ゆめおち
「よっす、久しぶり」
そう言いながら扉を開いた俺。
振り向いた彼女の表情は、酷く呆けていた。
「……」
「来ちゃった。てへぺろ」
俺のあざとい萌えボイスに対し、口をかぱっと開いたまま硬直。
読んでいた分厚い本が手から零れ落ち角が足の甲を直撃しても、彼女は微動だにしなかった。
「……」
「……」
しばしの沈黙が流れる。
状況を理解した後、彼女は「たはー」と溜息をつきながら右手で顔を覆った。
顔を伏せ、肩を震わせ、泣いている。同時に、笑っている。
「何、どうしたの。そんなに寂しかった?」
俺は彼女に歩み寄り、その温もりを確かめるべく抱き寄せた。
「…………ばか」
ああ。本物だ。
夢じゃない。
彼女は確かに、ここにいる。
彼女は言った。
「おかえり」
俺は言った。
「ただいま」
◇
「ご飯、何が食べたいー?」
エプロンを纏った彼女がキッチンから声をかける。
「何でもいーよー」
俺はソファに寝転がり、気だるさを隠そうともせずに答えた。
ここに来るまで、随分と疲れているのだ。
何で疲れているのかもわからない。意識は既に深い霧の中に迷い込んでいる。
腹も減ったが、それ以上に眠気が凄い。
寝ろ、と促されているような。
起きているな、と叱責されているような。
とにかく眠い。
「――――」
彼女が何か言ったのも聞こえずに、俺は眠りへと誘われていった。
気がついた時には俺は廃墟に立っていた。
元が何の建物か分からないほどに朽ち果ててしまっている。
もはや廃墟と言うより、瓦礫を積み上げたもの、と言った表現の方がふさわしいくらいだ。
上を見上げれば空は黒に近い灰色をしている。横を見渡せば一面の砂漠。瓦礫。360度どこを眺めても荒廃を極めている。
人の気配どころか、虫の気配すらまともに感じられない。世界が終わった後にぽつんと俺だけが取り残されたようだった。実際に、そうだった。
その世界で俺がやることは決まっている。ちっぽけなデータカプセルを届けるのだ。
数十年前のほとんど全ての人類のDNAが記憶されたデータバンク。ありとあらゆる災いの後にたった一つ残った、希望。
それを俺が、地下シェルター内の管理コンピュータまで持って行って、接続する。
数時間後に人類は『再生』、同時にマザーを通し、45兆光年先の無人コロニーから数日後には物資とゲートシステムが届く。
それを成すために俺は、放射能と細菌兵器で毒ガスで汚染された荒野を、ただ歩く。
果てた世界の、その果てまで。歩く。
歩く。
「せいっ」
頭にチョップを貰い、目が覚める。
「私の作ったご飯を冷ます気か、あんたは」
寝惚け眼でテーブルを見やると、そこには盛ってある唐揚げとボウルに入ったサラダ、そして大盛りの白米が湯気を出している。
それ程長く眠っていたわけではないようだ。
夢の中では、状況もあってか気が遠くなるような時間を過ごしていたというのに。
「んあ……ごめんごめん」
俺は座って牛乳を一杯飲む。
そして彼女の顔を、まじまじと眺めた。
「? どうかした?」
「いや……」
言いつつぺたぺたと顔を触る。
「えっちょっ何、どうしたの?」
「いや……」
どすっ、と。
喉に地獄突きが抉りこまれ、俺は牛乳を口からごぱぁと吹き出した。
「きたない! きったない!! 何なの!?」
「ゲフ、ゲハァッ……いや……」
「『いや……』じゃねぇよ! 何で触ってるのかって聞いてるんだよ!!」
彼女が怒鳴りながら胸ぐらを掴みぐわんぐわんと揺らす。
「夢じゃない……よね?」
「!」
俺の発言に彼女は手を止めた。
放した。崩れ落ちる俺。打ち付ける頭。痛い。
――そう。痛い、のだ。
俺は鈍痛を堪えつつ、鼻息を出して笑う。
「……夢がどうかしたの?」
「最近ずっと、変な夢を見るんだよ。荒唐無稽で救いようが無い、三流のC級の、中学生が考えたような設定のSFチックな夢。
でも、妙にリアルなんだ。意識もはっきりしてるし、鮮明に思い出せるし、見る度に連続している。夢というよりは、他の世界と行き来しているような……そんな感覚がある」
「……どんな内容なの?」
そわそわしたように尋ねる彼女。
映画好きの琴線に触れたのだろうか。
「人類が滅亡しちゃってさ、俺が最後の生き残りなんだよ。で、データ化された人々を手に旅するんだ。
誰もいない。何も、生きてはいない。人は勿論、動物も植物も。海や川もない。あるのは建物の残骸と、砂と岩くらいだ。
殺風景をひたすら歩くだけの、変化に乏しい夢だよ」
「……変な夢だね」
「ああ。それに、とても寂しい。なんせ夢の中には何日も、長い時には何週間も連続で居続けるからな。起きてみれば数時間なんだけど」
