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第十二話 最後の言葉

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十二.最後の言葉


 阿竹宮子、御代真理、緑谷優希、一ノ瀬結花。四人が対峙しているのは、つい二時間ほど前に俺の監視が始まった場所だった。自宅玄関の前、夕日の赤がアスファルトを長細く照らしている。
 四人の間に、警戒はあったが緊迫は無かった。
「私達の負け、みたいね」
 結花がそう呟くと、緑谷は結花をぎゅっと抱きしめた。やはり緑谷は結花の熱心な狂信者らしく、今まで御代の前で堪えていた涙を結花の胸に向かってぶつけている。小さな声で、「ごめんなさい、ごめんなさい」と子供のような声が聞こえる。
「いいのよ、優希。私にはあなたがいるから」
 慰めの言葉を述べた結花の胸に、緑谷は更に深く沈んだ。
「あー……横槍を入れてすまないんだが、まだ答えを聞いていない」
 御代が気まずそうに二人にそう言った。「何のかしら?」と結花が返すと、「これから何が来るのか、だ」と答えた。先ほど、御代が緑谷にした質問は確かに未だ返答を得ていない。
「さて、何かしらね」
 答える気は無い、というよりも、当ててみて、というニュアンスだった。そう挑発されて乗らない訳が無いのが阿竹宮子だ。
「手術道具か何かでしょ?」
 結花はあっさりと答える。
「一応、根拠も聞いておこうかしら」
「あなたがもしも本気で手術をするとしたら、今日しないといけない理由がある。今日、あなたが一ノ瀬君の背後をとれたのは、一ノ瀬君が『何か』に集中していたから。逆に言えば、警戒されている限り、あなたに一ノ瀬君を拘束するチャンスはない。ましてや、堂々と手術する宣言をした後となってはね。だけど、あなたが今日まで留学していたのは事実。帰国してすぐに家に戻ってきたというのも事実でしょう。大掛かりな手術ならばそれなりの道具が必要になる。それを待っていると考えるのが妥当。」
 阿竹の推理は完璧だった。
 結花は否定も肯定もせずに、ただ例の笑みを浮かべるだけだった。
 やがて宅配便のトラックがやってきた。
 荷物を下ろした宅配便のお兄さんは、四人にじっと見つめられて気味悪がっていた。結花からサインをもらって、そそくさと行ってしまった。
「意外と小さいんだな」
 御代が荷物を見て感想を述べた。俺も心の中でそれに同意する。ダンボールは、せいぜい小型のデスクトップパソコンが入るくらいで、とてもじゃないが手術に必要なあらゆる道具が入っているようには見えない。
 しかし阿竹も御代も警戒はゆるめなかった。結花がいつ襲いかかってくるかは分からない。
 御代が結花の前に立って、阿竹が箱を開けた。中から出てきたのは、思いもよらない物だった。
「まく……ら?」
「私、それが無いと眠れないのよね」
 結花は何の気なしにそう答えた後、混乱で顔を見合わせる阿竹と御代を見て、甲高い笑い声をあげた。
「うふふ、全く馬鹿ねえ……いくら私でも、嫌がるお兄様に無理やり手術なんてするはずがないじゃない」
 これに最初に喰らいついたのは緑谷。
「手術の話は……う、嘘だったんですか?」
「手術が出来るのは本当よ。その為に留学したんだしね。でも、無理やりはダメ。私、逮捕されちゃうから」
 今更まっとうな事を言い始める結花に、その場にいた全員、プラス俺が呆気にとられた。
「単純な話よ。あっちにいる時、優希からお兄様が気になっている女の子が二人いるって聞いてね。一人は御代さんだって分かっていたけど、阿竹さん。あなたの事は全く分からなかったから、このゲームを仕組んでみたって訳」
 それを聞いた御代が、緑谷をちらりと見て、きつい口調で言う。
「悪ふざけがすぎるぞ」
「あら、ゲームは本気でやるから面白いのよ」
 阿竹がじっと結花の方を見つめる。静かな怒りの色が見てとれる。
