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Trampled over…D

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「これが、今回の“実地試験”の現場です」

 彼女が手渡した書類の束には、旧三十六度線に隣接する村に関する情報が事細かに書か

れていた。

「………」

「まず、第一段階として……あなたにはそこで二ヶ月間、難民として生活してもらいます」

「………」

「私が言いたい事は分かりますよね?」

 米帝の部隊が、昔取った方法だ。

 ゲリラが拠点としている集落に潜入、信頼を得る程に現地民に溶け込む。ゲリラ部隊を

内部から崩壊させる。証拠隠滅の為、現地民を全滅させる。

 根回しさえ上手くいけば、安価な上策である。

「ご存知かとは思いますが、現在……旧三十六度線では連日、国連軍と現地住民との局地

的な銃撃戦が繰り広げられている状況です。アジア諸国、国連の結託による特別編成部隊

が派兵されているにも関わらず、国内外から人員を絶えず供給しているのでしょう……事

態の進展が未だ見受けられません」

 書類にも書かれている。狂信的な国民達を全国から集めて日々補充している。同時に、

日に日により威力の大きい重火器が使用されているトコロから見て、予てから噂されてい

た中東及びロシアのテロ組織から買い付けているという兵器類もそこに卸されているだろう。

「………」

 この作戦が俺に回ってきたのは、この見た目が最大のアドバンテージだからだろう。敏

感すぎるくらいに人の出入りに気を遣っているゲリラ達、支援団体も、さすがにこの姿か

ら敵の送り込んだ殺人鬼だと思う事はないだろう。

「幾つかの解せない点は、この際忘れてください」

 結局は村そのものを壊滅させるつもりなのであれば、現在派兵している傭兵達の武力行

使でどうにでもなろう。所詮は素人なのだ。

「今回の作戦は、あくまで“内紛”を偽装する事にありますので……留めておいてください」

「………」

 それは嘘だろう。分かる人間ならばそれは敵の作戦である事が明確で、おそらくはみせ

しめが真意だろう。

 そして、民衆を扇動して防衛線を護らせている者達もそれは分かりきっているハズだ。

国家再生において邪魔なモノを排除し、国連先導で急成長を図る。その裏には

「エネルギー資源……か」

 今のような国家体制が芽吹き始めたのは、二十世紀末期だと記録では書かれている。そ

の時既に国家上層部が秘密裏に近隣諸国及び欧米先進国とこの連携を計画していたとした

ら、当時の指導者は見事に誰かの手の平で都合の良いカリスマ人形に仕立て上げられてい

た事になる。

「何か?」

「いや、仕方ねぇだろうな。依頼は依頼、俺はエリスとまたあの夏を過ごすんだ」

「………」

 トモハラさんと俺の間に、吹雪の治まった夜明けのような、冷たく張り詰めた空気が割

り込んできた。

「………トモハラさん、助けにきてくれるよね?」

