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第十九章 アビス原野-激戦-

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 父であるレオンハルトから、本陣の守備を言い渡されていた。いや、守備と言う名の留守番である。手負いの指揮官が戦場に出ても、力を十分に発揮する事ができない。父は、そう考えている節がある。
 だが、肩だった。肩を斬られただけなのだ。傷も深くない。それなのに、父は共に戦に出る事を許さなかった。
 だからと言って、私は大人しくしているつもりはなかった。あくまで、命じられたのは本陣の守備である。そして、禁じられたのは共に出陣する事だ。この二つを守りさえすれば、軍令違反にはならない。
 詭弁なのは分かっていた。だが、私は悔しかった。剣のロアーヌに及ばなかった事が。自分の実力すらも、出し切れなかった事が。私は、こんな所でウジウジとしている訳にはいかないのだ。
 密かに、斥候を出していた。戦況を知る為である。戦況次第で、軍を出すかどうかを決める。闇雲に軍を出す事だけは、したくなかった。あくまで、戦略として出陣する。
 しばらく、営舎でジッとしていた。肩の傷がじくじくと痛んだが、意には介さなかった。
「注進」
 声が聞こえると同時に、私は立ち上がった。斥候の兵が営舎の中に飛び込んできた。
「注進です。レオンハルト大将軍は、メッサーナ全軍と激突するも敗れ、現在は退却中」
 父が敗れた。それが、いささか信じ難かった。だが、本当の敗北ではないはずだ。つまり、退却は戦略の内だと考えて良い。
「撤退ルートは」
「丘陵を目指しております。その丘陵にはブラウ副官が」
 撤退しつつの迎撃ではなく、伏兵で逆転を狙うつもりだ。つまり、かなり強烈な追撃をかけられているという事になる。
「敵軍の動向は」
「バロンの弓騎兵が追いすがり、他は遅れております」
「スズメバチは、どうした」
 一番肝心な所だろう。苛立ったが、表情には出さないようにした。
「申し訳ありません、見つける事ができませんでした」
 何を悠長な事を。いや、斥候の兵を怒鳴り散らしても意味がない。
 スズメバチを見つける事ができない、というのは不可解だった。まさか、本隊とは別行動を取っているのか。それならば、何故。スズメバチは追撃の要として機能するのが当たり前ではないのか。
「いや」
 父の撤退ルートの先で待ち構えている可能性がある。もっと突き詰めれば、ブラウを蹴散らして、逆に伏兵として備えているという事も有り得る。
 すぐに卓上の地図に目をやった。ブラウが居る丘陵と、父の撤退ルート、戦場を繋ぎ合わせる。
 無理な距離ではない。いや、スズメバチなら十分に可能な距離だ。
 父は気付いているのか。もし、何も知らずに撤退を続ければ、伏兵で一網打尽にされる。
「ハルトレイン、騎馬隊のみで出陣する」
 決断すると同時に、言っていた。陣営が急に慌ただしくなった。
「私は二千の騎馬隊で大将軍の救援に向かう。お前達はしっかりと本陣を守備せよ」
 呼びつけた大隊長らにそう言い、私は馬に跨った。
「騎馬隊、出陣っ」

 やはり、待っていた。レオンハルトは、俺を待っていた。伏兵を蹴散らした後、俺はすぐにスズメバチをレオンハルトの撤退ルートへと向けた。そのまま兵を伏せるという選択肢は、俺には無かった。
 レオンハルトは、俺の動きを読む。俺が、レオンハルトの策を読んだようにだ。そして、それは間違いではなかった。レオンハルトは俺が伏兵を蹴散らし、そのまま撤退ルートまで攻め上がって来る所まで予想し、軍を待機させていたのだ。
 バロンに全軍で当たっていれば、背後から俺の強襲を受けてしまう。そういう所まで読んで、レオンハルトは戦を展開していた。
「俺が武神に追い付いたのか、武神が俺のレベルにまで落ちたのか」
 剣を鞘から抜いた。これ以上にない程、血が燃えている。レオンハルトは、待っていたのだ。俺が来るのを、待っていた。
