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1章 老人の導入

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まったくもって不快な体験がさっきあったわけだが、思い出したくもないので忘れようと思う。
とりあえず即席の味噌汁と朝取り置きしていた白飯で軽く食事を済ませた俺はベッドの上で漫画を読みながらくつろいでいた。
基本的に「引きこもり」の俺は引きこもっているというのに趣味に没頭しているかというとそうではない。
朝起きてまず顔を洗い、適当に歯ブラシをあてがってはいるのだがなんというかこれも結局は習慣なのだ。
バイト以外で外出することは最近ほとんどなく、時折親と連絡を取る以外は外界との接触は完全に断たれている状態だ。
一日の睡眠時間は10時間を裕に超える。バイトがない日でも基本的に深夜の0時から次の日の昼くらいまでは寝てしまうし、
深夜バイトから帰った場合でも朝の6時から夕方の4時くらいまでは爆睡している。
比較的皮膚は強いほうだからか、こんな生活をしていてもお肌は比較的安定している。
とりあえず、今は午後7時とあってまだまだ時間はある。よしTVをつけよう。
今日はバラエティ番組が豊富な日でもあり、ここからTVをつけっぱなしにするだけで午後11時まで時間をつぶせるのだ。
最近は芸人を使っとけばなんとかなるという風潮が本当に強い。安いギャラで番組を盛り上げてくれるCPの高さに定評がある。
近頃はモデル出身タレントというのも増えていて純粋な役者は減ってきている感がある。
「こいつも最近よく出てるなぁ・・・。」
俺の目に入ってきたのは藪川凛というモデルで、最近あらゆる番組に引っ張りだこの人気モデルのようだ。あらゆる番組を網羅している
俺だからこそ週に何度も見ることになってしまう。正直アイドルだの女子アナだのああいう一種の記号付の女性には興味がないし、
別になんとも思わないのだが、流石にこれだけ毎日見ることになると飽きが来る・・・。
午後10時を過ぎたころ急に眠くなってきた・・・。今日は早めに寝るか。そう思い寝る準備を始めた。
意味もなくカレンダーに目をやる。
特に予定も何も書かれていないカレンダーにだ。
ではなぜそんなものを見る必要があるのかというと、明確な答えが出てこない。
ただ、年月が過ぎていく経過だけでもしっかり確認しておきたいという俺なりの悪あがきなのかもしれない。

翌日の目覚めはなぜか妙に早かった。目覚ましはいつもセットしない。しないのだがまず日が昇るより前に目が覚めることはない。
しかしどういうわけかまだ空が明るくなりきる前に目が覚めたようだ。時計は午前6時32分を示している。
不思議と寝覚めが良かったため、すんなりと布団から出ることができた。
どうしようかと迷う。
基本的に朝飯は食べない。というか食べるような時間には起きないのだが、この時間に起きてしまった場合は流石に3食必要だろう。
冷凍庫にしまってあった食パンを取り出しトースターに突っ込んだ。このトースターも久々に使うので動くかどうかさえ心配なレベルだったのだが無事に上手く焼いてくれたようだ。
「さて、早朝にランニング行ってみるか・・・。」
朝飯を食べてから二度寝というのもなんとなく時間がもったいない気がしたので外の空気を吸うことにした。
このときは完全に忘れていたわけだ。前日のあの事件のことは。
だから、例の神社の前を通る時に思い出すことになった。
「げ・・・ここか・・・。」
たった一日でここまで忌まわしき場所になってしまうとは正直予想していなかった。
ついつい足を止めてしまっていたが、こんなところさっさと去ってしまおうと思ったその時、聞き覚えのある声で呼び止められた。
「一寸待てよ兄ちゃん!」
俺は刹那の判断に迫られていたといっていい。一番正しき選択は無視してこのまま何事もなかったように去ることなのだ。
よし、そうしよう!
「来ると思っていたんだよ。」
刹那の迷いが俺の先行きに影を落とさせたらしい。気が付いたら腕をつかまれていた。
「なんなんですか。あなたは。」
我ながら最高の返しをしたと思う。そう、あんたなんか今まで見たこともなければこれから先未来永劫見ることもないだろうっていう態度で受け答えすればいいのだ。
「ほう、よくそんな口が聞けたものだ。昨晩はよく眠れただろう?」
何を言ってるんだこのじじいは・・・。まったくもって意味がわからない。
「お前がよく眠れるようにまじないをかけておいたからな。そしてこのように朝に再会できるようにもしておい。」
「俺はあなたが何を言ってるのかさっぱりわかりませんし、あなたがだれなのかもわかりません。手を放してください!」
がちゃり・・・。

