長かった冬が明け、春を迎えようとしている三月。
学園の生徒達は、来るべき春休みに備えて予定を立てている真っ最中だった。
春休みが終れば、僕らはもう高校三年生になる。
そうなれば、大学受験などで忙しくなってしまうのだから、もう遊べるのはこれが最後のチャンスだろう。
何処かへ遊びに出かけるも良し、恋人が居る人は恋人と過ごすのも良い。
バイトに明け暮れるのも良いだろうし、来るべき三年生に備えて自宅で休養するのも良いかもしれない。
とにかく、学生達は皆が希望に満ちたような表情で、春休みを待ちわびている状態だった。
そして無論、僕もその中の一人である。
「和泉、春休みどこ行くよ？」
クラスメイトの春日翼は、僕が春休みに暇をしていると決め付けて会話を振ってくる。
まぁ、確かに予定などは無いのだが。
どうせ暇なんだろ？という風に思われているところが少し悔しい。
「どこ行くって・・春日はどこか行くの？」
「おいおい、お前まさか邪魔者達に邪魔されずに家でゆっくり過ごそうとか思ってるんじゃないだろうな？」
「まさかそこまで的確に考えている事を読まれるとは、思ってなかったよ。」
僕が嫌味にそう言うと、春日はくーっと唸りながら頭を掻いた。
ものすごく失礼だろうが、いつ見ても臭そうな頭である。
「お前なぁ、せっかくの春休みに引き篭ってどうすんだよ？」
「別に引き篭る予定は無いけど・・特に出かける予定も気も無いって感じかな。」
夏休みと、冬休み。
学生生活では、ものすごく貴重とされるこの二つの長期休みを、クラスの変人達と過ごしたのだ。
確かに遊べる最後のチャンスかもしれないが、僕はどうも一人でゆっくりしたいという気持ちも譲れなかった。
この新都町に引っ越してきて以来、普通の友達関係以上に、交流が深かった気がする。
田舎の人間関係は狭く深いと言うが、そういうモノなのだろうか。
「なぁ、和泉。せっかくだから皆で旅行とか行こうぜ？」
「皆って探検部の皆でか？」
「う～ん、後はそこに桜井と神無でも誘えば良いだろ。」
明はともかく、神無さんが男と旅行なんて来るとは思えない。
いや、別に一緒に行きたいとも思わないけどね。
「旅行なんて言ってるけど、春日はそんなお金あるの？」
「馬鹿にすんなよ！今は無いけど、家の漫画やゲーム売りさばいたらなんとかなるっしょ！」
「そこまでして旅行に行きたいの・・？」
「おうよ！何か春休みに遊ばないと負けって気がしてよ～。」
別に負けでは無いだろう。
偏差値の高い国立大などを狙っている人は、むしろ遊んだら負けと思っているだろうに。
「はいはい、そこ！男二人で何ぼそぼそ話してんのよ！」
春日と話していると、背後から明の大きな声が聞こえた。
こっちは全くと言って良い程普通に話している。
それをボソボソだなんて、ただ明の声量が大きすぎるだけではないのだろうか。
「何だ、桜井か。」
「何だとは何よ、春休み目前に男二人で計画立ててる負け組みにそんな邪険にされたくないわね。」
「けっ。で、何の用なんだよ？和泉と二人で素敵な計画立ててるんだから邪魔すんなよな。」
「え・・春日ってゲイなの？」
ウホッ。
そうだったのか？
「ゲイじゃねえよ！この馬鹿野郎！」
「自分でゲイっぽい発言したんじゃない！しかもあたしは野郎じゃないわよ！」
「知るかよ！お前みたいな男勝りな奴は野郎で良いんだよ！乳が無けりゃ男と見分けつかねーんじゃねえの？」
「失礼ね！どうせ胸触ったことも無いんじゃないの？」
「な・・そんな訳あるかよ！胸ぐらい触ったことあるって！」
「へぇ～、誰の触ったの？相坂さん？まさかね～、相坂さんがあんたなんかに体許す訳無いか。」
「真波のじゃねえよ！あの・・その・・そう！メル友のだよ！メル友！」
うわ～、出たよメル友。
これって最強の言い訳に聞こえてしまうのは僕だけだろうか？
というか、新都学園の童貞率は100%って判明しているんだから、見栄を張らなくても良いのに。
「ふ～ん、メル友ね。」
「そうだよ！文句無いだろ！」
「悲しい男ね、この歳で出会い系サイトに溺れるなんて。」
「別に溺れてねえ！つか出会い系とかやってねえよぉ！」
「じゃあどうやってメル友作ったの？どうせエッチな出会い系なんでしょ？サイテーね。」
「いや、だからさ、桜井・・。出会い系とかじゃなくって・・。その・・。」
「ほら、何も言えないじゃない？どうせ出会い系に決まってるわ！」
「うぅ・・・。」
「春日翼・淫乱出会い系に溺れる！明日の新聞記事はこれで行けそうね～。」
「おいおい、冗談だろ・・！」
いい加減春日が可哀想に見えてきた。