「待たせた、とは言わん。そして狙うは、大将軍レオンハルトの首のみ」
 天寿を迎える前に、俺がこの手で討ち取る。
「勝負っ」
 レオンハルトの軍勢は騎馬が一千、歩兵が二千という所。残りの数万は、後方のバロンとやり合っている。
 俺の千五百騎に対して、騎馬と歩兵を合わせて三千。
 雄叫びをあげた。後ろに続く兵が、それにならい、雄叫びは喊声へと変わる。
 顔が見えた。レオンハルトの騎馬隊。
 ぶつかった。首。血と共に宙へと舞う。そのまま、真っ直ぐに斬り進んだ。四方八方から金属音が鳴り響く。
 騎馬隊の中を突き抜けると、歩兵が槍を揃えて待ち構えていた。逆茂木(さかもぎ:馬止めの柵)を連想させるそれは、馬の勢いに怯まず突っ込んでくる。
「反転っ」
 蛇のようにうねり、スズメバチが原野の土を巻き上げる。レオンハルトの騎馬隊も、反転していた。両軍の旗が、風ではためく。
「決して旗を倒すな。味方に、敵軍に、スズメバチここに在りという事を知らしめろっ」
 言うと同時に、レオンハルトの龍の旗印も天に突き上げられた。
 武神、ここに在り。旗が、そう言っている。
 ひとつの塊となった敵の騎馬隊と、ぶつかる。だが、今度は敵中に斬り込まなかった。軍を左右に分け、敵を削り取るように表面を駆け抜ける。そして、合流した。
 だが、その先に歩兵が待っていた。俺の動きを読んだ上での、歩兵。反転は間に合わない。
「二番、三番隊、敵歩兵を止めろっ」
 二隊がスズメバチの群れから横にそれ、歩兵を踏み荒らす。だが、何人かの兵が馬上から突き落とされていた。それを視界の端で捉えた。
 相手はレオンハルトなのだ。そう思い、龍の旗へと目をこらす。
「タイクーン、お前も見えているか。あの旗が、天下への道だ」
 風が顔を打つ。再び、敵の顔が見えた。
 敵の矢が飛んでくる。俺はそれを弾き飛ばしながら、剣を振るった。剣が舞う度に、敵兵の首が宙に飛ぶ。
 幾度となく、レオンハルトの騎馬隊の中を突っ切った。それと同等に、俺のスズメバチも突っ切られた。その度に両軍は損耗した。
 それでも、旗は降ろさなかった。スズメバチの旗。戦場に居るだけで、士気が上がる。今は亡きシグナスは、俺のスズメバチをそんな風に言ってくれた。
 旗手は、必死だろう。レオンハルトの旗も降りないのだ。バロンも、そしてレオンハルトの副官も、俺達の旗を見ながら戦っている。だから、絶対に降ろす訳にはいかなかった。
 二つの騎馬隊が、原野を併走していた。スズメバチは長く伸び、レオンハルトの騎馬隊は一つの塊になっている。
 両軍の距離がせばまって行く。武器と武器が触れ合う寸前、大きな岩山が両軍を割った。呼吸にして三つ。岩山の影から飛び出る。
 レオンハルトが居ない。そう思った刹那、正面から矢の嵐が飛んできた。弓兵隊を伏せていたのだ。俺の居る一番隊だけが、他の小隊から離れた。矢によって分断されたという恰好だった。
 同時に、レオンハルトの騎馬隊が俺に追いすがる。さらにその後ろを残りの小隊が駆けた。しばらく真っ直ぐに駆け、ある地点で大きく半円を描いた。それに呼応するかのように、一つに固まっていたレオンハルトの騎馬隊が、長い一列となった。その最後尾に向けて、疾駆する。
 タイクーンの身体に力が漲る。部下達より、馬一頭分ほど前に出た。
 最後尾を掠める。敵兵を二人、斬って落とした。そこを部下が駆け抜け、残りの小隊と合流する。今度は、俺がレオンハルトを追いかける格好になった。
 その時、レオンハルトが騎馬隊を左右に割った。そのまま反転し、俺のスズメバチの横腹を貫く。何人かの兵が突き倒された。さらに空いた正面に敵の槍兵。槍の穂先を揃えている。
「反転っ」
 叫んだ。槍兵が駆けてくる。穂先が触れるか触れないかの所で、全小隊が反転した。だが、次は騎馬隊が真正面に居る。
 選択肢はなかった。騎馬隊の中を突っ切る。視線を上にやった。龍の旗印。レオンハルトは、この騎馬隊の中に居る。
