Neetel Inside ニートノベル
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 着物の汚れは、飛縁魔がハンカチで拭ってなんとか目立たないまでになったが、きちんと洗濯しなければ完全には落ちないだろう。影のようにしつこい染みを少女は何度もこすっては確かめていた。きっと大切な着物なのだろう。この世界観だと、ただひとつ人前に出るときに着れる一張羅だったのかも。
 弁償したアイスを少女の前に出したが、なかなか彼女は手をつけようとはしなかった。じいっと恨みがましい目がいづるをがっちり捉えて放してくれなかった。ずっと浴びていたら水ぶくれになりそうな視線である。
 少女は頭に鉄輪(かなわ)をかぶっていた。鉄輪というのは火鉢に置く五徳のことで、昔、男に裏切られた女性が牛の刻参りにかぶっていたというが、つまり、自分の脳みそはいまヤカン並に沸騰しているぞ、という意志表示なのだろう。
 いづるは平身低頭テーブルに仮面をあてて謝った。顔をあげたときには金髪の少女は、いづるなんぞには目もくれずにアイスをスプーンで穿り返していた。ガールズトークが始まって、テーブルに和気藹々とした雰囲気が戻ってくるのを、いづるとどくろ店長は複雑な眼差しで眺めた。
「飛縁魔さァ、オトコ侍らすならもっと背筋ぴしっとしたの選びなよ。なにこれ? しなびたナスか去勢されたネコみたいじゃん」
 どこから傷つけばいいんだろう。
「べつになんだっていいだろ、人間なんか。どうせ魂魄洗浄されてあたしのタネ銭になるんだからさ。もしくはガソリン」
「まーだギャンブルやってんの? 好きだねーオタクも。あ、わかった。アリスに献上するためにガンバってくれてるんでしょ。けなげー」
「おまえいっつもそーゆーけどさ、ちゃんと計ったら戦績おんなじくらいだよ
絶対。話盛るなよな」
「自分が勝ってる、って言わない謙虚さにアリスはシンソー心理に潜むきみの敗北感を読み取るわけですよ」
「うっ……」
「きゃはっ、当たった? ふふん、あたしの心眼も衰え知らずだなァ。あたしに逆らっちゃダメだよ飛縁魔? いい子にしてな?」
「おまえぜってー友達あたししかいないだろ……」
「ところで」
 アリスと呼ばれた少女はスプーンに残った溶けたアイスをぺろりとなめて、銀色のさじをいづるに向けた。
「もう反省した?」
「充分に……」
「ホント?」
 自分の悪口が目の前で女の子の間を応酬するのは、できたばかりだが真っ先に消えて欲しい記憶である。顔は見えなくても言葉通りその『心眼』で内心のダメージを読み取ったのか、アリスは頬杖をついて満足気にニヤついた。
「じゃ、許してあげるよ。よく聞いたら、声、ちょっとベルベットボイスだし?」
「こーのお調子モン……」
「姉さんもだろ?」
「あたしは……って、だからなんだよ姉さんって?」
 ガタッとアリスがティーセットごと三十センチ後方へずれた。さっきまで白かった綺麗な顔が青くなっている。
「うっわァ飛縁魔、ちょっとヒいたよ今。最近アタマの足りないバカがお兄ちゃーんとか呼ばれて喜ぶのは知ってたけど……ええ……? お姉ちゃん……?」
「喜んでないってッ! 違うったらッ! おい店長なに笑ってんだよ、カタカタうるせ――――よ!! おまえもなんとか言えよ、人間!」
「かくいう私もシスコンでね」
 ぶはァッとアリスが思い切り噴出した。机をバンバン叩いてゲラゲラ笑い始めた。涙まで流している。こちらの予想を超えてウケたらしい。
 いづるは身体を張ったネタを終え、天命が下るのを待った。飛縁魔はガタンと椅子から立ち上がった。耳まで真っ赤である。
「な、なにが面白いんだよ! ぜんッぜんつまんね――――っての!」
「ヒィ……ヒィ……」アリスは白い指で綺麗に涙をぬぐった。
「だ、だってぇ……こいつオモシロイんだもん……最近のやつにしてはノリいいじゃん」
 ふーと一息ついて、
「怒んな怒んな? こーゆーのは勢いとバカさ加減だって」
