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 世間から、寄生虫だの役立たずだのと侮蔑されている僕。
 ここに宣言しよう。それは真っ青な事実だ。
 いま僕は、ニート真っ盛りで親の脛をかじっている。と言うよりむしゃぶっている。それも、ものすごい勢いで。
 おかげで父も母も少し仕事を増やしたようで、痩せたように感じるのは間違いではないだろう。
 いやはや、いつしゃぶれなくなってしまうのかと思うと不安だ。
「おはよー」
 下階(げかい)からは、我が家を照らす唯一にして無二の蛍光灯である妹の明るいあいさつが聞こえてきた。今日も元気そうで何よりだ。
 その明るさは僕の推測で、軍用のフラッシュバン(一般的にはスタングレネード)の明るさである600万~800万カンデラ以上であるとされる。1カンデラが、おおよそ蝋燭一本分の明かりの単位なのだから、単純計算で蝋燭600万本の明るさだ。
 一体、どんな儀式をするつもりだ。
「起きろ! 今日も親のカネで飯がうまかろうよ!」
 ガツンガツンと扉を鳴らし、妹は心に刺さる事実を突きつける。そうです。僕はクズ野郎です。今日も再認識させてくれてありがとう。マイスイート。
 さてさて、心の傷には唾でもつけておき、もう朝食の時間らしい。
 まったく、カーテンを閉めたままだと自然光を浴びることがないから、昼夜の感覚がなくなって困る。
「飯、ここおいておくから! 今日はベーコンエッグとトーストだよ」
 カチャン。と扉の向こう側から音が聞こえる。その次には、どかどかと女の子らしくない足音を響かせ、妹が離れていった。
 もう一度、扉に耳を立てて確認する。よし、誰もいないな。
 外に出る。そう思うと冷や汗が額を伝い、そのまま背中を蛇の様にヌルリと履って、不快感を煽る。いつまで経っても外出は慣れないものである。なにせ、外には【奴等】がいるのだから。
 
 
 
 わずか一呼吸有るか無いかの間に僕は壁抜けの術を使い、トレーを室内に持ち込んだ。きっと、超超スローモーションカメラでも使わない限り僕の姿は視認することが出来ないだろう。うん。勿論、嘘だ。普通に扉を開けよう。
 僕は忍者のように音を立てずに扉を開け、鷲のようにトレーを掴む。一応左右を確認してみるが、やはり誰もいない。もしかしたら、皆が気を使って放置してくれてるのかもしれない。そう思うとなんだか視界がにじんじゃうね。
 トレーを持ち上げて顔を上げれば、向かいにある妹の部屋にいつもの下げられたプレートが目に入る。
【退出ちゅー。何人も入る事なかれ。Keep Out】
 退出か、つまり妹は今日も学校に行ったのだろう。健康的で恨めしい。や、羨ましい。
 どこで何がおかしくなってしまったのか、つい最近まで僕らは同じ学校に通い、同じクラスで授業を受けた。言わば、元クラスメイトである。元、というのは僕が学生ではなくなったからで、今の肩書きは自宅警備員兼誰それさん家の大変な子だ。
 ところで、妹の事を僕は妹と呼んでいるのだが、元クラスメイトである妹は当然ながら同い年だ。がしかし、双子ではない。一人が視界を潰すくらい脳天気な明るさで、一人がカビでも生えそうなジメジメ君だなんて双子がいたら、それはそれで面白いだろう。僕なら漫画化している。タイトルは、そうだな。【スタングレネードカビ】というのはいかがか。
「いかがか? じゃないよな」
 第一、僕は絵が描けない。問題はそこではないかもしれないが、この際地球のへそにでも投げ捨てておく。
 さて、話がそれてしまったが妹と僕の関係は実に面倒だ。国会くらいねじれてる。
 妹は僕の継母の連れ子である。あれ、簡単だった。 しかも、あろう事か一言で現してしまった。
 大したことないな妹。うむ、実に薄っぺらい。
 やはり僕は兄にふさわしい。
「お前だって、継父の連れ子だろ」
「はっ!」
 天の声が聞こえた気がした。が、そんな事はない。多分。
 馬鹿みたいに妹部屋の扉を眺めているのも飽きたので、僕は部屋に戻る。いや、お世辞にも頭はよくないけどね。
 扉を締める。鍵を閉める。閉める。閉める。奴等にはこれくらいじゃ意味がないかもしれないが、無いよりはましというやつだ。
「ふむ」
 PC用の背もたれ椅子に座り込んで、腕を組む。こうしていると、なんか頭がよさげに見えるのではないだろうか。
 が、そんな格好とは裏腹に、目の前の画面上では軍服を着たキャラがちょこちょこと動き回っている。何のことはない。ネトゲだ。
 お察しの通り、僕は学校にも行かずにネトゲ三昧。おかげ様で、ネットじゃちょっと有名な廃人だ。
 そんな僕でも、食事のときくらいはゲームからログアウトし、朝食と向き合う。
「確か、今朝はベーコンエッグだったな」
 つい言葉を漏らしながら記憶の糸を探れば、すぐに釣れた。流石は僕の脳。伊達に腐ってない。そこら中、穴だらけで糸が垂らしやすいのなんのって……いや、今のはなかったことにしよう。
 無かったことにしたかったのだが、実際の所、妹がたまに持ってくる学校のプリントは意味が分からない。数学。あんなのは、何処かの魔術書から抜き取った呪文だ。現代文学。今の文学ってのは(・3・)とか(笑。じゃないのか。
 大体、僕の脳味噌が腐っているのは今に始まったことじゃないし、学校の勉強が分からないのも今に始まったことじゃない。出来ることは出来る奴がやればいいのだ。と、現実逃避を決め込む。
 それより、今は目の前のベーコンエッグ改め、玉子焼き改め、焼いた黄身、だ。
 何だがいろいろ改めたような気がするが、仕方が無いのだ。なにせ、お皿の上には固焼きになった気味だけがちょこんと乗っていた。
 よくよく見れば、お皿の表面にはベーコンの油と思しき後や、白身の欠片も落ちていたので、本当はベーコンエッグだったのだろう。
「あーそういえば、妹の奴は黄身が嫌いだったなぁ」
 目玉焼きは必ず黄身を残す。
 昔からそうだ。小さい頃から妹は家に泊まりに来ては僕に朝食の黄身を食べさていた。あれも、今思えば僕の栄養バランスを考えてくれていたのかもしれないと思うと、胸が熱くなる。
 ま、そんなわけ無いのだけど。
 お腹がすいたから食べました。でも、気味は嫌いなのでいりません。と言った所か。相変わらず傍若無人というか、天上天下唯我独尊を地で行っている。
 余談になるがその傍若無人っぷりを表すいいエピソードとして、「炒り卵は大丈夫なのか?」と聞いたら、「アレは白身が入ってるじゃない。そんな事も分からないの?」と答えたことがあった。「意味がわからない」と文句を言ったら「頭の悪い奴にはわからない」と馬鹿にされた。僕は泣いた。妖怪カーテンミノムシになってだ。妹は、そんな僕に笑いながら蹴りをくれたわけだけど、おかげで涙の訳をごまかせた。妹には感謝である。
 あれ、妹のいいところを紹介しただけになった。
「あーあートーストも、ずいぶんスリムになっちゃって」
 あらあらまぁまぁと、近所のおばさん(名前は忘れた。多分思い出さない)。みたいに頬に手を当て、耳だけになっていたパンを眺める。
 何かのアートだろうか。と頭の中の天使さん。いや、パンの耳だ。だまされるな。と頭の中の天使さん。僕の頭の中はお花畑らしいので、悪魔はいないことになっている。
 さて、どっちの天使を選んだものか。
 一瞬、アートだと言い張りたかったが、僕はリアリストなのでパンの耳だと認めることにする。得意の現実逃避も目の前の事実は覆せない。
 さて、色々と戯れながら一通り確認したが、朝食の呼び名に修正が必要のようだ。
「ベーコンエッグ改め、黄身の堅焼きとトースト改め、パンの耳定食っ!」
 定食と銘打ったのは、僕のささやかな妹に対する抵抗である。
 どうだ妹よ、僕はお前より豪華な朝食を摂るぞ。ベーコンエッグなんて目じゃない。何せこちらは定食なのだから。定職には就けそうにないけど。
「いただきます」
 しみじみと両手をあわせておじぎをする。どんなに腐っても、ここらへんは腐らないらしい。なんでも、お手々のシワとシワを合わせてお幸せらしい。
「この口の中の水分を奪っていく感じが、最高! 」
 一口でメインディッシュが終わる。
 口いっぱいに広がる気味のパサパサ感と淡白な味と喉にへばりつくような食後感。
「硬くて味気ないところが、素敵!」
 丁寧に切れることなく四角に切り抜かれた耳も、一口でむしゃむしゃ食べる。
「ご馳走様でした」
 実に、素早い朝食だった。ちょっぴり泣きそうなのもきっと感動からだ。
 だってこの速さなら、10秒チャージのゼリー飲料も、パサパサのブロック食も敵うまい。勿論、栄養は保証できないが。
 食事を終えた僕は、空になったトレーを入れたとき同様、慎重にすばやく戻して再び自分の部屋という殻に篭り、ネトゲを再開する。
 画面では、僕が操るキャラクターが茂みに隠れて敵を待ち伏せる。その手に握られているのは狙撃用のライフルだ。
 ほかのプレーヤーからは芋砂(イモムシスナイパーの略で、動かないで敵を待つスタイルのスナイパー。ネトゲではあまり好まれない)と、言われた時もあった。
 自分でも、何で仮想世界でも引きこもってるんだろうかと思うことも何度かあったが、どうも前に出て戦うのは性に合わない。
「毎度、質素な朝食だな」
「五月蝿い」
 僕が満足しているからいいのだ。それに、僕は贅沢を言って良い立場ではない。
 ヒッキーでニートだし、何しろ、芋砂ならぬ、妹直(イモウトスナオニダイスキの略)の変態さんなのだから。
 
 
 
2, 1

  

「あら、今日も残さず食べてくれたのね。おばさん、嬉しいわ」
 しばらくして、外から声が聞こえた。たぶん、トレーを回収しに来た継母だろう。
 ごめんなさい。その喜びは嬉しいですが、食べたのは貴方の子です。僕じゃないです。いや、僕も貴方の子供なんですけどね。
「ね、ねぇ。今日もおばさんに顔を見せてくれないのかしら」
 継母。いや、面倒なので以後、今母。は自分のことをおばさんと言う。
 どうやら、僕が引きこもってしまったのが自分のせいで、僕が母さんだのママだのと呼ばないと本当の母と名乗れない。と思っているらしい。なんて生真面目な人だ。
 けど、僕が今母を嫌っているとかそういう事は一切無い。僕はおばさんの事をきちんと母だと思っているし、本当の母も母だと思っている。むしろ、ママと呼ぶのが当たり前すぎる感じがしているほどだ。かわりに、何故か父の方はおじさんと呼んでしまう。
 今母といったが、少し前から述べているように、僕の父は再婚している。つまり、僕には母が二人いる。それを不幸に感じたことはないし、むしろ、人の二倍は母性を感じられているのだから、得をした。と言っても過言ではないはずだ。
 今母が気にしている僕の引きこもりの原因だって、再婚云々ではない。
 ただ、僕が引きこもったのと僕が気がついてしまったのが偶然、父と母の結婚と重なってしまっただけで、そこに他意はない。むしろ、大手を振ってお祝いをしたいくらいだ。ではなぜこうなってしまったのかというと、単に運が悪かっただけなのだ。
「お昼、ここに置いて行くわね。お、おばさん。夜も頑張っちゃうから、楽しみにしててね」
 漂ってくるいい香りに鼻腔をくすぐられながら僕が何もいえずにいると、母は妹とは違い何もいわずに静かに気配を消した。
 今日も何も声をかけてあげることができなかった。扉越しに感じた母の気配が、やけに寂しそうだったのが余計に僕の心を締め付ける。
 居なくなったという事は、多分仕事に戻ったのだろう。妹曰く、夫であるおじさんと同じ職場らしい。
 それと、これも妹から聞いたのだが、家の両親はそこそこの権威らしくて、最近はかなりいそがしいらしい。それだというのに、今母はクズな僕の為に貴重な昼休みを裂いて僕に昼食を作りに帰ってくる。まるで、それが使命だと言わんばかりに毎回だ。
 昼はあまり食べないのだが、今母の使命が作ることだったら、僕の使命は食べる事だろうなと、僕は昼食を食べるようになっていた。
 一言、母さん。と呼べばすむことなのに、次で、次で。で今日に至る。
 ついでに、ダメ人間の元になったおじさんの事も思い出すと、僕が幼い頃に妻(要するに僕の本当の母)を亡くし、そこからずっと、まぁ本当は多少、回りの助けはあったものの、男で一筋、僕を育ててきた。
 おじさんは、一言で言ってしまうと、子どもがそのまま大きくなったような人で、年の割には無邪気だ。僕としては、そろそろ年を自覚して欲しいと思っているわけだが、おじさんは僕のそんな気などいざ知らず、今日も元気に若者を演じている。言わば、子の心親知らずだ。痛々しいよ。本当に。
 そんなおじさんに一度結婚の理由を聞いたのだが、おじさんが今の母と結婚したのも、好きだったから。なんて単純な答えだった。勿論、前の母と結婚したのも好きだったかららしい。まぁ、人と人とがつながるのにそういったものは大事だと思うのだが、世間体とかそう言うのはいいのだろうかとついつい突っ込んでしまいたくなる。
 対する今母も今母で、それでいいのかと聞けば「いいんじゃない」と生真面目なくせに、どこか抜けた人だった。
 そんな、母と妹の母は友達で……言い直そう。元母と今母は妊娠時から気の合う友達同士だったらしく、よくお茶をしていたと聞く。
 ただ、今母の旦那さんが少し問題というか、厄介だった。
 妹が産まれてからというもの、自分に向く愛の減少を敏感に感じ取り、有ろうことか、実の娘である妹に攻撃をしていたのだ。それも、表面上は良い父親を演じ、今母の目を欺いてだったので、回りは一向に気がつかなかった。
 ちなみにだが、元母が死んだ僕が幼い時というのは幼稚園の頃で、僕に元母の記憶は殆どない。
 代わりにあるのは、お隣さんの妹には殴られ、蹴られ、埋められていたという楽しい記憶だ。
 そう、何を隠そう妹は、俗に言うお隣さんに住む幼なじみなのだ。
 生まれた時から隣同士のベッドに寝かされ、同じ頃に退院し、同じ学校に通った。よく遊んだし、よく泣かされせた。腐れ縁なのだ。赤い糸なのだ。
 そして気がつけば、腐っていた縁は腐りきってちぎれ、兄妹になっていた。
 では、そこに至ったのかというのは、おいおい説明したい。
 なにせ、今日は色々と一度に思い出しすぎて、脳味噌がパンクしそうだ。決して僕の脳のキャパが少ないわけじゃない。思い出の情報量が大きいのだ。
「寝よう」
「もう寝るの?」
「少し疲れたんだ」
「じゃ、寝るといい」
「そうさせてもらうよ」
 ベットに横たわり、いつの間にか血まみれになって倒れていた僕のキャラをモニタごと消す。これで、部屋は明かり一つ差さない暗室だ。
 おやすみ僕。願わくば、目が覚めると世界が終わっていますように。
 
 
 
 
 
 
 眩しさで目を覚ます。
 目を開けて周りを見回せば、願った通り、世界は滅んでいた。何のことはない。アレは夢だったか。なにせ、ベッドの代わりには硬い砂利だらけの地面が、光をさえぎるカーテンの代わりには大きな岩が申し訳程度に日差しをさえぎっている程度なのだから。
 久しぶりに過去の記憶を辿れたような気がする。
 そうなのだ。何を隠そう、僕は軽い記憶障害を患っているのだ。
 妹が言うには、時間が経てば徐々に回復していくタイプで、たまにこうして昔の夢をみるらしい。思い出し笑いみたいなものだ。
「おはよう。弟くん。いい夢は見れたかな?」
「妹の分際で、兄を足蹴にするとはいい度胸だな。妹よ」
 すこし、いや、割と痛い腹部に目をやり、膝下から伸びる凶悪そうな黒のブーツの踵《かかと》が突き刺さっているのを確認。なるほど、これは痛そうだ。ヒールが付いていないのがせめてもの救いか。
 そのまま僕の視線はしなやかな足をなぞるようにして上に。ひらひらと学生服のスカートみたいな地味なデザインのがなびいているのだが、なぜ妹は今日も制服なのだろうか。
 もちろん、僕が運んでいる普段着も、色とりどり各種の制服ばかりだ。今日は、わりかしシックな紺のスカートにブレザースタイルで、今時の地味な征服といった感じだ。
「お・は・よ」 
 妹は、可愛い八重歯をニッと覗かせ、朝の挨拶と共に加虐的な笑顔まま踏む力を強めた。
 長い黒髪にナイフで切れ目を入れたような糸目、すっと伸びた鼻は、もはや可愛いというよりカッコイイの部類なのかもしれない。が、しかし、あえて言おう。今日もかわいい。妹かわいい。
「あの……妹?」 
「なんだよ」
 なんだよ。じゃない。なぜ、コイツは僕を踏んでいるのに、なんの反省も見せないんだろうか。普通、起きたら足をどけるとかしても良いんじゃないだろうか。
 ま、そんな常識が通じないところが、家の妹の可愛いところではあるのだが。
「いたいいたいいたい」
 妹の足が僕の鍛えられていない腹筋に、さらに食い込む。メシメシと音を立てて折れないのが不思議なくらいにめり込む。何が不服なのだ。
「あら、おはよう弟《・》くん。いい夢は見れたかな?」
「妹《・》の分際で、あ、兄《・》を足蹴にするとはいいどきょ……げふぁ」
 あ、やばい。今、アバラが逝った。腹筋踏まれてたけど、アバラが逝った。アバラバラバラってか、やかましいわ。
「あら、おはよう弟くん。いい夢は見れたかな?」
 何度、同じセリフを繰り返せば気が済む。コイツは、壊れたレィデオか何かか?
「お、おはようございます。よ、よろしければ、足をどかしてもらえると、ありがたいのですが」
 息も絶え絶えに訴える。ここで、変な意地を張っても仕方がない。僕が折れるのが最善だろう。でなけりゃ僕が折れる。物理的な意味で。
「ったく、礼儀を知らない弟ってのは困るわ」
 舌打ち一つを投げかけて僕から足をどけてくれる妹。僕も舌打ちしたかったが、朝から食べ物以外でお腹がいっぱいになるのは、これ以上避けたいので飲み込む。
 残念なことに、喉は潤わなかった。
「さっさと起きなさい。移動しないと、また、親父と母さんが来るわよ」
 すっと手を差し出される。珍しいこともあったもんだ。と素直にその手につかまり、勢いで立ち上がる。
 一瞬にして僕が妹を見下ろす形になる。なにせ、妹は僕の顎くらいまでの背丈しかない。
「おっとっとっと」
 お菓子ではない。いや、その光景は、いとをかしのかもしれないが、ただの目眩だ。僕は妹と違い、体が弱いのだ。植物でたとえるなら、もやしだ。
「あいかわらず、千切り大根みたいね」
「いや、もやしだろ」
「千切り大根よ」
 ここでも、意見が対立する。僕らは、どうやら相性が悪いらしい。
「まぁいいわ。今日は何処に行く?」
「そうだねー」
 右を見て左を見る。ついでに上を見て下を見る。なるほど、いつもと変わらず、広がるのは荒野と、気持ち悪いくらい澄み切った青い空というわけか。
 どうしたものかと考えてみるが、僕の腐ったチーズみたいな頭じゃ、昨日どの方角から歩いて来たのかすら怪しい。
 とりあえず、土埃まみれの服を払い、馬鹿みたいにでかいリュックを背負う。
 この世界での僕等の数少ない荷物だ。
 ちなみに、妹のは黒のショルダーバッグで、動きやすいように荷物も少し軽め、中身も妹の役割にそった物になっている。
「どうしよっか、いもうとー」
 今後の方針を決めようと思ってくるりと首だけ向けてたが、そこに妹はいなかった。
「あれ?」
 いつの間にテレポーテーションだなんて覚えたんだろう。僕にも今度教えて欲しい。と考えてみるが、もしかしたら透明化《インビジブル》だろうか。どっちもでいいや、教えて欲しい。
「ちょっとぉおおおばか弟おおぉぉお」
 声が聴こえる。しかも、割と近く。音の感じからして、高速で移動しているらしい。
 なるほど、妹は加速装置の発明・実験の途中だったわけだ。やられたぜ。
「んなワケないか」
 一人で突っ込んでしてしまう。そりゃそうだ。あの壊し屋にそんな技術力はないはずだ。だって、テレビの映りが悪いからって、テレビを殴ってぶっ壊し、新しいテレビを買ったら「映りが良くなったぞ」と得意げに言うような奴なのだ。それをやってのけたのが小学生の時だというのがまた笑える。
「ったく、世話のやける妹だねー」
 何処に居るか分からないが、大声で言ってみる。
「誰が妹よぉおおぉぉ! 弟はアンタでしょおおぉぉ」
 ふむ、今ので大体の方角はつかめた。
 居るはずなのに見えないのは、相手がステルスを使っているからだろう。と、いう事は敵がおじさんと今母が作ったものに違いない。
 それならば話は早い。
「ぱんぱぱぱんぱぱぱーんぱぱぱーん」
 実はお前の父だったのだー。と呟きながら、背中のリュックから真っ黒なガスマスクを取り出す。特に効果はない。いうならば精神的なスイッチみたいなものだ。
 ま、厳密に言うともう少しまともな意味はあるのだが、それは後々分かるので今は飾りということにしておく。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 麗しい姉が人質になってるのに、なにをしようとしてんのよ」
 僕がマスクを付けたのが見えたのか、焦るような妹の声が聞こえてくる。なにせ、マスクをかぶるのは戦闘の合図。いつもはもやしな僕も、これをかぶったからには今までとはちょっぴり違うのだ。主にメンタル面で。
「おじさんのお迎えだよ? なら、僕らはまだ反抗期だって教えてあげないと。いつも妹が言ってるんだろ? まだ帰るわけにはいかないんだって」
4, 3

  

 リュックから取り出したのは、警棒。そいつをボタンひとつで伸ばす。
 シュッと静かに音を立て、その全長が2~3倍になり、やっと武器らしくなってくれる。ちなみに、電気が流れたりはしない。単純に打撃のための武器だ。
 仮に電気が流れていたとしても、敵は僕達では決して届かない科学力を有している。
 現に敵は、機械で超不可視で超速度で超頑丈だ。
 だがしかし、その科学力を以てしてもまだ影までは消せないらしく、何処に居るかは方角さえわかれば簡単に見つけられる。もちろん条件はあるが。
 だから、妹の声で方角さえわかれば、後は簡単なのだ。僕だって、ただ叫ぶだけが脳じゃない。きちんと考えて妹を怒らせたのだ。ロボットより妹のほうがよっぽど怖いのがこの作戦の難点なのだが。
 ま、これが物の多い市街戦じゃなくてよかった。その時は、僕は両手を上げて降参するしかなかったのだが、この広大な荒地なら僕でもまだ少しは戦えるのだ。
「戦闘は僕の担当じゃないんだけどね」
 走る千切り大根。もとい、もやし。したたるは旨みの汁か汗か。
 相手も自分影に気がついたのか、ステルスを解き、僕を迎え受ける。ステルスのままなら攻撃が読めないのに、何を考えてるんだろうか。なんて事をと思ったのだが、その理由はすぐに理解できた。
 なるほど、そのフォルムは恐ろしい。
 ロボットは蟹の形をしていた。色こそはメカメカしい光沢のある黒だが。アレはきっと毛蟹だ。しかも、やたらとリアル。あ、黒いのは多分装甲が炭素系の合金だからだろう。
 あぁ、おじさん。僕が蟹嫌いだからって、そういう嫌がらせはやめて欲しい。
 もしかしたら、ステルスを解いたのも、単なる嫌がらせなのかもしれない。というか、あの茶目っ気にあふれるおじさんなら、そうに決まってる。
「た、たんまたんま」
 鳥肌を抑えて妹を見る。奴等に捕まえられている妹は、なんというかこう首根っこをつかまれた状態で、かわいい子猫ちゃんといった様子。
 実際可愛いのが少し悔しい。
 僕だってアレが妹じゃなかったら交際を申し込んでいたかもしれない。
「いっ」
 今、なんかピリっとした痛みと共に、頭に靄がかかった。記憶に触れることでもあったのだろうか。まぁいいか。よくある事だし。
 それより、今は優先すべきことがあるのだ。
 正面を向きなおす。妹はショルダーバックから僕のと同じデザインの、対照的な白いガスマスクを必死の形相で取り出してた。妹のマスクは、多少傷が目立ち、今までの苦労がしのばれる。
「いいわよ!」
「食らえエェ」
 妹のゴーサインで無理やり相手の胸元(でいいのか)に飛び込み、警棒を右手で振りかぶる。カコンと虚しい音が響いた。残ったのは右手の痺れと圧倒的な絶望感。
「うわっ」
 一瞬の隙を突かれたのか、しびれる手を振りながら見上げると、ハサミが不気味な風切り音を立てて僕を狙っていた。
 致死の速度。並なの人間ならば間違いなく頭が空中遊泳を楽しむことになる。
 だがしかし、ハサミは威嚇のように僕の髪の毛を数本奪うのみにとどまり、僕の頭はまだ体から離れないでいてくれていた。
「わ、わかってても怖いな」
 僕が殺されなかった理由。それは、何を隠そうこいつらの弱点が、僕らを殺せない。ということにある。
 勿論、人間が襲えないわけではなく、僕と妹以外がこんな事しようならば一瞬にして首と体が今生の別れを迎えることになるだろうが、コイツ等の目的はお迎えなのだ。
 普通のロボットならまったく役に立たない僕だが、両親が作ったシリーズだけは、例外なく僕等を捕縛しようと襲ってくる。しかも、その過程で僕等を傷つけけないいうこと最高重要だとプログラムにされている。そのおかげで、僕も安心して特攻だなんて無茶なことができる。
 両親のロボットじゃなかったら。という懸念もあるにはあったが、この世界に存在するロボット職人で、ステルスやその他最新技術を扱えるのなんて家の両親くらいだ。
「よっと」 
 先ほどの勢いとは見違えるような速度で僕のリュックを狙うようにして伸びてきたハサミを警棒でいなし、一旦距離をとる。
「ほきょ?」
 距離をとったが不意に素っ頓狂な声を上げてしまったのには、訳がある。
 カニは横歩き。それが常識なのだが、コイツはカニじゃなくメカだ。つまり。
「前歩きぃ?!」
 前にだって、進める。 
 妹を捉えていない方のハサミが、僕の首を再び狙う。
「今のは死ぬ。絶対に死ぬ!」 
 殺されないのは分かっているのだが、あんな鋭利なものを見ると、本当に殺されないのかと不安になってしまう。なにせ、両親の気がいきなり変わって僕等をばらして回収し、後でくっつければいいやとなるかもしれない。家の両親に限ってはありえるので怖い。
「でらっしぁあ」
 わかり易い直線を描く軌道をなんとか警棒で払うが、鉄筋バットで真芯を外した時みたいな痺れが手を襲う。
 ま、野球なんかしたこと無いんだけど。
「ちょっと、弟。大丈夫なの?」
 軌道がずれ、地面に深々と突き刺さったハサミを眺め、これは死ねる。と身震いを一つ。
 なんとか意識をハサミからはがして妹の言葉に耳を傾けた。依然として、妹はかわいい子猫ちゃん状態。
 心配はありがたいのだが、僕よりそっちの方が危ないだろう。と言いたくなったが、こんな時でも僕を案じてくれる妹の兄妹愛が眩しいので黙って頷くだけにした。
「速く救けなさいよ! 結果として貴方が死んでもいいから!」
 案じてくれ……あれ?
「大変だ妹よ。残念だが兄さんの右手は、長時間正座したみたいになっている」
「役立たず!」
 どうやら自分の身を案じているらしい。僕は三《にのつぎ》というわけだ。
 あと自分で言うのも何だが、こんな陳腐な台詞で僕の状況を把握できるだなんて、妹も相当のアレなんだろう。アレが何かって。それは言えない。僕の沽券に関わるから。
「前に歩くが蟹いるのは知ってたけど、実際に見るとはね」
 いまだに深く地面に刺さっていたハサミを一蹴、もう一度距離を取る。
 ちなみに、前に歩く蟹がいるのは本当だ。
 昔から、苦手なものは徹底的に調べるくせがあるので覚えている。
 確か、ケガニ・ミナミコメツキガニ・ヒラコウカイカムリだったと思う。あぁ、思い出しただけで寒気がする。
「じゃ、おじさん。僕はまだ帰らないから」
 蟹型ロボットが少し、残念そうにした。ように見えた。
「おらあぁ」
 迫力がないと評判の声をあげながら、もう一度助走をつけ、しびれたままの右手を振りかぶる。
 が、その手に力は入っていないこれでは有効な打撃は望めないだろう。だというのに、蟹さんは何か策があるのかと、律儀に僕の右手の軌跡に合わせてハサミを構える。
「ばいばい」
 蟹の思惑とは別に、だが、妹の想像通り。僕は、左手に持っていたグレネードのピンを抜き取り、グレネードをプレゼントする。ついでにリュックのポケットからもいくつか。
 蟹の視野は狭いので、きっと足元のプレゼントには気がついてくれないのだろうけど、生憎とコイツはロボットなので気がついた。気がついてもらえないと僕も大変困ったことになるので一安心。
 蟹は、今までは遊びだったと言わんばかりの俊敏な動きで僕たちを捕まえ、遠くに投げ捨てる。恐らくは僕等を守らないといけないルールが蟹を加速させたのだろう。
 さて、あっさりと捕まってしまった僕。今は空を飛んでいます。
「っつぅ」
 ずざざーっと、妹と仲良く地面にスライディング。
 砂埃がもうもうと立ち込める。
 後ろからは盛大な爆発音が聞こえ、僕が振り返ると、案の定蟹蟹が吹き飛んでいた。ざまあみろ。お前、食べにくいんだよ。
「やぁ、妹。元気かい?」
 どうやら風下だったらしく、吹き飛ばした蟹の蒸気やら、爆風で周囲の土が風に乗って僕らの視野を侵食する。
「うんざりするくらい元気よ。弟くん!」
「あうち」
 殴られた。しかも、グーで。
 至近距離でないとお互いが視認出来ないほど立ち込める煙。
 ま、そろそろ分かってもらえたと思うが、僕がマスクを付けたのはなにも精神的なスイッチとしての役割だけではなく、砂埃を防ぐためなのだ。実にマスクらしい使い方だ。
「まぁ、家に帰らなくてすんだんだから良いいじゃないか。妹よ」
 手ごろな高さにあった妹の頭をポンポンと撫でてやりながら、ついでに髪についた砂埃なんかを払ってやる。
「ま、そのことに関しては礼を言うわ。お、お、おにいちゃん!」
 お兄ちゃん。悔しそうに妹は、そうつぶやいた。
 これが僕等のルール。確か、その六だったか。
 助けられたら相手のことを兄、姉と呼ぶこと。その他のルールは、後々話すことになるだろうから、今回は割愛する。忘れてるわけじゃない。
 馬鹿なことをしている間に、視界を覆っていた砂煙も少し少しずつ晴れ、また荒野が広がる。名前をつけるなら、絶望荒野。
 どれくらい絶望するかって言うと、妹の胸の将来性くらい絶望的。
「取りあえず、風の向くまま行ってみようか」
「そうね」
「無いといいね。村」
「なんでよ。私お腹ぺこぺこだし、喉からからなのよ?」
 そうは言っても妹よ、君は僕の分の水やら食糧も食べているじゃないか。とは言わないでおく。そこは、兄の器量だ。
「だって、この砂埃じゃ、きっと洗濯物が大惨事だろうから」
「くっ」
 奇妙な声に首を傾げると、妹が腹を抱えていた。
「笑うことないだろ」
 もう必要ないマスクを外し、クリアな視界を確保。
 心なしか空気も美味しい。妹の脱ぎたてのマスクを付けられるなら、きっともっと美味しい空気が吸えそうだ。
「はははは、そうね。でも、洗濯物って……」
 妹もマスクを外し、依然クククと声を殺して笑っている。当然、マスクはショルダーにしまわれた。至極残念である。
「弟くんは、呑気なんだなぁと思ってね」
「今に始まったことじゃないよ?」
「それもそうだ」
「それに、僕が兄貴だっていつも言ってるだろ?」
「はいはい」
 ダンシングフラワーみたいに、僕の挙動一つ一つに笑うようになってしまった妹を連れ、もう見えなくなった砂埃を追う。
 さて、見ず知らずの村の皆さん。洗濯物を片付けましょうね。
 あと、よければご馳走で僕等をもてなして下さい。
 あとあと、熱いお湯の出るお風呂と柔らかいベッドを希望します。
 
 
 