 ぶつかる。先頭の敵。斬って落とし、さらに突き進む。後方で金属音が鳴り響く。敵兵が行く手を遮ろうと、前へ前へと出てきた。それらを全て斬り倒す。だが、敵はそれでも怯まない。
 抜け出るか。そう考えた瞬間、直感が何かを捉えた。この先に、居る。固執しなければ、という条件付きではあるが、剣を交える機を得られる。あのレオンハルトと。
 サウス戦での二の舞はしない。あの時の俺は、サウスの首にこだわり過ぎたせいで敗戦した。
 敵兵の圧力が増した。明らかに焦っている。ここまで深入りされるとは考えていなかったのか。両側から、絞り込むように敵が圧し掛かって来た。それを斬り、部下も俺にならった。退がろうとする者は誰一人として居ない。
 敵兵。剣を振り上げている。見止めると同時に、一閃。敵の腕が、宙を舞った。それが地に落ちる前に、首を斬り飛ばす。血が上空に向けてしぶきをあげた。
 その赤いしぶきの先。
「レオンハルトっ」
 見つけた。伝説の男。タイクーンに意志を伝える。あの男の元に、俺を。
「剣のロアーヌ、ついに来たか」
 眼光が鋭い。それでいて、殺意が微塵程度しかない。その代わりに、燃え盛る程の闘志が宿っている。これが、武神の眼なのか。
 敵兵が両側から襲い来る。だが、何もしなかった。すぐに部下が割って入り、敵兵を斬り倒す。
 乱戦。やれるのは三分が限界だろう。
 あと馬二頭分の距離。四方八方から、敵の武器が飛んでくる。それを部下が防ぎ、俺の道を作った。
「レオンハルト、勝負っ」
 叫んだ。二人だけの空間。レオンハルトが剣を構え、馬の手綱を引いた。
 剣。素早く、横に振るった。だが、仰け反るようにかわされた。態勢を戻すよりも先に、レオンハルトの剣が飛んでくる。それを剣で跳ね上げ、さらに距離を詰める。
 レオンハルトの剣。振り切ってくる前に、手首を掴んだ。俺の剣を。そう思った瞬間、レオンハルトも俺の手首を掴んできた。
「天下最強の男とも、まだまだ渡り合えるようだな、儂はっ」
「俺が天下最強とは笑わせるっ」
 兜ごと、頭突きを食らわせた。レオンハルトが怯む。同時に、剣を振った。
 血。いや、違う。レオンハルトの髭だった。灰色の髭が、宙を舞っている。レオンハルトを見ると、髭が水平に斬られていた。あと数センチ、いや、数ミリ奥に剣を振っていれば、首だった。
 その刹那、レオンハルトの剣が飛んできた。弾く。同時に殺気。右からだ。見るよりも先に、タイクーンの手綱を目いっぱい引いた。
「立てぇっ」
 タイクーンがいななくと同時に、棹立ちになる。その空隙に向かって、槍が突き出された。地に降り立つと同時に敵兵の首を飛ばす。さらに殺気。
「儂を相手によそ見とはっ」
 剣。かわせない。斬られる。
 瞬間、一本の槍がレオンハルトの剣を弾いた。その槍の元へと視線を移す。
「父上、俺も共にっ」
 レンだった。レンが俺に追い付いていた。
 レンと一緒なら。そう思ったが、これ以上の戦闘は難しい。遠くに居た敵歩兵が、駆け寄ってきているのだ。
 旗を振らせた。即座に小隊ごとにまとまって、レオンハルトの騎馬隊から抜け出る。
 もう一度、直接レオンハルトと闘う機を。駆けながら、俺はそう考えていた。レンと共に闘えば、おそらく次で首が取れる。一対一ならば、僅かではあるが、俺の方が強い、という気がしたのだ。これにレンを加えれば、レオンハルトの首が取れるはずだ。
「レン、俺の側を離れるな」
「父上」
「もう一度、レオンハルトと闘う機を作る。その時、お前の力が必要だ」
 それだけ言って、俺はタイクーンの腹を腿で締め付けた。すぐに駆け出す。
 その横を、レンが遅れまいと駆けていた。
 レオンハルトも歩兵と騎馬隊の陣を整え、間もなく動き始めた。仕切り直し、という事だ。
 両軍の旗は、まだ風の中で舞っている。 
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 まだ、旗は立てられている。