「自分が楽しむ為に、優希や一ノ瀬君を利用したって訳?」
 結花は含み笑いをして、緑谷に問いかける。
「私の事、軽蔑する?」
 緑谷は目に大粒の涙を浮かべて、結花の方を見ていた。答えられず、ただ言葉を乞う。結花は悪魔の囁きのように優しく、諭すように語りかけた。
「してもいいのよ。私、軽蔑されるのには慣れているから」
 その瞬間、阿竹の平手打ちが結花の頬に見事に当たった。
 結花は表情を変えずに、阿竹の瞳をじっと見つめていた。
 この瞬間、俺の疑問は確信へと変化した。
 あの結花が、こんなに潔く負けを認めるとは思えない。
「手術は出来ないという事は理解した。しかしまだ解決していない問題がある」
 と言ったのは御代。乗っかったのは阿竹。
「一ノ瀬君の居場所ね」
 家の中は全て探索した。だが俺はいなかった。しかし何かあれば駆けつけられるくらいに近くにはいる。
 阿竹と御代は同時に同じ方向を見た。分かってくれていたか、と安堵すると共に、改めて賛辞を送る。
 冒頭、御代が阿竹に向かって言った台詞。
『隆志の両親は二日前から熱海へ旅行。妹は五年くらい前から海外に留学中。だから当然、今隆志は家に一人。しかも右隣の家はつい先週引越してしまったばかり。お前がどうしても隆志にプリントを渡したいと言うのなら、結局隣の家に住んでいる私に渡す他無いという事になる』
 左隣は御代の家で、右隣は引っ越しでいなくなったばかり。右隣の家が引っ越した理由は、阿竹はもちろんの事御代さえも知らない。
 俺が引越しを依頼したのである。
 今より良い条件の家と、いくらかのお金を握らせれば問題はなかった。元々あまり深いご近所付き合いは無かったのが逆に良かった。
 無論、かかった費用は全て俺が自分で稼いだ所から算出されている。
 つまり俺は今、自宅の右隣の家をわざわざ買って、そこに本部を構えている。常人の発想ではないからこそ、そこが盲点になるという訳だ。
「ここしかない」
 阿竹と御代は声を揃えて逝った。紆余曲折の末、この結論に辿りついた阿竹と御代だったが、結花は帰ってきてすぐに気付いた。本部をどこに作るかに関しては、手伝ってもらった緑谷にさえ教えていない。最終的には全て俺がやったからだ。それゆえ、結花がこの場所が怪しいと踏んだのは、ちょうど一週間前に引越しがあったという不自然さ。決め手おそらく、外から見れば明かりが全て消えているのに、電気メーターは結構な勢いで回っているという点だろう。我が妹ながら凄まじい洞察力だ。
「ご名答。中でお兄様があなた達を待っているはずよ」
 結花が満面の笑みでそう言うと、阿竹は何かを思い出して自宅の中に戻った。急いで中から持ってきたのは、学校のプリントが中に入った自分の鞄だった。そういえば、阿竹はこれを俺に渡す為にここに来たのだ。ついでに、阿竹は自分の鞄以外にもある物を一つ持ってきた。
「そういえば、まだ答えを聞いていなかったな」
「ええ。もう意味はないかもしれないけど、一応ね」
 阿竹が持ってきたそれは、黒い熊のぬいぐるみだった。二人はギブアップを宣言して部屋の外に出たので、確かにまだ答えは確定していない。
「こうなったら本人に聞くわ。今回の事で、言及したい事もいくつかあるし」
 御代もそれに同意した。
「優希、あなたはどうする? 一ノ瀬君に会っていく?」
 ずっと黙り込んだままだった緑谷に、阿竹が気を効かしてそう尋ねた。緑谷は首を横に振って、体を後ろに向けた。そして聞こえるか聞こえないかの小さな声で、
「軽蔑なんて、出来ません……」
 と、結花に言った。結花はさも当然のように、にっこりと微笑んで言った。
「お兄様を無事に改造できたら、三人で一緒に暮らしましょうっていう約束、守れなくてごめんなさいね」
 どれだけ勝手な約束をしてるんだ、と憤慨しつつも、結花が謝っている所を見るのが珍しすぎて、この二人にも並々ならぬ関係があったのだろうと察する。緑谷は何も答えず、走ってどこかへ行ってしまった。
