渡った空に浮かぶ太陽が、長大な『ヘヴンズブリッジ』の端までも鮮明に映し出す。水面には真っ白で突き刺すような光を湛えていた。港区の、サンドリア行きの便が離陸していく。喫水していた船底から、ざぁっ、と水が零れ落ちて、手のひらに収まりそうな小さな虹が出来ていた。
メインストリートに出ると、大勢の人たちが買い物をしていた。商人達が露店を開いて、果物や各国の特産品、近海で獲れた魚や家畜の肉、毛織物で作られた布団や防寒具を並べている。高級そうなマフラーを見つけた。晴れているというのに、それを目にした時に少し体が震え、ギュッとマフラーを締めなおした。
物持ちが悪いせいか、すぐに新しいものに目移りしてしまう。以前にも、剣を買い換えたいという話でキョウと口論になったな。切れ味があまりに悪すぎるもんだから、金のあるうちにもっと強力な物を買おうと思ったのに、『中の国のロングソードはそういうもんだぜ』なんて、最後には一言で片付けられてしまう。叩き斬るより、斬ってみたいんだけどなぁ。
――これと言って目的があってここへ来たわけじゃない。一人になりたかったのと、強いて言えばお腹が空いている事か。
誰も居ない『ベンチャーロール』のテーブルに腰を落ち着けた。海鳥が高い声を発しながら、クルクルと空に円を描いている。もしゲームをやりたい人間がいても、どいてくれ、なんて言ってくるのはティルくらいだ。
いつ来ても賑わっているこの通りは好きだ。初めてここを訪れた時は、この雑踏が少し怖かったけど、やっぱり人がたくさんいる街は過ごしやすい。街を行きかう人たちを見ていると、ただ毎日を過ごしている自分を少しだけ誤魔化せるような、そんな気がする。
「ソレさんですか?」
聞き覚えのない声に名前を呼ばれた。振り返ると、顔にタトゥーを入れた白髪のミスラが立っていた。少し息を切らせている。
「セイントのソレさんですね?」
「ああ、そうだけど。あんたは?」
「良かった。さっき事務所にお訪ねしたんですが、パンナからはもう出て行ったと言われたので」ミスラの女は呼吸を整えて、「私は、麻薬取締局の捜査官パーパ・ビッフェと言います」と名乗った。
パーパは、今日出会った捜査官達とは全くのあべこべに、深い茶色の地味なマントを羽織っていた。留め具には銅色のバッジがついていて、光を反射して鈍く光っている。
「パンナの知り合いか。俺に何か用事が?」
「はい、是非小耳に入れておいてほしい話があります。ここでは何ですから、どこか静かな所でお話をさせてください」遠慮がちにセイントの詰め所へ招け、と言っているようだ。耳を少し前に曲げている。
「うーん、詰め所はちょっとまずいな。俺、あいつが苦手なんだよ。近くの酒場でどうだ」
「……彼は、早速迷惑を掛けているみたいですね。行きましょう」
ハチミツ酒亭は、昼間はレストランとして営業している。ストーンチーズを使ったパスタがすごくおいしい。今日も賑わっているようだ。店の前に来ると、食事を終えて出てきた家族連れとすれ違った。
扉を手で押さえ、どうぞ、と言ってパーパを先に案内する。カウンターに程近い二人掛けのテーブルを見つけて席に着くと、すぐにパーパが口を開いた。
「パンナがご迷惑を掛けてすいません。彼は、少しお調子者なんです。悪気はないのでどうかうまくやってください」
「パーパが謝る事じゃないよ。あの性格には我慢ならないけど、仕事だからな。なんとかするさ。……先に注文いいか? 昨日の昼からろくに飯を食えてないんだ」
「あ! え、ええ、どうぞ」
一息しているウェイトレスを見つけ呼び寄せた。
「ストーンカルボナーラを一つくれ」
「私はコレで」パーパが、メニューを指差してグリモナイトやサンドフィッシュを使った魚介パスタを頼む。ウェイトレスは注文を確認し、厨房へ向かって歩いていった。
「やっぱりミスラは魚が好きなのか?」
「え! あ、いや、特別そういうわけじゃないですよ。ペスカトーレだけじゃなくてマリナーラも好きですよ」
「それも、魚介パスタだよな。……やっぱり魚好きなんだな」
あっ、と言って頬を染めて俯いた。とても恥ずかしそうだ。不覚にもその表情に背筋がゾクリとした。女性をからかうのは好きだ。我ながら嫌な趣味だな。
「なぁ、パンナの事を知ってるようだけど付き合いは長いのか?」
「あ、はい。彼とは、幼少の頃からの友人です。と言ってもここ数年は疎遠になってましたけど」
へぇ、あいつにも友人がいるのか。……男には嫌われてそうだな。
「それでセイントまで?」
「いえ、彼が局の本部に転勤してくると聞いて、大使館に顔を出しに行ったんですよ。手続きが面倒なのは、ジュノならどの役所もそうですから。だから、退屈しないようにと思ってお菓子も持っていったのに」
なんとなく分かってきた。
「職員の方に部屋を案内してもらって扉をノックしたんですが、返事が無かったんです。何かあったのかと思って、鍵を使って開けてもらったんですが、窓が開けっ放しになっていて、既にもぬけの殻でした。職員の方もとてもびっくりされてましたよ。世界一の魔法都市ウィンダスでも、赤魔道士の称号を持つ魔道士は少ないですからね。『栄誉と人格は比例しないんですかねぇ』とぼやいてましたよ」
「全く同意見だよ。赤魔道士には、人格を問う試験はないようだな」
パーパがクスリと笑った。俺も釣られて笑う。
「それで、捜査に協力してくれる傭兵団の所にお邪魔になってるんじゃないかと思って」
「見事的中したな」
「ですね。彼の行動はとても読みやすいですよ、昔から」
パーパがまた、あ! と言った。
「すいません、話がそれちゃいましたね」
「いいよ。それで?」
テーブルに注文した料理が届いた。
パーパが頼んだ魚介パスタの独特な香りが、食欲を刺激した。胃袋が自分の取り分を思い出し、大きな声でうなり始めた。
「実は、傭兵団との合同捜査に対して、当局の職員達の間には疑問の声が多く挙がっているんです」
「まぁ、そうだろうな。俺達はただの戦闘要員だ。捜査の素人が現場に出るとなったら邪魔でしょうがないよな」パスタをすすりながら何の気なしに言った。
「あ! 文句を言いに来たんじゃないんですよ! 麻薬密造グループにも武装している連中が多くいます。だから当局の捜査官だけでは対処ができなくなっているんですよ。それと、合同捜査に加わっているのはセイントさんだけじゃないんです」
「へぇ、そうだったのか。他の傭兵団にも依頼が行ってるんだな」
「ええ、はい。それだけじゃなくて、支局の捜査官が続々とジュノに呼び寄せられてるんです。それで、捜査官が二名ずつ各傭兵団へ派遣されていて、今までに類を見ない大規模な捜査になってきているんです」
「それだけ麻薬による被害がひどいってことだな」
「はい」
「にしても、ジュノにそれだけの被害が出てるのに、他の三国に麻薬被害の話を聞かないのは不思議だよなぁ。新型の麻薬での被害はジュノでしかないんだろ?」
「その通りですね。それは我々も疑問に思っていた事なんです。それに気付けたからこそ、一つの仮説を生み出せたと思います」
「仮説?」
パーパは、少し何か考えているようだ。喋り通しで、食事に一口も手をつけていない。
「……ところで、ソレさんは、バストゥーク過激派集団を知っていますか?」
「え? ああ、少しなら。ジュノ大公国に対して、飛空艇の技術を公開しろ、と武力で脅している連中だろ? 前に知り合いが所属している大きな傭兵団が、その一派と派手にやりあったって聞いた。でも、多くの傭兵を擁しているジュノに武力で挑むなんて、馬鹿な奴らだよな」
「ええ、とても馬鹿げた事だと思います。中立を宣言したジュノが、その科学力で他国を侵略するはずなんてないのに」
目の前の皿をからっぽにした。全く手のつけられていないパーパの皿を見て、胃袋がもう一度うなった。
「なぁ、食っちまった方がいいよ。冷めたらおいしくないぞ」本当は、ただ目の毒だったからだ。
「あ! はい。頂きます」パーパが、スプーンとフォークを使って器用にパスタをすする。
なかなか食べるのが早いな。仕事のできる人間は食べるのが早いって聞くが、やっぱり政府直轄の組織に勤めてる人間は一味違うんだろうか。
あっという間に皿の上が空になって、グリモナイトの貝殻が一つぽつんと乗っている。
「それでですね」パーパはナフキンで口を拭い、喋りだした。
慌てて俺も自分の口を拭いた。
「最近は、正確には一年ほど前からですが、過激派の連中がとんと姿を見せていないんです」
「一年も前にか。諦めたのか?」
「……いいえ、そうではありません。彼等は地下に潜伏しているようなのです。一年前……、今回私達が追いかける新型の麻薬が出回り始めた頃と、時期が符合するんです」
「つまり、過激派の連中は武力行使を諦めて、内部からジワジワとジュノを弱らせる、そういう作戦に変えたっていう事か?」
「はい、確証はありませんが、当局の職員の間にそういった見解があるのです。ただ、大っぴらに表明してしまうと国際問題に発展しかねない事から、真意を伏せられているのだと思います。そのせいで、当局には大きな混乱が訪れていますが」
「なるほどな。仮にそれが真実だとするなら、過激派のアジトを見つけて殲滅すればいいんだよな? 数なら圧倒的に傭兵団が勝るだろ。結構簡単な仕事になりそうだな」
合同捜査だなんて言っても、結局荒事担当なんだな。ほっとした気持ちと、少し残念に思う気持ちが同時にわいた。
ふぅ、とため息をついてパーパが口を開く。「それが、そうもいかないのです。一部の捜査官がその仮説を元に捜査を進めていたのですが、どうやら過激派の連中は獣人と手を結んでいるようです」
なんだって?
「馬鹿な! やっと人間と獣人の戦いが終わったのに、また獣人が出しゃばってくるっていうのかよ! しかも、人間と獣人が手を結ぶ? そんな馬鹿な話があってたまるかよ!」
「あ! ソ、ソレさん、落ち着いてください」
店内の客が俺を見ていた。ウェイトレスが困った顔をしている。無意識の内に拳をテーブルに打ち付けていたようだった。
「……すまない」
「い、いえ、いいんです」
「……あんまりだろう。俺達人間は、先の戦争でどれだけ多くのものを失ったんだよ。バストゥークの連中だってそれは同じじゃないか。なのに、何故またそんな事を繰り返すんだ」
「本当に愚かな事ですね。……でも、私達はこうして手を組みました。ジュノ政府は、そういった馬鹿げた事を繰り返させないために、傭兵団との合同捜査を決意したのではないかと思いますよ。だから何としても、麻薬密造グループを捕まえましょう」
「そうだな。ありがとなパーパ」
「いえ」パーパは少し俯き、照れている。
いい奴だな。どっかの誰かとは大違いだ。
「これが、話したかった事なんだよな?」
「あ! はい、そうです。……ソレさんは、何かお仕事をしていて、気付いた事や気に掛かる事はありませんでしたか?」
「え? 気付いた事? うーん、まだ捜査も開始していないしなぁ。今はこれといって何も」
「……そうですか。もし、何かそういった事があれば私に連絡をしてください。きっと力になれると思います」それと、とパーパが続ける。「セイントの団長、ティルダさんは今どこにおられますか?」
「ティル? 仕事が入ったとかで俺達とは別行動してるよ。いつも行き先は言わないんだ。この件に関しては俺に任せているようだから、用件があれば俺に……」
パーパが遮るように喋る。「あ、いえ。そうではないんです。確認したかっただけなので気にしないでくださいね。……ソレさん、頼りにしてますね」
「ああ。俺に何ができるか分からないけど、全力を尽くすよ。パーパこそよろしくな。パンナよりも頼りにしてるよ」
パーパがクスリと笑った。「ええ、至らない点は多くあると思いますが、こちらこそよろしくお願いしますね」
いつものゲームテーブルに座る。
パーパと別れた後、もやもやとした気持ちを抱えながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。パスタ一皿じゃ足りなかったお腹に、デザートのかぼちゃのパイを入れる。過激派の連中の邪悪なたくらみに胸焼けを起こした。
やはり、人間と獣人は争う宿命にあるのだろうか。神々が生み出したそれぞれの種族達。俺達はあまりにも血を流しすぎた。世界は血と恨みの海で満たされている。一つの世界で生きていくには、もうこの陸地は狭すぎるのかもしれない。
下層区の街灯を、ボランティアの連中がせっせと灯している。無償で誰かを思いやれる人たちが暮らすこの街を、俺達が守らなきゃいけないんだ。
――そろそろ、エアやジェイ達も来る頃だろうか。寒さに、身を縮こませながら歩く人たちをよけ、居住区へ歩き出した。
詰め所の扉をゆっくりと押し開くと、目障りなマントがまた目に入った。はぁ……、あいつはずっといるんだな。
「ソレ、遅かったねぇ」パンナがソファーの向こうから呼びかける。
「なんだ、起きてたのか。スーパーヒーローさんはいい気なもんだな」
ソファーの背もたれの影から顔を出して、パンナがジッとこっちを見ている。
「そんなトコロに突っ立ってないで、こっちに来たらどうなのタル?」
「言われなくてもそうするよ」帽子掛けにマフラーを雑に掛け、パンナを避けて奥のソファーへ向かった。
「カルボナーラはおいしかったぁ? 僕も昨日あそこでランチしたんだよねぇ」パンナが視線で追ってくる。