 ロアーヌとレオンハルトの旗だ。両軍はぶつかっては離れ、離れてはぶつかる、という事を幾度となく繰り返していた。そして、その内の一回は、ロアーヌがかなり奥深くまで食い込んだ。その時、一瞬だけレオンハルトの旗が傾いた。
 ロアーヌは、武神の首に肉薄したのだ。
 私の弓騎兵が参戦できれば。私の弓だけでも、それなりの支援が出来る。ただ、そうするには、この目の前の男を倒さねばならない。
「しぶとい、これがレオンハルトの副官か」
 はっきり言って、そこらの将軍よりもよっぽど能力のある男だった。数万の騎兵と歩兵を巧みに指揮し、私の弓騎兵をかき回してくる。中でも騎馬隊の指揮は果断で、かつ勢いもあった。そんな騎馬と比べれば、歩兵はついでのようなものだ。こういった面を考えると、力押しを好む男なのだろう。ただ、シーザーのように無配慮という訳ではない。細かい部分も見れており、隙は見えないのだ。
 負ける敵ではない。ただ、勝てるという訳でもない。何かで、ほんの小さな何かで、勝敗が決まる。言ってしまえば、そういう事だ。決定的なのは、後続のアクトとヨハンが追い付いてくる事だが、それを恃みにしようとは思わなかった。そういう考えで、追撃をかけた訳ではないのだ。
 とにかく、目の前の男を倒す事だった。私の弓騎兵で、私の力で、倒す。
 原野を駆け回る。男は歩兵を使って、私の駆けようとするルートをしきりに潰そうとしてくる。それを何度も弓矢で散らしたが、焼け石に水だった。射倒せる兵の数が、かなり限られているのだ。相手の歩兵は、弓矢を防ぐ調練を相当に積んでいる。
 だが、私の狙いは歩兵ではなく、騎馬だ。あの騎馬隊の中に、レオンハルトの副官は居る。
 立ちはだかる歩兵の合間を、縫うように駆けた。前方から、相手の騎馬隊も近付いてくる。このまま、正面からぶつかってやる。
 先頭の敵の顔が見えた瞬間、全隊で弓矢を放った。敵が次々に落馬した。そのまま構わず突っ込んでくる所を、掠めるようにかわす。最後尾の弓騎兵が、何人か斬って落とされる。
 小競り合いが続く。そう思い、反転しようとした瞬間、目の前に歩兵。岩陰から突然、出てきた恰好だった。方向転換。合図を出したが、横から抉られた。
 隊が乱れる。密集しろ。そう指示しようとした瞬間だった。相手の騎馬隊が後方から矢のように突っ込んできた。統制の取れていない隊が、次々と蹴散らされていく。これでは密集できない。
「散れっ、的を絞らせるなっ」
 叫び、愛馬ホークの手綱を引いた。反転する。同時に弓矢を構えた。
 相手の騎馬隊が、一つの隊に狙いを絞った。殲滅させるつもりだ。その敵の先頭に向けて、矢を放つ。敵兵が馬上から吹き飛んだ。
 それでも構わず、疾駆している。もう一度、弓矢で。そう思った時、歩兵が射撃ルートに立ちはだかって来た。それを散らす。その間に、追い回されている弓騎兵が、次々に脱落していった。
 近距離に持ち込まれると、脆さが目立つ。その調練は十分に積んだはずだったが、戦えるというだけで得意ではないのだ。
 ホークの腹を腿で絞り上げた。迫って来る歩兵をかわしながら、相手の騎馬隊の横につく。そこに向かって、部下と共に矢を射込んだ。それでようやく、追われていた弓騎兵は敵の騎馬隊を振り切った。
 敵の騎馬隊が、こちらに狙いを変えた。なんと、弓矢を構えている。
「本家とやり合うというのかっ」
 燃え盛った。
 両軍の弓矢。無数の風切り音が、戦場に轟いた。次々に敵味方の兵が落馬する。
 岩。そこで両軍が割れ、風切り音が止んだ。飛び出す。その時には、もう弓矢を放っていた。弓を構えていた敵が吹き飛ぶ。
 さらに併走しながら、相手の弓矢に応酬した。進む先に歩兵。槍を構えている。それに向かって矢を放った瞬間だった。
 身体が横に弾き飛ばされた。地面。鐙(あぶみ)に足が引っ掛かっていた。ホークに引きずられている。同時に肩に激痛。
「流れ矢かっ」
 具足を貫き、突き刺さっていた。
「将軍っ」
