あんな事があったというのに、休み明け、目の前に回りこんできた後ろの席の女の子は、開口一番にこう言った。
「上田くん、付き合って!」
まるで交通事故である。唐突度合いが。
金髪少女は失恋したばかりで気が動転しているに違いない。
「いや、折笠。いきなり過ぎるだろ」
「何が?」
「……そういうのは、もっと仲良くなってからするもんだ」
告白というのはもっと互いの事を知ってからですね、こうシチュエーションに凝って、夕陽を眺めながら川原で、とか……古臭いか?
「……何を勘違いしてるの?」
俺の返答で戸惑った気持ちを映していた顔が目尻を下げる変わりに口角を上げて崩れていく。
「あはははは! もう、告白じゃないってば」
バシバシ。痛い、肩が痛い!
「ほら、これ」
ひらりと目の前に出されたのは、映画の無料鑑賞券。
「こっちの事まだあんまり知らないし、案内役を頼みたいの。それに――」
折笠にしてはは珍しい、後頭部を掻いて照れたような仕草。
「――この前のお礼、かな」
少々瞼が腫れぼったい気がもするが、概ねいつも通りの顔でそう言われたのだから、なんらかの役には立ったんだろう。ならば、断る理由はない。
「いつに行くんだ?」
「次の土曜日。その日が雨なら日曜かな? とりあえず、次の晴れの休みの日」
季節は梅雨真っ盛りだというのに、なんともアバウトで天任せな日程予定だった。
誰の日ごろの行いが良かったのかは知らないが、土曜日、晴れ。どうやら空も休憩したいらしく、その日の予定は一通のメールにより決行される事となった。
晴れてはいるが空気は湿気が高いらしく、じとっと肌に纏わりつく風を受けながら、駅前で待ち合わせ相手を待つ。
「武史ぃー、こんなとこで何やってんだ?」
後ろからかけられた声の主は、待ち合わせ相手ではなく陽介だった。
陽介は遠くから手を頭の上で大きく振りながらわざとらしくスローモーションで走りながら近づいてくる。……なんなんだ、あいつは。
「存在が気持ち悪い」
目の前まで来たので客観的に見た存在への指摘をすると、陽介は、たはは、と、よく分からない笑い方で誤魔化した。
「いやぁ、ここで会ったのに運命を感じてな」
いつにもなくテンションが高い理由は……なんだ?
「と、いう冗談は置いといて、だ」
拳を作って口元に当て、コホン、なんて古臭いリアクションをしてもったいぶる。
「……今日は聖地を巡礼してこようと思ってな」
「は? 何の?」
「佐渡島に行こうと思っている。一泊で」
何がお前をそうさせるんだ……あの島は跡形もなく消し飛ぶんだぞっ!?
「さらばだ武史……九段で会おう」
『勿体無いお化け』が出てもおかしくないぐらいに有効活用されていない顔をキリっと引き締めながら敬礼を決めて、陽介は駅へと走り出した。九段で、か。惜しい奴を亡くした……なんて思わない。どうせ明後日にはまた顔を見る事になるし。
暇潰しとも言える存在はいとも簡単に消え去り、その後、ものの五分も経たない内に本命である待ち人は現れた。
初めて見る折笠の私服姿はボーイッシュな感じで纏まっており、ホットパンツというにも憚られるぐらいに短いパンツからすらりと伸びる素足が外見的魅力を高めている。
「ごめーん、待たせた?」
「いや、そんなには」
「ここは『俺も今来たところ』って言うべきなんじゃない?」
「そういうもんなのか?」
「そういうものなの」
この「そういうもんなのか?」「そういうものなの」というやり取りは、俺と折笠の間でよく使われる定型文会話だ。特に恋愛話に関してこの定型文の効力は凄まじく、次の話題への移行をスムーズにしてくれる。
「そういや、映画って何時からだ?」
「えっと……もうすぐだね。急ごっか」
目的地である映画館は駅から大した距離でもないのに小走りに歩き出した折笠は、自分から申し出たにも関わらず、案内される方なのだと分かっていないようだ。
「方向、逆だぞー」
頬を赤く染めながら再度小走りで戻ってきた折笠は「先に言ってよ!」と責任転嫁をして、俺の背中を押し始めた。
上映時間ギリギリに館内に滑り込んで見た映画はというと、今話題の、娘を亡くしたシングルマザーである女教師の、娘を『このクラスの生徒に殺されたんです』という、いきなりのカミングアウトから始まり、視点を変えて二転三転する、中々どうして、重い話だった。