は? なんで知ってんだよ。こいつ跡をつけてきたんじゃないだろうな。
「パンナ、おまえ尾行してたのか?」
「うーん、どうだろうねぇ。でも、口元にクリームソースがべったりついてるタルよぉ」
「え!」慌てて口を袖で拭った。袖は汚れなかった。
ぷぷぷ、とパンナが笑いをこらえている。……こいつ。
おー、と入り口の扉の方から声がした。キョウだ。
「ソレ遅かッたじゃねェか! 今おまえを探しに行ってたんだぜェ?」
「ソレ! どこ行ってたの?」アイがキョウの影から顔を出す。
「……ソレ、遅い」背の高いジェイの顔が、アイの後ろからぬっと現れた。
「三人とも来たようだな。あとはエアだけだ」
キョウが、眉をひそめている。「何が『来たようだな』だ! おまえが一番の遅刻だぜェ? 全く困ッた隊長さんだな!」
「隊長はやめろよな。とにかく三人とも座れよ」
「へいへーい。ご命令通りにしますぜェ」
キョウとジェイが、パンナを挟むようにして座った。
アイは俺の隣に来ると、布団を畳んでヒザの上に掛けた。
「今日も冷えるね」
「ああ、もう真冬もすぐそこまで来ているな」
「そいやパンナよ。おまえが俺達と組むことになったのは偶然なのか?」キョウがパンナに話しかけた。
「うーん、どうだろうねぇ。ティルにゃんに聞かないと分からないよぉ」と、パンナが首を傾げて答えた。
「え? おまえら何で自然に会話してるんだよ。パンナとキョウは知り合いだったのか?」
キョウがニヤつきながら俺を見る。
「こいつにはウィンダスに行く度に世話になッてんだよ。いい店知ッててな。ソレも一度『ミスラパラダイス』に連れてッてもらうといいぜ」
ジェイが顔を伏せている。ほんのり赤らめているようだ。この人もパンナに毒されてんのかよ。
昼間会っていたパーパを少し思い出した。なかなかの美人だったな。ミスラも悪くない。
「ソレ。そういうお店に行きたいの?」アイが唐突に疑問をぶつけてきた。
「は? な、なんでそうなる! 別に俺はそんなところ興味ないって」
「だって、何か考えてる顔してるんだもん」
女ってのは妙に勘が鋭い。
「ちょっと疲れてるだけだよ。そんな事より、新しい仕事の話は聞いたな?」そう言い、キョウとジェイの表情を確認する。
ジェイがコクリとうなづいた。
「へへッ。ソレは不安かぁ? セイント史上初の大掛かりな仕事だからな」
「いや。もう大丈夫だ。俺達がやる事はいつもと変わらない。だろ?」
「……ふむ。分かってるようじゃねェか。だてに、ただブラブラとしてた訳じゃないッてことだな」
コンッコンッ、と扉が軽い二つのリズムを鳴らした。
「どうぞー!」アイが大きな声を出して扉に駆け寄る。
きぃきぃと大きな音を発して扉が開いた。熟知していない者が開けると、こんな風に豪快に音を出してしまう。
「みなさんこんばんは。大変遅くなって申し訳ございません」
脇に帽子を抱えたエアが詰め所を訪れた。
「んじゃ、僕は寝るタル。アイさん来たら起こしてねぇ」
パンナはお菓子を食べ終わると、そのままソファーで横になって大きないびきをかいて寝始めた。
落ち着かない。ただでさえここが落ち着ける場所じゃないのに、むかつく野郎と同じ空間ならなおさらだ。
大体まだ昼前だってのに、なんて自堕落な奴だ。しかもそこは『古参専用ソファー』だぞ。名前が書いてあるわけじゃないがそういうもんなんだ。腹立たしい。
ティルの言いつけじゃ接待は絶対だが、寝てしまったものはしょうがない。
入り口近くの帽子掛けからマフラーを取った。下に掛かっている、銀刺繍の赤マントが目障りだ。俺は扉をきぃきぃさせないようにゆっくりと開けて外に出た。
今日は見事に晴れだ。薄く青色に澄み渡った空に浮かぶ太陽が、長大な『ヘヴンズブリッジ』の端までも鮮明に映し出す。水面には真っ白で突き刺すような光を湛えていた。港区の、サンドリア行きの便が離陸していく。喫水していた船底から、ざぁっ、と水が零れ落ちて、手のひらに収まりそうな小さな虹が出来ていた。
メインストリートに出ると、大勢の人たちが買い物をしていた。商人達が露店を開いて、果物や各国の特産品、近海で獲れた魚や家畜の肉、毛織物で作られた布団や防寒具を並べている。高級そうなマフラーを見つけた。晴れているというのに、それを目にした時に少し体が震え、ギュッとマフラーを締めなおした。
物持ちが悪いせいか、すぐに新しいものに目移りしてしまう。以前にも、剣を買い換えたいという話でキョウと口論になったな。切れ味があまりに悪すぎるもんだから、金のあるうちにもっと強力な物を買おうと思ったのに、『中の国のロングソードはそういうもんだぜ』なんて、最後には一言で片付けられてしまう。叩き斬るより、斬ってみたいんだけどなぁ。
――これと言って目的があってここへ来たわけじゃない。一人になりたかったのと、強いて言えばお腹が空いている事か。
誰も居ない『ベンチャーロール』のテーブルに腰を落ち着けた。海鳥が高い声を発しながら、クルクルと空に円を描いている。もしゲームをやりたい人間がいても、どいてくれ、なんて言ってくるのはティルくらいだ。
いつ来ても賑わっているこの通りは好きだ。初めてここを訪れた時は、この雑踏が少し怖かったけど、やっぱり人がたくさんいる街は過ごしやすい。街を行きかう人たちを見ていると、ただ毎日を過ごしている自分を少しだけ誤魔化せるような、そんな気がする。
「ソレさんですか?」
聞き覚えのない声に名前を呼ばれた。振り返ると、顔にタトゥーを入れた白髪のミスラが立っていた。少し息を切らせている。
「セイントのソレさんですね?」
「ああ、そうだけど。あんたは?」
「良かった。さっき事務所にお訪ねしたんですが、パンナからはもう出て行ったと言われたので」ミスラの女は呼吸を整えて、「私は、麻薬取締局の捜査官パーパ・ビッフェと言います」と名乗った。
パーパは、今日出会った捜査官達とは全くのあべこべに、深い茶色の地味なマントを羽織っていた。留め具には銅色のバッジがついていて、光を反射して鈍く光っている。
「パンナの知り合いか。俺に何か用事が?」
「はい、是非小耳に入れておいてほしい話があります。ここでは何ですから、どこか静かな所でお話をさせてください」遠慮がちにセイントの詰め所へ招け、と言っているようだ。耳を少し前に曲げている。
「うーん、詰め所はちょっとまずいな。俺、あいつが苦手なんだよ。近くの酒場でどうだ」
「……彼は、早速迷惑を掛けているみたいですね。行きましょう」
ハチミツ酒亭は、昼間はレストランとして営業している。ストーンチーズを使ったパスタがすごくおいしい。今日も賑わっているようだ。店の前に来ると、食事を終えて出てきた家族連れとすれ違った。
扉を手で押さえ、どうぞ、と言ってパーパを先に案内する。カウンターに程近い二人掛けのテーブルを見つけて席に着くと、すぐにパーパが口を開いた。
「パンナがご迷惑を掛けてすいません。彼は、少しお調子者なんです。悪気はないのでどうかうまくやってください」
「パーパが謝る事じゃないよ。あの性格には我慢ならないけど、仕事だからな。なんとかするさ。……先に注文いいか? 昨日の昼からろくに飯を食えてないんだ」
「あ! え、ええ、どうぞ」
一息しているウェイトレスを見つけ呼び寄せた。
「ストーンカルボナーラを一つくれ」
「私はコレで」パーパが、メニューを指差してグリモナイトやサンドフィッシュを使った魚介パスタを頼む。ウェイトレスは注文を確認し、厨房へ向かって歩いていった。
「やっぱりミスラは魚が好きなのか?」
「え! あ、いや、特別そういうわけじゃないですよ。ペスカトーレだけじゃなくてマリナーラも好きですよ」
「それも、魚介パスタだよな。……やっぱり魚好きなんだな」
あっ、と言って頬を染めて俯いた。とても恥ずかしそうだ。不覚にもその表情に背筋がゾクリとした。女性をからかうのは好きだ。我ながら嫌な趣味だな。
「なぁ、パンナの事を知ってるようだけど付き合いは長いのか?」
「あ、はい。彼とは、幼少の頃からの友人です。と言ってもここ数年は疎遠になってましたけど」
へぇ、あいつにも友人がいるのか。……男には嫌われてそうだな。
「それでセイントまで?」
「いえ、彼が局の本部に転勤してくると聞いて、大使館に顔を出しに行ったんですよ。手続きが面倒なのは、ジュノならどの役所もそうですから。だから、退屈しないようにと思ってお菓子も持っていったのに」
なんとなく分かってきた。
「職員の方に部屋を案内してもらって扉をノックしたんですが、返事が無かったんです。何かあったのかと思って、鍵を使って開けてもらったんですが、窓が開けっ放しになっていて、既にもぬけの殻でした。職員の方もとてもびっくりされてましたよ。世界一の魔法都市ウィンダスでも、赤魔道士の称号を持つ魔道士は少ないですからね。『栄誉と人格は比例しないんですかねぇ』とぼやいてましたよ」
「全く同意見だよ。赤魔道士には、人格を問う試験はないようだな」
パーパがクスリと笑った。俺も釣られて笑う。
「それで、捜査に協力してくれる傭兵団の所にお邪魔になってるんじゃないかと思って」
「見事的中したな」
「ですね。彼の行動はとても読みやすいですよ、昔から」
パーパがまた、あ! と言った。
「すいません、話がそれちゃいましたね」
「いいよ。それで?」
テーブルに注文した料理が届いた。
パーパが頼んだ魚介パスタの独特な香りが、食欲を刺激した。胃袋が自分の取り分を思い出し、大きな声でうなり始めた。
「実は、傭兵団との合同捜査に対して、当局の職員達の間には疑問の声が多く挙がっているんです」
「まぁ、そうだろうな。俺達はただの戦闘要員だ。捜査の素人が現場に出るとなったら邪魔でしょうがないよな」パスタをすすりながら何の気なしに言った。
「あ! 文句を言いに来たんじゃないんですよ! 麻薬密造グループにも武装している連中が多くいます。だから当局の捜査官だけでは対処ができなくなっているんですよ。それと、合同捜査に加わっているのはセイントさんだけじゃないんです」
「へぇ、そうだったのか。他の傭兵団にも依頼が行ってるんだな」
「ええ、はい。それだけじゃなくて、支局の捜査官が続々とジュノに呼び寄せられてるんです。それで、捜査官が二名ずつ各傭兵団へ派遣されていて、今までに類を見ない大規模な捜査になってきているんです」
「それだけ麻薬による被害がひどいってことだな」
「はい」
「にしても、ジュノにそれだけの被害が出てるのに、他の三国に麻薬被害の話を聞かないのは不思議だよなぁ。新型の麻薬での被害はジュノでしかないんだろ?」
「その通りですね。それは我々も疑問に思っていた事なんです。それに気付けたからこそ、一つの仮説を生み出せたと思います」
「仮説?」
パーパは、少し何か考えているようだ。喋り通しで、食事に一口も手をつけていない。
「……ところで、ソレさんは、バストゥーク過激派集団を知っていますか?」
「え? ああ、少しなら。ジュノ大公国に対して、飛空艇の技術を公開しろ、と武力で脅している連中だろ? 前に知り合いが所属している大きな傭兵団が、その一派と派手にやりあったって聞いた。でも、多くの傭兵を擁しているジュノに武力で挑むなんて、馬鹿な奴らだよな」
「ええ、とても馬鹿げた事だと思います。中立を宣言したジュノが、その科学力で他国を侵略するはずなんてないのに」
目の前の皿をからっぽにした。全く手のつけられていないパーパの皿を見て、胃袋がもう一度うなった。
「なぁ、食っちまった方がいいよ。冷めたらおいしくないぞ」本当は、ただ目の毒だったからだ。
「あ! はい。頂きます」パーパが、スプーンとフォークを使って器用にパスタをすする。
なかなか食べるのが早いな。仕事のできる人間は食べるのが早いって聞くが、やっぱり政府直轄の組織に勤めてる人間は一味違うんだろうか。
あっという間に皿の上が空になって、グリモナイトの貝殻が一つぽつんと乗っている。
「それでですね」パーパはナフキンで口を拭い、喋りだした。
慌てて俺も自分の口を拭いた。
「最近は、正確には一年ほど前からですが、過激派の連中がとんと姿を見せていないんです」
「一年も前にか。諦めたのか?」
「……いいえ、そうではありません。彼等は地下に潜伏しているようなのです。一年前……、今回私達が追いかける新型の麻薬が出回り始めた頃と、時期が符合するんです」
「つまり、過激派の連中は武力行使を諦めて、内部からジワジワとジュノを弱らせる、そういう作戦に変えたっていう事か?」
「はい、確証はありませんが、当局の職員の間にそういった見解があるのです。ただ、大っぴらに表明してしまうと国際問題に発展しかねない事から、真意を伏せられているのだと思います。そのせいで、当局には大きな混乱が訪れていますが」
「なるほどな。仮にそれが真実だとするなら、過激派のアジトを見つけて殲滅すればいいんだよな? 数なら圧倒的に傭兵団が勝るだろ。結構簡単な仕事になりそうだな」
合同捜査だなんて言っても、結局荒事担当なんだな。ほっとした気持ちと、少し残念に思う気持ちが同時にわいた。
ふぅ、とため息をついてパーパが口を開く。「それが、そうもいかないのです。一部の捜査官がその仮説を元に捜査を進めていたのですが、どうやら過激派の連中は獣人と手を結んでいるようです」
なんだって?
