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Omen

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 ヘリから輸送機に移された私は、椅子に腰掛けていた。身体中がだるくて、早くも筋肉痛になっている所もあった。ぼーっと床に視線を注いでいる様は、傍目から見たら生気が無いと思われるだろう。
「ほら、白井も飲もうよ。ジョンのプレゼント」
 レオンが缶コーヒーを私に向かって差し出した。私は、飲む気にはなれなかった。疲れて、胃が何も入れようとしない様な感じだったし、そもそもコーヒーは好きじゃない。
「……いらない。コーヒー、好きじゃないから……」
「そうか、じゃ、やっぱり苺オレとかの方が良かったかな? 俺が飲んじゃった、ゴメン」
 レオンはしゅんとして帰って行った。その背中に、樫尾が声をかけた。
「苺オレはお前に買ったもんじゃないんだけどな」
 うるさーい、とレオンが顔をしかめたが、その後に窓をちらと見て、綺麗だな、とだけ言った。私もふらふらと立ち上がって近くの窓を覗き込むと、満月が目に飛び込んできた。
「気分はどうだい?」
 今度はパクが私に近付いてきた。
「……今……何時ですか?」
「6時45分だよ。大変だったろう?」
 すぐに答えが返ってきた。外は本格的に闇の色を濃くしていて、僅かに残る日の光はほとんどが闇夜に呑まれていた。私はだるい身体を支えたまま、窓から街を眺めた。
 ……暗い。ビルや建物の灯りが消えていて、死んでいる様に暗い。こんなに暗い東京を、私は今まで見た事がなかった。パクが私の隣に来て、私と同じ景色を見た。
「ここ一帯の電気が切断されたから、復旧まで暗くなっているのさ……新鮮だろ? 眠らない街、東京が眠ってるなんてね」
 視線を窓からパクに移した。パクは私を見守るような目で見つめていた。
「サクリは回収した。アンタの仕事はもう終わった訳だけど……」
 そこで、パクは言葉を切り、人差し指と中指で『2』を作って私に突き出して見せた。
「アンタは今、2つの選択を迫られてる」
 パクはその中指を折った。
「まず1つ。この事に関する記憶を消してから、帰っていつも通りの生活に戻るか」
 さらに中指を立てて、元の『2』に戻した。
「そしてもう1つ。『白井』って存在を殺して、私達の所に来るか、だね」
「『殺す』……?」
 私が聞くと、パクは静かに頷いた。
「そう、『殺す』のさ。アンタの友達、両親、今までの事を全て断ち切る、つまり自分の意思で忘れるのさ」
 それを聞いたとき、私の背中を逆撫でするものがあった。パクは続けた。
「坂下が悪いんだよ。アイツが子猫なんか拾って来なきゃ、こんな面倒な事をしなくてもすむんだけどね」
 パクはそう言って、窓の外を眺めながら溜め息を吐いた。
「……言っても、もう聞こえないんだろうけど」
 パクは再び私に向き直った。
「で、アンタはどうしたい? いつも通り平和に過ごすか、過去を完全に亡き者にするか」
「…………」
 私には、どちらを選べばいいのか、分からなかった。
「1つ……聞いてもいいですか」
「ああ、いいよ」
「記憶を消す方を選んだとして、私はどうなるんですか?」
 言い終わってすぐ、どうなる、と言う言葉に語弊が生まれないかどうか不安だったが、それは杞憂に終わった。
「そうだね……まず、特殊警察管轄下の施設があって、そこで記憶を消してもらうわけだけど……」
 パクはそこで言葉を切った。
「その時に、『ナノマシン』って言う、ウイルスみたいな物を注射するんだ。ナノマシン自体に害はないし、3日もすれば尿と一緒に排泄される。だけど、それまでは電波のある場所に行けないんだ……それまでは、施設の電波遮断室の中でじっとしてないといけない」
 3日で、帰れるのか。意外と簡単な事に少し拍子抜けしたけど、それでも決めかねた。
 過去を捨て去れない思いはあった。だけど、今までと同じように過ごすことは出来ないのも分かっていたのだ。何かが無いことに、気付いているからだ。
 欠けたままの、平和な日常。
 故郷を失った、渇いた日々。
 私にとっては、非情な2択だった。
「私には……どうしたら良いのか……」
「分からないのも無理はない。アンタは友達をなくしたんだろう? しかも、心に穴が空いたまま、誰にも真相は分からない。今まで通りに過ごすことなんて無理だろうね」
 私はうつ向いたまま、パクの話を聞いていた。
「……だからと言ってこっちに来れば、その悲しみは日常茶飯事になる……戦いってのはそう言うもんだ。戦えば戦うほど、ぽっかり空いた心の穴は更に大きくなる」
 パクの声も、始めに出会った時では考え付かない程に、暗く静かになっていった。私はパクの顔を見上げた。大切なものが欠けたような、寂しげな顔だった。
「……だから、戦いは悲しい。まだ若い頃の樫尾にも言ってやった言葉だよ」
 しばらく静かな時間が過ぎていったが、パクはそれが気に入らないとばかりに話し出した。
「悪いね、暗い空気になっちゃって」
「いえ、別に、気にすることじゃないです……お陰で、決まりました」
 私はパクの顔をじっと見た。
 パクは、気付いてくれた。
「……それでも、戦うのかい」
「うん」
 パクの悲しい目を見て、私は思ったのだ。この人達はみんな、何かしら哀しみを背負っているに違いない、と。
 どうして戦うのか。それは言ってみれば、誰かを護るためだと思った。もう、誰も悲しませたくはない。そんな気持ちがどこかにあるような気がしたのだ。私も、それは同じだと思ったのだ。
 パクは、ハァ、と言う溜め息1つと引き換えに、引き締まった顔を取り戻した。
「……分かった。アンタはもう、『白井』を捨てたんだね」
 それでも構わない。もう、友達を傷付けさせはしない。例え私が、友達じゃなくなっても。
 と思ったその時だった。再び、酷い目眩がして、ぐるぐると平衡感覚がなくなっていった。私はその場に倒れ込んだ。
「大丈夫!?」
 樫尾や、エレン、それにレオンもその声を聞いて私に近寄ってきた。
「だ……大丈夫」
 ディズニーランドではしゃぎ、その後のゴタゴタですっかり無理をし過ぎていて、眠っていた方が良いのかもしれない。私はどうにか立ち上がった。ヘリの壁にもたれ掛かり、再びパクの顔を見ようと顔を上げた瞬間、今度は激しい頭痛が押し寄せてきた。
「うぅ……っ!」


