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02.デスマーチ

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 白垣真の自宅は洋風の立派な館だったが、和室もあるらしい。
 制服に包まれた華奢な身体を天馬が突っ込んだ時、すでにわいわいと二つの卓が埋まっていた。その中には例の三村や、家主の白垣の姿もあった。
「お、来た、いっぱァつ!」
「あ、すごい、よしくんすごーい! これいくら?」
7, 6

  

「えーとな、リーチ一発ツモ、ピンフ、タンヤオ、赤赤赤。八千オール!」
 もっと殺伐とした集まりを想像していたが、どうやら白垣は、麻雀を打てるものならどんな素行のものでも呼び寄せたらしい。
「どうせ三村と天馬がぶつかるなら、ちょうどいい、学校中の雀鬼を集めて天下一を決めようじゃないか!」
 といっていたが、ダマテンで一万二千の手を終盤でリーチするものが雀鬼と呼べるかどうか。
 天馬はやや意気消沈しながら、室内を見回した。天馬の他にも、抜け番が何人かいる。大抵の人間は天馬に冷たい顔を向けるか、嘲った笑みを浮かべるかどちらかだった。おそらく天馬はカモと思われているのだろう。
 だが、天馬が気にかけたのはそんなことではなかった。
 白垣の背後に周り、どん、と背を叩いた。ニコニコした白垣が振り返る。手元の点数表示板の数字は五万を超えていた。
「いらっしゃい、馬場。次打つだろ、代わるよ。今南の三だから――」
「成績をつける紙がねえな」天馬は前置きなしにいった。「一局清算か」
「ああ――いってなかったっけ。すまない。そのとおりだ。財布がハコテンになったら帰ってもらうから、君も気をつけろよ」
 そっけなく白垣は前を向いてしまった。
 これでカガミを安心させるためにいった逃げの一手は打てなくなったわけだ。
 天馬は初夜から自分のツキに腐りを感じ、ちっと舌打ちを漏らした。もともと逃げる気などはなかったが、追い詰められたことに変わりはない。


 襖を開けて、トイレを探していると、ばったりと知らない少女に出くわした。
 天馬は興味のないものを覚えるのが苦手だったため、同じクラスメイトでも名前を知らないものさえいたが(現に白垣と打っていたものの中に顔見知りがいたが、なんといったか思い出せなかった)、その少女を知らないのは必然であった。違う制服を身に着けていたからだ。
 すれ違いざま、無視しようかと思ったが、やはり例の気狂いが発動してじっとしていられず、
「なあ、トイレはどこかな。迷っちまった」といった。
 少女が振り返り、ショートヘアがさらりと揺れた。おや、と思った。
「突き当たりを曲がったところにある」
「そうか――ありがとう」
 すたすたと立ち去っていく少女を天馬は見送る。彼女も白垣が呼んだひとりだろうか。
 胸の中にひどいもやもやを残したまま小便をし、トイレの窓を開けてみて脱出が不可能であることを確かめ、部屋へ戻ると白垣のいた席が空いていた。
 その対面にショートヘアの少女が座っているのを見て、天馬は先ほどから胸に渦巻くものの正体を悟った。
 ある知り合いに、彼女はひどく似ているのだった。
「馬場、遅いぞ。場所決めは代わりに引いてあげたから」と白垣がいうのを無視し、卓についた三人を均等に見回す。
(こいつが誰に似ていようと、左右の二人がオレをカモだと思っていようと)
 せりあがってきたヤマから配牌を取っていく。
(どいつもこいつも、ぶっ潰すだけだ)



 麻雀は気合だ、といったところで、気合で手牌がよくなれば誰も彼もが雄たけびをあげまくっている。
 天馬はむっつりと押し黙って、ツモ切りを繰り返していた。手は悪くない。両面が埋まらないのだ。
 クズ手が来た方が天馬は安心する。アガる気を最初からなくして他家の妨害に徹せられるからだ。なまじ手がよく、良形のイーシャンテンなどを持っていると次の順目でテンパイするような気がしてピンチになってもなかなかオリられない。
 案の定、リーチを食らい、安全牌が面子中抜きの一枚しかなかったため、三筒をツモ切ったらあたってしまった。八千点。チップがないことがせめてもの救いである。
 天馬は自分の手を一瞬見やり、すぐに崩した。
(ふん――タンピン三色ドラドラか。都合がよすぎらァな)
 良形、高打点、後手、アンパイ一枚。振っても仕方ないといえば仕方ない。しかし天馬はめっきりと自分のツキの低下を感じていた。
 笑ってしまいそうなほどあっけないが、ここで沈めば不払いで叩き出される。天馬の財布には、カガミの写真しか入っていないからだ。それを通貨として代用することも考えたが、白垣以外には通じそうもない。
9, 8

  

