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十一話

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 そういうわけで俺達はこんな埃っぽい廃病院のよくわからない広い場所で飯をくうことになったわけなのだけど。
 この場所はどうやら待合室か何かだったみたいで、散らばる瓦礫の中にソファのようなものがあったり、丸椅子の残骸的なのがいくつかあったので、俺たちはそういうものを引っ張り出して座り込んだ。まるで爆撃を受けたあとみたいな崩れかけの廃病院で、俺と彼女は飯を食うのだ。ほとほと呆れるほどバカバカしい状況だと言えた。しかも蒸し暑い。俺はいつの間にかまつげを超えて眼球にまで垂れてくるほど汗をかいていた。
「これ、使う?」
 彼女が差し出したハンカチを受け取って、汗を拭いたあと、そのそっけない青一色のハンカチにマジックで書かれた「りょうこ」というつたない平仮名の署名を見て、また汗の噴き出るのを感じた。ついでに思い出まで噴き出しそうになる。俺はこのハンカチを知っていた。まだ俺たちが仲良く二人で追いかけあったりしていた頃に、よく借りたことのあるハンカチだ。
 わざとか?
 と思いつつも俺は俺の汗まみれになったハンカチを自分のポケットにねじ込んで、
「洗って返す」
 なんてわざと冷静を装って言ったら、リョーコは、
「あ、うん……」
 とうなずいてから、別にいいのに、なんて小さな声で言ったのだった。
 それから二人適当な椅子に座り込んで長机の残骸の上に広げた弁当に俺が手をつけると、彼女はなにか心配そうな顔でこちらを見てくるから、
「うまいよ」
 とは言ったものの正直こんなところで飯なんて食っても味なんてわかるはずはないのだった、なんていうのは思い込みで次に食べたポテトサラダはとんでもなく辛かった。
「ぐええ」
「えっどうしたの」
 すぐにその辛さの正体に気づく。
「玉ねぎ……水にさらさないでそのままいれただろ……」
「えっえっ」
 ドジっ娘属性ですか。あざといですね。しかしなんでまたこんなに玉ねぎをたっぷり入れるんでしょうね。
「ほう、なるほどわかったぞ。俺が玉ねぎが好きというのを幼少のころに聞いたのを今でもまだ覚えていて、健気にも玉ねぎ大目の愛情たっぷりタイプのポテトサラダが俺の心を奪いたいとそういうわけだな?」
「……」
 なんということだ、図星のようだ。恥ずかしそうにうつむいたまま何も答えない。心なしか顔も赤いように見える。なんてこんなありきたりのラブコメみたいな状況、何か調子が狂うじゃないか。
 そういうんじゃない、俺と彼女は、そりゃ昔は仲も良くて兄弟みたいに、あるいは姉妹みたいに二人で手をつないだりなんかして夏祭りなんてものに行ったりもしたけど、それから段々心は離れて、今ではツンデレのデレ部分をとっぱらった最高にソリッドな関係に落ち着いているはずなんだ。だというのに最近の俺たちときたらどうだ、あの馬鹿げたメイドのフリは一体なんだっていうんだ? 落ち着かない。本当に落ち着かない。そわそわする。動悸息切れ目眩がひどい。体温もあがる。ちくしょう、どうしたっていうんだ?
 リョーコは視線を反らしたまま、口を開く。
「さっきね、わたしの手を引っ張って走ったとき、ケンジのこと、男らしいって思った」
 それからちょっと顔を上げてこちらを見て、
「ずっと子供だと思ってたけど、成長してたんだね」
「そうさ。誰だって変わるんだ」
 俺は目をそらす。照れ隠しの言葉だ。誰だって変わる。変わっていく。もちろん、それはリョーコだって、他のみんなだってそうだ。すべて変わっていく。俺とリョーコの関係のように。
 和やかな、本当に和やかな夏の昼下がりとしか言えない、こんな蒸し暑い廃墟の中で、俺と彼女は二人、飯を食ってる。馬鹿馬鹿しい、どこまでも馬鹿馬鹿しくて、いつかなんども夢見たほどに幸せな時間が流れているんだ。そうだ、俺は幸せだった。あんな馬鹿げた架空のメイドなんていう役柄じゃなく、リョーコはリョーコのままで今、俺の目の前でおそらく自分で握ったに違いない形の歪な丸くてでかいおにぎりを食っている。
 そうだ、俺は、ずっとこういうことがしてみたかったんだ。漫画やアニメやゲームの中の恋愛を見るたび思ったことだ、いつか俺だってこんな風に、だけど、そうやって創作物にのめりこむほど、いつの間にか俺とリョーコの関係はこじれて。
「どうしたの? 怖い顔してるけど」
「暑いな」
「え? うん」
「こんなに暑い夏ははじめてだ」
 俺は笑った。心の底から素直に笑った。たぶん、小学校を卒業して以来はじめて、俺は彼女の前でこんなに素直に笑った。
「そうかな、去年の方が暑かったと思うけど」
 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、リョーコはごく自然に微笑み返してきて、Tシャツの胸元をぱたぱたさせながらそう答えた。
 普通の幼馴染どうしみたいな会話だ。
「ねぇ、そういえばもうすぐ夏まつ……」
 って言いかけたリョーコが窓の外を指さして固まった。なんだか半笑いのようにも見える。でもそれは、訳の分からないものを見たときに人間の顔面筋が示す動物的反射にすぎず、本当に楽しくて笑っているわけではないのだった、ということが俺もその窓のほうを見てわかった。
 そこにいたのは、頭から血をかぶった看護婦姿のなにものか。
 看護婦は突然大笑い、絹裂くような哄笑。
 答えは一つ。たったひとつの冴えたやりかた。なんて考える暇もなく俺たちは脱兎のごとく逃げ出していた。
12

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