『――――!!』


 胸が苦しい。動悸が酷い。
 その中で、言葉が頭の中に入り込んできた。誰の言葉なのか、何を言っているのか分からない。もやもやしたものが頭を覆って、訳が分からなくなった私は頭を抱えた。
 気付けば頭痛は治まっていた。
「大丈夫かい? 随分疲れているようだから……しばらく休みなよ」
 パクや皆が心配そうに私を見ていた。私は頭を抱えたまま、また椅子にもたれ掛かって、目を閉じた。
 ……誰の声だったんだろう。
 私は、必死にさっきの言葉を思い起こそうとしたが、煙の中に埋もれた言葉が、また出てくることはなかった。もやもやを抱えたまま、私はヘリが着陸するのを感じた。

 6時55分。
 輸送機は大きな空母の様な戦艦に着陸した。ボロボロになったサクリも、甲板の辺りに下ろされていた。
「さて、まず近況報告だけしておく。今、世界中でサクリと同じような爆弾が発見されてる。まだ起動はしていないけど、装甲が硬すぎて今は手も足も出ていない状態だ。何せ、ダイヤモンドカッターでもキズつかないらしい」
 レオンが「マジかよ」と苦い顔をした。
「あと、大阪で日向達が『最終兵器』とやらを阻止しようとしてる。その場所が分かったから、自衛隊も出動したようだ」
「自衛隊が?」エレンが身を乗り出した。
「どうやら『最終兵器』が作動する前に制圧するらしいね。もう大阪湾に着いてるはずだ」
 パクはそう言った後、陸の方を指差した。
「さて、今度は私達だ。私達は伊勢湾に着いたけど、あそこに何か見えるだろ?」
「あれは……!?」
 連なった街の光が煌めいている中に、巨大な影が海の上に浮いているのが見えた。
「あれは敵の戦艦。6時26分に、中部国際空港が占拠されたって情報が入った。私達の任務は、あそこにもうすぐジェット機が入るはずだから、それに乗り込もうとしている河原崎の身柄の確保、あるいは抹殺だ」
「遂に河原崎のお出ましか」
 樫尾が待ちわびたと言わんばかりに意気込んだ。
「しかし、国際空港の占拠となれば、自衛隊は出動するだろう?」
 レオンがそう聞くと、パクが勿論、と頷いた。
「自衛隊と、SATには作戦開始まで待ってもらったよ。後はあんた達だ」
 パクが真剣な顔付きになり、皆を急かすように叫んだ。
「作戦は10分後! 今からその説明するから、よく聞いて急いで支度しな!」

「大丈夫なの?」
 エレンが話し掛けてきた。
「え?」
「具合、悪かったじゃん」
「……う、うん。もう大丈夫だから」
 まだ大丈夫という訳ではなかったけど、心配されるのも何かお門違いな気がして、私はかぶりをふった。
「それならいいんだけど……でも、やっぱり、色々あったから」
 そう言って、エレンは甲板へと歩いていった。その先にはパクと樫尾が自衛隊とおぼしき人と話しているのが見える。私は視線を甲板から目の前の海の中に移した。海は黒々とした水を湛えていて、忙しなく泡立っていた。街の光も慌しく煌き、激しい潮風も私達を押し返すように吹き付けている。その中で、月だけが静かに闇に佇んでいた。
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