 砂漠の中を黙々と歩くこと数時間。
 僕らはすでに満身創痍だった。立ち上がる間もなく、襲い来る罵声と暴力がないのがせめてもの幸い。
「あつぃ……」
「暑いね」
 滝の様にながるる汗だが、それもこれも僕等をバーベキューにしたくて仕方がない様子の太陽が原因だ。
 季節は夏か。いや、これでも冬である。だって、腕時計のカレンダーが十二月をはっきりと指している。
 確か僕らの住んでいた国の反対側では、季節が真逆で、サンタさんはサーフボードに乗ってやって来るとか来ないとか。時代のビックウェーブに乗ってます。ってか。
「喉、乾いた」
 時代でもトナカイでもなんに乗ってきてもいいから、サンタさんに水でも頼みたい。なにせ、隣で妹が犬みたいにだらしなく舌を出しばてている。美人が台無しだ。
「はいよ」
 仕方がないので僕は自分の分の水筒を妹に投げる。やれやれ、これで何度目になるやら。
「ん」
 受け取ったと思えば、すぐにゴクゴクと景気のいい音が聞こえてくる。
 あぁ、熱中症とかそう言うのは一気に水を飲むのはまずいって、何度言えばわかってもらえるんだろう。
「結構なお|点前《てまえ》で」
 幾分か元気を取り戻した妹から水筒が返ってくる。ふむ。もって後二、三回といったところか。
 勿論うち二、三回は妹だ。
 しかし困った。これじゃ僕は、水なしだ。それは本格的にまずいな。
「妹よ。もう水がない」
「弟よ。探してきなさい」
 ふざけんなバカ野郎。とでも言えばいいか。と肩をすくめてみる。それとも井戸でも探そうか。ここほれワンワンって具合に。
「ま、無理よね」
 僕の気持ちを察したのか「やれやれ」とため息をつかれてしまう。僕だって舌打ちをしたいところだ。
「この時間、これ以上歩くのは水分的にやばいわ」
 妹が立ち止まり、おじさんににもらった時計を覗いている。僕も今母にもらった腕時計を覗く。指針は丁度お昼を指していた。運悪いことに、日が高い時間だ。
「あそこになんかでっかいのがあるから、そこで休憩にしましょうか」
 無言で頷く。妹の言う通り、なんか大きな岩みたいなのが見えるし、休めるとき休んでおくのが最善なのは、この世界に来てからよく学んだ。
 なにせ、一面荒野の不毛の地だ。日陰を探すのだって一苦労なのだ。
 それを考慮すると、休める場所があれば積極的に利用するのが賢い。
「ったく、世界が滅んだなんていまだに信じられないわ」
 でっかいなにかに向かう途中。妹は病的にといっていいほど口癖になった言葉を呟く。内容には、僕も毎回同意している。
 なにせ、目が覚めたら世界が滅んでいたのだ。
 隣のおばちゃんはやっぱり名前を知ることができなくなっていたし、クラスメイト達は既にDNAになって世界に散らばり個人をなくしていた。
「僕も、初めて妹を見たとき、妹を妹だと思えなかった事が驚きだよ」 
 目が覚めた時、初めて見たのは埃まみれの透明なカバーと、知らない天井。あと、けたたましい音を立てて光るパトランプだった。
 その時の僕はタイムスリープの後遺症でか、今よりも記憶がひどく欠落していた。
 結果として、情報を求めて外に這い出し、自分が横たわっていた何かを観察してみたり、辺りを懸命に見回した。
 しかし、その当時の僕にはいったいそこが何で、自分が誰かすらもあやふやで、混乱を助長させるだけだった。
 部屋をチカチカと照らす光るパトランプの意味もわからず、朦朧とする意識の中、部屋をもう一度確認した。
 あったのはなんだかたくさんのコードにつながれた妹と、青の液体に浮かぶ脳と脊髄。それとたくさんの臓器やら体のパーツだった。それは、まさに理科室のホルマリン漬けがもっと凶悪なものになったよう感じで、知らずのうちに僕は目を背けていた。。
 だが、とにかく何か情報が欲しかった僕は、食道を圧迫する王と感と戦いながら脳味噌に話しかけていたと思うのだが、脳味噌に「コッチじゃない」と言われたので「じゃあどっちだ」って言ったら、妹がつながっていたコードの大本に並んだボタンを、脳味噌の指示通りに押すように言われた。
 すると、蒸気やら変な音を立てて妹が繋がっていたコードから落ちてきた。
 妹は僕と違って記憶がしっかりしていたみたいで、僕が自分は誰かと聞けば、少し悲しそうな顔をして、弟だと教えてくれたのだ。
 それから妹は、僕が寝転んでいたベッドがコールドスリープの装置だというのを簡単に説明し、ここから逃げるからといって準備を始めた。
 混濁する記憶の中、妹に手を引かれ、僕等はありったけの武器を拾い手ごろなリュックに詰め込み、出口へとひた走った。自動ロックらしい扉は僕達が近づくとひとりでに開き、まるで誘導されるみたいに外へと出れた。
 何とか外に出て、僕が初めに見たのが荒野だった。
 後に見るのも荒野なわけだたのだが。
 それから僕等は何ヶ月も当てもなくさまよい続け、妹が言う通りにおじさんと今母から逃げ続けている。理由は良くわかっていない。
「ねぇ、弟」
 僕が思い出に浸っていると、いつもより少し弱々しい妹の声が聞こえる。こういう時、妹は大抵同じセリフを吐く。
「まだ、やめないよ」
 なんとかならないかもしれないが、妹にそれ以上の言葉を紡がせない。だって、それは僕も気がついているけど、言っちゃいけないことだからだ。
「なんとかって、相変わらず脳みそが粉チーズみたいね」
「HAHAHA」
 粉チーズってなんだ。スカスカとか、そういうの以前の問題じゃないか。、腐っててパサパサってどうなんだよ。僕の脳みそフリーズドライ?
「僕の脳みそは、穴あきチーズだよっ!?」
「あ、自覚はあったんだね」
 言ってから気がつく。はい、自覚ありました。僕は馬鹿です。壁を感じます。
「ま、この世界で数学やら現文出来たって、なんの役にも立たないしね」
 妹は、おなじみのキュートな八重歯を覗かせた自虐的な笑みを浮かべて言うのだが、僕には嫌味にしか聞こえない。
 なにせ、妹は自分で数学やら現文ならできますよ。とアピールしているのだ。元の世界に戻ったのなら、コイツはまた学年主席に舞い戻るのだろう。
「出来無いよりましだろ?」
「使う場面があればね」
 二人して苦笑い。確かに、この世界でそんな知識が役に立つとは思えないのだ。
 だって、人類は衰退しました。が、妖精さんは居ません。
 妖精さんの代わりにそこにいたのは、僕らがテレビや映画でしか見たことのない、旧世代の人類だった。旧世代。といっても、槍を持って半裸のまま走り回っているわけではない。どっちかというと、西部劇の世界といった感じだ。
 故に、この世界に電子機器などほぼ皆無で、最新テクノロジーといえば、おじさん達のロボットなのだろう。勿論、この世界の人では到底かなわない科学力だ。
 それを裏付けるように、足元には僕等のとは違った昔の銃やら朽ちた髑髏が目立つ。
 なるほど、ここで戦闘があったのか。
「あら、岩じゃなかったのね」
 妹の声に顔を上げる。そこにあったのは、傷だらけでところどころ欠けた機械仕掛けのでかい寿司だった。
「たくさん死んだみたいだね」
「あれ、そうなの?」
「いや、髑髏見たら分かるでしょ」
「あぁ、そんな物もあったわね」
 コツンと、妹は転がっていた髑髏を蹴飛ばす。最初の頃は、ビビりまくって僕の後ろに隠れていたのがやけに懐かしい。
「こらこら、死者を粗末に扱うんじゃありません」
 そう言って、僕も足元の髑髏を優しく蹴飛ばす。座るのに邪魔だったのだ。
「よいっしょっと」
 おっさんみたいな声と共に、妹が影の真ん中に陣取る。
「んしょ」
 僕は当然のように影の隅っこに移動し、リュックを下ろす。
「ちょっとこれ、調べてみるね」
「シャキシャキ働きなさいよ。千切り大根」
 いや、シャキシャキ感ならもやしだろう。とまだ譲ったつもりはないのだが、口に出すとまた争いになるので黙っておく。
 言った通り寿司に登り、こんこんと拳で叩いてみる。色からして、二世代前の型らしい。まだこの時は、装甲が鉄で出来ていて、ステルスやら加速装置なんてなかった。らしい。
 じゃなきゃ、転がっている髑髏の数がこれですむわけがない。
 勿論、おじさん達がいなければ最新がこいつ等の可能性もあった。だが、おじさん達のおかげで雑魚扱いになっている。
 指で装甲の傷を撫でながら、何か使えるものはないかと破損して穴の開いた箇所から中身を覗き込んで見たが、ハイエナにでもやられたかのようにすっからかんだった。
 この時代、使い道は分からなくとも珍しい電子パーツは貴重だ。
 昔で言う、オーパーツってところか。ロボットを作るものがそれを買い取り新しいロボットの研究に役立て、それを誰かが壊して奪い取る。実にすばらしい経済活動である。
 今では軽視されているこの型だが、まだまだ金になる。それこそ、髑髏になるのも省みないほどの大金には。
「ん?」
 寿司の中は空洞になっており、本当に何も残っていなかった。が、しかし念のためにと、中に入ればひんやりと冷たい。多分、装甲に熱遮断の素材が使われているのだろう。
 ところどころに穴が目立って少し眩しいが、手持ちの布で目張りさえしてしまえば問題ないだろう。
「いもうとよー」
 おぉ、声が反響する反響する。
「なーに、お・と・う・と」
 一音一音区切るようにして、ガンガンと外で妹が装甲を小突いている。
 やめろ、音が響く。
「今日の宿を発見しましたよー」
「シャワートイレ完備のベッドはシングル。冷蔵庫にはキンキンに冷えたジュースもついてて、クーラーはガンガンなわけ?」
「ねぇよ」
 高望みしすぎだ。元の世界だってそんな物は……いや、自宅がそんな感じだったな。と、いうかそんなに贅沢じゃないってのが微笑ましい。逆に言えば、それすらも今では贅沢だという事でもあるのだが。
「じゃあ、行かない」
「でも、外よりは涼しいし、風と日差しは防げそうだよ」
「ったく」
 外からは、よっこらせっとおっさんみたいな声が聞こえる。あぁ、幻滅しちゃう。
「どこ?」
「なか」
「そこ?」
「そう」
 妹が入ってきた。気が利いている。僕の荷物も一緒に。
 なんてことは当然なく、それどころか妹の荷物もない。
「早く持ってきて」
 しかもこの様だ。アマゾンではない。この様だ。
「へーへー」
 僕は渋々に這い出たついでに、リュックから何枚かボロ布を引っ張り出し、寿司に貼りつけていく。これが軍艦巻きだったら丁度、海苔の部分になりそだ。
「涼しー」
 妹は、ご満悦の様子で何より。僕は汗だく君より。
「あー、雨でも降ってくれないかな」
 そうなればこの暑さともおさらばできそうだし、水の問題もなんとかなるってもんだ。
「ちょっと、やめなさいよ。弟がそんな事言うとろくなことにならないでしょ」
「あー」
 そんなジンクスもあったような気がする。
「うん。ごめんね妹」
 言葉通り、曇ってきた。鼻にはじっとりと雨の匂いも絡みつき始める。
 駄目だ、完璧に雨雲がこっちに来た。降るね。これは。
「ごめんって、まさか」
「恵みの雨よー」
 取りあえず、荷物を寿司の中に放り込む。これぞホントの寿司詰め。おそまつ。
 ポツポツと降ってきた雨は、次第にザアザア、そしでドシャァと音を変えた。ドシャァってなんだドシャァって。あ、だからどしゃ降りね。昔の人は上手い事いうもんだ。
「ちょ、雨漏り! 雨漏りよ!」
 寿司の中に入ったままの妹声《いもごえ》が聞こえる。なんでか分からないが、妹は水に濡れるのを極端に嫌うのだ。
 妹の為にならえんやこらと、天井部分には布ではなく板を使ってあげる。板、と言ってもそこら辺に飛んでいたこのロボットの破片なのだが、この際はなんだっていい。
「これでどう?」
「ま、少しはましにはなったわ。兄貴」
 なるほど、そりゃ良かった。
 妹問題も固唾いたし、バケツをひっくり返したような雨の中、飲水やら洗濯物の問題も片付ける。
 水筒に水を貯め、リュックの中の泥汚れがひどい服は適当に濡らして揉み解す。
「あー気持ちいいな」
 こういう雨のことを、スコールというらしい。
 スコールは一種の通り雨で、割とすぐに止んでしまうと聞く。
 どうせすぐ炎天下にさらされるならと、僕は濡れるのも構わず雨の中ぼんやりと塞ぎきれなかった寿司の穴の上で板代わりになりながら、あぐらをかいて一日を思い出す。
 今日はいろいろ思い出せたし、蟹もやっつけた。僕にしてはよく頑張ったと思う。二人して蟹の残骸を無視してしまったが、中身を持って来ていれば、それなりにお金になったんじゃないかと思うと、少し反省。
 なにせ、僕らは流浪の民である。知っていた世界は終わっていたし、家はない。ここが何処かというのも未だに分かっていない。分かるのは今母からもらった時計の指す日時と、妹が一人居る事くらいだ。
 特に目的もないし、妹が言いかけたみたいにいっその事、足掻くのを止めて死んでもいいかもしれない。
 だが、なんとなくそれも癪だ。おじさん達は必死になって僕らを追いかけ回すし、この世界の人は、おじさん達から必死になって逃げる。なぜ逃げるのかって、それは僕には分からない。だって妹が行こうというのだから僕も行くのだ。
「妹ー武器は大丈夫?」
 僕等のは今のとは違いって過去の最新武器だから雨に濡れてもぬれても大丈夫な軍用の物らしいが、念には念を。防水携帯だってわざと水に浸けたままにする奴はいない。
「ご心配どうもありがと。お兄様!」
 いや、妹だって心配してるんだよ。僕は。
 ただ、武器弾薬はもうそこを尽きかけている。
 残り少なくなっていく武器と、いつまで経っても安定しない食料と水に不安を抱き、人に後ろ指を刺されながら生きていくことに、なんの意味があるだろうか。
「弟、雨の音しないんだけど、もう止んだの?」
 あぁ、意味ね。あったあった。兄は妹を守らなくてはならない。
「うん。また太陽が僕らをバーベキューにしようとしてる」
「ったく、困ったものよね、この異常気象にも」
 妹が寿司からひょっこり顔を出す。カメみたいで可愛い。
「ちょ、なにするのよ」
 それを優しく撫でながら、僕はにへらと笑顔を浮かべる。
 せめて、妹が死ぬ時までは傍にいよう。
 つまり、死がふたりを分かつ。その時まで、二人はマックスハートなのだ。
「妹はかわいいなー」
「ば、馬鹿なこと言ってんじゃないわよ!」
 殴られた。グーで。とても、痛い。
「行くわよ。残骸があったってことは、近くに人がいるってことなんだから」
 言いながらリュックを投げて渡される。洗濯物、乾いてないのに。
 ま、妹には衣類なんて、食事よりは関係の無いことなんだろうな。と、僕も諦めて洗濯物は放置する。
 だって、妹が近くに人があるって言ってるんだ。だったらそれに間違いはないはずだ。
 なにせ、ぼくの妹の言う事だもの。兄は妹の言うことを信じるもの仕事ってやつだ。
 本当のところは、髑髏がこれだけ転がっているというのはこいつから必死でここを守ったという証。まぁ、ちょっと前に触れたように、賞金稼ぎって線もあるが、装備のしょぼさから見てそれはないだろう。
 つまり、この先に守るべきモノがあった。というのは察しが付くのだが、それ以上に妹の言うことなのだから間違いないのだ。
「ちょっちょっとまってよ、妹ー」
「私は姉よ! 弟!」
 二人して、乾き始めた地面を踏みしめる。
 村、あるといいな。
6, 5

  

 
 
 
 歩きながら僕は、リュックの軽さに違和感を感じていた。
 少し軽すぎる気がするが、もう食料も水も空っぽってことか。だが、いつ食べた?
「見えたわ」
 リュックを背負いなおし、やっぱりどこかおかしいと眉をひそめていると妹が何かを発見した。
「街ね」
 あったらいいな。なんて、思っていたら、案外、簡単に見つけられた。
 僕の妹はやはりすごい。
「どっちかって言うと、村じゃないかな」
 妹の情報に、下方修正をかける。
 だって、あれは大量の賄賂をもらって精一杯贔屓しても村だ。
「えぇ、しかも過疎区ときてるわ」
 妹も分かっていたらしく、わかってないわね。と、ため息をつかれた。
 まぁ、妹が分からないことがあるっていうのなら、僕にも分からないので、その逆は滅多に無い。
 つまり、僕は妹の希望的観測をぶち壊した。ということになる。畜生。
「で、でも柵やらバリケードがあるし、ある程度の文明は期待できるんじゃないかな!」
 丁度、畜生も何匹か放牧されているし、運がよければまともなご飯が食べられる。かも、しれない。
「いくか」
「うん」
 男らしい妹の掛け声に続くようにし、僕も歩を進める。
 後ろ手には、さっきまで居た寿司近くで拾ったナイフをひっそり準備しておく。
 なにせ僕らは、ロボットに襲われない。だが、人はそれに当てはまらないのだ。
 だから、僕らの敵はもしかしたら人間なのかもしれない。
 件の街(仮)からは、何人かの視線を感じる。が、攻撃されないってことは、ちゃんと客人として迎え入れてくれる。のかもしれない。
 まぁただ様子を見られているだけ。ってのが否めないのが問題ではあるが、とりあえず僕らは、何事も無く街の門前まで辿りつけた。
 ひどいところではココにたどり着くのに数日かかったり、一戦交えたりするので、この状況は非常にありがたい。
「なんの用だい」
 まず僕等に声をかけたのは、太陽にバーベキューされ、健康的にこんがりと肌を焼いたおねぇさんだった。筋肉質ではないが引き締まった体とその目つきで普通の村人じゃないというのは容易に感じることができた。あるいは、感じ取らせたのか。
 黒のタンクトップにズボンという出で立ちで、ゲームで例えるのなら、新兵を鍛える鬼軍曹(女)といったところか。
「私たち、ちょっと道に迷って困ってるんです」
 道というより、路頭に迷っていますよ、妹。
「このご時世、子供ふたりで放浪の旅ってかい?」
 すっと、おねぇさんの目が鋭くなる。おねぇさんだって見たところ僕等と変わりない年齢みたいだけど、女性に年齢を聞くのは恐ろしいのでやめておこう。
 ピリピリとした殺気に、僕は東と西で異なる俗称のお店もびっくりだろう、プライスレス笑顔を浮かべで、こっそりとナイフを握り直す。
「旅が好きなもんで」
 あと、妹は男っぽいですが、趣味も男っぽいです。あ、これ、マル秘情報ね。僕の国の最重要なシークレット。
「へぇ」
 気がつけば、門の周りにどこから湧いたのか、物騒なものを持った屈強なお兄さんたちが集結していた。
 まずいぞ妹。ここはハズレだ。
「あぁ、言い忘れてたけど、私たち、魔法も大好き」
 僕が臨戦態勢に入りかけたとき、そう言って妹はなにかを地面に落とした。
「っ!」
 途端に、妹以外の視線が、落とされた何かに集まった。
 なるほど、リュックの不自然な軽さの正体はそれか。
「そ、それをどこで」
 震えるおねぇさんの声。そりゃ驚くだろう。
 僕等は大飯食らいではない。確かに、妹が普通より少し食が太いが、それでも一瞬で重量のある数日分の食料を消費できるわけがない。
「どうって、狩ってきたの。当たり前でしょ?」
「狩ってきたってあんた等、こ、これって、コアじゃないか!」
「ご名答。心臓ね」
 おねぇさんに続き、住人が驚くそれはつまり、僕のリュックの軽さの原因。
 妹のとっておきのヘソクリでもある、ロボットのパーツだった。
「それで、入れてもらえるのかしら」
 心臓、心臓。とざわつき始めた住人に、凛とした声で妹は問いかける。
 もはや、妹は勝利を信じて疑っていない。僕も、ナイフをスッとベルトの後ろに隠した。このナイフ、見つけたときは小さすぎて役に立たなさそうだと思ったのだが、攻撃力が低い代わりに隠密性に優れるので、これからも使ってやろうと思う。
「いいだろう」
 さて、門が開かれた。
 ネタバレになるのだが、門というよりそれは柵だった。なんか、牧場にあるようなチャチな奴。
「お邪魔するわ」
 妹はない胸を張って我が物顔で街へと入っていく。
 こら、自分の大切なヘソクリはもっと丁寧に扱いなさい。あ、僕が拾うんですね。そうですか。そうですよね。
 コソコソと泥棒のようにコアを仕舞い、妹に続く。
 実のところ、これくらいの門なら妹の戦闘力と僕が持ってる武器を使えば一瞬で破壊・突破できるのだが、自ら開けてもらう事に意味があったのだ。
 なにせ、今後この街で過ごそうというのに、相手を怒らせてしまったらそれもできないだろうからだ。
 だって、誰も侵略者《インベーダー》にフレンドリーにしようとは思わないし、殺人機《キラーマシーン》には近づきたくないだろう。
 第一、妹も血が好きなわけじゃないし、妹の破壊衝動だって僕にしか向いていない。
 いやぁ愛されてるな、僕。
「入らないのか」
 ニヤニヤと笑う僕が気持ち悪いのか、一歩引いた位置から声がかかった。
「あ、すいません」
 やっぱりおかしいと思われたのか、人々の視線は冷たい。というか、怖い。痛い。
 でも、妹が行くのでも僕も行く。
 こうして、とりあえず、僕等は街の中に入ったのだった。
 
 
 
「それで、アンタらはハンターなわけかい」
「ま、成り行きでやってるんだけどね」
 気がつけば街の中心部に建つ、大きなボロ家に案内されていた。
 正面には初老の女性。周囲には、怖そうなお兄さん。まったく、気が滅入る。
「成り行きねぇ。アンタはともかく、そっちのヒョロ長いのが、ハンターとは信じがたいねぇ。しかも、心臓持ちだなんて」
 僕等を舐める様にジロジロと品定めするも、結果はやはり無理だと出たらしい。
 女性は、側近なのかさっきのカッコいいおねぇさんに頻繁に耳打ちをしている。
 アウェーだと分かっているのだが、こうも目の前でヒソヒソやられると気分のいいものではない。
 僕達と女性の間には、妹のヘソクリであるコアが置かれているし、荷物だってココに入る前に没収されて、いつ何時僕らが襲われて奪われるかと思うと、気が気ではない。
 しかし、妹がどんなに生活に困っても絶対に嫌だと言って渡すことのなかったコアを差し出すだなんて、今回はよっぽど切羽詰っていたんだろうか。
「ふむ」
 女性はおねぇさんと話し終えると深く息を吐き、考え込む。対する妹は、武器一つないというのに、武装した男達に「てめぇらなんぞ素手で十分だ」と言わんばかりの殺気をビンビンと放っている。怖い怖い。
 僕はというと、女性の見立て通りにひ弱なもやしっ子なので、存在を気取られないように一生懸命小さくなる。
「ハートロッカー」
 ボソリとつぶやき、女性はパーツに目をやる。
 僕らのパスポートとなったこのパーツは、ロボットの核。つまりはコアとなる部分で、一般的には心臓と呼ばれている。
 旧世代機なら露知らず、今の型はコアが複雑かつ繊細なので、機体の機能停止と共に破損してしまうことが多い。しかも、現世代機は速いし疾い。おまけに堅いし強い。決め手は見えない。
 倒すことすら不可能に等しいともいえるモノを倒し、そのパーツを奪い、生計を立てている者を、この世界ではハンターと呼ぶ。
 そのハンターの中でも、特に偶像視されるのが、妹が持っていたコア、つまりは心臓を狩れるハートロッカーと呼ばれる奴らだ。
 誰が付けたかこの名前。非常に臭いのだが、この世界では、魔法使いと並んで大衆化している。
 ちなみに、魔法使いというのはロボットを作っている側のことを言い、その筆頭はおじさんと今母の事で、現代技術で説明できないロボットを操っているから、魔法使いというのらしい。
 まぁ、世界にはおじさんや今母以外の魔法使いもいるらしいのだが、最狂で最強なのは誰かと問われれば、やはり両親で、名前を知らないものは居ないくらいだ。いやはや、有名人の息子は辛い。
 ついでというと、僕らもそこそこ有名だったりする。それはおいおい分かるだろうから今回は含み程度にしておこう。
「アンタら、あの残骸は見てきたのかい」
「あぁ、あの旧世代」
「アレは昔、この村の人間半分で戦い、その過半数を犠牲にして仕留めた」
 やはり、あの寿司はこの街の人間が仕留めたらしい。
 というか、やっぱり街じゃなくて村なんだ。
「じゃが、今の魔法人形はこの村の全員がかかっても、良くて欠片の一個か二個じゃろう」
 確かに、僕等は攻撃されないからコアを分捕《ぶんど》るハートロッカーなんて馬鹿みたいな芸当ができるのだが、一般人がアレと戦ったのなら数秒と持たないだろう。って事はだ、僕ら以外のハートロッカーは化物か、奴等の仲間だろう。
「アンタらなら、倒せるかね」
「さぁ、どうでしょうね」
 あえて答えをはぐらかす妹。なんとなく、この女性が言いたいことは伝わってくる。
 つまりは倒してほしいのだろう。それを分かっているからか、妹も答えをはぐらかすのだろう。
「ふむ」
 思う反応が返ってこず、女性は困ったように眉をひそめる。
「最近、わしらの村近くて魔法人形が発見されておる」
 少し悩んだかと思うと、女性は唐突に切り出した。
「私達なら倒せるかもね」
 あくまで、妹は倒せるとは言わない。この村に入ったとき同様、物事はうまく進めないといけない。こちらが志願するのではなく、相手にお願いされるためだ。
 なにせ、今も昔も恩って奴は高額で取引できる。それも、恩が大きければ大きいほどその強制力は高い。
「なら、ココの長としてのお願いです。どうか、わしらと一緒に――」
 あぁわかってたさ。普通の村ならありえない武装と、いかつい男達。それに、やけに寂れた村の景色。そして極めつけが一つある。
 僕たちは、この村に入ってから、一人も子供を見ていない。
 つまりはだ、僕の予想が正しいのならここは、
「――この基地で、奴等を倒してくれんじゃろうか」
 村なんかじゃなく、『基地』だったのだ。
「まぁ、そんなに言うなら、考えなくもないわ」
 頭を下げる老人、勝ち誇った目で見下す妹。ここの場面だけトリミングすれば、妹は反敬老の日ポスターに使えそうな悪漢ぶりだ。女だけど。
「ちょっとの間、世話になるからその心臓は渡しておくわ」
「なっ?!」
 それ一つでどれだけの価値があるのか分かっていないのか、この妹は。
 ゆうに僕らが一生遊んで暮らせる額は換金できるし、妹が大事にしてきた物ではなかったのか。
「あ、ありがたや」
 妹の突然の言葉に、スリスリと手を合わせる乾いた音が部屋に響いた。
 周りの男達は依然として眉一つ動かさず、作り物のようにつったっており、不気味さを際立たせる。
 耐え切れず、僕は妹の袖を引いてしまう。
「なによ」
「やばいって、ここは!」
 二人にしか聞こえないように、ヒソヒソと兄妹会議を開催。
「大丈夫よ、ここなら武器とか食料の補充とかやり放題でしょ」
 確かに、基地と言っているくらいだ、武器や食料がないと話にはならない。
「それに、いざとなったら逃げればいい話よ」
 こそ泥根性丸出しである。まったく、いい感じにクソッタレになって、お兄さんは涙で前が見えなくなってしまいそうだ。
「コアだって勝手にあげちゃうし。あれ、大事なものじゃなかったの?」
「はん」
 鼻で笑われた。妹ごときに鼻で笑われてしまった。
「だれがあげるって言ったの?」
「で、でも渡しておくって……」
「だぁーかぁーるぁあ」
 巻き舌を交えて説教を食らう。巻き舌、できるようになったんだな。
「『渡す』っていっただけで『あげる』とは言ってないわよ。ちょっと私達を信用していないフシがあったし、好感度をあげるのにはプレゼントが一番なのよ。そんなの、弟のよくやってたゲームでも一緒でしょ」
 引きこもり=オタク。というの偏見はやめて欲しい。悲しいことに、僕は妹の言葉に「そうだね」としか言えないのだが、全国の引きこもり諸君に失礼だ。
「あれも、そのうち返してもらうから安心しなさい」
 ポンポンといつかの逆で、頭をなでられる。座って居るので小さな妹でも僕の頭をなでることが可能らしい。根に持っていたんだろうか、やけに得意気だ。
 が、僕が心配しているのはコアでなく、妹の安全だという事は、口が裂けても言わないことにしておく。だって、なんだか気恥ずかしいから。
「僕は妹の身を案じてるんだよ」
 あ、口裂けた。
「なっ。う、う、五月蝿いわよ! 弟は弱っちぃんだから、自分の心配だけしておきなさいよ!」
 なんでか怒られた。しかも、妹の顔が真っ赤だ。
 僕は、そんなに激昂させるようなことを言ってしまったんだろうか。
 そりゃ、確かに妹と比べるとライオンとミジンコだが、一般人と比べれれば月とスッポンだ。……あれ。僕だめじゃん。
「とにかく、ここで時期を見る。いいわね」
「わかったよ」
 もう決まってしまったことは仕方が無い。と僕も大人になる。
 大体、妹が一度決めたことを覆せた事がない。
「では、今日はもう遅いゆえ、夕食をば」
「メシ?」
 せめて、ご飯と言ってくれ、妹よ。
 妹の言動に絶望する中、僕らは男達に連れられてぼろ家を後にし、違う建物へと案内される。
 移動中、ここが基地だと知ったからか、眼につくのは包帯をまいた男の人や、ギラギラした目で僕らを観察する人。そして、村人から孤立するように自分達だけで夕食を摂っている集団だ。
 多分、あれはフリーのハンターだろう。要するに僕等と同業の雇われ傭兵ってところだ。
 まったく、ここが戦地であり、基地だってことを再認識させてくれる素晴らしい光景だ。
 さて、せめてご飯がレーションじゃないことを祈ろう。
「すいません。ちょっといいですか」
「あん?」
 一瞬、その視線に怯みかけるが、勇気を奮い起こし言葉を続ける。
「僕らの荷物は」
「きちんと管理してある」
「返しては、もらえないんですかね」
「今は夕食だ。その後でも構わんだろう?」
「ごもっともで」
 どうやら、僕らをまだ信用していないらしい。
「夕食は何処で?」
「この先の食堂でみんな一斉に摂る。今日は高名なハートロッカー様が居るので、宴らしいしな」
 絶対、今のは皮肉だ。この人達の僕と妹の扱いの違いを見ていると、完璧に馬鹿にされているのがわかる。
 どうせこいつ等は、僕の事を荷物持ちか何かだと思っているのだろう。あぁそうさ、大正解だ。スーパー何ちゃら君をやる。
「じゃあ場所は大体わかるので、トイレに行ってもいいですか」
「トイレ?」
「ほら、僕はあの子と違って、人前に出るのになれて無いから緊張しちゃって」
 木偶《でく》だと思うならそれでいいさ。僕だって、それを利用させてもらうから。
「トイレなら、今から向かう食堂にもありますが?」
 とたんに敬意を含まない丁寧語になる。
「いや、今ものすごくトイレに行きたいんだ。膀胱が決壊寸前だよ」
「はっ素晴らしきハートロッカー様の言うこととあれば、どうぞご自由に」
 ほら、かかった。
「トイレの位置はわかりますかな? 護衛はいかが致しますか?」
 ハハハと笑いを隠す様子もなく、仲間と笑いあう男。
「いい。あそこの人達に聞くから」
「迷子にならないようになさいませーハートロッカー様ー」
 テクテクと嘲笑の視線を背中に受けながら、僕はさっき見た傭兵集団を探す。
 馬鹿にされ慣れててよかった。全く悔しくない。
8, 7

  

