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08.インフレ麻雀

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「ツモ」
 天馬は卓のふちにそっとアガリ牌を置いた。さかさまになった白虎が中空を睨んでいる。

 一二三三四五(234)567虎

「二千、四千」
 バラバラッと賽銭箱に入れられた小銭のように振ってきた点棒を箱に投げ込む。
 東発とはいえこれで一応はトップを取ったわけだ。この調子を崩さずに済めばまだ一回のラストぐらいどうということはない。
 と、言い切れないのが星辰麻雀であることを、天馬は痛切に感じていた。皮肉にも、それを物語っているのは、いまの天馬のアガリだ。
 自分の獣牌単騎でリーチをかければ、ツモったときにリーヅモドラドラは確定。出アガリのときはリーチドラドラ、5200の二倍は10400点。裏でも乗れば倍満に達する。
 この麻雀は点数がインフレしている。満貫一発くらいで楽々独走できるタイプの麻雀ではない。
 字牌の安全率が軒並み低く、接近戦で打ち合うことになるのが予想される。そして天馬は、リーチの打ち合いで勝てるような生ぬるい人生を送ってきたりはしなかった。
 どこかで、出し抜かなければならない。
 それは点数だけの問題ではない。この勝負、この遊戯の奥に流れる本当の河、そこにバカでかい飛沫を起こし、うねり猛る波を引き起こす。そうして清水も導師も詩織もなにもかも津波の中に沈墜させなければならない。でなければ、こんな勝負に意味はない。





 東二局。
 親の導師(朱雀)からリーチがかかった順目、天馬の手牌
37, 36

  

 一二三(4566688)7発朱玄

 かなり強い磁力に引かれて、天馬はよほど8pを落とそうかと考えた。6pの壁を頼りにしたトイツ落としの方がまだマシ……しかし、導師のリーチ宣言牌は9p。799の形から9落としの穴8pの可能性もあるし、79に最後の6pを持ってきて9p外しの5-8pも本命だ。壁なんてものは、結局、導師の手に6pがあれば糞の役にも立たない――
 唇をきゅっと噛んで、天馬、打牌。
 タンッ
 打、玄武。

「ロン」
 しかし声が上がったのは、下家の清水からだった。
「――チートイツドラドラ、6400は12800」

 清水に刺さった。玄武単騎。たったのこれだけでハネマン以上の放銃だ。やっていられない。これで東発に仕上げた満貫はパァだ。しかも初回トップの清水はこれでますます勢いづくだろう。
 だが、天馬はやはり、気難しい顔で点数を大人しく支払うだけだ。
 忘れてはいけない。これはインフレ麻雀。
 どの道、超至近距離からの殴りあいになるのは必然。ハネマンだろうが倍満だろうがポコポコ出ておかしくないのだ。
 顔を一発二発張られたぐらいで音を上げていてどうする。
 本当の地獄はこんなものではなかった。恥辱と苦悶に苛まれ、誇りを心を切り刻まれていたときに受けた痛みは、こんなものではなかった。
 天馬の意思は衰えていない。だが、それでも、東三局の親番を迎えて、ここでしくじるようでは本当に取り返しのつかない落ち目に入りそうな気もしていた。
 配牌。
39, 38

  

 二三四五(34)3345567虎

 それは、きらきらと輝くような手牌だった。だが天馬の顔に生気はない。タンピン三色、もしくはドラドラ三色。リーチしてツモれば浴びるような点棒を得ることになるというのに。
 静かに3sを外す。その顔は、まるで生きることも、喜ぶことも、忘れてしまったよう。悲しげな一打。
 そんな天馬のつれなさに、勝負の女神が業を煮やしたように。
 第一順目にそれは起こった。


「ポン」


 パタリ、と二枚の牌を倒したのは清水。打ったのは詩織。その指はまだ、聖なる玄武の絵柄から離れきっていなかった。
 満面の笑顔をたたえた清水が星空に三匹の守り神を叩きつける。天馬は清水の上家。チーされるかもしれないが、かといって降りるわけにもいかない。苦しい立場。だが悪いことばかりではない。天馬の手牌もいいのだ、すぐに追いついて即リーチに打って出れば好調清水の足をくじけるかも――
 そんな淡い期待も、女神はお気に召さないらしい。
 もっともその女神は、紙島詩織のしもべのようだったが。


「ポン」


 パタリ、と。
 今度は真っ白い牌を清水が倒した。打ったのは、まだ、詩織。
 天馬の三白眼が、今度こそギロリと詩織を睨んだ。
「あはは、ごめんごめん。こっちも手がよくってさ。打たないわけにはいかないんだよねぇ」
 めんごめんご、と両手を拝んで詩織は親番の天馬に頭を下げる。そんなものでドラ3確定の責任が取れるのだったらパオはいらない。
 詩織と導師は早速警戒し始めたのか、清水の安全牌(まだ三枚しかないが)を打って防御を固めている。こんな順目でオリも糞もない。
 力強く引いたツモ牌を、天馬は手牌の横に打ちつけた。
 シマ虎模様の白虎が、天馬のことを見やっている。
 討ち取ってやる。
「リーチッ!」
(これでやられれば、俺のトップはもうあるまい)
 2-5p待ち、高めの5pで三色――少なくとも2pは清水の河に一丁、合わせ打った詩織が一丁打っているにしても、掴めば出る牌だ。
 掴めば、の話だったが。


「ロン。なんだ、簡単な麻雀だな。ポンポンさらしてこんな穴二萬がアガれるとはね。はい、八千点」


 一三(456)56799 ポン:(白白白)(玄玄玄)


 リーチ牌を打ち抜いて、天馬はまだ、肘を曲げた姿勢のままだった。
 じわり、と前髪の隙間から覗く額に玉の汗。
 対面から詩織がむんずっと天馬の手牌に手を伸ばし、左から三枚目の牌を人差し指で倒した。
「あーあ」
 それは、歳の離れた弟が粗相をしたのを見る姉のような顔だった。
「やっぱり三色か。そんな綺麗な役、アガれるような自分じゃないって、キミは知ってたはずなのにね、馬場くん」
「おまえに……俺のなにがわかる?」
「わかるよ」
 詩織は乗り出していた身をすっと退いた。
「わたしは陰陽師だもの。牌の流れも人の心も見抜いて見せるよ」
 ホントかよォと清水が茶化し、導師は彫像のように沈黙している。
 天馬は、牌をかき混ぜながら、オンミョウジってなんだろうと思った。




 二回戦 東三局終了時

 詩織 21000点
 導師 23000点
 天馬 12200点
 清水 43800点
40

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