「なんであたしが諭されてんの!? あたしはまちがってないからな!!」
「ハイハイ。ピーターパンだってジョークのさじ加減くらい悟るもんよ。オッケィ? じゃ、座った座った。ほら、みんな見てるよ? 目立っちゃってハッズカシーね」
 釈然としねぇ、とぶつくさ言いながら飛縁魔は座った。ぷいっと横を向いて、会話に加わろうとしない。アリスは構わず、いづるの方へ身を乗り出してきた。
「ねえ、あんたさ、名前は?」
「忘れた」
「嘘つけー。確かにここにいると物忘れ烈しくなるけどねえ、自分の名前まですぐ忘れたりしないっつーの。このアリスさんをテンパらせるのは百年早いぞ、若人よ」
「じゃ、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン」
「へえ、素敵な名前! じゃあんた粉々になるまでロリコンおじさんって呼ぶね」
「タンマ」
 すったもんだした挙句、デザート後の紅茶を奢ることで、なんとかいづるはキチンと名乗る権利を得た。
 やってきた紅茶をふーふーして冷まし、アリスがカップ越しに聞いてきた。
「で、名前は? 若かりし日のロリコンおじさん」
「増えてるし……」
「いーからいーから。笑ったりしないって」
 金髪の少女の、歳に似合わない妖艶な笑みに引き出されるように、いづるは言った。
「――いづる。名字も聞きたい?」
「あー」
 アリスはスプーンの先を見つめて、
「いいや。その方が下の名前で呼ぶ口実になるしね。お? なんかアリスさん久々にハメられちったんじゃねコレ? おぬしやるのう」
「きみほどじゃないけどね。――飛縁魔、そろそろ機嫌、治したら? 僕らもなんか頼もうよ」
「うるせー……っていうかなに勝手に紅茶頼んでんだよ! つかここ紅茶なんか出んの!?」
 飛縁魔は腰をよじって、口に片手を当てて、
「似っ合わねぇ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!」
 よく通る声で怒鳴って、それで自分の傾いた機嫌に決着をつけたようだった。厨房からはなんの返事もなかったが、よく耳を澄ませれば、店長の悲しげな骨鳴り音がするのだった。
「ちょっと紅茶よこせ」
 止める間もなく、飛縁魔はカップをアリスの手から奪い取って飲んだ。アリスが眼と口を丸くして飛び上がらんばかりに叫んだ。
「あっ! うっわ信じらンない! バッカじゃないの間接キスだよ!?」
「ガキだなー。やっぱガキだなー。思春期入りたては違うなー。口つけたとこなめてやろうか?」
「発想がオッサンだよ! もう最ッ低――――――――――――――――!」
「さすがのチャールズお兄さんもドン引きだ」
「ちょっ……ホントにやるわけねーだろ! お、いづるおま、こっち見るな! 視線わかんねーからなんか怖いんだよ!」
「やれやれ……ホントにあの世なのかって思うくらい、にぎやかだねェ、ホント」
 さっきまでの和やかなティータイムムードから急転直下のキャットファイト五秒前となったテーブルをいづるは必死になだめていたので、いつの間にかちゃっかり名前を把握されていたことには気づかなかった。
 のっぺらぼうは両者のカルシウム不足を熱烈に訴え、新たにミルクを三杯頼むことに成功した。
「冷たい牛乳はヤ」というアリスにまた飛縁魔が意地悪い笑みを浮かべてガキガキ言うので、「きみは冷たくたって砂糖なしだってヨユーだもんね?」と煽って、支払いの件が三人の口頭に上ることはなかった。テーブルの下で、アリスといづるの拳がガツンとぶつかった。もちろん、飛縁魔からは見えない角度で。
 陰謀が取り交わされていたとも知らず、飛縁魔は自分が初めて注射したときも泣かなかったし、一人でお留守番も三歳からできたことを得意気に喋りまくった。
 まさにカモの鑑である。

       

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