「おんやぁ? もやしがあるいてらぁ」
 傭兵を見つけた。が、ここでも馬鹿にされた。
 く、悔しくない。むしろもやしを共感できてうれしいくらいだ。
「やめときな。この御方はハートロッカー様らしいからな」
 簡易テントの奥から出てきたのは、僕達を門前で迎えてくれたおねぇさんだった。
「あれ? 傭兵だったんですか」
「あぁ、まぁなんか側近だの面倒なことをさせられているがね」
 その口調は実に面倒そうだ。
 よし、この人に決めた。
「へぇ、それで、おねぇさん達はいくらで雇われたんです?」
「ぁん? てめぇ、なめてんのかぁ?」
 最初に僕をバカにした世紀末みたいな格好をした男に絡まれる。というかあんたは舌も絡まっている。聞きにくいからしっかりしゃべってくれ。それに、見るからに僕の同類っぽい臭いがする。漫画とかなら真っ先に死ぬタイプだろう。てか、死ね。
「ハートロッカーさんよ、そいつは間違いがあるぜ。あたし達じゃなく、あたしだ。こいつ等は仲間でも何でも無いね」
 ずいぶんとはっきりと言うものだ。
 ほら、世紀末さんもちょっと居心地が悪そうだ
「ただ、この村に馴染めないからこうやって集まってるだけさ」
「なるほど」
 確かに、いかに決意を決めて武装した住人といえど、元からそれを生業にしている人間とは根本的な匂いが違うのだ。
 結果として二つが交わるわけがなし、どちらかが浮いてしまう。そこに居心地の悪さを感じるのは、なんら不思議ではない。
「失礼しました。それで、おねぇさんはいくらで雇われたんです」
「てめぇ、まだわかんねぇようだなぁ」
 つばのシャワーをお見舞いされる。水不足もこれで解消だね!
「わかんないのはアンタの方だよ、世紀末。こいつは、あたしに質問してるんだよ」
「ちっ」
 世紀末さんは悔しげに舌打ちをすると、僕等から離れていった。
 いや、本当に世紀末なんだね。
「さて、坊や。いくらで、という質問だったね」
 二人きりになり、人目に付くのもなんだから。と僕はおねぇさんの使っているというテントに入るように促される。
 中は狭く、染み付いた汗の香りと、転がる銃器から漂う火薬の匂いで充満しており少し安心した。これでテントの中がファンシーなメルヘンワールドだったら急いで計画を変更しなくてはいけない。
 転がっている銃器は丁寧に手入れされており、弾薬類も雑ながらに整理されて、いいハンターだというのが伺える。
「額にして20万。後は、破壊後のロボ残骸優先順位四位だ」
「なるほど、はした金ですね」
おねぇさんが口にしたのは、普通の人間が一ヶ月働いたときの金額だったりする。
 一般人からすればはした金だなんて到底言えないだろうが、この商売はは命を張っているのだ、これっぽっちじゃ戦闘で消耗した品を買いなおしたらすぐに赤字だ。
「ずいぶんとはっきり言ってくれるね。確かに金額は厳しいが、一応弾薬と食事付きさ」
 肩をすくめてテントを指すが、どれも十分といった感じではないのだろう。その証拠に、テントには携帯用の食料の空が転がっていた。
「それに、残骸の優先順位四位が付いている。ですか?」
 おねぇさんが言わなかった事を付け足す。
 この世界で、ハンターの掟は絶対である。勿論、破っても構わないが、その場合は狩る方から、狩られる側になるだけだ。
 つまるところ、この優先順位というのは、高額になり得るパーツの占有権を意味し、ある意味契約金より重要視されるものなのである。
「流石、腐ってもハートロッカー様だ」
 ぱちぱちと拍手をいただく。
「それで、ハートロッカー様は私のような小物になんの御用で? あまりいじめるのはご遠慮いただきたいものですね。いじめるのは得意なんですが」
 おどけたように僕に問うおねぇさん。この人も、妹と同じで、分かってやっているのだろう。
 こっちがお願いするのを待っているのだ。
「そうだね、僕にお金はないけれど、持ってきたコアをあげよう」
 何でもないように言ってみる。あ、僕はあげるのであって、妹みたいにペテンをしているわけではない。
「コア、だと?」
 僕が口にした途端、おねぇさんの目付きが変わる。
「そうそう、コア。心臓、って言わなくとも伝わったってとこみると、おねぇさんもそこそこ腕、立つんでしょ」
 この世界で心臓のことをコア、魔法人形のことをロボットといえる人間は有能だ。ロストテクノロジーの本質を見抜き、そして戦っているのだから切れ者でないわけがない。
 多分、あの世紀末さんは良くてロボット止まりだろう。
「ちっ、カマかけやがったな」
「まぁ、クライアントとしては、依頼先の情報は多いに越したことはないんでね」
「そうかよ。じゃあ、情報追加だ。あれ、新型のコアだろ」
「あらあらまぁまぁ驚いた」
 これは予想以上の戦力になりそうだ。
「それで? アンタは何が望みだ」
 レーションを漁ってきて、食うか。と進められたが、丁重にお断りする。
 なにせ、この後にご馳走がでるらしいので。
「望み? あぁ、依頼ね。なに、簡単だよ? おねぇさんは、僕を監視して、僕が望むときに手を貸してくれればいい」
「は?」
 あまりに訳のわからない内容だったからか、おねぇさんは眉間にしわを寄せていた。
「その報酬が、コア一つだと?」
「そうそう」
「……馬鹿にしてるのか?」
「いや、大真面目だよ」
 妹のヘソクリだが、後で謝り倒すことにしよう。どうもいやな予感がするのだ。
 お互いににらみ合うこと数秒。愛は生まれない。
「おーけーおーけー。わかった。不本意だが、その契約、受けよう」
「それは良かった」
 ニコニコと右手を差し出す。
 当然、握り返される。おねぇさんの目から疑問と疑いの色は消えないが、それでも僕達は契ったのだ。
 これで、おねぇさんは掟通り、僕が放棄しない限り契約を全うしなくてはいけない。
「参考までに、どうして受けてくれるんですか?」
「あんたは相当の食わせ物っぽいし、天下のハートロッカー様の依頼とあっちゃあ断る方がS級の依頼ってもんさ」
「そう?」
 食わせ物はお互い様。というのは言わなくても伝わったに違いない。
 僕らは口元を釣り上げた不気味な笑顔のまま、握手を終える。
「じゃ、僕はこれで失礼するよ」
「おい」
 テントから立ち去ろうとして、呼び止められる。
「ほら」
 振り向けば、おねぇさんに銃を投げて渡された。
 小振りで、ポケットにでも入りそうなのが二丁も。
「これっぽっちじゃ足りないかもしれないけど、契約金の余剰分さ」
「ありがと」
「あと、あたしは小清水《こしみず》。あんたは?」
 あぁ、やっぱりこの人を選んでよかった。
 依頼人との間に名前の交換だなんてものは必要ないのだが、それでも名乗ってきてくれるというのは、僕と信頼関係を結ぼうとしている証拠だ。
「僕? 僕は兄ですよ。んで、僕と一緒に居た女の子は、僕の妹です」
「そういう事じゃなくてだな」
「え? あぁ、妹からすれば、僕が弟で妹は姉らしいですよ?」
「わかったわかった。聞かない。聞かない」
 参ったと言わんばかりに両手を上げる小清水さん。
 すまないけど、これもルールなんだ。
 確か、ルールその四だったか。僕たちは、兄妹でなくてはならない。というのだった気がする。
「どうしても呼称が必要だって言うんだったら、僕のことは超兄貴とでも呼んでください」
 そう言い残して小清水さんのテントを出る。予想以上に長居してしまった。
 食堂の方角からは、賑やかな声が聞こえてきている。
 急がないと妹に、また殴られてしまう。
 
 
 
「かんぱ――」
「おくれましたあぁっ!」
 木製の簡素な扉を開けてみれば、全員グラスを持って固まっていた。
 咄嗟の判断でポケットの拳銃に手をそえる。まずい。既に奴等の侵入を許したか。
 奴等は、おじさんたちよりも超高度な技術を保持しているし、タイムリープに瞬間移動だって何でもござれに違いない。
 くそっ。なんで気がつかなかったんだ。何のために今まで奴等と戦ってきたんだと、自己嫌悪に陥りながらも、状況を分析する。
 これまで、何かしらの予兆があったから油断していた。そう考えるのが妥当か。
 ここに来て、奴等はこの世界で言う魔法なんて目じゃない、まさに、本物の魔法クラス技術を駆使してきやがった。レベルで言うなら、7くらいか。きっと、超電磁砲とかも積んでいる。
 敵の詳細な解析は、不可能だ。
 なにせ、頼みの綱のリュックは行方知れずだし、奴等は、本物のステルスを完成させている。影なんてもの、あっちゃくれない。
 まぁ、あったとしても、この人ごみと薄暗さでは、まともに見つけることは出来ないだろうがね。
 温度……駄目だ、ただえさえオーパーツレベルのサーモグラフィーがこんな廃村寸前の村人が持っているはずがない。
 もし、あったとしても電力不足でただのおしゃれゴーグルくらいにしかならないだろう。わお、ちょっぴり欲しい!
 音……なんてするわけもなく、奴等は瞬きをする間に僕らの首を根こそぎ刈るだろう。それこそ、雑草か何かのように。
 臭い……役に立たない。宴とか言ってたからここはアルコールとなんだかよく分からない焼き物の臭いで充満して、ちっともわかりゃしない。と、いうか本当に何だ、この出来損ないのクッキーみたいなのは。
 ならば、信じられるのは己の第六感《シックスセンス》のみ。長年の勘を活かす時が来たのだ!
「なにしてんのよっ」
「いでっ」
 ここまでの思考、約、10秒。
 現実に戻るきっかけは、妹の甲高いげんこつだった。
「まったく、空気の読めなさだけは一級品ね」
 甲高いとは何事かと思ったが、その正体は、妹の右手に持たれたグラスで、その中には茶色の液体が七分目程度まで満たされていた。
「ほら、弟の分よ」
「あ、うん」
 もらったグラスはほんのり暖かく、甘酸っぱいりんごのような香りがした。
「これ何?」
「では、仕切りなおしまして、かんぱーい」
 僕の問いかけなんて無視で、長の音頭で宴は開始した。
「かんぱーい」
 あちらこちらで、キンコンカンコンと授業の開始を告げるみたいに、グラスがかち鳴らされ、声が上がる。
「ほら、弟も飲みなさいよ」
 妹の言われるがまま、正体のわからない茶色の液体を一気に飲み干す。なんて事はなく、ただの紅茶だった。
「紅茶なんて、久しぶりじゃない?」
「あ、うん」
 驚いた僕を見てか、妹が解説を始めてくれる。
「しかも、カモミールティだなんて珍しい」
 やけに嬉しそうな妹を尻目に、僕は勝ったわけでもないのに無駄にはしゃぐ村人に違和感を感じだ。
 そうだな、例えるなら、職を失っているの出勤し、公園で妻の作った弁当をひっそりと食べ、子供たちに「あの人は何をしてるの」と言われてもグッと歯を食いしばり、昼過ぎになっても一人、ブランコで哀愁を漂わせ、日が落ちた頃に「今日も疲れたよ」と精一杯の演技で帰宅するお父さんのような、空元気を感じる。
 だめだ、考えてたらこっちまで悲しくなってきた。
「ちょっと、なにブルーになってるのよ……カモミールよ?」
「なんでもないよ……あと、カモミールってなにさ」
 違和感程度で妹を煩わせるのもなんなので、何でも無いことにしておこう。
 どうせ、僕の第六感なんて無に等しい。
「いい、カモミールティーはグッドナイト・ティーって呼ばれることもあって、疲労回復とか鎮静に効果があると言われてるの。それに、花言葉が【苦難の中での力】だから戦いの前のお茶としては……あれ?」
 疲労回復はいいとして、鎮静してどうするんだよ。グッドナイトってお休みだろ。
「明日、期待してるぜっ!」
「うっ」
 妹にありがたいカモミール講座をうけていたのに、突然の衝撃に呼吸がつまった。
 そういえば、やったらめったら村人は僕と妹に激励の言葉と、感謝の言葉を波状攻撃している。いったい、家の妹ちゃんは何をしでかしたのかしら。
「妹、一つ聞きたい」
「何? 弟」
 至って変わらないご様子。つまり、こいつはなんでもない事をしたらしい。
「お前、何した」
「明日、掃討戦があるらしいから一番槍になって欲しい。って言われただけよ」
 あぁ、勿論受けたんだろうな。受けないわけがないよな。
 たぶん、無い胸をはって偉そうに答えんだろう。見なくとも、目を閉じればその光景が再生されるさ。
「それで?」
「そうね。後は任せるわ」
「りょうかーい」
 大事。と言っても、いつもの事なので対応は慣れたものだ。
 妹が騒ぎ、僕が適当に考える。ほら、対策バッチリ。
 そう決まったなら早速動かないといけない。わいわいと楽しそうに騒ぐ乱痴気騒ぎの雑渡をかき分け、長が居る奥の壇上にどっしりと構える椅子の元に向かう。
 問うは一つ。明日行われるという掃討戦の概要だ。
 向かう途中、ふとした事でこの騒ぎの不自然さの理由を知ることになる。
「どっちが掃討されるんだか」
 それは誰のつぶやきだった。
 その言葉は実に的を射ており、なるほどなと納得してしまう。つまりこの騒ぎは、明日死に行く人間の、最後の宴という訳だ。
「あ、すいません」
「あん? いいってことよ。それよりも明日はがんばんな!」
 今肩をぶつけてしまった男も、騒がずチミチミ酒を煽っている男も、皆明日死ぬのだ。なるほど、掃討戦だなんて上手いことを言ったものだ。
「で?」
 椅子の前にたどり着いた僕は、開口一番問う。
「はて? 困りましたな、ハートロッカー様の片割れ様。いきなりそのような態度を取られましても、私には何のことじゃか」
 スカしたババ……っと、女性だ。
「あぁ、聡明な村の長であるあなたになら分かると思ったのですが、明日の作戦の概要を教えていただきたいのです」
「明日の?」
 耳が速いなと少し感心したようにつぶやく女性に眉をひそめる。戦う人間がその作戦を知っていても、なんら不思議じゃないだろうに。
「えぇ。いもう……家のからは、そう聞いてますが?」
「あーその事なら、簡単じゃ」
 女性は顎で側近の男に合図をし、小さな布を持ってこさせた。
 広げられたのは簡易な地図だった。
「まず、ここが我々の村」
 スッと杖で地図の中心に描かれた四角が指される。
 あたりには隠れられる岩の位置や山なんかが描かれてあり、結構細かく出来ている。
「そして、人形の遊び場がここ」
 言いながら、四角の一辺の延長線上にある何も地帯にぐるりと杖で小さな円を描く。小さな円。と言っても、中心の四角の五倍は優にあるので、実際の面積に起こせば相当な広さになる。
「そして、これが我々の軍勢。数は、そうじゃな。村人が、分かるだけでざっと300」
 言うが早いか、男によって地図上に三色の駒が用意される。
 自分の村の人数を把握できていないと言うのは長としてどうなのだろうか。
「その色の意味は?」
「これですか? 黄色が我々村民。緑が小汚い傭兵共。そして、この赤があなた達、ハートロッカー様ですじゃ」
 民の駒サイズと比べ、傭兵の駒のサイズは約三分の一。つまりは、その人数も三分の一の100程度と考えるのが妥当か。多くて総勢400ちょっと。それで本当に戦えると思っているんだろうか。ま、思ってるんだろうな。
 だって、こんな配置を検討しているくらいなのだから。
「これが、作戦。ですか」
「その通り。どうじゃ、見事じゃろ?」
 そんなどうだ。と言わんばかりの顔をされたって、こっちは苦笑いしかできない。
 だって図上には、三色綺麗に分けられた棒状の陣。先頭は、言わずもがな僕達の赤。次に続くが戦争生活者《グリーンカラー》だ。戦いはプロに任せて波状攻撃をすれば、なんとかなる。それに、自分達には関係がない部外者だからいくら無茶をさせても構わない。なるほど、素晴らしい作戦が見て取れる。
「あなた方の仕事は?」
 聞かなくとも答えは分かっているが、一応、地図の中心の四角でぬくぬくと黄色い陣を構える、女性に質問してみた。
 どうせ、お前は後方支援という。
「後方支援じゃ」
「やっぱり」
 つまるところこの方々、戦う気になっているだけなのだ。争いの中に好き勝手石を投げ込んで、戦った気分を満喫。勝った気分を満喫。
 決戦後は屍の上で、優雅に本を読みながらティータイムを漫喫というわけだ。
「やっぱり。とはどいうった意味で?」
「あぁ、気にしないでください。独り言ですから」
 こんな無茶な作戦認めるわけにはいかない。
 もう一度、作戦を練り直す必要がある。それも早急に、だ。この陣形じゃ、村からコアの奪取はおろか、武器や食糧をぶんどって逃走だなんてのも夢のまた夢だ。
「それより、少しこの陣をいじらせてもらってもいいですかね。あぁ、もちろんあなた方はこのままここで構いません」
 安全という餌を垂らせば、こういう手合いはすぐに釣れる。
「高名な、ハートロッカー様の頼みとあらば、どうぞご自由に」
 釣れた。入れ食いだ。
 しかし、簡単に行ったのは良かったのだが、この人はどうしてここまで僕を見下す。
「あ、そういえば、僕らも一応ハンターなんで、わかりますよね?」
 不思議は押し入れに放り込んで営業用スマイルでいやらしい事を聞いてみる。勿論、報酬の話だ。
「武器弾薬、住居食糧は心臓でお釣りが出てしまいますゆえ、人形の部品占有権第四位でいかがでしょうか」
「第四位、ですか……」
 どこかで聞いたことがあるな、その順位。それも、つい数分前に。
「丁度、四位は我々村が占有しておりますゆえ、そこをどうぞ」
 へへーっと頭を垂れる女性。優先権四位、ね。そういう事、しちゃうんだ。
「仮にも、ハートロッカー二人を雇うのに、それっぽちだなんて少し都合が良過ぎや有りませんかね?」
 仮にも英雄を雇うのに、そんな対価だなんてふざけているとしか思えない。
「と、言われましても、この村の維持費も必要ですし、我々の保有する権利が四位まで。それを考えると四位は傭兵方の中でも最上位になります故、どうかご勘弁を」
 頭を下げたままのお願い。が、女性は椅子から降りていない。お願いしているのに、こうも誠意を感じないのは逆に清々しい。
 頭上から見下ろし、その言葉には嘘。
 なるほど、そちらがそんな態度を取るなら、こちらにも考えがある。
 それに、この村の大きな謎は未だに一番大きなひとつだけ残っているのだ。謎が残る村に最初から信用なんかしていない。妹の言うとおり、分捕《ぶんど》るだけ分捕っていくとしよう。
「ま、それなら仕方ないね」
 満足した風に女性の前から立ち去る。
 きっと今、女性は大した悪人顔で笑いを浮かべているに違いない。差し詰め、してやったり。といった感じか。だがしかしご生憎様。僕だって大した善人顔で笑顔を浮かべているところさ。今なら激昂でへその茶がわかせる。あれ、使い方間違えてるか。
10, 9

  

 
 
 
「あー妹。僕はちょっと用事が出来たから、外に出るよ」
 妹の元に戻った僕は、返答も聞かずに、騒がしい食堂に別れを告げる。
 足先はもう一度、小清水さんに向かう。側近になっている小清水さんならこの作戦の事を知っているはずだ。
「やあ、コーヒー水さん」
「君、わざとやってないか」
「そんな事はないよ、かふぃーうぉーたーさん」
「わざとだな?」
「いやいや滅相もないです。それより、ご飯ください」
「なに? あ、ちょ、おま、やめ」
 あいさつもそこそこにして、勝手にテントに入れてもらう。話より先に僕はお腹が空いたのだ。
 入り口を小清水さんが塞いでいたので、小清水さんを押し倒した形での入室になったが、これじゃ押し入りと変わりない。うむ。事故だ。
「な、なんだよっ」
 向かい合う僕ら。僕と小清水さんの背丈が同じくらいだったので、突き出した手が小清水さんの肩を押さえた。唇同士がライドオンしなくてよかった。
 小清水さんは女性としてはやや筋肉質で、その気になれば僕なんて直ぐにのされてしまいそう。つまり、僕の命は、その双肩にかかっている。わお。肉食系とかマジ勘弁。
「食べに来ました!」
「ばっお前!」
 何を勘違いしたのか、顔を赤らめた小清水さん。
 じたばたと暴れるので、グッと力を込めて地面に押さえつける。
「ちょっと、痛い」
 マウント上手に取れました。
「あぁ、すいません。でも、腹ペコなんですよ」
 妹にご飯は全部あげちゃったし、さっきのご馳走が残念な結果だったせいもあって、ここ数日何も食べていない。
 妹曰く、人間は何も食べなくても二週間は生きられるらしいのだが、あいにくと僕はそんな極限状態に陥りたくない。
「なっ。お前はそういう人種だったのか。まともな奴だと思ったのに……」
 そりゃ僕だって奴等でもロボットでない人間なのでお腹が空く。でも、あんな何かわからないような物を食べるより、まずいレーションを食べたほうが幾分かマシってものだ。というか、この人は僕を何だと思っているんだろう。
「すぐ終わります。だからじっとしててもらえますか?」
 ここに来たとき小清水さんが缶を取り出した場所は大体覚えているのだ。
「ったく。物好きもいたもんだ……わかったよ。報酬のお釣りだと思って、甘んじてご相手させてもらいますよ」
 そう言うと、小清水さんはスッと目を閉じて、抵抗するのをやめる。
 これは幸いと僕は肩から手を離し、転がっていたレーションに手を伸ばす。たくさんあって目移りしてしまう。
「あ、あのだな」
「はい?」
 なんとなく目が引かれたので緑色のパッケージのものを手に取る。フレーバーベジタブル味らしい。
 わくわくして一口。見事、外れレーション(つまりハズレーション)だった。
 雑草みたいな味がする。これならそこいらの雑草のほうがよっぽどましかもしれない。
 まぁ確かに野菜もベジタブルなのかもしれないが、これは酷いだろう。
「その、なんだ。こう言うのも恥ずかしいんだが。その……」
 食べ物を粗末にしてはいけないので渋々食べていると、未だ浜辺にうちあげられた鯨みたいに動かない小清水さんが、何かをつぶやく。何をしているんだろう。
「なんです?」
 興味は特になかったのだが、伝えたそうなので聞いてみる。
 はて、僕は妹以外の何に興味を示したっけ。などと一瞬、真理を掴みそうになるが、また小清水さんはゴニョゴニョと歯に物が詰まったみたいに口を動かすので気がそれ、真理の扉は閉ざされた。
「……じめてなんだよ」
「はぁ」
「だから! はじ……なんだって」
 見たところ、ずいぶんと恥ずかしそうにくねくねとしているが、この人は何を言っているのだろう。いや、二重の意味で。
「あーもう! あたしは初めてなんだよ!」
 ガバッと状態を起こした小清水さんは、僕の取りこぼしたハズレーションを凝視し、そのまま凍る。
「えっと、小清水さん。お腹が空いてたので頂いてます」
「あ?」
 解凍。が、回答なし。代わりに、視線がハズレーションと僕を行ったり来たりする。
「あ、勝手に食べてますよ」
 目があったので、食べていた何だが怪しい色の缶を掲げる。
「ふぁ?」
「ふぁ、ファ……ソラシド?」
「て、てめぇ……」
 あれ? 小清水さん怒ってる。なんか携帯のバイブレーションみたいに小刻みに震えてるし、顔も熱された電熱線みたいに真っ赤になってる。む、例えが陳腐だったか。
「あ、これ、もしかしてお気に入りでした?」
 こんなモノが取って置きだなんて思いたくもないが、人の趣味嗜好はそれぞれだ。世の中にはカニを旨いって思う奴もいれば、嫌いな奴だって居る。妹が好きな奴がいれば、妹が大好きな奴も居る。そういう事だ。違和感は無視だ。
「ご、ゴメンなさい。許可は取ったつもりだったんですけど」
 取りあえず謝ろう。昔から謝るのは得意だ。
 正座をして、手を三角形に置き、頭を地面にこすりつけるようにして謝る。
「ちっ」
 こうかは ばつぐんだ。おかげで拳の代わりに舌打ちがとんできた。
 人は無抵抗な人間に危害を加えにくいのが心理だ。だから、人は謝るときに弱点である頭を無防備に晒し、無抵抗を示すのかもしれない。
「ったく。良いよ。勘違いしたあたしが悪いんだ」
 恐る恐る顔を上げる。うむ、不機嫌そうである。
「で、本当に食べに来ただけ。って訳じゃないだろうな」
 何を勘違いしたのかを詳しく聞きたかったが、せっかく許してもらったにまた怒らすのも馬鹿らしいので、本題に入る。
「そうですね。小清水さんはあの焼き物が何で出来てるか、ご存じですか?」
「焼き物?」
 そんな呆れ顔をされても、気になるものは気になるのだ。ありゃ、なんだ。
「いや、宴会だというのに皆あの焼き物食べて、アルミホイルを奥歯でかんだみたいな顔してましたよ?」
「あるみほいる?」
「失敬。苦虫を噛み潰したみたいな顔で」
 この時代では、僕のウィットに富んだジョークも伝わらない事があるので悲しい。
「お前の言ってる事は良く解らんが、そりゃ多分、この村の伝統食だ」
「伝統食、ですか」
 伝統を作るほどここに住んでいるのか。
「何でも、家畜の餌とすり潰したじゃが芋で出来てるらしい」
 原材料を聞いて、ますます食べたくなくなった。
 家畜の餌を混ぜるだなんて何の苦行だ。
「美味くはないが、験担ぎの一種で、昔の頃を忘れないため。だそうだ」
 言いながら小清水さんも適当に缶を手に取り、渋い顔で食べ始める。
「そ、そうですか。ちなみに、この村の家畜って何がいましたっけ」
 ここの人は昔、家畜みたいな奴隷をしていたのか。とちょっと逃げたくなるが、妹が居るのでそうともいかない。
「あーたしか、鶏数羽に犬がたくさん。後、祝い事の時に食べるって豚が三頭いたな」
 豚が三頭でぶたさん。
 豚肉だなんて久方ぶりに耳にしたものだから、つい唾液腺が刺激されて口の中が洪水状態になってしまう。おかげで雑草の味も帰ってきたけど。
「三頭ですか」
 豚三頭といえば、食べれる部分を枝肉にして75㎏程度が元居た世界の普通だったから、75×3で225㎏もある。ここの人間が全員生き残ったとして400ちょっと。つまり、一人頭で500gもの豚肉が食べれる計算になる。こんな時だけ計算が早いのが少し悔しいが、その量を想像してニヤける。
 豚トロ・豚テキ・豚の角煮・酢豚・豚野郎・豚に真珠。
 最後の方はなにか違うような気がしたが、きっとご馳走に違いない。
「三頭もだよ。あたし、豚なんて久しく食べてないから、是非ともロボットの野郎を倒さないとなぁ。クライアントさん」
「そうですね、僕も是非ともご馳走になりたいものです」
 それで食べまくる妹に是非とも「豚になっちゃうよ?」と言ってやりたい。
 というより、そのまま食べちゃいたい。いや、豚を。どっちかっていうのはご想像に任せる事にしよう。
「ま、その前に生き残らないと、ねっと」
 馬鹿な妄想は一旦捨て置き、上着を脱いで広げ、空になった缶を中央に置く。
「何のつもり?」
 安心してください。別にヌードショーを開始しようってわけじゃない。
「いやね、長殿の素晴らしい作戦を復習しようかと思ってね」
「あぁ、あの素晴らしい作戦ね」
 やはり小清水さんもすばらしいと思っているらしく、口元には苦笑いを浮かべている。
「オペレーション名は【万歳三唱】かな? クライアントさん」
「超兄貴と呼んでくれるよう頼みましたのに」
 しかし、万歳三唱だなんて洒落た事を言えるって事は。やはり小清水さんは強いらしい。
 前にも言ったが、この世界じゃ昔の事を知っていれば知っているほど有利なのだ。たまに例外もあるが、基本はその知識がなんであれ、昔の事を知っている人は役に立つ。何せ、知らないのと知っているのでは雲泥の差があるのだ。
 それに、この世界じゃ僕の読んでいた週刊誌だって重要文化財で、昔のアニメに詳しければ、オタクじゃなくて立派な考古学者となり得る。なんて素晴らしい世界だ。
「それか、それなんだが、なんか、嫌な予感がするんだよ。こう、なんか、テカテカというか汗臭そうというか……」
 素晴らしい。その感性、無駄にしないでください。
「では超兄貴は置いて、小清水さんはどこまで敵の事を知ってますか」
「今回のか」
 今回の。と言うからには、そこそこの数戦ってきたらしい。
 テントの中に散らばる鉄くずのへこみ具合や断面を見るに、この人は近距離戦を好むらしい。しかし、断面だなんてどうやってこの分厚そうな鉄を切ったのだろうか。
「結構高かったんだがね。まぁクライアントのアンタならいいさ」
「お代ならきちんと払います」
「あぁ、いい。これくらいコアのお釣りにもなりゃしねぇから」
 そうですかと袖に入れた手を戻す。特にお金の宛もなかったので助かる。その、今のは形だけというやつだ。ハッタリとも言う。謝罪と並ぶ、僕の十八番だ。
「今回のは、二台で――」
「二台?」
 つい、言葉をさえぎってしまう。
 なにせ、おじさんの作ったロボは互いに情報をシェアリングし合い、一定区域に二台ととどまる事はない。
 つまり、今回はおじさん以外の誰かが敵なわけだ。
「あ、あぁ。そんなに驚くことじゃないだろ?」
「いえ、すいません」
 困ったぞ。一般のロボットが相手なら、僕等はハートロッカーだなんて大それた事は出来ない。それ以前に戦えるかも怪しくなってきた。
 なにせ相手は僕等を殺しにかってくる。そんなのに突っ込もうものなら、天使にお迎えを頼むみたいなもんだ。一番槍だなんて滅相もない。
「続けてもいいか?」
「あ、どうぞ」
「一台はブースターとステルス。でかいハサミを装備した第三世代型と、表に転がってたのと同じ、第一世代型のが一台ずつだ」
「ステルスとブースター?」
 その装備は、おじさんが技術を独占していたはずだ。
「そそ。まさか、アンタが分からないわけ無いよな?」
「あ、わかりますよ。もちろん」
「さすがはハートロッカーってところかい」
「ほめたって何も出ませんよ。でも、大きなハサミですか……」
「心当たりがあるのかい?」
「あー」
 なんだかここに来る前、ド派手に吹き飛ばした気がします。
「それ、もしかしてハサミが二つで、横によく動いてませんでしたか」
「お、よく知ってるね。その通りさ。情報屋はカニだとか言ってた気がするね」
 やっぱり、アレが今回の敵その一だったらしい。
「も、もう一台は?」
「もう一台は、なんだかでかい口で、見かけによらず速いらしい。装甲は分厚くて、牙も鋭くて並大抵の装備じゃ歯が立たないって話だ。第一世代のくせにな」
「へぇ」
 凶悪そうだ。絶対に戦いたくない。多分、虎とかライオンとかだろう。
「こっちはカバって言うらしい」
 あ、カバ強いよね。カバ。
「わ、わかりました。では、僕からも報告を二つほど。良い方と悪い方、どっちを先に聞きますかね?」
「後味が悪いのは好かないんでね。悪いのから聞かせてもらおう」
「悪いほうですね、僕の報酬がパーツ占有権、四位に決まりました」
「なん……だと……?」
 驚くのも無理はない。自分の報酬を誰かに奪われたのだ。朝刊を一面、丸々使ったバッドニュースだっただろう。
「あぁ、そんなに殺気立たないでください。僕は報酬に興味はありませんから」
 だって僕は、妹とほそぼそと旅が出来ればそれでいい。
「問題は、長が僕に四位は村が所有している優先権で、傭兵の中でも最上位だから。と言った事なんです。どうですか? 聞き覚え無いですか」
「あぁ、契約のときに聞いたさ」
 どうやらぐうの音も出ないらしい。
 ハンターのルールは絶対で、破る奴など命知らずだ。そういった先入観が今回の間違いを引き起こしたらしい。
「まぁ僕としてはどうでも良い事なんですけど、さてさて、報酬を与えられないハンターの小清水さんはどうしますか?」
 試すように問う。
「アンタは、どうする」
「僕ですか? 言ったじゃないですか。興味がないと」
「そうかい。それじゃ、私も君達二人の監視を最優先事項に繰上げしよう」
「その言葉に、二言は」
「ないね」
 言葉と一緒に上着を投げて渡される。
「なら結構」
 袖を通しながら、小清水さんを見る。
 少し不機嫌そうなのは、やはり契約を反故にされたからか。
「本当のところ言うと、長は報酬はきちんと払うつもりだと思いますよ」
「何?」
 さっきと話が違うぞ。と小清水さん。
「考えて見てくださいよ。僕等がいくらハートロッカーだからって、二人で二機のロボを相手に出来るとお思いですか?」
「ま、難しいだろうな」
「でしょ?」
 まぁ、僕等なら出来るんだけど。
「死人に口なし。屍に報酬は必要ないっだろうって事ですよ。長はむしろ、僕に報酬を払う気がなかったんですよ」
「なるほど。つまり、嘘を知っていてそれを利用したアンタが一番のペテンってとこだな」
 酷い言われようだが、本当のことなので仕方がない。
 だがしかし、長は僕等が無事に倒したときのことは考えていなかったのだろうか。作戦の立て方といい、見通しが甘すぎる気がする。村人の空元気と関係があるのだろうか。
「ま、そんな怖い顔しないでくださいよ」
 冗談でもにらまれるのは好かない。
「はんっ。まんまと騙されたよ。最優先があんたの仕事になるだなんてね」
 僕は、無礼を詫びるつもりでペコリと一礼。
「ったく食えないな。それで、良い事ってのは?」
 半ば興味なさげな小清水さん。
 だが、きっとこの報告には目玉が飛び出るに違いない。ほら、あのお土産とかでよくある押すと目が飛び出す気持ち悪いキーホルダーみたいに。
「えっとですね、さっきの話に出てきたカニ型の第三世代は、僕らが倒しちゃいました」
「は?」
 沈黙後、疑問詞。そしてまた怖い目。
 残念。目玉は飛び出なかった。そのかわりに震える拳が飛び出した。
「どういうことだ」
 そういって怖い顔で僕の胸倉を掴みあげる小清水さん。
 やだ、僕の目玉が飛び出しちゃいそう。
「こ、此処に来る途中に遭遇しまして、ちょっとね」
「ちょっとだなんて簡単に言ってくれるよ……そっちの方があたしにとっちゃ、悪い知らせだよ」
 喜ぶと思ったのだが、逆に肩を落とされてしまった。大体テンションVr.3から1位までくらいのダウングレードだ。
「第一世代のパーツの値段なんて第三世代の欠片に比べちゃ雀の涙程度の価値しかないし、訳のわかんないクライアントに訳のわかんない仕事頼まれるし、今回の仕事は骨折り損みたいだね」
 本人の前で言うか、それ。
「まぁ、第一世代だったら、豚さんを食べれる確率が上がりますよ」
「ま、それは素直に喜んでおくことにしよう」
「喜ぶついでに放してもらえますかね?」
「ん? あぁ、すまない」
「っと、ありがとうございます。僕も戦わなくてよさそうなんで嬉しいです」
「何だって?」
 あ、しまった。つい本音が出た。
「高名なハートロッカー様が戦わないだなんてどういう事だ?」
 さっき開放してもらったばかりだがにじり寄られ、逃げ場を失う。くそっなんでテントは出口が一つしかないんだ。
「まてよ。新型のコアが取れて、第一世代が倒せない?」
 まずい、この人何か気がついたみたいだ。
「質問していいか?」
「駄目です」
「お前ら、リュックの中にマスク入れてないか?」
「駄目だって言ったのに」
 諦めて溜息をつく。やれやれ、面倒な事になった。
「なるほどな、それなら納得できる」
「気づいちゃいましたか」
 実は僕等、おじさんと今母のおかげで賞金首になってたりする。情報もかなり開示されているし、知っている人は知っているだろう。もちろん、開示された情報以外に、風の噂でマスクの二人組みが賞金首だというのも流れている。
 そして、僕等の首にかけられた値段はそりゃもう莫大なものだ。
 おまけに、僕等を捕まえてくれば今後ロボットに襲われることがなくなるという特典もついてくる。そんなの、捕まえない方がどうかしてる。
「で、どうしますか」
「どうって? 何がだ」
「いや、だって」
 腹に週刊誌でも入れておくべきだったと後悔していたのに、小清水さんは特に変わった様子もなく、新しい缶を開けていた。
「どうにかして欲しいのか?」
「色々問題有りません? 僕」
「アンタは大事なお客さん。あたしはそれなりに腕のたつ仕事人。最優先事項のお仕事はあんた等の監視。ほら、何も問題はない」
 驚いた。まだ、世の中にはこんなプロ根性むき出しの人間がまだいたのか。
 まぁ、相手がそう言ってくれるのなら僕もそれに甘えておこう。
「じゃ、お言葉に甘えて僕はそろそろ戻ります」
「おう。明日、気をつけな」
 テントからはい出て空を見上げる。この星空は何時見たって変わらない。世界は変わったようで変わっていない。
 人は人だし、犬は犬。妹はかわいいし、僕はお尋ね者。そう思うと少し安心する。
「小清水さんも、初めては大切にね」
「なっ、てめぇ」
 なんだか嬉しくなって軽口を叩いた。
 その代償に飛んで来た缶詰を後頭部に受け、お土産にたんこぶを作って僕は妹の待つ食堂へと向うことにする。
「よう」
「どうも」
 小清水さんのテントからそう離れていないところで、世紀末さんにあいさつ。やけに大荷物だ。まるで夜逃げでもするみたいだ。 
「じゃあな」
 そういって世紀末さんは闇に溶けてしまった。
 世紀末さんの消えた先を見つめ、ぼんやりと月明かりに照らされた僕の世界では見ることが出来なかった古ぼけた村を眺める。
 変わってないものもあるけれど、やっぱり変わってしまったものの方が多い。さっきまでルンルン気分だったのに、いきなり頭の中の電気を消したみたいに暗い気分になった。
 うっすら見える家はどこもかしこも痛んでおり、まともな職人が作った物じゃないのはすぐにわかる。
 ポツポツと見える人影も皆殺気立っており、明日への意気込みがヒシヒシと感じられる。
 しかし、謎だ。村人はこの作戦を理解しているはずなのに、どうしてこうもピリピリしているのか。
「おっと、すいません」
 ぼんやりと歩いていたせいか、誰かにぶつかる。
 背格好からして、僕と同い年か、それより下か。
 何にせよ、この村初めての子供のようだ。これでこの村の最大の謎が解消されるかもしれない。
「あん? 弟じゃない」
 ガラの悪い子供だと思ったら、妹だった。
「何処に行ってたのよ」
「ちょっと、ね。妹こそこんな時間に何してるのさ」
「何って、逃げる準備に決まってるじゃない。ちょっと型は古いけど弾薬もたっぷり。食糧の質は最悪だけど、どっさり用意させたわ」
 何か持っていると思ったら、荷物らしい。きっちりした妹だ。
「確かに、あの焼き物は家畜の餌とじゃがいものペーストらしいし、いくら出陣前の験担ぎだからって、考えて欲しいよね」
「え? 家畜?」
「そ、家畜。しかも豚」
 どうやら知らなかったらしい。
「ふざけんなや!」
 持っていた袋の一つをすごい勢いで投げ捨てた。もったいないお化けが出るぞ。
「冗談じゃないわよ! あいつらがやたらと勧めるから食べてやったっていうのに、私に豚のメシを食わせてたって言うわけね! 弟! この村ちょっと壊して逃げるわよ」
「ちょっと待って妹。今なんて言ったの」
「え、な、何って。壊して逃げようって……冗談じゃないの。そんなに怖い顔しないでよ」
 流石に冗談が過ぎたかとたじろく妹だったが、僕は別に怒っていない。
「違う。その前」
「えっと、家畜のお餌なんかお食べさせやがりまして?」
「それそれ」
 ちょっと言い回しは違うが、それで分かった。
 ずっと感じていた殺気の正体も、子どもが居ないこの村の不思議も。そして、僕についた嘘の意味も。
「一体なんなのよ。弟!」
「や、豚のメシっていうからこの村に居た豚を思い出したんだ。聞くところによると、明日の作戦が終わったら、豚肉パーティらしいよ」
 妹がふにゃりと表情を融解させる。
「え? それ本当?」
「き、聞いた話なんだけどね」
 妹に気圧され、二、三歩さがってしまう。
「じゃ、逃走は豚料理を堪能した後にしましょう」
「え、食べるの?」
 即決だった。確かに、久しぶりの肉調理はそそるものがある。
「当たり前じゃない。久しぶりの料理らしい料理よ?」
 今からワクワクが止まらないのか、妹は上機嫌で鼻歌まで歌いだし、いつものように僕を座らせ、背中合わせに地面に座り込む。
 さて、そんな楽しそうな妹の提案を無碍に出来るだろうか。いや、僕には出来ない。反語表現。たとえ、それが面倒事に巻き込まれると知っていてもだ。
「わかりましたよ。明日はお迎えにイヤイヤして、豚さん食べてトンズラしましょう」
 返事は、なかった。豚とトンズラをかけたのに。
 少しの沈黙の後、聞こえて来た寝息で妹を起こさないようにゆっくり身をひねり、風引かないようにと上着をかけてやる。実に安らかな寝顔だ。
 いつまでも見た居たかったが、妹は僕を背中に感じて無いとすぐに起きてしまう。
 だから、また背中合わせになって空を眺める。
 契約で住居だって用意されているだろうに、こんな所で寝なくてもいいじゃないか。ま、僕は妹がいればそこがスイートルームなんで何処だって関係なのだが、出来れば妹に久々の布団のぬくもりを感じて欲しかった。
「おやすみ。僕のかわいい妹。どうか、明日が妹にとって良い日でありますように」
 そう祈り、僕は妹の絹のような髪をなでる。
 途中、妹がくすぐったそうに身じろぎをしたので、背中に感じるほのかな体重を感じながら、おとなしく星を数えることにした。
 さて、今日は幾つまで数えれるだろうか。