『向こう』にいる時間の方が、最近では長く感じる。おかしな話だ。
「そっか……私も一緒に行けたらいいのにね」
そう言ってくれる、彼女。あんな厳しい環境に、彼女は耐え切れるだろうか。
それでも、嬉しい。
「ありがとう。大丈夫、ただの夢さ」
俺はそう言って彼女を抱き寄せる。
彼女は少し驚いたようだったが、優しく俺の背中に手を回してくれた。
暖かい。
夢じゃないのだ。
ここにいる俺が、彼女が、俺の現実だ。
それからも彼女との生活は続いた。
一緒にゲームをしたり。ホラー映画を二人で見たり。海面に煌めく夕日を、ずっと眺めていたり。
何気ない日常が、俺には幸せだった。
彼女も、幸せそうにしていた。
最近はあまり元気が無いように見えるが、体の調子が悪いわけではないようだ。
夢の方はと言えば、何の代わり映えもしないかと思えば、ようやく地下への入り口に辿り着いたらしい。
夢の中で人類が救済されようが滅亡しようが、現実とは何の関係もないのだ。結末はどっちでもいいので早く終わって欲しい。
「もうすぐ悩みの種が取れそうだよ」
俺は分厚い本を読み始めた彼女に話しかけた。
彼女は本から俺の方へ目線を移し、話を聞く。
「どうしたの?」
「例の夢さ。あれがどうやら、そろそろ終わりそうなんだ」
「! ……そう……それは良かったね」
反応する彼女は、とても喜んでいるようには見えなかった。
「どうかしたの?」
「……ううん、何でもないよ」
何でもない様子には、到底見えなかった。
「……あの夢には、やっぱり何かあるの?」
俺の問いに、彼女は言葉を詰まらせる。
思えばおかしいところは沢山あった。
夢の質感。決まった夢の続きしか見ない事。夢と現実の、体感時間の差。そして――
俯き気味だった彼女が、弱々しく口を開いた。
「――夢じゃ、ないの。あれは……現実よ」
その言葉に。
嘘など決して言わないであろう表情に。
俺は、凍り付く。
「……っ、じゃ、じゃあ向こうも現実だって事は、俺は世界を行き来してるって事でいいのかな? でも、あっちの世界を救うにしても俺の世界は――」
必死で考えた、最善の答え。
そう。帰ってくる場所がここなら。彼女の隣なら。
夢が現実だろうとなんだろうと、どうだって良かった。
だけど。
彼女は、首を横に振った。
「こっちが、夢よ」
「……嘘だ」
嘘じゃない。
わかってる。
でも、嘘だ。
嘘なんだ。
頼む。
今からでも、嘘にしてくれ。
「あなたも、本当は気づいていたんでしょう? 私がこの部屋から、一歩も外に出れないのを」
気づいていた。気づかないふりをしていた。
違和感を長い間覚えなかった理由に、目を背けていた。
「私は、あなたが辛い現実を乗り越えて人類を救済できるように用意されたの。
あなたの寂しさを紛らわすだけの、ただのプログラム。心に取り憑いた、幽霊か寄生虫のようなものよ。実態は存在しないわ。
――今まで騙していて、ごめんなさい」
暗い面持ちで、頭を下げる、彼女。
俺は彼女の肩を、両手で掴んだ。
「そんな事は……そんな事は、どうだっていいんだ!
プログラムでも、幽霊でも、寄生虫でも! 俺は君の事が好きなんだ!
君と一緒に居たいんだ! 俺にとっては、ここが現実なんだよ!」
視界が潤んだ。声が掠れた。
顔を上げた彼女の泣きそうな顔に、俺は口づけをした。
暖かい。これが夢であるものか。
「……ありがとう。
でも、あなたは生きている。使命もある。ここにいちゃ、いけないのよ」
「そんなの……!」
「お願い。人類を助けて……それが私の望みよ」
今にも泣きそうなその表情は、引き止めたいのを我慢していた。
急に、眠気が襲ってきた。
意識が薄れ、彼女の輪郭もぼやけてくる。
彼女は無理やり笑顔を作り、俺に言った。
「さよなら」
俺は答えた。表情はどうなったのかわからない。彼女に届いていたかどうかもわからない。
それでも俺は、確かにこう言った。
「必ず、戻ってくる」
と。
いとも簡単に、俺以外が死に絶えたはずの人類は蘇った。
クローン化技術もここまで進めば神の領域だ。
皆が皆、俺を褒め称えた。
救世主だ、英雄だ、と。
死ぬまで一生遊んで暮らせる事を約束されたし、不老不死の体になることも可能との事だ。
未来永劫、地球が滅んでも、宇宙が滅んでも、好きな事をして過ごせるのだ。
俺はまず、彼女を探した。
現実世界にも、彼女がいるかもしれないと踏んだのだ。
全人類のデータベースを漁った。三日三晩寝ずに、血眼になって探した。
彼女は、この世のどこにもいなかった。
彼女の夢を見ることも、もう無かった。
二度と。
ひとしきり嘆き、悲しみ、狂い、放心した後。
俺は拳銃を買い、その場で自分の頭を撃ちぬいて死んだ。