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09.梅雨と共に去りぬ

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 ドラマではよくある話だと思ったのが最初。
 少女の家出。
 理由もよく聞くものだと感じた。
 進路とか将来とか、そういうこの先について。部長は今三年なのだからそんな話が出るのも当然のように思う。
 俺と同じように、それには大した感慨はなかったみたいだ。
 趣味についてまで話が及んだのがいけなかったらしい。
 そこまで言われたのが初めてで、それが引き金。
 もう高校生なのに、勉強もしないで。
 有り触れた説教の後に続いたのは、女の癖に。
「好きで女に生まれた訳じゃない」
 そう呟いた部長の声は、暗く細く、雨音の中に溶けて消えた。
 代々何かを継いでいる、という事でもないみたいだけど、少し古風な躾の厳しい家。
 それが関係あるのかは解らないけど、趣味に理解が全く無い。
 辞めされられないだけで良かったという想い。
「初めて触れた時、見る物全てが新しく思えたの」
 そう言いながら、部長はその時の事を思い出しているに違いない。
 自分はどうだったかと言えば、思い出すのも難しい。
 パソコンで、というのはつい最近のように思い出せるのに、初めての時はただ面白いと感じた事しか浮かばない。
 それが彼女にとっては特別な、自己を一瞬で変えるような出来事だったようだ。
 話を聞いていると、何故ここに来たのかという疑問も解けた。
 親や教師は勿論、友達さえも理解しない。
 文字のまま、趣味が合わなかった。
 今時珍しい趣味ではない。
 インターネットという世界、その世界に触れればそんな女性は沢山居る。
 だから、そういうゲームをプレイしているのも極自然な事に思う。
 素性を偽る後ろめたさはあったけど、その居心地に良さにのめり込むのに時間はかからなかったらしい。
 のめり込むと同時に、知られたくないという思いは膨れ上がり、誰にも言えなくなっていたそうだ。
 だから俺がPC部を初めて訪れたあの時、一つの世界が終わったと思い、そこで生まれた感情は隠される事無く顔に表れていた。
 けれど、その世界は今も続いている。
 それが意外だったと言われた。
 同じ高校だった、こんな人だった。……女性だった。
 そう言いふらされると思ったらしい。
 自分の趣味について知っているにも関わらず何も言わずにそこに居る。放課後、一緒にゲームをしている。ただそれだけの、そんな時間が嬉しかったそうだ。
 それでも打ち解けるのは怖かったらしい。
 何も言わないだけで、内心変だと思っているに違いない。
 俺はちっともそんな事思っていなかったが、何も言わないその姿がそう思わせていたんだ、と、今更知った。
「自分から距離を置いてたのに、ね」
 自嘲気味に笑う顔が雷の光に照らされた。
 文化祭のあの時、偽らない自分を、藤崎麻子と認識してる人の前で見せるのは、初めてだったそうだ。
 それに抵抗を示さない、あまつさえ自分達から提案してきた俺と陽介。
 そして、それ以上に、普段と違う女装をした俺の姿が可笑しかった、と、漸くいつもの表情を見せくれた。
 今は部活の時間が一番楽しいという。
 一緒にゲームをして、ゲームについて語り合える仲間が居る。
 俺と陽介が2年近くも当然のように過ごしてきた日常が、部長には大切なモノだったらしい。
 家出をする程の両親との考えの違い、ゲームへの思いいれ、自分達に対しての想い。
 途切れ途切れに語られたその内容へどう返せばいいのか、俺にはまったく分からない。
 俺がほとんど喋る事の無い、相槌を打つだけの会話は体内時計を狂わせていたらしく、気が付くと部屋の外と中は暗闇を保ったまま朝を迎えていた。


