第十七話 明日なき暴走(15)
「――ってよ、やっぱ銀と緑のカラーリングがいいと思うんだよな。やっぱベースとなる一色にアクセントとして関節部あたりにどぎつい色が混じってるのが子ども心にもああ綺麗だなって――」
「うん、そうだね!」
おれは一言も聞いていなかった溝口のセリフを華麗にスルーした。
おおかた日曜朝からやってる特撮の話だろう。
溝口は特撮が好きだ。おれは爆発物を使う特撮だけ好きだ。
溝口がナチュラルに話しかけてきたので、てっきり自習かと思ったら絶賛授業中だった。
英語教師の美境は独身二十九のどこかで聞いたことのある崖っぷちで、本気で生徒を狙っているのか私語と遅刻の注意をしない。
いまも英訳された麻雀放浪記の文章を黒板に書き連ねている。
その音が、おれの精神を引っ掻き回すので、おれはついっと窓に顔をそむけた。
プールに役目を取られて寂しそうな校庭が広がっている。誰かが忘れていったボールとバットが転がっている。
おれが二十分ほど脳内麻雀に興じていると、校門から不審者が小走りに入ってきた。
風止だ。
頭を低くして、鞄を頭に乗せて低速進軍しているが、あのおどおどした態度は顔なんて見なくても風止以外にはありえない。
最近よく風止は遅刻をする。
溝口が言うには「前はむしろ始業十分前には席に座ってる感じだったらしいけどな。彼氏でもできて朝までズコバコパンパンなんじゃねえのガハハハハ」とかなんとか。早く死ねばいいのに。
ゴミ収集車はベトついたゴミ袋よりもギトついたこいつの頭皮および毛髪ならびに頭蓋いっぱいに詰まったゼリー型ウンコを焼却処分にするべきだ。
なに、いつもより悪口がひどいって? 気のせいだ、問題ない。
まったく、溝口ったら女性に対する配慮というものに欠けているよ。これだから非紳士は困る。
おれは机のなかから折り紙を取り出してピッピッと紙飛行機を窓から次々と空爆した。
風止が降ってくる謎の飛行物体に恐れおののき眼下で右往左往しているのが実に愉快だ。
溝口がすぐに気づいて参戦してきた。こういうときのおれたちのコンビネーションは大場つぐみと小畑健よりもチェインされている。
真夏の神風特攻隊はひらひらと容赦ない攻撃を続け、風止はスッ転んで熱された犬走りをのたうち回っていた。
「あはは、見ろよ溝口くん、遅刻常習犯がポップコーンみたいに弾けているぞ」
「実にいい気味だよ君、規律の乱れは心の乱れ、しっかり粛清せねばな」
「そうしよう」
「そうしよう」
「見たまへ、だんだん動きが鈍くなってきた」
「我が軍のP29に抵抗するからこうなるのだ」
「いこうか君、勝利は目前だよ」
「うむ、楽しみだ、勝利の赤飯が我らを待っている」
「そーら」ポイッ。
「そーら」ポイッ。
はははははははははははははははははははははははは。
「――にやってんのよこのバカども!!」
「上官!」
「誰が軍曹よ!」
怒りつつもちゃっかりノリノリの一ノ瀬軍曹であった。
軍曹なんて言ってねえし。
「あんたたち、女の子いじめて楽しいの?」
「楽しくないの?」おれは心から不思議に思った。
「意味がわからん」
「それはあんたたちだって。あーもう風止さん可哀想に。あんたたちのせいで授業間に合わないわよ」
「間に合ってどうするんだ?」どうせもう死んでるし。
「授業を受けたり出席を取ってもらったりするのよ」
「おまえそんなこと考えながら学校いるのか? 疲れないか?」
「いっちゃんは頭が固いよ。だからいつまでもロリ体型なんだよ」
溝口が汚らしい嘴を突っ込んできたがおれも一ノ瀬も無視した。
「背は高めなのにね。スレンダーは変態に好かれるから気をつけなよ」
「溝口あとでぶっ殺す」
