「それじゃあ、来週一杯で転校ってことで手続きして良いのね?」
放課後の静かな職員室に、栗原先生の声が響く。
僕は今、先生に転校の事を話したばかりだ。
「はい、お手数をお掛けしてすいません。」
「ううん、そんなの気にしないで良いの!私は和泉君の担任なんだから。」
「・・すいません。」
「だから、和泉君が謝る理由なんて無いのよ?」
「いえ、やっぱり急な転校とか・・迷惑掛かっちゃうと思って・・。」
「それも仕事の内だから大丈夫よ。それより、友達にはちゃんと話したの?」
「いえ・・まだですけど・・。」
栗原先生は長く綺麗な髪を掻き揚げると、机の上に置かれていたクラス名簿に手を伸ばした。
緑色のファイルに、2-Bと書かれたシールが張られている物だ。
「急な事だから言いにくいでしょうけど、せめてクラスの友達にはちゃんと話しておくようにね。」
「はい、そのつもりです・・。」
「特に春日君と桜井さんは強敵ね。転校を引き止めて来そうだもの。」
「ですよね、やっぱり先生もそう思いますか?」
「思うわよ~。もう一年間も担任してるんだから、皆の事はよく知ってるつもりよ。」
クラス名簿をパラパラ捲りながら、先生は優しい口調で話す。
「先生は良い先生なんですね。」
「もう、照れるから止めてよ~。」
「いいえ、先生には感謝してますよ。」
「あら、なら私だって和泉君に感謝してるのよ?」
「僕にですか?」
まさか思いっきりお仕置きさせてくれたから、とか言うんじゃないだろうな。
真面目な話の途中でも、この先生なら言いかねない。
「神無さんなんだけどね。」
「・・はい?」
「彼女、和泉君が転校して来てから随分変わったのよ?」
「そうなんですか?」
「そうよ~。彼女大人しいじゃない?だからあまり友達も出来なかったみたいでね、いつも一人だったのよ。」
「そうだったんですか・・。」
「学校も休みがちだったし。でもね、和泉君が来てからは明るくなったし、クラスにも溶け込めるようにもなったのよ。」
「・・そんなの、知りませんでしたよ・・。」
「そりゃあ和泉君は転校して来たんだから、その前の事は知らなくて当然よ。」
そう言うと少し微笑み、真っ直ぐに僕の瞳を見て言った。
「アメリカの学校へ行っても、元気で頑張るのよ。」
「はい、短い間でしたけど、お世話になりました。」
「え~、もうお別れの挨拶なの?まだ来週一杯あるんだから、そんな顔しないで!」
「そ、そうですよね。ははは・・。」
「来週、この学園の生活を思いっきり楽しんでね。」
「はい、ありがとうございます。」
僕はそう言って軽く頭を下げると、そのまま学園を後にした。
今日もいつもの田んぼ道を歩きながら、自宅へと向かう。
舗装されておらず、歩き辛い砂利道。
歩きなれたこの道を歩くのも、もう後一週間で終わりだ。
そう思うと、何だか少し寂しい気持ちになった。
「・・はぁ。」
ため息を漏らしたのは、久しぶりかもしれない。
転校して来たばかりの頃は、毎日と言って良いほど漏らしていたのだが。
あの頃は、この町が、学園が、生徒達が、全てが嫌で仕方無かった。
都会で生まれ育った僕は、田舎というだけで最初から良いイメージを持っていなかったから。
いつも都会に戻りたいと思っていたし、変人達と関わるのも嫌だった。
でも、気がつけばそんな気持ちは無くなっていたんだ。
遊ぶ所こそ無いけど、自然が一杯で空気も綺麗なこの町。
老朽化が進んであちこち朽ちているけど、どこか味があって懐かしさを覚える学園。
皆個性的で扱いづらい奴らだけど、根は良い奴ばかりの生徒達が。
自分でも気づかないうちに、好きになっていたのかもしれない。
いや、本当は気づいていたのかもしれない。
ただ、心のどこかでそれを認めたくなかっただけなのかもしれない。
どうやら僕も素直じゃないようである。
明を馬鹿に出来ないな、なんて独り言を呟きながら自宅へと帰った。
自宅に帰ると食事を取り、シャワーを浴びてベッドに転がった。
明日と明後日は土日で休みだ。