何だか今日の明はいつもの倍以上に攻撃力が強いみたいだ。
「明、その辺で止めといてやれよ。」
「どうして？あたしは何も悪い事はしてないわよ？」
「いや、そうだけどさ・・。そ、そうだ！そんなことより、明は僕らに何か用があったんじゃないの？」
我ながら無理矢理な会話の切り方だが、まぁ良いだろう。
春日と明の喧嘩は珍しい事では無い。
二人でやりあってくれるなら問題無いが、どうせなら僕の居るところではやめて頂きたいものである。
「あ、そうだった。忘れるとこだったわ。」
そう言うと、明は鞄から何かパンフレットの様な物を取り出した。
そしてそれを勢い良く僕の机の上に広げて見せた。
「これは何？」
「見てわからない？旅行のパンフレットなんだけど。」
「うん、それはわかるよ。」
「じゃあわかってるじゃない！そのままよ！」
広げられたページには、綺麗な露天風呂付きの温泉の紹介がされていた。
場所は海辺の寺笑州。
名物は魚介類で、三月中旬にもなれば早咲きの桜でお花見が出来る様だ。
食事付きで一泊一万五千円。
これなら高校生の旅行でも行けないことは無い値段である。
「えーっと、ここへ旅行に行こうって意味でいいのかな？」
「さっすが和泉君！話が早いわね！」
最低限の知能のある人間なら、誰でも理解出来ると思うのだが。
「来年から皆受験とかで忙しいだろうし、思いっきり遊べるのは春休みが最後じゃない？」
「うん、まぁそうだろうね。」
「だったら思いっきり遊ばなきゃ損ってもんでしょ！」
「・・そうなの？」
「そうなの！」
明は元気そうに声を張り上げると、楽しそうに話を続けた。
「藍ちゃん、朽木君、郷田君、相坂さん、夕凪さんは参加確認済みよ。」
「え、もう皆に話したの？」
「当然よ！もう来週一杯で春休み始まっちゃうのよ？予約とかの段取りもあるんだからね！」
「ま、まぁそうだよね・・。」
「そうなの！それで、勿論あんた達二人も行くわよね！？」
正直微妙だ。
確かに楽しいかもしれないが、また面倒ごとが起こる気がしてしまう。
だがここは素直に参加しておくのが人付き合いというものなのだろうか。
「春日はどうするの？」
「はっはっは、和泉。俺に聞く必要があるのか？」
「そうだよね。」
「そうだ！喜べ、桜井。当然参加する。」
「う～ん、別に嬉しくはないけど、まぁ喜んでおくわ。」
どっちだよ。
「で、和泉君はどうする？別に予定とか無いんでしょ？」
「うん、別にこれと言った予定は無いけど・・。」
「オーケイ、じゃ参加決定ね！」
「ちょ、ちょっと、そんな勝手に・・。」
「もう！何をウジウジしてるのよ、大人しく参加しておけば良いのよ！」
「・・はい。」
まぁ、皆で旅行っていうのも楽しくて良いだろう。
というか、僕以外の全員が参加するというのに、僕だけ参加しないなんて。
そんな勇気は持っていない。
「皆の分予約しとくから。ドタキャンとかしたら許さないんだからね！？約束よ！？」
「はいはい、約束ね。」
それじゃあ、と言い残すと明は元気よく教室を飛び出して行った。
全く、本当に元気な奴である。
「あ、つかもうこんな時間なんだな。」
「そろそろ下校時間みたいだね。」
「じゃ、俺らもそろそろ帰るか？」
「そうしようか。」
本当は一人で帰りたいが、流れ的に春日から逃げ出すことは出来ない。
半ば嫌がりながらも、春日と下らない会話をしながら田んぼ道を歩く。
「さて、んじゃ俺の家こっちだから。」
「知ってるけどね。」
「馬鹿、こういうのはテンプレなんだよ。毎回言ったほうがそれっぽいの。」
「はいはい、わかったよ。」
「じゃ、また明日な。」
「うん、また明日ね。」
勢い良く手を振る春日に軽く手を振ると、帰路についた。
そして自宅に到着した時、いつもと違うことに気がついた。
玄関には父の革靴があった。
「あれ・・父さんもう帰ってるのかな？」
父はいつも帰りが遅く、こんな夕方に帰っていることは今までに無かった。
どうせ仕事がたまたま早く終ったんだろう、なんて思いながら僕はリビングのドアを開けた。
「ただいま。」
「おかえり、新斗。」
「父さん、今日は珍しく早いんだね。」
適当に鞄を置き、食卓に着く。
父は僕を見ることなく、食卓で新聞を読んでいる。
「父さん？どうかしたの？」
僕がそう尋ねると、台所から母の声がした。
「お父さんね、新斗に大事な話があるんだって。」
「父さんから大事な話・・？」
父は新聞を畳むと、ポケットから取り出した煙草に火をつけた。
そして一口大きく吸い込むと、僕を見つめて口を開いた。
「新斗、とても大事な話があるんだが、聞いてくれるか？」