 部下が私の周囲を固める。手を差し出してきた。それに掴まり、ホークに跨り直した。落馬しなかっただけ、良しとするべきなのか。いや、それだけでなく、ホークは荒れている地面の上を走らなかった。
 ただ、もう自由に弓は引けない。ここぞという場面に限られる。それでも、運が良かったとするべきなのか。
 敵の攻撃が激烈になっていた。私が落馬しかかった事を見逃さなかった、という事だ。味方も動揺して、攻撃の手が緩くなってしまっている。
 これを打開するには、やはり指揮官を直接、仕留めるしかない。
 だが、至難の業だ。レオンハルトの副官は先頭に立つタイプではなく、後方で指揮を執るタイプの指揮官だ。これを引きずり出すのは難しい。性格的欠陥もない。
 そんな思案をしていると、後方から馬蹄が聞こえてきた。振り返る。
「ヨハンっ」
 後続軍の一つ、ヨハンの騎馬隊だった。アクトの槍兵隊を置いて、単身で疾駆してきたのか。
 さらに馬蹄が聞こえる。ロアーヌとレオンハルトが激戦を繰り広げている、さらに後方。
「馬鹿な」
 背筋を冷たい汗が伝うのが分かった。
「敵の、援軍」
 騎馬隊だった。二千は居る。
 ロアーヌがまずい。このままでは、挟撃される。レオンハルトと、あの援軍に挟撃される。いかにロアーヌと言えども、挟撃されれば死地に立たされる事になるだろう。ただでさえ、レオンハルトとは兵力差があるのだ。
 信じられなかった。なんというタイミングなのか。レオンハルトは、ここまで読んで兵を動かしていたのか。それとも、あの援軍の指揮官の判断なのか。
 急がなければ。レオンハルトの副官を、仕留める。もう一刻の猶予もない。
「ヨハン、歩兵は任せた」
 右手をあげ、合図を出した。すぐに騎馬隊が歩兵を蹴散らし始める。
 まずは、あの副官を引っ張り出す。引っ張り出すには、それなりの餌が必要だ。
「私がその餌となる」
 メッサーナ軍総大将。さらに手負い。これ以上にない程の餌だ。
 部下を追い抜き、軍の先頭に立った。敵兵が、驚いている。
「私は鷹の目、バロンだっ」
 出て来い。出てきた瞬間、私の矢で撃ち貫いてやる。
 スズメバチの旗は、まだ風に舞っている。敵の援軍が、そのスズメバチに食らいつこうとしていた。
 剣のロアーヌ。ついに、儂を超える人間が現れた。それはつまり、儂の時代の終焉と、世代交代を意味していた。
 集団戦は互角だった。いや、兵力差を考えれば、むしろ劣っているだろう。同数で戦えば、おそらく敗れる。これは、兵の質、指揮官の質を併せた上での結論だ。スズメバチは、まさに最強の兵団だった。
 個人戦については、もはや言うべくもない。老いという名のどうしようもないハンデがある事に加え、天稟さえもロアーヌに分がある。つまり、全盛期であっても敵わない、という事だ。
 このロアーヌと双璧を成していたのが、槍のシグナスだった。つまり、武に関して言えば、儂を超える人間は二人居た、という事になる。
 若い頃であったなら、驚愕と同時に恐怖に包まれただろう。だが、今は違う。むしろ、歓喜に近い。儂は生き過ぎる程に生きた。軍人として、男として、生き過ぎる程に生きたのだ。
 六人の息子が居た。その末っ子に、ハルトレインが居た。この末っ子が、儂を超える人間だと思い定めてきた。だが、今一つ、物足りなかった。そこにロアーヌが台頭し、儂を追い詰めてくれた。これで時代は変わる。儂はそう思った。天下分け目の戦の勝敗とは別に、儂とロアーヌの勝敗が、そこにはあった。
 だが、別の意味で時代は変わろうとしている。そして、その時代はロアーヌの時代ではない。
「ハルト、スズメバチを後方から突き崩せっ」
 どういう訳なのか、ハルトレインが援軍として駆けつけてきたのだ。本陣の守備を言い渡したはずだった。それが、二千の騎馬隊と共に現れた。
 次の時代を担うのは、ハルトレインだ。ハルトレインが、次代を引っ張っていく。そして、剣のロアーヌはこの地で果てる。武神、レオンハルトの血筋によって、ロアーヌの命はここに散る。
