トップに戻る

<< 前 次 >>

第十八章 アビス原野-反撃-

単ページ   最大化   

 討ち取れなかった。十分にその機会はあった。だが、討ち取れなかった。
 剣のロアーヌである。ハルトレインの一騎討ちからはじまり、メッサーナ軍退却までの間に二度、三度は首を取る機会があった。だが、それらの機を全て逸してしまい、首は取れなかった。
 運ではない。儂はそう思っていた。
 運の一言で片づけるのはたやすい事だ。あれは運ではなく、実力だ。ロアーヌ自身の実力であり、スズメバチ隊の実力でもある。そして何より、儂の軍がスズメバチに劣っていた。結論から言うならば、こういう事だ。
 対メッサーナ全軍で考えれば、良い勝負ができている。軍そのものの質で言えば、これは互角だろう。スズメバチ隊が頭一つ抜けているが、その他は儂の軍の方が上だ。特に指揮に関しては、完勝と言っても過言では無かった。
 四千を討ち取っていた。その多くは槍兵隊で、儂の軍の犠牲は僅かに四百である。そして、この四百は全てスズメバチ隊にやられた。
 たった千五百の軍勢が、あれほどまでに戦える。これはもはや、驚愕だった。指揮を執るロアーヌを筆頭に、兵全てが天下に音を鳴らす豪傑だ。というより、個々の力を余す事なく結集させ、それでかなりの力を発揮させている。
 スズメバチはまさしく、メッサーナ軍の肝だった。
 ロアーヌを討ち取る事はできなかったが、初戦は大勝だった。急襲戦ではあったが、メッサーナ軍をかなり押し込んだ形に持っていったのだ。槍兵隊には大損害を与え、戦意をもぎ取った。いきなりの初戦の結果がこれでは、総指揮官のバロンも苦しいだろう。
 今は陣を組むだけ組み、待機という形を取っていた。追撃をかけまくったが、メッサーナ軍は何とか踏みとどまり、今は堅陣を敷いている。
「大将軍、ハルトレインの縫合が終わりました」
 副官のエルマンが報告にやってきた。
「斬られた箇所は肩であったな」
「はい」
「一騎討ちは見たか?」
「いえ。バロンの弓騎兵隊を抑えるため、動き回っておりましたので」
「そうか」
 儂は見た。しかし、さすがに儂の息子、などとは思わなかった。むしろ、あの程度かと思った。
 全盛期の儂なら討てた、とは言わない。だが、もう少しマシな勝負が出来たはずだ。儂の知っているハルトレインは、もっと鋭く武器を振るい、果敢に懐に飛び込む男だ。だが、あの一騎討ちでは、そのどちらも発揮されていなかった。
 委縮したのかもしれない。天下最強の男という肩書きは、伊達ではないだろう。実際の腕前と肩書きを前にして、本来の自分が出せなかったという事は有り得る。だが、武神と呼ばれる儂には力が発揮できた。ならば、相性なのか。
 どの道、ロアーヌは討てなかったのだ。首を取る最大の機会が、この一騎討ちだったが、首は取れなかった。
 ここまで考えて、儂は戦の勝敗よりもロアーヌの首を取る事の方に興味を持っている事に気が付いた。そして、そんな自分に苦笑した。
 年老いたと自分では思っていたが、案外そうでもないらしい。若い時は、自分より強そうな者をどうにかしてやろう、とよく思ったものだった。
「さて、メッサーナ軍は、どう動くか」
「防戦、でしょうか」
 それはない。口には出さなかった。
 急襲を仕掛けてわかったが、メッサーナ軍は受けの戦は上手くない。というより、バロンが、である。バロンは攻めでこそ能力を発揮する将軍だ。守りで言うならば、クライヴの方がよっぽど良い戦をするだろう。
 ヨハンが真に優れた軍師ならば、ここで攻勢に転じてくる。しかも、生半可な攻勢ではない。槍兵隊四千を失った事など、ものともしないような強烈な攻勢を仕掛けてくるはずだ。
 ロアーヌはいわば万能であるが、あえて言うなら攻めの方が得意だろう。軍の動かし方に、そういう微妙な傾向が見えたのだ。
