第2話「サドマゾマゾサド」
「ちょっと、これは、いいかも」
「え゛……?」
「ね、もう一回、叩いて?」
第2話「サドマゾマゾサド」
あおいと出会ってから数日後。みひろは呼び出しを受けていた。
いよいよ担当初日、仕事の初日。
スーツのノリ、良し。
髪はいつもどおり、後ろにまとめて……良し。
メイク……薄め、良し。
非処女のフリ、たぶん大丈夫。
みひろはやる気に満ちていた。たしかに希望は漫画の担当だったし、いきなりセクハラ質問されるし、作家は官能小説を書くと言い出すし。まるでマンガのような怒涛の展開。
でも、初めての担当。ようやく業界人らしい仕事内容、そりゃあ気合も入る。
おそらくこの初日、作品の方向性を決めるのだろう。
王道に純愛路線で手堅くファンを増やす。
ややマニアックな路線でコアなファン層をつかむ。
大きく分ければこんなところか。
個人的には、王道を攻めればファン獲得は堅いと考えていた。マニアックな路線は次回作、それか王道の中にほんの少し入れるぐらいか。
こんなところで、あの先生をそれとなく導くだけ。
と思っていたのに。
バチンっ!
家に入れてもらうなり、袖をまくり上げられた。そして、二の腕を叩かれていた。
「いっ、たぁ!」
痛みが遅れてやってきた。叩かれたところが赤くなっている。
なぜかあおいの顔は満足そうだった。
「せ、せんせい! これは、どういうことですか!」
「はい、ほらほら、メモ」
前にあおいが持っていたメモとペン、それと同じものを渡された。
……何をしろと?
「せ、先生? これは?」
「ああ、大事なこと言ってなかったね」
ぴっと指を突き出し、あおいは注意するかのように言った。
「実は私と担当の間にはいろいろルールがあって……まず1つ。『先生』と呼ばないで」
「え、ええ……?」
じんじんと痛む二の腕をさすりながら、みひろはかえす。
「別に私は、自分のできることをやっているだけだから、先生って呼ばれる立場じゃないの
私から言わせれば、営業やら企画やらをするキミたちのほうがすごいって思う。
だから、私のことは『あおいさん』って呼んでちょうだい」
「あ、はい、わかりました」
でも、訊きたいのはそれじゃあない。
なぜ二の腕を叩かれ、メモに何を書くというのか。
「えーと、それでこれはいったい?」
「ああ、それ? それは今日のネタ集めの内容だよ?」
いきなり二の腕を引っ叩くことが?
「記念すべき初日は……サドとマゾについて」
「さて、続けて2発目っと」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
このまま黙っていたら2発目が来ていた。思わず手を引いて拒絶した。
「どうして初日っからアブノーマルなお話しなんですか!?」
「ん? なーに変なこと考えてるの?」
まあ座りなさい。イスを引いてみひろは座らせた。
今日は前の粗茶とは違い、トマトジュースだった。何か意図するものがあるのだろうか。
「まず、サドとマゾ……めんどうだからSとMって言うけど、これは世間のイメージが悪い。
私が思うに、Sが愛す側、Mが愛される側、というイメージがあるの」
「はぁ」
「だから男女の営みでも、改めて思い返すと、偏りはあるもののけっこう攻守を交代したりするでしょ?