 さすがに、ここまでタフな戦局の中、独りでの作戦は自制が効きそうに無い。一度覚醒

してしまえば、誰かが俺を眠らせるか瀕死の重傷でも負わせてくれない限りはきっと一生

踊り狂うだろう。

「今回の作戦では、姉が国連軍の中に潜り込んでいます」

 バラバラになった書類の束を、一枚一枚回収し、角を合わせながら

「ですから、それまでは殺し続けちゃってください。どうせ森の中に隠れるでしょうが」

 表情も、口調も実に淡白だった。死刑宣告のようでいて、執行猶予が言い渡されている

ような気分だ。

「えぇ、俺はあなたにそう習いましたから」

「帰ってきなさい……あなたは」

「トモハラさん」

 彼女の搾り出したかのような言葉を遮る。

「………俺は、帰ってくるから。何があっても」

「………」

「本当に咲きたいと願うから、積雪の下でも……耐えられる。行ってくる、お姉さんによろしく」


 ガッ

 的確に喉へと伸びたナイフの柄の部分を、タカハシは上げ受けで捌いた。柄の尻に取り

付けられた金具によって、タカハシの腕の肉が抉れる。

 アウトボクサーのジャブのようなナイフの連撃が次々に急所へと跳んで来る。直撃を避

け、攻撃を捌くタカハシの体は、次々と出来る傷跡によって末端が赤く染まっていった。

ボクシングには、相手の攻撃をかわして戦うという戦術は存在しない。人間の反射神経を

凌駕するスピードの攻撃の中に数発含まれる決定的な一撃を如何に喰らわず勝機を窺うか、

それだけである。身の端々を刻むこの攻撃ならば直接的なダメージにはならない、しかし

劣勢である事に変わりはなかった。

 心臓を目掛けてきたナイフを外受けでいなす。

(チャンスッ!!)

 タカハシは一気に間合いを詰めるべく、踏み込んだ。

「!?」

 アーミーブーツの底が固い床を蹴る音が暗闇に響く。タカハシの目が高速移動で後ずさ

る黒い影と、虚空で筋上に走るナイフの先が放つ光を捉えた。

 一足跳では潰しきれない距離まで後退すると、影はピタリと動きを止めた。

 隊長は腰を落とし、再び構えた。

(……くそっ)

 タカハシには既に相手の行動のベクトルが見えていた。

(遅延行為なんて大抵は嫌われるぞ)

 “死神”の覚醒をこれ以上続ける事への危険に憂慮していたタカハシにとって、この一

対一の戦いは、いわゆる“まともな状態”で行わざるを得なかった。

(勝てんのか……“俺で”?)

 とは言え、これ以上殺意を浴び続ければ、その主である目の前の敵はまた死神と対面す

る事になる。自分の力では目の前の敵を倒す事が難しい事が、先程から戦闘で分かった。

(“アイツ”なら勝てる……でも)

 手元には、ナイフ一本すら残っていない。携帯していたベレッタは素手に鉄の塊に変わ

り、タカハシはコンバットナイフの扱いにかけてはかなりのスペシャリストであろう隊長

に素手に挑んでいる。

 だだっ広いフロアの空気の密度が更に高まり、タカハシの鼓膜を引き絞る。

 膠着状態のように見える両者の間は、じりじりとミリ単位であるが確実に詰まっていた。

 お互いが機を窺っている。

(突破だ……突破するんだ!!)

