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十三話

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 目が覚めるといつもどおり彼女はどこにもいなかった。って考えてから俺は、いつもどおり、ってのはちょっと変だなって思った。昨日の彼女はいつもどおりのメイドの格好ではなくて、彼女自身のままでここにいたのだから。
 それでもやっぱり彼女は夢みたいに朝になればいなくなっていたわけで、なんだか昨日のことがまるごと夢だったような気さえしてくる。そんなことを思いながら、窓を開けようとカーテンを開くと、窓の鍵が閉まっていないことに気づいた。もしかして、昨日も窓から帰ったのだろうか? なんというか、律儀な奴だ。俺は少し微笑むのを抑えられなかった。
 なんだか、幸せな気持ちだった。
 ずっとこのままでいたいとすら思った。
 階下から姉の呼ぶ声が聞こえた。
「ケンジーお友達ーいつもの人たちー」
「はいはい」
 って下に降りる途中で、姉はにやにやしながら、
「昨日はうまくできたの?」
「何が?」
「それくらいわかれよ子供じゃないだろ」
 にやにやしながら小突いてくる姉に、なぜか俺はちょっとムッとした。
「子供だよ」
「うーん? ふーん、なるほどねぇ……」
 なんか姉は勝手に納得したようで、腕を組んでうんうん頷いている。
 なんなんだと思いながらも無視して、玄関へ出てドアを開けるとそこにはノビとダサオが立っている。なぜかばつの悪そうな顔をしている。
「よう。今日はどうした?」
 すると二人は急に頭を下げて、
「昨日はすまなかった!」
「僕達、君ら二人をうまくくっつけようと……むがっ」
「お前は黙ってろ! じゃなくて、ああしたほうが、なんていうかあれかなって、視聴者にうけるかなって」
「二人をくっつようとってどういうことだ?」
「おーい! 今俺がこいつの口塞いだじゃーん! お約束的にそこは聞いてなかったわー今なんてー? ってなるとこじゃーん!」
「いや、普通に聞こえたし」
「聞こえてたなら仕方がない。俺たちはお前とリョーコちゃんをくっつけてしまおうと思っていたのだ」
「はぁ?」
「あのね、ケンジくんとリョーコちゃんはね、はっきり言って早くくっつくべきなんだよ」
 ノビがやたら断定的な口調でそう言った。
「なんでだよ?」
 そう言いながらも俺は、なんだか妙な胸の高鳴りのあることを否定できないでいた。
「だって、昔はものすごく仲良かったんでしょ? 二人。僕らはその頃のことを知らないけどさ」
「うん、まあ」
「でも最近は疎遠になって、なんて言ってたけど、また仲良くなってきたんじゃない? きてたでしょ?」
 ノビがずいっと体を乗り出してくる。こいつの太めの体がいつもより迫力あるように見える。
「そりゃ、まあ、そうかもしれないけど」
「じゃあくっつけばいいだろ!!」
 急にサダオが大声を張り上げた。馬鹿か。
「馬鹿か。静かにしろ。姉貴に怒られるだろ」
「あぁ、お姉ちゃんいるんだね」
「……姉に幼馴染とかクソリア充め」
「え? なんだって?」
「聞こえてんだろ、この野郎!」
「まぁまぁ。とにかくさ、悪いことしたなってわけで、呑もう」
「は?」
 こいつはいつも話の持って行き方が唐突だ。
 ダサオはなんだか得意げな顔で、
「俺の家でさ。今、盆休みで作業場は使ってないんだ。秘密で飲酒だぜ」
「ふーん」
 正直に言って、秘密で飲酒、って響きに少しだけ胸が高鳴るのを否定はできないのだった。
 とまあ、そういうわけでダサオの家の作業場へやってきた。こいつの父親は結構大きな内装屋を営んでいて、家にわりと広めの作業場があるのだ。
「よし、じゃあまあこの辺で」
 とダサオは適当な机と椅子を持ちだしてきた。
 どこかから何か声がすると思ったら、どうやらテレビがついているようだった。
「また親父つけっぱなしで競馬行っちまった」
 ダサオはぶつぶつ文句を言いながら、そのテレビを俺たちの方に向け直した。
 昔のアニメの再放送が流れている。そのアニメは、かつて、俺とリョーコと、それとあのメイドが大好きな例のアニメだった。
「これ、好きだったなぁ」
 俺がぽつりとつぶやくと、
「だった? 今は好きじゃないの?」
「いや、今も好きだよ、たぶん」
