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挿入『妹』

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 部屋に戻ると、いつも通り、ベッドで妹が寝ている。ただでさえ小さいベッド一杯に大の字になっているものだから、これでは僕が寝ることが出来ない。
「いつも言ってるだろう。たのむから自分の部屋で寝てくれよ」
 そう叱ると、てこでも動かない妹の、死体のような寝姿から反論が飛んでくる。
「いいじゃない、いいじゃない。減るもんじゃないし、むしろ二人で寝ることで愛が増えてラブラブ、みたいな?」
「みたいな? じゃない。布団の面積は確実に減っていて、そのせいで二人で寝る事なんて出来やしないじゃないか」
「え? じゃあ面積さえあれば一緒に寝てくれるの?」
「馬鹿じゃないのか。却下だ」
「馬鹿はどっちさ! それじゃあお兄ちゃんはどこで寝るっていうの?」
「きみがどいてくれた広々とした布団で寝るよ」
「それは返答になってません。なぜなら私をここをどくことなんて、ありえないからです。幻想だからです。めるへんだからです。以上の理由から返答のやり直しを求めます」
「……なら、おとなしくリビングのソファで寝るさ」
「そんなのだめ! 風邪ひいちゃうよ? きっとひいちゃうよ? 布団のなかに潜りっ放しになっちゃうよ? 寝たきりはつらいよ? さみしいよ? ……あ、でもそんなお兄ちゃんもいいかも。あのね、布団にもぐって顔が真っ赤なお兄ちゃんはね、ちょっと申し訳なさそうな顔をしながら呼吸が乱れているの。私はその横でりんごを切ってあげるの。お兄ちゃんは私の顔をじっとみつめているの。私はそれに気付かないふりをしているの。それでね、それでね。りんごを切り終わったけど、風邪で弱ったお兄ちゃんの顎はそれをかみ切れないの。弱々しい唇からりんごがこぼれおちて、それを見た私は、仕方ないなぁ、って笑って、そうして落ちたりんごを口に放って、かみ砕いて、溢れる果汁と一緒に、やわらかくなった果肉を、口移し……。ぽ。きゃっ、そんな破廉恥な! お兄ちゃんのえっち!! ……でもね。でもね。でもでもでもね。私はべつにいいんだよ。お兄ちゃんがかくあれかしと求めるなら、なんでもいいんだよ。だって私、お兄ちゃんのことが……。って、あれ? お兄ちゃんはどこ? どこなのお兄ちゃん! どこなの!? 戻ってきて! カムバック・ビッグブラザー!」

        ○

 就寝前にはホットミルクを飲むことにしている。匂いたつ牛乳は臓腑の隅々に沁み渡ってそっと心をいやしてくれる。マグカップを電子レンジから取り出し、砂糖をまぜて一口すすった。おいしい。
 ――あたたかい。それって、生きてるってことだ。うれしいね。
 昼間のなこの言葉が、湯気と一緒にふっと沸きたつ。
 なこ。不思議な少女だ。とても今日出会ったばかりだとは思えない。まるで古くからの友人のように馴染んだ手触りの女の子だ。
 ――あああ。そうだ。ぼくはきみだ。きみはぼくだ。そうなんだ。ね。
 彼女は言った。確かに言った。意味深な言葉だ。
「でも、おかしいじゃないか」
 ふいに声が聞こえた。女の子の声だ。なこのものとも、妹のものとも違う。それでいてどこか似通っている、不思議な響きの声。はっとして、あたりを見回す。誰もいない。キッチンには僕とマグカップと、それだけだ。
 いや、他にもまだある。たったひとつだけある。それは湯気だ。ゆらゆらとうごめく白いもやの中に、角をもった少女の幻覚が見える。立派な雄牛の角だ。曲がりくねって、巨木の根のようにたくましい。それが左右の側頭部に二本ずつ、あわせて四本、生えている。
 少女は言う。
「きみはぼく。ぼくはきみ。二人は同じ? でも、そんなことあるはずがない。だってきみはきみだし、ぼくはぼくだ。私は私だ。あなたはあなただ。そうだろ? だからそんなことあるはずがないんだ。いや、まったくおかしい話だ。それこそきちがいのたわごとだね」
「そりゃそうだ。というか、そもそもそういう意味で言ったわけじゃないだろう。あれはただの比喩だよ」
 言い終わってから、幻覚と話をしているのだ、ということに気付いた。しかし特になんの感情もわかなかった。それは至極あたりまえのようなことだと思った。
「たしかにそれは一理あるね」
 幻の少女はうん、と頷く。幻覚だというのにわりあい素直なやつだと思った。でも違った。すぐに少女の顔が変貌した。じつに邪悪な笑みを浮かべて、にやにやと嘲るように、こう言うのだ。
「でもね。でもね。でもでもでもね。私は知っている。僕は知っている。きみも知っている。あなたも知っている。誰かがこっそり別の人間のふりをしていることを。まぎれているんだ。僕らの中に。きみらの中に。そいつは違う人間の仮面をかぶって、さも自分は無罪です、とでも言いたげに弱い生物をきどっているよ。でもそいつの本心を暴いてやろうか。それはただの醜いエゴの固まりだ。自意識、自我、わたし、僕。ふくれあがって、よじれて、月光に青白く照らされて、太陽に白く焼かれて、金星に微笑んで、そういった類のエゴイズムが心の奥底で獰猛に瞳を光らせているんだ。さて、どうしたものかね。どうするべきかね。あの欲望の怪物を!
 けれどもそれはどうしようもないんだ。だって、そいつは確かにそいつ自身で、そいつが誰を名乗ろうとそいつであることは変わらなくて、だけどもきみも僕もそいつのことをあいつだと思っていて、僕らのなかではまず間違いなくあいつはそいつなんだ。あいつ=そいつなのだから、そいつ=あいつでもあるのだよ。ほら、証明終了だ。だったらそれはなんの間違いでもないね。正常だ。どこまでも正常だ。時間が進み続けるように。宇宙が膨張しつづけるように。そいつがあいつであることもまた必然なり」
「……くだらない。きちがいのたわごとだ」
「そうだ。そうだよ。だって僕らは、わたしたちこそ、まさしくキチガイなんじゃないか。ねえ、そうだろ?」
 角の少女は声をたてて笑って、湯気のなかからふっと消えた。あとには哄笑だけが響いて、キッチンには僕とマグカップしかいない。牛乳はもうすっかり冷めてしまって、湯気はもう昇りそうにもない。
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