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in the city/静脈

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街の中で男が死んでいるのが発見された。
 男の死体は、都会の喧騒から一歩離れたその場所で、胸に大振りのナイフを突き立てられ、まるで粗大ゴミのように放置されていた。平均男性よりも体躯は小さく、苦痛にゆがんだ顔でなければ美青年の部類に入ったことだろう。
大都会とはいえ光のあたらない場所は多々ある。その一つが、この路地裏だった。両脇を煤汚れたコンクリートで囲まれ、ほとんど陽は差し込まない。奥に深入りすればするほど日常から離れていくような気分にさえなる。だが実際歩いてみれば、何て事はない。二十メートルほど進めるだけで、行き止まり。左手には、ほそいドブ川が流れており、悪臭を漂わせている。
あまり人目につかない場所の所為で、死後三十分以上経ってから、男の死体は第一発見者によって確認された。通報を受けた警官が現場に到着すると、死体の隣に倒れ伏している女性が新たに発見された。男はすでに息絶えていたが、幸い、彼女に怪我はなかった。駆けつけた医師の話によると、ただ気を失っているだけで、数時間もすれば意識を取り戻すだろうとのことだった。警察は彼女を保護し、回復につとめた。
その間、女と男の所持品から、ふたりの素性が明らかになった。
女の名前は藪崎サキ。死んでいた男――大藪竹弘は、彼女の婚約者だという。
その二人とはまったく接点のない、第一発見者のサラリーマンは釈放された。警察はサキの回復をまち、べつの視点から捜査を開始した。自殺か他殺なのか、曖昧であった。なぜなら遺体に突き刺さっていたナイフには、三人の指紋が残っていたのである。
ひとつは死んでいた大藪竹弘。
 そしてその婚約者、藪崎サキ。
もうひとつは、強盗と暴行の前科を持つ、尾藪田晃という人物だった。

 
「ああ? そうだよ、おれが殺ったんだよ。金目当てにな」
 晃は取調室のパイプ椅子に深くもたれてそう自供した。目が痛くなるほどの金髪の頭をくるくるとまわす。尋問にあたっていた刑事は調書を見ながら、
「お前は、確か半年前に出所したばかりだったよな」
 と訊いた。
「悪ぃかよ」
「再犯は、刑が重いぞ」
「はん。だからこうやって自白してんじゃねえか」
金色の頭には金色の脳が入っているらしい。罪が軽くなるのは自首した場合で、しかもその事件が未発見だという条件つきだ。反省の色も窺えないとなれば、減刑は夢のまた夢だろう。
「……ともかく、動機はなんだ? 金目当てらしいが、何を奪おうとしたんだ」
「ん? ああ、言っておくが、おれは物を奪ってねえ」
晃はさらにふんぞり返った。
だからどうした。危害をくわえたことに変わりはないだろう、と刑事は言いたかったが、先を促すためにもそれは抑えた。
「奪おうとしたが、思いのほか手強くてな、奪えなかったんだ。金持ってそうな奴に強盗をけしかける作戦はパーさ」
晃の作戦とやらが、もはや作戦じゃなくて行き当たりばったりの愚行だということには突っこまなかった。それも単独でやるとは、どこまで知能が足りないのだろうと溜息をついたが、刑事のあたえるアドバイスではないので自粛する。
「んでよ、しかたねーからナイフでずぶり、よ。でも、ま、死なねえところを刺したつもりだったんだが、やっぱり心臓の反対側でも刺したら死ぬんだな。勉強になったわ」
 人の生死までも軽い調子で語る晃に、いいかげん辟易してきたが、暴力をふるうわけにもいかないので、ぐっとこらえ尋問を続けた。この手の犯罪者と相対するときは、自分の堪忍袋の緒がキリキリと軋んでいくようだ。
「で……そのあと、すぐに逃げたのか?」
「ああ、人を刺したのなんか生まれて初めてだったからな。殴ったことはあるけどよ。それにしても、結構人間って固いんだな」
「血は、でていたか?」
「見てねえよ」
 ひと通りの尋問を終えてから、刑事は確認するようにいった。
「そうか……それじゃあお前、大藪竹弘とは、何の関係ないんだな」
 手にもっていた調書で、机をとん、と軽く叩いた。
「はぁ? いまお前何って言った?」
 金色の頭を傾げ、顔をしかめた。刑事はしかたなくもう一度訊いた。
「……何も関係はないんだな」
「いや、そうじゃなくて――名前だよ」


 その日の午後、警察署に一人の年配女性が現れた。自称霊能力者をかたるその女性は、どうやら死者の霊魂をその身に憑依させ、少しの間、その霊と会話することができるという。
 しかし警察も、そのような戯言に構っている暇はないので、彼女に門前払いを喰らわせた。外国では霊能力者が事件解決することもあるなどと言い散らし、自称霊能力者は毒づいて帰り支度をした。しかし晃の尋問を担当していた刑事は、興味半分で彼女を引き留めた。ここでは流石にまずいので、外に設置されているベンチに連れていった。なま暖かい風が全身にあたり、汗ばむような暑さを感じた。
 