 どうせやるならば、最大限に力を発揮したメッサーナ軍とやり合いたい。初戦のメッサーナ軍は、お世辞にも強いとは言えなかった。それこそ、ロアーヌのスズメバチが居なければ全滅にまで追い込めただろう。
 つまり、真の戦はまだ始まっていない。急襲で、出鼻を挫いただけなのだ。いや、そうであって欲しかった。儂の武人としての血が、そう願っている。
 長生きしていて良かった。メッサーナ軍は、そう思える敵であって欲しい。
「次の戦は、ハルトレインは出られませんな」
「当然だな」
「しかし、本人は出たがっております。私としても、出て貰いたい、と思っております」
「ほう、何故だ?」
「良い指揮を執っていました。そして、ロアーヌの一騎討ちの後、兵の士気が向上しました」
 天下最強の武人と、何合と渡り合った。そして何より、肩を斬って馬を返したロアーヌは、ハルトレインの相手をしきれずに尻尾を巻いて逃げたようにも見えた。それほど、槍兵隊の状況が緊迫していたという事だが、兵達には前述のように見えていても不思議ではない。
 ハルトレインは、元から人の注目を集めるのが上手い男だった。良い意味でも、悪い意味でも、だ。大口を叩き、その通りに物事を実行する。だから、自然と注目も集まる。そのハルトレインが、ロアーヌと一騎討ちを交えたのだ。
 しかし、この次の戦には出そうとは思わなかった。メッサーナ軍が攻勢に転じてきたら、手負いの指揮官など邪魔なだけだ。
「エルマン、兵達の緊張を保たせろ。勝ったと思い、僅かに気が緩んでいる」
「はっ」
 エルマンが馬で駆け去る音を聞きながら、儂はメッサーナ軍の方に目を凝らした。
 堅陣が、攻撃の陣へと変わろうとしていた。
 後手に回るのはやめた。戦で相手の出方を見極めるのは重要な事だが、大将軍を相手にそれをするのは間違っている。私と大将軍では、器が違いすぎる。積んだ経験も、能力も、その差は歴然としているのだ。
 要は、自分の得意分野で戦う事だ。これはヨハンの言葉で、私もそれしかないと思った。
 弓騎兵は守りの戦で活躍する兵科ではない。騎馬隊も、スズメバチ隊もだ。守りの戦で力を発揮するのは、むしろ歩兵である。
 私は何の為にアビス原野に出てきたのか。そう考えると、自然と答えは出た。このアビス原野を抜き、都へと攻め入る。そして、歴史を変える。つまり、攻める為にここに来たのだ。
「ここで反撃に転じる」
 右手を挙げた。ロアーヌのスズメバチ隊が、右翼から駆けて行く。
「バロン様、ロアーヌ将軍のスズメバチですが、本当によろしいのですか?」
 すぐ傍に居たヨハンが、話しかけてきた。
 私はロアーヌのスズメバチ隊を、自分の指揮から外す事にしていた。つまり、スズメバチ隊は完全に別働隊という事にしたのだ。元々、スズメバチ隊は遊撃隊として機能していたという話だから、今回の措置はむしろ的確とすべきだろう。最終指揮権が私にあると、どうしても動きの幅が狭くなる。本隊と離れ過ぎないようにしてしまうからだ。それならば、いっその事、指揮ごと本隊から外してしまった方が良い。
「ロアーヌの直感力は並大抵のものではない。大将軍相手にも、これは活かされるはずだ。わざわざ、私の指揮で縛り付ける事もないだろう」
 私がそう言うと、ヨハンは僅かに頷いた。
 ロアーヌの直感力には、舌を巻くものがあった。私の弓騎兵と対峙した際も、この直感で攻撃を全てかわされている。
 大将軍の陣形は、守りの態勢のまま変化を見せなかった。スズメバチ隊が、大将軍の弓矢の射程圏内に入る。同時に、矢が放たれた。
「よし、騎馬隊、突っ込め。左翼の歩兵に突っ掛けろ」
 号令を出すと、すぐに騎馬隊が突撃を開始した。弓矢の的が、散っていく。スズメバチ隊の動きが、僅かに軽くなった。