「馬鹿な! やっと人間と獣人の戦いが終わったのに、また獣人が出しゃばってくるっていうのかよ! しかも、人間と獣人が手を結ぶ? そんな馬鹿な話があってたまるかよ!」
「あ! ソ、ソレさん、落ち着いてください」
店内の客が俺を見ていた。ウェイトレスが困った顔をしている。無意識の内に拳をテーブルに打ち付けていたようだった。
「……すまない」
「い、いえ、いいんです」
「……あんまりだろう。俺達人間は、先の戦争でどれだけ多くのものを失ったんだよ。バストゥークの連中だってそれは同じじゃないか。なのに、何故またそんな事を繰り返すんだ」
「本当に愚かな事ですね。……でも、私達はこうして手を組みました。ジュノ政府は、そういった馬鹿げた事を繰り返させないために、傭兵団との合同捜査を決意したのではないかと思いますよ。だから何としても、麻薬密造グループを捕まえましょう」
「そうだな。ありがとなパーパ」
「いえ」パーパは少し俯き、照れている。
いい奴だな。どっかの誰かとは大違いだ。
「これが、話したかった事なんだよな?」
「あ! はい、そうです。……ソレさんは、何かお仕事をしていて、気付いた事や気に掛かる事はありませんでしたか?」
「え? 気付いた事? うーん、まだ捜査も開始していないしなぁ。今はこれといって何も」
「……そうですか。もし、何かそういった事があれば私に連絡をしてください。きっと力になれると思います」それと、とパーパが続ける。「セイントの団長、ティルダさんは今どこにおられますか?」
「ティル? 仕事が入ったとかで俺達とは別行動してるよ。いつも行き先は言わないんだ。この件に関しては俺に任せているようだから、用件があれば俺に……」
パーパが遮るように喋る。「あ、いえ。そうではないんです。確認したかっただけなので気にしないでくださいね。……ソレさん、頼りにしてますね」
「ああ。俺に何ができるか分からないけど、全力を尽くすよ。パーパこそよろしくな。パンナよりも頼りにしてるよ」
パーパがクスリと笑った。「ええ、至らない点は多くあると思いますが、こちらこそよろしくお願いしますね」
いつものゲームテーブルに座る。
パーパと別れた後、もやもやとした気持ちを抱えながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。パスタ一皿じゃ足りなかったお腹に、デザートのかぼちゃのパイを入れる。過激派の連中の邪悪なたくらみに胸焼けを起こした。
やはり、人間と獣人は争う宿命にあるのだろうか。神々が生み出したそれぞれの種族達。俺達はあまりにも血を流しすぎた。世界は血と恨みの海で満たされている。一つの世界で生きていくには、もうこの陸地は狭すぎるのかもしれない。
下層区の街灯を、ボランティアの連中がせっせと灯している。無償で誰かを思いやれる人たちが暮らすこの街を、俺達が守らなきゃいけないんだ。
――そろそろ、エアやジェイ達も来る頃だろうか。寒さに、身を縮こませながら歩く人たちをよけ、居住区へ歩き出した。
詰め所の扉をゆっくりと押し開くと、目障りなマントがまた目に入った。はぁ……、あいつはずっといるんだな。
「ソレ、遅かったねぇ」パンナがソファーの向こうから呼びかける。
「なんだ、起きてたのか。スーパーヒーローさんはいい気なもんだな」
ソファーの背もたれの影から顔を出して、パンナがジッとこっちを見ている。
「そんなトコロに突っ立ってないで、こっちに来たらどうなのタル?」
「言われなくてもそうするよ」帽子掛けにマフラーを雑に掛け、パンナを避けて奥のソファーへ向かった。
「カルボナーラはおいしかったぁ? 僕も昨日あそこでランチしたんだよねぇ」パンナが視線で追ってくる。
は? なんで知ってんだよ。こいつ跡をつけてきたんじゃないだろうな。
「パンナ、おまえ尾行してたのか?」
「うーん、どうだろうねぇ。でも、口元にクリームソースがべったりついてるタルよぉ」
「え!」慌てて口を袖で拭った。袖は汚れなかった。
ぷぷぷ、とパンナが笑いをこらえている。……こいつ。
おー、と入り口の扉の方から声がした。キョウだ。
「ソレ遅かッたじゃねェか! 今おまえを探しに行ってたんだぜェ?」
「ソレ! どこ行ってたの?」アイがキョウの影から顔を出す。
「……ソレ、遅い」背の高いジェイの顔が、アイの後ろからぬっと現れた。
「三人とも来たようだな。あとはエアだけだ」
キョウが、眉をひそめている。「何が『来たようだな』だ! おまえが一番の遅刻だぜェ? 全く困ッた隊長さんだな!」
「隊長はやめろよな。とにかく三人とも座れよ」
「へいへーい。ご命令通りにしますぜェ」
キョウとジェイが、パンナを挟むようにして座った。
アイは俺の隣に来ると、布団を畳んでヒザの上に掛けた。
「今日も冷えるね」
「ああ、もう真冬もすぐそこまで来ているな」
「そいやパンナよ。おまえが俺達と組むことになったのは偶然なのか?」キョウがパンナに話しかけた。
「うーん、どうだろうねぇ。ティルにゃんに聞かないと分からないよぉ」と、パンナが首を傾げて答えた。
「え? おまえら何で自然に会話してるんだよ。パンナとキョウは知り合いだったのか?」
キョウがニヤつきながら俺を見る。
「こいつにはウィンダスに行く度に世話になッてんだよ。いい店知ッててな。ソレも一度『ミスラパラダイス』に連れてッてもらうといいぜ」
ジェイが顔を伏せている。ほんのり赤らめているようだ。この人もパンナに毒されてんのかよ。
昼間会っていたパーパを少し思い出した。なかなかの美人だったな。ミスラも悪くない。
「ソレ。そういうお店に行きたいの?」アイが唐突に疑問をぶつけてきた。
「は? な、なんでそうなる! 別に俺はそんなところ興味ないって」
「だって、何か考えてる顔してるんだもん」
女ってのは妙に勘が鋭い。
「ちょっと疲れてるだけだよ。そんな事より、新しい仕事の話は聞いたな?」そう言い、キョウとジェイの表情を確認する。
ジェイがコクリとうなづいた。
「へへッ。ソレは不安かぁ? セイント史上初の大掛かりな仕事だからな」
「いや。もう大丈夫だ。俺達がやる事はいつもと変わらない。だろ?」
「……ふむ。分かってるようじゃねェか。だてに、ただブラブラとしてた訳じゃないッてことだな」
コンッコンッ、と扉が軽い二つのリズムを鳴らした。
「どうぞー!」アイが大きな声を出して扉に駆け寄る。
きぃきぃと大きな音を発して扉が開いた。熟知していない者が開けると、こんな風に豪快に音を出してしまう。
「みなさんこんばんは。大変遅くなって申し訳ございません」
脇に帽子を抱えたエアが詰め所を訪れた。
四節 打ち上げ
「エアさん! こんばんはぁ! マントをお預かりしますね!」そう言って、アイが手を差し出したが、エアは首を横に振って応えた。
アイは一瞬当惑して、「じゃぁ席に案内しますね!」と、古参専用ソファーの向かいの席へ歩く。エアはアイに案内されるがままついて行く。空いていた一人掛けソファーの前で立ち止まり、一つ咳払いをした。
「エアさん、ここどうぞ!」アイが席に座るよう勧める。
エアは何となくはっきりしない表情をして、座る様子を見せなかった。
「エア、立ってないで座ってくれよ。あと、マントなら入り口に掛けておけばいいよ」
みなさん、とエアが口を開き、
「もう一つ謝らせてください。……是非ゆっくりお話をしたいと思っていたのですが、今回の件で設置された捜査本部に、急遽出向く事になりました」そう言いながら深く頭を下げた。
「おいおい、別にエアのせいじゃないだろ、頭なんて下げないでくれよ。……それにしても、休む間もなしだな」
「パンナさんも行くの?」アイが尋ねた。
パンナに視線を送ったつもりだったが、ソファーから姿を消していた。
「僕は呼ばれてないタルよぉ」パンナの声が調理場の方から小さく聞こえた。
また食い物かあいつは。まぁ、打ち上げに参加されても困るから、今の内にたらふく食ってくれ。
「分かった。じゃあ、顔合わせって事でチームメンバーの紹介だけ済まそう」
「ええ、申し訳ございません」エアが俺に目を合わせて謝る。うなずいてそれに応えた。
「ソレとわたしは二人に会ってるからもういいね」
「ああ、そうだな」
じゃあ早速、と言ってキョウに視線をやった。既に立ち上がっていたキョウは、胸に手を当てお辞儀をした。
「俺はキョウシロウだ。ちッと長ッたらしい名前だから、キョウと呼んでくれて構わないぜ。俺はコイツを使う事くらいしか能がないが」そう言いながら、腰に下げた刀を左手で掴みカチャカチャと鳴らす。「まぁ、うまいこと使ッてくれや」
「はい、キョウさんよろしくお願いします」エアはそう言って、キョウと同じ様にお辞儀をした。
「ほぅ。キレイなお辞儀するねェ」キョウが感心している。
東方の挨拶『お辞儀』とやらにも、キレイや汚いという概念があるらしい。
ジェイが立ち上がった。そして、おもむろに右腕を前に突き出し、親指を真上へ立てた。
「……ジェイだ。よろしく」
――パンナの奴、いらんこと仕込みやがったな。アイが目を点にしている。キョウが上半身を後ろに向けて、肩を小刻みに震わせていた。こいつも共犯か。
「あ、え、ええ。よろしくお願いしますねジェイさん」エアが右腕を前に出した。
「エア、それはやらなくていいぞ」
「ええ? そうなんですか」
「おいパンナ戻って来い! 余計なことしやがって」
「何タル?」
足元から声がした。
「うおっ!」
パンナは大きなガルカンソーセージを右手に持って、俺を見上げていた。無垢な表情が憎らしい。こいつにとっては人をからかう事など、息を吐くのも同義なんだろう。
「いきなり人の足元に来るなよ。おまえはちっこいんだから踏み潰しちまうぞ。あとな、ジェイに変な事ばかり吹き込むなよ。うちのエースなんだぞ」
「ええー? 変な事ってわかんないけど分かったよぉ」
どっちなんだ。まぁいい、気を取り直して。
「と、まぁ少人数だが、うちはこの六人で捜査を行うことになった。それと、うちの団長からのお達しで、二班に分かれて捜査をする事になった」
「頼りない部下を持つと大変タルぅ」
「誰が部下だ。……ジェイとキョウはエアに、俺とアイはパンナの協力を得てこの件を解決するぞ。要領が掴めず思わぬ苦労をする事もあるかもしれないが、何か気になった事や分からない事があれば、すぐに捜査官の二人に相談するんだ」
パンナとエアに目配せをする。視界の隅で、キョウとジェイも黙って首を縦に小さく振っていた。
「わたしとソレはいつも同じ班だね!」
「おまえなぁ、そんな嬉しそうな顔するなよ。ティルが『子守』をさせてる事を理解してないのか」
アイの無邪気な口調と笑顔にため息がこぼれる。
「ああ、そうだ。エアとパンナは顔見知りなのか?」
「知らないタル」そう言いながらソーセージを咥え、滑りこむようにソファーに飛び込んだ。
「取締局は大きな組織ですからね。彼が私の事を知らなくても当然でしょう。……パンナさんよろしくお願いしますね」
「うん、よろしくタルゥ」
ケツを向けながら挨拶するやつがいるかよ。
「……と言う事は、エアはパンナの事を知ってるのか」
知っていてもおかしくはないか。誰もが認める変人だもんな。
「取締局の人間でパンナさんを知らない人はいませんよ」そういってエアはパンナを一瞥した後、すぐに俺の方へ顔を戻し、「私は、彼ほど優秀な捜査官を他には知りません」
店内のテーブルフロアの中央辺りの一つ。隣席との間仕切りはないが、ぽうっ、と静かに辺りを照らすランプの薄明かりが、周りを意識させない。ここに来ている客は皆、思い思いに憩いの時間を楽しんでいる。
キョウは、いつにもまして猛烈な勢いで串焼きを口に放り込んでいる。ジョッキを持つ左手も、お留守ではない。そんなキョウをよそに、ジェイは相変わらずいつもの調子だ。兎の姿焼きを一人、もくもくと食べていた。
「にしてもよぉ、ソレからメシに誘ッてくれるなんて久しぶりじゃねェか? いや、別に何があッたかなんてどうでもいいんだけどな。なんつッても『おごり』だからな!」
キョウは豪快に笑いながら唾を飛ばしてくる。口を開くたびに、酒と食べ物が混ざり合った強烈な臭気が襲い掛かってくる。
キョウが食べている串焼き――こいつの好物でもある『ミスラ風山の幸串焼き』の材料は、コカトリスの肉、野生の玉ねぎ、ニンニク、カザム辛子。コカトリスの肉は、鳥の肉とも爬虫類の肉ともつかぬ風味で、匂いも独特だ。しかし、この強烈な臭気の元はなんといってもニンニク。このニンニクは、コルシュシュ地方で多く栽培されている。
とても滋養効果が高く、重い鎧をつけて走り回る騎士だって、これを使った料理を食べれば一日の疲れを吹き飛ばし、次の日には馬車馬のごとく働ける精力がつくんだ。……この匂いがなければ俺も食べたい。
でも、食べるわけにはいかない。ある意味、何かを匂わせる男ならかっこいいが、いくら慣れ親しんだ仲とはいえ臭い男は駄目だろう。今日、みんなを打ち上げなどといって食事に誘ったのは、キョウにタダ飯を食わすためじゃない。アイとの距離を今より少しでも縮めるためだ。
今になってこんな事を思うようになったのは、お節介な団長さんの影響――もあるかもしれない。俺は何をやってるんだろうな。五年間も幼馴染と都会で暮らしているのに、サンドリアで暮らしていた時と何の変わりもない。親父は十八の頃にはお袋と恋仲だったっていうし、なんか情けないぞ。
だというのにアイの奴は少し遅い。無理に連れ出したパンナが悪いのは分かってるけど、一体何をしてるんだ。
――ふと、エアから聞いたパンナの話を思い出した。若干二十二歳で中級捜査官になり、今から二年前――二十四歳という異例の若さで上級試験を受け、見事合格。本来なら上級捜査官になるはずだったが、現場主義を徹底したため中級捜査官に留まる。
確かにこんな伝説を残せば有名にもなるな。見た目も言動もちゃらんぽらんなあいつに、そんな経歴があるなんて信じ難い話だけど。そんな話を前にしても謙遜すらせずに、さも当たり前、と言いたげなあいつの顔を思い出すと、むしゃくしゃしてしょうがない。
「なんで酒ッつーうまいもんがあるのに、わざわざクスリになんて手を出すかねェ? 俺にゃあ全然わかんねェぜ」キョウは酔っ払っているが、えらくまともな事を言った。「これさえありゃ、他に何もいらねェだろ。なぁ?」
酒の重要さを問いかけられたジェイがコクリとうなずく。賛同してる割に、酒は全く進んでないみたいだ。
「まぁ酒はともかく、娯楽が有り触れてるジュノで、薬物を選択する理由は理解できないな」
「だろォ? それに、ここにはイイ女がたくさんいるしな」
「そうだな」
「女と言えば、アイとはどうなッてんだよ」
「またそれか。その話はしないって約束だろ。それとも勘定は自分でするか?」
「あッ! そんな話はどうでもよかったな! はッはッは!」そう言って目線をテーブルに戻し、串をほおばる。
まったく。キョウの調子のよさは、お酒を飲むと拍車がかかるな。
「なぁキョウ、ティルが今どこにいるか知ってるか? いつも行き先を教えてくれないんだよ」
パーパに言われて俺も疑問に思う。しっぽの居ない今、俺達は完全に団長の手を離れて行動している。
信頼を置かれている、そう考えれば悪い気はしないが、さすがにこの規模の依頼で肝心の団長がいないっていうのは、傭兵の常識で量ってみても何かがおかしい。
そもそも、ティルって何者なんだ? 俺の考えていた賄賂説は本人に否定された。小さな傭兵団ながら、飛空艇にパスポートなしで搭乗できる高待遇。行き先も言わず、フラリと消える。
「ん。さぁな。姐さんには何か考えがあるんじゃねェかな」
「考えって?」
「そりゃ、アレだよ。バックアップに専念したいとか、稼ぎのいい仕事を探してるとか、ソレに成長してもらいたいとか、……そんな感じゃねェか?」
「ふうん。……俺さ、今まであまり気にしたことなかったんだけど、ティルってジュノでの顔がやたらと広いだろ? それについてキョウは何か知ってるのか?」