そして休みが明ければ、僕の最後の一週間が始まる。
そこで、皆にちゃんと転校の事を告げなければならない。
別に黙って消えてしまえば、先生が後から伝えてくれるだろう。
でも、やっぱり大事な事は自分の口から伝えるべきなんだと思う。
「あぁ・・来週を考えると憂鬱だ・・。」
土日はたっぷり自宅でゆっくりして、どう皆に話せば良いか考えよう。
何て思っていたが、特に何を考える訳でも無く、ゴロゴロとしたままついに月曜日を迎えてしまう僕だった。
「母さんおはよう。」
「あぁ、おはよう新斗。今週で最後だから、皆にちゃんと挨拶してくるのよ?」
「わかってるよ、それにまだ月曜日なんだから。」
朝っぱらから憂鬱になる事を言わないで欲しいものだ。
あまり食欲も無かったので、コーヒーだけ飲み干すと学園へと向かった。
「ちぃーっす!」
教室に着いた僕に、真っ先に声を掛けて来たのは春日だった。
「おはよう、今日も元気だね。」
「当たり前よ!何てったってもうすぐ春休みだからなぁ!」
満面の笑みで嬉しそうにしている春日。
普段はイライラする場面なのだが、こいつを見るのも今週で最後だと思うと、不思議とそうは思わなかった。
「和泉君、春日君、おはようございます。」
次に教室に現れたのは神無さんだった。
全く、いつ見てもロリっ子で可愛くいらっしゃる。
「・・おはよう、神無さん。」
僕が挨拶を返すと、神無さんはいつも通りに席につく。
毎日見慣れた光景だ。
楽しそうに猫と戯れる神無さんを見ていると、とてもじゃないが転校の話なんて切り出せない。
あぁ、神様。
どうして僕はこんなにも、優柔不断でヘタレなんですか?
やはりこれが、主人公の宿命なのですね。
「おい、和泉。」
一人考え事をしていると、春日の呼びかけで我に帰る。
「な、何?」
「お前今日何だか元気無いじゃないか。一体どうしたんだ?」
鋭い。
何故お前はこんな時だけ鋭いのだ。
「いや、別にどうってことないよ・・。」
「嘘付くなよ、いかにも暗いオーラ出しやがって。」
「そ、そうかな?」
「そうだよ。隠し事なんてすんなよ、何か悩んでるんじゃないのか?」
まぁ、悩んでいると言えば悩んでいるのだが。
悩んでどうこうなる事では無い、それも承知の上だ。
だが、これは転校の事を話すには良い機会かもしれない。
ヘタレの僕は、何かきっかけが無いとだいたい行動を起こせないものなのだ。
あぁ、主人公とは皮肉である。
まさに、自分が無いとでも言えば良いのだろうか・・。
「春日。」
「あん?どうしたよ?」
「放課後大事な話があるんだ。」
「・・お、おう。」
「春日だけじゃない、神無さんにも大事な話があるんだ。」
そう言うと、神無さんは少し驚きながらこちらを向いた。
そして、猫を抱えたままでこう言った。
「わ、私にも話・・ですか・・?」
「うん、春日と神無さんだけじゃないんだ。他の皆にも話したい事がある。」
そうだ、二人だけじゃない。
朽木、夕凪さん、相坂さん、郷田。
そして明にも話しておきたい。
当然、明には旅行に行けなくなってしまう事も謝らなければならないし。
その時、朝のホームルームの開始を告げるチャイムが鳴り響いた。
チャイムと同時に遅刻ギリギリで滑り込んできた明は、僕らに構うことなんて無く席に着いた。
あぁ、いつも通り自分の席に着くなんて。
放課後、僕に転校の話をされるなんて思ってもいないだろうな。
「ホームルーム始まるから、放課後に皆でどこか人気の無い所に来てくれないかな?」
「皆ね、まぁだいたいメンバーの予想はつくけどよ。何で人気の無い所なんだよ?」
「だから大事な話があるって言ってるじゃない。ゆっくりちゃんと話したいんだよ。」
「ま、良いけどな。じゃあ放課後に皆連れて、校舎裏にでも行くから、それで良いか?」
「うん、ありがとう春日。」
ホームルームが終ると授業が始まった。
そして、こんな日に限って一日はあっと言う間に過ぎてしまうものである。
しかも何故か、春なのに天気は雪ときたもんだ。
いや、まぁ寒い田舎なんだから、三月になっても雪が降ることは普通らしい。