 たぶん、なんて言わないと嘘になってしまうような、そういう気持ちだった。今でもこのアニメを観て心は踊る。楽しいと思う。だけど、好きか、と言われると自信を持って答えられない。
「ふぅん」
 ふたりとも別にそんなことには興味なさそうだった。
「そんなことより、酒はあるのか?」
 ちょっとだけ声がうわずった。緊張していた。未成年が、お酒を飲むのは犯罪です。テレビや学校で死ぬほど聞かされてきた言葉だ。
「あぁ、ちょっと待って……ほら、これ、うちの親父が大事にしまったまますっかり忘れてる奴だ」
 ダサオが持ってきたそれは、なんだか高級そうな見た目をした重厚な瓶だった。やたらたくさん横文字が書いてある。
「いいのか?」
「だいじょぶだいじょぶほんとにすっかり忘れてるから」
「なにこれ? 焼酎?」
 ノビが本気でその中身を焼酎だと信じている様子でそう言った。
「んなわけあるか。えーと、たぶんブランデー」
 ダサオの手から瓶をひったくって、ラベルを読む。
「Whiskyって書いてあるぞ」
「うんそうだそういう名前のブランデーだ」
「いや、ウイスキーだろ」
「ま、とにかく飲んでみようよ。飲めばわかるって」
 何がわかるのかはよくわからないが、ともかくそういうことになった。
 ダサオが台所から安っぽいガラスのコップを持ってきた。それに瓶から琥珀色の液体を注ぐ。こんな高級そうな酒には申し訳ないくらい、チープな飲み方だ。
 ウイスキーを一口、口に含む。鼻に熱い酸のようなアルコールの刺激がつんとくる。口の中が暑い。もうすでに吐きそうだ。でもここで吐き出せばいい笑いものだ。我慢して飲み込むのだ。
「うん、うまい。うまい」
「すごいしかめ面してたぞ」
「うるせえ、お前も飲め!」
「うわ、おいこの野郎無理矢理飲ませるのはアルハラって言ってだなー!」
「あぁ、ちょっとふたりとも!」
 ごたごたと揉み合って結果、いつのまにやら俺たち全員すっかりできあがっていた。
 もうほとんど意地になってただツンと来るばかりのウイスキーを飲みながら、
「なぁ、くっつけようとって、どういうことだよ」
「うん、いや、彼女はお前のこと絶対好きだって」
「そんなこと……」
 あるかもしれない。なんて、思いもしないんだ、俺は。
「ないだろ」
「いや、絶対あるって!」
 そうかもしれない。でも俺は不安なんだ。彼女とせっかくまた普通に、少なくとも普通には話せるようになってきたのに、ここで欲目をかいて今より進んだ関係なんて望んで、それで全てがおじゃんになるなんて、絶対に嫌なんだ。
「絶対ある? ほんとか? かけるか? 命かけるか?」
 保証がほしかった。絶対に間違わないという保証が。
「お前は空振りしないって保証がないと、バットを振らないのか?」
「……」
「アウトになる可能性があるから、野球は面白いんだ。きっと恋愛だってそうだろう。だめになる可能性がまったくないなんて、そんなの恋愛でもなんでもない。動物の中には、メスにアプローチをして嫌われるとそのメスに蹴り殺される種類だっているって聞くぞ」
「恋愛は野球じゃない。そんなの、ただのレトリックだ」
「おぉ? 難しい言葉を使うなぁ!」
 よくわからなくなって、俺はコップの中の液体を一気に飲み干した。
 それがストレートのウイスキーであることを忘れていた。
 胃袋が火を飲み込んだみたいに熱くなる。
 なんだか世界が歪んで見え始めた。
 急激に眠くなる。
「おい、どうした、おい、大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫だ……」
 一瞬意識が飛んだような気がした。頭が痛い。
 時計を見るともう日付が変わるところだった。一瞬どころじゃない、ずいぶん意識が飛んだみたいだ。いつもなら俺は自分の部屋で、あのメイドと一緒にいるところのはずの時間だった。ふと、彼女は今日もはあのメイド服を着て、俺の部屋に来ているのだろうか、と考えた。
「帰らなきゃ……」
「帰る? ろこへだー?」
 ダサオはもうろれつが回っていない。ノビは眠り込んでいる。どこへ帰る? よくわからなくなってきた。
 そのままもう一度眠り込んでしまった。眠り込む間際、アルコールのせいで錯乱した意識が一瞬だけ覚醒して、リョーコは誰もいない部屋で一人でいるのだろうか、それとも、なんて考えた。しかし体は言うことを聞かず、そのまま夢の中へ入っていく。沈んでいく。
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