「そんなに改まっちゃってどうしたの？勿論聞くけど・・。」
「実はな、今日会社の取引先とちょっとしたトラブルがあってな。」
「・・うん。」
正直、こういう真面目な話は苦手だ。
しかも改まって僕にこんな話をしてくるということは、僕にも何か影響があるからで。
そして親の真剣な話は、いつも悪い事があった時に決まっている。
頼むから、会社をクビになって生活できないとかだけは勘弁して欲しい。
「それでな、どうしても仕事でアメリカへ行かなくちゃならなくなったんだ。」
「そうなんだ・・。期間はどのくらいなの？」
これは世間で言うところの単身赴任というヤツだろうか？
「期間は今のところ未定だが、だいたい半年間ぐらいになると思う。」
「そっか・・。父さんも大変なんだね。」
「あぁ。それでな、お前にも一緒に来てほしいんだ。」
「は？」
思わず声が出た。
ものすごく間抜けな裏返った声が、自然とこぼれたのだ。
「僕も一緒にって・・どういう意味？」
「そのままの意味だ。母さんも一緒に行くことになったんだが、お前だけ日本に残る訳にもいかないだろう？」
まぁそうだろう。
僕はまだ十七の高校二年生で、一人で自立など出来ない。
親戚の家に預かってもらう、という手もあるのだろうが、それはそれで親戚にも、両親にも迷惑が掛かる。
きっとお金の面などでも面倒だろう。
「僕もアメリカへ・・・。アメリカへ行くのはいつからなの？」
「来週一杯はこっちで仕事を片付けなくちゃならないんだ。お前もまだ学校があるだろう？」
「うん・・。」
「だから丁度春休みが始まる頃から行く予定をしている。」
「そんな・・もう再来週じゃない！そんな急に困るよ！」
「お前に迷惑を掛けてすまないと思ってる。だが、わかってほしいんだ。」
「そんなの・・わかれって言われても・・！」
申し訳無さそうに話してくる父を、理解してやらなければならないと思った。
でも、僕はまだ子供なんだろうか。
父を素直に受け入れることが出来なかった。
「冗談じゃないよ！父さんの仕事の都合で新都町に引っ越してきたばかりなのに・・また急にそんなの！」
「確かに俺の都合でお前に迷惑は掛けている。でも仕方無いんだよ、生活出来なくなっても困るだろう？」
「それはそうだけど・・。が、学校は？学校はどうなるんだよ！？」
「アメリカの学校に転校、という形になると思うが・・。」
「そんなの無理に決まってるだろ！？英語だって話せないのに、どうしろって言うんだよ！？」
「それは大丈夫だ。日本からの留学生達の通う学校をちゃんと見つけてある。」
「でも・・。」
僕が父と言い合っていると、今まで黙っていた母が口を開いた。
「新斗、お父さんをわかってあげて？」
「母さん・・。」
「お父さんも本当に新斗に悪いと思っているの、でも仕方無いのよ。」
「仕方無いなんて、そんなのわかってるよ・・。」
「新斗、お前もこの町は嫌だって言っていただろう？でもすぐに慣れたじゃないか。アメリカもそんなに悪いもんじゃないぞ。」
「それは・・そうかもしれないけど・・。」
「それに、アメリカへ行くのは半年だけだ。半年したら、また日本に帰ってくるんだ。」
「お願い新斗、我侭言わないで、お父さんをわかってあげて・・。」
まだ自立できない僕が、ここでいくら抵抗しても無駄なのはわかっていた。
この町へ来る時も、さんざん抵抗したが無駄だったからだ。
僕がいくら嫌だと言っても、強制的にアメリカへ連れて行かれるのはほぼ間違い無いだろう。
「学園へは・・連絡したの？」
「まだ連絡はしていない。ちゃんとお前と話してからの方が良いと思ってな。」
「じゃあ・・学園へは僕が連絡するから。」
「そうか。それじゃあアメリカ行きに納得してくれるんだな？」
「・・納得した訳じゃないけど、仕方無いでしょ・・？」
「本当にすまないな、ありがとう。」
僕はつくづく運が無いというか、周りの環境に流されるというか。
再来週からの春休みを楽しみにしていた数時間前とは打って変わってこの展開だ。
こうなると、当然普段の仲間達にもアメリカ行きを知らせなくちゃならない。
もうそれを考えただけで鬱になる。
どうせまた面倒くさいことになるに決まっているんだから。
引越しの荷造りもしなくちゃならないし、部屋の掃除も。
全く、これから春休みをエンジョイしようという時に、勘弁して欲しい。
極めつけは、何と言っても春休みの旅行に行けなくなってしまうこと。
別に行けなくなるのは構わないが、明の機嫌を損ねてしまう気がしてならない。
何故なら、今日約束したばかりの約束を破ってしまう事になるのだから。