見てる最中からずっと思っていたのは、恋愛映画じゃ無くて本当に良かったという事だ。さすがに今のタイミングで恋愛映画を折笠と見るのは少々不味い気がするし。
映画も見終わり、映画館を後にしたのは少々遅い昼食時。
「昼、どうする?」
「マクドかファミレスかなぁ? 何処か美味しいところを知ってるならそこでもいいけど」
関西から来た(関西から来たというだけで、育ちは違うらしいが)という所を垣間見せつつなされた返事に、近所を飲食店を思い浮かべる。
どこにするか、と考えていた頭にテレビで聴いた事のあるぐらいとしか知らない曲が電子音として流れた込んできた。
「あっ、ちょっとゴメン」
携帯の画面を見て戸惑った後、幾分もトーンを落として「もしもし」と折笠は電話に出た。その態度で電話の相手はおおよそ検討が付く。
断片的に聞こえてくるのは何やら否定的な言葉。盗み聞きする気もないので、またどこにするか考えていると折笠は少し強く「じゃあ」と締め括って通話を終えた。
「……近いしサイゼリヤでいいよな?」
「う、うん」
先に歩き出して後ろを確認すると、折笠は俯きながら付いて来ている。何かあったのは目に見てているものの、かける言葉なんて持ち合わせてないのだから、とりあえずは、前を向いて歩くしかない。
無駄な会話が無かったからか、あっという間に目的地に着き、昼時は過ぎているというのに少々込んでいる店の中、がやがやとした話し声と食器の鳴る音、それに混じって聞こえる店内BGMを耳にしながら、メニューを折笠に渡し、店内を見回す。何故メニューを折笠に独占させているかというと、レディファーストという訳でもなく、ここに来る事になった時から注文する品が決まっていたからだ。俺はサイゼリヤではいつでもミラノ風ドリアなのである。味と値段と量のバランスが財布に優しいそのメニューは学生にとって心強い事この上ない。たまの贅沢も、半熟卵のミラノ風ドリアだというのは少々極まってるのかもしれないが……。
ドリアとカルボナーラ、ドリンクバー二つ。なんとも学生らしい注文を店員に預け、お互いに飲み物を淹れて席に座るが、会話は無い。
「ねぇ……」
しばらくして、注文していた品が置かれた後、重々しく口を開いた折笠は雨の中で見た時と重なって見えた。
「これもさ、その……浮気になるのかな?」
思わずドリアを掬う手を止める。
「……別れたんじゃないのか?」
「微妙なところなの」
「じゃあ浮気と思われても仕方がないんじゃないか――」
――少なくとも彼氏には。
「さっきね、謝られたんだけど、どうしていいか分かんないし、浮気するヤツなんてもう信じられないし――」
異性と交際するってのはそんなに面倒な事なのか? 少なくとも自分の中にはそんな思いは無くて、楽しい事ばかり……なんて恋愛経験の無い俺が言っても説得力ゼロだな。
「――で、今男の子と遊んでるって言ったら、『お前も浮気してる』とか言われて……」
なんとも面倒臭い話だった。折笠にはそんな気は全く無いだろうし、俺もただの街案内役の同級生Aに過ぎないはずだ。
それを理解してないだろう折笠の恋人が攻めるというのは分かるのだが、自分の事を棚に上げて難癖付けているのは、未練があるからか、本気で好きだからなのか……。
いや、相手の男の事なんてどうでもいい。今は目の前の折笠にどう言葉をかけるかが問題なのだ。……とりあえず、何か言うべきか。
「謝るなら、会いに来くればいいのにな」
「……なんで?」
「なんとなく」
本当になんとなく、自分ならそうするんじゃないか、それぐらいの思いつき。再度思うが、恋愛経験の無い人間の戯言だけどな。
「あー、でも……そしたら俺と居るとこ見られて、更に修羅場だったかもな」
俺としてはこれでも冗談のつもりなのだが、折笠は笑わない。
「あのね、私……『浮気してる』って言われて、否定できなかったんだ」
「なんで?」
「ごめん……どこかで、他の男と遊んでやる、って思ってたから……」
折笠にも引け目があった訳だ。まぁ、担ぎ出される側としては巻き込まれて迷惑なんだけど――
「それは別にいいんじゃないか」
――俺が線引きしてれば、結局は当人達の問題だろう。
「怒らないの?」
「別に。怒るとこなんて何かあるか?」
折笠は俯いて……何かを考えてる?
