Neetel Inside ニートノベル
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涼宮ハルヒ的な憂鬱
第四話:神様少女と銀河少年

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 家に帰って、自分の鞄の外ポケットを確認してみると、覚えのある文庫本の背が見えた。
 手に取ってみると宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だった。おまけに自分が通う学校の図書館の分類番号シールが貼られている。結構古いものなのか、少しだけページが黄ばんでいた。
 背表紙を捲ってみると貸し出した人の名前は書かれていないが、貸出日はハンコで雑に押されていた。俺はこの最新二件の借りた生徒を知っている。
 もちろんだが、俺はこんな真面目な本を借りた覚えはない。第一、学校の図書館で本を借りたことすらないんだ。自慢ではないが年間読書数はせいぜい十冊程度だ。
 ということになると誰かが俺の鞄に突っ込んだということになるわけだが、深く考えるまでもなくその犯人には心当たりがあった。
 本人のプライバシーもあるから細かい情報は言わないことにするが、犯人は1年B組出席番号25番の前坂明美、身長は平均ちょい下、胸も同じく。ついでに彼女の意地悪そうに笑う顔まで浮かんだが、別に俺はケータイを取って文句メールを打つでもなく、居間の机上、鞄の横にその文庫本を放り投げた。
 言うまでもなく図書館の本の又貸しは禁止されてる。図書館には返却ボックスがあるから、俺が明日黙ってそこに本を入れてもバレなければ怒られることはないが、なんでわざわざ俺がそんな面倒をしなければいけない。明日会ったときにでも突き返してやろう。
 そこまで考えて、俺はすぐに晩飯の用意に取りかかることにした。
 なぜか買い物帰りの料理は無性にはやくつくりたくて仕方がない。買い物中、その日の料理を思い浮かべながら材料を選ぶためか、はやく買ってきた素材を調理したくなるのだ。
 間違いなく健全な男子高校生の感じることではないな。うん、まあ、そこらへんは諦めている。
 多少そんな悲しさを感じながらも、今晩のメイン、クリームパスタをつくる。ちなみに今日のパスタには車エビを入れる。しかもこの車エビのエビ味噌まで使うのだから、贅沢なものだ。エビ味噌にはおいしさ成分がたっぷり詰まっているが、この味噌を取り出す作業がやたらと面倒くさい。しかし料理というのは手間をかければかけるほど、つくってる本人としてはおいしくなる気がするのだから不思議なもんだ。
 そんな面倒くさくも愛おしい味噌出し作業中に、勢いよく玄関のドアが開いた。
 誰? と確認するまでもなく姉貴だと思ったが、その予想ははずれてはいなかったものの、50%の正解だったようだ。
 玄関の方を確認してみると姉貴の後ろにもうひとり女性がいた。少し戸惑うような声は、姉貴の声より少し高い。これが平均なのかもしれないが、どうも姉貴の声は女性としては低いから区別がつきやすい。
 来客らしきことを察知して、一度作業を中断して、俺も玄関へ向かうことにした。
 近づいてみると姉貴の後ろにいる人は随分と小さかった。間違いなく150センチ台だろう。姉貴が女性の平均より背があるので、余計に小さくみえる。
「姉貴の友達?」
「そそ、モミちゃん」
 はたして「モミちゃん」が本名の一部から取られたものなのか、なにか別の意味がこめられたものなのかは判断がつかなかったが、そのモミちゃんさんは俺の顔を見るなり、ものすごくためらうような表情になった。
 その反応には、なんとなく理解できた。
 別に友達を家に招くなんてことは、まったくおかしくないことだが、俺も姉貴も一人暮らしなわけではない。それも、実家ならまだともかく、弟とふたり暮らししている部屋へ上がりこむなんて、なんとなくだが入りづらいところがあるのだろう。
 俺だってまだ学校の知り合いを家にあがらせたことはない。なのに、姉貴はどうしていきなり友達なんて連れてきたのだろうか。
「は、はじめまして」モミちゃんさんが下手な笑顔であいさつをしてきた。当然俺も丁寧におじぎを返す。
「今夜の料理はなあにかな?」
 姉貴がまだ玄関でそわそわしているモミちゃんさんを放置して靴を脱いで上がりこみ、いつのまにか台所に立ちながらそんな質問をしてきた。
 エビ、チーズ、生クリーム……と並ぶのを見下げながら、姉貴がシンキングタイムに入る。パスタの麺を見ればわかるものと思ったが、フェットチーネ(平たいやつ)だったためか、パスタとは見破られなかったらしい。
「洋風懐石料理?」それは新しすぎるだろ。
「エビのクリームパスタ」
「ほほう、いまから三人分できる?」
「姉貴の分を少し減らせば」
「うん、それなら少し食べてきたから大丈夫」
 姉貴の食べる量と成長期である俺の分を考えて、飯はいつも二人分にしては多めにつくる。いま、はじめて気づいたがこれだと急な来客には合わせやすいな。滅多につかう場面はないだろうが。
 玄関にはまだ靴を履いたままモミちゃんさんが、俺たち姉弟のやり取りをぼっーと眺めていた。
 小柄な体型だが、少し明るく染められた髪はふんわりとセットされていて、薄い化粧が真面目な女子大生らしい雰囲気を出している。姉貴よりはずいぶんと若々しいと思う。
 モミちゃんさんは助けを求めるように「結衣っー」とすでに上がりこんでしまった姉貴の名前を呼ぶが、姉貴はお構いなし完璧に自宅モードになっていた。さきほどの会話からだとモミちゃんさんも一緒に夕飯を食べていく感じだったが、どうなんだろう。モミちゃんさんの方を見てみると相変わらずためらうような表情だったので、こちらとしても固くなってしまう。
「どうぞ、あがって晩飯食べていってください」
「いい、のかな?」
「僕は構わないので」
 緊張しないでください、というのは無茶があるような気がした。
 そんな初対面のぎこちないやり取りを見兼ねてか、姉貴も椅子に座りながら「あがってあがって」とモミちゃんさんを手招きする。どうせなら最初からそうしろ。
「じゃあ、おじゃまします」
 どうして姉貴みたいな面倒くさい人と友達になったんだろうかと、疑問を持ちながらその背中を見送る。いつまでも振り回されないように、モミちゃんさんが姉貴のいい加減さに早く慣れることを願っておく。テキトーな姉ですが、どうか見捨てずに良き友のままであってください、と。