 
「なあ、ばあさんよ」
「ばあさんなどではない。巫女じゃ」
「巫女……ね」
刑事は内心どっちでもいいだろと思いながら訊いた。事実、となりに腰かけているのは、百歳をとうの昔にこえたような老婆だ。顔はこげ茶色で、全体に深い皺がきざまれている。白い頭髪は、手入れを忘れてしまったかのように枯れていた。そして何やら怪しげで薄汚い着物を身につけている。
「巫女さんよ、どうしてこの事件に関わろうとするんだ?」
「霊魂じゃ」
即答した。
「霊魂?」
年老いた巫女はゆっくりとうなずいた。
「そう。死んだやつの霊魂が、たまたま近くにいたらしいわしに憑きおっての。わしの中で啼いておる」 
はぁ、溜息にも似た息を刑事はもらした。やはりこの女性は頭のどこか壊れているのだろう。流行のメンヘラというやつか。気の若いばあさんだ。
興味をもった自分が馬鹿馬鹿しくなった。ポケットから煙草の箱を取りだして一本ぬき、百円のライターで火をつけた。
しかしそんな所作に構わず、巫女は続ける。
「いっておる。無念じゃ……と」
 夜の闇が沈黙を助長し、ふたりはしばらく無言だった。
「なあばあさん」
 刑事が、肺に吸入した煙を細く強く吐き出しながらいった。
「何じゃ」
 今度は呼び名をたださなかった。 
「その男と話がしたい。やってくれるか? 金は勿論払う」
 口寄せ。
 よくテレビで、死んだ霊魂と話すという企画がある。そんな、頭の悪い番組を、刑事はいつも苦笑しながら鑑賞していた。ビクンっ、と肩をふるわせたり、ギギ……と奇声を発したり、それで取り憑かれているつもりなのだろう。そして、あらかじめ調べておいた死者の事柄を、さもありげに語るさまは、笑い以外どんな感情がこみあげてくるというのか。
『庭の盆栽を――』『俺のことは忘れて楽しく――』『元気でやってるから――』『ワンワンワン! ――』
 彼らは霊能力者ではなく、お笑い芸人なのだ。
 まったくもってくだらない。
 ゆえに刑事は、実際に目のまえでその様子を見たくなった。芸人にチップを払うのと同じ感覚。どんな奇行が見られるのだろうかと、意地の悪い期待が膨らむ。
「おお、いいとも」
 自称巫女はそんな刑事の思惑をよそに、目元にしわを寄せて笑った。
そして右手に提げていたボロボロの巾着から小道具を取り出し、降霊、という儀式を始める。目を見張り、大仰に呼吸する。いくどかそれを繰り返したあと、肩が震え出した。
 ほら、やっぱりな。刑事は唇の端に笑みを刻む。
「ギギ……ガっ、……。……、……あなたですか……ぼくを、呼び出したのは」
先程のしわがれた声ではなく、純朴そうな青年の声。なかなかやるな、と刑事は思った。
「そうだ」
「何の用です?」
「お前を殺したのは、誰だかわかるか?」
 刑事はおどけて訊いた。
 
「誰って……自分自身ですよ」
 
「…………」
 口にくわえていた煙草を、危うく落としそうになった。 
「どうしたんです? それだけでしたら帰りますよ。ぼくはもう眠いんです」
刑事は咄嗟に、巫女の言葉を思いだした。『無念じゃ……』
「……いや、それじゃ、何が無念なんだ?」
「ああ、サキに見られてしまったから……もう生きていられませんよ」
「そうか」 
「あんなところを見られたら、誰だって……」
「……気持ちはまあ、わからんでもないよ。でも、死ぬのはやりすぎじゃないか?」
「確かに、ちょっと頭が混乱していたところもあります。でも、もう秘密を知られたからには、生きていけません……」
そのとき、巫女の様子が急変した。霊魂を憑依させたときと同じように、震え出す。
「……グかっ、……、……っ、がばッ、は……話は終わったか?」
 巫女は訊いた。こげ茶色の顔に、うっすらと脂汗が滲んでいる。何があったのかわかりかねている様子だ。
 刑事はああ、といい、一万円札を二枚握らせ署にもどった。 


