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07.その微笑は女神のごとく

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 生きる、ということを決めてから、天馬は人の話をまともに聞いたことがない。やめろ、と言われたらやってきたし、死ね、と言われれば生きてきた。
 そうやって天邪鬼に生きようと思えば、天馬の人生はそういう生き方に適合しやすいものだった。いや、べつにこれは天馬が特別なのではない。
 絶対に誰よりもテンパイが早く、絶対にアガリ牌がヤマに生きていて、絶対に裏ドラを乗せるほんの一握りの神に愛された人間以外はみんな大なり小なりそんなものなのだ。
 生まれ、育ち、苦しみ、老い、病み――そして死ぬ。
 天馬は思う。幸せを待つなんて馬鹿のやることだと。
 人間の生涯は不幸なのが当たり前なのだ。なにもかもがうまくいかず、なにもかもが不適当だ。
 進みたい道の才能は枯れ、ゴミみたいなせせこましさばかり豊潤で、いいやつから死んでいき、クズばかりが生き残る。
 地獄とはこの世のことを指すのではないか? 死んだやつらがよく見えるのは美化だろうか?
 俺たちにできることは待つことじゃない。
 天馬は思う。牌の流れを暗い瞳で、見守りながら、天馬は思うのだ。
 俺は、期待だけは誰にもしない。
 自分にも、他人にも。
 そんな愛想は、尽き果てた。




 オーラス。
 天馬の配牌。
29, 28

  

<二八(149)13689発中青玄>ドラ5s

 配牌を開けてこの中身だ。宝箱を開けたらミミックではなく『ざんねんながらぼうけんのしょはきえてしまいました』の紙切れが入っていた感じだ。とてもトップを狙いにいける手じゃあない。
 打点を見てみよう。
 現在天馬はトップの清水と23200点差。
 これはハネマン直撃、倍満ツモ(清水はラス親)で変わる点数だ。
 しかしこの麻雀、天馬が清水の獣牌である玄武をトイツに使っていると、ツモって清水から点数が来ない。四千八千のツモは八千・八千・ゼロになる。これは清水の失点分の八千を詩織と導師に分配した形だ。
 ならば、もっともアガリに不必要なものは玄武ということになる。よってそのように打った。
 では、第二打も獣牌である青龍から外していくだろうか?
 いいや違う。
 獣牌トイツによるツモ変動の変化。
 天馬はこれに着目した。つまり、三千六千でのまくりの検討だ。
 ここまでシャンテン数の悪い手を引いた以上、狙うはチートイないし純チャン三色。
 そして一番期待できそうなのは、ゼロトイツとはいえ天馬のクズツモ率の高さも考慮すれば、チートイツだ。そんな馬鹿なと思った方は天馬のねじくれ麻雀をあまりごらんになっていない方だろう。
 馬場天馬はへその曲がり方とツモの曲がり方が基本的に同じベクトルを向いている生粋の変り種なのだ。
 話を戻す。
 三千六千での23300差まくりとは、詩織と導師の獣牌をトイツにしたリーヅモチートイドラドラのことだ。二人の三千点がそのまま清水の失点になれば、これはハネマン(12000)の直撃と同じこと。
 ゆえに天馬、3sツモの打4p。
 人の言うことに素直にウンと言っている人生のままでは、天馬はこの一打に届かなかっただろう。
 せいぜい手なりで打って、チートイツが関の山。
 いまは違う。天馬は変わった。
 死ねと言われれば生きるし、負けろと願われれば勝つ。
 それが馬場天馬だ。








 十順目。
 天馬、テンパイ。
31, 30

  

