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十話

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 さて、勢いでこんなところにたった二人で突入してみたけれど、言うまでもなく真昼間の心霊スポットというものは実につまらぬもので、太陽の光は壊れた窓から燦燦、内部は綺麗に片付けられててただかび臭いだけ、なんて思ったら大間違いで、おばけ病院は窓がなぜか全部釘打ちされた板で塞がれてるせいで昼間にも関わらず内部は薄暗く洞窟のようで、足元にはなんだかよくわからない瓦礫とかなんだかよくわかりたくない瓦礫なんかが散らばり、本当に今にも何か幽霊か妖怪か禍々しげなどちら様かが登場おわしなすってもおかしくないような状況であった。
 朽ちかけたカルテ。ごちゃごちゃドイツ語の筆記体でいろいろ書いてあるけど、何が書いてあるかなんて知りたくもない。割れた注射器。その針が誰かの身体に入ったのか、それともまだ童貞なのか、知りたくもない。砕けた薬瓶。中身はどこへ行ったかなんて知りたくもない。そういう感じだ。俺達は正体のわからないものに対する恐怖を感じながらも、正体がわかってしまうことへの恐怖も同時に感じていたのだった。
 そういう気持ち悪い感覚の中で歩いていくとなると当然、俺達はどちらともなくくっつき合って進まざるを得なくなるわけで、って当然じゃないです。なんでくっついてくるんでしょう、この人は。
 リョーコは濡れた犬みたいに震えに震えて、俺の方にぴったりくっついて、わずかな物音にも生まれたての赤ん坊みたいに大げさに震える。
 いったいどうしたことだろう? トイレに行きたいのだろうか?
「どうした? トイレか?」
「なんでもない」
「ほんとか? トイレならあっちにあったぞ」
「なんでもないってば」
 覇気がない。元気が足りない。いつもの彼女なら、「な、なによ! 全然なんでもないんだからね!」なんてことは別に言わないけど、冷たい目で僕を睨んで、「くだらない」とか一言あるね。
 とその時、
「ぎゃあ」
 短く途切れるような悲鳴。その悲鳴の音量も小さくて、実に控えめなものだから、てっきり落ち着いてるのかと思ったら、彼女はなんだか神様のクレーンキャッチャーで魂を見事キャッチされたみたいな顔してあひる座りでへたりこんでいる。背負ったリュックがずり落ちているのもかまわずに。衝撃が大きすぎてわけのわからない反応をしてしまったというごようす。神様の子を産み落とした聖女みたいだ。そんなもの見たことないけど。
 へたりこんだ彼女が指さす先には、汚れきった雑巾みたいな黒い何かがぴくぴく動いてる。俺はその生き物のことを知っていた。いわゆるひとつのこうもりって奴だ。たぶんこの病院を寝床にしてて、そこへ俺達が侵入してきたから驚いて飛び立って、どこかへ頭をぶつけて気を失ったんだろう。
「ああ、こうもりだ。別に怖くないだろ」
 と言いながら振り向くと、彼女はうつむき眼を閉じて震えている。どうしたのかと俺が顔を覗き込むと、やおら立ち上がり、俺の肩を掴んで、
「ふざけるなー!!!!」
「えっ」
 渾身の絶叫だった。こうもりはリョーコの声に驚いて、どこかへ飛び去っていった。彼女はそのままものすごい剣幕で、
「こうもり怖いだろ!!!! ばかか!!!!」
「は、はい」
「はいじゃないが!!!!!」
 怖い。こんなに怒ったリョーコを見るのは初めてだった。今まではどんなに怒っても「しょうがない奴ね! ばかばか!」みたいな感じの可愛らしい感じで一つよろしくといったところだったのに。そんなことないか。ないや。でも本当にこんな勢いで怒られるのははじめてだった。
「おい!!!!」
 リョーコは俺を突き飛ばして、地面を指さしながら、
「座れ!!!!」
「え?」
「そこに座れ!!!!」
「はい」
 俺はあぐらをかいた。
「正座!!!!!」
「あ、はい」
「早く!!!!!」
 正座した。
「怖いだろ!!!!」
「そ、そうだね……」
「怖くないか!!!?」
「別に……」
「私は怖い!!!!」
「えっ」
「なんでこんなとこふたりきりで歩かなくちゃいけないんだ!!!!」
「いや、それは」
「もう嫌だ!!!!」
「えっ」
「怖いのもう嫌だ!!!!」
 俺の肩をつかんで思い切り揺すってくる。顔は怒ってる。でも目は泣いてる。
 本当に怖いらしい。
 俺はわけがわからなくなってきた。わけもわからず幼馴染を抱きしめた。彼女のぬくもりは俺の腕の中でじんわりと、柔らかさが伝わってきて、
「やめろばか!」
 突き飛ばされた。転んだ。痛い。当たり前だ。俺は何をしているんだ。自己嫌悪。とか思ったら彼女は急にハッと我に帰ったみたいで、慌ててこっちに駆け寄ってきて、
「あっ、ご、ごめん……」
 って昔みたいに気安い調子で、俺はそれに驚いて、
「ごめんなんてキャラじゃないだろ」
「えっ、じゃあ、えーと、悪かった許して……ん? 違う? 私、こういう時いつもあんたになんて言ったっけ……?」
 わけのわからないことを言ってる。どうやら彼女は混乱しているようだった。珍しく取り乱している彼女に対して俺は少し嗜虐的な気持ちになった。だから俺は彼女が俺に対していつもどういう態度だったか教えてやる。
「何も言わなかったよ」
 尻のほこりを払いながら立ち上がる。
「いつも俺のこと、無視してた」
 すると彼女は急にしょげたみたいになって、
「うん、そうだね……」
 ってちょっと言い過ぎたかなと思ったら、なにやら考え込んでいる様子になって、ちょっと腕を組んでそれから落ちていた自分のリュックを拾って、
「お……」
「お?」
「お弁当、食べる?」
「今? ここで?」
 瓦礫の散らばる廃病院の中での昼食なんて生まれて初めてだ。そういう困惑を俺が顕にすると、彼女はかわいらしく首をかしげた。いや、かわいらしくっていうのはあくまで俺の主観で、彼女はただちょっと首を横に傾けただけのことなのだけど、その様子が、困ったように、どうしようか? とでも言いたげに首をかしげる彼女の姿が俺にはとても可愛く見えたということだ。
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