「お兄様は今、お薬を注射して喋れないし動けない状態にしてあるわ。もちろん、解毒剤はあるから安心してね」
 結花はまるで友達のような気軽さで阿竹と御代に言った。二人は不気味そうに結花を見つめたが、結花は底なしの笑顔で告げる。
「さあ、会いにいきましょう」
 三人が、俺のいる右隣の隣家へと入ってきた。 
 この時、俺が先ほど感じた違和感の正体に気付いた。もしもそれが事実だとしたら……俺のピンチはまだ終わっていない。むしろ、これからやってくる。
 声が出るかどうか試してみるが、もちろん出ない。全身が痺れて動けず、瞬きさえゆっくりになっている。呼吸が薄く、正直このまま死んでもあまり不思議ではない。かろうじて動くのはせいぜい右手くらいだが、ペンを握られるほどの握力さえない。これでは俺の確信を、阿竹と御代に伝える事が出来ない。そしてそれこそが、結花の最初からの狙いだったのだ。
 結花は俺と二人きりの生活を望んでいた。緑谷は、俺がこのゲームを思いつき、実行する為に利用されたにすぎない。となれば、結花の目的はただ単に俺の身柄を確保し、阿竹の事を知るだけの物ではなくなる。最後に緑谷を除去できなければ、完璧ではない。
 俺はここにきて気づけた。しかし阿竹と御代にそれを伝える手段が無い。この状況さえも、結花にとっては計算のうちなのだろう。
 ドアを開けて、阿竹と御代が入ってきた。カメラを通さずに見るのは久しぶりなように感じる。
「一ノ瀬君、大丈夫?」
 阿竹が俺の身体に触れようとするのを、やはり御代が止めた。
「どこを触ろうとしてるんだ」
 一定の距離を保つ二人の後ろから、結花が割って入ってきた。
 懐から注射器を取り出して、俺の静脈に正確に注射をする。
「一、二時間くらいすれば、痺れが取れるはずよ。それまでは無理に動かないようにね」
 結花の口調が柔らかい時は、大抵良くない事が起こる。昔からそうだった。
「私はこれから優希を追いかけるわ。あなた達は、どうする?」
 結花のその質問に、まずは阿竹が答えた。
「わ、私はプリントも届けた事だし、帰ろうと思うけど……」
 ちらちらとこっち見つつ、少し迷っている所に、御代がさも当然のように言う。
「なら、私が隆志の面倒をみよう」
「ダメに決まってるでしょ。ゲームは引き分けだったのよ」
 そう言われれば反論の余地はない。
「御代さんの家には確か門限があったわよね。あれ、今でも守ってるの?」
 と、結花が尋ねると。御代は若干不服そうに頷いた。時計の針は、もうすぐ門限の時刻を迎える。
「なら安心ね。また帰ったフリして戻ってくる手は使えないわ」
 阿竹がそう言いながら、御代の腕を掴んで、引っ張った。
 もしもこのまま二人が帰った時の話はこうだ。
 結花が俺に注射したのは、解毒剤でも何でもない。更に強力な麻酔だ。その証拠に、俺の症状はよくなるどころかむしろ意識が朦朧として悪化してきている。結花はそもそも、家で手術する気なんて無かった。荷物が来るというのは俺と緑谷についた嘘だった。
 阿竹と御代さえ排除できれば、この家には俺と結花の二人しかいない。おそらく結花は、意識を失った俺を運び出し、病院に持って行く。そこで本気で手術をするつもりなのだ。
 ここまで積み重ねてきた全ての要素が、その結論を導き出している。
 無言で去ろうとする結花を、御代が止めて尋ねる。
「どこへ行くんだ?」
 結花は沢山の嘘をついてきた。そしてこれから言う事が最後にして、一番重要な嘘だ。
「追いかけるわ。優希が大事だから」
 阿竹が安堵の表情を浮かべ、御代もそれに疑問を抱かない。
 絶体絶命。
 俺はここまで、ずっと監視をしてきた。阿竹と御代を閉じ込めた事に始まり、緑谷が現れても、結花が俺を拘束しても、常に自分で動く事はせずに、見る事だけに集中してきた。
 しかし今この時に限り、俺は全力で二人に伝えなければならない。結花の嘘を見抜き、策略を破れと。