「ああ、その事かぁ。昔、姐さんはジュノの軍に籍を置いてたんだよ。エライさん方に顔が利くのも、そん時の功績のおかげじゃねェかな」
「軍?」
「ああ? 軍だよ軍。軍隊。サンドリアにもあるだろう? ……軍人が嫌で逃げ出してきたソレには分かんねェかな。はッはッはッ!」
「別に逃げ出したわけじゃねぇよ、田舎が嫌いなだけだ。大体そういう言い方は――」キョウの無神経さに深く突っ込んでも仕方ない。「そうじゃなくて、だ。サンドリアには軍があるけど、ジュノにはないだろ?」
「え? ああ! 警備隊だッたかな!……なんせ昔の事だからなッ!」
「あんまり適当な事ばっか言ってんなよ。結局キョウは何も知らないってことか?」
「……ソレ、酒が空になった。軽めのものを一杯もらってきてくれ」ジェイが空になったジョッキを突き出して、カウンターの方をちらりと見た。
ついさっきまで、ジョッキにフチきりいっぱい入っていたのに、何がそんなに酒を進ませたんだか。
「わかった。ちょっと待っててくれ」
ジョッキを片手に、隣のテーブルの人たちにぶつからないようにカウンターへ向かう。酒場の入り口をちらりと見ると、ガルカの男が一人入ってきていた。どこかで見たことのある顔だ。
ガルカの男は、真っ直ぐにカウンターの一番奥へ歩いていった。いかにも一人で飲むため、という雰囲気の一角だ。頑丈に出来た椅子に大きな体を預けると、一度伸びをし、人差し指を立てて飲み物を注文した。
そうだ、バストゥーク大使館の、愛想の無いガルカだ。昼間に被っていたベレー帽はないが、間違いない。髪には少し白髪が混じっていて、表情には壮齢の落ち着きがある、ようにも見えるが、どこか人を寄せ付けない雰囲気を放っている。
カウンターの傍にある酒樽の栓をひねりながら、昼間の事を思い返してみる。テーブルに戻り、炭酸の小気味良い音を立てるジョッキをジェイに渡した。
「……ありがとう」
「二人とも。悪いがちょっと席を外す」
ジェイはこちらを見てコクリとうなずいた。
「なんだぁ、ソレがナンパか? どれだ? どの女だ?」キョウが目の周りを真っ赤にしながらキョロキョロと店内を見回している。
「どうしてそうなるんだ。あそこのな」親指でガルカを指す。「カウンターのガルカにちょっとな」
キョウの目の色が変わった。大げさに驚いている。
「ソレ……。アイに一切興味を示さないと思ッたら、おまえはそういう趣味だッたのか! 気付いてやれなくてすまん!」
「はぁ? ちげぇよ! 俺は正常だ! 冗談も程々にな! じゃあ、行ってくるぞ」
そう言い残し、テーブルに背を向けた。後ろで、ハゲがまだくだらないことを言っているようだ。あんな酔っ払いに付き合ってたら変な話で時間がつぶれちまう。
ガルカの左隣の席が空いていたのでそこに腰掛けた。俺には気付かず、グラスにつがれた黄金色の酒を飲んでいる。ガルカは酒をチビリと舐めて、グラスを置いた。
「なぁあんた」声をかけると、ガルカがこちらに顔を向ける。「バストゥーク大使館の受付の人だろ? 俺の事は覚えてるか?」
ガルカは、俺を頭のてっぺんからヒザ辺りまで見て、
「昼前に来た傭兵か。何の用だ」抑揚のない、無愛想な声色で答えた。
「喋ってみてもやっぱり無愛想なんだな」
「やっぱりとは何だ? 突然話しかけてきて無礼な小僧だ」
「すまん、そういうつもりじゃなかったんだ。別にあんたに文句を言ってやろうって言うんじゃないさ。ただ、どうにもあんたの態度が気になっちまってな」
「なおさらぶしつけな小僧だ。……何が言いたい?」ガルカは俺から視線を外して、グラスを手に取った。
「昼間、俺達の事睨んでたろ?」
「……さあな、貴様の気のせいだろう」
「そうか。じゃあ……あんた、この国が嫌いか?」
ガルカはカウンターの正面を見ながら、飲んでいたグラスをゴトッとカウンターに打ち付けた。
少しの沈黙の後、
「貴様が何を考えてそんな事を聞くのかは知らんが、ガキの問答に付き合う気はない」
「ただの興味だよ。俺はこの国に憧れてやってきたからな。でも、住めば都……じゃなく、案外退屈な場所だったよ。この国が嫌いってわけじゃないが、あんたと同じで好きではないかもな。俺はいつもあの席で一人で飲んでるんだ」そう言って、観葉植物の陰に隠れた隅のテーブルを指した。
「来たばっかりの頃はさ、この国で楽しく暮らしてやろうって思ったんだ。もう、一切過去の事なんて忘れて、思うがままに生きてみようって」
ガルカは黙って話を聞いていた。
「でも、何かが引っかかってるんだよ。それが何なのかは分からないけど、こう……、喉の奥に張り付いた魚の小骨みたいに、ずっと。……傭兵になる事を反対した故郷の親父の事? 一緒に飛び出してきた幼馴染の事? 本当は何がしたかったんだろうってな。……って、あんたの話を聞くつもりが、俺の話をしちまったな。酔っ払ってたのは俺だったようだ」
「下らん話だ」ガルカはふんっ、と鼻をならし、グラスの酒を一気に飲み干し、俺のほうへ体の向きを改めた。
「下らない酒のつまみをくれたことの礼だ。……この街の住人は、ワシらバストゥークの人間を敵視している。舐めるように人を監視して、隙あらば抗議の一つでも飛ばしてやろうかという目で見てな」
「ここは自由の国だ。まともな人間を責めるような連中はいないさ」
「……小僧。傭兵のおまえは知っているだろう。バストゥークの馬鹿な輩どもが、この国の技術を欲しがっている。その一部の馬鹿どものせいで、ワシらまで色眼鏡で見られているんだ」
「そうなのか? 俺はここで仕事をしちゃいるが、サンドリア出身だ。ジュノの事は、わりあいに客観的に見えてると思うんだがな。ここはそんなに居心地が悪いか?」
「ふん。貴様がサンドリアの木偶だというのは分かっている。喋り方が妙に田舎臭いからな」
「はぁ……、これでも今日は匂いに気を遣ってるんだがな」
俺が苦笑いを浮かべて言葉に詰まっていると、ガルカが神妙な面持ちで、
「ここの住人に全ての責任があるとは思わん。軽率な行動をとる者が、わが国にもいる事は確かだ。……さっきの言葉は忘れてくれ。どうやらワシも軽率だったようだ」小さく頭を下げて詫びた。
「いいって、俺だって遠慮してないしな」
「……ワシはな、おまえらと話してた奴も気に食わんのだ」
「エアの事か?」
「そうだ。ジュノとバストゥークがこれだけの緊張状態にあるにも係わらず、あの若造も大概に浅慮だ。連邦捜査官だかなんだかわからんが、勝手に部屋から抜け出しおって」
「それは本当か? あの真面目一本のエアが……」
「昨日の昼過ぎ頃にはもうおらんかった。あの若造、来たときにえらく咳き込んでいたからな。この季節だ、乾燥で体を壊さないようにと、風邪薬と水差しを持っていったんだがな、……あの派手な赤い装束を脱ぎ捨てて窓から出て行ったようだ」
ガルカは上着のポケットから、薬の入った小瓶をちらりと覗かせた。無骨なガルカが、こんな分かりやすい形での気遣いをするのか、と考えたら可笑しくて笑いがこぼれそうになった。
それにしても、エアがパンナと同程度の違反を犯すとはな、いや、さすがにナンパをするために外に出たわけじゃないだろうな。きっと、止む得ない事情があったに違いない。
「我が国の代表とも言える立場の者が、こういう事ではいかんのだ。今や国同士が、経済で静かな戦争を行っているようなものだ。信頼を貶めるような行動は謹んでもらわんとな」
「まぁそんなに堅く考えるなよ。今はジュノが率先して動いているんだ。過激派の連中を一掃するための、俺達傭兵団との合同捜査なんだ。これが無事に解決すれば、バストゥークの信用も保たれるさ。……それよりも、周りの人間があんたらに冷たいからって、意固地になって無愛想に接しても、事態は好転しないぞ?」
「ふんっ、やはり生意気な小僧だ。……ワシが無愛想なのは生まれつきだ」ガルカは、表情こそ変えなかったが、微かに優しげな声色でつぶやいた。
「エアさん! こんばんはぁ! マントをお預かりしますね!」そう言って、アイが手を差し出したが、エアは首を横に振って応えた。
アイは一瞬当惑して、「じゃぁ席に案内しますね!」と、古参専用ソファーの向かいの席へ歩く。エアはアイに案内されるがままついて行く。空いていた一人掛けソファーの前で立ち止まり、一つ咳払いをした。
「エアさん、ここどうぞ!」アイが席に座るよう勧める。
エアは何となくはっきりしない表情をして、座る様子を見せなかった。
「エア、立ってないで座ってくれよ。あと、マントなら入り口に掛けておけばいいよ」
みなさん、とエアが口を開き、
「もう一つ謝らせてください。……是非ゆっくりお話をしたいと思っていたのですが、今回の件で設置された捜査本部に、急遽出向く事になりました」そう言いながら深く頭を下げた。
「おいおい、別にエアのせいじゃないだろ、頭なんて下げないでくれよ。……それにしても、休む間もなしだな」
「パンナさんも行くの?」アイが尋ねた。
パンナに視線を送ったつもりだったが、ソファーから姿を消していた。
「僕は呼ばれてないタルよぉ」パンナの声が調理場の方から小さく聞こえた。
また食い物かあいつは。まぁ、打ち上げに参加されても困るから、今の内にたらふく食ってくれ。
「分かった。じゃあ、顔合わせって事でチームメンバーの紹介だけ済まそう」
「ええ、申し訳ございません」エアが俺に目を合わせて謝る。うなずいてそれに応えた。
「ソレとわたしは二人に会ってるからもういいね」
「ああ、そうだな」
じゃあ早速、と言ってキョウに視線をやった。既に立ち上がっていたキョウは、胸に手を当てお辞儀をした。
「俺はキョウシロウだ。ちッと長ッたらしい名前だから、キョウと呼んでくれて構わないぜ。俺はコイツを使う事くらいしか能がないが」そう言いながら、腰に下げた刀を左手で掴みカチャカチャと鳴らす。「まぁ、うまいこと使ッてくれや」
「はい、キョウさんよろしくお願いします」エアはそう言って、キョウと同じ様にお辞儀をした。
「ほぅ。キレイなお辞儀するねェ」キョウが感心している。
東方の挨拶『お辞儀』とやらにも、キレイや汚いという概念があるらしい。
ジェイが立ち上がった。そして、おもむろに右腕を前に突き出し、親指を真上へ立てた。
「……ジェイだ。よろしく」
――パンナの奴、いらんこと仕込みやがったな。アイが目を点にしている。キョウが上半身を後ろに向けて、肩を小刻みに震わせていた。こいつも共犯か。
「あ、え、ええ。よろしくお願いしますねジェイさん」エアが右腕を前に出した。
「エア、それはやらなくていいぞ」
「ええ? そうなんですか」
「おいパンナ戻って来い! 余計なことしやがって」
「何タル?」
足元から声がした。
「うおっ!」
パンナは大きなガルカンソーセージを右手に持って、俺を見上げていた。無垢な表情が憎らしい。こいつにとっては人をからかう事など、息を吐くのも同義なんだろう。
「いきなり人の足元に来るなよ。おまえはちっこいんだから踏み潰しちまうぞ。あとな、ジェイに変な事ばかり吹き込むなよ。うちのエースなんだぞ」
「ええー? 変な事ってわかんないけど分かったよぉ」
どっちなんだ。まぁいい、気を取り直して。
「と、まぁ少人数だが、うちはこの六人で捜査を行うことになった。それと、うちの団長からのお達しで、二班に分かれて捜査をする事になった」
「頼りない部下を持つと大変タルぅ」
「誰が部下だ。……ジェイとキョウはエアに、俺とアイはパンナの協力を得てこの件を解決するぞ。要領が掴めず思わぬ苦労をする事もあるかもしれないが、何か気になった事や分からない事があれば、すぐに捜査官の二人に相談するんだ」
パンナとエアに目配せをする。視界の隅で、キョウとジェイも黙って首を縦に小さく振っていた。
「わたしとソレはいつも同じ班だね!」
「おまえなぁ、そんな嬉しそうな顔するなよ。ティルが『子守』をさせてる事を理解してないのか」
アイの無邪気な口調と笑顔にため息がこぼれる。
「ああ、そうだ。エアとパンナは顔見知りなのか?」
「知らないタル」そう言いながらソーセージを咥え、滑りこむようにソファーに飛び込んだ。
「取締局は大きな組織ですからね。彼が私の事を知らなくても当然でしょう。……パンナさんよろしくお願いしますね」
「うん、よろしくタルゥ」
ケツを向けながら挨拶するやつがいるかよ。
「……と言う事は、エアはパンナの事を知ってるのか」
知っていてもおかしくはないか。誰もが認める変人だもんな。
「取締局の人間でパンナさんを知らない人はいませんよ」そういってエアはパンナを一瞥した後、すぐに俺の方へ顔を戻し、「私は、彼ほど優秀な捜査官を他には知りません」
店内のテーブルフロアの中央辺りの一つ。隣席との間仕切りはないが、ぽうっ、と静かに辺りを照らすランプの薄明かりが、周りを意識させない。ここに来ている客は皆、思い思いに憩いの時間を楽しんでいる。
キョウは、いつにもまして猛烈な勢いで串焼きを口に放り込んでいる。ジョッキを持つ左手も、お留守ではない。そんなキョウをよそに、ジェイは相変わらずいつもの調子だ。兎の姿焼きを一人、もくもくと食べていた。
「にしてもよぉ、ソレからメシに誘ッてくれるなんて久しぶりじゃねェか? いや、別に何があッたかなんてどうでもいいんだけどな。なんつッても『おごり』だからな!」
キョウは豪快に笑いながら唾を飛ばしてくる。口を開くたびに、酒と食べ物が混ざり合った強烈な臭気が襲い掛かってくる。
キョウが食べている串焼き――こいつの好物でもある『ミスラ風山の幸串焼き』の材料は、コカトリスの肉、野生の玉ねぎ、ニンニク、カザム辛子。コカトリスの肉は、鳥の肉とも爬虫類の肉ともつかぬ風味で、匂いも独特だ。しかし、この強烈な臭気の元はなんといってもニンニク。このニンニクは、コルシュシュ地方で多く栽培されている。
とても滋養効果が高く、重い鎧をつけて走り回る騎士だって、これを使った料理を食べれば一日の疲れを吹き飛ばし、次の日には馬車馬のごとく働ける精力がつくんだ。……この匂いがなければ俺も食べたい。
でも、食べるわけにはいかない。ある意味、何かを匂わせる男ならかっこいいが、いくら慣れ親しんだ仲とはいえ臭い男は駄目だろう。今日、みんなを打ち上げなどといって食事に誘ったのは、キョウにタダ飯を食わすためじゃない。アイとの距離を今より少しでも縮めるためだ。
今になってこんな事を思うようになったのは、お節介な団長さんの影響――もあるかもしれない。俺は何をやってるんだろうな。五年間も幼馴染と都会で暮らしているのに、サンドリアで暮らしていた時と何の変わりもない。親父は十八の頃にはお袋と恋仲だったっていうし、なんか情けないぞ。
だというのにアイの奴は少し遅い。無理に連れ出したパンナが悪いのは分かってるけど、一体何をしてるんだ。
――ふと、エアから聞いたパンナの話を思い出した。若干二十二歳で中級捜査官になり、今から二年前――二十四歳という異例の若さで上級試験を受け、見事合格。本来なら上級捜査官になるはずだったが、現場主義を徹底したため中級捜査官に留まる。
確かにこんな伝説を残せば有名にもなるな。見た目も言動もちゃらんぽらんなあいつに、そんな経歴があるなんて信じ難い話だけど。そんな話を前にしても謙遜すらせずに、さも当たり前、と言いたげなあいつの顔を思い出すと、むしゃくしゃしてしょうがない。
「なんで酒ッつーうまいもんがあるのに、わざわざクスリになんて手を出すかねェ? 俺にゃあ全然わかんねェぜ」キョウは酔っ払っているが、えらくまともな事を言った。「これさえありゃ、他に何もいらねェだろ。なぁ?」
酒の重要さを問いかけられたジェイがコクリとうなずく。賛同してる割に、酒は全く進んでないみたいだ。
「まぁ酒はともかく、娯楽が有り触れてるジュノで、薬物を選択する理由は理解できないな」
「だろォ? それに、ここにはイイ女がたくさんいるしな」
「そうだな」
「女と言えば、アイとはどうなッてんだよ」