 騎馬隊とスズメバチが、両翼から攻め立て始めた。さすがにロアーヌの攻め方は鋭い。錐の先端のように、歩兵の陣を割っていく。
 大将軍の陣形が、大きく崩れた。騎馬隊が攻めている方だ。
「誘いです、バロン様。騎馬隊を退かせてください」
 ヨハンが言った。だが、迷った。騎馬隊をこのまま攻め込ませれば、敵陣を真っ二つにできる。
「バロン様」
 ヨハンがもう一度言った瞬間、私の背に悪寒が走った。誘引。思うと同時に騎馬隊を退かせる。
 大将軍の歩兵が、一斉に前に出てきた。槍兵隊である。あのまま突っ込ませていれば、騎馬隊は槍の餌食になっていただろう。
 槍兵隊が前に出てきた事で、前線が攻めあぐね始めた。飛び道具で、敵軍をけん制すべきか。
「よし、弓騎兵隊、出るぞ。ヨハン、騎馬隊の指揮を任せる」
「分かりました。弓で、敵の前衛を散らしてください」
 ヨハンの言葉に私は頷き、愛馬ホークの腹をカカトで蹴った。
 弓騎兵隊が疾駆する。
 すぐに敵の前衛が見え始めた。同時に弓矢を構え、狙いをすます。
 放った。一本の矢で、敵歩兵の盾ごと吹き飛ばした。二連、三連と矢を撃ち込んでいく。さらに背後から、弓騎兵隊の矢が敵陣を襲った。
 旗が揺れた。敵の陣形が変化を見せる。
 その時だった。ロアーヌのスズメバチが、敵陣の真ん中を突き抜けた。同時に喊声。騎馬隊とスズメバチが合流したのだ。
 押せる。そう思い定めると同時に、弓矢を連続で撃ち放った。敵の前衛が散っていく。その散った所に、アクトの槍兵隊が襲いかかった。
 ジワジワと、押していく。だが、崩れない。ギリギリの所で粘りを見せている。盾を持った歩兵を前に立たせ、踏ん張らせているのだ。弓矢を射かけるも、怯えも見せない。まさに驚異的な粘りだ。
 敵歩兵の盾に無数の矢が突き立ち、針鼠のようになっていた。しかし、それでも崩れない。
 打開策を。そう思った瞬間だった。スズメバチ隊が、敵の最前衛を削り取った。先頭にロアーヌ。
「あそこだ、矢を射込めっ」
 スズメバチ隊の相手で手一杯という所に向けて、ありったけの矢を射込んだ。敵の歩兵が次々と倒れて行く。
 勝てる。
「アクト、私の背後に回れっ」
 旗を振った。即座にアクトが弓騎兵の背を守る形に陣を敷いた。スズメバチ隊が敵陣を崩し、遮二無二、突っ込んでいく。見方によっては、無謀な攻め方だが、それは支援のやり方だ。支援のやり方次第で、無謀でなくなる。つまり、ロアーヌは私を信じている。
 ならば、それに応えるまで。
 弓騎兵を二隊に分けた。一隊はカバーに回ろうとする敵兵を抑える。もう一隊は、スズメバチ隊の支援である。
 弓矢を構えた。私の放つ矢の先は、ロアーヌの進もうとする方向だ。
 敵兵を射ぬく。道を作る。
 ロアーヌが敵陣を抜けた。反転する。スズメバチ隊がそれにならった。
 瞬間、大将軍の陣が崩壊した。龍の旗印が、大きく横に揺れている。撤退の合図を出しているのだ。
 吼えていた。勝った。勝ったのだ。あの大将軍の陣を、崩した。
「弓騎兵、すぐに陣形を整えろ。追撃をかけるぞ。槍兵隊の仇を、今ここで討つっ」
 喊声と共に、原野を駆け抜ける。
103, 102

  

 さすがにメッサーナ軍だった。守りから攻めに変わっただけで、今までとはまるで違う軍になった。そしてこれこそが、儂の待ち望んでいたメッサーナ軍だ。
 儂は軍を退かせていた。ただし、あくまで戦略的撤退である。撤退の先に勝利がある。だが、バロンの弓騎兵の追撃が強烈で、これが偉く鬱陶しい。未だに振り切れず、最後尾は弓で射落とされているという状況だった。
「ロアーヌのスズメバチを押しとどめる事ができませんでした。上手く言い表せませんが、枷がなくなったというか」
 砂埃にまみれたエルマンが言った。