わかってると思うが、おれのセリフではない。
「クロ、あんたひょっとして」
一ノ瀬は老眼の婆みたいに顔を近づけておれの目玉を覗き込んできた。安物のシャンプーのにおいがする。
「風止さんのこと好きなの?」
「それはおれにロリコンなのかと聞いているのか? あんなの向こう五年は眼中にないね」
「じゃ、五年経ったらいいんだ?」
やたらと食いついてくる。これだから頭の中がメルヘン酸でいっぱいの女子はいやだ。
「女なんか胸だよ胸。でかけりゃいいんだ、なァ溝口」
「心――かな」
おれの背筋にぶるっと悪寒が走り、一ノ瀬は気持ち悪そうに口元を手で押さえた。
ひとりドヤ顔を貫く溝口に、沈黙を貫いていた英語教師美境がぴくっと耳を動かした。
妙な目つきを溝口へと流し始める。
が、おれはお口チャックしてそのまま、まじめに授業を受けた。
どうぞご勝手にトラブってくださいって感じだ。
事件はその二十七分後に起こった。
ガラスが割れる音がして、おれは咄嗟に腰に差した拳銃に手をやった。
ちゃんとそこには鉄の塊があってまず一安心。暴発も盗難も勘弁だ。
ちなみに足首ホルスターは蒸れるので廃止され、銃はベルトに挟むことになった。
おかげでポロシャツの下に厚めのダボT着なければならなくなって、秋がなおさら待ち遠しくなった。
突然の破壊音に一瞬処理落ちした教室は、すぐにノイズのような騒音で溢れ返り何人かの調査隊が廊下へと出て行った。
が、廊下を乱反射してハウリングした女子の怒声に泡食って舞い戻ってきた。
たぶん、蒼葉の声だった。
おれは滝園が二十秒で買ってきた焼きそばパンを飲み込んで、溝口と一ノ瀬の制止を振り切り廊下に出た。
調査隊はおれが継ぐ。
廊下は遠巻きにする生徒に挟み込まれていた。
その中心に蒼葉がいた。
雪女も凍傷になりそうな視線を、くず折れた男子に注いでいる。そいつに割れたガラスが降り注いでいた。
風止の姿は、見えない。
壁に、血の亀裂が走っていた。
男子生徒はどこか切ったらしい。怯えきった目で、うずくまり、蒼葉を見上げていた。
にやにやしながら。
あっと思ったときには、蒼葉の蹴りが男子の脇腹に突き刺さっていた。
ぐぼっ、と嫌な声をあげて男子がどうと倒れこむ。
「けはっ……かっ……」
男子は、歯磨きする朝の親父のようにえづいている。
誰も助けようとはしない。
真夏なのに、みんな身を寄せ合って、現実から非現実へと展開してしまった暗黒空間に震えている。
おれは腕を組んで、子羊どもの最前列から二メートルほどからいじめの現場を眺めた。単騎で。
蒼葉がゆっくりとこっちを見た。
「見てるだけでいいの。あんたもやれば」
「弱いものいじめは嫌いでね」
おれの背後の連中の筋肉が固くなる男が聞こえた、気がする。
蒼葉はつかつかとおれに歩み寄り、真っ向から睨みつけてきた。
「文句があるならハッキリ言えばいい」
「文句がねえから、ただ見てる。でもそれ以上やったら、たぶんそいつ死ぬ……おや?」
いつの間にか這いつくばっていたはずの男子生徒がどこかに消えていた。
おそらくもう階下に逃げおおせただろう。じき、保健室に辿り着いた負傷兵の報告を聞いた教師どもがやってきて蒼葉を連行する。
「狙ってやったの?」
「だったらすげえな」
「はぐらかすな」
「おまえにはもう何を言っても無駄かもな」
思い切り殴られた。
唇に嫌な音と痛みが走った。女とは思えない重い拳だ。たぶん、皮に擦り傷を作ったろう。
おれは殴られたら殴り返すし、たぶん、それが核でもそうする。
騒ぎを聞きつけてきた教師たちの目の前で、おれは、女を殴った。
それが、おれがやつにしてやれる、たったひとつの礼儀作法だったからだ。