「またそれか。その話はしないって約束だろ。それとも勘定は自分でするか?」
「あッ! そんな話はどうでもよかったな! はッはッは!」そう言って目線をテーブルに戻し、串をほおばる。
まったく。キョウの調子のよさは、お酒を飲むと拍車がかかるな。
「なぁキョウ、ティルが今どこにいるか知ってるか? いつも行き先を教えてくれないんだよ」
パーパに言われて俺も疑問に思う。しっぽの居ない今、俺達は完全に団長の手を離れて行動している。
信頼を置かれている、そう考えれば悪い気はしないが、さすがにこの規模の依頼で肝心の団長がいないっていうのは、傭兵の常識で量ってみても何かがおかしい。
そもそも、ティルって何者なんだ? 俺の考えていた賄賂説は本人に否定された。小さな傭兵団ながら、飛空艇にパスポートなしで搭乗できる高待遇。行き先も言わず、フラリと消える。
「ん。さぁな。姐さんには何か考えがあるんじゃねェかな」
「考えって?」
「そりゃ、アレだよ。バックアップに専念したいとか、稼ぎのいい仕事を探してるとか、ソレに成長してもらいたいとか、……そんな感じゃねェか?」
「ふうん。……俺さ、今まであまり気にしたことなかったんだけど、ティルってジュノでの顔がやたらと広いだろ? それについてキョウは何か知ってるのか?」
「ああ、その事かぁ。昔、姐さんはジュノの軍に籍を置いてたんだよ。エライさん方に顔が利くのも、そん時の功績のおかげじゃねェかな」
「軍?」
「ああ? 軍だよ軍。軍隊。サンドリアにもあるだろう? ……軍人が嫌で逃げ出してきたソレには分かんねェかな。はッはッはッ!」
「別に逃げ出したわけじゃねぇよ、田舎が嫌いなだけだ。大体そういう言い方は――」キョウの無神経さに深く突っ込んでも仕方ない。「そうじゃなくて、だ。サンドリアには軍があるけど、ジュノにはないだろ?」
「え? ああ! 警備隊だッたかな!……なんせ昔の事だからなッ!」
「あんまり適当な事ばっか言ってんなよ。結局キョウは何も知らないってことか?」
「……ソレ、酒が空になった。軽めのものを一杯もらってきてくれ」ジェイが空になったジョッキを突き出して、カウンターの方をちらりと見た。
ついさっきまで、ジョッキにフチきりいっぱい入っていたのに、何がそんなに酒を進ませたんだか。
「わかった。ちょっと待っててくれ」
ジョッキを片手に、隣のテーブルの人たちにぶつからないようにカウンターへ向かう。酒場の入り口をちらりと見ると、ガルカの男が一人入ってきていた。どこかで見たことのある顔だ。
ガルカの男は、真っ直ぐにカウンターの一番奥へ歩いていった。いかにも一人で飲むため、という雰囲気の一角だ。頑丈に出来た椅子に大きな体を預けると、一度伸びをし、人差し指を立てて飲み物を注文した。
そうだ、バストゥーク大使館の、愛想の無いガルカだ。昼間に被っていたベレー帽はないが、間違いない。髪には少し白髪が混じっていて、表情には壮齢の落ち着きがある、ようにも見えるが、どこか人を寄せ付けない雰囲気を放っている。
カウンターの傍にある酒樽の栓をひねりながら、昼間の事を思い返してみる。テーブルに戻り、炭酸の小気味良い音を立てるジョッキをジェイに渡した。
「……ありがとう」
「二人とも。悪いがちょっと席を外す」
ジェイはこちらを見てコクリとうなずいた。
「なんだぁ、ソレがナンパか? どれだ? どの女だ?」キョウが目の周りを真っ赤にしながらキョロキョロと店内を見回している。
「どうしてそうなるんだ。あそこのな」親指でガルカを指す。「カウンターのガルカにちょっとな」
キョウの目の色が変わった。大げさに驚いている。
「ソレ……。アイに一切興味を示さないと思ッたら、おまえはそういう趣味だッたのか! 気付いてやれなくてすまん!」
「はぁ? ちげぇよ! 俺は正常だ! 冗談も程々にな! じゃあ、行ってくるぞ」
そう言い残し、テーブルに背を向けた。後ろで、ハゲがまだくだらないことを言っているようだ。あんな酔っ払いに付き合ってたら変な話で時間がつぶれちまう。
ガルカの左隣の席が空いていたのでそこに腰掛けた。俺には気付かず、グラスにつがれた黄金色の酒を飲んでいる。ガルカは酒をチビリと舐めて、グラスを置いた。
「なぁあんた」声をかけると、ガルカがこちらに顔を向ける。「バストゥーク大使館の受付の人だろ? 俺の事は覚えてるか?」
ガルカは、俺を頭のてっぺんからヒザ辺りまで見て、
「昼前に来た傭兵か。何の用だ」抑揚のない、無愛想な声色で答えた。
「喋ってみてもやっぱり無愛想なんだな」
「やっぱりとは何だ? 突然話しかけてきて無礼な小僧だ」
「すまん、そういうつもりじゃなかったんだ。別にあんたに文句を言ってやろうって言うんじゃないさ。ただ、どうにもあんたの態度が気になっちまってな」
「なおさらぶしつけな小僧だ。……何が言いたい?」ガルカは俺から視線を外して、グラスを手に取った。
「昼間、俺達の事睨んでたろ?」
「……さあな、貴様の気のせいだろう」
「そうか。じゃあ……あんた、この国が嫌いか?」
ガルカはカウンターの正面を見ながら、飲んでいたグラスをゴトッとカウンターに打ち付けた。
少しの沈黙の後、
「貴様が何を考えてそんな事を聞くのかは知らんが、ガキの問答に付き合う気はない」
「ただの興味だよ。俺はこの国に憧れてやってきたからな。でも、住めば都……じゃなく、案外退屈な場所だったよ。この国が嫌いってわけじゃないが、あんたと同じで好きではないかもな。俺はいつもあの席で一人で飲んでるんだ」そう言って、観葉植物の陰に隠れた隅のテーブルを指した。
「来たばっかりの頃はさ、この国で楽しく暮らしてやろうって思ったんだ。もう、一切過去の事なんて忘れて、思うがままに生きてみようって」
ガルカは黙って話を聞いていた。
「でも、何かが引っかかってるんだよ。それが何なのかは分からないけど、こう……、喉の奥に張り付いた魚の小骨みたいに、ずっと。……傭兵になる事を反対した故郷の親父の事? 一緒に飛び出してきた幼馴染の事? 本当は何がしたかったんだろうってな。……って、あんたの話を聞くつもりが、俺の話をしちまったな。酔っ払ってたのは俺だったようだ」
「下らん話だ」ガルカはふんっ、と鼻をならし、グラスの酒を一気に飲み干し、俺のほうへ体の向きを改めた。
「下らない酒のつまみをくれたことの礼だ。……この街の住人は、ワシらバストゥークの人間を敵視している。舐めるように人を監視して、隙あらば抗議の一つでも飛ばしてやろうかという目で見てな」
「ここは自由の国だ。まともな人間を責めるような連中はいないさ」
「……小僧。傭兵のおまえは知っているだろう。バストゥークの馬鹿な輩どもが、この国の技術を欲しがっている。その一部の馬鹿どものせいで、ワシらまで色眼鏡で見られているんだ」
「そうなのか? 俺はここで仕事をしちゃいるが、サンドリア出身だ。ジュノの事は、わりあいに客観的に見えてると思うんだがな。ここはそんなに居心地が悪いか?」
「ふん。貴様がサンドリアの木偶だというのは分かっている。喋り方が妙に田舎臭いからな」
「はぁ……、これでも今日は匂いに気を遣ってるんだがな」
俺が苦笑いを浮かべて言葉に詰まっていると、ガルカが神妙な面持ちで、
「ここの住人に全ての責任があるとは思わん。軽率な行動をとる者が、わが国にもいる事は確かだ。……さっきの言葉は忘れてくれ。どうやらワシも軽率だったようだ」小さく頭を下げて詫びた。
「いいって、俺だって遠慮してないしな」
「……ワシはな、おまえらと話してた奴も気に食わんのだ」
「エアの事か?」
「そうだ。ジュノとバストゥークがこれだけの緊張状態にあるにも係わらず、あの若造も大概に浅慮だ。連邦捜査官だかなんだかわからんが、勝手に部屋から抜け出しおって」
「それは本当か? あの真面目一本のエアが……」
「昨日の昼過ぎ頃にはもうおらんかった。あの若造、来たときにえらく咳き込んでいたからな。この季節だ、乾燥で体を壊さないようにと、風邪薬と水差しを持っていったんだがな、……あの派手な赤い装束を脱ぎ捨てて窓から出て行ったようだ」
ガルカは上着のポケットから、薬の入った小瓶をちらりと覗かせた。無骨なガルカが、こんな分かりやすい形での気遣いをするのか、と考えたら可笑しくて笑いがこぼれそうになった。
それにしても、エアがパンナと同程度の違反を犯すとはな、いや、さすがにナンパをするために外に出たわけじゃないだろうな。きっと、止む得ない事情があったに違いない。
「我が国の代表とも言える立場の者が、こういう事ではいかんのだ。今や国同士が、経済で静かな戦争を行っているようなものだ。信頼を貶めるような行動は謹んでもらわんとな」
「まぁそんなに堅く考えるなよ。今はジュノが率先して動いているんだ。過激派の連中を一掃するための、俺達傭兵団との合同捜査なんだ。これが無事に解決すれば、バストゥークの信用も保たれるさ。……それよりも、周りの人間があんたらに冷たいからって、意固地になって無愛想に接しても、事態は好転しないぞ?」
「ふんっ、やはり生意気な小僧だ。……ワシが無愛想なのは生まれつきだ」ガルカは、表情こそ変えなかったが、微かに優しげな声色でつぶやいた。
五節 暁の独断先行
アイが目の前にいた。小さな体で俺を揺らし、甲高い声で頭をガンガンと叩く。アイの手がやけに冷たくて不快だ。
「ソレ、起きて! 大変なの!」
二日酔いのせいで体がだるい。出し抜けに『大変だ』なんて言われても、案外、体は危機回避を行おうとしないんだな。
「うーん……、大変って何だよ?」
「パンナさんが詰め所にいないの!」
あいつが詰め所にいないと、どう大変なんだ。アイの思考回路はよく分からない。いや、いつもみたく正しく情報を伝えられていないんじゃないか。困ったもんだ。
それとアイ、こんなにも頭が痛くなる程飲んだのは、おまえのせいだぞ。『パンナさんの用事が終わったらすぐに顔出すからね』なんて、期待させるからずっと待ってたのに。
「ソレぇ! ぼーっとしてる場合じゃないの! 早く探しに行かないと大変な事になりそうなの!」
腕を引っ張るな、そこを引っ張られても痛いだけだ。鉛のように重たい体を起こすと、アイが剣を渡してきた。
自室の暖炉のある壁に飾った、サンドリア王国の国旗を見る。本来なら、国旗の下に設置した飾り台に置いてある俺の剣だ。『剣とは国の為にあるべきだ』と、口酸っぱく言っていた親父の言葉が、祖国を離れようとも、騎士道を捨てようとも、今でも俺の生活の中にあった。
「もう! どこ見てるの! 本当に緊急事態なんだから!」そう言うと、アイはブツブツと何かを喋り始めた。いや、これは――。
一瞬で目の前が真っ白になり、意識の波が、遠くの沖から一気に岸へと押し寄せた。
「馬鹿やろう! いきなり閃光の魔法を使う奴がいるかよ!」
「やっと起きてくれた。ソレ、本当に大変なの! パンナさんを助けて!」
真っ白だった視界がはっきりしてくると、アイが大粒の涙を零してひざまずいていた。
「……何があった? 落ち着いて話してくれよ」
「わたしのせいなの……」
居住区を抜けて、歓楽街まで一気に走ってきた。もうじき夜が明けると言うのに、俺やアイと同年代か年下であろう若者達が、そこかしこで浮かれ騒いでいた。
「ここなんだな?」
「うん……、たぶんここだと思う」
アイに案内された薄暗い路地の入り口には、『マーチャンティクス・スコルニクス通り』と書かれた、明らかに最近になって据え付けられた小汚い看板があった。
「どうしてすぐ俺に知らせなかった?」アイは目を逸らすと、俯いて黙りこくった。
「なんで黙るんだよ。言えない事情でもあるのか? もうそんな風にしてる場合じゃないだろ!」
「ごめんね……、わたし、ソレに無茶をしてほしくなかったから」
「何言ってんだ? 今の状況を考えてみれば無茶をしたのは、パンナとおまえだろ! 気になる事があったらパンナとエアに相談しろと言ったが、まずはセイントの俺達に話すだろ!」
「ごめん……」
「はぁ……、馬鹿だな。……まぁ、済んだ事は仕方がない。とにかくパンナを探すぞ。あいつは何を考えているか分からんからな」
パンナは今、この路地の先にいるはずだ。独断で先行をした事にも腹が立つが、アイを悲しませた事にはもっと腹が立つ。何より、やはり心配だ。
――パンナめ、アイを長々と連れ回したと思えば余計な仕事を増やしやがって。俺達が飲んだくれてる間に、アイの勤める病院へ事情聴取とは。案外、仕事人間じゃねぇか。
……『業突く張りのスコルニクス』が新型麻薬『ネオモスタミン』を売り捌いている、か。しかも傭兵団の屯所が多く存在する下層区で。その名の通り図太い性格の野郎なんだろう。確かにアイに頼めば、病院に入院している麻薬中毒患者と話しはできる。だがどうやってパンナは、今まで聞けなかった情報を引き出した? 患者の男は入院して二週間も経つが、ずっと精神錯乱状態だったというし……。アイは心配してこっそり様子を見てたようだが、特に乱暴な事もしなかったようだ。
にしても、アイのやつ。深く考え込んでいたパンナが何かをやらかすと踏んで、詰め所まで送り届けたのはいい。しかし、外から見張っていたくせに、いつの間にか眠りこけてこのザマとは。……まぁ、勘は悪くない。
一歩踏み進んだ路地は、予想以上に複雑に入り組んでいた。道は前後左右にあるだけでなく、上にも下にも続く階段があちらこちらにあり、パンナがどの道を進んでいったのか全く見当がつかない。
上を見上げると藍色に染められた空が、建物と建物の間に切り取られていた。狭い通路には雑に置かれた樽があり、雨水が自然と蓄えられていて、藻が繁殖して水は緑色に変わっている。足元からは、割れたガラスの欠片が音を発している。
こんな場所なら怪しげな連中を多く見かけると思ったが、余程質の悪い連中が普段からたむろしているのか、誰一人として姿を見かけない。
右の通路を進めば行き止まりに出会い、左の通路を進めば道は途絶え、真下には海が覗けた。戻ろうと引き返すが、道を一つ間違える。居を構えた小さな蜘蛛と目が合った。蜘蛛の巣には何の虫も捕まっていなかったが、根気よく待ち伏せをしているこの小さな蜘蛛は、獲物が掛かれば一瞬でその毒牙にかけるんだろう。まるで路地の奥で待つ運命を暗示しているような、嫌な予感が頭をよぎる。
「くそ! こんなんじゃ埒があかないぞ! アイ、あいつがどこに行ったのかこれ以上は分からないのか?」
「分かんないよぉ!」あ、と小さくつぶやいて、「上から見下ろしたら分かんないかな?」
「――それだ! 冴えてるぞ! アイ、はぐれるなよ!」
上りの階段を手当たり次第に駆け上がっていく。よく考えられて設計されたジュノにしては珍しく、無意味な道が多い。くすんだ色をした石造りの足元は、案外最近になって作り足されたものかもしれない。スラムの住人が、好き勝手に道を作ったと考えれば、この通路の出来にも合点がいく。
麻薬密造グループはここに目をつけたってことか。悪さをするには、まさに打って付けの場所ってわけだ。
俺達は行き止まりにあえば引き返し、次の階段へ向かう。何度もそうしてるうちに、ようやく、下層区全てを見渡せそうな高い建物の屋上へ辿り着くことができた。視界の端には、今にも消え入りそうな最後の星が瞬いていた。
「どこだ! パンナっ! どこにいる!」目いっぱいに叫んだ声は、薄暗い寒空に鈍く反響した。早朝だからか、急な階段を全力でのぼったせいか、心臓がチクリと痛んだ。
「パンナさん、どこにいるの!」
見下ろして周囲を見ていると、薄暗闇の中で何かがキラリと反射した。少し開けたその場所には、――パンナのマントだ! あいつの目立ちたがりな趣味がこんな所で活きてくるとはな。
だが、どうやら既に人間の男達に囲まれているようだ。やりあって負傷しているのか、パンナは左の二の腕を押さえ、ゆっくりと後退し続けている。
やっぱりこうなってるよな。悪い予感は外れてくれない。
あの場所まで、どのくらいかかる? 間に合うのか!