「……はい、そうです。私が、竹弘を殺したのです」
 次の日の午後。
サキは尋問が始まるなり、俯いてそう言った。しかし口調とは裏腹に、みずからの罪を認め、どんな罰に対しても素直に受けいれるといった、芯の強い瞳を浮かべている。
 薮崎サキ。
目鼻立ちは平凡。髪はうしろで括っている。素朴な印象だった。
刑事は溜息をつき、ごま塩頭をぼりぼりと掻いた。
「そうすると……あなたは大藪竹弘さんを刺したあと、そのまま気絶したということですね?」
 間髪いれずに女は、「はい」と言った。
「なるほど……では、少し訊きたいのですが」
「なんでしょうか」
サキは、か細い声でそうたずねた。
「なぜ……あなたは竹弘さんを刺したのですか?」
 女はしばらく沈黙したあと、
「竹弘は……私の信頼を裏切ったのです」
 熱いものを吐きだすような、苦悶に満ちた表情。
「はあ」
「あの路地裏は、わたしたちが同棲していたアパートの近くにあるので、よく通るのです。あの日、いつもと同じようにその近くを通ると、女の人がそこから急いで出てきたのです」
「女、ねえ」
「はい。私はどうしたのだろうと気になって、通りがかりにそこをのぞいてみました。……すると、竹弘が息を切らしてそこにたっていたのです。わたしはすべて理解しました。おそらく、あの女と密かに逢い引きしていたに違いありません! 私は近くに落ちていたナイフで、彼を突き刺しました。あとは……皆さんも知っての通りです」
 沈黙が降りた。取調室の格子窓から、茹だるような陽の光がさしこみ、サキの顔に沈鬱な凹凸をうかべる。
刑事はサキの様子を窺う。その視線に気づき、サキは、はっと顔を上げた。
「大丈夫です……続けてください」
「わかりました。では……彼、変な匂いしませんでした?」
「いえ……わかりません。わたしはそのとき、自分が自分じゃなくなったかのように、狂っていましたから……ただ、殺してやるっていう気持ちが強くて」
「周囲がよく見えていなかったと」
「はい。ですが顔はすぐにわかったので」
「そうですか。では、もうひとつ訊きたいのですが、さっき、女が出てきたといいましたよね。タケヒロさんと逢引きしていた、という。彼女の特徴とかおぼえていますか?」
 はい――サキは即座にうなずいた。
 
「忘れません。あの目が痛くなるような金髪は」


刑事は晃の話を聞いて、一つの仮説を立てていた。妄想と呼ばれてもしかたないぐらい荒唐無稽な仮説である。しかし三人の証言から、それは確信へと変わった。
――おそらく、これで間違いないだろう。
一階の休憩室で、煙草の煙で雲をつくり、徐々にかき消えていくのを眺める。
――あのことを知ったときの、尾藪田晃の動揺。
 彼女がまさかあんな顔をするとは思わなかった。
 そう。
 三人の証言は、すべて食い違っている。
 一人は自分が金目当てで殺したと言い、一人は自殺したと言い、一人はかっとなって殺したと言った。
 どれが正しい証言なのか。
 単純である。
 すべて真実なのだ。
 
 
 
 
 
 
 まず始めに、大藪竹弘が路地裏に入る。
 次に、尾藪田晃が竹弘をナイフで突き刺して、逃げる。
 そして、続いて入ってきた薮崎サキが、落ちていたナイフで武弘を刺す。
 最後に、タケヒロが自害する。
 何の矛盾もない。
 イレギュラーだったのは、晃とサキが、別の状態の竹弘を刺したということだ。
 
 
『そうか……それじゃあお前、大藪竹弘とは、何の関係ないんだな』
『はぁ? いまお前何って言った?』
『……何も関係はないんだな』
 
『いや、そうじゃなくて――名前だよ。タケヒロ? あいつ、オカマだったのか?』
 
 尾藪田は、女性の乳房をナイフで刺したつもりでいた。脂肪がクッションになって、致命傷には至らないだろうと、とっさに思いついたのだ。彼女らしいと言えば、彼女らしい暴力的な考えだった。けれどそのおかげで、タケヒロは死ななかった。
 ついで、サキは竹弘を刺したとき、周りの状況――具体的に言うと、竹弘の顔以外、見えていなかった。とにかく無我夢中で、手ごろな場所に落ちていたナイフを突き出した。そして、どこを刺したのかもわからぬまま、気絶したのである。


あとは……部下の報告を待つだけだ。
不健康な色合いの天井を見つめながら、短くなった煙草を灰皿に潰した。 
と、ポケットの携帯電話が鳴る。
「もしもし! 薮内さん」
 通話ボタンを押すなり、威勢の良い部下の声が聞こえてきた。
「ああ……おれだ」
「あっ、……報告します」
「あがったのか?」
「はい、現場のドブ川をさらったところ、化粧道具、婦人服、ロングヘアーのかつら、そして、女性の身体つきをかたどった肉襦袢が発見されました」
「にくじゅばん……それって、身体に直接かける形のものか?」
「はい、そしてその肉襦袢と婦人服の胸の部分に、ナイフでつくられたような穴が二つ空いていました。これから鑑識にかける予定です」
 

 

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