 こういう局面で、天馬はアガリにかけない。好牌から打ち出して例の国士、染め手戦法で他家をしばる。上家の制限が烈しくなるため、親に連荘を許してしまうこともあるが、局が続けばツキも回復する。
 東三局の終盤、四枚目の北をさらっと対面の少女が打ち出し、上家のほくろが、おお、と感嘆した。
「すごいな、国士やってるやつがいるのに。しかも親だぜ」
 少女は答えない。が、その沈黙が雄弁に天馬のブラフを読みきっていると如実に表している。
 ふと背後を見ると白垣がにやにやと笑っている。天馬も笑みを返した。
 だってこのブラフは、バレなければ半分の意味しか発揮しないのだから。


 南二局、親のほくろが、ふおおお、と奇妙な叫びをあげてリーチした。彼の首元、そこに浮いた頚動脈が目で見えるほど脈打っているのを見て天馬は驚きつつ笑いそうになった。
(相当高い手――四暗刻かな)
 一万六千オールを食らうと一万点を割っている天馬はハコってしまう。これはピンチである。
 最悪、誤ツモで二千四千を払うしか存命手段がない可能性さえあった。
 どうすべきか、どうしようもなく、ほくろがきりきりと牌をツモる。
「――カン!」
 八筒を晒した。やはり四暗刻か。
 そうしてリンシャン牌に手を伸ばしたほくろは、あーっ、と叫んで卓に牌を打ち付けた。
11, 10

  

「ツモ! リンシャンカイホウ四暗刻だ、親の役満、一万六千オール!」
 万事休す。天馬は手牌を伏せ、空を仰いだ。都合のいいことだったがカガミが無性に恋しくなった。
 ほくろの大騒ぎでがやがやと人が集まってきていたが、その中で、その声はとても澄んでいた。
「――それ、チョンボ」
 は、とほくろがいった。顔は笑ったままだ。
「八筒カンしたら、穴七筒待ちが消える。送りカンだ」
 天馬は前傾姿勢になって少女とほくろの手牌を見比べた。ほくろもそれに倣った。
「送りカンって――カンして待ちが消えることだろ。俺のは七筒と白のシャンポンだ。白をツモったんだ。それ以外に待ちなんかない」
「だから」少女が六筒、八筒のアンコと七筒のトイツを組み替えた。
「この形が消えるんだ」
13, 12

  

 誰も何もいえなかった。もうひとつの卓で響く牌の音だけが耳を打った。
「そうだな、こいつは仕方ねえ」と天馬が追い討ちをかける。「残念ながら、ルールだからな」
「待てよ! そんなの納得――」
「納得できなきゃ何してもいいのか。じゃあオレはおまえの点棒がたくさんあるのが気に入らないから全部もらうぜ」と天馬はほくろの点棒に手を突っ込んだ。慌ててほくろがそれを振り払う。今にも泣きそうな顔になっていた。
「親のチョンボは、三人に四千点ずつ」少女がいう。
 すっかり肩を落としたほくろが、一万二千点、場に放った。それに手を伸ばした少女の手を、天馬が掴んだ。
「何?」
「おい」と天馬は少女にではなくほくろにいった。
「誤ツモ代はどうしてくれるんだ」
「は?」
「送りカンでチョンボ一回。そのあと誤ツモして手牌を開いたので二回。もう一万二千点足りないぜ」
「何をバカな、そんなルール――」
 セット麻雀ではいったやつがルールである。それが嫌ならきちんと理論武装しておけばいい。
 少女もこほん、と咳払いして頷いた。
「そうだった、忘れてた。親のダブルチョンボは二万四千点払いだ」
 天馬の下家もたくさん点棒がもらえるなら否やはないらしく明後日の方向を眺めている。
 三人に取り囲まれ、ほくろは「くそっ!」と吼えて点棒を投げ捨てた。
 ふう、と天馬は点棒を仕舞いこみながら息をついた。急場はしのいだが、まだ三位。このまま終われば沈むことには変わりない。
 しかし、さっき少女に加担してもぎ取った余計の四千点。天馬にはそれが、幸運の兆しに思えてならなかった。

 やり直し、南二局。チョンボは本場を積まないため零本場のままだ。
 すっかり頭に血をのぼらせたほくろが大きな音を立てて打牌しているため、ほかの三人の静けさが際立った。
 その局、天馬は赤五筒、赤五索、ドラ八索と立て続けに打っていた。それを見て、ほしい牌だったのか、ほくろがくそっと呻く。
「ブラフのつもりかよ、くだらねえ真似すんな、素人野郎!」
 そして西をツモ切った。
「ロン」天馬は笑わなかった。「バカかおまえ」
15, 14

  

「ひとつ聞いてもいいか。この手を作るのにドラがいるかい」
 放心したまま身動きできなくなったほくろの点数を見、天馬は親切に負け賃を計算してやった。
「さ、気を落とすなよ。まだまだ勝負は始まったばかり。次に二連勝すればお釣りが来るじゃないか。そうだろ?」
 破顔一笑した天馬の手元に、札束が集まった。
16

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