「上田くんが私の事をどう見てるのか……なんとなく分かった」
「なんだそれ」
「……分かったらちょっとムカついてきた」
「いや、だから何が?」
「私のおっぱいジロジロ見てる癖に!」
ここであの時の事を言われるのかっ!?
「ちょ、場所を考えろ!」
「ふんだ、この変態!」
「分かったから、ちょっと落ち着け!」
「スケベ!」
「それは彼氏に言えよ」
――あっ。
急にしゅんと大人しくなった折笠を見て思うに……禁句だったらしい。
「すまん」
「ううん……こっちこそ、ごめん」
折笠が大声だったからか、周りの注目を浴びて黙り込むしかない俺達。……あぁ、二重に気まずい。
黙々と冷めた昼食を胃袋に収めていると周りの注目も薄れてきて、次は目の前の気まずさを取り除くべき時が来た。
「まぁ……落ち込んでるよりは怒ってる方が折笠らしいんじゃないか」
「え?」
「喧嘩相手が欲しいならふっかけてこればいいし、暇な時で良ければ、気晴らしぐらい付き合うぞ」
忘れてたが、口喧嘩は折笠に勝てそうにないんだった……早まったかな。
折笠は一度迷ったような表情を浮かべ、それを頭を振って消す。
「そっか……ありがと……早く食べちゃお。次はお店の案内よろしくね」
折笠は固まりかけのパスタを器用にフォークに巻きつけ口に運んだ。
昼食でエネルギーを充電したからか、それはもう……折笠はパワフルだった。ゲームセンターに書店、衣料店や雑貨屋。案内役という肩書きはいつの間にかどこかに吹き飛ばされ、目に付いた店――俺も知らないような店へと引き摺り回される、まるでお姫様の従者状態。女性物の服屋で「似合う?」「似合うんじゃないか」なんて小っ恥ずかしいやり取りまでやらされてたまったもんじゃない。
おそらく、女性の胸には『元気』という力が宿っており、悟空が地球のピンチに元気玉を作る際には全女性が貧乳化するに違いない。
疲れ果てた俺とまだまだ有り余る元気を揺らしている折笠。本当に動きっぱなしで時間は過ぎ、気付けば夕飯時に差しかかろうとしていた。
「そろそろ帰るか」と藁にも縋るような提案をしなかったら、まだ連れまわされていたのかもしれない。
「今日はありがとね。楽しかった」
「それは良かったな」
「上田くんは楽しくなかった?」
疲れたけれど、
「それなり楽しかった、かも?」
「そこは素直に『楽しかった』って言わないと」
「そういうもんなのか?」
「そういうものなの」
また定型文である。別れ際の話題の切り替えなんだから、続くのは「じゃあまた学校で」辺りだな。
しかし、その予想は肩透かしに終わり、思ってもいなかった別れの言葉を聞かされる。
「また……デートしようね」
――ああ、今日のこれは『デート』だったのか。
それがいつの事だったのか思い出せないが、前に考えた『視点によって変わる異性との交遊の印象について』という似非理論モドキが脳裏を過ぎる。
その理論と呼ぶには稚拙で根拠の無い考えとセットで何か大切な事があったはず――そう、何か失ったような喪失感があったはずだ。
月が見え始めていた空は曇りだし、休憩を終えた雲は小さな水滴で再び地面を濡らす。
傘を持っていなかった俺は家へと急いだ。