 
 
 
「チュンチュンチュン……」
 朝だ。今日は一段と埃っぽい砂煙がアチラコチラで上がっていて、喉がイガイガする。今日が決戦の日だとだからといっても、慌ただしすぎやしないか、ちょっと。
「騒がしいわね」
 隣で不機嫌な面をしていた妹も、ゴソゴソと荷物を物色して朝ごはんを取り出す。
「チュンチュンチュン」
「いつまでやってんのよ。ほら、朝ごはん」
 僕の鳥の物真似はお気に召さないようで、眉間にしわを寄せたまま缶詰を突き出された。
「あ、うん。いただくよ」
 ガスの抜けるような音と共に、濃い醤油の香りが鼻をつく。
「なに、これ?」
「ここの奴等曰く、この村にある最上級の缶詰」
 まぁハンターなら露知らず、一般人が缶詰を手に入れることは難しい。
 なにせ、この荒野のどこにロボットが潜んでいるか分かったものではないので、何も考えずに大量の物資を運ぼうなど、いかだで大海原を横断しようとするくらい愚かな行為だ。
 製造工場だって大都市にしか存在しないし、運搬が容易でないとするなら、その価格がうなぎのぼりになるのは火を見るより明らか。ということだ。
「最上級ねぇ」
 真っ黒な汁に浸かった何かをつまみ上げ、一口で咀嚼する。味なんて期待する方が間違いだった。
「くー」
 額をペチペチと叩いてしまう。なんだろう、舌で感じるんじゃなくて、脳で直接感じてしまっている。口の中は麻痺し、目はバッチリと覚めてしまう。
 有り体に言えば、すごくまずい。
「どう?」
「食えたもんじゃない」
「そ」
 僕から感想を聞くやいなや、妹は缶詰を何の躊躇なく捨てた。毒見させやがったな。
「仕方ないか」
 そう言うなり妹は別の小さな袋を取り出して、ナッツをポリポリ食べ始めた。いいなぁそれ。僕にもくれよ。
「ぼ、僕の分は?」
「さっき缶詰食べたじゃない」
 いや、その理屈はおかしい。なんでコイツは、さも当たり前かのように二袋分のナッツを食べているんだ。その一袋、僕のじゃないの。
「な、何か」
 妹が漁っていた袋をまさぐると、ガラガラガコガコと金属が大運動会だった。
「い、妹?」
 高い・最上級・すごい。って言うのに釣られて缶詰ばっかり貰ってきたらしい。
 考えてみろよ。最上級品が袋一杯分もあるわけ無いだろ。絶対、体の良いゴミ箱にされただけだ。
「あによ?」
 馬鹿野郎と一言言ってやりたかったのだが、妹の一言が「兄よ」に聞こえたのですべて許すことにした。
 許したついでに一つだけ記念に缶詰をもらっておいた。もしかしたら、飛んできた弾丸を防いでくれるかもしれないから。
「いや、こんなにあるけど、どうする」
「まずいんでしょ? じゃあ重いだけだし、そこらの家に放り込んでおいて」
 それって不法投棄って言うんだぜ、妹よ。
 昔なら立派な犯罪だ。いや、今も犯罪なのかもしれないけど。
「よっと」
 まぁ、やるんだけど。
 このお家の持ち主は、天からの恵みだと思ってもらえると嬉しい。
 家の中はやたらと生活感がないが、誰か見つけるだろう。
「それより妹よ、そんな急いで食べなくても僕は取らないよ」
 リスみたいに頬にナッツを詰め込み、すごい目付きでこちらを睨んでいるのだが、イマイチ迫力にかける。例えるなら、折の中の猛獣という感じだ。
「弟に私が腕力で負けると思ってるの? 私が急いでるのは時間のせいよ。時間」
 時間。と言われて腕を見た。だが特に何も思い出せない。 
「今日は作戦の日でしょ。ごたついてるけどもうすぐ始まるはずよ」
「その通り。今から長の演説が始まる」
 ゴクリと妹がナッツを飲み込んだのと同時に、僕等に影がかかる。
「おはようございます。小清水さん」
「おはよう馬鹿野郎」
「なに、弟。いつの間に親しくなったの」
「なんだ、話してなかったのか、お前」
 小清水さんの、お前というワードに妹がピクリと反応する。
「要約すると、あたしはこいつに雇われたのさ」
 今度はこいつに反応する。
「い、妹。お、落ち着こう。僕が名前を教えてないだけだから……」
 今にも爆発しそうだったので、フォローしておく。せっかく雇ったのに、妹におジャンにされたらたまったもんじゃない。
「なに? 名前教えてないの」
「いや、だって僕等アレだし、それにルールもあるから……」
「わかったわよ。わかったから朝からそんな不快な表情しないで。って、何あんた笑ってんのよ、小清水」
「失礼。仲がいいなと思ってね」
 クスクスと口を抑えて上品に笑うのは結構だが、僕はそれどころじゃない。
「さ、作戦を言うのを忘れてました! 作戦です作戦。ほら、作戦だよ妹。作戦」
「さく、せん?」
「そそ、昨日寝ずに考えたから」
 いや、本当のところは星を数えていただけなのだが。寝てないのは本当だ。
「あたしも聞いても?」
「嫌!」
「どうぞどうぞ」
 妹に思い切り脇腹をつねられたが、涙が出ただけなので問題ない。たぶん、青あざになってるけど問題ない。
「僕のプランはこうです。一番槍の僕等が単身、第三世代を叩き、残った皆さんは第一世代を叩く」
「なるほど! すばらしいな!」
 小清水さんはノリノリだ。こういうとき、冗談をわかってくれる人はありがたい。
「なるほど。でもそこのバカ女に弟。私、敵が二台なんて聞いてないわよ」
「伝えてなかったっけ?」
「当たり前よ。もしその第三世代が、その、あの、アレだったらどうするつもりよ」
 途中までで言いよどむ。多分、妹も正体がバレることに気を使っているのだろう。
「それなら大丈夫さ。第三世代は君等の両親が作った奴だ」
「なっ。弟。こいつ殺しましょう。今すぐ殺しましょう」
 物騒なことを言う。が、何も言わず攻撃しないというところあたり、妹はまだ人間だ。
 だが、その殺気は十二分に人を殺せそうだ。現に、小清水さんも固まっている。
「だ、大丈夫さ。小清水さんは知ってて雇われてるから」
「ちょっと、名前を教えてなかった理由と矛盾してるんだけど。ま、いいわよ」
 と、シュルシュルと殺気の魔人は妹に帰っていった。
「ク、クライアントさんよ、今の殺気は死ぬかと思ったぜ?」
 小清水さんが青白い顔で冷や汗を流していた。まぁ、そうなるでしょうよ。
「すいませんね。家の妹は少々気が荒いもので」
 言って手を差し出す。
「ったく、こう言うのはもう勘弁だよ」
「こっちもそう願います」
 やれやれとため息を漏らしながら、小清水さんは何かを待っていた。何をしているのかと首をかしげていれば、少しずついらつき始めた。
「どうしましたか? そんなにイラついて。アレの日ですか?」
「馬鹿!」
 後頭部を妹に射ぬかれた。勿論拳で。
「あの人は、自分はどうしたらいいかの指示を待ってるのよ」
 痛みに悶えながら考えていると、たまらず妹が答えを教えてくれた。そういえば特に指示していなかった。
「指示ですか。指示は変わりませんよ。まだ僕は困ってないし、まだ先になると思います」
「戦いの時に指示がないだと?」
「そうなりますね」
 さらにイラついた様子の小清水さん。いや、イラつかれたってないものはない。
「ったく。いいわ、小清水。ちょっとこっち来なさい」
 女二人、ヒソヒソと話し合っている。無論、聞こえない。
 やっぱり、こうして見ると妹は小さい。そして驚くことに、小清水さんはそんなにごつくなかった。自分と見比べると腕はがっちりとしているのだが、妹と見比べれば、同じように女の子の腕だった。
「行くわよ。弟」
「え? あ、うん」
 声をかけられ妹の後に続く。見れば、なぜか小清水さんと妹が二人で楽しそうに話していた。今ので仲良くなれたのだろうか。女という生き物は不思議だ。
「弟、アンタの作戦。私達二人じゃなくて、牡丹も連れていくからね」
「牡丹?」
 聞きなれない名前に首を傾げる。はて、そんな知り合いいたか。
「やめてくれ柏木。その名前はあんまり好きじゃないんだ」
 恥ずかしそうに頬を掻く小清水さん。なるほど、小清水牡丹ね。覚えておこう。
「私は柏木姉と呼んで」
「分かったよ。あっちが柏木弟で、こっちが柏木姉だな」
 指をさして確認されるが、柏木の響きに頭を割らられるような耐え難い頭痛がする。
 視界がぐらつき、チカチカする。なんだか口の中も酸っぱいし、吐く息も熱い。
「ちょ、ちょっと。弟、大丈夫なの」
 だ、大丈夫だよ。ちょっと寝不足で頭がいたんだだけだから。
「吐き気がする」
 あ、建前と本音が逆だ。
「だ、大丈夫だよ。ちょっと寝不足で頭がいたんだだけだから」
「弟……」
 慌てて取り繕ってみても、時既に遅し。妹は心配そうな顔で僕を覗き込んでいた。あれ、いつの間に倒れたんだろう。
「柏木弟?」
「っく」
 頭の中で除夜の鐘が鳴っている。やめてくれ。僕の煩悩はそんなにないから。
「牡丹。悪いけど、私達の事はやっぱり白と黒で呼んでくれるかしら」
「よ、よく分からないけどそんなに睨まないでくれよ。えーっと」
「私が白で」
「そ、そうか。白」
 小清水さんの顔が若干引きつっている。多分、妹が怖い顔をしているのだろう。
「い、妹。もういいよ。小清水さんも、すいませんね」
 まだ視界は揺れているが、なんとか立ち上がる。口の中がシャリシャリするので唾を吐いたら真っ赤だった。そんなに力を入れていたか。
「ぼ、僕はいいですよ。行きましょう。遅れて一番槍を逃すと作戦が台無しですんで」
 酒に茹だされたようにふらつく足取りで、気がつけば僕は二人に肩を支えられていた。
「あ、すいませんね」
「遅れたら困るんでしょ」
「クライアントさんが生きてないと困るんでね」
 二者二用の親切に心中で涙し、のろのろ亀の歩みのように進んでいると人が増えてきた。
「なんとも恩知らずな事に――」
 遠くでだが、大きな男の声も聞こえる。
「白黒。すまないが、そのまま演説の壇上まで来てくれ。なんでも、激励の挨拶が欲しいらしい」
「あ、も、もう大丈夫なんで。僕一人で歩けます」
「そ、そう?」
 妹に心配されながら、自分の足だけで地面に立つ。よし。行けるみたいだ。
「じゃあ行こうか」
 僕の様子を見て大丈夫だと判断したのだろう。小清水さんが人ごみをかき分けて先に進んでいく。
 僕等はそれに離されないようにと、付いていく。
「遅いではないか」
「すいませんね。でも、しっかりとハートロッカーの二人をお連れしました」
 壇上にいたのは、宴会の時と同じ椅子にどっかりと腰をかけた女性と、体躯のガッチリとした男が一人だった。どうやら、女性の言ったことを代弁していたらしい。そりゃ、あの歳で大声で演説をしてたらそりゃバケモンだ。
「今、我々の希望であるハートロッカー様たちがお付きになられました」
 耳を劈《つんざ》く拍手と共に壇上に押し上げられる。
「この方々は、先程申した逃走者の傭兵たちとは違い、戦いから逃げることなく、またここに舞い戻ってこられました」
 やや巻き舌がかった男の声を聞きながら、頭を振る。しっかりしないと。
 壇上から見下ろす限り、前列を埋めているのは村人。後列で退屈そうに武器の確認をしているのが傭兵部隊といったところか、この温度差が、戦いにどう影響するか。
「我々はこの争いを戦い抜き、さらなる村の発展と、潤いのために武器を持ち――」
 近くで聞いていると耳がキンキンするような大声で永遠と演説が続く。戦わないはずの村人の士気は上々だが、実動隊の傭兵部隊はすでに居眠りを開始しているものも居る。
「す、すいません長。昨日の作戦の件で私から変更が少しありますのでよろしいか?」
 演説の邪魔をしないように小さな声で長に話しかける。
「変更? それは今、私に話していただいてもいいですかな?」
 無茶な変更は許さないってことか。おかしいな、全員で戦うことに何のためらいがあるのだろうか。
「簡単ですよ。部隊を二つに分けます」
「ほう」
「長は敵の行動範囲が重なっていると予想されていましたが、実際は違うのです」
 一つは廃棄工場で、一つはまだ動いています。というのは無論伏せる。
「えぇと、僕の情報によると、敵は第一世代と第三世代が一体ずつ。第一世代の行動範囲を予想通りだとしても、第三世代は性能が向上していますので、その行動範囲は第一世代の五倍はあります」
「ふむ。五倍か」
「その場合、僕達傭兵が一箇所に攻撃を集中させますと、第三世代を取り逃がしてしまう可能性が出てきます。すると、困るのはどこでしょうか」
「村が危ない。か」
「そうなりますね」 
 にこりと笑って真意を隠す。こういった小物の輩は、保身の事となれば頭の回転が早くて助かる。ま、それも所詮は僕の手のひらの上なんだけど。
「それで?」
「言いましたように、戦力を二つに分け、各個撃破を狙います」
「しかし、それでは二体とも現れたときに対処できますかな」
 やけにねちっこい。単に僕の事を信用していないのだろう。
「言ってしまうとですね、戦力の分断は僕達二人と傭兵の皆さんで分けます。分かりやすく言うとですね、邪魔なんですよ。他の方は」
 もちろん、作戦に際してという意味なのだが、この場合は実力が出せないと取ってくれるはずだ。
「大した自信ですな。百歩譲ってあなた方二人が倒したとして、そのままあの魔法人形の部品を持ち逃げしないという保証はありますかな?」
 まったく、変なところで疑い深い。
 それに、百歩譲るだなんて、仮にもハートロッカーと名乗っている人間が敵に戦力で劣るかもしれないと考えるだなんて、すこし物を知らな過ぎやしないだろうか。ハートロッカーなんて居るだけで英雄扱いされるはずなのに、この人からはそういう敬意が一切合切感じられない。田舎物故の事か。
「そんなに心配なら、誰か監視でも付けてくださいよ。ほら、そこの近衛兵みたいな人とか居るじゃないですか」
「いや、こやつ等は」
 村の人間なんで無理です。か。何をそこまで犠牲をためらう。
「無理だって言うなら、あの僕等を引っ張ってきた怖い女の人でも良いですよ。僕の相方ならまだしも、僕ならすぐに捕まえられちゃうでしょうから」
「ふむ」
 長は少し考えると小清水さんに手招きをし、耳打ちで何かを伝えていた。これでひとまず小清水さん同行の件と、僕の作戦はクリアできたはずだ。
「ハートロッカー様」
「はい?」
 話し終えたようで、長の口元にはわずかに笑みがこぼれている。何を画作した。
「そちらの作戦で行きましょう。ふむ、考えて見れば素晴らしい作戦です。私どもの情報の通り作戦を行っておれば、一体逃していたやもしれませんからな。いやはや、そちらの情報収集能力には管を巻きますじゃ。こんど、よろしければご教授いただきたいものですじゃ」
「えぇ、よろこんで。豚料理の席にでも」
 ピクリと女性の顔がひきつったのが見て取れた。ざまあみろ。
「これ、ヨサク」
 ヨサクと呼ばれた壇上のスピーカー男は、長から新たな指示を受け、ウンウンと二、三度うなずき、また群集に向かう。
「おつかれ」
「どうも」
 妹のねぎらいがあれば、僕はどんな傷を受けててもヘッチャラです。まだ少し目眩がするけれど。
「上手く行ったよ」
 どうなったのか聞いてくれないので、自慢してみた。
「知ってる」
 さいですか。なんとも冷めてらっしゃる。それとも、失敗するなんてのは思考の蚊帳の外だったのだろうか。そうだったら嬉しい。
 だって、それくらい僕を信用してくれてるってことじゃないか。
 実のところ、僕が呆けている間に、新しい作戦が発表されていたので、それで知ったのかもしれないけど、そんな悲しいことはないと祈ろう。
「では、最後にハートロッカー様から激励の言葉を」
 作戦の説明も終わり、僕達が前へと押しやられる。妹と並ぶ。では一歩下がろう。
「あー死なない程度に頑張るよーに」
 なんともやる気のない激励である。僕だってエイエイオーくらいしか思い浮かばなかったので、トントンといえばトントンだ。
「おー」
 腹の底に響く声。今ので返事を返せる君等がすごいよ。村人さん。
「五月蝿いわね」
 顔をしかめて耳を塞ぐ妹。全く、その感想には同意だ。この熱気は、何と言うかカルト宗教の崇拝熱に似ていてちょっと怖い。
「では、こちらに」
 いつの間にか壇上に上がっていた男達に引っ張られて壇から下ろされた。傭兵達も、やっとかといった感じでのろのろ各々の準備を引き上げ、集合場所に向かっている。
「こちらが、今回お二人に使っていただく武具です」
「はぁ……」
 村人が持っているような旧式の銃をとり出され、唖然とする。
「こんな時に僕等の荷物を返さないって言うんですか?」
「ハートロッカー様ならこれでも十分戦えるものだと思いまして」
 こいつら、僕等を殺したいのか。こんなもの、戦車相手に豆鉄砲を使うようなものだ。全く役に立たない。確かに、妹が分捕ってきたのはこの型の弾丸だったが。
「あんたら、舐めてんの?」
 妹のどすの利いた脅しに、体格のいい男が後ずさる。泣いて逃げなかっただけ上出来か。
「いいんだよ。こんな豆鉄砲でも、ないよりはましだろ?」
 妹を制し、前に出る。妹はというと、僕の言葉に妹が本気でぽかんとしている。あれ、何か変な事を言っただろうか。
「それより、銃二丁だけ? 爆発物はないの」
「お、お望みでしたらこちらを」
 わお、これはノーベルさん直伝のマイトじゃないか。しかも、小さいし、なにより導火線が短すぎる。こんなの、火をつけて二、三秒しかもたない。
「ありがとう。もらっておくよ」
 各自渡されたマイトと銃を一本ずつ持ち、僕等も作戦開始位置に向かう。
「ちょっと。死ぬ気なの。弟」
「いや、妹が死ぬまでは死なない予定だよ」
 後ろから男がついてきているので、自然と小声になる。
「いくら私達でも、これで第三世代倒せるの?」
「もちろんさ」
 やっぱり妹には伝えていなかったらしい。ま、後で伝えても大差ないだろう。
「では、後は頼んだ。小清水」
 目的地到着。まぁものの見事に人の居ないこと。
「はいはい。分かったからさっさと失せな」
 小清水さんが、犬を追い払うようにして男達をはけさせれば、残ったのは砂埃と僕等三人だけだった。見送りの一つもないだなんて、まるでこっそり家出するみたいじゃないか。
「それが小清水さんの武装ですか」
「ん? あぁ。一応怪しまれないように完全武装できたぞ」
 そういう小清水さんの腰には、左右に一丁ずつ、僕等のマスクと同じような対照的なエボニーとアイボリーの大型口径のハンドガン。背中にはでっかい洋剣を構え、真っ赤なコートと真っ黒なレザーのズボンで身を包んでいる。
「悪魔でも泣かせるつもり?」
「お、よく分かったな」
 まさかとは思ったが、この格好は、あれだ。僕が昔やったことあるゲームに出ていた。しかも、主人公キャラだ。
「昔はこんな格好して、悪魔をバッサバッサやっつけてたのかなぁ」
 夢見る少年の目で空を見つめている小清水さん。いや、あれゲームだし。あんな身体能力を持ったやつ、少なくとも居ませんでした。
「どこでその知識を?」
「これか? 攻略本とかいうのに載ってた。あれみたいには動けないが、近いものは出来るんだ」
 そう言って、ゲームで見たことがある動きをひょいひょいとやってくれた。
「どうだ?」
 妹と二人して閉口してしまう。昔からゲームは一緒にやる事が多かったので、妹だって小清水さんを見て思うところがあったに違いない。
「す、すごいわね」
「そ、そうだね」
 二人してひねり出したのが、そんなつまらない感想だった。
「なんだよ。無味乾燥な奴等だな」
 つまらなさそうに剣を背中に収める小清水さんを見ながら、妹と視線だけで会話する。
(教えたほうがいいんじゃない?)
(そんな、僕には出来ないよ)
(放っておいたらエアハイクとかいって二段ジャンプしそうよ)
(いくら何でもそれは……)
(いいから。教えてあげなさい!)
(わかったよ)
「なんだ? 熱い視線を交わしちゃって」
「いやね、小清水さん。僕等の正体わかるよね」
「ん? まぁ、白黒のマスク被ったロボットに攻撃されない恐ろしいハンターが居るってのは知ってる」
「それだけ?」
「あー、そいつらは魔法使いから直々に狙われてて、生きて連れていけばそりゃもうすごい褒美がもらえるそうな」
「実は、僕等その魔法使いの息子と娘です」
 口は堅そうだし、少しくらいなら真実を教えてもいいだろう。
「ほう」
「それでまぁ、色々と昔のことを知ってて、二人共そこいらの考古学者よりよっぽど優秀なわけなんです」
 まぁ、その時代を生きてたからね。下手すりゃ博物館行きの逸材だ。
「そいつは羨ましいね」
 大して興味なさ気な小清水さん。せっかく誰にも言ったことない秘密を教えているのに、少し心外だ。
「何が言いたいかといいますと、その攻略本の詳細なんですけどね」
「あれを知ってるのか?!」
 自分の事となると素早い反応。いや、そういうの嫌いじゃないです。妹もそうなんで。
「攻略本ってのは、なにかを攻略するための物ってのは理解できますよね」
 返事はなく、返ってくるのは頷き。理解しているようなので続けさせてもらおう。
「小清水さんは、昔の人間が悪魔を倒すために書いた秘伝の書だとか、技の記録だと思っていみるたいですが、それは間違いなんです。残念ながら、あの本の書かれた時代に悪魔は居ませんでした。尤も、それ以前には居たのかもしれませんが、それこそ考古学者に聞かないとわかりません」
「つまり、何が言いたい」
「簡単にいうと、それ、ゲームの攻略本じゃないですかね」
 固まってる固まってる。誰だ、液体窒素かけたやつは。
「ゲームってのは、訓練用や仮想現実じゃなく、ただ単に僕等の娯楽として作られたフィクション満載の、ただのプログラムですよ。そこんとこもお間違えないように」
「じゃ、じゃあ」
「あそこに載っていた技術は、人間では実現不可能なものが多いですね。ある程度は実現できても、やっぱり、二段ジャンプだとか壁を歩いたりってのは難しいですから」
「なん……だと……」
 ガクリと崩れ落ちるようにして絵文字みたいに四つん這いになってしまった。
「い、妹。やっぱり悪い事しちゃったんじゃないかな」
「アンタが勝手にやったんじゃない」
 そんな、ひどい。一人だけ罪を逃れようだなんて。
「牡丹、あんな馬鹿の言う事なんて無視していいのよ。現実は現実としてあるけれど、夢をみることは誰にもとめられない権利だから」
 しかも、ちゃっかりフォローまで入れているじゃないか。どうしよう。完璧に僕嫌われ者じゃないか。
「い、いや、いいんだ。幻想をいだいたまま死ぬよりは。辛いけど現実を認めよう」
 あら、案外打たれ強い。
 自分の戦闘スタイルの根底を覆されたのに、よく気丈に振る舞えるもんだ。
「そうか、ゲームの攻略だったのか」
 と思ったら、儚げに弱々しい笑で遠くをみている。罪悪感で押しつぶされそうだ。
「牡丹も私達と同い年なんだし、まだまだ先はあるわよ。ね。頑張りましょう?」
 ここでまた衝撃の事実。あの人、僕等と同い年だったのか。
 コールドスリープの分は差入引いてだろうなそれは。差し引いてなかったら、小清水さんこそ博物館行きだ。
「そ、そうだな。まだ若いし。二人を監視していると何かと面白いかもしれないな」
「そうそ……監視?」
「契約の内容が、君等二人を監視し、黒が困ったときに一度だけ助けて欲しいというものなんだ。報酬は君等が持ってきたコア」
 あ、説明するの忘れてた。妹が怖い顔でこっちを見てる。
「また説明してなかったのか」
「シテナカッタデス。ゴメンナサイ」
 カクカクと頭を下げる。もうやだ、この妹。殺気に蓋をする栓をください。
「まぁいいわ。その話は後にしましょう。しっかし牡丹も無茶な依頼を受けたものね」
「わりかし簡単だと思ったんだが?」
「いやアンタ、それって、弟がお願いしなかったら、永遠に私達を監視し続けなきゃいけないわよ」
「なにぃ?」
 声を上げたのは、小清水さんではなく僕だった。そんなおいしい抜け道があったのか。
「白。この反応を見てどう思う」
「前言撤回ね。割と簡単な仕事みたい。あれは馬鹿だけど、馬鹿なりの考えがあって契約したんだろうしね。一生ついて来いってことはないと思うわ」
 完璧にあの二人意気投合してるじゃないか。僕をいじめる人が一人から二人に増殖してしまったよ。どうすればいいんだ。
「それにしても、マスクもないのにどうするのよ。こんな貧相な装備でどうにかなると思ってるの?」
「(二人の胸くらい貧相な装備だけど)大丈夫だよ」
 どうせ敵が居ないんだし、心配事はないと思う。
「なにがよからぬこと思ってない?」
「お、思ってないよ」
「ったく、お遊びはそこまでにしてそろそろ行こうか。村の連中に気取られるぞ」
 確かに少しではあるが、何者かの気配を感じるようになり始めていた。
「じゃ、行きますか」
「だね」
 勇ましい女児二人の後ろにつき、僕はひょこひょこと村を出た。目指すは遠く。出来れば村から見えないどこか。


