「なんか頭痛い……」
ふと目覚めると、後頭部に打ったような微妙な鈍痛が残っていた。殴られたのではないと思う。この感じは転んだに近いだろう。背中も打ったような感覚がある。
「さて」
意識を痛む場所から周りの景色に切り替える。
そこは単色の箱の中だった。
一面白色の何もない部屋。否、何もないというのは正確ではない。ただ一つわたしの目の前にまんま木の色である茶色の、どこにでもあるような扉があった。
――ここ知ってる。
頭の中で響いた気がした。しかし、正確な記憶はどこかに引っかかったよう。あと少しで思い出せるんだけど。とんとんと頭を叩いてみてもそれはつっかかったままだ。喉にささった小骨みたいでもどかしい。
はっきりと言えるのは遠い過去の話ではないということ。むしろついさっきな気がする。
わたしの頭は急に回転しだした。ぐるぐるとまわる。そう、ついさっきだ。ええと、わたしは今まで何していたんだっけ。
かすかな記憶を少しずつ手繰り寄せて今目に映っているのと同じものを探す。やはり簡単には見つからない。が、思い出さなければ始まらない。なにせ、この景色を知っているんだから。わたしは今何も持っていない。記憶が唯一の地図だ。
考えて悩んで思考して、そこまでしてちょっとだけ思い出して。何度も何度も繰り返しても正解にはたどり着かなかった。すこしずつは回復しているが、答えまであとどのくらいかがわからないので面倒になってしまったのだ。
わたしは横たわって向かいの扉を眺めた。
どのくらいたっただろう。
扉とわたし以外何もない空間。わたしはずうっとただふよふよと意識を漂わせていた。何分、何十分、何時間、何日。太陽が昇ることもなく沈むこともなく。誰かと会うこともなく会いに行く先もなく。何もせずにいるうちに時間の概念が崩れていく。1秒という単位すらもうめちゃくちゃだ。あるいは時間は止まっているのかもしれない。いや、それはないか。だってちょっと前におなかが鳴ったもの。そのちょっとがどれくらい前かなんてもうわからないんだけど。もう鳴らなくなってしまったし。
だからわたしは扉を開けてみることにした。
このままでは空気を吸う以外に仕事はない。ただこうやって進んでるんだか戻ってるんだか分らない時間を追いかけることしかない。ならせめて進もう。地図とかもういいよ。地図を作った人はみんな地図を持ってなかったんだから大丈夫。何の保障にもなってない気がするけど、気にしない。
大丈夫。記憶があるはずなのだ。何かがきっかけで思い出すかもしれない。わたしは立ち上がってドアの方へと進んだ。
右も左も上も下も後も前も同じ色なものだから、どうにも立体感がない。しかし唯一その単色から逃れた扉だけは3次元に存在するものとして際立っていた。
ドアノブに手をかける。もしかしたら鍵がかかっているかもしれないと思ったけれど、開いていた。そのときわたしは初めてではないような感じがした。きっと前のわたしも今した通りにその扉を抜けたのだろう。
だがしかし、扉の先に床は無かった。
ようやく全てを思い出す。
記憶というのは面倒だ。引っ張りだろうとしてもなかなか思い出すことはできない。そのくせちょっとしたきっかけでひょっこり出てくる。ようやく終わった重労働にすっとした気持ちのいい感じがした。
――が、それもつかの間。進めた右足は着地する所を見つけられないまま、空を蹴る。地面を探すように足は落下。それにつられるまま私も落ちて行った。
「なんか頭痛い……」
ふと目覚めると、後頭部に打ったような微妙な鈍痛が残っていた。殴られたのではないと思う。この感じは転んだに近いだろう。背中も打ったような感覚がある。
「さて」
意識を痛む場所から周りの景色に切り替える。
そこは単色の箱の中だった。