でも、こういうお別れの言葉を言おうとしている時に降るのは、気分的に勘弁して欲しいものだ。
放課後、僕は春日達が待っていてくれているであろうと思われる校舎裏に足を運んだ。
当然、胃が痛くなりそうな程憂鬱なのは言うまでも無い。
「和泉、おせーよ!」
「和泉君、人を呼びつけて置いて自分はVIP出勤なんてどういうつもり!?」
校舎裏に到着するなり、浴びせられる罵声。
・・まぁ、こいつらと関わるのも最後なんだから、と自分を宥めた。
罵声を浴びせてきた春日と明以外にも、神無さん、朽木君、相坂さん、夕凪さん、郷田。
僕の望んでいたメンバー全員が、そこには集合していた。
「皆、待たせてごめんね。」
「挨拶はいらないから!早く話してくれない?あたしはこれから部活で急がしいの!」
ものすごく不機嫌な明は、眉毛をへの字にして仁王立ちだ。
あぁ、旅行に行けなくなるなんて言えばもっとお怒りを買うことになるんだろうなぁ。
恨むよ、父さん。
いや、父さんに罪が無いのはわかってるんだけどね。
「ごめんごめん、そう怒鳴らないでよ。」
僕はそれだけ言うと辺りを見渡した。
そして、気合を入れると、皆に向かってこう言った。
「今日は大事な話があるなんて大げさ言って、皆に集まってもらったりして本当にごめん。
それで話なんだけど・・ちょっと言いにくい事なんだけどね。
僕、今週一杯で転校することになったんだ。」
そう言った瞬間、皆は目を丸くして驚いていた。
そして数秒の沈黙の後、春日が僕に言った。
「て、転校・・?じょ、冗談だろ??」
「冗談じゃないよ、春日。僕がこんな下らない嘘をつくと思う?」
「・・マジなのかよ。でも、何で急に??」
「うん、父さんの仕事の都合でね。仕方無いことなんだ。」
そう、仕方無いことなんだ。
僕だって転校なんてしたくない。
この町で、この学園で、皆と一緒に過ごしたかった。
「・・転校先は、どこなんですか?」
俯いたまま、神無さんが口を開いた。
「アメリカだよ。」
「あ・・アメリカって・・外国じゃないですか・・。」
「うん、そうだよ。」
「そ・・そんな・・。」
神無さんは、今にも泣き出しそうな顔になる。
あぁ、そう言えば彼女は僕の事が好きだったんだ・・。
そりゃあ行き成り好きな奴が転校する事になったんだ。
泣きたくなる気持ちは、わからないでもない。
でも、君なら僕よりもっと素敵な人に出会えると思うよ。
「・な、何とかならないんですかぁっ!?」
声を張り上げる夕凪さん、改め腐女子。
何とかなるなら、僕だって苦労しない。
僕がどうにもならないよ、と言うと再び沈黙が始まった。
郷田、朽木君、相坂さんも、何か言いたげだが、何も言わないまま無言で立ち尽くしている。
うわぁ、ものすごく気まずい。
何だか一度仲間はずれにされて、久しぶりに皆の輪に舞い戻ったかと思うぐらいに。
それからどれぐらいだろうか、しばらく沈黙が続いた。
そして、その長い沈黙を破ったのは明だった。
「・・そんなの、許さないわ。」
「・・え?」
突如明が発した言葉に理解できず、僕はおもわず間抜けな声で聞き返してしまった。
「許さない、って言ったのよ!聞こえてるでしょう!?」
うん、聞こえてるよ。
でもさ、許さないって言われるなんて思っちゃいないんだもん。
それ以前に、明が許さないからどうのこうのなる話でもないんだから。
「許さない・・って言われても・・困るんだけど・・。」
「今週一杯で転校なんて絶対に許さないわ!だいたい、春休みの旅行はどうなるのよ!?」
ほら来た。
やっぱりそうなるんだよな。
「ごめん、明。約束したばっかりで申し訳ないんだけど、旅行は行けそうにないんだ。」
「じょ、冗談じゃないわよ!そ、そんなの駄目よ!」
「明が怒るのはわかるよ、旅行の手続きもしてくれたんだし。
でも、こればっかりは父さんの仕事だから、どうしようも無いんだよ。」
「あんたのお父さんの仕事なんてどうでも良いわよ!あたしはそんなの認めないって言ってるの!!