12, 11

  

「黒」
 村を出るやいなや、小清水さんが話しかけてきた。
「黒」
「え、あぁ僕ですか」
 まだ呼び慣れていないので反応が鈍る。だいたい、黒って言えば妹のほうがふさわしいだろ。腹黒いって意味だ。
「実際のところ、あたしにどんな仕事させようとしてるんだよ」
 確かに、いつまで経っても分からないんじゃ不安かもしれない。
「そうですね。契約当初はあの村を脱出するとき、すこし手助けをしてもらおうと思ったんですが、状況が変わりましてね、僕の予想が当たっていれば、小清水さんには僕等の荷物の奪取、もしくは場所の特定と、モーニングコールをお願いします」
「モーニングコール?」
「ようするに、起こしてくださいってことです。出来れば妹と同じタイミングがいいんですけど、恐らく僕の方が目覚めはいいですから僕からで」
「よく分からないけど、分かった」
 渋々なのか、首をかしげたままだった。
 僕だって、なんでこんな指示を出したのだろうと少し首を捻りたいが、備えあれば嬉しいなってやつだ。憂いなし。だっけな。
「何もなかったら、そうですね。妹の話し相手として旅に同行してもらうのも良いかもしれませんね。もちろん、強制はしませんけど」
 多分、聞こえていたはずだ。しかし、小清水さんは肩をすくめただけで、それ以上の返事はくれなかった。
 ついてきてくれたら良いな。程度なので過度の期待はしないでおこう。僕も、妹以外の人と久しぶりに話したから嬉しかったのかもしれないし、一刻の気の迷いかもしれない。
 でも、妹と二人して楽しそうに話しているのを見ていると、このまま迷っていてもいいんじゃないかと思えるくらい、妹は笑っていた。
 あんな笑顔を見るのはいつぶりか。少なくとも、僕と旅をしてからはあんなふうに自然に笑うのを見れたのは片手で数えるほどしか無い気がする。ったく、ずっと一緒にいるのに、笑わせてやること一つ出来ないだなんて、僕は兄失格だな。
「ねぇ弟」
「ん?」
「どこまで歩くの」
 あら、さっきまで笑っていたと思ったのに、僕を見た途端にご機嫌斜め。ヘコむなぁ。
「言い忘れてたけど妹、僕等の目標は、村からは見えないけ適当なだから、そんなに身構えなくとも敵なんか出てこないよ」
 あらそう。と妹。ここまで来ると怒られないもんなんだな。
「破片くらい持って帰らないと怪しまれるかもしれないから、あの蟹を破壊した跡に向かってる。一応方角はこっちで合ってるはずだから、もう見える頃だと思うよ」
「あら本当ね」
 立ち止まった二人の先には、バラバラになった蟹さんの亡骸が……無かった。一日も置いていたら、めぼしいパーツは持って行かれてしまったらしい。いや、父が回収したのかもしれないけど。
「適当に破片を拾えばいいの?」
「重要そうなのがあればよかったんだけどね。この様子じゃなさそうだ」
 諦めて、僕もいくつか小さな破片を拾う。



「集まった?」
「そこそこ」
「こっちもそこそこ」
「あそこにもっと大きのがあったんだけど、私達じゃ運べなさそう」
 確かに、小さな家の壁くらいありそうなパネルを指してそうは言うものの、女性陣二人は十分に大きいといえる装甲を持って各々満足気。
 ジーザス。僕がゴミ拾いしてたみたいに見える比較物だ。二人共パワフルすぎるだろ。
「じゃ、それ持って帰ろうか」
「え、コレで終わり?」
「うん。後一仕事だけやって帰るよ」
 呆気にとられた二人をおいて、僕は荷物からダイナマイトと借りてきた銃を引き抜く。
「小清水さんはなんか爆発物持ってないですか」
「こんなのが少しだけ」
 火薬瓶が二瓶、か。ちょっと少ないかな。
「えっと、さっき妹が言ってた大きなパネルあるよね。あそこめがけて、とりあえず撃ちまくって」
「は?」
「何の音もしなかったら怪しまれるでしょ? 気分だよ。気分」
 疑問に答えれば二人共特に反対するでもなく発砲し始めてくれた。物分りが良いというのは素晴らしい事だ。
 僕も二人に習って銃を構えてみたが、引き金を引くのはやめておいた。
「ふむ、コレは作為を感じるね」
 やや曲がった銃身たどってみれば、薬室に何か詰められていた。気づかず引き金を引いてたなら、もれなく僕の指は吹き飛んでいただろう。
 生憎とまだ僕は指とお別れしたくないので、一番大きな詰め物を引っ張り出す。
 詰まってたのは切り刻まれたじゃが芋だった。僕の頭が男爵みたいに煮崩れしやすいってか。うまい事いったもんだ。
「ふざけるんじゃねぇよ」
 食べ物の神様にゴメンなさいをしながらじゃが芋を鉄板に向かって投げつけ、男爵への怒りをぶつける。これメークインだけど。
 さて、手物に残されたじゃが芋鉄砲なのだが、これは村の男から直に受け取た物で、妹のにはこんな細工はして無かった。
 なるほど、僕を殺すつもりだったみたいだ。死んであげないけど。
「あ、二人共そろそろいいですよ」
 怒りをぶつけた後、声では届かないかもしれないので、手で大きなばってんを作って知らせてみる。とたんにピタリと銃声が止む。以心伝心だね。
 二人共経費で落ちると思ってるのか、ずいぶんと撃ちまくってくれたみたいで、陽動し過ぎなくらい騒げた。
「じゃ、仕上げにコレで」
 もらった二つのダイナマイトを取り出して適当な所に設置。危ないので導火線には火をつけない。これにもどんな細工があるか分かったもんじゃないから、遠くから火炎瓶で吹き飛ばすのが吉だろう。
「じゃ、どっちかお願いします」
 僕の投擲スキルが生きたのは、ゲームの世界だけだ。
 世の中には、適材適所という言葉があるんだからそれを使わない手はない。
「しかたないわねっと」
 僕の手を離れ、軽々と投げられた火炎瓶は美しい放物線を描き、ダイナマイトの近くで炸裂する。あ、こう言うと僕が投げたみたいで、少し達成感。
 炸裂の衝撃で、ダイナマイトが派手に音を立てて爆ぜた。しかし、音だけのよう破壊力が伴っていないように見える。破壊力がないってどういう事だよ。本当に使っても人間の鼓膜くらいしか破れないような品を持たせやがって。
 憤慨しながらも、火炎瓶のおかげで炭素繊維で形成されていた装甲のいくつかが黒鉛をふいていた。これで準備は完璧。僕も撃ちたかったけど、生憎と小清水さんからもらった拳銃を、怒りに任せてここで使ってしまうのは忍びないので、我慢する。
「わーい。第三世代の蟹型ロボットをやっつけたぞー」
 形だけでもとはしゃいだのだが、冷たい視線が背中に刺さる。
 騒いでも一人。振り返れば二人、呆れ顔。あわせて三人村に帰ろう。
 
 
「ちょっと、弟」
 場面転換しようと思ったのに、妹に首根っこを捕まえられていた。気がつけば村についていて欲しかった。
「どうかしたの?」
「私達が一生懸命撃ってた時、あんた一人休んでたわよね」
 いえ、じゃが芋投げてました。
「しかも、集めてきたパーツも一番しょぼいな」
 小清水さん余計なことに気がつかないでください。僕、箸より重いもの持てないんで。
「いや、二人共怖いよ?」
 迫る二つの影。のしかかったはサボリの対価という名目の荷物持ちだった。
 なんだ、いつもと同じか。
「じゃ、帰ろうか、牡丹」
「そうね、白」
 手ぶらになったからか軽い足取りで先行く女二人を目で追いながら、地面に置かれた大量の荷物とにらめっこする僕。
 どうしてこうも世界は不条理に満ち満ちているのだろうか。
 では、場面転換。
 
 
 
「所変わって村」
 わーい。場面転換できた。いや、実際のところはかなり歩いたんだけど、二人にハブられて奥歯噛み締めた事くらいしか特筆することがなかっただけだ。もし場面転換神でカットしないなら、土踏む。歩く。疲れた。重い。二人にハブにされた。で終わりだ。
 いや、ハブられたんじゃねぇし。俺がハブっただけだし……。悔しくなんか、ないし。
「わーい。所変わって村だー」
 僕が、こんな馬鹿なことをやっているのにも理由がある。と、いうか理由がなかったらただのかわいそうな人だ。いや、僕の頭は結構かわいそうなんだけど。勿論、頭皮的な意味じゃなくて中身的な意味でだ。頭皮さんには、もう少し頑張って欲しい。
「で、それがおかしくてね」
「なるほどな」
 理由その一とその二が、相変わらず楽しそうにくっちゃべっている。女三人寄れば姦しいと言うが、この場合、女二人なので足りない。そこで僕ですよ。僕を入れたら丁度、三人になるよ。って、あれ、男一人と女二人じゃ嫐《なぶ》るじゃないか。なんと、まさに今の状況。コレは巧妙に仕掛けられた妹の言葉遊びだったのか。
 畜生、気がつくのが遅れたぜ。
 だがしかし、僕が気がついたからにはもう。いや、特に何にもなかった。多分、妹も何も考えてないだろうし。
 あぁ、こんな時、僕の親友がいれば、どんなに心強いことか。彼とはよく衝突したり、傷めつけあったりもしたけど、無口ながらにイイヤツだった。真っ白な体とその硬さは人間では再現不可能だろう。だって、無機物だもん。壁だったもん。
「あ、ついたみたいね」
 僕が散々村だって言ったのに、今気づいたかのように振舞う妹。お話に夢中で気づきませんでしたことよ。ってところか。
 そろそろ僕も限界ってもんがあるぞ。
「ただいまー」
 勝手知ったる自分の家かのように門を開け、中に入っていく二人。
「僕もただい……」
 門が閉められてた。涙腺が洪水警報を発令しそうだ。。
「お、おい。いくら何でもやりすぎだろ。涙目になってるぞ、あいつ」
 やりすぎって、意図的に無視してたんですか。貴方は鬼ですか、小清水さん。
「いいのよ。少し位姉の大切さを思い知らせてやれば」
 こちら、鬼小清水さんの上官で在らせられる悪魔の妹さん。僕はいつだって妹の大切さを噛み締めながら生きているというのに、なぜそれが分かってくれない。今だって、妹成分が不足していて禁断症状が出そうなくらいだ。
「ほら、入れよ」
 妹に視線を気にしながらも、躊躇いがちに開けられた門。
 ありがとう小清水さん。今度、僕の妹コレクションをプレゼントするよ。
「ありがとうございます」
 肩に食い込む紐を持ち直し、ズルズルと砂埃を立てながら入村する。
 荷物持ちを命じられた僕は、重い装甲板を二枚重ねてその上に荷物を置き、こんな事もあろうかと持っていた紐で簡易リアカー(車輪なし)を作成。今に至るのだ。
 ちなみに、紐の他には裁縫セットと簡易救急セットを持ち歩いている。紐は止血用のやつをつかった。
「あっちはまだ帰ってきてないのかしら。早く豚食べたいのに」
 陸上のトラック競技用ピストルをガトリングで撃ちまくるような、乾いた安っぽい音が遠くから聞こえていた。必死に戦ってるんだろうなと、僕は少し今回の作戦に後ろめたさを感じたのに、妹ときたら労いの一言もないまま食事の事を気にかけていた。
「黒よ。お前、いつもこんな感じなのか」
 呆れた様子で小清水さんが耳打ちしてきた。
「まぁそうですね。でも、今日は小清水さんもいるし、機嫌がいいみたいですよ」
「これで、機嫌が良いのか。全く、お前の気苦労が知れるよ」
 なぜか励まされてしまった。別に苦じゃないから気にして無いのだが、周りから見ればわがままな妹というのはやっぱり大変に見えるのだろうか。
「とりあえず、盗ってきたパーツを見せて仕事の結果報告しましょ」
「そうだね。ほうれん草だね」
 社会人になったら、ほうれん草が大事だよ。とよく言われたものだ。
 鉄分を取りなさいってことなのかな。確かに、僕は貧血気味だけど。
「代わってやろうか?」
「いえ、いいです」
 さすがに見かねたのか小清水さんが僕に声をかけてくれるが、僕にだって男としてのプライドがある。小清水さんには悪いがここは漢である僕に持たせてもらいたい。
 否定の言葉を並べながら、思いながらもその重いとは裏腹に、紐を持っていた手は小清水さんに向かっていた。
 苦笑い一つで快諾してくれた清水さんは出来た人だと思う。とても同年代とは思えない。それとも、僕がクズなのか。恐らく後者だ。
「あ、こら。弟、何勝手に女の子の牡丹に重い物持せてるのよ」
 こういう時に限って、妹は目ざとい。まるで、僕をいじめるためだけに監視していたかのようにいやな瞬間を狙っている。
「いいっていいって」
「そ、そう? 牡丹が言うなら仕方ないわね」
 驚いた。いつもなら、僕がなんと言おうと相手がなんと言おうと許さないくせに、小清水さんは許した。相当小清水さんが気に入ったのだろう。
 確かに、この世界にきて大分経つが、自分達がお尋ね者な事もあり、ひとつの場所に長く居座ることも出来ず、点々と移動を繰り返しいた。
 その間、僕等はずっと二人だけだったわけだし、こうして友達が出来る。ましてや、お喋りだなんて久しぶりなのだろう。
 妹は友達が少ない。そして、僕は友達が居ない。
 ネットさえあれば、僕の友達は物置の屋根に乗り切れないくらい出来るはずなのに、現実はどうしてこうも厳しいのか。
「おんや?」
 軽々と荷物を引きずる小清水さんと、楽しそうに話す妹の後ろをストーカーみたいにこそこそついて歩けば人を見つけた。
 そこは街の中心。武装した村人が陣営を構えるそのさらに中央の涼し気な避暑地。そこに若干の王者の風作さえ感じさせるようなどっしりとした椅子があった。長はおまけといった感じだ。
 おまけといえば、おまけ付きのお菓子はおまけがメインでお菓子がおまけのような気がしてならない。修飾の関係から言って前後が逆だ。正しくは、お菓子付きおまけだろう。
「小清水にハートロッカー様とお……いやはや、お早いお帰りで」
 今、僕のことおまけって言おうとしなかったか。
 先程の話を流用するなら、僕はおまけ付き妹だろう。
 やだ、妹単品でも素敵なのに、さらにおまけが付いてくるだなんてお得。って、おまけは僕か。がっかり。
「作戦通り、のこのこ歩いてた第三世代を一体討伐してきたわよ」
「証拠はこちらになります」
 女子二人の阿吽の呼吸で、長の前にどさりと装甲板が置かれる。荷物も一緒だが、小清水さんの物意外は全部村からの借り物なので支障はない。
「流石、ハートロッカー様。お仕事がお早い」
 ヘコヘコとイスの上から頭を下げるが、妹だけにだ。
 それに、今若干舌打ちが聞こえた気がしたが、気のせいかな。
「小清水の方も、伊達に【悪魔狩り】だなんて異名をとってはおらんようで安心したわい」
 僕等二人は、たまらず小清水さんを見てしまう。当の本人は攻略本の事もあってか、頬を真っ赤に染めてうつむいてしまっていた。
 うむ。こうして見るとなかなかかわゆい。可愛いランク二位を贈呈しよう。
 同時に、ワーストニ位でもあるのだけど、そこはこれから増えていくということで勘弁していただきたい。
「まぁ私の腕にかかればコレくらい豚めし前ね」
 無い胸を張る妹。駄目だこいつ。完璧に思考が飛び込み前転してる。
「ははは、いいでしょう。問題の新しい方の魔法人形も倒れたことですし、宴の準備に取り掛からせましょう」
 女性が視線で指示を送ると、男が数人消えていった。まさか、今から屠殺するんじゃないだろうな。そんなの想像したくないぞ。
「私達は適当にその辺をぶらついてるから、準備ができたら探して頂戴」
 長の言葉を聴いて満足したのか、僕の返事も聞かずに妹はさっさと行ってしまう。
「小清水。今朝の逃亡者の件で少し話がある」
「あーはいはい」
 逃走者。朝の演説でそんな事をポロッと行ってたような気がする。戦いにおじけづいて逃げたってところか。
「すまんな、黒。と、いうことだからあたしは遅れるよ」
「わかりました。僕は妹の気が済むまで付いて行って、飽きたようだったら小清水さんのテントに連れていきますんで、そこでまた会いましょう」
「了解」
 そう言ってる間にも、妹はドンドンと見えなくなっていく。
 僕がついて来ないかもしれないというのは考えないのだろうか。
「じゃ」
「おう」
 お互いに片手を上げるだけの簡単なあいさつでその場を去る。
 妹は小さいので、歩幅も小さい。なので、追いつくのに苦労はしなかったのだが、その足取りはどこか急いでいるように見えた。
「どしたの」
 聞いてみるも、無視である。若干内股気味なのを見る限り、なんだ、トイレか。
 適当に歩を緩め、妹との間を離す。僕の感が正しかったようで、妹は食事をとった食堂まで行くと、スッと中に消えていってしまった。
 仕方がない妹だと、壁にもたれて村の光景を見てみるが、夜とは違って明るい分、夜以上に建築物の適当さが見て取れる。
 さて、僕の特技の一つにかくれんぼというのがある。
 唯一妹を負かすことの出来る貴重な遊びなのだが、そのスキルは今となっても遺憾なく発揮され、今だって緊急時の隠れ場所を探している。
 大体のめぼしがついたところで思ったのだが、この村はまるで子供の秘密基地だ。とてもじゃないけど生活できるとは思えないくらい適当に家屋が作られているだ。
 だが、それにしては生活は出来ているようだから、噂のまだ見ぬ基地の支援村というのの恩恵なのだろうか。忘れがちだが、この村はそういう設定らしい。四方を荒野に囲まれていて、地図上にも村は載っていなかったというのに、なにが前線基地なんだか。だいたい、救援物資を持って来たのを見てないし、備蓄庫らしき建物だって見当たらない。
 今日詰められていたじゃが芋や、紅茶としてできたカモミールも、ロボットを倒しに行く時に栽培所みたいなものがあった。つまるところ、ここは基本的に自給自足のようだ。
 さて、そうなるとますます不可解だ。ここは本当に前線基地なのだろうか。
「おまたせ」
 妹が出てきたので考えるのを一旦止めにする。
 拭くものがなかったのか、スカートの裾で手を拭く妹だが、もう何も言わないさ。
「いや、いま来たところなんだ」
 待ち合わせのカップルみたいな返しをしてみる。
「あ、そ。じゃあ、脱出の下見するわよ」
 軽くいなされてしまった。
「ここらの地形はどこも似たようなもんだと思うけど、身を隠せる所はあるに越したことはないわ」
「そうだね」
 さっきまでご飯だと言ってみたり、トイレに行ったりと忙しいことだ。
「あのさ」
「なに?」
 適当にあたりに目配せをし、隠れる場所を探していると、妹が話しかけてきた。
「弟は、ここから逃げたらどうする」
「僕は、妹と一緒ならたとえ地の果てだって付いて行くよ」
「ったく。いつもそれなんだから。使えないわね」
 そう言うものの、妹はどこか嬉しげで、ついつい僕は余計なことを口走る。
「あーじゃあ小清水さんも入れて三人で流浪の民ってのもいいかもしれないね」
 妹と仲がいいみたいだし。
「なに、アンタ牡丹みたいなのが趣味なの?」
「そうだねー」
 というか、妹と小清水さんは同じ属性だ。強気・体育会系・サディスティック。違うところがあるとすれば、小清水さんは姉御属性で妹は妹属性だってことくらいか。
「へー」
 待て妹。なぜ額に青筋を浮かべている。しかも背景にドドドとかすごい音が出そうなオーラも見える気がする。いや、見えないんだけど、確かに感じる。
「イ、イモウトガイチバンダヨ?」
「お世辞はいらないわ」
 そう言うと、すねた様に視線をそらされてしまう。
 本当のこと言ったのに。
「あの、妹さん」
「なに」
 にらまれる。怖い。泣きそう。
「小清水さんと合流の予定なんで、そろそろ小清水さんのテントに行きたいなーなんて思っております次第でありますですますけど」
「好きにすれば良いんじゃない」
「妹さんにも一緒に来てもらいたいなーなんて思っておりますわけでありまして、つまるところ、こちらを向いていただけるとありがたいなと思っておりますですよ」
 できるだけ低姿勢で。
 色々と間違ってる気がするけど、そこは寛大な心を持ってスルーで。
「はいはい。行けばいいんでしょ、行けば」
 なんとか分かってもらえたようで、こちらに向き直ってくれたのだが、目はあわせてくれなかった。そんなに怒らなくても良いのに。
「こっちだよ」
 仕方が無いので僕が先導し、小清水さんのテントに向かう。
 途中、視界の端にチラホラと武装している村人がうつったのが気になったが、頭の中を整理して、食堂の向かいにある小さな建物とこれまた食堂の近くにあるやたらと浅い枯れた井戸に最終的な隠れる目星をつけ、小清水さんのテントに到着した。
「おじゃましますよっと」
 テントの中は相変わらず散らかっており、少し安心する。ぬいぐるみとかファンシーな物がいきなり現れていたらどうしようかと思ったが、やはり小清水さんは小清水さんらしい。
「なんで弟が牡丹のテントなんて知ってるの」
 特に遠慮するわけでもなくテントに入り込んだ妹は、開口一番。不機嫌そうに言うのだった。これが嫉妬という奴なのだろうか。そうだったらありがたいな。
「えっとね、初めてこのテントに来たのは、昨日の食堂に向かう途中」
「あぁ、あのトイレーっていう三文芝居の時」
 やはり妹には見抜かれていたのか。
「弟が私に隠れてコソコソしてるなんていつもの事だしね。ま、隠れられてないんだけど」
「へへ、妹には敵わないや」
 別に隠れてるつもりはないのだけど。というのは伏せておこう。
「それで?」
「それでというと?」
「私に隠れて何してたの」
 さっき隠れられてないっていったじゃないか。あれは嘘だったのか。
「何って、小清水さんに仕事の依頼をしただけだよ。依頼の内容は僕が言わなくても知ってるでしょ?」
「えぇ。確か、私達を監視して、弟のお願いを一度だけ聞いてもらうのよね」
「そうだね」
「で、何考えてるの?」
 訝《いぶか》しげに妹が僕に問いただしてくるのだが、特に隠し立てしていることはない。
「特に何も考えてないよ。料理の後、脱出するのはいいけど、僕等の荷物の位置がわからないじゃない? だから、小清水さんに頼んでそれの回収。もしくは位置の特定をしてもらうんだ」
「なるほどね。でも、その報酬が私が大事にしていたコアだなのかしら」
 確かにあのコアは、お金に固執しない妹が、唯一大事にしていた物だ。
「僕等が持ち合わせている財産で、あれより高価なものはないし、それ以外の物なんて依頼に対する等価にふさわしくないと思っただけだよ」
 実のところは、この時代で言う魔法レベルの装備はいくつか持っているのだが、いずれも消耗品であることは間違いない。渡したって使い方がわかるのかも怪しいので、人によっては無価値なのだ。そんな価格の安定しないものよりは、価格の安定しているもの。という考えでコアを差し出しただけだ。
「まぁいいわ。弟がそう言うなら好きになさいな」
「うん。そうするよ」
 妹の許可も出たので、小清水さんへの報酬はコアで決定だ。
「しかし、豚料理ね」
「期待しない方がいいと思うよ」
「なんでよ」
「だって、出陣前夜にあんな物食べてるんだがか、生活レベルは相当低いよ。それに、さっき見回ったとき思ったけど、やっぱりこの村、前線基地なんかじゃないよ」
 僕の中ではほぼ固まっていたのだが、妹はどうなのだろうか。
「あぁ、それ。まぁそうでしょうね。元々守っているって言う村なんてものも存在していないだろうし。でもそんなのはいいのよ。私は肉が食べられればそれで良いの。なんなら塩と胡椒だけでも構わないわよ」
 あ、そうでした。妹は味に固執しない。ついでに言うと料理ができないのでした。多分覚えたら出来るんだろうけど、本人曰く、食べるだけなら焼いて塩かければいいのよ。というのは持論らしい。
 食べれるなら食べる。おいしいのならラッキー程度にしか捉えていない。おかげで料理した事のなかった僕がせっせと作って出すものでも文句を言わずに食べてくれていたのだが、そうなると逆に僕も美味しいと言わせたくなってしまうのだ。
 一応妹にも味覚はあるらしく、いくら味に無頓着でも美味しい物は美味しいと言う。
 僕はそのおいしいが聞きたくて少し勉強してみたのだが、その知識はホコリをかぶったままなのだ。なにせ、まともな食材を手に入れられないし、調味料なんてものは高価すぎて手が出ない。よし決めた。この村を脱出するときは忘れずに調味料も拝借することにしよう。塩にしおー。ってな。
「お、二人ともいたのか」
 少し走ってきたのか、額に薄っすら汗を浮かべた小清水さんが戻ってきた。
 一つのテントに三人。少し辛いが、広さには余裕がある設計。だが、余裕は散らかった武器やら缶詰で占領されていた。
「やっぱり三人は狭かったか」
 いや、片付けたらいいと思うよ。
「それで、逃走者ってなんだったんですか?」
「ん? なんでお前等がそんなことを聞きたがる?」
「まぁまぁ、良いじゃないですか。興味本位ですよ。暇でしょ?」
 本当は僕等もそうならないよう、なぜ捕まったかなんて聞いておきたい。
「暇つぶしね。まぁいい。黒は世紀末って覚えてるか?」
「あの鶏みたいな人ですか」
「そうそう。あいつが逃走者。なんでも、持てるだけの武器と食糧を担いで逃げようとしてたら、荷物の重さでバテてて捕まったらしい」
 重さでバテる。ねぇ。
「何よ」
「いや、豚料理楽しみだなーって」
 確か妹も明らかに持ち切れない荷物を担いでいた。いやはや、妹が豚料理につられてくれててよかった。そうじゃなきゃ、僕も世紀末さんの仲間入りだったのだ。
「まぁそれはそれでいいんだよ。それよりあのババァ。人をこき使いやがってよ。あの糞重たい装甲板と荷物を自分の部屋まで運べって言うんだぜ」
 そりゃ、あの人じゃ運べないだろうね。
「まぁ、そのおかげで二人の荷物がどこにあるかも分かったんだがね」
「ほ、本当ホントですか」
「あぁ。お前らが最初に通された家、覚えてるか?」
「あの胡散臭い家ね」
 あそこ、家だったんだ。てっきり集会場か何かだと思ってた。
「あの家の奥、椅子の奥の壁が隠し扉になってて、地下に通ずる階段がある。それをえっちらおっちら降りれば奥にもう一つ部屋があるんだよ」
「そこに荷物が?」
「コアも後生大事に大事に飾ってあったぜ」
 なるほど、これで脱出の際の問題が一つ解決された。
 が、しかし、困った事が一点。小清水さんに頼む仕事がなくなってしまった。これでは本当に旅についてきてもらうしか無い。
「どうした黒。難しい顔して」
「えとですね。実は僕、依頼は荷物を見つけて欲しい。って言うつもりだったんですよ」
「つまり?」
「小清水さんにお願いしたい事が今、なくなっちゃいました。このままだと旅に動向ルートが確定してします」
 あ、小清水さんが落ち込んでしまった。妹は励ますようにして肩を叩いている。いいな、そのポジション。是非とも代わってくれ小清水さん。
「ま、僕も妹も二人だけじゃ寂しかったところだし、旅に同行してくれませんかね。勿論、嫌なら契約をここでお切りいたしましょう。あ、報酬はお支払いいたしますよ」
「いや、報酬はいい。契約も切らない。働いてないのに報酬をもらうのも、途中で仕事を投げ出すのもあたしのポリシーに反する」
 まったく、気難しい人だ。
「それじゃ……」
 妹が目を輝かせている。この喜びよう、やっぱりついて来てくれだなんて言わない方が良かったかもしれない。
「黒がお願いを思いつくまで同行させてもらおうかな」
「やった」
 よろしく。と握手を交わす女性陣二人。僕は蚊帳の外だろうか。
「あ、お願い決まりました。僕とも握手してください。それで仕事おしまいです。ついてこなくて良いです」
「それはできないお願いだな」
「そうね。出来ないわね」
 楽しそうな二人。残された僕。あれ、しょっぱいな。塩なんて舐めた覚えないんだけど。



「さて外が騒がしくなってきたな」
 狭いテントで妹と小清水さんの雑談を声をBGM代わりにウトウトしていたら、別の音で睡魔を退治されてしまう。
「なんでしょうね」
 耳を澄ませば外からは、大勢の足音やら歓喜の声が聞こえてくる。
 なるほど、傭兵部隊の皆さんが帰ってきたのか。
「帰ってきたみたい」
「この様子なら、どうやら討伐に成功したんでしょうね」
「じゃ、私達も食堂に向かうとしましょう」
 まだ呼ばれてもいないのに、待ってましたと言わんばかりに立ち上がる妹。よっぽど楽しみらしい。村人の面々には、どうか妹を怒らせるような物を作っていないことを祈る。今の状況の妹を失望させたら、この村なんて何分もつか分かったもんじゃない。そうなると、逃走も簡単なんだろうけど、後処理が大変なのだ。主に妹の。
「あ、まってよ」
 二人はすでにテントの外で、気を抜くとあっという間に置いて行かれてしまう。由々しきことだとは思わないかね。僕はこれでも兄なんだよ。
 僕も慌ててテントからはい出て、食堂を目指す。
 外では、傷だらけになった傭兵達が、村人に迎えられていた。
 だいぶ数が減ってしまったようで、最初見た時の半分くらいの人数にになっているような気がする。そんなに強かったのだろうか。カバ。
 しかし、僕が気になるのはその敵よりも村人だ。なぜ村への脅威が去ったというのに、以前として笑顔が緊張気味に引きつっているのか。
 これじゃまるで、決戦前だ。
「お疲れ様でした皆さん。今日は宴を準備しました。ハートロッカー様たちも討伐を完了させ、この村も安泰です。今宵は我が村の取っておきの豚料理も用意しておりますので、どうかそのまま食堂へどうぞ」
 張り付いたみたいな笑顔の村人に連れられるがまま傭兵達は食堂へ向かって歩き始めた。よかった。これで僕も道に迷わなくて済みそうだ。