「アイ、おまえは引き返せ。あれだけの人数だ。それに、地の利も向こうにある。……おまえは来るな」
「でも……」
「でもじゃねぇ! こうなっちまったのはおまえにも責任はある! この状況を打破したいのなら、何が何でもジェイ達を呼んでこい!」
「ソレは一人で行くの? そんなのっ……、そんなのダメだよ! 絶対にダメ!」アイが瞳を濡らし、泣きわめく。
泣き虫め。おまえにもしもの事があってみろ。俺は生きて帰ったって何も嬉しくないぞ。
「いいか、よく聞け。俺はこの二年、おまえら三人を引っ張ってきたろ? いくらでも修羅場をくぐってきたじゃねぇか。今更この程度の事、屁でもないぞ」
「だったらわたしも行く! わたしだってもう五年間も傭兵やってきたんだから!」
「リーダーの言う事は絶対だ! 五年間もこの仕事をしてきて、そんな初歩的な事も忘れたのか? ……それにおまえの脚には結構信頼を置いてるんだぞ。ジェイやキョウがいればあんな奴ら、一瞬で片付くさ。だから、頼む。急いで二人を呼んで来てくれ!」
――思えばティルの口癖が移ってる気がするな。
「ソレ……、分かった! すぐに呼んでくるからね! 絶対に無茶はしないで!」唇を噛み締め、意を決したのか、何度も頷く。
「これ、使って!」腰のポーチから小さな小瓶を二つ取り出し、「この青い薬は、怪我に塗りこむと自然治癒力を高めてくれるの」そう言って、小瓶を握らせてきた。二本持っても、手のひらに収まるほど小さい。
「おまえ、こんな物をいつの間に……」
「言ったでしょ、薬を作ってあげるって! ……わたしがいない時はこれを渡すようにするから!」
「ってことは、あのキノコのか……?」
「ううん、これはセージと『モルボルのつる』から作るの」
うげぇ! どっちにしても口にしたくない植物かよ! まだ動かない分、キノコのほうがマシに思えるぞ。
「……で、こっちの緑の薬は?」
「それはパンナさんに渡して! 『口封じの魔法』を解いてくれるの。魔道士必携の薬だよ!」
魔道士は、呪文を唱える事で魔法を行使する。ゆえに喋る事ができなければ、魔法が使えない、か。あえて原材料は聞かないでおこう。
目で了解の合図をし、薬瓶を無造作にバッグへ詰め込んだ。
「……アイ、道に迷うんじゃねぇぞ」
「……バカ」アイは、そう言って頬を伝う涙を拭い、駆け出した。
アイが走り去る後姿を見送ると、頬を両手で打ち鳴らし気合を入れた。その自分の行為に、ふっ、と自嘲の笑いが漏れる。
ああは言ったものの、あんだけの人数どうすりゃあ――いや、奴らを殲滅させる必要なんてどこにもない。パンナを連れて、この路地を脱出する!
何も馬鹿正直に『道』を走らなくてもいい。通路を避け、幾重にも連なった家屋の屋根を飛び越えていく。朝露で濡れた金属や陶製の屋根瓦へ着地する度、湿った足場とは対照的に、無機質な乾いた音を立てる。これで、気付かれてもいい。奴らの注意を引けるのなら、なおさらいい。このまま、真っ直ぐパンナのところへ突っ走る!
「パンナーッ!」
まだだ! まだ遠い!
高さの不揃いな段差を飛んで跳ねる度に、革鎧の上に着けた、鉄製の胸当てが上下に揺れ遊ぶ。ひざが衝撃を一手に引き受け、ギチギチと痛む。視界の下からは、ひさしで休んでいた鳥達が、屋根で踊る馬鹿に驚き逃げていく。
「パンナーッ!」
銀刺繍の派手マントが翻った――声が届いた! 色とりどりの屋根瓦の谷を飛んで走る。もっと前へ踏み込め! 一段と開いた谷を飛び越えると、ようやく開けた場所に隣り合う屋根へ辿りついた。最後の星は、色を取り戻し始めた空にさらわれて消えていた。
「パンナッ! こっちへ来い!」
「ソレ! どうしてここに!」驚いた表情を浮かべ、こっちを見上げる。
マントの随所には、刃物で裂かれた痕があり、真っ赤な礼装も破れてほつれていた。
「はっ! どうしてじゃねぇよ! おまえの行動は分かりやすいんだってな! まったく、俺達の周りの女はどうしてこんなに勘が鋭いのかね!」
「一体何を……」
「うるせぇ! 面倒は起こすなって、そう言ったろ! 大体な、そんな派手な恰好してたら、悪党どもに『私はあなた方の敵です』って言ってるようなもんだ! これに懲りたら、もう少し地味な服装を心がけ――」
ヒュッ、と音が聞こえると、目下の男が構えた弓の弦が揺らいでいた。矢が頬を掠める。
――ちょっ、あっ! 濡れた瓦に足を取られ、――ドッ! とパンナのいる高さまで背中から落ちた。落下の衝撃でバッグが緩み、青い薬の瓶がコロコロと転がっていく。
「……いてて」
「ソ、ソレ?」
「……すまん。……やっちまった」
瓶を追っていた視線を上げると、そこには剣や弓を構えた男達数名が、殺気立った表情で俺達を睨んでいた。数は――剣士が六人に、弓使いが三人。先ほど矢を射った男は、満足そうに鼻をならしていた。
一番奥には、貴金属や宝石を身に纏った成金よろしくと言った、小太りのゴブリンが屋根の縁に座していた。『成金』は、特注であろう悪趣味なマスクを被り、パイプ煙草の煙を静かにくゆらせている。
「ジャマ、ハイッダ。ダガ、マヌケ、ヨワゾウダ」成金はブヒブヒと引き笑いを立てている。
「はぁ……、これでも一応そこらのゴロツキよりは高給取りなんだがなぁ」立ち上がりながら、同じ様に金で雇われたであろう男達を睨みつけた。
「んー、本当に邪魔が入ったよぉ」
「はあ? おまえ、よくこの状況でそれが言えるな! 助けに来てやったんだから少しは感謝しろよな!」
「頼りない部下を持つと大変タルなぁ。ティルにゃんの苦労も分かるよぉ」
「おい! 話聞いてんのか?」
「で、これで全部なのぉ?」パンナが成金に問いかける。
「ブェッブェッ! ゴウカ、ゾウシキ、ガ、ズキナノカ。オデノ、グンタイ、モットイルゾ! オマエラ、デテコイ!」そう呼号すると、成金を乗せた家屋――これまた小汚い木製の扉から、四人の男達が現れた。手には、やはり物騒な物を持っている。よくもまぁこんなにも。悪党ってのは、集まりやすいようにできてるのか、それとも群れるから悪いことをしてしまうのか。
「ダイイチブタイ、ト、ダイニブタイ! オデハ、ザナガラ『ゾウシレイカン』ダ! モットモット! モウゲテ、グンタイ、オオキグズル! ブェッブェッ!」
「いるいる。大人になっても『ごっこ遊び』に興じちゃう人。まぁ、僕も好きだけどね!」
「ズコシ、ハナシ、ワカル、ヤツダ」
「おい、パンナ。あのゴテゴテと派手な装飾の奴がスコルニクスか?」
「うん、あの丸々太ったかわい子ちゃんがそうだよ」
「てか、さっきからあいつに同調したり、認めちゃったり、そんな体で余裕ぶってる場合か?」
「どんな時でも冷静さを失っちゃだめなんだよ、ソレ」
「あのさ、おまえ、自棄になってるだけじゃねぇだろうな? ……とりあえずコレ」と、言って緑の薬を取り出して投げ渡し、「アイから、おまえにだとよ」
「うわぁ、プレゼントかぁ! ……まだあったかい! アイさんのぬくもりを感じるタル!」
俺が全力で走ってきたからだよ、せいぜい俺のぬくもりを楽しみやがれ。――って、あれ? 両手で瓶を見てるが、左腕を押さえていた右手に血がついていない。
「じゃあ、全員出揃ったみたいだし、始めようかぁ」パンナは薬瓶を懐へしまうと、その手で腰のレイピアを引きぬいた。
俺もすかさず、背負っていた盾と腰のロングソードを構える。くそ! 二人でどこまでやれる?
「コスヌケ。ナカマ、キテ、ツヨキニナル。ツヨガリ、オモシロイ!」ケタケタと笑い、腹を抱えているが、マスクの奥から覗く目には明らかな敵意が灯っていた。
「僕にはねぇ、信条があるんだよ。この世の悪と言う悪は成敗するってね。だから……、この場にいる君達悪者は、みーんな捕まえるよ!」
パンナはそう言うと、目を閉じ、レイピアを突き出した。そして、今まで聞いたことのない言語で魔法を詠唱し始めた。いや、早口で詠唱してるのか?
ゴロツキの男達に動揺が走る。今やっと、魔道士を相手取っていると気付いたようだった。
心なしか肌にジリジリと熱さを感じる――突然、パンナの剣が持つ鋭い切先から炎が立ち上り、見る見るうちにその刃を染めていく――と思ったが炎はフッと掻き消えた。
「間違えた! これじゃあ殺しちゃうところだったタル!」頭を小突いておどけ、赤い羽根付き帽子をくいっと脱いで上へ放り投げた。
「ア、アイツ、マホウツカウ! アブナイ! コロゼ、コロ――」
前兆もなく突風が間近を通り過ぎ、音を奪い去る。あまりの風圧に目を閉じずにはいられなかった。
――バチィッ! とチョコボを鞭で打つよりも鋭い音が前方に弾けた。目を開けると、弓を構えていた男が倒れ込んでいた。
パンナの姿が無い。ほらっ! とパンナの声が一瞬耳に入った。素早く辺りを見回したが、どこにも姿が見当たらない。姿を捉えられずにうろたえているのは、敵も同じだった。
「ついつい、炎を出しちゃうんだよねぇ! てゆーか、『赤の称号』ってこっちじゃあまり知られてない? 僕らってもっと有名だと思ってたのになぁ」
頭上か! 昇り始めた朝日に目を細める。まだ、周囲に気流が発生し続けている。風? 風を操って飛翔してる? 魔法はそうやって使うものなのか!
「お、おい! パンナ!」
――ドサッ、ドサッと、またも弓使いが二人倒れた。何が起こったのか正確には把握できないが、成金が太ももに灰をこぼして小さな悲鳴をあげていた。
「ふぅ、三丁あがりぃ!」
パンナが風に乗って、俺の側へ舞い降りた。風に揺られて落ちてきた帽子を器用に受け止め、頭に納めた。剣からは紫電がほとばしり、無数の小鳥がさえずるような音を放っている。
「パンナ――」
「これで、弓矢に狙われる事はないよぉ? さぁ、ソレも協力してくれる?」
「あ、ああ。……分かった。話は後って事、だな?」
「そういう事!」
衝撃の先制攻撃はもう通用しないってことだな。こうなったら地道に数を減らすしかない。金で雇われてる連中だ、あと一人、二人やっちまえば命惜しさに逃げ出すハズだ。そうなった時が逃げ出す機会!
「ヤ、ヤツラ、シャベッテル! イマノウチ、ヤ、ヤレ! カネ、タグザン、ヤル!」
号令を掛けられた先頭の男が、パンナ目掛けて剣を振り下ろす。パンナが横目でレイピアを振り上げ、その力を受け流す。同時に、パシッ! と音を立てて、剣士の男は糸が切れた操り人形のように倒れ、それっきり動かなくなった。
「ああ、それと。……殺しちゃだめだよ。みんな捕まえるんだから」
「はあ? 『殺すな』は、いくらなんでも難しいだろ! ってか、この状況なら当然逃げの一手だろ! 馬鹿が過ぎるぞ!」
「はぁ、これだから傭兵は荒っぽくて困るタル。殺しは戦争の時だけで充分だよ。無闇な殺生はダメダメ! ……君達も、理解してるぅ?」言い切る前に、地面を蹴り、急襲を仕掛けると、また一人倒れ込んだ。……聞いておいて不意打ちとは、外道め。
敵はじわじわと距離を詰めて来ていた。こっちはもうほとんど下がれねぇっていうのに。
パンナの奴、どうしてこんな場所に追い詰められるまで――まさか、敵さん全部引きずり出したってのか。『信条』ってやつのために。
……くだらねぇ。何ものも、命と引き換えになんてできるかよ。
「アイツ、カラ、ヤレ!」成金が、宝石で飾った指で俺を指す。
敵さんの標的は、どうやら俺に移ったようだ。後ろの方に隠れていた『第二部隊』の視線が俺に集まる。へっ、魔法が使えない俺なら殺れると踏んだわけか。……目に物見せてやる。
「だんなぁ! このマヌケを倒したら報奨金を出してくれよな!」
「ソッチ、ノ、マヌケ、ハ、ヤズイゾ!」
長髪の剣士が成金にせびる。誰がマヌケだ。あったまきた。
「ソレ!」
「馬鹿! 分かってる、俺なら大丈夫だ! 捕まえるんだろ? あいつを」突進してくる長髪の剣士から目を離さず答えた。「言ったからには、絶対に逃がすんじゃねぇぞ! 行け!」
「まっかせといて!」
パンナが成金に付いた護衛五人に刃を向ける。
パンナの『信条』は悪党を全て捕まえる事だろうが、この危険な捜査の真の目的は、成金スコルニクスを捕まえて情報を得ることだろう。せっかく張った命だ、無駄にしてもらっちゃ困る。
――『長髪』の剣先が肩をすれすれに振り抜かれる。造作もねぇ! 最初の一撃を、二歩前進で長髪の右横へかわし、すれ違いざまにすねを斬りつけた。ぐぅ! と呻いて、長髪が倒れこむ。間髪を入れず顔面に蹴りを叩き込む。手足をジタバタさせてもがき呻く長髪から剣を奪い、背面の屋根の上へ放り投げた。もう一度顔面に蹴りを入れると、観念したのか体を丸めて大人しくなった。
「死ぬよりはましだろ?」残りの二人を真っ直ぐ睨みつけ、威圧する。
耳の至る所、鼻に口にと、節操無しにピアスをつけた男と、金色のチェーンネックレスを何重にもぶらさげた男が顔を見合わせ相談している。『ピアス』と『チェーン』が同時に動き出した。
……成ってねぇ。
「ぜんっぜんっ成ってねぇんだよおめぇら!」
左手で、胸のホルダーから投げナイフを引き抜き横手投げ――宙を舞った黒光りの殺意が、ピアスの肩口に突き刺さった。ピアスが、ぎゃあ、と低い声で悲鳴をあげた。不測の攻撃にチェーンがたじろぎ、後ずさる。――逃がすかよ!
