新学期のざわめきも収まり、夏の匂いが消え始めたと感じる季節。
俺は自分の心音を聴きながら、息を殺し固唾を呑んでいた。
こんな事になったのは初めてだ。原因は……十五分ほど前の事だろうか――
「……ねぇ、これは何かしら?」
「それはユニゾンシフトの不朽の名作『ななついろ★ド――」
俺の鞄から取り出されたであろう、可愛い女の子と小さな羊が描かれたエロゲのパッケージ。
「そういう事を言ってるのではありません!」
パソコンラックを叩く先輩。手に持つそれで叩かれなかったので安心した。
このお嬢様、名を金城千華という。
武史が彼女と熱々のラブラブ……って、そんなにベタベタしてるかは知らないが、二人が付き合い出した後、俺は相方を取り上げられ、暇を持て余していた。
そうなると俺と武史の間に入ってきていた、このお嬢さんと俺が残っている訳で――最初は俺によく話しかけてきて、勧めた本とかアニメにも良い食いつきだったもんで……調子に乗ってエロゲも勧めたのが間違いだった。
夏休み明けにPC部で部長と武史が画面に向かう中、その日武史から返してもらったばかりの、所謂抜きゲのパッケージを見せて内容を説明をした途端、お嬢様の態度を一変させた。
その後、なんやかんやで怒られる事、数回。今日もまた、鞄の中に仕舞っていたそれが見つかって現状に至る、と。
「――聞いてますのっ!?」
「聞いてる……ます!」
こんなに怒る女性は婆ちゃん以来だ。
「ですから、どうしてこのようなゲームをするのです!?」
この一風変わったお嬢さんは、正真正銘良いとこのお嬢さんで……どうやら俺の事が好きらしい。
「最初の優雅さはどこに行ったのかね――」
しまった。うっかり、つい、それとなく、極自然に、本音が口を滑ってでてしまった。
「なんですってっ!」
炎の背景と、ゴゴゴゴ、という効果音を背負ったような迫力。
「それはあげますよっ!」
何もかもを投げ出し、俺は部室を飛び出した。
束の間の別れだよ、すもも。必ず……必ずまた買うからなっ!
「お待ちなさいっ!!」
美しいお嬢様の金切り声を振り切るように、奥歯を噛み締めて加速装置を発動させた。
呟きながら、状況回復の手段を考える。
「援護は期待できないな……」
今日は部長と武史が部活に出ていないのだから、要請による援護は無理なのだ。
このまま帰るってのも手だが、鞄と……最大の問題である下駄箱。
冷静に考えれば、そこで待ち伏せされればアウト、か。
いや、待ち伏せされてても手はある……が、状況次第。
「状況を把握する必要があるか」
とりあえずは鞄の方から。
近づいてくる足音が無い事を確かめると、俺は教卓の下からゆっくりと滑り出る。
空き教室から顔だけ出してながら周りを見渡し、再度安全確認。
大佐、これよりバーチャスミッションを開始する。
明夫ボイスを頭の中で再生しながら、気配を殺して部室への道を辿る。
ある意味、これはリアル鬼ごっこだな……金棒の代わりにエロゲ持ち歩いてるかもしれないけど。
……何が悪かったんだ?
予想通り、下駄箱の近くで待ち構えていた先輩を見て考える。
ふと考え至ったのは、先輩と俺のファーストコンタクト。
悲鳴を上げて走り去ったあの時。――ではなく、ラブレターだな。
何事もタイミングってのが大事で、それを逃すと次の機会は中々回ってこない。
エロゲの続きが気になって、林間学校にノートパソコンを持っていたのもタイミング。
それを武史に見られたのものタイミング。
出会うべくして出会ったんだと思う。あんなに趣味が合う奴はそうそう居ない。それこそ、何度同じような時間を過ごしても。
で、なんでタイミングの事なんかを考えたかというと、だ。
返事をしてないって気付いたんだよ……ラブレターの。
お嬢様は仮面を被り、『ずっと』待っていたのかもしれない。
結局先の事を考えてなくて、手紙の事をすっかり忘れていた。
仮面がボロボロと崩れ去って、現れた顔は――。
あんな顔をさせてるのは俺なのか? ……だよな。
「先輩」
廊下の方睨んでいるであろう先輩へ背後から声をかけた。
振り返って俺を見る先輩の視線は、予想以上に冷たい。
「その、今更なんですけど、手紙読みました」
あのラブレターは、一人の人間の誠意なんだと思う。
だから、俺も真剣に答えないといけないんだ。
「俺、今んとこそういうの興味ないんですよ。なので……すいません」
彼女はPC部を辞めてしまうだろうか。
先輩と喋るのはそれなりに楽しかったんだけどな。
「わかりましたわ。でも……」
少し唇を噛んでから、続けられる返事を聞いての答え。
「まだ私はあなたの事が好きですから、諦めません」
悲しそうな、悔しそうな顔を消して、最近たま見せるようになった強い意志を感じる凛々しい表情。
唐突に出てきたそんな表情に思わず見惚れてしまう。
窓から廊下へと入るオレンジ色の光に染められた世界は時が止まっているように感じる。
そんな空気が先輩と俺の間を支配していた。
「……って事で、それ返してくれませんか?」
真面目な空気に耐えられず、また馬鹿な事を言ってしまった。
俺が指し指された先にあった無造作に掴んでいた物を、金城先輩は持ち直す。
「嫌です」
どんどん表情パターンが増えていく顔に上書きされたのは、恥ずかしそうな――
「初めて……あなたに貰った物ですもの」
両手で、ギュッ、と大事そうに胸へ押し付けられている可愛い絵のパッケージ。
……三次元には興味はないんだけどなぁ。
もう少し『金城千華』というキャラの事を知りたくなってしまった。
(了)