 枷がなくなった、というのは言い得て妙だろう。これは儂の推測でしかないが、おそらくスズメバチは完全別働隊となったはずだ。もっと言えば、本隊を無視して行動するようになった。さっきの戦のやり方から考えると、そういう答えに辿り着く。つまり、スズメバチの動きから縛りが消えたという事だ。それだけでなく、スズメバチを中心に据えて本隊が動いていた。騎馬隊も、槍兵隊も、弓騎兵隊ですらも。そして、これが恐ろしいほど厄介だった。
 歴代最強の騎馬隊を押しとどめられる力が、兵科が、今の国には無い。だから、スズメバチの行く所はどうしても成す術もなくやられる。そこに本隊が突っかかって来た。だから、持ち堪える事ができなかった。
 今のメッサーナ軍は勢いに乗っている。これを正面から対峙して防ぐのは知恵者のやる事ではない。だから、奇策で打ち破る。
 撤退する先に、丘陵が散在している。その丘陵の影に、ブラウの軽騎兵を伏せたのだ。兵力は二千にも満たない数だが、追撃軍の真横から突っ込ませれば、撹乱を引き起こせる。それを機に、逆襲する。
「エルマン、最後尾はまだやられているか」
「はい。僅かずつですが、歩兵が脱落しております。バロンは、弓騎兵を疾駆させているようですが」
 歩兵がやられているという点は見過ごせないが、弓騎兵が疾駆しているというのはこちらの計算通りだ。それだけ、後続の軍から離れる。歩兵など、もう二キロは離れてしまっているだろう。
「ズスメバチ隊は?」
「斥候を出しておりますが、見つかりません」
 一瞬、怒りがこみ上げたが、抑えた。斥候すらも取りつく事ができないほど、動きが速い。要はそういう事だ。スズメバチが完全別働隊ならば、本隊からすでに離れてしまっているだろう。
 少々、不気味だった。
「エルマン、ロアーヌは儂の策を見破るか?」
「不遜を承知で申し上げますが、有り得ます。スズメバチが見つかりません。すでに先回りしている可能性も考慮せねばなりません」
 嫌な予感がした。一体、いつからスズメバチは姿を消していたのか。そして、ロアーヌはこの戦場の事をどれだけ知っているのか。儂が撤退する先に、丘陵が散在しているという事は頭にあるのか。
「ブラウが死ぬかもしれん」
 言っていた。

 馬を疾駆させた。バロンは、レオンハルトの追撃に必死のはずだ。いや、それで良い。そういう必死さが、レオンハルトの行動を単純化させる。
 レオンハルトの撤退ルートを考えると、丘陵が散在している所に行き着く。そこは、兵を伏せるに絶好の場所だ。
 逃げると見せかけて、伏兵で打ち破る。おそらく、そういう狙いなのだろう。だが、それはさせない。俺が、スズメバチがその伏兵を叩く。それだけでなく、俺が伏兵となる。そして、レオンハルトを打ち破る。
 いや、そこまでは上手く行かないだろう。俺の動きに気付いて、どこかで踏ん張ろうとするかもしれない。バロンの追撃さえ凌げば、後の事はどうにでもなるのだ。それならば、後方から攻め込み、バロンと挟撃する方が良い。
 どの道、全ては伏兵を叩いてからだ。伏兵が居なければ、そのまま挟撃を仕掛ける。
 その時、丘陵が見えた。さらに敵兵が見えた。丘に隠れる準備をしている。
 俺の予想は当たっていた。つまり、レオンハルトの策を見破ったのだ。
 敵兵が、こちらに気付いた。ただ、気付いただけで、敵か味方かの判別は出来ていない。何人かが、様子を窺うように前に出てきた。
 今なら不意を打てる。
「逡巡するな、突っ込めっ」
 声をあげ、剣を構えた。敵は、まだ陣すら組んでいない。前に出ていた敵が、後ろの味方に向かって何か叫んでいる。敵襲、そう聞こえた。
 次の瞬間、ぶつかった。横腹を突き破る形になった。敵兵の悲鳴、それが後方にまで伝わり、やがて全体に伝わった。敵が右往左往する。奇襲同然だった。完全な不意打ちである。容赦せず、敵を討つ。