極端に言えば、この関係がSMだと思うの」
経験がないのでわからない。何となくうなずいておいた。
出されたトマトジュースは、手をつける気にはならなかった。
「SがMを感じさせ、愛する。
MはSに感じさせられ、愛される。
でもそれはどちらかに固定されているわけじゃなくて、交代もできる。
ほら、普通の愛情表現と同じだと思わない?」
「なるほどなるほど」
SMでこんなに語られるとは思わなかった。
言われてみると、SMには悪いイメージしかなかった。それが、この作家にかかれば、とてもキレイな行いのように感じられた。
がしり。
「だから、腕。2発目いくよー」
「もうちょっと、もうちょっとだけ待ってくださいっ」
しかし、痛いのはイヤだった。
少しのだけ心の準備をする時間をもらい、気合を入れなおす。
「えーと、私は叩かれたときのことをメモすればいいんですね?」
「そだよ。えいっ」
ビジッ。
「いっ……!」
「いたた、叩くほうも痛いね。メモメモ」
痛覚も度を過ぎれば声が出なくなるらしい。
ただただ痛かったので、『ただただ痛かったです』とありのまま書いた。
「キミ、もっと詳細を書きなさい。こんなふうに」
『思いっきり引っぱたいてみたものの、少しも気持ちは昂ぶらなかった。
自分の手も痛いし、相手の痛がっているところを見るのは申し訳ない気持ちになる。
でも、ちょっと笑いそうになった』
最後の一文は見たくなかった。十分Sではなかろうか。
『この痛覚が快感に変わるような気がしない。
Sをサービス、Mを満足と誰かが言っていたけれど、満足していないうちはMではない気がする』
これぐらい書いておけば問題ないだろう。
「さて、攻守交代」
あおいは二の腕をみひろに見せる。
好奇心。
みひろが見たあおいの表情は、それに満ちていた。
気がついた。
この人は、ネタ集めに本気なんだ。自分の知らないことを、貪欲に集めようとしているんだ。
「思いっきりいきますよ」
「言われな」
ベチンッ!
何かを言っている途中で叩く。不意打ちの形になった。
「…………」
あおいの反応はなかった。
「あおいさん?」
「うん、意外」
「ちょっと、これは、いいかも」
「え゛……?」
「ね、もう一回、叩いて?」
これもネタのため。ネタのため、だと思いたい。
ペチン!
「んっ……」
あおいの口から漏れた甘い声。みひろには恐怖しかなかった。
この人は……素質がある……!
「私、M寄り、かも」
「そうですか新発見ですね私はSではないようですが」
「やけに早口だなぁ……」
とにかくメモをした。
『叩いたとき、自分も痛いのはもちろんのこと、相手の肌というか肉の感触が何とも言えない気持ち悪さ。
でも相手が喜んでいるのなら、イヤイヤでもやってあげる。たしかにサービスのSかもしれない』
「そうそう、そんな感じでいいよ」
『予想外だったけど、叩かれたとき、ちょっと気持ちよかった。
肌から伝わり、筋肉、神経、骨。それらに心地の良い衝撃が伝わり、快楽に変換されるようだった。
赤くなった肌を見ると、消えつつある痛覚が名残り惜しくなると共に、次の刺激がほしくなってくる』
「ずいぶん詩的ですね……」
「大げさに書いておけば、次に見たときに思い出しやすいからね」
あおいは先ほどのメモと、今回のメモ、計4枚を壁に貼りつけた。
「この辺の紙、ぜんぶメモだったんですか?」
「こうしておけば、いつでも見れるからね」
メモを貼り終え、みひろに詰め寄った。
どう見ても興奮していた。呼吸は乱れているし、目がちょっと普通じゃない。
「次は、頬を引っ張ってみてくれない?」
「しません」
「ネタ集めを邪魔するって言うのっ?」
息を荒げながら言われても説得力はどこにもない。
仮にここで頬を引っ張ったら……どんどんエスカレートしていくかもしれない。
「あおいさん。これは、放置プレイです」
「放置……ぷ?」
「そうです。SMプレイから生まれた、心の遠距離恋愛です」
みひろは説明した。
いいところまでサービスしたところで、急にそっけなくすることを。その焦らしにより得られる苦痛が、快楽へと変換されることを。
そして、みひろは言わなかった。
羞恥プレイや野外プレイなど、極度にアブノーマルなことを。これ以上付き合わされるのはイヤだった。
「なる、ほど。叩いてほしい、というところでほったらかしにして、私を焦らそうということかっ?」
「そうです、ザッツライトっ」
「お、おおお、これはすばらしいっ」
『放置プレイ。愛されないことが愛している、という新しい形!』
メモを書き終え、貼りつける。その雰囲気から満足した様子を感じれたので、みひろはほっと一安心した。
「いやぁ、キミは博識だね」
「あはは、どうもどうも」
「もっと放置プレイの方法教えてっ」
なん……だと……?