 タカハシの額を、一筋の汗が伝った。汗は眉毛を貫いて、タカハシの眼球に達した。

「………」

 眉一つ動かさず、タカハシは目の前の影を見つめる。肩や膝、行動の起こりを見逃すま

いと、息をする事も断っていた。

「………」

「………」

 ダンッ

 二つの床を蹴る音が重なった。二つの影が、互いに向かって跳び出した。

 タカハシの足が地面を突き再び地面を蹴ろうとした、その時だった。

 カッ

 閃光が隊長の手元から放たれ、タカハシへと迫った。

 サクッ

 タカハシの右肩を捉えた閃光は、隊長の持っていたコンバットナイフの刃だった。跳び

出し式のスペツナズナイフは深々とタカハシの右肩に埋まった。

 ナイフの勢いに押される形で、タカハシの体が仰け反った。隊長が一気に間合いを詰め

た。タカハシは慣性の法則で上半身が天を仰ぐような状態で更に前へと、危険な突進を続

けていた。

 ヒュッ

 風を切りながら、隊長の持ち替えたナイフがタカハシの心臓へと伸びる。

「ナメんな……」

 ぼそりと、タカハシがそう呟いた。

 上体を立て直しながら、タカハシは右膝を抱えるように上げた。

 ガッ

「!?」

 隊長の突き出したナイフは、タカハシのふくらはぎへと刺さった。コンクリートブロッ

クすら貫くナイフの突きをタカハシの脚が止める。

「なっ……」

 驚愕の表情を浮かべた隊長の右耳に空気を切り裂くような音が届く。

 ゴギャッ

 隊長のナイフを踏み台にしたタカハシの脛が、隊長の延髄を薙ぎ払った。

「ぐぅっ」

 タカハシの脚に刺さったナイフが主の手を離れ、ねじれるように傷口から抜け落ちた。

 そして、二人ももつれるように床に崩れ落ちた。

「がっ……」

 仰向けに倒れた隊長の意識は朦朧とし、視界はグチャグチャに乱れていた。脳味噌が頭

蓋骨の中でシェイクされ、聴覚すらも機能不全に陥った。にも関わらず、とても遠くから

そのように、彼の耳にタカハシの声は明瞭に届いた。

「終めぇだ!!」

 ドガッ

 タカハシが一瞬、片足だけで立ち上がって、そして倒れこむようにして隊長の顔面へと

拳を放った。

 歯の破片が幾つも刺さり、返り血でべとべとになった拳を貫き上げて、ピクリとも動か

ない彼にタカハシが、吐き捨てるように言った。

「悪いな……あんたにじゃない、死神でもない……こんなトコで躓いているワケにはいか

ないんだよ、俺は」


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「よう……見事にボロボロだな」

 曲がり角から姿を見せたのはクラタだった。

 肩と脚に深手を負った俺は、辛うじて無事な左半身でヒョコヒョコと壁伝いにフロア内

を脱出経路探しにうろついていた。もし新手であったら今度こそ死神の力を借りざるを得

なかっただろう。

「まぁな……だけど、俺が勝った」

「お前、抑えられたのか!?」

 双眸を大きく開いて、クラタが訊ねてきた。俺は含み笑いして

「“奴”も俺自身なんだ、結局は。実質ニ対一だったが……まぁな」

 答えた。

「何かを超える時、やっぱり都合の良い……犠牲なんて無いな」

「悪いな……俺の力が及ばなかったからに」

 そう言って、クラタは俺を背中に担ぎ上げた。

「ガラじゃねぇーよ、アンタのそういうセリフ。……だけどまぁ」

「ん?」

「おんぶしてもらったのは、生まれて初めてだ。悪くない」

「………」

 押し黙ったクラタが、俺に気を遣っているのだろう、殆ど上体を上下させずに歩き出した。

「何を……見付けた?」

「ナノマシンだった」

「ナノマシン?」

 おうむ返しに訊ねる。

「ああ……それとデッカイ散布機もな。屋上施設の真下の薄暗いスペースにな」

「どういう事だい、そりゃ?」

「ナノマシンは……味覚神経に影響を与える目的で作られたようだ。体内に侵入すると一

次感覚ニューロンに特定の味覚情報を送り続け、その上でそれを大脳の味覚野に“美味い”