ぇ・・・・・?
4, 3

  

この丸っこいのはなんだ?手首にしっかりおさまるこの銀色をしたわっかは・・・。
「うわあああ!」
「うるせえよ!ご近所迷惑だろうが!手錠くらいで何をわめいてんだお前!」
「ご近所の前に俺に迷惑だろうが!!!手錠くらいってなんだよ!何で赤の他人にいきなり手錠されなきゃいけないんだよ!」
「お前が言うことを聞かないからだろうが!この鍵!この鍵がないと絶対はずせんからな!」

そのカギを・・・え・・・?

ゴクリ

「このように一度飲み込んでしまえば数日は体の中から出てこない。」
「あんたなに考えてんだ!!!え?何?俺一生このわっか外せないの?」
「うろたえるな!数日たてば無事に肛門から出てくる!それまでの辛抱だ!」
「何言ってんの!あんた!俺を拘束するためにそこまでやるか?普通!しかも飲み込んで体内から出てこない可能性だってあるだろうが!」
「それはない。すでに8回実証済みだ。8回やって8回ともしっかり出てきた。」
「なんだって!じゃああれはすでにあんたの排泄物と8回人生を共にしてきたのか!?」
「何か勘違いしとらんか?出てきたらしっかり洗ってから使用してるわ!」
「そうかよ・・・そこは安心したよ・・・じゃねえよ!そんなもん関係あるか!数日の間ずっとこれで手をつながれてるってことだろ?
生活どうすればいいんだよ!ほんと何考えてんだあんた!」

信じられないじじいである。こいつほんとに人間か?

「だからお前が俺の言うことを聞いたらすぐにでも解放してやると言っとるだろうが!」
「その時点でおかしいんだよあんた!何で何もしてないのに俺があんたの言いなりにならなきゃいけないんだ!もういい!警察呼ぶからな!」

俺は手錠につながれたまま走り出した。が、しかしすぐに老人の言葉に翻弄されることになった。
「お前わかってないな・・・。お前が警察を呼んできたときには俺はもうここにいない。そして目撃者もいない。完全にお前は変態扱いだぞ?」

確かにこいつの言っていることは正しく非常に危険だ。昨日の件がある。見事なフェードアウトをして見せた。素性がわからない分似顔絵頼みになるが、殺人事件のような
大きな事件でもないのに警察が真面目に動いてくれるかどうかわからに。ただの変なやつだと思われかねないし、下手すると自分で自分の
手首に手錠をまわして遊んでいたら誤って閉じてしまい、鍵は紛失してしまった・・・。という痛いやつにも取られかねない・・・。
解決法がわからない・・・。なんてことだ!

「迷っているな?だがそれは正解じゃないぞ!いうことさえ聞けばすぐにでも外してやるんだから・・・。数日とかからず数分の辛抱でな。」

く・・・腹が立つが一番てっとりばやいのはその方法だろうな・・・。しかし、こんな理不尽なことをされてもまだ相手のペースで
事が運ばれるのが悔しい・・・。
しかし、俺も本質的にはやはり負け犬なのだ・・・。おとなしく従っておけべ良いじゃないかという感情に9割がた支配されてしまっていた。

「ほれ、もう喉から出かかっておるぞ?俺は何をしたらいいんだ?ってな。」

く・・・なんなんだこのじじいは・・・。ことごとく俺の先を行き常に先手でペースを握ってくる。気が付けばもう戦意のかけらも残っていない自分に気づく。

「じゃあ説明するぞ!お前俺の子分になれ!」
「は?」

何を言い出すんだこいつは・・・。

「子分になるってここに書け!そうすれば半分クリアだ!」

ご丁寧に誓約書まで!いつのまにこんなものを用意したんだ?