「さて、皆様お疲れ様でしたじゃ」
 食堂へ赴けば、長がまた偉そうな椅子に座っており、村人も自分達だけで固まって座り、すでに乾杯の準備態勢に入っていた。
 村人とは分かれた大きな長いテーブルの上には、大きな皿にでかでかと豚の丸焼きが三体等間隔で置かれていた。そして、並べられたコップには、決戦前に飲んだカモミールティーが注がれており、ほかほかとした湯気で傭兵達を誘っていた。
「お好きなところにおすわり下さい」
 長の言葉に、傭兵達は武器を放り出して思い思いの座席に着く。散らかった武器を村人がせかせかと集めてどこかに持っていった。あれ、持ち主とかわかるんだろうか。
 さて、妹は、と。いたいた。不機嫌そうな顔をして長の近くで座っている。
 あれは多分、主賓として近くに呼ばれたのだろう。隣には小清水さんも座っており、席もひとつ分空いているので、ふらふらとそこへ向かう。
「では、お手を拝借。一杯目は我が村の名産で」
 席に着いた途端に長の音頭が始まり、僕はまた立ち上がる。
 なるほど、カモミールが名産だったらしい。初耳だぞ。
 ぞろぞろと全員が席を立つ。ボロボロになった傭兵、完全武装のままの村人。皆コップ片手に長の言葉を待った。
「乾杯」
 長の声を口火にして、弾けるよな歓声が響く。それと共に、傭兵達は熱い紅茶を飲み干していく。開いたコップには、支給係の村人によってすかさず紫のぶどう酒が注がれていく。
「浴びるほど飲んで結構ですじゃ。料理も十分とは言えないかもしれませんが、どうぞご堪能あれ」
 僕も妹と小清水さんと乾杯し、カモミールティーを飲み干す。
 生憎と、アルコールは飲めないのでぶどう酒を片手に寄ってきた村人に、紅茶のお代わりを要求する。
 すると、村人は少し困ったように考えこみ、お代わりはないのだと言う。
「あたしの飲むか?」
 小清水さんは猫舌なのか、まったく紅茶が減っていなかった。
「いえ、お代わりをもらいますんで」
 小清水さんの好意は受けられない。だって、女の子と間接キスだなんて死んでしまうかもしれないから。
 さて、おかわりをのセリフを聞いた村人は、少し困った顔をした後、自分のコップをさし出してきた。中身は紅茶だった。飲んでいなかったらしい。
「ありがとう」
 僕はお礼を言ってからコップを受け取り、妹に向き直った。
 妹はというと、取ってきてもらったのか、豚の肉片にかぶりついていて、とてもお見せ出来る状態ではなかった。小清水さんも、そんな妹に負けじと肉のブロックにかじりついていた。ここは大食い選手権の会場か何かなのか。
 残念な事に僕はそんなにワイルドではないし、人を小間使い出来る度胸もないので、皿を持って肉まで向かう。
 肉の周りは戦場と化しているかと思ったのだが、係の村人が丁寧に切り分けているようで混乱は起きていなかった。どうしてその手際の良さを戦いに役立てない。どう考えたって、あの刃物の扱い方は素人じゃないだろう。
「あ、すいません。僕にも少し」
 村人が笑顔で皿に乗せてくれた豚のスライスを持って、人の少ない壁際まで退散する。
 落ち着いて一口。うん。久しぶりの肉は美味しい。美味しいけど、あんまりにも久しぶりすぎて胃がびっくりしてしゃっくりが出てしまった。
 しゃっくりを止めようと横隔膜あたりをトントンしてみるのだが、どうも体の感覚が鈍くて効果がないらしい。しまった。ここは、傭兵さんの席の近く。濃厚なアルコール臭が僕を襲っている。
 見れば、傭兵さんも何人か寝ているし相当高いアルコール度数なんだろう。
 あ、また一人寝た。二人。三人。
 目がおかしいのかとこすってみても、どんどんと皆眠りに落ちていく。
 それは、もはや倒れていくといっても過言ではなく、普通じゃないのがすぐにわかった。
「いもう……と」
 ぐらつく視界で妹の居るべき場所を見れば、村人がぐったりとした妹と小清水さんを何処かに運んでいる最中だった。
「くそっ」
 僕は慌てて懐から妹が押し付けられたまずい缶詰を取り出し、蓋を開けて一気に頬張る。
「まっず」
 一体何の燻製なんだよこれ。まずぎる。
 が、おかげで目が覚めた。
「グッドナイト・ティーね」
 妹に言われた講座を思い出した。
 カモミールティーはナイトティーの一種で、グッドナイト・ティーと呼ばれることがあるらしい。ようするに、よく眠れるお茶ってことだ。この場合は何か薬を盛っていただろうから、意味は少し違うのかもしれないが上手い冗談だ。座布団をやろう。
 さっきの村人が紅茶をくれたところで気がつけばよかった。恐らく、村人は誰も紅茶に手をつけていないだろう。
「はめやがったなぁああ」
 僕のように何らかの手段で眠らずにすんだ傭兵もいたらしく、村人に襲いかかっている。
 しかし、村人は完全武装。対する傭兵は宴だからと装備を外していた。しかも、装備は村人が何処に持ち去った。結果は火を見るより明らかだった。
 傭兵はたちまち壁際に押しやられ、槍で一突きにされて冷めない眠りに入る。
「何とか……」
 しようと思ったのだが、壁際でいつまでも立っていたのが悪かったらしく、村人に囲まれていた。
「おやすみ」
 後頭部に強い衝撃を感じ、僕はあっさりと意識の手綱を離してしまった。
 薄れ行く意識の中で、僕は長の笑い声を聞いた気がした。
 
 
 
14, 13

  

「っ夢か!」
 ふかふかのベッドの上で目が覚めた。
 さっきまで僕。いや、俺は何をしていたのだろうか。なんだか、とても長い夢を見ていた気がする。
 さてはて、目が覚めたのはいいが個々は一体どこだろうか。さっきまで妹とロボット。いや、家で妹に朝ごはんを強奪。ん、妹って誰だ。生憎と、俺に妹はいないし、どちらかと言えばお姉さんの方が好きだ。
 はてさて困ったものだ。どうやらここは家ではなさそうだ。なら、一体どこだろう。
「お、おはよう」
 聞きなれた声。自然に声を返す。
「あぁおはよう。柏木」
 口に出せばなんて事はない。そこには幼なじみである柏木が居た。
 逆光で映し出されるフォルムは細く、美しい。
「じ、授業中にいきなり倒れたの。覚えてない?」
 はて、俺は何をしていたのだろうか。
「あぁ、柏木にツインドリルニーを食らったんだった」
 多分そうじゃないかと思う。それで後頭部あたりを蹴られたのだ。
「ぼ、僕はそんな事出来ないよ!?」
 そう言って柏木に何かを投げられた。
「さっきの授業のノート。必要だと思って」
「ありがたいね」
 一回分の授業でも、取りこぼしてしまうのはもったいない。何処にテスト問題が隠れているか分かったもんじゃないからな。
「そ、そういえば聞いた?」
「何を?」
 逆光のせいか、柏木の顔はまだ良く見えない。それどころか、全体に薄ぼんやりとしていくような気がする。
「おじさんから、そっちの家に行くように言われてるんだけど」
「ん? 俺は柏木のとこのおばさんから、今日は自分の家にいるようにって言われたぞ?」
「そっか……何か企んでるのかな?」
 お互いに顔を見合わせて首をかしげる。
「いや、ただ単にまた晩飯を一緒に食べるだけだろ」
 まぁ、お隣同士の俺等の親が夕食を一緒にするのは珍しくない。
 鍋物だとか粉物の時はよく一緒する。つまり、今日は何か豪勢なものなのだろうか。
「ま、いいじゃねぇかよ。それはそうと柏木、どうせこのノートも誰かに見せてもらって写してきただろ」
 そう言って、俺は今日の授業以外の真っ白なページをひらひらとさせる。
「だ、だって。書いたって分かんないんだから何の役にも立たないんだもん」
「またそれか。でも、柏木だって飲み込みが悪いわけじゃないんだから、勉強すればんとかなるだろ?」
 事実として、俺が勉強を見てやったときは赤点を回避し、成績上位にまで食い込むのだ。それで馬鹿だなんて言っていたら、全国のお馬鹿さんに謝らなくていはいけない。
「あ、あれは教え方がいいからだよ」
「そいつは光栄だね」
 ほめられてみたのだが、困ったことに、俺のレッスンは柏木にしか効果はなく、家庭教師のバイトで散々な目を見た。
「うちの子の成績、横ばいならまだしもがくっと下がったザマス。あなたみたいな役立たずはなんて首ザマス」
 今時ザマス口調だなんて、レッドデータブックに載せたほうがいいと思う。しかも、その教育ママ、赤縁
 赤ぶちの三角眼鏡だったのがさらなるレアポイントだ。いつか捕まえよう。
「ほ、ほら。授業も全部終わってるんだから、さっさと帰えろう?」
 いつの間にか授業が全部終わっていたらしい。もったいない事をした。
「部活は? えっと、ほら……BBQ部?」
「バ、バーベキューじゃないよ。うちのはCQC。クロース・クォーターズ・コンバットって言って、近接格闘だよ」
「あーそれそれ。なんかゲームのキャラの使う技だろ」
「そう。よく知ってるね。CQCは個々が敵と接触、もしくは接触寸前の近い距離に接近した状況を想定した近距離での戦闘で……ってまたそうやって興味なさそうにして……」
 ため息を突きながら俺の様子に気がついてくれる。
 そんなため息の先、俺は今退屈そうに窓の外を見ている。
 だって、耳にたこができるくらいその説明は聞いている。いい加減にわざと間違ってからかっているというのに気がつかないものなのだろうか。
 確かに、柏木からはその部活に対する意欲は感じて取れる。なにせ、基本引きこもり体質のくせに柏木の体に無駄な肉は付いていない。全体的に引き締まっており、実に動きやすそうだ。体育の時間でたまにお腹が見えたりするのだが、きっちりと割れていた。ただ、その対価として胸の肉まで落としてしまったようだが、それほどきちんと打ち込んでいる証拠なのだろう。
「もういいよ! 帰ろう?」
 柏木が移動し、逆光から普通に戻ったと思ったのに、ピントのずれたカメラみたいに柏木がぼやける。というより、世界全体がぼやけて見える。もしかしたら、頭をぶつけてどこかがいかれてしまったのかもしれない。
「すまん柏木、右手出してくれ」
「な、なに?」
「いいから」
 分かった。と不服そうに差し出されたピンク色の何か。やばいな、どんどん悪くなっていく。肉の塊にしか見えない。そのうち全部が化物に見えるんじゃないだろうか。それで、化物は普通の人間に見えてしまう体になるのかもしれない。
「ちょっと手、借りるぜ」
「ひゃっ」
 恐らく手のひらだっただろうそれは、CQCだなんて物騒なものを習っているにもかかわらず、柔らかな女の子の手だった。
「いいいいいったいなに!」
 視界がぼやけて見えないが、きっと顔を真赤にして照れているのだろう。見れないのが少し残念だ。
「いやさ、打ちどころが悪かったみたいで、まだ視界がはっきりしないんだ」
「それ、大丈夫なの?」
「だ、大丈夫だからそんなに見るなよ」
 覗き込まれた。のだと思う。見上げてくる柏木からはほんのりと甘いの香りが鼻孔をくすぐる。今度は俺が赤面していただろう。
「一日寝て、まだ視界がぼやけるようだったら、きっちり医者に行くんだよ?」
「はいはい。そうだな。そうするよ」
 他の場所で感覚が鈍いだとかそういうのは感じないので、一時的なものだと信じたい。
「ママかおじさんに相談するのもいいかもしれないね」
 あ、きっと今、柏木はすごく悪戯気な笑みを浮かべているに違いない。
「ご丁重にお断りさせていただく」
 なにせ、家の父さんと柏木の母親の二人は共にメカトロニクスの権威だ。しかも、最近はアンドロイドだの人工臓器だのとSFまっしぐらな技術を開発していた。そんな二人が、もし俺の脳がどうにかなったなんて知ったら、喜んで精密検査をして、瞬く間に新しい目玉が手に入るだろう。多分、それは俺が一生働いてもような金額で、赤外線が見えたり透視機能があったりするのだろう。
 それは大変魅力的なのだが、俺だって母さんにもらった体が大事だ。なにせ、遺品は殆ど残っていない。父さんも、なぜ遺品がないのかよく分かっていないらしく、僕は色褪せていく僅かなの思い出を必死にかき集めることしか出来ない。
「そっか。僕なら喜んでうけちゃうかもね。オペ」
 楽しそうに聞こえてくる声の裏には、どす黒い憎しみがこもっているのだろう。
 俺と違い、柏木の体の半分は、あのいまいましい男で出来ている。
「ならまずはその残念な胸を膨らませてもらうことだな」
「う、五月蝿いよ?!」
 ちらりと見えた傷跡。
 柏木の体には、無数の傷跡がある。一年中ニーソックスや長袖で隠しているものの、たまにそれが見えてしまう。柏木は、友達にそれが何かと聞かれるたびに事故だ。と苦しそうに答えている。それも、今にも泣きだしそうな顔でだ。
 その顔を見るたび、俺はあれが事故なもんかとふつふつと怒りの釜が煮だつ。
 傷の原因。それは柏木の父親で、あの屑は、あろう事か自分の娘である柏木を気に食わないからという理由だけでいたぶり続けたのだ。
 感の良かった母さんは、俺にだけそれを教えてくれた。今思えば、どうして僕だけだったのかはわからない。
 だがしかし、幼い俺は、いつも遊んでいる隣の子がひどい目にあっていると聞かされて、黙っているほど出来ていなかった。
 結局、柏木の父親にボコボコにされ、それを知った父さんが柏木の父親をボコボコにしてこの件は解決した。
「ほ、ほら、行くよ」
 手を引かれる。あぁ、先に進まなきゃ。そう思うのだが、足が鉛のように重い。
「え?」
 ふと後ろを見れば何かにつかまれていた。不思議な事に、それは僕を引きずり込もうとするのではなく、ダダをこねるような子供見たいに弱い力で僕にその先は行ってはいけないと伝えていた。
「消えろよ」
 止める何かを振りほどき、俺は柏木の後についていく。柏木には何も見えていなかったようで、平然としていた。
「ねぇ」
「なに?」
「き、今日の気絶する前に言ってたよね」
 はて、何を言ったのだろうか。
「そ、その……」
 ゴニョゴニョと口ごもってしまう柏木。
 だがしかし、何も思い出せない。それどころか、なにが物理的に脳をがんがんと揺さぶっている。
 わかった。これは記憶だ。
 夢の中で俺が僕を取り戻してしまったということは、もう時間がない。
「ねぇ、僕は何を言おうとしてたんだ?」
「う、五月蝿いよ! バカっ!」
 焦って問いかけると、照れ隠しと一緒に肘鉄で後頭部を打たれた。流石CQC部。一発で僕の意識を刈り取るだなんて、いい腕だよ。
 
 
 
「ってって」
 ズキズキと自己主張する痛みに意識を引きずりだされ、穴倉から出てきたモグラみたいに薄ぼんやりと目を開けてみれば僕は一人だった。柏なんとかさんは居なかった。この痛みも肘じゃなくて多分、村人の棒か何かだろうな。
 痛みが引いていくのと同時にゆっくりと意識が覚醒し、記憶がはっきりしてくる。コールドスリープ明けからこぼれ落ちていた記憶をまた一つ拾っていたみたいだ。
 さて、僕のヘンゼルとグレーテルはしっかりと家に帰れるのだろうか。
「うん。思い出した」
 今回思い出しのも所々虫食の穴が開いた記憶だが、分からないよりはましだ。
 前回の記憶遡行は妹を妹と呼んでいて、僕は自分を僕と言っていた。
 しかし、今回のは妹じゃなくて柏なんとかさんだし、一人称が俺だった。順番的には、新しいものから記憶をたどった形になるのだろうか。となると、さっきのをAとして、前見たのをCと仮定して、その間のBもあるのだろう。そのBに重要な事があったような気がするのだが、思い出そうとしてもやっぱり頭痛しか返ってこない。
 たまにあることなので、次を期待しようと諦める。幸運は待つ者には降ってこないのだ。いい事をしていたらそのうち降ってくる。果報は寝て待てというわけだ。
 さて、果報を待つついでに寝転んでいる。というよりいつの間にか転がっていたのだが、いつまでたってもこのままじゃ埒が明かず、冷静に周りを見て判断したところ、どうやらどこかに囚らえられているらしい。
 なにせ首にグルグルと縄を回され、余った両端で肩甲骨あたりの高さで後ろ手に縛られていた。コレでは手を動かせば動かすほど首がしまってしまう。なかなかえげつないことをするものだと感心してみた。
 妹も心配だし、縄を切れそうな鋭利な物はないかと辺りを見回すが、扉と壁と天井。あとは床程度しかないようだ。
 幸い、服装はそのままのようで、腰に二丁の重みを感じる。
 どれだけ舐められてるんだ僕は。それとも気がつかなかったのか。
「だれかーいませんかー喉乾いたんですけどー」
 呼びかけてみるも反応はなし。監視がいるかと思ったが、人の気配はなかった。
「んしょっと」
 これは機なりと、何とかして動こうと思ったのだが、足も縛られているらしく芋虫のように這うしか無かった。
「もしもーし。だれかー」
 扉をガンガンと肩で揺らしてみるも、反応はなし。これはおかしいな。五月蝿いだとか何か反応くらいあってもいいと思ったのだが、やっぱり人がいないらしい。そこまで僕は重要視されていないのだろうか。一応はこれでも、父のおかげでビックな賞金首になってるっていうのに、分かっちゃいない。実は僕の方が賞金額が高いのに、なぜどこに行っても妹ばかり狙われるのだろうか。
「まぁいいか」
 服装が変わっていないし、相手は僕が逃げるなんて夢にも思っていないらしく監視が甘々だ。ならばさっさとおさらばしようと思う訳だが、はてさてどうしたものか。
 せっかく腰に立派な拳銃をこさえているのに、銃では紐をきる事は難しそうだ。第一、いくら警戒していなくとも銃声が聞こえれば富んでくるかもしれない。と、なるとやっぱり刃物当たりがいいだろう。
「ぐえぇ」
 カエルをひき潰したような声が出る。発信者は勿論、僕。
 なにせ、手を思い切り下に伸ばしているので紐が首にガンガンと食い込んでいるのだ。別に自殺願望があるわけじゃない。とある物を取ろうとしているのだ。
 読んで字のごとく僕が死に物狂いで手に入れようとしているもの、それはナイフだ。
 覚えているだろうか、僕はこの村に入る前、小さなナイフを拾った事を。そして、それはベルトの裏にしまったままだだと言う事も。
 肩甲骨からベルトまでがおよそ40㎝程度。どんなに体を丸め、首を曲げても指先がベルトに触れる程度の距離にしか手が伸びない。
「っはぁ」
 耐え切れずにいったん手を元の位置に戻してしまう。
 胸が激しく上下し、空気をむさぼる。
 これはご馳走だ。豚よりももっとご馳走だ。
「もうちょっとなんだけどなぁ」
 あと一息なんだけど、それを越えると違うものまで越えてしまいそうだ。
「でも、妹のためだし」
 妹。そうつぶやくと、なぜか力が湧いた。
 なぜなら、僕等がこの世界で目覚めた日、僕の命はたった一人の妹のために使おうと決めたのだ。だって、兄が妹を守ってやるのは至極普通のことだから。
「いくぞっ」
 覚悟を決めて、息を止める。神経の一本か二本くらいくれてやる。だから、いまはこの手にナイフをよこせ。
 ぎりぎりと確実に締まっていく首。狭まっていく視界。
「かはっ」
 貯めていた空気が口から漏れる。
 そういえば、首を絞められるのは肺活量とかそういうのは関係なくて単に脳に血液が送られないのが原因だったような気がする。となれば、もはや死に際の金魚のように口をパクパクとしても、僕の妹への思いくらい、酸素は脳に届かない。
「ぁ!」
 だが、届くものもあった。
 やけくそになって思い切りロープを引いたのが良かったのか、指先にベルトが触れた。
 僕は急いで指先でナイフの柄を探し、朦朧とする意識と震える指先で何とかナイフを引っ張り出す。だが、そこまでだった。
 ナイフが地面に着くが早いか途端に力が抜け、閉まっていた首も緩めれれていく。それを待ってましたと言わんばかりに、脳に大量の血液が流れ込む。
「あ、やばい」
 意識が遠のいていく。俗に言うブラックアウトだ。正確にはこの場合は潜水の方の専門用語、シャローウォーターブラックアウトが正しいのかもしれない。なんて無駄な雑学を思い出しながら、また僕は意識の泥沼に沈んでいった。
 
 
 


 上映開始。
 さて、特等席はどこか。
「ちょっと! 起きて! 起きてよぅ!」
「やあおはよう」
「やあ! じゃないよ。このバカ!」
 目がさめた途端に罵られてしまった。小さいのはずの柏木はどうしてか俺より高位置に。む、頬にはひんやりとした床の感覚。なるほど、倒れたのか。
「行こうか」
「だ、大丈夫なの?」
「いつも通りさ」
 立ち上がり、制服のホコリを適当に落とす。視界はまだぼやけており、このまま歩くのは困難そうだ。
「っと、柏木、手」
 暗闇を模索するようにフラフラと手を伸ばす。
「ほ、ほら、ここ」
 声と共に、躊躇いがちながらも僕の手が握られた。照れているのか、手が少し前より暖かく、心なしか汗ばんでいるように思える。ただ、その手が少し前より気持ち悪く感じたのはなぜなんだろうか。
「でさ」 
「な、なに?」
 歩きながら聞いてみる。残念ながら、周りの風景を楽しむほど視界はよろしくないので、音が僕の世界になりつつある。
「さっきさ、何言いかけたの」
 ピタリと柏木の足が止まる。何の予告もなかったものだがら、そのまま柏木にぶつかってしまう。
「ととと……」
 ケガはないかと聞こうと思ったのだが、柏木は俺の胸元にいた。
「お、覚えてないの?」
「いや、覚えてないから聞いてるんだ」
「そっか、そうだよね。やっぱり、忘れちゃうくらい簡単なものなんだ……」
 いきなり視界がクリアになる。
 だが残念なことに、見えたのは、この世で一番見たくないもので、脳を直接殴られたような衝撃が走る。
「お、おい。泣くなよ」
 瞳いっぱいに涙を貯めて、俺を見上げる柏木。あぁ、なんてざまだ。
「だって、だって……」
 グズグズとこらえきれなくなくなった涙を頬に伝わせながら、柏木は俺の胸におでこを擦り付ける。
 参ったな。昔、柏木を助けた父さんみたいに強くなろうと鍛えてきた。父さんみたいに賢くなれるように勉強してきた。全部全部、目の前の女の子を泣かせないために頑張ってきたはずだ。
「まったく」
 それだってのに、今は柏木がどうやったら泣き止むのかも分からず、ただ電柱みたいに固まって立っていることしか出来なかった。
 なんだ、武力も知力も役に立たないんだな。そう思うと、今まで背負ってきた何かが降りたような気がした。
「駄目だな、俺は」
 結局頼ったのは、記憶に残る僅かな母さんの思い出でで、俺は思い出の引き出しを片っ端しから引っこ抜き、見付け出した方法を実践することにした。  
「よしよし」
 柏木の絹のような黒髪を撫でてやる。もっとも、母さんはこんな壊れ物を扱うような手つきじゃなかったが、俺が泣いたときは、よくこうして慰めてくれた。
「ご、ごめんね」
 無言のまま撫で続けること数分。一体俺は何回ランプの精を呼び出せただろう。
「制服、汚れちゃった」
 言われて見てみれば、丁度みぞおちのあたりが涙か鼻水かわかんないものでぐちゃぐちゃになっていた。
「いいからいいから」
 制服と同じくらいベトベトになっていた柏木の顔を手持ちのハンカチで拭いてやる。こういうときに持っていたと思うね。ハンカチ。
「い、いいよ。自分でできるよ」
「お前、ハンカチ持ってないだろ」
 それよかティッシュも持ち合わせていない。絆創膏その他は俺の管轄だ。
「これは俺のハンカチ。よって、俺に使用権があります」
 むうと納得行かない様子で考え込む柏木。オーバーフロートするからやめとけ。
「おかしくないかな?」
「おかしくなくなくなくなくないです」
「えっと、なくなくなくなくなく?」
 混乱している間に顔に張り付いた髪も剥がしてやる。
「よし、いいぞ」
「あれ? いつの間に」
 綺麗に元通りだ。目元は少し赤く腫れているが、家に帰る頃には胸くらい引っ込んでいてくれるだろう。
「あーそれで。また泣かしちゃうかもしれないんだけど」
「あ、うん。今度は大丈夫。頭打って気を失ってたんだもんね。忘れてても仕方ないよ」
 そう言うと、俺の手を握り、くるりと反転して歩き始める。
「ほら、帰ろう?」
 声からは何も感じない。でも、何かががおかしい。
「ほらほら」
 その違和感の正体を知ることなく、俺は柏木に引かれていく。
 途端、ブレーカーが落ちたみたいに目の前が真っ暗になる。
おい、続きを見せろ。
「扉?」
 柏木に手を引かれていたはずなのに、いつの間にか僕は真っ暗な部屋に来ていた。
 俺と僕が入れ替わっているという事は、ここは僕の意識化だ。
「思い出さない方がいいことだってあるんだよ」
 突如現れた赤い扉を背後に、悲しげな声を響かせながら現れたのは幼い柏木だった。
「今ならまだ引き返せるわよ。アンタ!」
 真っ青な扉を背後には、見慣れた妹が現れる。
「うーん」
 二人の言葉に悩んでしまう。
 確かに、このままでいいような気がするし、駄目なような気もする。
 なんでか分からないけど、なんであの時泣いていたかは理由が頭にはっきり残っているような気がする。
 だが、それとは別に、感覚が遅れているのだ。なんというか、MDウォークマンのCDを無理やり入れ込んだみたいな違和感。本質は似てるんだけど全く違うもの。入れ物を間違えちゃった感じ。
 それがこの体と記憶のチグハグな違和感の正体かもしれない。
「アンタは馬鹿なんだから。さっさとコッチに来なさいな!」
 青の妹(青い扉の前にいるから)がしきりに僕を呼ぶ。その声に何処か切羽詰ったような空気を感じ、そっちに行ってもいいんじゃないかと思う。いや、行ったほうがいいに違いない。何せ、妹が困っているのだ。
「だがしかし! せっかくだから、俺はこの赤の扉を選ぶぜ!」
「あ、ちょっと!」
 青の妹の静止も聞かず、僕は赤の扉の向こうに飛び込んだ。
 
 
16, 15

  

 鼓動が増していた。
 視界もクリアになっていた。
 体と脳もMDウォークマンの中にMDといった感じでしっくり来る。
 しかし困ったことに、これは一体どういう事か、僕は柏木だった。
「ど、どうしたの? また止まったりなんかして。やっぱりどこか痛むの?」
 中身は変わったが、時間はさっきの続きらしく、僕は僕の手を握っていた。分かりづらいと思うので、言い直すと。柏木(中身は僕)は僕(中身は誰か)の手を握っていた。
「い、い、いあ」
 どうしていいか分からず、モゴモゴと口ごもる。
「なんだ? さっきの続き、教えてくれる気になったのか」
 僕が近い。離れろ僕。いや、君。君が僕で僕が君で僕は僕で君は君?
 訳がわからない。
「あーもしかしてあれか。 あの、昼休みのか?」
 僕が思い出せなかったことを目の前の僕は覚えていたらしい。なんだかわからないが嬉しくて目頭が熱くなる。
「もしかしたら間違ってるかもしれないからさ。よかったらもう一回ここで教えて欲しいんだけど」
 頬を赤らめ、あさっての方向を向いている僕。いや、君。名前は。なんだったか。そうそう柏木。あれ、柏木は僕か。両親が結婚したあとに柏木になったんだな。
「え、えとね……」
 柏木(僕)はどうしたものかともじもじと指を組んでくるくる体操をし始めてしまう。昔からの癖だ。
 今回も見ているだけで何も出来ないらしい。
「あの……僕ね、その」
「にょうん?」
「にょ?」
 僕はいきなり素っ頓狂な声を上げていた。柏木も慌てて僕の視線の後を追う。
 あー分かりづらい。名前、名前なんだったかな。自分の名前が思い出せないだなんて本当にどうかしているんじゃないのか。この脳味噌。記憶がぐちゃぐちゃになりそうだから男と呼ぶことにする。
「柏木。あれ、何だと思う」
 男が空の一点を指して言った。
「えっと、カップ焼きそば?」
「色々危ないからやめような」
 なぜか怒られてしまった。
「じゃあ、あんのうんふらいんぐおぶじぇくと?」
「俺は柏木がそんな事を知っているのに驚愕だが、そうだなUFOだな」
 それも、円盤型だ。
 アニメとか漫画の世界にあるくるくる回転している間抜けな奴が今、二人の目前に現れていた。
 まさか目の錯覚じゃないのか。と思ったが、相手はこちらに気がついたらしく、どんどん速度を上げてこっちに向かってくる。
「ちょ、ちょっとまずい。こっちに突っ込んでくる。走れ柏木!」
 先程までの甘酸っぱい空気など霧散し、僕等二人は走り始めた。
「何するザマス! やめるザマス! あ、そんな。だめ」
 なんだか円盤から艶めかしい声が聞こえてくる。しかし、その語尾はなんなんだ。
「ザマス。ってまさか、あのいけすかねぇ三角眼鏡じゃないだろうな……嘘だろ。あれ、人を襲ってるのかよ」
 そういえば、そんな家の家庭教師をしていた。気がする。
「らめぇ、らめぇぇえぇ。らめにゃのぉぉお」
 教育上よくないような嬌声が聞こえてくる。教育ママの末路がこのザマす。
「くそっあいつ等、やっぱりこっちにきてる。何でだよ。狙いは俺達かよ」
 走ったのはよかったが、残念な事に背後は行き止まりだ。
 一応、体育用具倉庫なので進む余地はあるのだが、面倒な事に鍵は持ちあわせていない。
「どけ、柏木」
 押しのけられ、勢いのままに男が壁を蹴破った。アグレッシブだね。
「入れっ」
 もつれるようにして押し込まれた体育用具倉庫は埃で充満しており、下手をすれば粉塵爆破でも起こせるんじゃないかという有様だった。
「なにか、何か無いのか」
 ガサゴソと妹が倉庫内をひっくり返すたび、ものすごい量の埃で呼吸ができなくなる。
「も、もう無理ー」
 新鮮な空気を求め、ふらふらと外に出た。
「あ、コラ。 柏木!」
 倉庫内から妹の怒鳴り声が聞こえる。そんなに怒鳴らなくったっていいじゃないか。
「馬鹿! 危ない!」
「へ?」
 ふと空を見れば、緑色の何かがこちらに向かって来ていた。
 なるほど、これが死ぬ間際の超時間感覚という奴か、ゆっくりと死が近づいてきていた。理由はわからないが、男の言う通り、あれは僕等の命を狙っている。その証拠に、いま光線に触れた校舎の一部が音もなく消し去った。人が触れれば、痛いも言えず死ぬだろう。
「柏木いいぃぃ!」
 超時間感覚の中、男はいたって普通に僕の元に駆け寄ってきていた。と、なるとこれは超時間感覚ではないのか。
 僕の近くまで来た男を見れば、腕の時計が青白く光っている。
「危ないっ!」
 衝撃で、地面に転がる。
 隣で、男も転がっていた。どうやら抱き抱えられたまま跳んだらしい。
 地面に滑り込んだ衝撃のせいか、ピシリとガラスがひび割れたような音を立てて、時計の光は失われていた。
「くっ!」
 妹の胸に抱かれ、衝撃をやり過ごす。
 さっき見た感じでは、レーザーとかそういった類の物で、一瞬にして消滅するだけかと思ったのだが、レーザーが地面に触れた途端、ものすごい勢いの衝撃波が僕と男を襲った。
 メシメシと音を立て、骨がへし折られそうな圧力だ。
「柏木、逃げ……ろ」
 数分。いや、数秒だったのかもしれない。
 なにせ衝撃波が止んでいた。
 僕を抱いて衝撃波を受け続けたせいか、男はボロボロになっていた。
「そ、そんな、出来ないよ!」
「いいから行け!」
 僕は馬鹿だから、頭のイイ僕の言う事を聞いたほうがいい。
 でも、馬鹿には馬鹿なりに生き方ってものがある。だから可能性を模索。生きるための手段を検索。
 戦う。いや、論外。
 助けを呼ぶ。これも無理だ。
 自分の出来る事。出来ない事を熟練のひよこ選別職人のように次々と分けていく。
「これだ」
 数秒して導き出した結果は、男を助ける。
 僕が逃げることは可能。しかし、男を見捨てることは僕が不可能。
 二人共助かることは不可能。
 ならば、まだ動ける僕が囮になって、男を助けるしか無いじゃないか。
「さて」
 部活に入っていてよかったと思える瞬間である。
 二、三度その場で飛び跳ねてみるが、いつもよりも体が軽い。血中のアドレナリンとドーパミンの値が上昇しているのだろう。ありがたいことだ。あとはエンドルフィンも出ているかもしれない。
「はっはっはっ」
 走る。走る。走る。
 僕は背後で校舎が消えて行くのもお構いなく走った。
 相手が放つねずみを追い立てるように迫り来る光線を掻い潜り、何とか時間を稼ぐ。なんて事はない、だって不可能じゃないから。
 逃げるのは難しいが、初めから詰んでいると分かっているなら、相手がやりやすいところに逃げてやれば相手も思ったとおりに詰めに来る。
「ほっ」
 後ろでまた後者が蒸発し、スカートが焦げた。すこし計算を誤ったか。
 なにせこれはただの延命措置だ。いつまで生きていられることやら。出来れば長く生きてたいな。
「到着」
 がしかしあっさりと目的地にゴール。設定は最上階の調理室にしてみました。
 今から僕、調理されちゃいます。
 僕の役目終了。さよなら男。頑張っていきてね。
 光線が迫る。
 ガスコンロが吹きとぶ。
 奴さん。相当いらついているのか、攻撃手段を変えてきたらしい。
「やば、ガス」
 シューシューと蒸気機関車のような音を立てて可燃性のガスが部屋に充満していく。
 これでは奴等にやられる前にガス中毒で死んでしまうかもしれない。
「だめ、だな」
 死んでもいいと思っていたのだが体は正直で、新鮮な酸素を求めて窓をあける。
「最高の一服だね」
 あぁ、空気が美味しい。
「ん?」
 振り返ると背後でパチパチと何かがスパークしていた。
「蛍光、灯?」
 気がついたときにはもう遅く、ショートした蛍光灯の火花が、充満したガスに引火。
 僕は窓際のガラスを突き破り、宙を舞っていた。
 