1133赤5599朱発青青中中>

 …………………………………………………………………………。
 あれ? 高くね?
 天馬もそう思った。
 字牌絞ってあわよくば染め手のチートイ、などと思っていたらドラまで重なってタイヘンなことになった。しかも赤。
 霊験あらたかな神気さえ漂ってきそうな鬼ヅモであった。
 ホンイツ(獣牌はどの種類も染め手に適用可能)チートイドラ3。
 軽く倍満までいく。ツモでも出アガリでも逆転。ただし青龍がトイツであるため詩織からのみ出アガリはできない。
 さて、本来ならば朱単騎に受けてツモったときにトップの清水の一人払い、が本筋だったわけだが、必要打点をオーバーした以上、かえって朱雀は邪魔だ。
 もし導師から朱雀や切った発が出た場合が痛すぎる。
 発は生牌。通常よりも三元牌を絞るこの麻雀で出ることは期待できない……が、さすがにそう何度も危険牌単騎になど受けられるはずもなく、暗刻にさえされていなければ、案外あっけなく零れてくるかも。それどころか三枚持ちを口実にオリ打ちしてくれるかもしれない。
 朱雀だ。朱雀打ち。それしかない。
 ツモって四千、八千ならぬ八千、一万二千。
 だが、天馬がちらっと見やったのは、朱雀の導師ではなく、対面の詩織。
 詩織の河に不自然があるわけでもない、鬼気迫る気配をかもし出しているわけでもない。
 ただ、静かに微笑んでいる。手を口にかざして、花の香りを楽しんでいるかのように。
 詩織の言葉を思い出す。一度決めたラストは――――。
 ふざけろ。
 天馬は指でつまんだ朱雀をぎゅっと轟盲牌せんばかりに締め付ける。
 確かにこのポイントマッチ、ラストを作ることは大事だ。が、最後に総取りするのはトップだけだ。
 生き残るのはたったひとりだ。そうでなければグレーが残る。
 勝負にグレーは必要ない。
 辛い一時。
 だが、天馬は決断を下した。
 ――――――――――勝負
 打、朱雀。導師は動かない。清水もツモ山に手を伸ばしただけ。
 詩織は、



「ロン」
33, 32

  

<詩織手牌>
 三四赤五(345)345朱朱青青 ドラ:5



 天馬の左瞼が、ぶるるっと震えた。
「三色ドラ4。一万二千……」
「うむ」
 導師が細面に似合わない図太い声を出した。
「棚から牡丹餅、これも麻雀」
 導師は自分の手牌を伏せて天馬からの点棒を待った。
 しかし天馬は動かず、魅せられたように詩織の手牌に寄せられていた。
 なぜ、という言葉だけが搾り出された。
 詩織が嬉しそうに破顔する。
「説明不足だったかな。この場合、アガったのはわたしだから、導師の得点にはなるけどその獣牌である朱雀はドラにはならない。じゃあわたしの獣牌である青龍は導師の得点だからドラにはならないかというと、そうじゃなくって、アガったわたしのドラとして換算される。ちょっと複雑だけどすぐに慣れ――」
 天馬はぴしゃりと詩織の口舌を打ち切った。
「おまえ、いま点棒いくつだ」
「――――」
「答えろ」
「22700」
 天馬はぱらりと一万二千を導師に払った。
 導師の方を見もせずに尋ねる。その目は詩織の笑顔を睨みつけたまま。
「いくつだ、メガネ」
「11900に12000足して、ふむ、23900だな」
 卓に沈黙が降りた。四人を俯瞰するものがいれば、四方に置いた灯りが、そのときばかりはなぜか、詩織と天馬だけにか細い光を寄せ集めたように見えただろう。
 天馬は言った。
「てめえら組んでるのか」
「覚えてないかな、馬場くん」
 詩織は切なそうに眉をひそめた。
「言ったと思うけど」
「なにを」
「言い方が悪かったかな? ちゃんと伝わらなかったんならごめんね、謝るよ」
「だから、なにを!?」









「わたしは、一度狙った獲物は逃がさない。

 このレースの最初の周回遅れは、君にした」










 わたしいま上手いこと言った、と詩織は一人ではしゃいだ。
「馬場くん、足、遅そうだしね? あはっ」
 付け加えられた言葉を、天馬は苦い思いで噛み締める。
 届かなかったトップへの切符を、断腸の思いで河へと返す。
 牌がかき混ぜられていく。最初の半荘が死んでいく。
「俺は」
 天馬は、新しいヤマを、新しい運命を積み上げて、ぽつりと言った。
「俺はもう、ビリには飽きたんだ……」
 天馬らしい決意表明だったろう。詩織は、少しだけ嘲りの入った冷めた眼差しを天馬に向けた。
 気がついただろうか?
 そのとき、はじめて、ほんの少しだけ、紙島詩織の仮面に亀裂が入ったことを。余裕の隙間に、確かな苛立ちがちらついたことを。
 それは詩織の心と天馬の心がぶつかり合った証。
 人の心は、麻雀の闇に届くのだろうか?



 <ポイント累計>
  詩織-17
 雀導師+ 4
  天馬-51
  清水+64
34

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