「もともと新井は、ずっとある生徒に目をつけていた。俺はずっとその相談を受けていたんだ。石田は新井の腰巾着だったから当たり前のように二人で俺にまとわりついて来てた。
 ……何故かは知らないけど、新井は一度もその生徒にアプローチしなかった。だから、俺も新井がただ騒いでいるだけだと思ったんだ。そうしたら、新井が突然俺に言ってきた」

 植木は深く、とても深く息を吐いた。
「『バレンタインに、チョコを渡して告白しようと思うんです。断られたら、力づくで何とかしますよ』
 新井は、笑ってた。楽しそうに笑ったんだ。」

 辛そうに顔を覆う植木が泣いてしまうのかと思った。
「植木、嫌ならもういい。無理に話してくれなくてもいいよ」
「大丈夫だよ。俺はお前に聞いて欲しい。もう少しだけ付き合ってくれないか?」
「わかった。じゃあ、何か飲み物持ってくるよ。ちょっと待ってて」
「ありがとう。…トイレ借りていいか?」
「どうぞ。居間を出てすぐ左にあるよ」
「うん」

 台所で、水を入れたやかんを火にかけた。インスタントコーヒーを戸棚から取り出し、客用のティーカップではなく普段から使っているマグカップに粉を入れた。
 植木の話はきっと本当だ。新井の、物腰の落ち着いた丁寧な口調はいつでも思い出せる。無邪気そうに見えるあの笑顔も。
 学校ではあまり話さなかったが、毎年父の命日にやって来た新井は随分長居していたのだ。
 僕は、あの笑顔も声も大嫌いだったのだけれど。
 
 沸騰したお湯を二つのカップに注ぎ、恐る恐る持ち上げる。
 トイレから戻っていた植木が居間にいた。
 開け放したままの隣室をじっと見ている。そこには、小型の冷蔵庫くらいの、父の小さな仏壇が置かれている。
「お父さん?」
「…うん、10年前に死んだんだ。俺らの学校で先生やってたんだよ」
「そっか…」
 僕は無言で植木の分のコーヒーを渡した。植木もそれを無言で受け取る。
 どちらからともなく、僕の部屋へ歩き出した。

 
「話を続けよう」
「うん」
 湯気が眼鏡のレンズを曇らせたので、僕は眼鏡を外して机の上に置いた。

「…新井は、手作りのチョコレートを持っていた。本当かどうかは知らないけど、そのチョコには自分の血を入れたって言ってた。本気で好きになった相手には必ずそれを渡してるって。
新井の指先は絆創膏だらけだったから、信憑性はあったよ」
 ぞっとした。きっとその場にいた植木は、僕の何倍も。
「俺は… ニコニコしながらそんなことを言う新井が怖くなった。やめた方がいいって言ったけど、ヘラヘラ笑うんだよ。
 今からその人のところへ行って告白するから、応援してくれってあいつは言った。いつもいつも、その人のことを俺に相談するのが習慣になってたからな。だけど俺は、絶対に新井を止めなければならないと思ったんだ。それで、夢中で…
 …気が付いたら、新井を思い切り突き飛ばしていた。
 新井は、机の角に頭をぶつけて、そのまま… 死んでしまったんだ」

 植木は、熱いコーヒーを一口だけすすった。

「俺が新井を突き飛ばした時、新井が持っていたチョコレートは床に散らばった。小さい一口サイズのがいくつか入ってたみたいでさ。次の日にはなくなってたみたいだけど、それは俺知らないんだよ」
「あれは、多分江崎が拾い食いしたんだと思う」
「そういえば食中毒で休んでたもんな」
 新井が実際に血液を混入していたのなら、食中毒を起こすのも無理はない。床に落ちただけで細菌だらけになるのは考えにくいから、気持ちの悪い話だがしっくりくる。