「たとえば、おとなのおもちゃをつかったり、ですね」
「おとなのおもちゃ?」
「バイブとか、ローターとかですネ」
「うんうんっ」
「あとは恥ずかしいカッコウをさせたりですネ」
「どんなの?」
「M字開脚とか、四つん這いになってイヌのようにデスネ」
「へー、ほうほうっ」
「他に小道具って何がある?」
「えーえー、手錠とか首輪とか」
「もっと意外性のあるものがいいなぁ」
「携帯電話とか試験管でしょうか……」
「なんてアブノーマルっ」
「じゃあ、最後に1つ」
「は、はいぃ」
ようやく最後。これを乗り越えれば……
「この質問攻め、『言葉責め』で『羞恥プレイ』のカテゴリに入るのかな?」
「なん……だと……!?」
「ふふふ、作家をなめちゃイカンよ、キミぃ」
最後に書かれた2人のメモ。
『あおいさんはSとM、両方の素質あり』
『やっぱり、人のちょっと困った顔を見るのは楽しい。笑える』
◆おまけ1「もしもみひろがハードMだった場合」
バチンッ!
「あぅっ」
みひろは嬌声を吐き出していた。
叩かれた腕は赤い。そして、それとは別に……頬もじわりと赤みを帯びていった。
息は荒く、目が潤んでいる。焦点ははっきりとしていないが、しっかりとあおいを見ているようだった。
「もっと、お願いします」
「え、あ、うん」
ビチンッ!
「あ、ああぁ」
熱っぽく、とろけるような甲高い声。衝撃とは別の刺激に、みひろの体は震えた。
空いた手は自分を抱き締めるように、その豊かな胸元に沈めていた。
「そそそそろそろ、交代といこうか」
「だ、だめですよぅ、もっと、もっとお願いします」
「え、あ、う、む、んん……わかったっ、ちゃんとメモするんだよ!?」
ペチンッ。
「……あおいさん」
「な、なに?」
「もっと強く叩いてもらえないと困ります。
もっと、もっともっと!
この肌が腫れ上がるぐらい!
つねって引き千切るぐらいっ!
噛みついて、歯型が残ってしまうぐらいっ!
その体で愛を与えてくださいませっ!」
「ひぃぃぃぃっ、ごめんなさい、ごめんなさいぃっ!」
『1つ理解。すごいMはSが最終的に謝ってしまうぐらいすごい』
◆おまけ2「もしもみひろがハードSだった場合」
「思いっきりいきますよ」
「言われな」
ベチンッ!
何かを言っている途中で叩く、不意打ちに近い形になった。
バチンッ!
みひろは続けた。
「ちょ、キミ」
バチンッ!
バチンッ!
バチンッ!
バチンッ!
「……ちょ、ちょっと、やめて……っ」
「うふふ。
ちょっと泣きそうな顔。
震える腕。
ああ、かわいいですね、あおいさん」
逃げようにも、手首をつかんでいるみひろの力は強く、とても振りほどけそうになかった。
「けっこう勘違いされているようですが、SはMをイジめることには興味ありません。Sの人をMに仕上げるのが楽しいんです」
「なるほど、それはいい情報。さあ早く離して」
「ダメですよ、そんな口調は」
あおいは腰に手を廻され、抱き寄せられた。
自分にはないふくらみに顔が埋もれ、ばくばくと鼓動が高まる。
「なに、するの……?」
「教えてあげますね。
誰が。
誰の。
主人なのか。
その肉体と。
きらきらキレイなその心に。
ねっとり。
じっとり。
教えて、あげ、ます、ね?」
ちぅ。
「ひゃっ」
あおいの首筋に唇を落とし、きつく吸いついた。
「や、やだ、ついちゃう、キスマーク、ついちゃうっ」
もぞもぞともがいても、意味がなかった。
唇が離れるまで、じっくりと十数秒。
唇のあったところには、赤い痕が残っていた。
「これはキスマークではありません。
目印です。
あおいさんは私の所有物。
誰にも盗られないように、目印をつけたんです」
べろり。
「んっ……」
みひろの舌先が這う。あおいの口からは拒絶の意思は出なかった。
ああ、どうやら。
本当に、所有物になってのかもしれない。
恐怖しかなかったのに、今は……これから何をされるのか、心待ちにしてしまっている。
『私のご主人様は担当様です。
私の担当様はゴシュジンサマです』