「用があるから先に行っといてくれ」
 放課後、当たり前のように連れ立ってくる陽介と一旦別れて、移動時間があれば終わるような用事を済ます。
 ほんの少し遅れて部室に行くと、二人はドアの前で座っていた。
「部長さんがまだ来ていらっしゃいませんわ」
 こちらに気付いた二人に鍵を見せびらかして、錠を外す。
 部長が部活どころか、学校に来ていない事を俺は知っていた。
 二人にそれは伝えない。
 朝、顔を合わせてすぐ口にした俺の言葉に両親はそれはそれは驚いていた。
 何を言われるかと、ビクビクしていたのだが、
「世間に顔向けできないような事はするなよ」
、と親父に言われただけだったので拍子抜け。母親は少し嬉しそうだったのが腹立たしい。
 部長は今、何をしているだろうか。
 多分退屈はしていないと思う。
 家を出る前、一部のフォルダだけは開かないように釘を刺しならがらパソコンとゲームの説明してから高校へ向かった。
 朝、教室に着いてすぐ、
「また隈こさえて。何かあった?」
 聞かれると予想はしていたので、用意しておいた言い訳でその場を抜けたが、睡眠不足の頭では誤魔化しきれていたのか判断出来ない。
 しかし、陽介くんはやればできる子なので空気を読んでくれるに違いない、と普段は馬鹿にしている友人へ勝手な期待をし、午前に行われた授業の間、夢の中を漂い続けた。
 午後は午後で睡眠学習をしていたのだけれど、
「上田さん、お加減がよろしくないのではないですか?」
 体調の見分けがつく程親しい訳ではない金城先輩にそう言われるぐらいにはまだ眠くて……どうやら放課後も睡眠時間になりそうだ。


「とりあえず家に居てください」
 そう言った手前、なんとかせねばと思ったのだが、帰りついた俺に考えは一つも無かった。
 いつもなら教室の椅子に座って帰ってきてからの事で頭の中をパンク寸前まで膨らませていたはずなのだが、どうやら許容範囲を超えていると脳の制御基盤が判断したらしく、強制的に睡眠を取らせたに違いない。
 結局食べている時と歩いている時以外は思考を放棄するように寝ていたと思う。
 何の考えも持たずに帰って、さてどうしたものかと玄関を開けると、先輩は家へ来た時の制服ではなく飾り気の少ない私服姿でキッチンに居た。
 話を聞いて見ると、どうやら母が色々と世話を焼いたようで、俺の予想はある意味外れていたらしい。
「学校があるはずの平日の昼間に出かけるのって、凄く新鮮だったわ」
 そんなネトゲをしながらの会話。
「って事は、部長寝てないんですか?」
 俺はパソコンを部長に明け渡しているので、ベッドの上に寝転び何度もプレイしているゲーム片手に、とある学園の購買部に居る子の胸にペンでタッチを繰り返している。
「えぇ、あまり眠くなかったから」
 昨日から起きているのに平然としているのは、ネトゲ廃人っぽいなと思う。……偏見か?
「けど、さすがに眠いわね」
 そう言いながらコントローラーを置いた部長が、新品の匂いのするパジャマの着崩れを正す。
 正直言おう、部長が黒く長い髪を乾かし終え、この部屋に訪ねてきてから、ずっと持て余していた。
 きっとリエルへのパイタッチもその表れだ。バリアを張られるのだから更に虚しさが増すのだけれど。こんなことなら前作を売り払うんじゃ無かったな。
「……そろそろ寝ますか?」
「うん、そうね」
 一見して木で出来ていると分かるベットの上に敷いてある、いつも俺が使っている、薄い青色の布団。 
 その布団の中、俺と部長は――
 なんて事は全く無い。
 当たり前だ。部長が家に居る事を親が知ってるんだから、一緒にしておくはずがない。
 隣室。普段は誰も使っていない、物置代わりにしては物の少ない空き部屋。
 そこにお客様用と大層な名が付いた布団が用意されているので、当然ながら部長はそこで寝る。
 おやすみ、と就寝の挨拶を置いて部長が居なくなった自室でパソコンの前に座り、帰ってきて直ぐにパスワードを設けたフォルダを開いた。