 逃げ惑う兵には目をくれなかった。いくら兵を討った所で、指揮官を討たなければ意味がない。だが、指揮官らしき男が見つからない。一般兵と同じ兵装なのか。
 ふと、一つに固まった兵団が見えた。五十名ほどだが、統制が取れている動き方だ。そのすぐ傍に、ジャミルが率いる八番隊が居る。
 その兵団が混乱から抜けた。
「ジャミル、あれを追えっ」
 叫んだ。同時に、八番隊から二十名ほどが抜け出た。先頭にレン。
 兵団を背後から突き崩し、統制の中心の男にレンが取り付く。その男が指揮官だ。やれ。
「やれっ」
 レンと男が、やり合っている。レンが槍で男の槍を吹き飛ばした。次の瞬間、一閃。
 レンの槍が、男の胸を貫いていた。レンが、素早く槍を引き抜く。
「敵将、討ち取ったりっ」
 まだ若い童の声が戦場に轟くと同時に、馬に乗っていた男は、まるで物の如く地面の上に転がった。
 胸騒ぎが消えなかった。このまま撤退を続行して平気なのか。
「エルマン、伝令を」
 ブラウの元へ出せ。そう言いかかったが、胸騒ぎがそれを抑えた。すでにブラウは死んでいる。そう思った方が良い。スズメバチ隊が見つからないのだ。少なくとも、バロンの本隊周辺には居ない。ならば、もう先回りをしていると考えるべきだ。
「大将軍?」
「あと一キロだけ撤退を続ける。そこで陣を敷き直し、バロンを迎撃するぞ」
「一キロ、ですか? ブラウの居る丘陵はまだ先ですが」
「もう遅い。ブラウは死んでいる」
 儂がそう言うと、エルマンは僅かに目を見開いた。場合によっては、見捨てるという事になりかねない。それで、少し動揺したのだろう。だが、儂の勘が、武人としての勘が、策はすでに破られている、と言っているのだ。今まで、この勘が外れた事はない。
「せめて、伝令だけでも」
「エルマン、その甘い考えは捨てろ。スズメバチは、儂の軍より上なのだ。そして、ロアーヌは儂を超えつつある」
 それで全てを伝えた。エルマンは唇を噛みしめ、僅かに身体を震わせた。
 儂のとった策が、稚拙だった。どこかで、メッサーナ軍を若僧扱いしていた。儂の方が上だという驕りも抱えていた。もし、本当にブラウが討たれていたとするならば、全ては儂の責任にある。
 だが、悔いるのは後だ。まずはこの戦を終わらせる。
 バロンの弓騎兵と後続の軍が、かなり離れている、という報告が入った。今ならば、受け切る事ができる。弓騎兵単体なら、それほど脅威ではない。
 一キロ、撤退を続けた。広い原野に出た。
「エルマン、横陣だ。重歩兵を前に出し、第一の矢の盾とする」
 すぐに兵が陣を組んだ。同時に、弓騎兵が疾駆してくる。
 第一の矢が、放たれた。数人が地に伏したが、犠牲と言える犠牲は出ていない。
 守りを解いた。重歩兵を左右に分け、槍兵を前に出した。無論、弓騎兵には追い付けない。重要なのは、プレッシャーを与える事だ。
 弓騎兵の動きが鈍る。
「エルマン」
 儂が言うと同時に、エルマンが騎馬隊を率いて動き出した。バロンの注意が、そちらに向いた。さすがに着眼点は鋭い。手強いのはどの隊なのか、それを見極める事が出来ている。
 儂は背後に気を配っていた。スズメバチがいつ来るか分からないのだ。本来なら斥候を出すが、スズメバチには、斥候ですら追い付けない。だから、どうしても待ち構える、という形になる。ブラウを蹴散らし、そのまま伏兵となる可能性もあるが、その可能性は限りなく低いと考えた方が良い。儂の策を見破った時点で、そんな器ではないと証明しているのだ。
 場合によっては、バロンと挟撃される事になる。エルマンがバロンに大敗した場合の話だ。そうなれば、もう勝ちはなかった。首も取られる。
 つまり、追い込まれる可能性を孕んでいるのだ。