 でなければ、他の誰でもない俺が敗北を喫する事になるのだ。俺が俺を失う事になる。俺の中にいる俺が、居なくなってしまう。
 俺はありったけの力を振り絞って、どうにか右手を動かした。小刻みに震え、頼りない軌道で指を動かす。
 それに気づき、じっと見守るのは阿竹と御代。
 どうにか人差し指を突き出した。その方向が指しているのは、阿竹が抱いた黒い熊のぬいぐるみ。
「何だ? 何が伝えたいんだ?」
 御代が俺に尋ねる。当然、返事は出来ない。
「答えを言えって事かしら」
 阿竹がぬいぐるみを掲げて、御代はそれを見ながら語る。
「私が隆志と出会ったのは幼稚園の頃で、きっかけは隆志が描いた絵本を見せてくれた事だった。その絵本は、パンダが森の動物達と協力して密猟者を退治するお話で、最後は熊が自分の体を黒く塗って、クマのフリをして自分から狩られる。密猟者に撃たれたのがパンダだって事が発覚して、動物保護団体が動いて、密猟者を捕まえるんだ」
「何だか、随分と現実的な絵本ね……」と、阿竹。
「お前のきっかけは何だったんだ」
「わ、私はその……」
 一瞬口ごもる。だが、御代の圧力に負けて、本当の事を喋りだした。
「優希が一ノ瀬君に会ってみたいって言ったのよ。今考えれば、言わされてた事になるわね。だけど、私は一ノ瀬君に優希の方から会いたいと言っている事をわざと伝えなかった。私が委員長として一ノ瀬君を、引きこもりがいるからって誘ったの。そうしたら、一ノ瀬君が興味を示して、一緒に優希の家に行く事になった」
「お前は本当に腹黒いな」
 御代が関心しながら言う。
「は、腹黒いってどういう事よ!?」
 阿竹が必死になって、御代に前言の撤回を要求するが、事実なのでそれに応じる義務は無い。
 阿竹は気を取り直し、御代が述べた話を整理する。
「つまり、パンダは自分の体を黒く塗って、嘘をつく事で解決した」
 今度は御代が、阿竹の話を整理する。
「お前はその腹黒い嘘で隆志を誘って、繋がりを得た」
 共通しているのは、黒い熊のぬいぐるみと、あるキーワード……。
 二人は同時に気づき、同時に動いた。そしてぬいぐるみの耳を一つずつ掴んで、同時に答えを述べた。
「『嘘』」
 正解だ。今頃、俺の部屋のドアが再び開いている事だろう。
「また引き分けって所ね」
 阿竹がそう呟いて、御代もそれに同意した。
 二人はお互いに顔を見合って、少しの間をあけてから、笑った。が、今は和んでいる場合ではない。
「嘘?」
 二人は、背中を向けたままの結花の方を見た。
「ふふふ。結局、妹は兄には勝てないのかしらね」結花は振り向かずに続ける「安心して。さっきのは解毒剤じゃないけど毒でもないから。一眠りすれば、ちゃんと治るわ。といっても、丸一日くらい寝る事になるけど」
 確かに、さっきから意識がやばい。一度落ちたら、当分戻ってこれそうにない。
「それじゃ、私はこれで失礼するわね」
 結花はやたらあっけなく出て行った。だが、その声が震えていた事に、俺は気付いた。
 それにしても、ここまできて自ら設定したキーワードに助けられるとは、全く予想だにしていなかった事だ。
「これはやっぱり、最後まで油断できないわね」
 そう言って、阿竹が俺の隣に腰を下ろした。御代もそれに習うようにして反対側に座る。
「あなたには門限があるんじゃなかったの?」
「問題ない。……多分。お前と隆志を二人きりにする方が問題だ」
「あっそ。怒られてもしーらない」
「いや、そもそもだな……」
「何を今更……」
 二人の口論を聞きながら、俺は目を瞑った。そして螺旋階段を下るように、深い眠りへと落ちていった。
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和田 駄々 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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