 
 
「また場面転換ですか」
 僕はさっさと僕(記憶の中)を救けた続きを見たいのだが。
「さて、柏木はどうなったかしら」
 青の妹がふんぞり返って僕に問う。
「さあ」
「質問その二。君はどうなったかな」
「ん?」
 この場合の君は僕のことを指しているのだろう。えっと、名前は思い出せないけど。
 そりゃ、柏木が頑張ったんだがら生き残ってどうにかなったに違いない。そうじゃなきゃここに僕はいないだろうから。
「どうなったのかな?」
「僕には分からないよ」
「自分のことなのに?」
 言われても仕方がない。だって、僕は軽い記憶喪失なんだ。
「仕方ないわね。じゃあ聞くけど。ここはどこか分かるかしら」
 夢の中でも妹にあきれられ、あたりを見回す。先程と同じく暗い場所だ。しかし、よくよく見ればたくさんの扉があって、鍵がかかっていたり開けっ放しだったり実に自由だ。
「さぁ?」
「ったく。バカね。ここは自分の記憶の中。つまりは頭の中よ」
 なるほど、あの扉の向こうは記憶につながっているのか。
 いや、待てよ。それじゃ色々とおかしい。どうして僕の記憶の中に妹が居る。いや、いてくれるのは大いに結構なのだが、この場合の案内人は僕本人が適任ではないだろうか。
「さて、さっき言った台詞だけどね。少し訂正があるわ」
 意地悪そうに笑う妹。あぁ、ゾクゾクする。
「何も、記憶ってものは頭にだけ残るものじゃないの。ほら、体が覚えるっていう言葉があるでしょ」
 なるほど、同じゲームをやってるうちにいつの間にかヘッドショットのエイムが早くなるようなものか。
「それで、ここには体の記憶もあるわけ。残念なことに、脳みたいに長時間の記憶は無理だから、印象深いことしか記録できないんだけど」
 そう言うと、さっきまで何もなかった空間に、青の扉が現れる。さっき僕が選ばなかった記憶だ。
「残念な事に、あれ以降、昔の体の記憶はないわ」
「なんで?」
「なんでなんでしょうね」
 青の妹は挑戦的な笑みを浮かべ話を続ける。
「さて、そこで質問に戻るのだけれど」
「難しいことはいいよ。早く僕を現実に戻してよ」
「ったく、待ちなさいよ。これ聞いたら戻っていいから」
 面倒くさそうに扉を開ける青の妹。扉の向こうでは、僕が伸びていた。近くで、誰かの暴れる音も聞こえる。裏切っただのどうのと言ってる。
「さ、聞きなさい。答えはいいわ」
 話半分にうなずく。
「アンタ、誰?」
「え?」
 答えるまもなく、青の扉に食べられた。
 
 
 
18, 17

  

「僕は、僕だ?」
 無様に転がったままの第一声がそれだった。
「赤いのが脳味噌で、青いのが体で」
 ナイフを手探りで拾い、縄をきる。
「赤いのが柏木の記憶で青いのが僕の記憶?」
 首に巻き付いていた縄と、手首の縄を回収し、ポケットに突っ込む。
「体の記憶は大容量の保存は不可能だから、印象的なことしか覚えられない」
 腰の銃を引きぬく。マガジンキャッチを押し、弾倉《マガジン》を確認7発。次に、遊底《スライド》を引き、薬室《チャンバー》に弾丸がはいっていないことを確認。
「体の記憶はあれが最後ってことは、それ以降に刺激的なことがなかった?」
 軽く構えてセーフティーを外して引き金を引き、正常な動作を確認。
「いや、ここに僕が居るってことは、あの後も僕は生き延びたんだろうからきっと刺激的なことはあったはずだ」
 弾倉を詰めなおし、遊底を引き装填完了。
「うむ。いやまず大前提として、なんで赤の扉が妹の記憶なんだ。青の扉が体の記憶ってんなら赤はその逆の脳だろう」
 もう一つの弾倉にもフルに弾薬が入っているとして、持ち合わせは14発か。
「って、なんで考えてる事とは別に、やる気満々なんだよ僕は!」
 これが体が覚えていたって奴か。いや、これは違うか。この体は重火器の取り扱いに慣れていない。気がする。こういうのは、CQC部に入っていた柏……妹の領分だ
 先程の青い妹の話だが、おかしな点がある。だって、結局のところは体に蓄積された記憶も脳に行くのだから、赤だの青だのって扉が別々になることはないはずだ。その証拠に、青の扉が知らないはずの武器の知識がここにある。
 それこそ、MD・CDじゃなけりゃだけど。
「まぁいいや」
 ここを出るためにはこの知識は今だけ好都合だ。詳細は後で妹にでも聞いてみよう。
 扉を確認。分厚い木製。閂でもかけてあるのか、ビクともしない。
「早速か」
 音は出来るだけ立てたくなかったのだが、方法がないので仕方なく両手でしっかりと銃を握り扉へと構える。難しいことは体に任せよう。
 引き金を引くと同時に小さい雷みたいな派手な音が鳴り響き、一緒に飛び出た弾丸が扉を激しくノックすること三回。穴の開いた扉におまけにと蹴りを入れて突き破る。
 案外あっさりと壊れた扉は僕の想像通り、閂がかけてあり、放った銃弾の二発がそれを見事に破壊していた。
「お、おい! そこにだれかいるのか?」
 派手な音で気がついたのか、聞き覚えのある男の声が聞こえてきた。
 なんだろうかと目を向けてみれば、お隣さんのようだ。お隣さんの扉にも同じように閂がかけてり、閉じ込められているようだったのだが、その扉はなんと鋼鉄製。賞金首の僕より厳重に管理されているというのは如何な事だろうか。恐らくはよっぽどの悪人なのだろう。
 たすけろだの空けろのだのと聞こえてくるのだが、あっさりと無視。今は君にかまっている暇はないのだよ。これ以上厄介ごとに首を突っ込みたくないのだ。
「しかし、ここはどこだ」
 辺りを見回しても見覚えのない光景が広がっている。全体的薄暗い廊下や部屋は、まるでここがもぐらの穴名のではないかと思えるくらいだ。
「おい、そこに誰か居るんだろ! さっさと出しやがれよくそったれ!」
 薄暗い通路の向こう側から声が聞こえる。おかしいな、ロボットは二体とも倒したはずなのに銃声やら爆発音が聞こえてくる。もしかして生き残った傭兵の反乱なのだろうか。
 聞こえてくる悲鳴を不思議に思いながらも、もう一度あたりを確認。壁に床に天井。どれも土で出来ている。と、いう事はここが小清水さんが言っていた秘密の地下なのだろうか。 これで村の建造物の適当さの謎が解けた。この穴の規模は知れないのだが、廊下に等間隔で明かりが設置されているということは、そこそこ大きいはず。そして、こんな牢獄を作れるのなら自分達の住居だって簡単だろう。
 なるほど、ここの村人は地下に住んでいたらしい。
「ん?」
 いくつも並ぶ木製扉の一つから、やけにどんどんと騒ぐ音が聞こえる。僕みたいに頑張っている人が居るみたいだ。鋼鉄製の扉が一つしかなかったところを見ると、そんなに危険な人じゃないかもしれない。
「お元気ですか?」
 先程の扉は無視したのに、こっちの扉は興味が出たので話しかけてみる。いったいどんなことをしたのだろうか。
「ん? その声」
「あ、偶然ですね」
 懇々とノックをしたら、帰ってきた声は小清水さんのものだった。ご都合主義というかなんというか、部屋は十個ほどあるのに、なぜ興味を持った一つに小清水さんがいるのやら。
 その答えは閉まっていたのが鉄のやつとここだけだったからだ。
「今、開けますね」
 閂をはずし、シャツとズボンだけにされ、僕より厳重に縛られていた小清水さんを手早く解放する。
「白馬に乗ったヒーロか。君は」
 尊敬の眼差しで見つめられている。僕はもやしなのでなめられてました。だからすぐに脱出できたんです。なんて言えない。少し心が痛む。
「えーっと。妹は?」
 検案の妹の場所を聞いてみる。一緒に連れて行かれていたのでもしかしたら知っているかもしれない。
「白か? 多分、長の所だろうな」
 案外答えはすぐに返ってきた。それも、うんざりしたようなため息と一緒に。
「どうしてそう思いますか?」
「あーなんだ。長は白を引き渡すつもりなんだろうよ」
 なるほど。一応賞金首だもんね、僕等。
 でも、こんな田舎にまで僕等の情報が届いていたとは到底思えない。
「ふむ。お一人ですか?」
 いくら減ったとはいえ傭兵は全部で百人近くいて、全員捉えたとしてこの数の牢屋では足りない。僕と妹は賞金首だし、恐らく空いてない扉の向こうにはこの作戦以前の罪人が捕らえられていることだろう。
 つまり、それ以外は死んだか殺されたはずだ。でなきゃこの牢屋のがらがらは説明できない。別途牢獄があるなら話は別なのだが、普通の村がそう何個も牢獄を抱えているとは考えがたい。
 ならば、そんな牢獄に居た小清水さんはどうか。傭兵業界では多少名は売れているらしいが、賞金首ではない。じゃあ何故、ここに生きてここに捕らえられたか。
「あ、なるほど。グルですね」
「何を言ってるんだよ」
「いや、さっきまで暴れてたじゃないですか。裏切っただの何のって」
 夢の世界のお話なので、信憑性は薄いが、覚醒直前で誰かが暴れていたと思う。
「くっ」
 ブラフだったのだが、案の定図星のようで、小清水さんは黙り込んでしまう。
「なるほど、僕と妹を半分こにしようって腹だったんですね」
 こんな僻地に僕等の詳細な情報が出回っているわけないし、ましてや片方だけが牢屋の中だなんておかしい。
「今思えば、僕等が逃げるかもしれないと思っていたのに、同じ傭兵の小清水さんならオーケー。報告に行っても、あんなに疑い深かった長があなたの話を聞けばあっさりと僕等を開放。そして、そういえば小清水さん。あなた、紅茶飲んでなかったですよね」
 こうして思い起こしてみると、真っ黒だった。
 村人に連れて行かれたのは演技だったのか。まったく気がつかなかった。ゴールデンラズベリー賞を授けよう。
「あぁ、そうだよ。あたしが情報を流した」
 面倒になったのか、小清水さんはその場で参ったと言わんばかりに万歳。
「で、裏切られたと」
 大方、報酬を分けるのが惜しくなって裏切られたのだろう。
「うるさいよ」
 もうどうとでもしてくれといった感じに投げやりになってしまう小清水さん。
「まぁいいです。じゃ、コレを」
 僕はまだ使っていない方の拳銃を小清水さんに押し付ける。
「自分で頭でも撃ちぬけってか。見かけによらずなかなかえげつない事させるね」
 苦笑いながらにその口で銃口を咥えられるが、別にそんな意図で渡したんじゃない。
「何やってるんですか。そんな冗談はいいから早く行きますよ」
「は?」
 お前こそ冗談はよせといった感じでにらまれるが、死にたいなら勝手にしてくれ。
「は? じゃないですよ。死にたいなら勝手に死んでもらっても結構ですけどね、今僕はとても困ってますよ。ほら、助けてくださいよ。依頼遂行してなんぼなんでしょ? プロは」
 道がわからないので地上に出ようにも何処が安全かわからないし、どうすれば妹の元に行けるかがも知らない。ならば裏切られたけど相手の事情を知っている小清水さんに頼るしかない。
「あたし、裏切ってたんだよ?」
「だから何だって言うんですか?」
 生きてりゃ人間道を踏み外すことだってある。
「はっ。とんだ甘ちゃんだね。また裏切るかもしれないのに」
「じゃあ裏切るんですか?」
「いや、その質問は参ったね」
 言いながらも、小清水さんは僕を先導するようにして走りだした。
 時間もないので走りながらで考え事を再開する。
 記憶が……なんだったか。
 忘れてしまった。
「右!」
 小清水さんの声で突き当たりの十字路の右に慌てて二発。当たったかはわからないが、牽制くらいにはなっただろう。
「次、左に二人」
 今度は落ち着いて二発。ま、当たらないんだけどね。
「弾切れなんで、後宜しくお願いしますね」
「嘘だろ?!」
 驚愕する小清水さんを尻目に、現れた村人に、拳銃を投げつけた。
 おっと、これはヒット。しかも大事なところか。ご愁傷さまです。南無南無。
「で、まだなんですかね」
 弾もなくなったし、これ以上的に襲われると僕がピンチだ。
「次を曲がったらすぐだ」
 案外近かった。途中、何度か敵に遭遇したのだが、近距離戦なら僕のCQCが冴え渡る。やっててよかった何とか式。いや、やってたのは妹なんだけど。
「ここだ」
 ひとつの扉の前につき、乱れた息を整えるようにして一呼吸を置く。
「よし」
 お互い目で合図を送りあり。せーので扉を蹴破った。
「動くなっ!」
 小清水さんが銃を構える。
 しまった。僕何も持ってなかった。手ぶらじゃ格好がつかないので、チンピラよろしくナイフを構えることに。
「な、小清水。しぶとい奴じゃ」
 驚愕した様子の長。その近くには気絶したままの妹が転がっていた。
「動くなよ」
 ナイフを構えながら、ゆっくりと妹に近づく。内心は今にでも長をぶん殴ってやりたかったのだが、自制する。あまり時間がないのだ。
「大丈夫?」
 揺さぶってみるも、反応はなし。恐らくはまだ薬がまだ効いているだけだ。
 妹には申し訳ないと思いながらも、襟首を持って引きずる。
「っと。まだ動くなよ」
 小清水さんから声が上がり、ふと視線を上げる。
「そそ、頼むから動くなよ。黒」
 背中に硬い感触。おいおい、嘘だろ。
 ここに来てまたか。
「よくやった。小清水」
「おっと、勘違いするなよ。このまま二人はあたしがいただく。アンタは指咥えてそこで見てな!」
 喜び勇んで小清水さんに駆け寄ろうとするも、すぐに銃口を向けられて固まる長。
 どうやら裏切りではないらしい。
「き、貴様ぁ」
「いやぁ、裏切りがお好きのようで」
 精一杯の皮肉を言ってみる。しかし、小清水さんは笑ってくれない。
「五月蝿いよ」
 そう言って、僕等は小清水さんの背後に引っ張られる。おや、ここはちょうど扉の真正面だし、なによりこれは小清水さんの死角じゃないか。
「動くな。三人とも!」
 こっちがごたごたしているスキを突いたか、今度は長が銃を構えていた。めまぐるしい展開にちょっとうんざりだ。ま、僕はどっちにしろ動いてはだめらしい。
 仕方がないので視線だけ動かしてみれば、銃を構える長の足元に僕等の取ってきた鉄板がある。
 テントの中で話していたことを思い出し、ここが秘密の部屋だと理解する。だが、ここは部屋なんて生ぬるいものじゃなくてひとつの村だったらしい。
「ちっ。すまないね。逃してやれなかったみたいだよ」
 そういって両手をあげる小清水さん。実は、小清水さんの拳銃にも玉は入っていない。
 ふむ。やけに扉に近いところに引っ張っていくもんだと思った。
「おいガキ、動くなっていってるんだよ!」
 まぁまぁドンマイと小清水さんの肩を叩く僕に長の持つ銃が向けられる。。
「商品だからって、撃たれないと思ったら大間違いじゃぞ!」
「馬鹿、こいつのほうが高価格なんだぞ! よせ!」
 向けられる銃口。と必死に僕の安全を守ろうとする小清水さん。が、しかし当の本人である僕に緊張感は無し。なにせ、物が物なのだ。
「小清水さん小清水さん。早く逃げましょう」
「おいっ……」
 動かない妹を背負い、小清水さんの手を引いて元来た扉に向かう。
「なめるんじゃないよ!」
 怒気を含んだ声と、ばちゅん。と肉が弾ける音がした。
「え? ぁ!?」
 銃声が鳴り止むと、次は獣声《じゅうせい》が鳴り響いた。あ、上手いこと言えた。
「因果応報、自業自得って奴ですよ」
 血まみれになり、薬室がはじけ飛んでいた銃をこつんと蹴り、長に返す。
「な、なんじゃと?」
 なにせ、長が撃ったのは、僕が渡されたじゃがいも入り銃だ。あのときの見立て通りに上手く暴発したらしく、やっぱり僕が引き金を引かなくて正解だったと思い知らされる。
 すすり泣くようにして僕等を押しのけて扉の向こうに走り去っていった長を見送り、拾い忘れていた僕等の荷物を回収し、玉座の近くにあったコアを一瞥する。
 小清水さんはロボット討伐のときのスタイルになっていた。小清水さんの武器もここに運び込まれていたらしい。
「やっぱりもって行ったほうがいいよね」
 多少の重りになるが、妹の持ち物なので回収しておかないと何を言われるかわかったものじゃない。それに、小清水さんに報酬を払わなくちゃいけないし。
「こっちに通路がある」
 小清水さんに言われ、長が出て行ったのとは違う通路に案内される。
 どうやら地上に通じているらしく少し明るい。
「こっちだ」
 重たそうな板を小清水さんがどけると、そこははじめに来た部屋だった。小清水さんの話は嘘ではなかったらしい。これで外に出たら小清水さんの仲間が包囲していたなんてことになってたらしゃれにならない
「さて、外に……」
 壁に一番近かった小清水さんの表情がいきなり険しくなる。
「どうかしま」
「しっ」
 不思議に思って声をかけようと思ったのに言葉を物理的に手で遮られる。指で指示されるがまま、壁の隙間から外の様子を伺うと、何かが居村人を襲っていた。
「んっんー? あれ、豚は?」
 大きく伸びをしてご馳走の続きを催促する妹。
「おはよう」
「あら弟。おはよう」
 眠そうに目なんかこすって……呑気だ。今起きたのだから仕方ないといえば仕方が無いのだが、薬を盛られたのに気がつかなかったのだろうか。
「簡単に説明すると、あたしがあんたら二人を裏切って長に売ったんだが、わたしも裏切られた。そして今は黒に雇われの身で、絶賛お仕事中。お外は訳のわからない連中がいっぱいで脱出が困難。さて、わかった?」
「大体はわかったわ」
 あ、分かっちゃうんですか。寝起きなのにたいした頭の回転速度ですこと。
「外の変なのって……あぁ、あいつらね」
 外を見た妹は、うんざりとした様子でため息をひとつ。そして憎らしげに唇をかむ。
「武器は?」
「これだけ」
 小清水さんが言っているのは、手元の拳銃のことだろう。
「だめね」
「あ、妹のショルダーならあるよ」
「あんたもリュックあるじゃない。コア、拾ってきたんでしょうね」
 返事の代わりにとお互いに笑いあい、荷物の中からマスクを取り出す。
「へんしーん」
 マスクをかぶれば僕は約三倍の速さで動ける。紅くないけど。動けもしないんだけど。
「ねぇ妹」
「なに」
 マスクでくぐ曇って聞こえる声。
「僕さ、誰?」
 僕の問いに、ショルダーバッグをあさっていた妹の手がピタリと止まる。
「あ、あんたはあんたよ」
 歯切れの悪い妹の返事。
「じゃあさ。妹は自分がどうなったかわかる?」
「いつの話よ」
「初めて奴等に襲われた時。ほら、僕が妹をかばって逃がした時だよ」
 脳が、それ以上はやめておけ。と小人さんが地団駄を踏んで訴えている。現にひどい頭痛がするし、視界も霞が買ったようにぼんやりとしている。これじゃ出来の悪い薬でもやったみたいだ。
「確か、森の中を走ったんだっけ?」
 頭痛を振り切って妹にかまをかける。
「そ、そうよ。私は足が早いからね」
「そうだね。校舎を走りまわってたね」
 頭の中で、ガラスが割れたみたいな音が鳴り、頭蓋骨が割れたような激痛が走った。
「ちっハメたわね」
「うん」
 それでも僕は笑顔を浮かべる。痛みなんて気にしてられない。
「思い出しちゃったわけね」
「うん」
 なにせ、思い出したのだ。
 残念そうに妹、いや僕はがっかりと肩をうなだれる。
 僕、いや柏木も駄目だと思っていても次を続ける。
「それでも思い出せないんだけどさ。なんで僕が君で君が僕になってるの?」
「それは、だな――」
「お二人さん。哲学的な話は後にしてくれ。どうやら奴さん。コッチに気がついたみたいだぜ」
 なんで中身が違うのか。そして何故黙っていたのか。聞きたいことはたくさんあったが、小清水さんの声で外に耳を澄ませば、たくさんの音が近づいていた。
 奴等に感付かれたらしい。
 まったく、面倒なことに問の解を求める前に、どうやらこいつらを片付けな蹴らばならないらしい。
 僕等は慌てて武器を取り、無言でうなずきあう。
 答えはお預け。ショートケーキのイチゴみたいなものだと考えることにする。
「いくぞ」
「うん」
「おう」
 僕はアサルトライフルとサブマシンガンを肩にかけた。
 妹はショットガンとドラムマシンガンを。
 小清水さんはマシンガンと自分の剣を。
 それぞての武器を確認し合いながら、僕らは弾ける様にして散開した。
 走る。走る。走る。
 やっぱり外は変わっても、中身は中身のままらしく、昔のように走っていた。
 考え方は今も昔も同じ。ロジカルシンキングで物事を取捨選択していく。ひよこの選別人再来だ。自分が柏木だと思うといろいろとすっきりしたので頭の回転も速い。
「来たね」
 私の行く手を阻むように手足が刃物になった四つん這いの気持ち悪い生き物が現れる。
 近接格闘――不可。
 素早くアサルトライフルを構える。
 弱点――顔。
 大抵の生物は、脳を撃ちぬけばそれでおしまいだ。
 ガガガガと音と鉄の暴力がいっせいに刃物生物の頭を吹き飛ばし、思ったとおり戦闘不可能に追い込めた。
「次っ」
 次に現れたのは村人みたいな形をした何か。
 手足をおかしな方向に曲げながらこちらに向かってふらふら歩き、その様はまさにリビングデッドそのものだ。
「バイオハザード?!」
 ゾンビにしか見えないそれは、映画よろしく噛み付くだけで感染するのではないらしく、噛まれた村人は元気に戦っている。ただ、倒れた途端にゾンビとしてコンテニューしてくるのが厄介。それも、狩られる方から狩る方へと。
 どうやら死体にしか効果がないところを見ると、ウィルスではなく寄生体か何かなのだろうと推測を立てる。
「思ったとおり!」
 頭を打っても死なないと思ったら、へばりついている毒々しい紫の肉片みたいなのを撃ち抜くと、とたんに糸が切れた人形みたいになるので弱点はそれに間違いない。
「二人共ー村人もどきはへばりついてる肉片撃つといいよー」
 景気のいい銃声で返事が返ってくる。
 こっちも、近くに居た何体かを撃ち向く。
 頭でも完璧になくなれば効果はあるらしく、脳無しが一体二体と倒れた。
「くそったれぇぇぇえ!」
 あんまりにも数が多いものだから腰に挿していた小振りではない戦闘用のコンバットナイフに切り替えて、ためにしに近くのやつにへばりついた肉片をえぐる。緩慢な動きなのでこちらがダメージを受けることなく、拍子抜けするくらいにあっさりと倒すことが出来た。
 もしかしたらコッチの方が効率的かもしれない。
 弾ももったいないからとナイフに切り替え、囲まれないように二・三歩引き、近づいてくる奴等にこびりついた肉片を手当たり次第に削ぎ落としてからまた数歩引き、目の前に掲げる用にしてナイフを構え直す。体はできるだけフラットに。いつ攻撃ても対処できるようにリラックス。
 新たに伸びてきた血に染まった手を払い、勢いで流れ、露になった後頭部に強烈な肘鉄をお見舞い。ぐらりと前にふらついたところにされにもう一撃加えてそのまま地面に倒し、頚椎への体重をのせたナイフで止めを刺す。冗談みたいな軽い音とともに頚椎が砕けたのを確認し、新たに伸びてきた片手をしゃがんだままの姿勢で受け、そのまま頚椎を折った奴の上に叩き付け、遠慮なく肘に膝を入れて普段なら曲がらない方向に折りたたんでやる。
 痛がる様子も見せない敵に、もう一度膝をお見舞いし、今度は腕を三折にしてやる。
「くたばれぇえ!」
 まだ動き続ける死体に向けて、蹴りをお見舞いし、距離を取る。
 が、入念に潰したはずなのにまだ立ち上がってくる。一匹は首筋にナイフが刺さったままである。 
「コレじゃ何時まで経ってもキリがないじゃない」
 いくら過去の性能がいい武器を使ってるとはいえ、所詮は三人だ。村人もいつの間にか数の前に圧倒され、敵の門下に下っていた。
 あっという間に背中合わせになった僕等三人は、お互いの無事を確認する。
「武器は?」
「結構ヤバイ」
「牡丹は?」
「あたしは結構楽勝かな」
 この戦いで唯一の剣士は、息を切らせながらも傷ひとつ負っていなかった。
「ちょっとまって」
 妹の声で小清水さんの戦った後を見ると、まだ死んでいなくとも十分に戦力を奪えた事が分かる奴等がいくつか転がっていた。
「こいつら、手足を切ったら動けないじゃない!」
 いくらか肉体的制約が少ないからといって、破壊しつくされたらどうしようもないのだ。
「妹。ワイヤーはある?」
「ワイヤーはそっちのリュックに入ってるはずよ」
「って、荷物取りに行かないと駄目なわけね」
「おいおい、黒はいつから女口調になってるんだ」
「あたくしこれでも女の子ですの」
「馬鹿な!」
 無駄話をするくらいの余裕は僕達にはまだあったらしい。
「後で説明しますよ。小清水さん」
「それより牡丹、私達は荷物を取りに行くから援護なさいな!
「了解っと」
 声と供に奴等が一刀両断されていた。一体どんな力してるんだろう。
「そこっ!」
 大量の敵の弱点に一つ一つ照準をあわせている余裕はないので、闇雲に撃ちまくる。それでも何体かやっつけられるということは、それだけの数が集まっていると証拠だ。
「くっこのボロ小屋、傾いて入り口がふさがってやがる」
 たどり着いたとたんに急に男前らしい口調の妹。
 それもそのはず、目の前の小屋は奴等の圧力を受けてか大きくひしゃげていた。
 これだから手抜き講師は困るのだ。
「任せな」
 そう言うと、小清水さんは自らの剣で豆腐でも切っているかのように軽々と木材を切り刻んでいく。
「ど、どういう事牡丹? いくらなんでも異常よ?」
「あぁ、いくらなんても女の私じゃ人っ子一人ぶった斬れねぇよ。こいつの刃は特別製。震えてるのさ」
 なるほど、注意してみればキーンという高音が聞こえてくる。超高速電動ノコギリってところか。
「超振動ブレードってやつか。よく作ったもんだな」
「そうね。こいつはあんた等の両親の技術をぱくって……って今度は白が男前な口調だね。なんだい。もしかして、中身でも入れ替わったのか?」
 入れ替わり。両親の技術。
 なるほど、それだ。両親なら中身を入れ替えるのだって不可能な技術じゃないはずだ。だがしかし、問題はどうしてそんな事をしたのかだが、取り敢えずは生き残るのを考えよう。なにせ、生き残れば妹が答えてくれるだろうから。
「あったあった。ワイヤー」
 小屋に入り、入り口を小清水さんが守る。出入り口が一つしかなくて助かったというところか。
 しかし、どうしたものか。敵を切断するのにワイヤーが必要だったのだろうが、ワイヤーだけではどうにもならない。武器にするにはこれを高速で射出する装置でもあれば別なのだが、当然ここにはそんな上等なものはない。
「取り敢えず、出入口を塞ごう」
 ぎしぎしと怪しげな音を立ててきしむ家を放棄し、僕達は一路地下に舞い戻り、地下への入り口に何重にもワイヤーを巻きつけておいた。これで一安心である。
 地下に降り、長の狂撃を警戒していたのだが、部屋にはおびただしい血の跡しか残っていなかった。
 地下側の扉にもワイヤーを張り巡らせ、取り敢えずは休憩にする。
「どうしたものか」
 本当に、どうしたものか。地下にもぐったのはいいが、ここは逆に袋のねずみになってしまうかもしれない。
「なんにも思いつかないし、丁度いいからあたしにわけを説明してよ」
「丁度良いって、お前なぁ」
 妹が呆れた様子だ。あ、妹という呼び方もおかしいのか。えーっと。何とかさん。
「まぁいいや。どうやったか知らんが柏木が奴等をまいた後の話になるがな」
 あ、もう柏木で行くんだ。頭痛も感じなくなったからいいんだけど。
「ちょっちょっと待ってくれ。話の腰を折って悪いんだが、あたしには何が何だかさっぱりわからないんだ。まず、柏木はだめじゃなかったのか」
 わからないってそりゃそうだ。当事者だってあんまりわかってないもの。
「そうだな、まずは初めに、俺達二人はこの時代の人間じゃない」
「そうか」
「多分、数十年位前の人間だ。だからすまん。同い年って言うのはありゃ嘘だ」
「そーかそーか。って納得すると思うか?」
「いいから黙って聞けよ。俺達の世界は、外を闊歩してる奴らにいきなり襲われた。幸い、少し前からその懸念をしていた親父のおかげで何とか窮地をしのいだが、奴等と俺達が戦うのはまだ速すぎた。だから、一部の人間は後の戦いの為にと、コールドスリープで未来まで眠らされ、じっとその時を待った。その中でも変り種だった両親は、人類でたった二人、自分達の体を改造してひたすら奴等の対抗策を模索し続けた」
 いつの間にか世界はそんな事になっていたのか。
 整理するとつまり、奴等と戦って世界が滅んで、その生き残りは僕達みたいにどこかで眠っている可能性がある。と、いうことはうまくいけば仲間を増やせるかも。
「世界観は理解できたかな?」
「信じられない。ても信じなきゃなきゃならないんだよな」
「その通り。それで、コールドスリープした人間の中には、奴等に覚えられてしまった人間もいたんだ。保護の名目でコールドスリーおぷに叩き込まれた奴も現に何人か居る」
 戦うんだからそりゃ対峙してるだろうからね。
「そういった人間は真っ先に殺される。経験を持った人間を後世に残すのは最重要課題とされていて、多くの方法が考えられたが、結局はこの方法しか見つからなかった。生憎と、両親は半機械だったからスルーされたみたいだがね」
 便利だな、機械の体。
「しかも、柏木に関しては人類で初めて奴等の戦艦を落としてしまったから大変だった」
 すごいな、過去の僕。と、いうかいつの間に。
「このままでは危ない。ってことで、瀕死状態でボロボロ柏木とまだ元気な俺の体を丁度いいから入れ替えたわけさ。実験は見事吉。奴等は奇妙な事に、体と脳。両方を一致させて個体を判断していたみたいで、二人して生き延びれた」
「なるほど」
 僕の疑問はあらかた解けた。だが、小清水さんは黙り込んでなにやら考え事を始めたご様子。そりゃそうだろう。こんなの性質が悪い三流SF小説の世界だ。
「それじゃ、なんで黙ってたの?」
 今度は小清水さんに代わって僕が質問した。
「奴等がいつ脳や見た目だけで判断するようになるか分からない以上、柏木が記憶を取り戻すのはよろしくなかったんだよ」
「ママとオジサンのお迎えを拒否し続けたわけは?」
「記憶が戻ってないのに元の体に戻したところで、どんな不都合があるか分かったもんじゃないからな」
 ただの反抗期。という訳じゃなかったのか。
「じゃ、じゃあ記憶が戻った今ならママたちのとこに帰れるんじゃない?」
 なにせ、避ける理由がなくなったのだ。なら元の体に戻っても何ら問題はないはずだ。それで一緒に奴等と戦おう。世界に平和を取り戻すのだ。
「あーうん。そうだな」
 だが、妹の反応は芳しくないようで、歯切れも悪い。
 しかし不思議だ。中身が柏木だと分かったのに、柏木本体に入っている妹の名前が思い出せない。それよりか、なぜか妹という方がしっくり来るのだ。
「ねぇ妹」
「なんだ? まだ質問が?」
「うん」
 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という。聞いてみたほうが速そうだ。
「あなたのお名前なんてーの? 妹でいいの?」
 困った。答えてくれない。しかも少し難しい顔をしている。
「あなたのお名前なんてーの?」
 困った。答えてくれない。
「あなたのお名前な――」
「わかった。教えてやるから黙れ!」
 ため息一つ。妹は居住まいを正す。
「いいか、俺の名前は乙臣《おつおみ》。思い出したか?」
「乙臣、妹? ん? 妹、妹……なるほど、妹ね」
 考え事をしていたはずの小清水さんはいきなりぶつぶつと唱えると、何か気がついたように口元を隠す。
「いいか、お・つ・お・み。だ。牡丹」
「へいへい」
 まだ笑いをこらえきれ無いのか、クスクスと口元を抑えている。
 はて、何がそんなにおかしいのだろうか。
「いや、しかし乙臣くん! 君が女で柏木が男なになってるなんて、まさに逆《・》さ《・》ま《・》だな」
「おい牡丹!」
「いやぁ! まさか逆さま。サカサマサカサ!」
「牡丹!」
 やけに焦った様子の妹。いや、乙臣君。
「ん?」
 乙臣くん妹。
「おや、気づいたかい?」
「ったく、お前のせいだからな、牡丹」
 悪びれた様子もなく、言葉だけですまないと謝る小清水さん。
「なるほど。逆さまね」
 フィラメントが切れかかった頭の電球が光った。
 OTUOMIとIMOUTO。逆さから読めばIMOUTOとOTUOMI。つまりは妹と乙臣だ。簡単なアナグラムだった。
「だから頑なに自分が姉だって言い張ってたんだね」
「うるせぇよ」
 不貞腐れてしまった妹。膨れる姿もかわゆい。
「憶えていないだろうがな、昔から柏木は俺の事をいもーとーいもーとーって呼んでたんだよ。俺としては何とかしたかったんだ」
 なるほど、やたらと妹がしっくりと来てたわけだ。
「もういいだろ。話を戻そう」
 地上出入口を塞いでいたワイヤーも妙な音を立てているみたいだし、そろそろおしゃべりを止めて、今後どうするか考えなくてはいけない。
「まぁ、作戦がないわけじゃない」
 てっきり何も考えてなかったと思ったのだが、流石はいもう……乙臣君。
「聞かせてもらおうか妹君」
「お前までいうのか、牡丹」
 小清水さんもノリノリである。
「ったく。いいさ、終わったらみっちり説教だ」
「それで? 作戦って?」
 話が旋回飛行して着陸しないので、無理やり機動を修正する。
「あぁ。これは数少ないデータから分かったことなんだが、奴等は編隊を組んで行動している。もちろん、外の肉片組は軍隊でいう歩兵だ」
「つまり、あれを指揮している司令官がどこかに居るのか?」
 なるほど、軍隊ならある程度の人数で一つの小隊を作っているはず。なら、そのリーダーを倒せば指揮下の肉片は混乱するかもしれない。
「そうだが、あの人数の中からどうやってリーダーを見つける? それにあの数だ、複数のリーダーがいたって不思議じゃないだろ」
「じゃあどうすればいいんだよいもーとー」
「簡単な事だ。指揮官をやっつければいい。あと、俺は乙臣だ」
「指揮官って、お前さっき無理だって言ったじゃねぇかよ、妹」
 僕もそう聞いた気がする。
「だれが、あの肉片のリーダーをやっつけるっていったんだよ。おれは、指揮官をって言ったんだ。あと、俺は乙臣な」
「指揮官? どういうことだよ妹」
「たとえ大量で強力でも、あれは死体がないと効果を発揮できない。と、なれば死体を作る係が必要だ。もう言わないぞ。俺は乙臣だ」
 なるほど、あの手足が刃物の気持ち悪い奴か。
「大量の肉片と殺人用の部隊。この二つが何の支援もなくいきなり現われると思うか?」
 確かに、こっちだって最新の物ではなかったとしても、大勢が武器を持っていた。それを蹴散らすほどの戦力を一朝一夕では準備できないはずだ。
「答えは簡単。奴等は、UFOでここまできた。なら、指揮官はその中だ」
「でも、指揮官の居場所がわかったとしても、どうやって攻撃する? そこまでたどり着くには? 妹よ」
「突破するしか無いだろ? もう妹でいい」
 諦めからか、ニヤリと笑う妹。あぁ、僕の顔でそんな邪悪な笑顔を。
「突破って、お前死ぬ気かよ」
「いや、全くそんな気はないよ。出来れば百まで生きたいね」
 そう言うと妹は立ち上がり、地下で入り口のワイヤーをほどきにかかる。
「柏木、グレネード」
 言われるがままにいくつかのグレネードをわたす。すると妹はてきぱきと何かを製作し始め、さっさと来いと手招きをする。仕方が無いので、僕と小清水さんは長の部屋にある役立ちそうな物を片っ端から拾い集め、地価側の通路に出る。
「ほいじゃま、行きますか」
 再びワイヤーでとうせんぼを作り、入口を塞ぐ。天井と床、壁と壁をつなくワイヤーにはグレネードがいくつか仕掛けてあり、ワイヤーが外れるとグレネードのピンが抜けるという素敵なブービートラップにもなっていた。
「牡丹。取り敢えず地上に」
「わかったよ」
 納得行かない様子だったが、跡には引けないと分かったのか小清水さんは無言で道をナビゲートしてくれる。
「こっちもダメだ」 
 やはり地下にも奴等が侵入してきており、小清水さんの案内する出入口はすべて使えなくなっていた。
「だめだ。もう出口がない」
 万策尽きたと言わんばかりに小清水さんが力なく崩れる。
 これじゃ敵の本拠地に乗り込むどころかここから出ることも出来養い。
「なぁ牡丹。長どこ行ったのかな」
「知るかよ! こんなときにあいつの話はよしてくれ!」 
 悲観的に叫ぶ小清水さんとは対照的に、妹は小清水さんを見下ろし、口元を釣り上げてニコニコと邪悪な笑みを浮かべていた。
「床」
「床ぁ?」
 言われて、小清水さんと僕は視線を下げる。
「なるほど」
 僕等が目にしたのは、真っ赤なナメクジでも這ったかというような長の血で出来た道しるべだった。
「進むぞ」
 長の血の跡に沿いながら、通路をひた進む。
 途中、背後でブービートラップの炸裂音が聞こえ、僕等は歩を早めた。