風化し、砂利に姿を変えつつある地面をジャッと蹴り、低い姿勢のまま盾を前に突き出し、チェーンの剣を――バンッ! と撥ね付けた。下方向からの強烈なタックルを見舞い、チェーンが体勢を崩しかけたその瞬間を狙い、足を掛ける。右手を振り上げて剣の柄頭で胸を殴打し、勢いをつけて転倒させた。硬い地面と背骨の一部が接触したのか、石がずり落ちるような音が鳴った。
仰向けになって顔をひきつらせたチェーンの首筋へ剣を向け、ピアスを睨む。
「おい! 針刺しみたいな顔したおまえ! 動いたらこいつを殺す!」
「ガキィ……、でめぇ絶対ゆるざねぇ! ぜっだいにゆるざねぇ!」ピアスは、目を真っ赤に充血させながら、刺さったナイフを抜くとその場に投げ捨てた。……あーあ、んなことしたら血が止まらなくなるぞ。ってか、当然のように仲間意識はないのな。
チェーンの鼻柱を思い切り踏みつけ、「動くなよ!」と、言ったが、うーうー呻くばかりで聞いちゃいなかった。
「ふうん、結構やるねぇ! セイントのお荷物担当だとおもったケド、見直したよぉ!」パンナが手を広げて大げさに驚いた振りをした。目を見開いた表情は一層わざとらしい。
「誰がお荷物だ! ……こちとら五歳の時から剣術を磨いてきたんだ。そこらのゴロツキじゃ相手になんねぇよ。ってか、前だけ見てろ!」
「おい! ガキィ! でめぇ俺様を無視しでんじゃねぇ!」
「……はぁ、息巻いてんのはわかるんだけどよ。俺の相手をできるのはもうあんただけだぞ。三人仲良く星空観察でもするか? もうとっくに時間外れだけどな」
「うぐっ……!」
「こちとら朝っぱらに叩き起こされていらついてんだ。……これ以上やるってんなら命の保証はできねぇぞ」
「……くぞっ! 覚えでろよクソガキィ!」
ピアスは左肩を押さえながら、小悪党然とした言葉を吐いて、背を向けて逃げだそうとした――狭い空間を木霊する低い破裂音が響く。ピアスは声になり損ねた吐息を漏らし、崩れるように倒れこんだ。
「ニゲルヤツ、ユルザナイ!」そう怒号を上げた成金の手には、小型の銃が握られている。「コレハ、バズトゥーグ、ザイシンシキ、シサグヒンジュウ! ゼンゴヒャグマン、ギル、カカッタ! タマ、イッパツ、ゴマンギル! オマエ、イノチ、ゾレダケ、カチ、アルカ? ブェッブェッ!」
「ソレ!」
バンッ! と、二発目が発射され、パンナの足元を掠め去る。
「ヒトノ、シンパイ、ハ、マヌケ!」
「パンナ! どうするんだ! あんな風に連発できる銃なんて相手したことねぇぞ!」
右手に、レンガで壁を作ったゴミ置き場がある、まずはあの物陰に隠れるか?
――三度目の破裂音が響くと同時に、左の脇腹に焼けるような熱さ。肉を押しつぶしていく音が、体の内から聞こえた気がした。脚の力が急速に抜け、ヒザで地面を打つ。
「があっ!」
「ソレぇ!」
「マヌケ、フタリ、イラナイ。ヨワゾウナ、マヌケ、タイジョウ! ブェッブェッ!」
くそ……ここまでか。……血が、止まらねぇ。とっさに押さえた左手のグローブは、とっくに真っ赤に染まっている。
……土台無理な話だったんだ。あーあ、なんでこんな事に首突っ込んじまったかな。あいつが泣いてたから……、あいつに責任を負わせたくなかったから、か。覚悟できてたつもりだったけど、やっぱり死にたくねぇな。……俺が死んだらあいつは悲しむだろうな。
――俺が死んだら誰があいつの面倒を見るんだ?
「……たいじょう……? 退場なんてする……かよ! 俺は……最後まで戦ってやる! おまえのそのマスク……引っぺがしてやるからな……!」
投げナイフの有効射程距離はせいぜい五メートル。成金野郎との距離はその約三倍。当たらねぇ。当たっても、まず有効打にはならない。いいとこ一秒、二秒の時間稼ぎにしかならないだろう。……だが、パンナならあるいは――。
ロングソードをその場に置き、右手でホルダーからナイフを引き抜き、力任せに上手投げ――渾身の最後っ屁は、成金の横をゆっくり回転しながら通り過ぎ、朝焼けの空へ消えていった。
「ブェッブェッ! ワルアガキ、オモシロイ!」
渾身の一投が掠りもしない事に落胆する。――意識がかすんでいく。体温が低下しているのか、寒気が体中を襲う。震える自分の手を恨みつつ目を凝らそうとしたが、重いまぶたを支える力は既に無かった。
――ブェーッ! と成金が叫び、何かが落ちる音を耳が拾い上げた。
「……ソレ。遅くなった」
続けざまに、すぐ後ろの屋根上から声が聞こえた。……ジェイ……? 応援が来たの……か。
「……レ? ……ソレェ!」
消えゆく意識の中、あいつの声も聞こえた気がした。心配かけた、すまん……な――。
アイが目の前にいた。小さな体で俺を揺らし、甲高い声で頭をガンガンと叩く。アイの手がやけに冷たくて不快だ。
「ソレ、起きて! 大変なの!」
二日酔いのせいで体がだるい。出し抜けに『大変だ』なんて言われても、案外、体は危機回避を行おうとしないんだな。
「うーん……、大変って何だよ?」
「パンナさんが詰め所にいないの!」
あいつが詰め所にいないと、どう大変なんだ。アイの思考回路はよく分からない。いや、いつもみたく正しく情報を伝えられていないんじゃないか。困ったもんだ。
それとアイ、こんなにも頭が痛くなる程飲んだのは、おまえのせいだぞ。『パンナさんの用事が終わったらすぐに顔出すからね』なんて、期待させるからずっと待ってたのに。
「ソレぇ! ぼーっとしてる場合じゃないの! 早く探しに行かないと大変な事になりそうなの!」
腕を引っ張るな、そこを引っ張られても痛いだけだ。鉛のように重たい体を起こすと、アイが剣を渡してきた。
自室の暖炉のある壁に飾った、サンドリア王国の国旗を見る。本来なら、国旗の下に設置した飾り台に置いてある俺の剣だ。『剣とは国の為にあるべきだ』と、口酸っぱく言っていた親父の言葉が、祖国を離れようとも、騎士道を捨てようとも、今でも俺の生活の中にあった。
「もう! どこ見てるの! 本当に緊急事態なんだから!」そう言うと、アイはブツブツと何かを喋り始めた。いや、これは――。
一瞬で目の前が真っ白になり、意識の波が、遠くの沖から一気に岸へと押し寄せた。
「馬鹿やろう! いきなり閃光の魔法を使う奴がいるかよ!」
「やっと起きてくれた。ソレ、本当に大変なの! パンナさんを助けて!」
真っ白だった視界がはっきりしてくると、アイが大粒の涙を零してひざまずいていた。
「……何があった? 落ち着いて話してくれよ」
「わたしのせいなの……」
居住区を抜けて、歓楽街まで一気に走ってきた。もうじき夜が明けると言うのに、俺やアイと同年代か年下であろう若者達が、そこかしこで浮かれ騒いでいた。
「ここなんだな?」
「うん……、たぶんここだと思う」
アイに案内された薄暗い路地の入り口には、『マーチャンティクス・スコルニクス通り』と書かれた、明らかに最近になって据え付けられた小汚い看板があった。
「どうしてすぐ俺に知らせなかった?」アイは目を逸らすと、俯いて黙りこくった。
「なんで黙るんだよ。言えない事情でもあるのか? もうそんな風にしてる場合じゃないだろ!」
「ごめんね……、わたし、ソレに無茶をしてほしくなかったから」
「何言ってんだ? 今の状況を考えてみれば無茶をしたのは、パンナとおまえだろ! 気になる事があったらパンナとエアに相談しろと言ったが、まずはセイントの俺達に話すだろ!」
「ごめん……」
「はぁ……、馬鹿だな。……まぁ、済んだ事は仕方がない。とにかくパンナを探すぞ。あいつは何を考えているか分からんからな」
パンナは今、この路地の先にいるはずだ。独断で先行をした事にも腹が立つが、アイを悲しませた事にはもっと腹が立つ。何より、やはり心配だ。
――パンナめ、アイを長々と連れ回したと思えば余計な仕事を増やしやがって。俺達が飲んだくれてる間に、アイの勤める病院へ事情聴取とは。案外、仕事人間じゃねぇか。
……『業突く張りのスコルニクス』が新型麻薬『ネオモスタミン』を売り捌いている、か。しかも傭兵団の屯所が多く存在する下層区で。その名の通り図太い性格の野郎なんだろう。確かにアイに頼めば、病院に入院している麻薬中毒患者と話しはできる。だがどうやってパンナは、今まで聞けなかった情報を引き出した? 患者の男は入院して二週間も経つが、ずっと精神錯乱状態だったというし……。アイは心配してこっそり様子を見てたようだが、特に乱暴な事もしなかったようだ。
にしても、アイのやつ。深く考え込んでいたパンナが何かをやらかすと踏んで、詰め所まで送り届けたのはいい。しかし、外から見張っていたくせに、いつの間にか眠りこけてこのザマとは。……まぁ、勘は悪くない。
一歩踏み進んだ路地は、予想以上に複雑に入り組んでいた。道は前後左右にあるだけでなく、上にも下にも続く階段があちらこちらにあり、パンナがどの道を進んでいったのか全く見当がつかない。
上を見上げると藍色に染められた空が、建物と建物の間に切り取られていた。狭い通路には雑に置かれた樽があり、雨水が自然と蓄えられていて、藻が繁殖して水は緑色に変わっている。足元からは、割れたガラスの欠片が音を発している。
こんな場所なら怪しげな連中を多く見かけると思ったが、余程質の悪い連中が普段からたむろしているのか、誰一人として姿を見かけない。
右の通路を進めば行き止まりに出会い、左の通路を進めば道は途絶え、真下には海が覗けた。戻ろうと引き返すが、道を一つ間違える。居を構えた小さな蜘蛛と目が合った。蜘蛛の巣には何の虫も捕まっていなかったが、根気よく待ち伏せをしているこの小さな蜘蛛は、獲物が掛かれば一瞬でその毒牙にかけるんだろう。まるで路地の奥で待つ運命を暗示しているような、嫌な予感が頭をよぎる。
「くそ! こんなんじゃ埒があかないぞ! アイ、あいつがどこに行ったのかこれ以上は分からないのか?」
「分かんないよぉ!」あ、と小さくつぶやいて、「上から見下ろしたら分かんないかな?」
「――それだ! 冴えてるぞ! アイ、はぐれるなよ!」
上りの階段を手当たり次第に駆け上がっていく。よく考えられて設計されたジュノにしては珍しく、無意味な道が多い。くすんだ色をした石造りの足元は、案外最近になって作り足されたものかもしれない。スラムの住人が、好き勝手に道を作ったと考えれば、この通路の出来にも合点がいく。
麻薬密造グループはここに目をつけたってことか。悪さをするには、まさに打って付けの場所ってわけだ。
俺達は行き止まりにあえば引き返し、次の階段へ向かう。何度もそうしてるうちに、ようやく、下層区全てを見渡せそうな高い建物の屋上へ辿り着くことができた。視界の端には、今にも消え入りそうな最後の星が瞬いていた。
「どこだ! パンナっ! どこにいる!」目いっぱいに叫んだ声は、薄暗い寒空に鈍く反響した。早朝だからか、急な階段を全力でのぼったせいか、心臓がチクリと痛んだ。
「パンナさん、どこにいるの!」
見下ろして周囲を見ていると、薄暗闇の中で何かがキラリと反射した。少し開けたその場所には、――パンナのマントだ! あいつの目立ちたがりな趣味がこんな所で活きてくるとはな。
だが、どうやら既に人間の男達に囲まれているようだ。やりあって負傷しているのか、パンナは左の二の腕を押さえ、ゆっくりと後退し続けている。
やっぱりこうなってるよな。悪い予感は外れてくれない。
あの場所まで、どのくらいかかる? 間に合うのか!
「アイ、おまえは引き返せ。あれだけの人数だ。それに、地の利も向こうにある。……おまえは来るな」
「でも……」
「でもじゃねぇ! こうなっちまったのはおまえにも責任はある! この状況を打破したいのなら、何が何でもジェイ達を呼んでこい!」
「ソレは一人で行くの? そんなのっ……、そんなのダメだよ! 絶対にダメ!」アイが瞳を濡らし、泣きわめく。
泣き虫め。おまえにもしもの事があってみろ。俺は生きて帰ったって何も嬉しくないぞ。
「いいか、よく聞け。俺はこの二年、おまえら三人を引っ張ってきたろ? いくらでも修羅場をくぐってきたじゃねぇか。今更この程度の事、屁でもないぞ」
「だったらわたしも行く! わたしだってもう五年間も傭兵やってきたんだから!」
「リーダーの言う事は絶対だ! 五年間もこの仕事をしてきて、そんな初歩的な事も忘れたのか? ……それにおまえの脚には結構信頼を置いてるんだぞ。ジェイやキョウがいればあんな奴ら、一瞬で片付くさ。だから、頼む。急いで二人を呼んで来てくれ!」
――思えばティルの口癖が移ってる気がするな。
「ソレ……、分かった! すぐに呼んでくるからね! 絶対に無茶はしないで!」唇を噛み締め、意を決したのか、何度も頷く。
「これ、使って!」腰のポーチから小さな小瓶を二つ取り出し、「この青い薬は、怪我に塗りこむと自然治癒力を高めてくれるの」そう言って、小瓶を握らせてきた。二本持っても、手のひらに収まるほど小さい。
「おまえ、こんな物をいつの間に……」
「言ったでしょ、薬を作ってあげるって! ……わたしがいない時はこれを渡すようにするから!」
「ってことは、あのキノコのか……?」
「ううん、これはセージと『モルボルのつる』から作るの」
うげぇ! どっちにしても口にしたくない植物かよ! まだ動かない分、キノコのほうがマシに思えるぞ。
「……で、こっちの緑の薬は?」
「それはパンナさんに渡して! 『口封じの魔法』を解いてくれるの。魔道士必携の薬だよ!」
魔道士は、呪文を唱える事で魔法を行使する。ゆえに喋る事ができなければ、魔法が使えない、か。あえて原材料は聞かないでおこう。
目で了解の合図をし、薬瓶を無造作にバッグへ詰め込んだ。
「……アイ、道に迷うんじゃねぇぞ」
「……バカ」アイは、そう言って頬を伝う涙を拭い、駆け出した。
アイが走り去る後姿を見送ると、頬を両手で打ち鳴らし気合を入れた。その自分の行為に、ふっ、と自嘲の笑いが漏れる。
ああは言ったものの、あんだけの人数どうすりゃあ――いや、奴らを殲滅させる必要なんてどこにもない。パンナを連れて、この路地を脱出する!
何も馬鹿正直に『道』を走らなくてもいい。通路を避け、幾重にも連なった家屋の屋根を飛び越えていく。朝露で濡れた金属や陶製の屋根瓦へ着地する度、湿った足場とは対照的に、無機質な乾いた音を立てる。これで、気付かれてもいい。奴らの注意を引けるのなら、なおさらいい。このまま、真っ直ぐパンナのところへ突っ走る!
「パンナーッ!」
まだだ! まだ遠い!