 居間で交わされる女子大生同士の会話を後ろに、俺は味噌出し作業を再開した。
 一度、モミちゃんさんに「手伝いましょうか」と言われたが、来客にこんな面倒くさい作業させるのもどうかと思い、ゆっくり待っていてくださいと丁重にお断りした。
 別に台所という名のテリトリーに入られたくないわけではない。断じてない。むしろ女子大生と楽しくクッキングなんて、俺に強い年上属性があるわけではないが一度はやってみたい。
 もちろん姉貴の方は食い専なので、手伝う素振りなど一切見せない。友達の前だからって「実は私料理もできちゃうんだぞ♪」なんて女子力をアピールすることもない。俺が料理をつくるということがこの家では当たり前なのだ。その関係はもはや崩れそうにもない。
 料理が一段落して、ふと後ろの二人に目をやってみると見事に机の上に置いてあった俺の鞄を漁っていた。「現国の教科書おんなじだったなあ」なんて勝手に思い出に浸られている。なんてこったい。
「なんで勝手に漁ってんだ」
「シュウジ、エロ本が入ってないじゃない」
「あるわけないだろ」
「そっか、時代はネットだよね……」
 そういう問題なのか。
「代わりにしては、ずいぶんと真面目な本を読んでるのね」
 いつまにか姉貴の手にはさきほど放り投げた銀河鉄道があった。ただの日本文学が真面目かどうかはわからないが、どっちみち俺の借りたものでもないし読んでもいない。しかしそんな事実をわざわざ説明するのも何だか面倒くさかった。
「別に、おかしくはないだろ」
「ふーん、でもこれならお姉ちゃんの部屋にあったのに」
 そういえば姉貴の部屋には無駄に本がある。引越しの際やたらと重かった覚えがある。それも芥川龍之介やら太宰治やら川端康成やら古臭い文学ばっかりなので、放縦な姉貴にはとても似合わない。
「姉貴、銀河鉄道の夜って、どんな話か覚えてる?」
 いちおうの確認。これであの本の山がただの置物なら、駅前のブックオフにでも売ってやろうと少し考えた。
「覚えてるっていうか、簡単なあらすじくらいなら説明できるわよ。貧乏な主人公がいつのまにか眠ってしまって汽車に乗って宇宙を駆け巡って、起きて祭りに行ったら親友がクラスメートを助けて死んだ、みたいな。あ、モミちゃんはこういうの詳しい?」
「私もそんな感じにしか覚えてないよ」
「えー、だってモミちゃん文学部じゃん」
「べつに国文科とかじゃないし」
 予想以上に大学生ふたりのあいだでその本の話が盛りあがって、一般人はこれくらいの知識は当たり前に持っているのだろうかと少し不安になる。姉貴のあらすじはよくわからなかったが。
 正直、俺は中学の授業で習ったはずだが、部分的にしか覚えていないのだ。そもそも教科書に全文が載っていなかったのかもしれない。前坂の言ってた話だとそこまで長くないみたいだし、一度読んでみるべきか。しかし読む目的が自分でもよくわからない。普段読書という習慣がない俺は何か本を読む場合、明確な理由がないと読みきる自信が湧かなかった。
 やっぱり明日、前坂に会ったら突き返そう。
 机の上でいじられっぱなしだった俺の鞄ちゃんを救出して、代わりにできたてホヤホヤのクリームパスタを3皿並べた。3皿並べること自体は、別に珍しいことではなかった。いつもおかわり用として1皿に余剰生産物を盛ってるからだ。しかしやっぱり3人で食べるのは珍しいことだった。
「いただきます」
 3人、声を揃えて言う。
 何気に3人共、そういう食に対する礼儀正しさは同じだったらしい。

       

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