20, 19

  

「コイツはとんだ皮肉だな」
 たどり着いたのは僕と小清水さんが入れられていた牢屋の部屋だった。
 確かに、閉じ込めるための施設が逃げるための道につながっているなんて。
「あれ、開いてる?」
 前に見たときは閉ざされていたはずの鋼鉄製の扉。それが開いていて、しかも血の跡はそちらに伸びていた。
「あん?」
 三人して用心して中を覗けば、世紀末さんが不機嫌そうに僕がそうだった時と同じような格好で縛られたままそこにいた。
 残念な事に、血の跡は壁に吸い込まれるようにして途切れていた。
「脱走兵の檻だったんですか、ここ」
「みたいだな」
 小清水さんと二人してしみじみ。いやぁ懐かしいね。第二の故郷だ。嘘だけど。
「なんだぁ? あのババァの次はハートロッカー様にスパイのネーちゃんか?」
 この人、小清水さんがスパイだって知ってたのか。
「長が此処に来たのか!」
 妹は僕と違うところに目をつけたようで、世紀末さんにせまる。
「おうさ」
「で、どこに行った?」
「そいつは教えらんねぇ。知りたいのなら条件次第ってとこだな」
 質問にそう言って背中の縄をアピールする世紀末さん。
「オーケー。いいだろう」
 あっさりと縄を断ち切る妹。いいのだろうか、そんなに優しくしても。仮にも、契約を破棄して脱走するくらいやっかいな傭兵なのに。
「へへっありがとよ……ってまだ全部切られてないんだが?」
「ここから先は条件次第ってとこだな」
 訂正。やさしくなかったです。
 妹は首と手をつないでいた一本だけを切ったのだ。これじゃあまり意味が無い。が、一応は切っている。
「ちっ、わかったよ。俺の向かいにある椅子の足。長はそいつを触ってたぜ。その後は壁の奥にドロンだ」
 言われたとおりに椅子を探ると、確かにボタンがあった。それも三つ。
「さ、いいだろ。解いてくれ」
 分かったと妹が縄を解く。
 縄が解けた途端、世紀末さんは妹の背後に素早く回って首を締める。それもあまり極まっていない。いつの間にか奪ったのか、妹が使っていたナイフで威嚇しているが、こっちに向けるんじゃなくて妹にでも向けないと。妹が逃げるぞ。
「いいいいかてめぇら。動くんじゃねぇぞ!」
 言いながらジリジリと出口へと下がっていく。もちろん、秘密通路の方ではなく、僕達が入ってきた地獄への入口になる鋼鉄の扉の方だ。
「ま、まちな」
 たまらず小清水さんが声を上げる。
 確かに、このまま妹を連れていかれるのは勘弁願いたい。手を下さなくとも妹は勝手に逃げれそうなのだが。
「その人質じゃ、あたし達はどうにかなっても奴等はどうにもならないわよ」
「なるほど、看守にはこいつは効かないよなぁ……なら、銃をよこせ!」
 ずれている。世紀末さんは看守と言っているが、そんなのはもう居ない。いや、正確には居たのかも知れないが、今はその役割を放棄している。
 そうか、この人は騒ぎが起きる前に此処に入れられたから外の状況を知らないんだ。
「わかった。わかったからそいつを離してくれよ」
 交渉を続ける小清水さんに、捕まえられたままの妹はうんざりとした様子で、のしちゃってもいいかと視線で訴えかけてくる。茶番には付き合っていられないといったところか。
「ほ、ほら、銃だ。これと交換はどうだ?」
 小清水さんは、背負っていた長の部屋で拾ったものを全部その場に置いて下がる。
「へへ、わかってるじゃねぇか。そうだよ。おとなしくしてりゃいいんだ」
 完璧に油断しきった様子で武器に近づいていく世紀末。こっちはまだ武器があるし、おいた武器にだって僕等はまだ手が届く距離だ。まったく、可哀想というかなんというか。これだから捕まったんだろうな、この人。
「貰うぜ」
 武器を拾って満足したのか、また後ろへと下がっていく。
「ちょっと、約束が違うじゃないか」
「へへ、誰が放すっていったよ! バカが!」
 あ、妹が怒ってる。馬鹿は君だよ、世紀末さん。
「ん?」
「こっち」
 小清水さんの手を引き、二歩くらい下がる。多分ここらへんが安全区域だろう。
「じゃあな」
「てめぇがじゃあなだよっ!」
 妹に、軽々と背負い投げされる世紀末さん。
 その背中は、吸い込まれるようにして先ほどまで僕等の立っていた場所に突き刺さる。
「かはっ」
 肺から空気が出きったのか、カエルが潰れたような無様な悲鳴が聞こえた。
「失せなクソッタレ」
 止せばいいのに世紀末さんが妹にふらふらと銃を向けるもんだから、さらに蹴りを入れられてから叱られていた。
「く、くそ。覚えてろよ!」
 実に悪役らしいセリフを吐いて、世紀末さんは牢屋から逃げ出していった。
「なんだったんだろうね」
「なんだったんだろうな」
 やれやれといった感じで三人してため息を吐き、仕切りなおして椅子のボタンを押す。
 ゴゴゴと音を立ててゆっくりと穴が開く。オープンセサミとかいったほうがよかったか。
 大きさは、人が四つん這いになってすすめる程度。注目すれば、床にベッタリと血が張り付いているので、長がこちらに来たのは間違いなさそうだ。
「へへっざまあみやがれ!」
 ゲスな声に振り返ると、世紀末さんが嬉しそうに扉を閉めていた。まるで「これでお前らはおしまいだぞ」とでもいいたげだ。おしまいは君なんだけどね。
 なにはともあれ、ありがとう。これで奴等は入ってこれないだろうし。後ろの安全は確保できた。声には出さないけど、心のなかで感謝しておこう。南無南無。
「じゃあな!」
 カチンと閂をかける音を最後に、そのまま颯爽と去っていく世紀末さん。
 数秒後、断末魔が聞こえたのは言うまでもない。
 
 
 

 世紀末さんの死を悔やみながら、僕等はやや勾配《こうばい》のある暗闇の中を四つん這いになってひた進んでいた。
 並び順は先頭に妹、中間に僕。そして最後尾の小清水さんが後ろ向きのまま付いてきている。後方の敵に備えているらしい。妹は言わずもがな、前衛約。残る僕はつまり、足手まとい役だ。あくまでも役であることを忘れないで欲しい。
 脱出の時刻と場所の予定は未定。秘密基地に出るのか、宝物庫に出るのか。個人的な望みを言えばどこか安全なところに出たいと思うわけだ。まぁ、叶わないかもしれないけど。
「なぁ妹よ」
「乙臣だ」
「はいはい。乙臣ちゃん。質問なんだがね、もしここから出れたとして、もし敵を突破できたとする。その後はどうするんだ」
 そういえば妹は何か作戦があったらしいが、その概要はまだ不明だ。と、いうか僕を挟んで話をしないで欲しい。なんか、置いてけぼりになってるみたいで寂しい。
「敵の本体をぶっこわす」
「だから、どうやってだよ」
「俺がどうにかしてやるよ」
 なぜか不機嫌そうな妹。不思議に思って僕は目の前でひょこひょこ動く妹のおしりを思い切りつねる。僕に隠し事だなんて気にくわない。
「な、何するんだよ。柏木!」
「僕に隠し事?」
「あーわかった。分かったからつねるのをやめなさい。痛いから」
 渋々だが、手から力を抜く。へへ、妹のおしり触っちゃった。ん……というか自分のおしりなのかこれは。つまり、妹かわいい妹かわいいと変態的に言っていたのは、すべて自分可愛いと言っていたことになるのか。なんたることか、最悪のナルシストではないか。これではエコーも自殺する。
 いや、考えよう。妹が入っていたから可愛かったのだ。僕は可愛くない。あ、悲しいな。とても悲しい。でも、自分を可愛いというよりは幾分かましか。
 今までの発言を訂正。メモ帳の置換機能でも使って変換して欲しい。検索文字列は妹かわいい。置換文字列は乙臣かわいい。よし、完璧。 
「んで?」
 僕が聞くと、妹はため息一つ。
「柏木、お前コアのことは覚えてるか? それをよこせ」
 言われたとおりリュックからコアを取り出して妹に渡す。
「こいつは爆弾だ。それも、あいつら専用の特注品だ」
 あまりにもあっさりと言われたので、実感がわかなかった。
「ば、爆弾?」
 案の定、数秒送れて反応してしまった。
「そ、爆弾。俺がこいつをぶち込んで、あいつらはおしまい。さよならー」
 なるほど、その計画なら何とかして道が開ければ奴等を一網打尽に出来そうだ。
「で、それはどうやって爆破させるの?」
「いいところに気がつくな」
 舌打ちが聞こえた気がした。多分、聞き間違いじゃない。
「こいつはタイマー式。それも、十秒だ」
 十秒というと、全力で走っても爆風の圏内から逃げられるとは考えられない。
「そ、そんなのどうやって使うの?」
「簡単だぜ? 敵の本陣まで行って、スイッチ押して、ドーンだ」
 あくまでも軽い様子で言い払う妹だが、それじゃ触れていないことがある。
「だ、だから。それを使ったら死んじゃうんでしょ。ならどうやって使うの?」
 妹は答えてくれなかった。
 恐らくはそういう答えなのだろう。
「だ、ダメだよ!」
「何がだめなんだよ。ほら、外だ。構えろよ」
 妹が言うように、目先ではうっすらと光が挿していた。今は仕方が無いと唇をかみしめ、背中のリュックに手を伸ばす。あきらめたわけじゃない。一旦おくのだ。
 引っこ抜いたのは大きめのショットガン。ポンプを引き、シェルを送り込む。
「ただいま。地上!」
 その声と共に妹が穴から飛び出した。
 続いて、僕も這い出る。残念な事に、村の外ではなく、僕が脱出の時に使えそうだと目をつけていたやけに浅い枯れ井戸が出口だった。
「っとっと」
 小清水さんもやっと出れたようで、井戸からお尻が履い出てくる。
「あそこだな」
 妹の声に見いやれば、暗闇の中で一際鈍い緑色の光を放つ区域があった。あの光は昔に見たことがある。間違いない。あれは、僕等を襲ったレーザーと同じ色だ。
「おっほっほー。低能なカスは教育するザマス! ひれ伏すザマス!」
 スピーカーを通じてなのか、音割れしそうな金々声が脳味噌を揺らす。
「嘘だろ」
 この声に、妹は聞き覚えがある様子。僕も、つい最近記憶遡行で聞いた気がする。
 たしか、妹がアルバイトで家庭教師をした家の教育ママだ。あの時の記憶が正しいのならばUFOに連れられ、よからぬ声を上げていた気がするのだが、まさかこんなところで再び会う事になろうとは、運命を感じる。赤い糸でない事を祈る。
「行くぞ」
 幸い、あたりに奴等の姿はなく、どうやら地下に集結しているらしい。
「待ちな」
 走り出そうとした妹の肩をつかみ、小清水さんが言う。
「何だよ、ぼた――」
 こちらを向いたと思った妹の体が突如、くの字に曲がった。
 小清水さんに抱かれ、そのままズルズルと力なく地面に屈する妹。僕は慌てて妹に駆け寄り、小清水さんを睨んだ。
「わりぃな二人共」
 そう言う小清水さんの手にはコアが握られていた。
「ぼ、牡丹、てめぇ」
「おや、まだ起きてたのか。丈夫だね」
 わなわなと震えるも、妹の体にはまだ力が入りきっていない。
「これは私の報酬って話しだし。もらっても問題はないよな。クライアントさん?」
 あ、そういえばそうだった。妹は爆弾だの何だの言っていたが、コシミズさんにもそれを受け取る正式な権利がある。それに、今なら戦わなくとも逃げれば済む話だ。
「あ、どうぞー」
 それならば問題はないだろうと、僕はあっさり小清水さんを許した。
 さて、小清水さんにならって、僕等も逃げるとしよう。
「だ、駄目だ柏木。牡丹を」
 妹を背負い込み、町の外へと行こうとすると、妹が激しく抵抗する。
 何故だろうか。僕はただ、全員が生き残れるように考えて行動した。何も勝つことだけが正しいとは言いがたいのだ。記憶が戻ってきたし、妹とはまだまだお話したい。なので、ここで死んでもらっては困るのだ。
 だから、こうして小清水さんの後を……。
「あれ、小清水さん?」
 あんまり妹が暴れるものだから、不思議に思ってふと見れば、小清水さんは町の外ではなくその逆。あろうことか光の方向へと走っていた。
「柏木っあいつ、やるつもりだ」
 背中から聞こえてくるのは悲痛な声。
 しかし理由がわからない。逃げればいいのに何故わざわざ向かっていくようなまねを。
「いいから追え!」
「う、うん」
 どやされるがまま妹を背中にしょったまま走りだす。心惜しいが今まで苦楽を共にしてきたリュックはここでお別れだ。
「ちっ悪い事はどうも重なる」
 憎々しげに言う妹の視線の先、つまりは僕の視線の先でもあるのだけれど、そこにはぞろぞろと地下から這い出してくる奴等の姿があった。まるで墓場からはい出てくるようで、少し愉快だ。
「行け、敵は俺が何とかしてやる」
 ガチャリと安全装置の外れる音が聞こえた。僕は妹をしっかりと背負いなおし、速度を上げる。
 パラパラと乾いた音が鼓膜を震わせ、目の前ではまるでモーゼが通るのかというように奴等の群れが割れていく。
 せっかく助かったと思ったのに、いったい全体なんで僕は死地に向かって走っているのだろうか。うむ。これは小清水さんに説教をしないといけないな。妹と僕とでタップリとしよう。それで一緒に旅をしよう。目的はよくわからないけど、それでも三人いればきっと楽しいから。
「居たぞっ」
 全方位に敵が密集し、満員電車のようになっている広場に、小清水さんは居た。
「怪我、してる?」
 自慢の大剣を杖がわりに苦しそうな表情の小清水さん。僕等は急いで走り寄った。
「大丈夫ですか!」
「馬鹿、お前らなんで」
 腹部を真っ赤な地で染めながら、ボロ雑巾みたいな格好で小清水さんは非難の目で僕等を睨みつけた。そりゃ、お節介だったかもしれないけど、そっちの行為だっていらぬ親切だ。
 この問題は僕等が過去から引きずってきた異物。僕等の手で何とかしないといけない。
 ただ、今はその時ではないのだ。
「行こう」
 小清水さんの手を引き、急いでその場から立ち去る。
 がしかし、退路はなく、小清水さんも何かを警戒してあたりをきょろきょろしている、
 ジリジリと迫ってくる奴等を睨みながら、何とかできないものかと模索する。
 こちらの戦力は怪我人が一人と足元がおぼつかないのが一人。唯一動ける僕は僕だし、武器だって多分妹の持ってるショルダーの中身だけだろう。
 せめて、爆弾でもあればなんとかなるんだが。肝心の爆弾は威力がでか過ぎて使えないときた。
「危ないっ!」
「え?」
 一瞬だった。僕は背後からの衝撃に、つんのめって地面にスライディング。
 くそ、油断していた。さっきの音は確実に銃だ。
 敵はゾンビまがいの出来損ない。攻撃手段なんてせいぜい引っ掻くだとか突進してくるだけだと思っていた。
「乙臣っ!」
「え?」
 連続して疑問詞。そういえば、背中に感じていた重みがない。
「うそっ……」
 恐る恐る振り返れば、そこには背中に真っ赤な花を咲かせた妹と、必死に妹を揺する小清水さんの姿があった。
 なるほど、妹は撃たれたらしい。でも、だれに。
「ははは、地獄への片道切符はいかがかな!」
 奴等の群れの先端。ケタケタと楽しそうに笑っていたのは、体を特大の肉片に侵された長だった。あれがリーダー格の肉片か。
「てめぇえええぇ!」
 考えるより先に動いていた。どうか早く、早くあいつを殺してしまいたい。この手には何も無いけれど、これじゃ全然足りないけれど、さっさとあいつを消さないと。
 妹が一発撃たれたのなら、その何兆倍も撃たなきゃならない。世界中の弾丸を持ってきても足りやしない。殺しても殺し足りない。
 ふつふつと煮えたぎるような憤怒が、真っ黒な絶望が、僕を動かしていた。
「待てよ」
「ほきょ?」
 世界が反転。一瞬にして僕は地面に吸い込まれた。
「そうカッカするなよ」
「お、乙臣君?」
「おーやっと名前で呼んだな」
 そこには、元気そうに笑う妹と、なぜか小清水さんが妹の代わりにだらしなく伸びているのだった。あれ、僕はいつの間に見間違えていたのだろうか。怒りのあまりに周りが見えていなかったというやつか。
「落ち着いた?」
 妹の声を聞くと、今までの黒い感情が嘘のように消えていった。やっぱり、僕は妹さえいれば他に何もいらないかもしれない。
「うん」
「そうか。じゃ、牡丹を連れて逃げな」
「うん?」
 僕の返事も聞かず、妹はいつの間に持っていたのか、コアを片手に歩き始めた。
 その背中にはやはり真っ赤なシミが今も広がり続けており、撃たれたのは妹だと再認識させてくれる。
「だ、駄目だよ。みんなで生きて逃げないと」
「生きて。ね」
 振り返らず、妹が自嘲気味に笑う。なぜそこで笑う必要があるのか。
「えっとな、柏木――」
「無視するんじゃねぇよ!!」
 ヒステリックな長の声と共に炸裂音が響く。途端に、妹が着弾の衝撃で仰け反り、背中にはまた新たなシミが広がり始めた。
「うるせぇよ。邪魔するな」
 今度は妹のサブマシンガンが火を吐いた。撃たれたはずなのに、妹はケロリとしていて、本当に撃たれたのかと疑ってしまいたくなる。と、いうかそうであって欲しい。
「な、なんなんじゃお前は!」
 無残に肉片を飛び散らせ、穴だらけになった長が断末魔の代わりに持っていた銃をぶっぱなす。
 これも妹に命中。シミはさらに広がる。が、しかし妹は依然として平然とその場に立っていた。
 生き絶えたらしく、それ以上の弾丸はなかった。長に取り付いた肉片が統率していたらしい奴等の一部も混乱して時間が稼げそうだ。
「か、体にいっぱい穴、あいてるよ?」
「そうだな。いっそのこと蜂の巣にでもなったほうがいいかもしれないな。まぁ実際蜂の巣なんだけど」
 相変わらず、妹は振り返ってくれない。
「こ、こっちむいてよ乙臣くん」
「すまないがそれはできない柏木」
 それははっきりとした拒絶だった。
「さっきの続きだ。あと、柏木が知りたがってた質問の答えも」
 そう言うと、妹はマガジンを交換し、近くに居た奴等を掃射。話すだけの時間を稼ぐ。
「エネルギーも時間がないから簡潔に話す。俺はロボットだ」
「は?」
 言い終えたと持ったら、妹はいつか見た青い光りに包まれていた。この光は確か、僕が死にかけたとき、妹の腕時計が光っていたものと同じ……となると、その効果は。
 僕の想像は正しかったようで、辺りの敵がスローモーションみたいにゆっくりと動いている。どうやら、昔のより範囲は広がっている様子だ。
 ロボットとはあれだろうか。未来から世界を変えるキーパーソンを殺しに来たり、たぬきじゃなくてネコ型のお助けの奴だったりするあれか。
「証拠はそうだな。ほれ」
 背中を捲し上げる妹。自分の体なので恥ずかしくはないのだが、どこか背徳感がありとっさに顔を手で覆ってしまった。
「早く見てくれないか?」
「う、うん」
 指の隙間からゆっくりと見たそこには、長に撃たれた穴がいくつも空いていた。無論、人間では多すぎるほどの穴だ。その穴の奥。つまり妹の中では僕等みたいにピンクの肉が広がっておらず、銀のコードやら何やらで出来ていた。
「じょ、丈夫なんだね」
 人間は、新しい事に出会ったとき、回避しようとするらしい。今の僕がまさにそれだ。
「あーじゃあ柏木は自分の体が2メートルもジャンプできて、重いものを簡単に持てて、オリンピック選手並みの脚力で走れて、おまけに人間養蜂所になっても生きていられると思うか」
 無理だろうなぁ。うん。
「でもでも」
 何かないかと考えてみるが、妹はロボットに違いない。だって、人間じゃこんな体で生きてられない。
「ちょっとまってよ。妹の体がもしロボットだとして、じゃあ僕の体もロボットなわけ?」
 思えば、妹と体を取り替えて、僕のリアルボディはロボットで妹のは私が使ってます。なんて事はないだろう。つまり、僕も超亜音速で空を飛んだり出来るのでは。
「や、残念な事にそれは正真正銘俺の体だ。だから、あんまり無茶させないでくれよ」
 がっかりである。いつでも妹の体と一緒というのは嬉しいが、それならば使われなかった僕の体はどうしたんだろうか。やはり、衝撃やらなんやらで使い物にならなくて脳味噌だけになってしまったのだろうか。
「じゃ、僕の体、死んじゃったんだ」
 口に出すと少し寂しい。特に愛着はなかったが、帰る故郷を一つなくした感じだ。
「あぁ、それなら今は俺の近くにある」
 近くと言うが、回りには奴等しか居ない。まさか、奴等の本体である肉片こそが私の体なのではないだろうか。
 恐らく、奴等に一撃を入れた私の体はサンプルとして奴等に回収され、培養されたのだ。今まで自分を殺していたなんて、ちょっと憂鬱だな。
「そっか」
 ブルーになりながらも目の前で容赦なく奴等を撃ち殺す妹を見て、さらにブルーになる。
妹は僕の体をなんだと思っているのだろうか。
「話はいいよな。俺はそろそろ行くぜ」
 言い捨てると、妹は敵の真っ只中へ歩みを再開する。
 ちょっと待って欲しい。私の脳がここにあって、妹の体もここにある。私の体は敵が使っていて、それならば妹の脳はどこにあるのか。
 私が導きだした答えは簡単。目の前で死のうとしているロボットの中だ。
「妹! ロボットのくせに僕の食糧ガツガツ食べてたの、許さないんだから!」
 そんなに距離が離れていなかったこともあり、妹の肩を掴むのにそう時間はかからなかった。言おうと思った事とぜんぜん違う質問をぶつけていたのだが、追いつけたのでよしとしよう。
 ただ一つ、残してきた小清水さんが少し心配だが、無事を祈ろう。
「こいつ、エネルギーを食べ物とかで補えるエコロジカルなやつなんだ」
 なるほど、それは人一倍モノを食べるわけだ。謎が一つ解決。
 だが、今はそんな事が言いたかったわけじゃない。
「そ、そんな事より、勝手に死ぬのなんて許さないんだからね!」
「いや、俺ロボットだし。死なないし」
「でも、ここには妹がいるんでしょ」
 拳骨でコンコンと頭を叩けばなるほど、ゴンゴンと皮膚を打つ音に混じって金属みたいな乾いた音が聞こえてくる。
「あーそうか。そこも説明しないといけないのか」
 やれやれといった感じの妹。
「さて、柏木は覚えているだろうか、自分が起きたとき、君はどんな物を見たか」
 言われて思い出す。見たのは確か大量のコードにつながれた妹。今思えば、あれが電源のコードか何かだったのだろう。
 えっと、それからは大量の武器と変な機械がいっぱい。
 妹に連れられて外に出た。
「まったく」
 いつまで経っても答えに辿りつかない僕を見かねてか、妹は溜息をつく。
「脱出の時、扉が勝手に開いたり、全く敵に出会わないで外に出れたと思わない?」
「そ、それは妹の案内があったから……」
「あのね、いくら俺だって施設の扉のロックを走りながら遠隔操作で解除したり、壁を透視して敵のいないルートを選択するのは無理なわけ」
 確かに、僕等は必死だったし、妹にそんな事をしている様子はなかったと思う。
「それに、柏木は一つ見落としてる」
 何か見落としただろうか。
「あの施設で、柏木はでっかい水槽を見たはずだ」
「水槽?」
 水槽。言われた瞬間に脳がスパークをあげて情報の渦をよこす。
 腕、目、内蔵。そして、脳。
「う、うそ……」
「残念な事に嘘じゃないんだこれが。あ、安心しなよ。あの浮いてた腕やらなんやらは柏木のだけど、柏木の本体はしっかりと五体満足で保管してあるから。あれはこいつの予備だ」
「じゃ、じゃあここにいる妹は……?」
「これ? こいつは俺が暇を持て余して作った柏木ロボのリアルスケールだよ。あんまり敵が急に攻めてきたもんだから、迎撃用に出撃しちゃって他の柏木は全部ロストしたけど、特別モデルのこの一体はキチンと柏木のフォローに回せた」 
 戦うたくさんの僕。そして無残に飛び散る僕。死屍累々な僕。僕の墓場。俺の屍を越えてゆけ。だめだ、気持ち悪い。
「他のは自立だったんだけど、これは俺が遠隔操作してる」
 なんと、これはリモコンおもちゃだったのか。
「だから、ここで居なくなっても大丈夫」
 笑ったのか、ふっと肩が揺れた。
「さて、もういいだろ。俺がここで居なくなっても、柏木の体に別状はないし、俺の脳味噌だって無事だ」
 掴んでいた手を振りほどき、妹は再び歩き出す。
 その背中は、まさに死を覚悟した背中で、僕は声が出せなかった。 
「あぁ、言い忘れてたよ。親父達は長年の研究でちょっとおかしくなっちまった。だから、これからも逃げ続けてくれ。あと、どうしても恋しくなったら牡丹と一緒に俺を探してみるのもいいかもしれない。なに、安心しろよ。俺はいつだって柏木を見てるさ」
 言い終わった途端、妹から発されていた青い光が止んだ。
 時が、動き出すのだ。
「乙臣君の馬鹿!」
「うるせぇよ、ウルトラばかしわぎ!」
 互いに恨まれごとを口にし、背中合わせに走りだす。涙が頬を伝っているのはきっと気のせいじゃないはずだ。
 僕はのびた小清水さんに張り手をし、意識を取り戻してもらう。
 妹が派手に暴れているおかげもあってか、こちらに向かってくる敵の量は少ない。
「んあ? バチバチって来て、ん?」
「逃げますよ、小清水さん」
 頭のエンジンがかかりきってない小清水さんを引っ張り走りだす。
「お、おい乙臣は良いのかよ」
「説明は後。今はここから逃げるのが先決です!」
「よし。その依頼受けよう」
 杖替わりにしていた大剣を持ち直し、柄の紐をチェーンソーでも動かす見たいに思い切り引っ張る小清水さん。なるほど、あれってなかなかローテクだったわけね。
「行くぞ。今日はマックスで回してやるさ」
 エンジンがかかったらしいその大剣は、頼もしい高音を響かせていた。
「はい!」
 言葉と共に、僕等二人は地面を蹴った。
「おらおらおらおら!」
 小清水さんの剣の前に、敵は精肉工場みたいにミンチにされていく。
 その光景は、まさに地獄絵図。飛び散る死肉にバケツをひっくり返したような大量の血飛沫。敵に断末魔を上げる隙も与えずバッサバッサと一刀両断していく小清水さん。きっと、これをみた悪魔は、恐怖のあまり泣いて逃げるだろう。やったね小清水さん。悪魔も泣き出すの攻略本が役に立ったよ。
「ばっちぃ」
 僕はというと、そんな怖い怖い小清水さんに金魚の糞みたいにへばりついてっせっせと逃げるのだった。適材適所。適材適所なのだ。
 
 
 
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