 ハルトレインが勢いをつけて、スズメバチの後方を撃ち貫いた。それで崩れる。普通なら、いや、どんな強固な陣を敷いていようとも、崩れる。それほど、強烈な一撃だった。
 だが、ロアーヌのスズメバチは違った。
「さすが、と言うべきなのかな。もはや、あれは」
 異次元の騎馬隊。スズメバチは崩れなかった。だが、それでも全体の三割は削り落した。
 あと五分でカタを付ける。エルマンにも、勝たなくても良い。とにかく、五分だけ踏ん張れ。そういう命令を出した。
 すぐに騎馬隊を動かす。ハルトレインも儂に呼応し、再び挟撃の構えを見せた。その狭間を、ロアーヌのスズメバチが駆けている。
 次にロアーヌが取るべき行動。それは、一つしかなかった。

「父上、来ますっ」
 すぐ隣に居るレンが、声をあげた。
 援軍としてやってきた騎馬隊が、再び突っ込んでくる。数は二千と多くはないが、何より新手だ。力を持て余しているといった感じで、一度の突撃の威力が半端なものではない。
 俺の軍は、レオンハルトとの死闘で疲れが出始めている。
 もう、まともには受け切れない。受け切れば受け切る程、こちらがやられる。さっきの後方からの突撃も、予想以上の損害だった。不意打ちという点はあるにしても、それでも全体の三割の兵が討たれたのだ。
「小さく固まって、騎馬隊の奔流をかわせっ」
 すぐに合図を出す。小隊ごとに一つの岩のようになり、敵軍の攻撃を受け流した。それでも、何人もの兵が落馬している。
 このままでは、全滅する。だが、逃げる事もできないだろう。相手は、あのレオンハルトだ。さらには挟撃という最悪の状況である。まさに、死地だった。
 バロンが救援に来てくれれば、抜け出せる。しかし、その余裕があるのか。ヨハンの騎馬隊が合流したとは言え、レオンハルトを攻撃する余裕までは見えない。と言うより、副官がやらせはしないだろう。すでにその副官の動きも、勝つためのそれから、負けないためのそれに変わっている。
 だから、独力で何とかするしかない。
「父上、総大将を討ち取るしかないと思います。一番隊と八番隊以外は、すでに満身創痍です」
 俺の居る隊と、レンの所属するジャミルの隊である。他の隊は、ズタボロと表現するのが相応しかった。動きがまずかったわけではない。兵の質が劣っていたわけでもない。あえて言うなら、小隊の指揮官のセンスだった。どこから攻め入り、どこを駆け、どこから抜け出るか。攻撃一つを取って見ても、その指揮官のセンスが問われる。そのセンスの僅かな差が、今の小隊の状態を現わしていた。
 レンが言うとおり、レオンハルトを討ち取るしかないだろう。この死地を脱する術は、それ以外にない。
「よし、一番隊と八番隊を中心に据え、レオンハルトの首を狙う」
 俺がそう言うと、レンの眼に闘志が宿った。その眼に、俺はシグナスを重ねた。唯一の友であり、俺の武と肩を並べた天下最強の槍使い。
 ふと、戦に出る前に見た夢を思い出した。激しい喧騒の中にシグナスが居て、手を差し伸べてくる。だが、その手を掴む事ができない、という夢だった。
「父上?」
 レンが怪訝な表情を浮かべ、俺の顔を見ていた。
 シグナスを思い出していた。そうは言えなかった。
「一直線に駆け抜ける。狙うはレオンハルトのみ。他には一切、目をくれるな」
「はい、父上っ」
 全小隊が、一つにまとまった。馬首をレオンハルトの居る場所へと向ける。
 瞬間、互いの闘志がぶつかり合った。レオンハルトも、こうなる事を読んでいた。そして、それを迎え入れた。
 やろうと思えば、このまま弄(なぶ)り殺す事も出来たはずだ。だが、あの男はそれをせずに、あえて俺との勝負を望んだ。
 レオンハルトは間違いなく、戦人(いくさびと)だった。出来る事なら、もっと違った形で、出会いたかった。
 だが、これも巡り合わせなのだ。
「突撃っ」
 スズメバチ隊の喊声が、地を震わせる。
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