と認識させるんだ。短期間にその作業を繰り返すとナノマシンは一旦活動を停止する」

「ちょっと待てよ、それってルーツ・オブ・トレバリーだろ!?」

「その間、ナノマシンを宿した主には自覚要素が現れない。だが、ある特定の味覚パター

ンが受容体に到達すると、ナノマシンが再び活動を始める。更に激しくな」

「それってまさか」

 背筋が凍った。

 クラタの足がエレベーターの前で止まる。

「あぁ……現在市場を席巻しているROT社の調味料の事だ」

 人にとって食とは極めて大切な文化だ。大昔、肉を焼く事や調味料の発見は素晴らしい

発見であったハズだ。胡椒はとても貴重品だったのも頷ける。それからあらゆる研鑽を重

ねて、中国に至っては四千年以上の歴史で如何にそれを追求したか……想像に難くない。

一般家庭レベルだってそうだ。おふくろの味、漬物……全て個々が築き上げていった大切

な事だろう。俺だって彼女の料理は大好きだ。

「おい、参ったな……こんな高いトコロから散布したらあっという間に街中に広がっちま

う。俺等はブルジョワを食わす為の実験台じゃねぇか」

「仕事の後にビールを飲んで……焼き鳥食らう楽しみすら管理する気みたいだな」

 食の上に築かれる笑顔が……機械なんかに簡単に変えられてしまう。

「なぁクラタ……無自覚な奴等が悪いのかな?」

「これまで俺達ブルーカラーはブタのようにひたすらブルジョワ連中に搾取されてきた。

アメリカとこの国はあまり変わらないな」

 エレベーターが到着した。警戒はしたが、ゴンドラ内は空っぽだった。

「安心しろ、もういねぇ。さっき読んだ」

「そっか……でもこの事を公にしたら、それもそれで大混乱が起きるな」

「あらゆる先進国で株価の暴落が起きるな。経済摩擦もきっとな……お、もっと下だ」

 クラタの背中に隠れて見えない指先をクラタの指示で動かして、ボタンを押した。ゆっ

くりと下がっていく感覚が、事態の収束を伝えていた。

「そおいやさ、クラタ俺を拾う前に、一人片付けたか?」

「あん?」

「いやさ、俺が奴等と戦っている時に一人逃げたんだけど……」

 クラタの背中に一気に緊張が走った。何かとても危ない雰囲気を感じ取った。

「お前……そういう事は先に言え馬鹿やっ!!」

 クラタの声がそこで途切れた。

 爆発音が耳を突いて、ゴンドラが激しく揺れた。

 内臓が体を駆け上がるような感覚が、自分達は小部屋に監禁された状態で現代のバベル

の塔の上部からフリーフォールしている事を教えてくれた。




「あー……生きてるのが不思議だ」

 漆黒の闇の中で男の声が聞こえた。煙草に汚された、重い声だった。

「いやー下側のワイヤーから伝わってくる振動を感じ取れなかったら終わってたねぇ」

 弾むような、少年の声だった。

 タカハシとクラタだ。

「まったくだ。お前、人間離れし過ぎだぜ……普通は思い付いたってそんなモノ感じ取れ

ない。まったくマンガもびっくりだな」

「……マンガなら在りうるけど、まぁ死神じゃぁ絶対はこうは出来ない。勉強したよ」

 ふー、と二人の天井に向けた溜息が重なった。二人で一緒に苦笑した。

 実際のところ、今二人が見上げているのが本当にエレベーターのゴンドラの天井なのか

というのは微妙な話であった。奇跡的に落下時の衝撃を回避出来たが、その直後ゴンドラ

は激しく揺れ、再び宙を舞った。お陰で今、ゴンドラの内壁は磯のようにゴツゴツと隆起

して、もはや見た目では床と天井の区別をつける事が非常に困難になっていた。

「……タカハシ」

「あん?」

 二人は、並んで暗闇の中便宜上の床に腰を下ろしている。

「おんぶついでに、ちょっとお前の過去……教えてくれないか?」

「………まぁ、クラタとゆっくり話す機会なんて今までなかったからなー」

「………」

「いいよ、何が聞きたい?」

「………」

 少し押し黙った後、クラタは煙草を取り出して、咥えた。火をつけずに

「あの……あの娘とお前、何があった?」

 そしてライターを灯した。少年と男の暗闇に顔が浮かび上がる。

「トモハラさんには連絡した……多分すぐに何とかしてくれるハズだ」

 タカハシがライターの灯りを眺めながら、そう言った。表情はどこか冷たいものを感じさせた。

 煙草に火を移した後も、クラタはしばらく灯りを消さなかった。煙がライターの周りで

遊んでいる。

「あの神社は……」

 おもむろに、タカハシが口を開いた。それに合わせてクラタがジッポライターの蓋を閉じた。

再び闇が訪れ、煙草の先が赤々と浮かぶ以外には何も見えなくなった。

「あの神社はまだ残ってるはずだ。彼女と会ったのは………」


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