「子分ていう肩書きは絶対いやだ!それなら一生これで繋がれたままのほうがましだ!」

一応抵抗してみる。多少の駆け引きは必要だ!
6, 5

  

「なんじゃその開き直り・・・。ふうん・・・じゃあこうしよう。お前は俺の”依頼人”になる、、、と。」
「依頼人?」
「要するに俺の言うことを聞いてそれを忠実にこなしてくれればいいんだ。」

まあ結局言いなりってことだよな・・・。それならなおさらその肩書だけはご免だったな・・・。内容は全く一緒だろうが。

「じゃあ先にスペアキーを用意してくれ!そしたら書く。ありもしないのに先走ってやっぱありませんじゃ困るからな。」

俺もぼけたままではいられない。こちらからも積極的に要求しなければ・・・。

「スペアのキーなんてねえよ。」

は???

「何言ってんだあんた?スペアがなけりゃ開かないだろうがこの手錠!」
「それが開くんだよ・・・。」

そう言うと老人は自分の両掌を俺に向けて見せた。顔同様ずいぶんと年季の入ったものだ。

「俺のハンドパワーがあるからな!」

俺は人間を相手にしてたんじゃなかったんだな・・・。

「もういいわ・・・おとなしく警察行く・・・。」
「おいおい!一寸待てって!!」

もはや諦観した表情でいつにも増して無気力になっていた俺にそんな言葉は意味を成さない。
「ほらよ!」

がちゃり・・・。

「・・・・???」

なんだ?手首付近にずっと感じていた圧迫感がなくなった・・・が・・・?

じゃり・・・

俺の手元に収まっていたはずの銀の双輪が地面に落ちたのだ。今普通には起こりえないことが起こったのだということに気づくまで
数秒を要した。

「ふん、この通り別に鍵なんてなくても外せるんだよ!」

いったいどういうからくりを使ったのか・・・。しかし、正気に戻った時の俺は頭の回転も速い。これを絶好機と思い走り去ろうとしたその時、
がちゃ!!!

「え?」

足が自由に動かず前傾姿勢で倒れこんでしまった。咄嗟に手を付けたから顔面から倒れることは避けられたが、小石によって掌にダメージを受けた。

「いつのまに足に!?」

気が付かぬあいだに足首にも手錠をはめられていた。いや、手に使うべきものなのになほんと・・・。いや驚くべきはいつのまにやったのか?ってことだが・・・。

「どうだ?これで少しは俺のすごさがわかったか?」
「・・・・。」

正直感服した・・・。今はこの年齢だからもう引退しているだろうが、現役時代は手品師でもやっていたのだろうか?
やけに芝居じみた話題の持って行き方などを考えても不思議じゃない・・・。
8, 7

  

「ほう、少しはおとなしくなったな・・・。じゃあ俺の言うことも聞けるな?別にその体制でもいい。そのまま聞け!」

とは言われたがこのままの体勢で俺自身がいいはずないだろうが・・・。膝を屈伸させ腹筋を使ってだるまのように起き上がって見せた。

「まあお前も聞きたいことがあるだろうからそれを汲んで言うんだが、俺は神だ!」

そうか!厨二病でしたか!そうですよね!一瞬、ほんのわずかな一瞬だけでもこいつすげえ!って思っちゃったことを後悔した。

「その顔は全く信用していないようだがな、さっきの芸当を見ただろう?あんなの人間には不可能な所業だぞ?」

確かにそのとおりだ。並みの人間には到底不可能な技だろうな・・・。だが、何かトリックがあるのだろうから
仕込んでおけばさほど難しいことではなさそうに見えた。あくまで素人目線だが・・・。なんかいつまでも敵意をむき出しにしているのも
むなしくなってきたというか、こんな相手に何を大真面目に対応しているんだと自虐的な感情が湧き上がってきたため、
適当に相手をしてやることにした。

「で、何の神なんだ?肛門の神か?便通の神か?」
「そんな下品な神ではない!言うなれば土地神よ!産土神とも言うな。」

電波な発言で切り出した割には小さくまとめにかかってきているのか?

「あんたここの神社に祀られている神だとでも言うのか?」
「ほう、お前にしてはなかなか察しがいいじゃないか!その通り。俺はこの地の守り神であり、この神社にて祀られている神なのだ。主に恋愛をつかさどry」
「嘘こくんじゃねえよ!」

疫病神っていうオチならともかく、こんなじじいに恋愛を司られちゃあ困る!
「まあ嘘だな!よくわかったな!」

なんだよ!あっさり認めるなよ!ほんと意味がわかんねえ!!