しかもアメリカって何よ!?気軽に会いに行ったり出来るレベルじゃないじゃない!?
そんなの駄目に決まってるじゃない!あんたはこの町に残るのよ!!」
「明・・本当にごめん。でも、わかってよ・・。」
「わからないわよ、そんなの!!わかる訳ないじゃない!!」
いや、わかってくれよ。
どうしろって言うんだよ?
これ以上僕を追い詰めようってか?
それはちょっと、酷すぎるんじゃないですかね。
「桜井、わかってやれよ。親父さんの仕事なら仕方無いだろ??」
春日がフォローに入る。
うん、春日にフォローされるなんて僕は終ったようだ。
「わからないって言ってるじゃない!?だいたい、何でお父さんの仕事の引越しで、和泉君まで行かなきゃならないの!?
お父さんだけ行けば良いじゃない!そんなの矛盾してるわよ!」
「桜井!これ以上言うなよ!和泉だってちゃんと謝ってるだろ?家庭の事情なんだから仕方無いんだよ。」
「でも・・でも・・そんなの嫌よ・・。」
嫌って言われても困る。
僕だって行きたくないんだから。
いやいや、今はそんな事を考えている場合では無い。
とにかく喚く明を宥めなければ。
「明、落ち着いてよ・・。僕だって行きたくないんだ・・でも、仕方無いんだよ・・。」
「・・嫌、嫌よ・・。」
「あ、明・・?」
「和泉君が居なくなるなんて嫌なの!!絶対嫌なの!!」
そう言った瞬間、明の瞳から涙が流れた。
とても綺麗な、一粒の涙が。
「あ、明・・!?落ち着いて!」
「落ち着いてるわよ!もう勝手にすれば良いのよ!!アメリカでもどこでも、勝手に行っちゃえば良いんだから!!」
明はそう叫ぶと、僕らに背を向け駆け出した。
「ま、待って!待ってよ!」
呼び止める僕の声も虚しく、明は校舎裏から姿を消してしまった。
あぁ、もう僕はどうしたら良いんだ・・。
ちゃんと話して、皆とお別れをしたかったのに。
「旅行に行けなくなるからって、何もあそこまでさ・・。」
「本当にそれだけでしょうか・・。」
「え・・神無さん、それ、どういう意味?」
「いえ、別に何でも無いんです・・。でも、桜井さんをあのままにして置くんですか?」
「まさか。そんな事は出来ないよ、明日ちゃんと謝って、もう一度話そうと思う。」
「そうですね、和泉君は優しい人ですもんね。」
「・・照れるからやめてよ・・。」
「アメリカに行っても元気で居て下さいね。あ、まだ今週一杯は大丈夫でしたね。」
「う、うん。」
神無さんはそれだけ言うと、にっこり微笑んでくれた。
そして他の皆も、それぞれ僕に励ましと、お別れの言葉を告げてくれた。
何だか柄にも無くしみじみとしてしまう。
後は明日、明に謝るだけだ。
そう考えながら、僕は皆と別れて帰路についた。
だが、僕は次の日驚愕することになる。
何故なら、無欠席が取り柄のあの桜井明が、学園を休んだのだから────。