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第七話

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第七話

彼女に初めて会ったあの日はすでに十数日前。僕はあれ以来彼女には会っていない。あの日の夜のことはまるで夢か幻のように思われて、すでに記憶の片隅の方へ追いやられていく途上にあるようだった。

それでも、あの日以降、一つだけ変わったことがある。

僕はあの歌の詞が、歌えなくなってしまったのだ。

「なんで、最近歌い方適当なの?オアシス気取り?」
この前の練習で、小林が冗談めかして聞いてきた。しかし、その声の調子にははっきりと、何でちゃんと歌わないのよ、という非難の色がにじんでいた。
「いや、さすがにそれはないけど‥‥」
「あ、俺も最近それ気になってたんだよ、どうしたんだ?」
返事に詰まっていると、池田も話しに加わってきた。
「なんかな、どうもあの歌詞、しっくりこなくってさ。こっぱずかしいって言うか、なんかむずがゆい感じがするんだ。」
「なによ、それ。私はあの歌詞、いいと思うんだけど。」
小林の声の調子が一段ととげとげしいものになり、気まずい沈黙が流れる。ギターアンプのジャックノイズと保坂の叩くドラムの音だけが数十秒間続く。不意にドラムの音が止まり、意外な人物が口を開いた。
「まぁ、まだ本番までは一ヶ月以上あるんだし、歌詞はまだ未定、ってことでもいいんじゃないか?俺はその方が面白いと思うぞ。」
不意打ちを食らった格好になった小林は、一瞬たじろぎ、すぐさま反論する。
「面白いって何!?どういう意味よ?」
保坂は再び黙々とドラムを叩き始め、小林の言葉には答えない。
「もう、わけわかんない‥‥。」
小林はあきらめるようにつぶやき、再び煮え切らない練習が再開された。


そうして、ここ数日、僕は歌詞を考えているのだが、そもそも、あの歌詞で歌いたくなくなった理由も良く分からないのに、新しい歌詞など書けるはずもなかった。机とにらめっこしながら行き詰った僕は、気分転換でもしようと散歩に出ることにした。あの時はただ気の向くままに歩いていたつもりだったが、今にして思うと、やっぱり、彼女に会いたかったのかもしれない。気がつくと僕はあのファミレスの前までやってきていた。
(何やってんだか‥‥‥、あほくさ)
僕はタバコに火をつけて、ゆっくりと吸い込み、ため息のように吐き出した。
「‥‥‥、水口、くん?」
不意に、後ろから声を掛けられた。僕は一瞬にして表情がこわばる。何とか平静を装いつつ、ゆっくりと振り返る。すると、そこにはこの前より少しやせた彼女が立っていた。

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