「人の恋路も俺にかかればおそらくすべて破局になるだろうからな・・・。そこまで殺生なことはできんな。」

こいつ、何でここでそんな冷静な自己分析をするんだ?どうでもいいんだけどさマジで・・・。

「簡単に言えば人をやる気にさせるための神だ!人生に絶望しかけている人間に入魂させてやるための神!」
「・・・。え?これは冗談じゃないのかよ!」

少し間を開けて渋い顔でにらんでおいたのに今度は訂正なしかよ!

「冗談ではない。現に俺のことが見えるのはお前のように人生に迷いかけているような無気力人間だけだ!」
「何もっともらしいこと言ったように見せてんだ!俺は別に無気力人間じゃねえから!」

俺自身の願望も含めての発言だった。

「まあ、自分は普通でありたいと思うのが多くの人間の性だからな。別に自分を偽るなとは言わんが・・・。わかる者にはわかるもんだ。」

なんなんだこの達観したような物言いは・・・。落ち着け。また相手のペースにはまりかけている!

「まあそんなことはどうでもいいんだよ!てっとり早く何をすればいいのか言ってくれないか?」

話題を元に戻すことにした。
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「ああ、そうだったな・・・。昨日も言ったが、お前は持ち前の素質を完全に錆びつかせてしまっている。そんなことではこの先人生でいいことはない!
だから俺がその錆をきれいにとってやるって言ってんだ!」

ああ。そういえば横暴にも昨日そんなこと言ってた気がするな。

「その代り代償を求めると言ったろ!昨日はそういったが今日は逆だ!」
「逆?」
「お前が先に代償を払うなら錆を取り除いてやる!」
「ふざけんな!」

これに関しては心の底から反論した。

「どこの馬の骨ともわかんないじいさんに何でそんな上から目線でものを言われなきゃいけないんだ?俺の人生は俺が決める!」
「うわー厨二病だなお前・・・。」

てめえだよこのくそじじい!じじいのくせにネットに精通してんのか?厨二病とかいう単語を使える高性能なじじいはそうはいないだろう。

「はー・・・。たくよぉ。俺はこれでも実績のある神なんだぜ?これまでに数人の教え子がいて見事に旅立っていったよ。
たとえば今ブレイクしてる芸人に大島きちおっているだろ?あいつも俺の教え子だ!」

おいおい微妙な位置の芸人持ってくるあたりがやけにリアルで嫌じゃねえか・・・。大島きちおとはすぐに消えるだろうと言われていたが
なんだかんだいって残っている微妙な位置のリアクション芸人である。
昨日もクイズのバラエティ番組に出ていたな。モデルの藪川凛にセクハラ芸をしていたが・・・。

「つまり俺があんたの教え子になった場合最高でもあの程度にしかなれないってわけだな。」
「おいおい!あの程度ってなんだ!お前と違って立派に頑張って生きてるんじゃないか!自分の食い扶持は自分で稼ぎしっかり生きてる。
お前なんかよりよっぽどあいつのが優秀だろう?何でお前こそそんな上から目線なんだ?」
悔しいがこの男痛いところをついてくる。確かに、あんな風にはなりたくない。俺は、もっとやれるんだというくそみたいなプライドがあるかもしれない。
だからこそ、こんな考えが出てくるのかもしれない・・・。実際はまだ何もなしてないぺーぺーだってのに。

「いいか?お前はただまわりより少し勉強ができただけだ!甘えるな!これから先は自分の力で生きていかなきゃならねんだ!」

なんなのこの状況・・・。よくわからんがこの老人は確かに只者ではない。ある意味人を見る目があるのか、
俺の現状?を正確に当ててくる・・・。本当に神だとしてもおかしくないくらいに心の中を見透かされている気さえする。

「もういいだろ?いちいちお前の文句聞くのもめんどうくさいからな・・・。じゃあ、これからお前にやってもらう頼みごと1つめを発表するぞ!」

不思議ともう抵抗する気が起きなかった。この男に諭されたとは思いたくないが、少しでも見返してやりたくなったのかもしれない。

「最初にの頼み事はこれだ!じゃん!」

老人はまたもやどこからともなく白く薄い半紙を出してきた。そこに書かれていたのは・・・。

「モデル藪川凛のメアドを俺に教えろ!」

過去最大級の鬱状態に陥った気がした。
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