「倒れて動かなくなった新井に怖くなって、俺は教室を飛び出した。そしたら、ちょうど廊下を歩いていた小野に出くわしてしまったんだ。小野は、教室をのぞいて、新井を見つけた。
 小野は物凄く一生懸命、俺の味方だって言ってたよ。俺の痕跡を消しておくから先に帰れと言われて、俺も素直に先に帰った。だけど、小野は江崎に見つかって濡れ衣を着せられてしまった」
「…わからないんだけどさ」
「何だ?」
「植木、どうして江崎に怯えて真っ青になった小野を僕に見せたんだ? あの時合図をくれなかったら、僕はきっと何も気づかなかったのに」
 植木は吐息をもらすように小さく笑って、かぶりを振った。
「どうしてだろう。…お前には、知ってて欲しかったのかも知れない。最初からずっと」

 少し身体をずらして座り直し、植木はまた語り始めた。
「小野から、江崎に呼び出されたって相談を受けたんだ。学校で。新井を殺したって疑われてる。どうしようって。そうしたら、いつの間にか立ち聞きしていた石田が乱入して来た。そして、詳しく話を江崎から聞きたいからと、代わりに行くと言い出したんだよ。
 俺と小野は慌てて止めたのに、あの馬鹿は暴走して、結局勝手に行っちまった。
 石田の話では、包丁を持っていた江崎と口論になったらしい。二人とも頭に血が上りやすいからな。それで、もみ合いになって、気が付いたら… 江崎から包丁を取り上げて、あいつの腹を… 切り裂いてしまった」
「僕はその直後に石田に会ったけど… もしかしたら、僕も刺されていたのかもしれないね」
「いや、それはない。石田はお前を傷つけることはしないよ」
「…何で?」
 植木はまた、首を横に振った。
「石田は、口論したときに江崎の口から小野が犯人だと聞いたんだ。石田は、小野に復讐することに決めたらしい。何でか知らないけど、石田は新井を神様みたいに思っていたからな。
 俺の名前を騙って、石田は自分の携帯から小野に電話をかけた。そして、小野を公園に呼び出して…」

 植木の手の中で、マグカップが小刻みに揺れている。震えているのは植木自身だった。
 僕は自分のカップを机に置くと、震えたままの植木の手を、そっと自分の両手で包み込んだ。
 植木の手は指先まで氷のように冷たくなっていた。

「石田も新井と同じで、何でも俺に相談してた。柔道部で俺が部長だったから、話しやすかったんだろうな。新井の片思いの相手にも近づきやすい場所にいたし。
 倉庫に隠れてるから助けて欲しいとか、小野を殺したとか、石田はいちいち俺に電話をして来た。だから定時連絡として、毎日夕方5時にだけかけてきてもいい約束をしていたんだ」
「石田の携帯がマットの間にはさまってたのは何で?」
「…あの日俺は、自首をするように説得に行っていたんだよ。もう逃げられないし、その方が罪も軽くなるからって。それに、小野のようにとばっちりで誰かが殺されるのが怖かったからな。
 でも石田は錯乱して、倉庫を飛び出した。その時石田が落とした携帯を、俺が無意識にマットに突っ込んだんだと思う。倉庫にはゴミも石田のコートも置きっぱなしだったのに、俺も混乱してたんだろうな」
 ちょうどその時に、僕とぶつかってしまったんだ。あの時にはもう、理性なんてなくなってわけがわからなくなていたのだろう。
 追い詰められた石田は逃げ出して、そうして… 死んでしまった。
 
「石田はあの後死んだ。…それが、事件の真相だよ」
「……そうか…」
 僕は、机に置いたままの眼鏡をかけて、うつむいてしまった植木の目の前に立った。
「植木。そもそもの発端は… 新井の片思いの相手っていうのは」
「それは俺には言えない。お前は知らなくていいんだ」
「……僕のことなんだろ?」
「………!!!!」
 植木が顔を上げて僕を見つめている。その表情が、僕の言葉を肯定していた。

「僕は父にそっくりだからね。新井は、僕の… 父さんのことを、好きだったから」
「コナンの、父さん…?」
「父さんは当時、僕たちの高校で教師をしていた。そして、柔道部の顧問もしてたんだ。新井は当時の教え子だった」

 小柄な僕の父もまた、同じように小柄だった。
 その身体からは想像もできないくらいの柔道の腕前に、誰もが驚いていたものだった。

「面白いことを教えてあげようか。
 父さんを死なせたのはね、新井なんだよ」
 僕は、少しぬるくなったコーヒーを飲み干した。