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第十四話 元飼い主の発露

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第十四話 元飼い主の発露

 子供の頃、周りでは一番大きかった。
 野球をなんとなくしていたら、敵がいなかった。
 親父は珍しく俺のことで喜んで、俺をリトルリーグに入れさせた。
 そこでも、敵はいなかった。
 俺の身長はぐんぐん伸びた。
 小学校四年で百五十㎝後半。
 五年で百六十㎝前半。
 そして、卒業する頃には百六十㎝後半。
 五年辺りからは周りも伸びて、抜きん出ることはなくなったが、それでも
大きい方であることに変わりはなかった。

 俺の身長は、中学一年の夏で完全に止まった。

 しかし、不思議と俺の評価は変わらなかった。
 酔狂な中学野球雑誌は“怪童”と囃し立て、監督・コーチは「プロに行く
つもりでやれ」と言い、下宿先の親戚の家は皆、俺に野球の話しか振らない。
 本当に不思議だった。「お前ら馬鹿か? 百七十少しでプロに行けるわけ
ねえだろ!」――こう叫びだしたくなることも、中学入ってから毎日だった。
 幾ら球が速かろうと、制球が良かろうと、スライダーが“魔球”と呼ばれ
ようが、身長が低いんじゃプロは無理だ。入れるとしても、それは一握りで、
俺にはとても――
 俺は、すっかり自信をなくしていた。と同時に、野球が嫌いになっていた。
野球そのものが、というより、親戚や、監督・コーチや、マスコミ――それ
ら全てがどうしようもなく自分とズレていて、絶望していた。
 自然と、俺は思っていた。
 高校では、野球はしない――と。
 プロを目指すとかでなく、楽しむだけなら、続けたかった。甲子園を目指
すとかでもなく。
 しかし、それを許してくれない人達で俺の周りは溢れていた。
 甲子園を目指すということは、精一杯やらなくてはならない、ということ
だ。それは、プロを目指すのと同じことな気がして――周りを勘違いさせそ
うで――嫌だった。
 周りを誤魔化す為に、練習は(それとなく手を抜いて)続けつつ、俺は受
験勉強をした。
 スポーツ推薦は使わない。使えば、野球をやらなければならなくなる。一
般で入らなければならなかった。そして、一般で入る為には勉強をしなけれ
ばいけない。
 当たり前の、ことだった。

 高校に入って、野球部の練習を、一度だけ見学した。
 正直、皆俺より下手だったが、大きかった。

 毎日聞こえてくる。
「あいつ、中学で有名なピッチャーだったらしいぜ」
「嘘。じゃあ、なんで野球部入らないんだろ」
「つーか、もっと野球強い私立行くべな? 普通」
「あいつが入れば、いきなりエースじゃね?」
「甲子園とか行けるかもな」
「一回行ってみたいなー甲子園」

「なんで入らねえんだろうな」

 叫びたかった。

 三日もしないうちに、俺は学校が嫌いになった。
 自然と俺は、嫌な顔になっていた。
 そんな雰囲気では、誰も寄って来ない(あいつらみたいな馬鹿は別だ)し、
友達など出来るわけもなかった。
 心も荒み、自信は欠片もなく、俺には野球以外に何の取り柄もなかったの
だ、と日々思い知らされるのは、つらかった。
 秋まで、俺には絶望しかなかった。

 秋までは――


「よくやったじゃないか。ん? うまくあの小娘を追い出してくれたようだ
な」
 相沢勝は、巨体を揺らして笑っていた。その先には、ありすが怯えた様子
で立っていた。
「ご褒美をあげよう」
 相沢は、口元に銜えた葉巻をその太い指に挟み、ありすに向けた。
「!」
 ありすは途端に激しく震えだした。その目の中は、葉巻先端の赤い炎で一
杯になっていた。それ以外、何も見られなくなっていた。
「い……いや……やめ、て……やめ、て、くだ、さいぃ……」
「どうした? まだガキンチョのお前に、大人の味を体験させてやろうとい
うのだぞ?」
 相沢は知っていた。ありすが、煙草にトラウマを持っているということに。
 生まれてからすぐ、父親によって何度も何度も煙草を押し付けられた手は、
決して消えぬ刻印が刻み込まれていた。
 相沢は、すぐに気付いた。そして、それからは、それを使ってありすを弄
んだ。
「…あ……あぁ……」
 ありすの目は、見る見る虚ろとなっていった。明らかに、意識が失せる寸
前だ。この後、ありすは倒れ、そして失禁するのだろう。
 ありすが倒れる寸前、扉を叩く音がした。相沢は舌打ちして、葉巻を床に
押し付けて消した。ありすは、床に膝を落とした。
「入れ」
 押し殺した声で、相沢は言った。入って来たのは、美貴だった。
「どうした? 美貴」
 美貴は、鬼の形相をして言った。
「ありすが何でここに?」
「ウチとしても期待の人材だからな。ご褒美を上げていたのさ」
 悪びれた様子もなしに、相沢は言った。
「…れいんさんが何で出て行ったのか、お父さん知ってる?」
 相沢は美貴の、美貴は相沢の目を見た。相沢は、自分の娘の勘の良さを知
っていたので、全て見透かされていると思い込んでしまった。
「…お前の為だよ」
「私の? なんでよ」
「雄一君が好きなんだろう? だから――」
「…だから、れいんさんが邪魔だと思ったの? そんなことして、私が喜ぶ
とでも?」
「…………」
「…最低」
 美貴は、父親を見下すような目で見て、部屋を出て行った。
「み、美貴……俺は、お前を……」
 それきり、相沢は何も言わなかった。
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