 エルマンとバロンの勝負が始まった。歩兵はエルマンの支援に回っている恰好だが、バロンはあまり意に介していない。だが、小うるさい羽虫のようなもので、決して無視は出来ないだろう。
 エルマンの騎馬隊が、蛇のようにうねった。弓矢を受けながらの動きだが、犠牲はほとんど出していない。
 巻き付く。そう見えた瞬間、弓騎兵がまばらに蛇の身体を突き破って出てきた。武器が弓から剣に持ち替えられている。あの弓騎兵、近接戦闘もやるのか。
 エルマンの騎馬隊がひとつの塊になり、バロンの弓騎兵を追った。弓騎兵は長く伸びて、蛇のようになっている。そのまま円を描くようにして、エルマンの騎馬隊を囲った。
 気が立ち昇った。そう思うと同時に、弓騎兵の矢がエルマンの騎馬隊を貫いた。だが、やられてはいない。エルマンは瞬間的に塊を解いて、弓矢をかわしたのだ。そのまま、弓騎兵の囲みを突破し、反転する。
 バロンが焦っているのが分かった。あの男の狙いは、儂のはずだ。儂を討つためだけに、弓騎兵を疾駆させてきた。後続の軍を待たずして、儂を追い続けてきた。それなのに、副官のエルマンに手こずっているのだ。
 エルマンが騎馬隊を二つに分けて、左右から攻め始めた。対するバロンの弓騎兵は、その隙間を縫うようにして駆けている。バロンは反撃をしたがっているが、反撃できるという所に歩兵が居て、思い通りの戦は展開できていない。
 片方の騎馬隊が、弓騎兵に取りついた。そこから崩れる。そう思えた瞬間、バロンが矢で前衛を三人まとめて吹き飛ばした。それで、弓騎兵は騎馬隊を振り切った。改めて思うが、あの弓技は達人の域を超えている。一本の矢で、人を三人も貫くのだ。それも具足ごとである。
 しかし、エルマンは委縮しなかった。果敢に騎馬隊と歩兵を指揮して、弓騎兵に再び取り付こうとしている。一方のバロンは、それを撒(ま)こうと必死だ。弓騎兵が本来の力を発揮するには、今はエルマンとの距離が近過ぎる。だが、撒こうにも、歩兵が邪魔なのは明白だった。
 二人の力は互角だった。しかし、これも今だけだ。バロンの後続軍が来たら、この勝負の均衡はすぐに崩れるだろう。エルマンはバロンの相手で手一杯だ。そこにヨハン、アクトが出てくれば、戦い続ける余裕など無くなる。
 しかし、そうなった場合でも、儂は軍を出す事ができない。
「スズメバチの備えをしなければならん」
 メッサーナ軍の狙いは、儂一人だ。儂一人の首に、全てを賭けている。
 スズメバチ。たった千五百の軍勢。だが、その千五百騎が、今もっとも脅威だった。そして。
「天下最強の男、現るか」
 振り返る事もなく、分かった。凄まじいまでの気が、儂を貫いたのだ。凡人なら、ただそれだけで馬から落ちていよう。
 そして、やはりロアーヌは儂の策を見破っていた。それだけでなく、儂が撤退を取りやめ、ここで踏ん張る事すらも読んでいた。
「すまなかった、ブラウ」
 遠く見えた虎縞模様の軍勢は、血に染まっていた。ぼろぼろになったブラウの旗が、風の中で舞っている。戦意を削ぐ為に、わざわざ持ってきたのだろう。
 その旗が、投げ捨てられた。そのまま疾駆してくる。虎縞模様。スズメバチ。
「儂を超えるか。武神を、軍神を、超えるか、ロアーヌ」
 バロンの後続軍が到着する前に、この武神が天下最強の男を討ち取る。そして、天下分け目の戦に勝利する。
「一騎討ちだ。貴様と儂の、全てを賭けた一騎討ちだっ」
 剣を鞘から抜き放ち、振り下ろす。
 兵と共に駆ける。馬の振動が、身体の芯まで響いた。それが心地良かった。
 儂の全てを賭ける。勝負だ、剣のロアーヌ。
105, 104

シブク 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る