高さの不揃いな段差を飛んで跳ねる度に、革鎧の上に着けた、鉄製の胸当てが上下に揺れ遊ぶ。ひざが衝撃を一手に引き受け、ギチギチと痛む。視界の下からは、ひさしで休んでいた鳥達が、屋根で踊る馬鹿に驚き逃げていく。
「パンナーッ!」
銀刺繍の派手マントが翻った――声が届いた! 色とりどりの屋根瓦の谷を飛んで走る。もっと前へ踏み込め! 一段と開いた谷を飛び越えると、ようやく開けた場所に隣り合う屋根へ辿りついた。最後の星は、色を取り戻し始めた空にさらわれて消えていた。
「パンナッ! こっちへ来い!」
「ソレ! どうしてここに!」驚いた表情を浮かべ、こっちを見上げる。
マントの随所には、刃物で裂かれた痕があり、真っ赤な礼装も破れてほつれていた。
「はっ! どうしてじゃねぇよ! おまえの行動は分かりやすいんだってな! まったく、俺達の周りの女はどうしてこんなに勘が鋭いのかね!」
「一体何を……」
「うるせぇ! 面倒は起こすなって、そう言ったろ! 大体な、そんな派手な恰好してたら、悪党どもに『私はあなた方の敵です』って言ってるようなもんだ! これに懲りたら、もう少し地味な服装を心がけ――」
ヒュッ、と音が聞こえると、目下の男が構えた弓の弦が揺らいでいた。矢が頬を掠める。
――ちょっ、あっ! 濡れた瓦に足を取られ、――ドッ! とパンナのいる高さまで背中から落ちた。落下の衝撃でバッグが緩み、青い薬の瓶がコロコロと転がっていく。
「……いてて」
「ソ、ソレ?」
「……すまん。……やっちまった」
瓶を追っていた視線を上げると、そこには剣や弓を構えた男達数名が、殺気立った表情で俺達を睨んでいた。数は――剣士が六人に、弓使いが三人。先ほど矢を射った男は、満足そうに鼻をならしていた。
一番奥には、貴金属や宝石を身に纏った成金よろしくと言った、小太りのゴブリンが屋根の縁に座していた。『成金』は、特注であろう悪趣味なマスクを被り、パイプ煙草の煙を静かにくゆらせている。
「ジャマ、ハイッダ。ダガ、マヌケ、ヨワゾウダ」成金はブヒブヒと引き笑いを立てている。
「はぁ……、これでも一応そこらのゴロツキよりは高給取りなんだがなぁ」立ち上がりながら、同じ様に金で雇われたであろう男達を睨みつけた。
「んー、本当に邪魔が入ったよぉ」
「はあ? おまえ、よくこの状況でそれが言えるな! 助けに来てやったんだから少しは感謝しろよな!」
「頼りない部下を持つと大変タルなぁ。ティルにゃんの苦労も分かるよぉ」
「おい! 話聞いてんのか?」
「で、これで全部なのぉ?」パンナが成金に問いかける。
「ブェッブェッ! ゴウカ、ゾウシキ、ガ、ズキナノカ。オデノ、グンタイ、モットイルゾ! オマエラ、デテコイ!」そう呼号すると、成金を乗せた家屋――これまた小汚い木製の扉から、四人の男達が現れた。手には、やはり物騒な物を持っている。よくもまぁこんなにも。悪党ってのは、集まりやすいようにできてるのか、それとも群れるから悪いことをしてしまうのか。
「ダイイチブタイ、ト、ダイニブタイ! オデハ、ザナガラ『ゾウシレイカン』ダ! モットモット! モウゲテ、グンタイ、オオキグズル! ブェッブェッ!」
「いるいる。大人になっても『ごっこ遊び』に興じちゃう人。まぁ、僕も好きだけどね!」
「ズコシ、ハナシ、ワカル、ヤツダ」
「おい、パンナ。あのゴテゴテと派手な装飾の奴がスコルニクスか?」
「うん、あの丸々太ったかわい子ちゃんがそうだよ」
「てか、さっきからあいつに同調したり、認めちゃったり、そんな体で余裕ぶってる場合か?」
「どんな時でも冷静さを失っちゃだめなんだよ、ソレ」
「あのさ、おまえ、自棄になってるだけじゃねぇだろうな? ……とりあえずコレ」と、言って緑の薬を取り出して投げ渡し、「アイから、おまえにだとよ」
「うわぁ、プレゼントかぁ! ……まだあったかい! アイさんのぬくもりを感じるタル!」
俺が全力で走ってきたからだよ、せいぜい俺のぬくもりを楽しみやがれ。――って、あれ? 両手で瓶を見てるが、左腕を押さえていた右手に血がついていない。
「じゃあ、全員出揃ったみたいだし、始めようかぁ」パンナは薬瓶を懐へしまうと、その手で腰のレイピアを引きぬいた。
俺もすかさず、背負っていた盾と腰のロングソードを構える。くそ! 二人でどこまでやれる?
「コスヌケ。ナカマ、キテ、ツヨキニナル。ツヨガリ、オモシロイ!」ケタケタと笑い、腹を抱えているが、マスクの奥から覗く目には明らかな敵意が灯っていた。
「僕にはねぇ、信条があるんだよ。この世の悪と言う悪は成敗するってね。だから……、この場にいる君達悪者は、みーんな捕まえるよ!」
パンナはそう言うと、目を閉じ、レイピアを突き出した。そして、今まで聞いたことのない言語で魔法を詠唱し始めた。いや、早口で詠唱してるのか?
ゴロツキの男達に動揺が走る。今やっと、魔道士を相手取っていると気付いたようだった。
心なしか肌にジリジリと熱さを感じる――突然、パンナの剣が持つ鋭い切先から炎が立ち上り、見る見るうちにその刃を染めていく――と思ったが炎はフッと掻き消えた。
「間違えた! これじゃあ殺しちゃうところだったタル!」頭を小突いておどけ、赤い羽根付き帽子をくいっと脱いで上へ放り投げた。
「ア、アイツ、マホウツカウ! アブナイ! コロゼ、コロ――」
前兆もなく突風が間近を通り過ぎ、音を奪い去る。あまりの風圧に目を閉じずにはいられなかった。
――バチィッ! とチョコボを鞭で打つよりも鋭い音が前方に弾けた。目を開けると、弓を構えていた男が倒れ込んでいた。
パンナの姿が無い。ほらっ! とパンナの声が一瞬耳に入った。素早く辺りを見回したが、どこにも姿が見当たらない。姿を捉えられずにうろたえているのは、敵も同じだった。
「ついつい、炎を出しちゃうんだよねぇ! てゆーか、『赤の称号』ってこっちじゃあまり知られてない? 僕らってもっと有名だと思ってたのになぁ」
頭上か! 昇り始めた朝日に目を細める。まだ、周囲に気流が発生し続けている。風? 風を操って飛翔してる? 魔法はそうやって使うものなのか!
「お、おい! パンナ!」
――ドサッ、ドサッと、またも弓使いが二人倒れた。何が起こったのか正確には把握できないが、成金が太ももに灰をこぼして小さな悲鳴をあげていた。
「ふぅ、三丁あがりぃ!」
パンナが風に乗って、俺の側へ舞い降りた。風に揺られて落ちてきた帽子を器用に受け止め、頭に納めた。剣からは紫電がほとばしり、無数の小鳥がさえずるような音を放っている。
「パンナ――」
「これで、弓矢に狙われる事はないよぉ? さぁ、ソレも協力してくれる?」
「あ、ああ。……分かった。話は後って事、だな?」
「そういう事!」
衝撃の先制攻撃はもう通用しないってことだな。こうなったら地道に数を減らすしかない。金で雇われてる連中だ、あと一人、二人やっちまえば命惜しさに逃げ出すハズだ。そうなった時が逃げ出す機会!
「ヤ、ヤツラ、シャベッテル! イマノウチ、ヤ、ヤレ! カネ、タグザン、ヤル!」
号令を掛けられた先頭の男が、パンナ目掛けて剣を振り下ろす。パンナが横目でレイピアを振り上げ、その力を受け流す。同時に、パシッ! と音を立てて、剣士の男は糸が切れた操り人形のように倒れ、それっきり動かなくなった。
「ああ、それと。……殺しちゃだめだよ。みんな捕まえるんだから」
「はあ? 『殺すな』は、いくらなんでも難しいだろ! ってか、この状況なら当然逃げの一手だろ! 馬鹿が過ぎるぞ!」
「はぁ、これだから傭兵は荒っぽくて困るタル。殺しは戦争の時だけで充分だよ。無闇な殺生はダメダメ! ……君達も、理解してるぅ?」言い切る前に、地面を蹴り、急襲を仕掛けると、また一人倒れ込んだ。……聞いておいて不意打ちとは、外道め。
敵はじわじわと距離を詰めて来ていた。こっちはもうほとんど下がれねぇっていうのに。
パンナの奴、どうしてこんな場所に追い詰められるまで――まさか、敵さん全部引きずり出したってのか。『信条』ってやつのために。
……くだらねぇ。何ものも、命と引き換えになんてできるかよ。
「アイツ、カラ、ヤレ!」成金が、宝石で飾った指で俺を指す。
敵さんの標的は、どうやら俺に移ったようだ。後ろの方に隠れていた『第二部隊』の視線が俺に集まる。へっ、魔法が使えない俺なら殺れると踏んだわけか。……目に物見せてやる。
「だんなぁ! このマヌケを倒したら報奨金を出してくれよな!」
「ソッチ、ノ、マヌケ、ハ、ヤズイゾ!」
長髪の剣士が成金にせびる。誰がマヌケだ。あったまきた。
「ソレ!」
「馬鹿! 分かってる、俺なら大丈夫だ! 捕まえるんだろ? あいつを」突進してくる長髪の剣士から目を離さず答えた。「言ったからには、絶対に逃がすんじゃねぇぞ! 行け!」
「まっかせといて!」
パンナが成金に付いた護衛五人に刃を向ける。
パンナの『信条』は悪党を全て捕まえる事だろうが、この危険な捜査の真の目的は、成金スコルニクスを捕まえて情報を得ることだろう。せっかく張った命だ、無駄にしてもらっちゃ困る。
――『長髪』の剣先が肩をすれすれに振り抜かれる。造作もねぇ! 最初の一撃を、二歩前進で長髪の右横へかわし、すれ違いざまにすねを斬りつけた。ぐぅ! と呻いて、長髪が倒れこむ。間髪を入れず顔面に蹴りを叩き込む。手足をジタバタさせてもがき呻く長髪から剣を奪い、背面の屋根の上へ放り投げた。もう一度顔面に蹴りを入れると、観念したのか体を丸めて大人しくなった。
「死ぬよりはましだろ?」残りの二人を真っ直ぐ睨みつけ、威圧する。
耳の至る所、鼻に口にと、節操無しにピアスをつけた男と、金色のチェーンネックレスを何重にもぶらさげた男が顔を見合わせ相談している。『ピアス』と『チェーン』が同時に動き出した。
……成ってねぇ。
「ぜんっぜんっ成ってねぇんだよおめぇら!」
左手で、胸のホルダーから投げナイフを引き抜き横手投げ――宙を舞った黒光りの殺意が、ピアスの肩口に突き刺さった。ピアスが、ぎゃあ、と低い声で悲鳴をあげた。不測の攻撃にチェーンがたじろぎ、後ずさる。――逃がすかよ!
風化し、砂利に姿を変えつつある地面をジャッと蹴り、低い姿勢のまま盾を前に突き出し、チェーンの剣を――バンッ! と撥ね付けた。下方向からの強烈なタックルを見舞い、チェーンが体勢を崩しかけたその瞬間を狙い、足を掛ける。右手を振り上げて剣の柄頭で胸を殴打し、勢いをつけて転倒させた。硬い地面と背骨の一部が接触したのか、石がずり落ちるような音が鳴った。
仰向けになって顔をひきつらせたチェーンの首筋へ剣を向け、ピアスを睨む。
「おい! 針刺しみたいな顔したおまえ! 動いたらこいつを殺す!」
「ガキィ……、でめぇ絶対ゆるざねぇ! ぜっだいにゆるざねぇ!」ピアスは、目を真っ赤に充血させながら、刺さったナイフを抜くとその場に投げ捨てた。……あーあ、んなことしたら血が止まらなくなるぞ。ってか、当然のように仲間意識はないのな。
チェーンの鼻柱を思い切り踏みつけ、「動くなよ!」と、言ったが、うーうー呻くばかりで聞いちゃいなかった。
「ふうん、結構やるねぇ! セイントのお荷物担当だとおもったケド、見直したよぉ!」パンナが手を広げて大げさに驚いた振りをした。目を見開いた表情は一層わざとらしい。
「誰がお荷物だ! ……こちとら五歳の時から剣術を磨いてきたんだ。そこらのゴロツキじゃ相手になんねぇよ。ってか、前だけ見てろ!」
「おい! ガキィ! でめぇ俺様を無視しでんじゃねぇ!」
「……はぁ、息巻いてんのはわかるんだけどよ。俺の相手をできるのはもうあんただけだぞ。三人仲良く星空観察でもするか? もうとっくに時間外れだけどな」
「うぐっ……!」
「こちとら朝っぱらに叩き起こされていらついてんだ。……これ以上やるってんなら命の保証はできねぇぞ」
「……くぞっ! 覚えでろよクソガキィ!」
ピアスは左肩を押さえながら、小悪党然とした言葉を吐いて、背を向けて逃げだそうとした――狭い空間を木霊する低い破裂音が響く。ピアスは声になり損ねた吐息を漏らし、崩れるように倒れこんだ。
「ニゲルヤツ、ユルザナイ!」そう怒号を上げた成金の手には、小型の銃が握られている。「コレハ、バズトゥーグ、ザイシンシキ、シサグヒンジュウ! ゼンゴヒャグマン、ギル、カカッタ! タマ、イッパツ、ゴマンギル! オマエ、イノチ、ゾレダケ、カチ、アルカ? ブェッブェッ!」
「ソレ!」
バンッ! と、二発目が発射され、パンナの足元を掠め去る。
「ヒトノ、シンパイ、ハ、マヌケ!」
「パンナ! どうするんだ! あんな風に連発できる銃なんて相手したことねぇぞ!」
右手に、レンガで壁を作ったゴミ置き場がある、まずはあの物陰に隠れるか?
――三度目の破裂音が響くと同時に、左の脇腹に焼けるような熱さ。肉を押しつぶしていく音が、体の内から聞こえた気がした。脚の力が急速に抜け、ヒザで地面を打つ。
「があっ!」
「ソレぇ!」
「マヌケ、フタリ、イラナイ。ヨワゾウナ、マヌケ、タイジョウ! ブェッブェッ!」
くそ……ここまでか。……血が、止まらねぇ。とっさに押さえた左手のグローブは、とっくに真っ赤に染まっている。
……土台無理な話だったんだ。あーあ、なんでこんな事に首突っ込んじまったかな。あいつが泣いてたから……、あいつに責任を負わせたくなかったから、か。覚悟できてたつもりだったけど、やっぱり死にたくねぇな。……俺が死んだらあいつは悲しむだろうな。
――俺が死んだら誰があいつの面倒を見るんだ?
「……たいじょう……? 退場なんてする……かよ! 俺は……最後まで戦ってやる! おまえのそのマスク……引っぺがしてやるからな……!」
投げナイフの有効射程距離はせいぜい五メートル。成金野郎との距離はその約三倍。当たらねぇ。当たっても、まず有効打にはならない。いいとこ一秒、二秒の時間稼ぎにしかならないだろう。……だが、パンナならあるいは――。
ロングソードをその場に置き、右手でホルダーからナイフを引き抜き、力任せに上手投げ――渾身の最後っ屁は、成金の横をゆっくり回転しながら通り過ぎ、朝焼けの空へ消えていった。
「ブェッブェッ! ワルアガキ、オモシロイ!」
渾身の一投が掠りもしない事に落胆する。――意識がかすんでいく。体温が低下しているのか、寒気が体中を襲う。震える自分の手を恨みつつ目を凝らそうとしたが、重いまぶたを支える力は既に無かった。
――ブェーッ! と成金が叫び、何かが落ちる音を耳が拾い上げた。
「……ソレ。遅くなった」
続けざまに、すぐ後ろの屋根上から声が聞こえた。……ジェイ……? 応援が来たの……か。
「……レ? ……ソレェ!」
消えゆく意識の中、あいつの声も聞こえた気がした。心配かけた、すまん……な――。