そのとき、拳銃を抜いていれば、少し前までの出来事をなかったことにできたかもしれない。
でも、おれはそうしなかった。
卑怯な気がした。
なにもかも嫌なことをなかったことにしたいなら、とっとと死んだらいいだけの話だ。
それは生きているとは言わないと、おれは思う。
三日の停学。
期末試験は保健室で受けることになった。
ガシャーン、と景気のいい音を立てて正門が閉まった。なにも閉めることないと思う。
おれと蒼葉はたっぷり説教喰らって、しかし一定時間が経つとまるでノルマをこなしたような顔した大人たちに校舎からおっぽり出された。喧嘩した当人同士を同時に下校させるなんてバカだと思う。正門閉鎖がゴングになってた可能性だってあるのだ。
しかし現実はそんな好戦的ではなく、蒼葉はすたすたとおれを置き去りにして帰り始めた。
頬には湿布が貼ってある。おれは唇に絆創膏で済んだ。
おれはひょこひょこと蒼葉のうしろにくっついた。迷惑そうに蒼葉が振り向く。
「なに?」
「べつに。帰ってるだけ」
「あっそ」
「なァ」
呼びかけても蒼葉は立ち止まってくれない。
「なんで今日は一段と烈しかったんだよ。いつもなら屋上まで引っ張り上げてこっそりやるくせに。しかも殺しかけるし。いつもの手加減パンチと非殺傷キックはどうした?」
「MPが切れて使えなかった」
「アイテム使って回復しとけよ。出し惜しみしたっていいことないぞ」
「縛りプレイ――なんであたしが、あんたの小芝居に付き合わなきゃいけないわけ?」
なんとここで逆ギレ! しかもMPどうこうはこいつが言い出したのに。不条理すぎる。
「全力で殴られるし、最悪」
「おまえが先に手ェ出したんだろうが」
「女子殴るとか、さすがに最低だって思わない?」
おれは顔をしかめた。
「人を差別する方が嫌だね。そういう道徳とか倫理とか常識が欲しかったらよそを当たれ。おれには在庫がない」
ふん、と蒼葉は鼻を鳴らした。また殴りかかってくるかと思ったが、もうそんな気はないらしい。よかったよかった。
「女だからって手加減しないんだ?」
「おまえだから手加減しなかったってのものあるな。なめられたら奴隷にされちまうしよ」
「あんたなんか願い下げ」
なんだとう。
「そんな性格じゃ、いつかやっていけなくなる。どう考えたってあんたはおかしい」
「おまえに言われたくない」
蒼葉は淡々と喋った。いつもより少しだけ饒舌だった。
「あたしだって、いつかはまともになるよ。みんなっていうよくわからないものが、あたしをこねくり回して、あと数年もしたら、別人にしか思えないあたしがいて、いまのあたしは影も形も残ってないんだ」
「それが、あいつを蹴り殺そうとした動機か?」
「――――」
「おれは、変わらんぜ」
蒼葉は首を振った。金髪がさらさらと揺れる。
「社会的に生きる以上は、絶対にできない。それができるのは、社会が形を取ったような人間だけ。適応した人格を持ってる機械みたいなやつらだけ……」
「なら社会を捨ててやる」
「どうやって生きるの? 金は? 家は? 人は? 盗むの? いまどき財布と心の紐を緩めてブラついてるバカなんかいない」
「難しいことはおれにはわからねえ。が、もし、おまえができねえと思うなら、おれが代わりにやってやるよ。おれは、逃げ切ってみせる」
「この世から?」
「どうかな――まァ楽しみにしておけよ。おれが逃げるときは、おとなしくするって約束するなら、おまえも連れてってやらないこともない」
格好良くまとめたところで顔を上げると、蒼葉はいなかった。幽霊みたいに。おれは立ち止まった。
「なにぼさっとしてんの?」
ショッピングモールの入り口で、蒼葉が腰に手を当てておれを待っていた。
「こっちに来て」