 あれからどれくらいの雨が地面を濡らしたんだろうか。
 まるでゲームのように始まった生活はそれなりアクシデントがあったりして、料理をする部長を見たり、部長に起こされたり、洗面所兼脱衣所のドアを開ければそこに……俺が居て、部長に裸を見られたりもした。
 そして、二人ともすっかり部長と打ち解けている。そう、両親だ。
 割りと堅物な親父なのだが、部長が淹れてくれるコーヒーや紅茶を満更でもない様に飲んでいたし、母は母で、娘が出来たみたいだ、と最初から仲良くしていたが、いつ間にか二人で台所に立つ姿が様になってきているのはどうなんだろうか。
 そんな中、どうしようか、と何度も考えてみるものの、結局は何も出来ないでいた。
 そもそも俺は現状を変えるような破壊工作を得意としていない。自覚している程に保守的なのだから当たり前だと思う。
 そして、面倒な事にならない限り何もしたくない。
 前にも思ったように、俺は主人公のような位置に立たされても、主人公然とした行動を起こせないのだから、もしここまでの出来事が物語りであっても、この先物語として成立するはずがない。
 だから、この場で俺に出来る事は何も無いように思う。
「あなたは何を考えてるの?」
 部長の母親が目の前に居た。
 うちの母が買い物に出かけると、入れ替わるように部長の母親が訪ねてきた。
 雨の中、外で話すのもなんだろうと、とりあえずリビングに通してみたまではよかったが、部長の母親は俺という第三者が居るからか、怒声ではないものの、明らかに怒気を含んだ声を部長にぶつけている。
 さて、どうしよう。
 部長の母親の言い分も分かる。
 不況だ、不況だと言われるこの時代に置いて、ある程度の学歴で社会に出る。今はそれがある種当たり前。
 部長はそれを決める大事な時期なのだから、趣味よりも勉強に時間を費やすべきなんだろう。
 でも俺は、この母親が気に食わない。
 世間がどうとか、他ではどうとか、そんな事ばかり口にしている。
 そんな世間体を気にしている母親に第三者という立場に徹していた俺が標的にされるのも当然だった。
 見ず知らずの後輩、それも異性の家に自分の娘が転がり込んだのだから、古風な考えのその女性から、文句というにはあまりにも汚い言葉を浴びせられるのも、極自然と感じる。
 けれど、冷静だと思っていた頭の中は、随分前から煮えたぎってたようだ。
「……失礼ですけど、部長を思い通りにしたいだけなんじゃないですか?」
 自分よりも倍以上の時間を生きている、しかも先輩の親である人に対して、説教をするつもりは毛頭ない。
「な、何を?」
「何って、思った事を言ってるだけです」
「あなたみたいな子供に何が分かるの!?」
 きっと何も分かってないと思う。
「私はこの子の為に――」
「なら心配ぐらいしろよ!」
 自分でも驚く程大きな声を出していた。
「娘が家出するくらい悩んでるんだろ!?心配して、必死になって探せよ!」
 あーあ、こんなキャラじゃないのに。
「それを何日も経ってからのこのこ現れて、家に帰って来い、勉強しろって、自分の言い分だけ押し付けて……何様のつもりだよ!」
 俺がな。
「部長も言いたい事もっと言ったらどうなんですか!?」
 もう自棄。
「何も言わないから、この人に分かってもらえないんですよ!」
 本当に恥ずかしい奴だと思う。
 一人で腹の底に溜まっていたモノを吐き出すと、リビングを雨音と窓を叩く音が支配していた。
 そして雨音から意識をその場に戻したのは、これまで口を塞いでいた部長。
「そうね……もっと話さないと駄目よね」
 俯いていた顔を上げ、母親の方をじっと見ている。
「お母さん、帰りましょう」
 外では強い風が吹き、台風の様に荒れている。
「ご両親に、お世話になりました、って言っておいてね」
 大きく吹いているその風は、空から注ぐ無数の水滴と共に部長を連れてどこかへ消えた。


 例年より短い雨季はもう明けたらしい。
 結局部長が家出を終えて帰ってから二日程学校を休んで、登校してきた。
 PC部で顔を合わせて事の顛末を聞くと、どうやら条件付きで解ってもらえたそうだ。
「三年生にもなって時間を決められると思ってもみなかったわ」
 そう言いながら笑う顔は、今まで通りの部長だった。 
 勉強時間とゲームをする時間を決めて、大学にも受かる。それが条件らしい。
 他の家となんら変わらなかったんじゃないか、と、あの日から張り付いたままだった緊張は一気に解れた。
「ありがとう、上田くんのおかげね」
 いつもの顔でそう言ってもらえるなら、柄にもなく大声を出した甲斐があったというものだ。……思い出す度に悶えている。
 僅かな期間の主を失った部屋を軽く片付けながらその時の事を思い出していると、PSPが忘れられているのに気付いた。
 入っているのは俺も持っているFFシリーズの戦略的なソフト。物語りは途中で止まっている。
 主人公達を終焉に導いてから返してみよう。
 いつも落ち着いてる部長がどういう反応するのか。
 今から少し楽しみだ。

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